北奥法律事務所

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01月

芥川賞受賞作「影裏」の映画試写会の感想と、現代に甦る三島文学の世界?(改)

昨日、芥川賞受賞作を原作とする大友啓史監督の映画「影裏」の完成披露試写会が盛岡市内で行われ、とある事情により招待券をいただいたので、拝見してきました。司会の方によれば、一般向けの試写会はこれが初めてとのことです。
https://eiri-movie.com/

冒頭に主演のお二人と監督のご挨拶もあり、ご本人達のオーラもさることながら、職人気質の優等生的な綾野氏と不思議ちゃんキャラの龍平氏が対照的というか、作品とも通じる面があり、興味深く感じました。

作品の説明は省略しますが、純文学そのものという印象の原作を忠実に映画化した作品という感があり、(見たことがありませんので何となくですが)昔でいうところの小津映画のような作品なのだろうと思います。

言い換えれば、ブンガクの世界に浸ることができる人には見応えがあり、そうでない人にはとっつきにくい面はあるかもしれません。

ただ、(ネタバレは避けますが)冒頭の主人公の自宅の描写(映像)にやや面食らうところがあり(作品のテーマを暗示しているわけですが)、綾野氏ファンの方や「筋肉体操の方々よりも細身の男の生々しいカラダが見たい」という方(おばちゃんとか?)にとっては、必見の作品ということになるかもしれません。

全くそうではない私のような者には冒頭は少ししんどいですが、目のやり場に困ったときは、カルバンクラインの文字だけご覧ください。

この作品では主人公が抱えた特殊な事情が重要なテーマになっていますが(原作を読む前からWEB上で散々見ていたせいか、初稿では自明の話と思ってストレートに書きましたが、同行者から「それこそネタバレだ」とクレームを受けましたので、一応伏せることとしました)、小説よりもその点が生々しく描かれているというか、主人公のキャラクターや振る舞いは、流行りのアルファベットよりも、その点について日本で昔から使われている言葉に馴染むような気がしました。

と同時に、もう一つの軸は、震災というより、相方である龍平氏演じる男性の特異なキャラと生き様であり、それを一言で表現すれば、「虚無(又は滅びへの憧憬ないし回帰)」ということになるかと思われます(この点も書きたいことは山ほどありますが、一旦差し控えます)。

で、それらのテーマからは、かの三島由紀夫が思い浮かぶわけで、小説版ではその点を意識しませんでしたが(そもそも、私は三島作品を読んだことがほとんどありません)、映画の方が「三島文学ちっく」なものを感じました。

とりわけ、本作が「主人公たちが無邪気に楽しむ岩手の自然や街並みの風景」を美しく描くことにこだわっているだけに、「文学的な美」という観点も含めて、この映画は、意図的かそうでないか存じませんが、「生きにくさを抱えた美しいものたちと、それらが交錯する中で生まれる何か」といった?三島文学的な世界観を表現しようとしているのではないかと思う面はありました。

もちろん、「若者は、本当に好きな人とは結ばれず、折り合いがつく相手と一緒になるだけ」というオーソドックスな(ありふれた?)恋愛映画との見方も成り立つでしょうから、そうした感覚で気軽に楽しんでもよいのではと思います。

私は昨年に原作を読みましたので、原作との細かい異同を垣間見ながら拝見しましたが、同行者は全く原作を読んでおらず、「一回で理解しようとすると疲れる映画」と評していました。この御仁が「ここはカットしても(した方が)よい」と述べたシーンが幾つかあり、それが悉く原作にはない映画オリジナルのシーンでしたので、その点は、同行者の感性を含めて興味をそそられました。

個人的に1点だけ不満を感じた点を述べるとすれば、龍平氏(日浅)にとってのクライマックスシーンで、「あれ」を全面的に描かないのは、ストーリーの性質上やむを得ないとは思うのですが、できれば、直前ギリギリまで、言い換えれば、引き波が姿を現す光景までは、主人公の想像という形で構わないので、描いて欲しかったと思いました。

原作には、主人公が、日浅の根底にあるメンタリティ(倒木の場面で交わされた言葉と思索)を根拠に、日浅は「その瞬間を自らの目で見たいと思うはずだ」と語り、その瞬間を目にした(直に接したのかもしれない)日浅が浮かべたであろう恍惚の表情を想像したシーンがあったと記憶しています。

