北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

〒020-0021 岩手県盛岡市中央通3-17-7 北星ビル3F

TEL.019-621-1771

2020年

平成30年~令和元年の取扱実績③家庭(離婚・親子・後見)、相続、行政、刑事ほか

前回に引き続き、平成30年~令和元年の業務実績(従事ないし解決した紛争の概要)を、守秘義務の範囲内で簡単にまとめました(全3回)。依頼先の弁護士を選定する際に参考にしていただければ幸いです。

(6) 家庭生活や親族関係、相続を巡る法的問題やトラブルの解決

離婚やこれに関連する紛争(離婚時までの婚姻費用、面会交流、離婚後の養育費のほか、破綻の原因となった不貞行為を巡る賠償問題など。否認事案を含む)については、現在も多数のご相談・ご依頼を受けています。

主なものとしては、夫婦の不和(親権争い)に伴い、夫が幼児を自身の実家に連れて行った上、妻に対し自宅からの単身退去を求めるなどしてきた案件で、それまで育児の大半を担っていた妻の代理人として「子の監護者指定及び引渡しの審判」の申立をした案件があります。

実務的には当然に認められるべき事件と判断して申し立てましたが、1審(盛岡家裁)で予想外の敗訴審判を受け、驚いて即時抗告(不服申立)を行ったところ、2審(仙台高裁)で無事に全面取消(当方勝訴)の決定をいただき、かなりの長期を要したとはいえ、無事にお子さんの引渡し等を受けることができました。

他にも、嫡出否認の問題を抱えた方(男性側)のご依頼で、女性側と交渉して必要な法的手続を行った案件もあります。

前回(交通事故の項)にも書きましたが、夫婦間の紛争を依頼される方の中には、弁護士費用保険を利用して委任される方もおられます。現在は勤務先など(所属団体)が従業員などを被保険者として契約する保険商品が主流のようですが、夫婦間の紛争はご本人・受任者双方にとって負担の多い手続になることが多く、保険の普及を期待したいものです。

成年後見に関しても、財産管理や後見支援信託など基本的な対処を行う事案のほかに、後見審判後も施設入居を拒否して自宅で独居を続ける方に関し、様々な問題に対処・苦慮しつつ、生活の継続を見守っている事案もあります。

また、意思疎通は問題がないものの身体に障害のある方で、家庭内に複雑な事情を抱えたご年配の方から財産管理の依頼を受け、福祉関係者と協議しつつ家庭内の問題への対処を含む様々な対応を行っている案件もあります。

相続分野では、亡夫の預金などの相続について、前妻のお子さんとの交渉等(遺産分割)の依頼を受けた事案や、亡父の遺産分割の対処の依頼を受け、相手方の特別受益をはじめ、様々な論点の検討が必要になっている事案などを担当しています。

また「県内の山間の集落に多数の不動産を遺して亡くなった方について、相続人である兄弟姉妹らが長期間、相続手続をしなかったため、相続人が数十名、権利の調整を要する物件(相続不動産)も多数に上り、墓地の扱いなど様々な論点が存する(放置されたまま、現在に至った)案件」の依頼を受け(相続人の調査等を対応された司法書士の方のご紹介)、現在も多くの関係者と協議しながら解決のため対処に追われています。

また、遺言により財産相続をしたAが、不和な状態にあるきょうだいBから遺留分減殺請求を受けたものの、B氏が生前贈与を受けていることなどから減殺(代償金の支払)はできないとして争った事案(A氏代理人として受任し当方の主張どおり解決)、相続財産管理人として受任し多数の関係者が生じている共有物分割請求(土地の権利関係の処理)に対処した事案自筆遺言の検認やその後の対処(他の相続人との交渉など)を要する事案親族関係者全員での相続放棄の申立事案(音信不通になっている親族との連絡調整を含む)などを担当しました。

身寄りのない方であれ、身内の「争族」が危惧される方であれ、法的手続を通じて相続財産の処理をせざるを得ない事案や、信託のような特別な配慮をするのが望ましい事案は今後、ますます増えていくと思われます。

なるべく生前に、相続や財産管理のあるべき姿について遺言などを通じ適切に意思を表明していただくのが、紛争やトラブル発生の防止のため望ましい面がありますので(遺言の内容や書き方などに関する弁護士等へのご相談も含め)、ご留意下さい。

(7) 行政との訴訟、刑事事件、その他の業務

行政を当事者とする紛争では、特定の産業分野(行政の規制対象)で自治体に営業許可を申請して不許可となった多数の方々が、その行政処分に不服があるとして取消や許可の義務付けを求めて請求している訴訟(報道でも大きく取り上げられた「サケ刺網訴訟」)を、自治体(岩手県)の代理人として受任し、3年ほど膨大な作業を通じて闘ってきました。

平成30年に1審判決があり、主要争点で当方の主張を全面的に認める勝訴判決を受け、昨年2月には控訴棄却(県勝訴)の判決がありました(先方が上告し、本年に上告棄却=当方勝訴で終了しました)。

刑事弁護も、被疑者段階を含め、窃盗や詐欺、傷害、器物損壊、住居侵入、迷惑防止条例(盗撮)事案などに関して幾つかの事件を手掛けています(大半は国選事件ですが、私選のご依頼はタイムチャージ形式で受任しています)。

否認事件や大規模な詐欺組織の構成員の国選弁護人として、無罪の主張立証や多数の被害者への弁償など様々な作業に負われたこともありました。

少年審判についても、保護観察がなされた事案のほか、「生育環境に気の毒な事情が多く見られたものの、従前の素行の問題や現在の生活環境の悪さから、やむなく少年院送致となった事案」も経験しています。

その他の業務としては、岩手県民生活センターが主催する消費者向け相談紫波町社会福祉協議会岩手県総合福祉センターの高齢者・障碍者向け相談など幾つかの相談事業を担当しているほか、東北厚生局の訟務専門員として、保険診療の不正受給問題に関する解決のお手伝いをしています。

 

平成30年~令和元年の取扱実績②交通事故等(賠償)、生活上の問題(消費者・契約)

前回に引き続き、平成30年~令和元年の業務実績(従事ないし解決した紛争の概要)を、守秘義務の範囲内で簡単にまとめました(全3回)。依頼先の弁護士を選定する際に参考にしていただければ幸いです。

(4) 事故等による被害の賠償等の請求や防御に関する支援

現在も交通事故の被害者側での受任事件が多数あり、大半の方が、ご自身等が加入する任意保険の弁護士費用特約により、本来であれば数十万円からそれ以上を要する弁護士(当職)への委任費用について、自ら費用の負担をせずに利用されています。

受任の内容も、過失割合(事故態様を巡る事実関係)が主たる争点となる事案、物損の金額(全損評価額・評価損など)が争われる事案、むち打ち症(頚椎捻挫など)に基づく人身被害の賠償額算定が中心となる事案、重度の後遺障害が生じて多様かつ多額の損害の算定が必要となる事案など、幅広く取り扱っています。

事故直後など、加害者側の示談案提示前の時期から受任して後遺障害の認定申請なども含めた支援を行う例も増えており、「神経障害に関する後遺障害(14級9号)」をはじめ、幾つかの後遺障害につき、認定を受けるための調査や医療機関への照会などを行いました。

また、自賠責で等級認定が認められなかったものの、訴訟で14級相当の後遺障害の認定が認められた事案なども経験しています。

万一のときに後悔しないためにも、自動車保険などでは必ず弁護士費用特約が付された任意保険にご加入ください(某大手損保が販売している、相談のみの特約に加入される方もおられるようですが、必ず委任費用を対象とした保険にご加入下さい)。

近年、弁護士費用特約は企業クレーム対応や家事事件などにも導入されており、従業員などを被保険者として勤務先・所属先で契約する例もありますので、活用をご検討ください。

(5) 個人(消費者)が交わす契約や社会生活を巡る法的問題の解決

投資詐欺の被害に遭った者同士が責任の所在を巡って争った訴訟」(主犯格Aの知人Bが、知人CにもAを紹介し、CがAの勧誘で多額の投資をして被害に遭ったことから、CがBにも紹介者責任があるとして訴えた事案)で、B氏代理人として対応しています。

B氏は詐欺的商法に対する認識が甘く、以前から懇意にしていたAに誘われるがまま、自ら少額の投資(金銭預託)をし一定の配当を受けたことから、Aらが破綻し自身への配当も停止するまで詐欺的商法との認識を持つことなく、主観的には善意でCにも勧めてしまったという事案で、B氏に過失によるCの損害の賠償責任(紹介者責任)が認められるかが大きな争点となりました(Aの受任はしていませんが、当然ながらCの損害の全部又は大半にAの賠償請求が認められることが前提です)。

結局、尋問を含め双方の主張立証が激しく争われた末、B氏にはAらのような巨額の賠償責任が認められないことを前提とした勝訴的な和解で終了しています。

また、転職後に前の勤務先から「職場で負担した仕事で必要な資格試験の受験料などを支払え」と請求された方の依頼を受け、基本的な法律論をもとに、請求棄却(勝訴)の判決を得ています。

昨年は、Web上のやりとり(誹謗中傷的な投稿)を理由とする名誉毀損企業の従事者の方が企業情報を他社に漏らしたことを理由に賠償請求を受けたケースなど、個人が特定の不法行為を行ったことを理由とする賠償問題で相談・依頼を受けた件も複数ありました。

他にも「D社に務めるEが退職後に同業他社に就職したところ、Dから競業避止義務違反だと主張され、賠償要求などを受けたため、E氏代理人としてそれが不当だとして反論した案件」職場内での個人間の暴行事件を巡る賠償請など、様々な事件を手がけています。

また、震災無料相談制度(令和3年3月終了見込)や扶助相談制度などを通じ多数の方々にご来所いただき、各種の消費者被害や近隣トラブル、労働事件をはじめ、生活上の様々なトラブルに関するご相談や簡易な交渉対応などに応じています。

 

平成30年~令和元年の取扱実績①全体、中小企業法務、債務整理・倒産

当事務所では毎年1回、前年の業務実績の概要をブログで公表しています。ただ、本来の予定が大幅に遅れ、昨年=令和元年分は本年8月にようやく顧問先に送付しており、ブログでも載せようと思いつつ、余裕のない状態が続き、現在に至りました。

その上、さきほどブログを見返したところ、2年前=平成30年の業務実績の掲載を失念していたことに気づきました。

というわけで、今回は、平成30年・令和元年の実績概要をまとめてお知らせします。

当事務所WEBサイトの「取扱業務」に基づいて分類し、3回に分けて掲載します。依頼先の選定などの参考としていただければ幸いです。

(1) 全体的な傾向など

当事務所は、①交通事故などの各種事故(主に被害者側からの賠償請求)、②離婚や相続など家族・親族間の紛争や各種法律問題、③企業倒産や個人の債務整理、④企業の取引や内部の紛争、⑤個人の方に関する各種の民事上の法律問題などに関する様々な紛争の解決や法的処理のご依頼に対応しており、この5大分野が業務の柱となっています。

近時は①②の受任が多くなっていますが、企業の重大な紛争や大型の行政訴訟(現在は行政側での受任)など他の様々な事件の解決やご相談の対応にも注力しています。

(2) 企業・団体の業務や経営上の法的問題に関する支援

企業取引に関する問題では、受注業務を巡る紛争や賃貸借に関する典型的な紛争などほか、2~3年前に社会問題化した「詐欺まがいの求人広告(無料出稿を装い簡易なFAXのみで契約させ、最初の無料期間経過後に当然に有料に移行したとして高額な請求を行うもの)の請求」に関する対応依頼などもありました。

また、「建築瑕疵の是非などを巡って複雑な争いがある賠償請求訴訟を建設会社側で受任した事案」、「商業店舗の賃貸借に関し、貸主側の対応の不備に起因し借主が退去等を余儀なくされたため、借主代理人として貸主に賠償請求した事案」などを受任し、責任論(賠償責任があるか)・損害論(責任があるとして、どの程度の請求ができるか)を巡り激しく対立した訴訟などを担当しています。

これらは相応に主張立証を尽くし、裁判所から相当な和解勧告を受けて解決しています。

他にも、取引先への売掛金請求に関する事案(請求者側)や、以前に契約関係にあった相手方企業から不当な要求を受けたため、必要な反論を行い要求を退けた事案などを扱っています。

******

企業の内部紛争に関しては、「小規模な企業の経営者Bに頼まれ中途就職したAがBから企業承継(買取)を要請されて応じたものの、後日、Bに不正行為が発覚したとして、Bの法的責任を問う必要が生じた事件」をA氏側代理人として受任した案件があります(本年、1審で勝訴判決を得て、控訴審で勝訴的和解が成立しました)。

ある企業が有期契約社員の方が問題を起こしたため更新拒絶(雇止め)を行ったところ「辞めさせるのは違法だ」と主張され地位確認等(解雇無効)請求を受けた事案で、企業側代理人として2~3年ほど対応した案件があり、昨年、1審勝訴→2審も勝訴維持の心証を前提とした解決を得ています。

また、以前にA社を共同経営していた親族同士が数十年前にA社・B社に分離し互いに単独で企業を経営していたところ、近年になりB社がA社に重大な背信行為に及んだことが発覚したため訴訟を余儀なくされ(A社代理人として受任)、過去の様々な経緯から双方が激しく対立する事案なども担当しています。

********

当事務所では、一般的な顧問料による顧問契約だけでなく、9年前から月額3000円(税別)による顧問契約をお引き受けしており、ここ2~3年は、顧問先の方々から、様々なご相談や簡易なご依頼などを受ける機会が増えてきました。