私は、巨大な虚無を抱えた日浅が圧倒的な光景の前で恍惚の表情を浮かべる光景(そこには虚無の救済という三島文学論で語られていたテーマが潜んでいるはずです)こそが本作のクライマックスではないかと思っていましたので、その点が映画の中でストレートに描かれていないように感じたことには、映像化に難しい面があるのだとしても、少し残念に思いました(日浅の思想自体は、映画のオリジナルシーンで、ある人物が代弁しています)。

とはいえ、「性的な面が意識的に描かれる主人公と、全く性の臭いを感じない日浅」という点も含め、作品全体を通じて不穏・不調和な雰囲気が漂う本作は、通常の社会内では品行方正に生きているのであろう主人公が抱えた「本当はこの社会が自分には居心地の悪い世界だということ」、そして、主人公にとっての平穏ないし救いもまた、社会の側(映画を見る側の多数派)にとって、どこか居心地が悪く感じるものなのだろうということを、主人公のコインの裏側のような存在であるもう一人の人物(本当は社会と不調和を起こしている主人公の代弁者のような役割を担っているように見えます)にとってのそれも含めて映像として描いている作品であることは間違いなく、大人向けの純文学の映画としては、十分に見応えがあるのではないかと思います。

ちなみに、この映画は、とある理由で、中央大学法学部のご出身の方には、ぜひご覧いただきたいと思っています。そして、この大学(学部)のカラーが「やるべきことを地味に地道に積み上げて、あるべき場所に辿り着く職人」だということを知っている人には、この映画のあるシーンを見たとき、敢えてウチの看板が使われたことの記号的意味に想像を巡らせながら、苦笑せざるを得ないものを感じるのではと思います。

原作では、大学名が出ず法学部政治学科とだけ書かれていましたが(映画では学科の表示があったか覚えていません)、それだけに、中央大学法学部政治学科卒で、しかも心に何らかの虚無を抱えて生きるのを余儀なくされている?ホンモノの岩手人としては、余計なことをあれこれ考えさせられる面があったように思います。

あと、せっかくなので、ご覧になる際は、エンドロールを最後の方まで目を凝らしてご覧くださいね、というのが当事務所からのお願いです。

余談ながら、試写会なるものに参加したのは初めてですが、終了時に関係者の方から「これで終了です。ご来場ありがとうございました」のアナウンスがあった方がよいのでは?と思いました(終了後も何かあるのか、そうでないのか分からず、帰って良いかそうでないのか判別しかねますし、試写会なので、最後に関係者の一言で皆で拍手する?といったやりとりもあった方がよいでしょうから)。

最後に、私の密かな野望である「大戦の戦渦からシンガポール植物園等を救った田中舘秀三教授の物語」の映画化は、いつになったら実現できるのやらという有様ですが、大きな代償と引き換えに?、某プロデューサーさんによれば、企画案自体は監督にも伝わったとのことです。願わくば、「男達の熱い物語」の作り手として現代日本に並ぶ者がないであろう大友監督の作品として、いつか世に出る日が来ればと、今も岩手の片隅で願っています。

環境マネジメントシステムと田舎者の違和感

半年ほど前の話になりますが、「全国弁護士会・環境マネジメントシステム・サミット」なる会合が東京で行われ、私も岩手弁護士会の担当者?として参加してきました。

これは、環境問題に熱心に取り組んでいる全国の幾つかの弁護士会が、自会の活動報告をしたり、環境省のご担当などを交えて活動のあり方などを協議することを目的とした会合で、主に、「エコアクション21」の審査を受けて正式にKES(環境マネジメントシステム)を導入している弁護士会(と日弁連)が対象となっているものです。

そのため、KESの(相応に大変らしい)手続や事務作業に耐えうる規模の弁護士会が対象ということで、日本第二位の広さなのに会員規模は全国最小クラスである岩手弁護士会は、(よほど酔狂な人や特殊なカリスマでもいない限り?)導入できるはずもなく、私の知る限り、会内で導入が議論されたこともありません(というか、私以外にKESを知っている人もいないのかもしれません)。