今後も、多くの県内などの中小企業・団体などの方々にとって利用しやすい利用頻度に応じたリーズナブルな顧問契約のあり方を追求すると共に、早期のご相談と必要な対処を実現し、手遅れになる事態の回避ひいては弁護士とご本人が共闘して物事の機先を制する、能動的・戦略的なリーガルサービスの提供につとめてまいりたいと思います。

(3) 債務整理と再建支援

震災以前に比べて、自己破産、個人再生、任意整理とも受任件数は大幅に減りましたが、現在は「債務総額がさほど大きな額ではない(100~200万円未満)ものの、僅かな収入しかない又は無収入ゆえ自己破産をせざるを得ない方」「複数の銀行などに300~400万円程度の借入と住宅ローンがあり、住宅を維持しつつ他の債務を圧縮するため、個人民事再生の手続を利用する方」からの依頼が多い傾向にあります。

また「法的手続をせず、リスケジュールのため任意整理を希望する方」の依頼もあります。近年は10年以上前に借りた債務を滞納していた方が「債権譲渡を受けた」と称する企業から最近になって請求を受け、消滅時効などにより解決を求める事案も幾つかあります。

近年は、債務額などからは民事再生や自己破産の手続をとるべき方が、Web上で大々的な広告を展開する東京の弁護士などに安易に任意整理(リスケ)を依頼し数ヶ月ほど委任費用を支払ったものの、結局、支払継続が困難となり、成果もないまま後日に当事務所に相談し法的手続を依頼する(ので、当初から当職に依頼していれば負担せずに済んだ多額の委任費用を無為に前代理人に支払ってしまっている)というケースに遭遇した(依頼を受けた)ことが何件もありました。

過払金の巨額横領が発覚した「東京ミネルヴァ法律事務所」問題のように、解決のための方法選択(依頼先の選定を含め)を誤ってしまうと、費用の無駄に限らず、後日に様々な問題が生じます。

債務整理に限らず、弁護士への依頼にあたっては、そうした事柄(後悔を余儀なくされた方が現に何人もおられるという現実)も視野に入れて早期のご相談をご検討ください。

過払金請求は時代の変化に伴い依頼を受けることがほとんどなくなりましたが、債権譲渡など特殊な論点が絡んだ事案の依頼があり、貸金業者側代理人との激しい闘いの末、裁判所から相応の和解勧告を受けて解決したものがあります。

企業倒産(破産管財)に関しては、平成28年に受任した相応の規模の建設関係の会社について、権利関係の処理がようやく完了し配当に向けた手続を行ったほか、小規模な事業者の方の管財事件で、動産の売却や原状回復の問題など様々な法的対応に負われました。

近年はごく小規模な企業の受任に止まっていますが、債権回収などを巡って特殊な交渉が必要になった案件実質的な経営者である元従業員に色々と問題があり、相応の対応が必要になった案件などを担当しています。

申立代理人としても、個人経営の飲食店の自己破産申立などを受任しているほか、本年になって「銀行等にのみ高額な債務を負っている企業及び代表者に関し、適切な方法で相応の弁済を行うことと引き替えに自己破産を回避し、破産のルール(99万円)を上回る資産を将来も保持するための制度(経営者保証ガイドライン)」により解決すべき事案のご相談を受け、現在も諸々の準備を行っている事案があります。

新型コロナウイルス禍のため残念ながら経営継続が困難となった方の中には、この制度を利用して債務問題の解決を図っていただくのが望ましい案件がありますが、あまり知られていない制度ですので、ご留意いただき知人などで必要とする方がおられれば伝えていただければ幸いです。

個人の方の破産管財でも、山林の換価が問題となった事案や個人への貸付の調査が必要になったケースなど、幾つかの事案を担当しています。

 

アイヌとイスラムの異同を踏まえて日本と人類の未来を論ぜよ~函館北方民族資料館の呼ぶ声~

先月の函館旅行の最終投稿です。今回、函館北方民族資料館にはじめて行きましたが、そこで不思議な発見(気づき)がありました。

ここは、アイヌ民族(アイヌ人)をはじめとする北方の諸民族に関する文化の紹介(大半はアイヌですが)を目的とする施設です。

と書くと「俺はアイヌじゃないし興味もないね」と仰る方も多いのかもしれませんが、日本人は弥生7~8:縄文2~3の割合の混血民族であり、アイヌは縄文の末裔の典型である上、とりわけ岩手(北東北)は本土では縄文の血を濃く残す地域でもありますので、岩手人はアイヌ(や琉球など)に対し関心や親近感を持つべきではと思っています。

館内には、著名俳優でありアイヌの末裔である宇梶剛士氏の司会によるアイヌ文化の紹介ビデオも放映されており、私は全部視聴したかったのですが、引率し甲斐のない同行者らの要求で、やむなく駆け足の観覧となりました。

で、展示品を見ているうちに、アイヌ民族の衣装は線状の紋様が非常に多く(というか、大半が線状の紋様・装飾になっていて)、これまで考えたことがありませんでしたが、どことなく、イスラムの幾何学模様(アラベスク)に似ているのでは、と感じました。

その上、アイヌ文化には肖像(絵)を書く文化がなく、「絵を描くと描かれた者が悪さをする」と考え、絵を描くこと自体を忌避する思想があるのだそうで、これも、偶像崇拝(人の絵を描き、礼賛すること)を禁ずる(忌避する)イスラムに通じるものがあります。

そのため、双方の文化を比較した研究・考察などが世に出ていないのかと思い、「アイヌ、イスラム、比較」などと検索してみましたが、それらしい文章などは全く見つかりませんでした。

もしかすると「まだ世の光が当てられていない埋もれたテーマ」なのかもしれず、ぜひ、これに取り組む研究者の方が登場することを願わずにはいられません。

それこそ、(現在はさておき)昨年までの函館は「中国・台湾・韓国の旅行者のカネで経済が成り立っていた社会」と評しても過言ではないでしょうが、もし、イスラム圏の人々に「ここに、イスラムに似たもう一つの文化がある」との認識を育ませることができれば、全世界で数十億に達し、これからの百年で、キリスト教圏(欧米人)に取って代わるのかもしれない、巨大なイスラム圏の人々が「新たな潜在的観光客層」として登場することになります。

ですので、函館ひいては北海道全体にとって、「アイヌとイスラムの異同という視点(それを研究しPRすること)」は、アジア人観光以上に、新たな巨大な金脈になりうるとすら言えるのかもしれません(別に、函館市アドバイザーに就任なさった某さんに向けて書いているわけではありませんが・・)。

*******

それはさておき、その上で、素人なりに「アイヌとイスラムとの異同」に関し思ったことを、1点だけ述べておきます。

私はイスラムに知見のある人間ではありませんが、イスラムが肖像画(なかんずく預言者の肖像画や銅像その他の造形物)を禁忌とするのは、詰まるところ、唯一神の絶対性(と唯一神との唯一の接続者である預言者)を守るためであると理解しています。

いわば、絵であれ他の造詣物であれ「これが神だよ」と説明される物が作られると、それが「新たな神」などとして一人歩きしたり、やがて多神教への回帰になるなど、唯一神への信仰が揺らぐ事態になるのを忌避したのではないかという理解です。

これに対し、私の知る限り、アイヌには「唯一神への信仰」なるものは存在せず、むしろ「万物に神宿る」の汎神論を徹底した思想(信仰)と理解しています。

アイヌは、上記の理由(描かれたものが魂を持ち亡者のような行動に及ぶとの思想)から、人物だけでなく、あらゆる物に対し写実画を禁じ、絵画の概念すら存在しない(抽象化した表現しか認めない)と聞いています(木彫りがあるので「人物像」を全否定しているわけではないのでしょうが、一定の抽象表現は施されているように思われます)。

いわば「徹底した一神教」がイスラムで「徹底した汎神論」がアイヌという点で、双方は両極にあると共に、「徹底」という点では類似しているのかもしれません。

*******

ところで、もう一つの「人類を代表する一神教」であるキリスト教は「神のもとの平等」という観念を通じて人類の本質的平等を案出し、科学技術の発展を通じて、近代人権思想(人間中心主義)に辿り着きました。

イスラムも、(西洋で中世は王権や教会権力との闘争や妥協、せめぎ合いがあったように)カリフなどの世俗的権力がかつては存在しましたが、本質的には「神のもとの(イスラム信者の)平等」という観念に立つことは間違いないと思います。

これに対し、汎神論に立つアイヌ(古代人の末裔)は、人間中心主義(人間の本質的平等を掲げる反面、人間の福利さえ実現できれば、他の存在に相応の被害・負担・抑圧が生じても構わないとの思想)を排し、「万物(自然)を尊び、万物と共に歩む」という思想に立っていることは間違いありません。

そして、現代社会が、強大になりすぎた人間の活動により世界の存続自体が脅かされており、その修正が求められている状況にあることは、流行り物のSDなんとかに論及するまでもなく、申すまでもない話です。

近年、突如としてアイヌ文化が注目されウポポイのような名所(新施設)ができたのも、根本的には「万物に神宿る」というアイヌの思想が、人間中心主義の行き詰まりを打開する可能性があるのではと感じる人が増えてきたことを示すものと言えます。

話が「イスラムとの比較」から逸れてしまいましたが、そうした「アイヌの思想の中核」とイスラムの思想の中核になることを比較すると、双方にとって新たに見えてくるものもあるかもしれません。

*******

ところで、私は数年前に突如、「日本国憲法には、人間の尊厳(13条)だけでなく、人に非ざるあらゆる存在(万物)の尊厳(13条の2)を掲げるべきだ」と感じるようになり、ささやかながら、ブログなどで、それ(憲法改正=新設)を提唱しています。

残念ながら、現時点ではネットの片隅で埋もれる日々ですが、願わくば、これを提唱する書籍を出版し、この思想を世に問いたいと思っていますし、その際には、その思想を共有している方々、とりわけアイヌ、琉球、そして蝦夷の末裔を自認するであろう方々には、賛同を呼びかけることができればと思っています。

冒頭にも書きましたが、日本人には、弥生人(人間中心主義=天皇のもとの平等)だけでなく、縄文人(万物の尊厳)の血も流れています。

汎神論(あらゆる物に神性や魂が宿るとの思想)は日本人の固有の精神だと述べる人も珍しくありません。

そのことを再確認し、世界にむけてご自身が何をできるか、すべきかを考えるためにも、ぜひ、皆さんも北方民族資料館に訪ねていただければ幸いです。

余談ながら、1階に掲示されたアイヌ絵(和人がアイヌの人々を描いた絵)を見ると、アイヌには眉毛が凄まじく太い(また、彫りも深い)人が多いと感じます。

そのような「眉の極太で彫りも深い人」で私がすぐ思い浮かぶのは西郷隆盛ですが、西郷さん=薩摩人も縄文の血を多く受け継ぐ人々と言われています(ただ、大久保利通は、典型的な弥生顔のように見えますが・・)。

西郷さん=薩摩人が維新期に大活躍したように、縄文の血も、活かし方次第では、維新のように日本人ひいては人類が新たな時代を切り開く原動力になるのかもしれません。

そうしたことも含め、縄文の血を引く人々が、根底にある思想を活かしつつ活躍する社会が開かれることを、願っているところです。

 

恵まれないF納税者に愛のゴー券を

先日の新幹線おそうじ投稿の続き(2週間以上前の出来事)です。

数年前、ご縁により今後数年間に亘り、年に1~2回、やむなく函館に行かざるを得ないことになりました。

その上、30年前には存在しなかった有り難くない事情により、最低でも年1回、そのためだけに2泊3日で(前日夜から)行かざるを得ない羽目になりました。

そこで、その負担感に困り果てた末、「せめてF納税が使えれば」と考えて陳情したところ、F納税で宿泊費補助特典ありとの報告を受けたことから、昨年、F納税(二戸ではH納税)に初めて手を出しました。

F納税は、金持ち優遇の印象が強すぎ、これまで忌避・嫌悪していた(というか、制度が発足した時点で町弁厳冬期の時代に突入し、それを必要とするだけの所得がなかった)のでご縁がなかったのですが、ともあれ、1年前は「これで少しは楽になる」と思いました。

が。

よりによって今年に限ってウイルス問題が勃発し、迷走の末?「2泊3日の企画」が中止し、他の企画も悉く中止に。

もちろんF納税の「旅行補助金(ポイント)」には越年(繰り越し)の制度がありません。

本来なら「これで函館に行く必要はなくなった、経費が浮いて助かる。やった~」となるはずでした。

が、昨年に限って余計なことをしていたせいで、ケチでビンボーな身としては、

「これ(F納税特典)を消化せずして、年を越せるか!」

状態となり、何ヶ月もの間「収束すれば、この企画はやります」的な知らせが来る度に一喜一憂していましたが、ついに今年最後の企画も潰れ、仕方なくF納税特典(援助)を消化するためだけに、函館に行きました。

で、現在の社会情勢に照らし

「ゴーなんとかも併用できるよね。F納税した人だけ差別する理由ないし。」

と思っていたのですが、あれこれ調べたり問い合わせた結果

「併用ムリ。何のクーポンも出ません。」

とのこと・・

で、こんなのF納税者差別だ、しかも(これまでは完全自腹だったので、F納税者どもザマーみろで済んだのに)よりによって、初めて手を出した年に限って・・と、泣きそうになりながら出発しました(その上、新幹線の座席には・・は、先日の投稿のとおり)。

せめてもの腹いせに、普段は某ソーセージや地ビールなどを函館駅で買って帰るのを、今回は「ゴー券もないのに物が買えるか(持ってる人、羨ましいぞ!)」と、何も買わずに帰りました(トホホ・・)。

というわけで、日本政府におかれましては、①ゴー券とF納税の併用、②相応の理由によるF納税特典の越年利用、③県ごとのゴー飯券の越境(他県)利用の3点を、早急に認めていただくよう陳情申し上げます。

ともあれ、2泊3日を見越して相応の特典券(ポイント)を得ていたので、それを1泊で消化すべく、函館の値段が高いホテルの一つとして有名な「ラビスタ函館」に思い切って泊まることにしました。

ここは「贅沢イクラ食べ放題朝食」が有名で、ホテルの掲示では日本の朝食ビュッフェランキング全国第2位(北海道では当然1位)だそうで、実際、納得の朝食でした。

ホテル(建物)自体は多少年季を感じましたが、私自身は満足して宿泊しました。基本料金は相応ですので、私の身分ではF納税やらゴーなんとかがないと宿泊の勇気はなかなか出ませんが、ある意味、この騒動のお陰で結果として宿泊できたのだと前向きに考えることにします。

というわけで、温泉でメシを食うためだけに(F納税とはいえ)ゴー券ではなく自費で、主要な観光地は制覇済みの函館くんだりまで行くという、残念な?土日を過ごしました。

ただ、行けば行ったで、それなりに有意義な発見はあるもので、次回は、その件について投稿する予定です。

乞うご期待?

コラ投棄犯~ある休日の前置き~

2週間以上前の話です。訳あって、不本意ながら新幹線に乗車しました。

が・・なんと、予約した座席に前の乗客が特茶を網に放置しており、その上、座席の下には食い散らかした弁当を入れた袋が・・

もちろん、私が代わって片付けましたよ。
キミも、近所のゴミ拾いに勤しむ某監督だ、と慰めながら・・

というわけで、朝っぱらから不穏な一句。

呪われろ~ 呪われろ~ コラ投棄犯

ところで、

「どうせゴーなんとかと称する税金旅行でしょ。ざまあみろ、いい気味だ」

などと思ったあなた!

ち・が・い・ま・す。違います・・・ 残念ながら・・・

詳細はバカバカしいので書きませんが、事の発端は数年前に遡り、昨年まで延々と不本意な負担に追われた挙げ句、昨年ついに経費節減のため「あれ」に手を出したところ、今年に限って、まさかこんなことになり、消化のため致し方なく、というお話でした。

すべては昨年末の67凶から始まった。恐るべしグンマー。

その件も、詳細は、おってWebで・・

闇金や過払などを巡る、町弁たちの過去と現在

1~2年前、十数年ぶりに「幾つかのヤミ金からお金を借りた方」からの債務整理事件を受任したことがありました(他にも負債があり、現在は、それも含めて対応を完了しました)。

平成14~17年頃はヤミ金の嵐が吹き荒れており、当時はヤミ金のチンピラあんちゃん達とげんなりするだけの不毛な長電話のお付き合いを何度も余儀なくされました。

平成18年頃からはそうした相談が全く来なくなり安心していたのですが、まだこんな話に関わっている人もいるのかということで、あんちゃん達の脅迫的言辞にげんなりしつつ、とりあえず急性期のやりとりだけは終えました(なお、2~3年前は「給与ファクタリング」なる新型ヤミ金が流行しており、この案件もその一種だということを、ほどなく知りました)。

その2~3日後、当事務所のメール送信コーナーから、全く存じない方から、「北奥法律弁護士事務所の代表山田という方からメッセージが届いたのですがこちらの方ですか?」とのメールが届きました。

とりあえず、そのような者はおりません(事務所名もビミョーに違います)とだけ回答して、それ以上のやりとりはありませんでしたが、或いは、闇金の連中が、報復としてピザ注文等の代わりに当事務所の名前を騙って架空請求メールを世間に送りつけるようなことをしたのだろうか?と憶測せずにはいられませんでした。

そう思った矢先にTVを見ていたところ、震災前後から「過払回収の宣伝行脚」を延々続けていた東京ミネルヴァ法律事務所(今年、悪徳?広告会社による過払金の搾取=巨額の横領を理由に倒産して社会問題になりました。なお、この文章は1年ほど前に書いたものです)が30分もかけて特集番組を行っており、チラ見だけでげんなりして他局に替えると、今度は過払大手の代表格である某社の過払CMが出てきました。

そのため、うんざりしつつも、現在の状況で今もこの人達はそのやり方で商売をやっていけているのだろうか?と思わざるを得ませんでした(事実、東京ミネルヴァは上記の展開になりました)。

闇金の嵐が吹き荒れていた時代は、いわゆる過払特需(とバブル崩壊に伴うサラ金全盛時代の終焉)の初期ないし前半というべき時代でしたが、震災の前後から、当事務所ではその種の仕事(多数のサラ金等から膨大な約定債務を負った方から受任し、引直計算で多額の過払金を請求する類もの)が激減し、震災から5年ほどの時点で過払関係の仕事自体がほぼ無くなりました。

債務整理の受任が無くなったわけではありませんが、大体は、収入等がかなり低い方の自己破産(扶助事案)か、民事個人再生(住宅ローン返済中の方の大幅減額か一定の支払能力があり破産不相当の事案)に限られ、過払に特化した相談自体がほとんど来なくなりました(グレーゾーン金利撤廃後に借入を開始したのに過払金が請求できないかと尋ねてくる方はいましたが)。

その主因がグレーゾーン金利の撤廃により「過払そのものが今後は発生しなくなったこと」であることは間違いありませんが、震災前後から前出のような東京の弁護士達が巨額の?広告費用を投入し全国津々浦々の田舎(地方都市)まで「過払は俺たちにやらせろ」とやってくるようになったことも、少なからぬ影響を及ぼしているのでしょう。

いわば、小型漁船漁業者たちが「去年は一杯獲れたけど、今年は魚群が少なくなってきたなぁ」と感じていた海に、トロール(底曳網)船が大挙押しかけた光景に近いものがあります。

ただ、小型漁船漁業者たち=債務整理に力を入れていた地方の若い世代の弁護士は、弁護士会でさしたる力もなかったせいか?(或いは、当方と異なり過払に頼らなくても十分な収入のあった人も多かったのか?)私の知る限り「トロール船をウチの海に来させないよう、或いは来ても跳ね返せるよう、皆で団結して圧力を掛けよう」などと運動する光景は、私の知る限りでは、ほぼ全く見られませんでした(まあ、弁護士業界の性質という面も大きいでしょうが・・)。

ちなみに、ここ3~4年に当事務所が従事した過払案件は実質2件、うち1件は「若い弁護士さんがポカをし後始末のため私が物凄い苦労を余儀なくされ、辛うじて一定の成果を得た案件」、もう1件は「昔はすんなり決着した中堅サラ金に『もはや支払能力がない』と延々ゴネられ、最後は、依頼者がリスク回避のため相手の提示額で諦めた案件」です。

時給換算では事務所が維持できないレベルの依頼しか来ていませんし、今後は、もう過払とは縁はないだろうと基本的には思っています(今年は、東京ミネルヴァの元顧客案件を含め、若干のご縁がありましたが)。

まあ、それでも何とかこなすことで、辛うじて事務所を維持できているというのが当方の偽らざる実情ですので、今も有り難く多数の不採算案件に邁進しているわけですが・・

ともあれ、そうした光景に接してきた身としては、債務整理は「顧問などを沢山抱えて潤っている弁護士達に心底敬遠され、儲からない?(良心的な?)弁護士だけが手がけていた」という、昔々(私がなりたての頃)の光景に逆戻りした印象が強くあります。

ただ、受任しても昔ほどは感謝してくださらない方が増えたような気がしないこともない、というのが時代というか弁護士業界の現実かもしれませんが。

そんなわけで前述の番組やCMに対しては、色々な意味で、複雑な印象を受けながらチラ見していたのですが、積読状態の日経の橋田壽賀子氏の私の履歴書(昨年5月分)の「おしん」の下りを今更読んで胸のつかえもとれたということで、駄文はこの辺にして仕事に戻ろうと思います。

(この文章は、1年ほど?前に作成したものの掲載を失念して放置し、今、気づいて掲載した次第です)。

 

函館ラ・サール中学・高校の入試説明会と「地方の子が中学受験や寮生活をする意義」

函館ラ・サール中学に子弟が通学する保護者の方から「学校側に宣伝の努力が足りず、このままでは、盛岡の入試説明会(中学・高校共通)の来場者がゼロになりかねないので宣伝せよ」とのお達しを受けたので、勝手ながら以下のとおり告知させていただきます。

すいませんが宣伝目的(拡散希望)の投稿ですので、賛同いただける方はFacebookやTwitter等でご紹介いただければ幸いです。

また、私は断片的にしか拝見していませんが、こちらの「女性ユーチューバーの方(札幌のタレントさん?)の潜入・赤裸々インタビュー」が、現在の様子を知る上では大いに参考になるそうです。

以下、蛇足ながら関係者のはしくれとして多少述べさせていただきます。

*******

我が国では、数十年前から「大都会の子は、学業で身を立てたいなら中学受験し(今や東京では小学生の4人に1人と言われます)、地方の子は、公立中(か国立大付属中)→学力に応じた地元の公立高に入る」というのが当たり前の光景となり、これが現在まで延々と続いています。

関西圏は、主要三都に限らず、奈良など隣接県も私立中進学が珍しくないと聞いていますので、双方の境目は曖昧なのかもしれませんが、東北と関東では、この二つの社会の断絶が際立っており、あたかも二つの国家が併存しているようにすら見えます。

当然、その二つの社会の分断は、「現在の高偏差値大学の入学者は著名な私立中高一貫校の卒業生ばかりだ」という類の言説を取り上げるまでもなく、それぞれの社会の出身者の人生に強い影響を生じさせやすいであろうことは、相応に強く予測されるところです。

もちろん、田舎(地方)の家庭は、中学受験の光景を「子供は伸び伸び遊ばせてあげればいいのに勉強漬けの生活を強要され気の毒だ」と否定的に評価するのが通例でしょうし、私自身それが間違いだとは思いません。

また、素質のある子が幼少時に伸び伸びと暮らした後、公立中で猛勉強し盛岡一高などに進学して自身の志を実現していく光景も、大いに価値のあるものと認識しています。

ただ、曲がりなりにも「お受験」を経験した家庭としては、親子(主に母子)が圧倒的な努力を重ねて栄冠を勝ち取っていく(勝ち取ろうとする)経験を得ることは、常に言えるわけでないとしても、双方(とりわけ子)が、その後「努力を重ねて自身の希望を実現する人生を歩んでいく」上で、非常に貴重な経験になりうるということは、強調しても良いのではと感じています。

*******

ビッグコミックスピリッツに連載され、本年夏にドラマ化予定だった(今冬に放送?)「二月の勝者」という人気漫画は、「中学受験とは父親の経済力と母親の狂気だ」の一言から始まります。

のんびりと過ごしたい、ゲームを好きなだけ遊びたい子に、母親が通信教材を片手に悪鬼の如く勉強を強いる光景には、時に目を背けたくなるときもありますが、そうした関門を突き抜けることで、努力する習慣を身につけて学業で身を立てる力を得ていく子もいるということ、また、そうした経験を通じ子供のうちから学業での成功体験を得ることの価値は、地方に住む方々も、理解いただいてよいのではと思われます。

地方在住者も、運動関係であれば、いわゆる「アスリート・エリート」のご一家などが親子一丸となって特定のスポーツに凄まじい努力を重ねる光景を見聞することがあります。それとの比較からも、「お受験」だけが特異というわけではなく、勉強分野で幼少の子と親が一丸となって努力すること(その経験を得るものとしての中学受験)は、少なくとも適性がある家族なら経験する価値は相応にあるのではと思われます。

要は、地方で育児に従事するご家庭も、「伸び伸び育てて、公立中→公立高へ」という地方では当然の(ごくノーマルな)生き方だけでなく、小学4~5年生頃から上記の「モーレツ体験」という選択肢も視野に入れ、あとは、お子さんの適性やご家庭の事情などに応じて、どちらにするか決めていただければよいのでは、少なくとも、後者に適性を有する子から地方在住というだけでその選択肢を奪うのは間違っているのではないかという点は、皆さんにも考えていただきたいところです。

*******

その上で、次のテーマとして「函館ラ・サールという選択肢」について少し述べたいと思います。

ご存知の方も一定数おられるかと思いますが、この学校は、函館在住の子は自宅から通学しますが、それ以外の地域の出身者は、ほとんど全員(中学は必須)が寮生活を送ります。

以前に投稿したこともありますが、中学3年間(及び高校入学者の1年間)は二段ベッドとロッカーが並ぶ大部屋での寝泊まりが必要になり、他の寮生と両立して生活するため社会性(一定の社交性)の鍛錬を余儀なくされるという点でも、特異な面があります(このような手法は、全国でも同校だけかもしれません)。

親から見れば何かと気の毒に感じる面はありますが、子にとっては相応に大過なく生活できており、「物事は案外なるようになるものだ」と感じる面があります。

また、中学生になれば、もはや身長に限らず自我のかなりの面で大人と大差ないレベルになってくる、そうであれば互いに一定の距離をとった方が、双方のため、とりわけ子にとっては自立心などの涵養の上で望ましいのではないかとも感じます。

******

以前読んだ橘玲氏の「言ってはいけない」(新潮新書)で、親が子に影響を与えることができるのは幼少期の限られた期間だけで、その後は主として同世代から影響を受ける面が大きいと述べているのを見た記憶があります。それが正しいのであれば、函館ラ・サールで、全道・全国から集まる「学業で身を立てたい同級生達」から良好な影響を受けることができれば、本人のその後に強い威力を発揮するのかもしれません。

逆もまた然りで、多少存在するかもしれない残念な同級生に残念な影響を受けないよう願うばかりですが・・

余談ながら、この仕事をしていると、大人になっても長く同居する親子が残念な寄生関係に陥った結果、好ましくない事件が起きる例を拝見し、「この人達は何年も前から離れて暮らせば良かったのに」と感じることが多々あります。子が親と離れて暮らすことの意義や価値に、もっと光が当てられてもよいのかもしれません。

また、昔と今で生徒の出身地の比率に多少の違いがありますが(昔は道東など北海道の小都市や辺境の出身者が中心で今は東京などが多い)、全国の各地から子供達が集まってくる珍しい学校であることに変わりなく、その点=擬似的な上京体験という点でも、お子さんに得がたい体験をさせることができる面はあります。

そもそも、子を未熟なうちから外の世界に出して鍛錬させることは岩手でも昔から相応に存在した光景です。

明治=戊辰敗戦後の世で言えば、二戸出身の田中舘愛橘(日本物理諸科学の創設者の一人)は、若年時に親が自宅を売り払い一緒に上京してまで最先端の学問を習得させ、言わずと知れた原敬も、同時期に上京し司法省法学校などで研鑽し、その後の飛躍につなげています。

それら偉人に及ぶかはさておき、岩手の方々にも、函館ラ・サールという選択肢は、そうした先人が辿った道に通じるものがあるのかもしれないという視点を、持っていただければ幸いに思います。

*******

かくいう私も、30年以上前、盛岡一高と函館ラ・サール高校の双方に、どういうわけか(受験者の実感として双方とも間違いなく最下位ランクで)合格してしまい、一体どちらに進学すべきかという身の程を超えた悩みを抱えたことがあります。

その際、最後の決め手になったのは、一高にプールがあってラ・サールには無かったから・・・ではなく、また、運動できない「のび太」なので高校時代に男女交際できる自信はなかったから・・・でもなく、自分は将来、盛岡を拠点に、岩手の人と社会のため生きたいと思うのではないか、そうであれば今のうちに外の世界を見ておくべきだとの「うすうす感」があったことでした。

自身の高校時代に未熟さゆえに悔いる点は山ほどありますが、その判断自体については、私自身の問題として後悔する点は何一つありません(反面、一高には今も「最下位レベルで拾っていただいたかもしれないのに、すいません」という申し訳ない思いで一杯で、一高OBばかりの盛岡の社会では、いつも肩身の狭い思いをしています)。

皆さんも、私のようなケースに限らず「うちは子供に家業を継いで欲しい」などの事情のある方もおられるかと思いますが、そうした大人になれば岩手で人生を送る可能性の高い方ほど、若年時に外の空気を吸っておくことに、意味や価値があるのではと感じます。

また、函館ラ・サール中学にご子息を通学させる方の中には「若い頃から、外の空気を吸って、世界全体に目を向けることを考えて欲しい」という理由で送り出す方も少なくないようです(それが奏功して、お子さんも海外留学などの希望を持っておられるという話を聞いたことがあります)。

私が入学した当時は、科目全般なかんずく数学や理科が「田舎の公立中で教えている内容」との難度差があまりにも大きく(断崖絶壁のような落差でした)、私自身はそれに嵌まって入学直後から落伍してしまい、文系分野では若干の持ち直しはあったものの、全体的にパッとしない成績のまま高校を終えました。

ただ、一緒に寮生活(とりわけ、2、3年次の4人部屋)で過ごした仲間が、圧倒的かつ規則正しい勉強生活を続け、その結果、難関大(医学部・医科大)に現役合格していく光景をよく見ており、その背中を見続けていたことが、司法試験に(当時としては、あまりにも運良く)大卒2年目で合格できた、大きな原動力になりました。

もし、皆さんのお子さん・お孫さんも「地元の公立高もいいけど、敢えて、そんな環境に放り込んでみたい」とお考えになるのでしたら、函館ラ・サールという選択肢も考えていただければ幸いです。

*****

もちろん、私立中の寮生活ですので一定の経済的負担はありますが、カトリック系の学校だからか?昔(私の時代)から同校の学費や寮費はさほど高額でなく、三食・風呂・洗濯などが完備されていることも含め、東京の大学に通学し生活する学費などに比べると、金額はかなり低い(良心的)と思われます(反面、寮の食事に関しては・・以下、自粛)。

facebook等ではゴルフや会食など華やかな暮らしをなさっている方々の姿も拝見することがありますが、そうした皆さんが、若干でも、若い世代の学業のためにお金を投資していただければと思っています。

皆さんの子弟に、私たちの新たな仲間に加わっていただける日を心待ちにしつつ、最後までご覧いただいた方に御礼申し上げます。

R04.8追記

本年、一度、寮の食事をいただく機会がありましたが、私の時代=30年前と比べて、寮の食事はかなり質が向上したのでは?と感じる面はありましたので、念のため付記しておきます(そのとき限りなのか否かは存じませんが・・)。

啄木新婚の家前バス停のベンチに、板一枚の愛の手を

1週間ほど前、岩手日報にも掲載されていましたが、当事務所の目と鼻の先にある「啄木新婚の家前バス停」にかつて設置されていた木製?ベンチは、数年前に破損し、着座困難な状態で長期間放置された挙げ句、昨年頃に撤去され、現在は無残な赤コーン姿を晒しています。

このバス停、例年なら「新婚の家」に来た全国の修学旅行生が押し寄せるほか、ご年配の方の利用も多く、赤コーンのため待機スペースが狭くなり歩行者と自転車の接触リスクも増えるなど、このような状態が続くのは、地域住民としては残念というほかありません。

いっそ、市内の有閑オヤズの皆さんが、平らな板に赤コーンにピタリ嵌まるように穴を二つ空けて人知れず「板一枚で可能なお手軽ベンチ」を設置し、「けっこう仮面(又はパンクシー)参上」などと書いた張り紙を付していただければ、ワイドショーのネタにもなって良いかもしれません。

或いは、市内のRCクラブがベンチを寄贈していただければ・・・と思わないでもありませんが、関係者の皆さんの迷惑そうな顔が浮かんできそうなので、余計なことを言うのはやめておきます。

以下、余談の令和こちょこちょ話。

2ヶ月ほど前、同居家族が突如、鬼切りアニメの視聴を開始

当方は「数年前から某ピースも深夜に見てるのに、これ以上ノルマを増やせるか」と無視

毎度の「お前も一緒に見ろ」のお達し

やむなく深夜閲覧の日々

なんだ、これってジョジョとディオじゃないか、ウリィ~(今ココ)

(R02.11.27追記)
いつの間にか(11月上旬頃?)、ベンチが復旧していました。岩手日報の記事によれば、先代のベンチを設置された業者さんが対応なさったのだそうです。

それ自体は有り難いのですが、もともと狭い通路の真ん中近くにベンチがあるため設置箇所だけ通路がかなり狭くなっており、復旧の際には、ベンチをもっと道路側に寄せて作っていただければ、なお有り難かったなと思いました。

大物首相たちの国葬と、それを拒否した原敬の矜持から「税と葬儀のいま」を考える

1週間ほど前、中曽根首相の葬儀に税金から9000万円も拠出する(さらに、自民党も9000万円出して、計2億弱の葬儀を行う)とのニュースが出ており、反自民の立場の方が「中曽根首相は国鉄は民営化したのに自分(の葬儀)は国営化するのか」と批判しているを目にしました。

で、政権側は、「大物首相経験者は同等の葬儀を税金で行っていた(ので前例を踏襲しただけだ)」と説明(反論)しているようで(引用の記事などを参照)、前例に照らせば、特別な取扱をしたわけではないということにはなりそうです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tarobando/20200928-00200496/

ただ、岩手県民としては、

原敬って、暗殺直後に盛岡に運ばれて大慈寺で葬儀をしており、国の世話に一切ならなかったのでは?

と思って、wikiなどで「国葬」について少し調べてみました。

で、それらの記載によれば、古代云々を別とすれば、皇族以外の者(臣下)を国葬=多額の税金を投じて葬儀するようになったのは維新時の薩長藩主が始まりで、その後は、いわゆる明治の元勲や元帥など=大半は薩長関係者(軍人などを含む)となっており、原敬に限らず、薩長以外の戦前の首相で「国葬」された方はいないようです。

それが、戦後になると、吉田首相を皮切りに、なぜか?大物首相を「国葬」する風習が生じており、出身県で見ると、上州(群馬)が中曽根首相を加えると3名(福田、小渕)でトップで、2位が岸・佐藤兄弟の長州(山口)となっており、特定の地域に集中しているわけではなさそうです。

ともあれ、戦前に首相を「国葬」する習慣が(基本的には)無かったことと比べると、どうして戦後になって生じたのか少し不思議な感じがします。

見方によっては、形式的には天皇、実質的には軍部などとの関係で、戦前の首相には、形式上も実質上も、戦後ほどの力は与えられていなかったことを示すものなのかもしれませんし、そうであればこそ、戦後社会は「国葬」という儀式を通じて首相など(民主主義社会における国家運営の責任者)の権威を高めようとした、というのが「大物首相の国葬」のきっかけだったのかもしれません。

ただ、それはそれとして、現代の庶民感覚からすれば、いかに戦後最大級の大物政治家とはいえ、葬儀に1億も2億もかけるなんて・・(とりわけ税金で)と疑問を感じる面は否めません。

戦後間もない頃はともかく、現代では「大がかりな葬儀をせずとも、首相の権威は国民は十分理解している。それよりも、ここ十数年、社会内で葬儀の簡素化が模索されている(その方がよいと、国民の多くが考えつつある)実情に照らし、大物の葬儀ほど簡素化を追及すべきだ(功労の顕彰云々は、より税金を使わない、別の形で行うべきだ)」という議論はあってしかるべきではと思います。

とりわけ、菅政権は「脱ハンコ化(による行政の効率化=税金節約)」のキャンペーンを掲げたり、日本学術会議の件でも「年間10億が投入される→任命拒否に文句があるなら民営化せよ」との主張が政権寄りの方からなされるなどしており、「税金節減(他分野への配分)のため、従前、当然に税金が使われていた分野にも大ナタを振るう」姿勢を打ち出しているように見受けられます。

それだけに、大型葬儀のようにカットしても(葬儀業者・ホテル関係者以外は)誰も困らなそうな話から先に断行する姿勢を見せないと、ハンコ業者や(産地の)山梨県知事、或いは学者さん達だけでなく、やがて国民一般の「反抗」を招いて、せっかく有意な改革をしようとしても、つまらないところで頓挫してしまうことも危惧されるのかもしれません。

それこそ、菅首相であれ安倍首相などであれ「今回は前例などを尊重した形にしたが、今後は簡素化したい。少なくとも、自分には税金は一切無用」と表明していただければ、支持率アップにつながるのでは?などと、余計なことを思わないでもありません。

*********

ところで、先日、「原敬首相と田中舘愛橘博士(二戸出身で戦前の日本物理学の構築者の一人)の対話という形で、明治・大正の社会が何を目指そうとしていたのか(目指すべきだったのか)を描いた本」を読んでいました。
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5863-1.htm

この本は色々と学ぶところが多く、ぜひ皆さんにもご覧いただきたいのですが(後日、改めて取り上げたいと思っています)、終盤、原敬の暗殺直後に、遺体を官邸に運ぼうとした立憲政友会の面々に対し、夫人が

「死ねば、もはや私人」

と述べて公の行事を拒み、自宅に連れ帰ったと述べられています。そして、暗殺に備えて生前に準備されていた遺言により葬儀が盛岡で営まれ、氏名のみ表示した墓碑が建立されたことなどは、広く知られているとおりです。

歴史をきちんと勉強した方ならご存知かと思いますが、原敬首相は、明治政権(薩長閥など)の威光に依らぬ政党政治家として、最初に首相に上り詰めた御仁であり、日本の政党政治=民主政治の創設者(原点)の一人と評しても過言ではありません。

そして、原敬の政治手法には様々な議論があるにせよ、米国との対立の回避を重視した政権運営や私益を一切図ろうとしなかった生涯なども相俟って、引用の書籍などに限らず、様々な場で再評価がされており、「彼が暗殺されなければ、あの戦争は回避されたのかもしれない」と論じられることもあるようです。

その御仁が、生前はもとより死後にも位階勲等を拒否し、郷土に強い誇りを抱いた一人の地域人(盛岡人)としてのみ葬られることを望んだことの意義や価値について、いま改めて、現代日本人は学ぶべき点が多々あるのではないかと思っています。

或いは、彼は今も大慈寺から「白河以南の奴らは死んだ後も税金ばかり欲しがってダメだなぁ」と述べているのかもしれません。

まあ、そんなことを言うと、「鈴木善幸首相だって国葬されてるよ」と言い返されるかもしれませんが・・

(R04.8.1追記)

この文章では、「国葬」という言葉を、国(政府)が関与し公費=税金が使用される葬儀という程度の意味で用いていますが、現在の安倍首相を巡る論議によれば、戦後の国葬は吉田首相だけで、他の方々は「内閣・自民党合同葬」などの形をとっているので国葬ではない(官民混葬?)、ということになるのだそうです。

この両者を区別する意味がどれほどあるか分かりかねますが、「亡くなったあとは、夫を国家という軛(権力や栄華と引き替えに滅私奉公を強いる存在)から解放してやりたい、自分だけの家族として死後の世界で一緒に平穏に暮らしたい」という原敬の浅夫人の思いの方に、親近感を感じざるを得ません。