というわけで、私もさしたる関わりはなく、「意識高い系?の弁護士会の取組を拝見した」程度の参加に止まったというのが正直なところです。

会合では、最初に環境省の方の講義や国内でKESの普及実務などに携わっている財団法人の方の講義等がなされた後、幾つかの弁護士会の取組の報告と意見交換、という形で進みました。

その際、熱心に取り組んでいる主要な(大規模な)弁護士会の方々から、省エネなどに取り組んで相応の成果は挙げ、内部でやるべきことはそれなりに尽くした感がある反面、それを対外的な影響力としてつなげる(地域内の様々な企業・団体などとつながりを持つなど)ことができていない、という話が出ていました。

これに対し、財団法人の方から「金融機関は、割と熱心にKESに取り組んでいるようだ」とのコメントがあったのですが、それを聞いた瞬間、金融機関なら、KESを「取引先の情報収集のネタ」として活用するインセンティヴがあるのかもしれない、と思いました。

すなわち、金融機関は、多額の融資をしている(または行う予定の)貸付先企業の経営の健全性(利息収入と元本返済の見通し)に強い利害関心があり、当該企業の経営に関する様々な情報を欲しているはず(そうあるべき)です。

ただ、「貴方(貴社)との融資取引を続けて大丈夫か心配なので、調査や確認のため会社の様々な内部情報を教えて欲しい」と露骨に伝えるのが憚られる場合に、経営調査の口実?として「KESの導入支援です」と伝えて了解を得ることができれば、表向きはKESらしい?環境配慮云々の話をしつつ、それと並行して、その会社(融資先)の運営状況を調査・確認し、「この点も改善を要するのでは?」と申し入れることができるのではないかと思います。

そのような観点で見れば、弁護士もKES(導入支援或いは意見交換など)を入口(突破口)として企業法務などの業務の受注(各種法的リスク調査とその対応支援など)につなげることも可能なのでは・・と思わないではありません。

ただ、KES(エコアクション21)の登録や保持には少なからぬ事務負担があるとのことで、当事務所はもちろん岩手弁護士会のような小規模な組織では、よほどの熱意がない限り、厳しい面があるかもしれません。

現に、今回の「サミット」でも、東京の三弁護士会や京都、福岡など比較的、規模の大きい(沢山の人員を抱えた)弁護士会が主に取り組んでいるとのことでしたが、田舎者の目線で見ると、「環境保護」に関するテーマについて、「環境という利益」の消費者というべき大都市圏の方々ばかりが熱心に取り組み、地方=生産サイドの弁護士(会)がさほど関わっていないという光景そのものに、少し違和感というか残念な感じもしました。

震災(原発事故)をはじめ、全国で生じた様々な残念な光景に接するたび、日比谷公園に、原発被曝廃棄物(汚染廃棄物)や各地の不法投棄事件で埋設された廃棄物を積み上げて「私たちのせいでこうなりました」とでも書いた看板を立てればと思わずにはいられないときもありますが、都会の方々には、省エネなどに限らず、地方に「都会のエゴによる負の遺産を押しつけない」ことに強く結びつくような取り組みを、実際に生じた光景を直視した上で進めていただければと思っています。

令和2年の年頭のご挨拶

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年も、地域の中小企業や個人の方々の様々な法的問題の対処、解決に従事しましたが、相応の規模の企業の倒産により様々な作業や法的検討を必要とした破産管財事件を数年かけて概ね決着させたり、家事事件や労働事件など、当事者の人的関係の深刻な破綻に伴い激しい対立が生じた事案で、苦心の末に良好又は穏当な成果を挙げることができた受任事件が幾つもありました。

本年も、交通事故や家庭内の問題、債務整理など日常的に取り扱う類型のほか、企業譲渡(事業承継)を巡り様々な問題が生じて深刻な紛争に陥った訴訟など争点が多岐に亘り当事者の対立も激しい事件まで、引き続き多様な業務に取り組んで参りますが、個々の受任事件に懸命に取り組むことなどを通じて、ささやかながらも社会のお役に立てればと願っております。

皆様におかれましても、変わらぬご愛顧のほどお願い申し上げます。

ところで、年末にボリュームの大きい案件の処理に多数追われた上、新件のご依頼やご相談も多数いただいたことなどから、年賀状の作成が期限(年末の強制終了)に間に合わず、恥ずかしながら、数年ぶりに年明けに投函することになりました。

顧問先の方々をはじめ年賀状をお送りすべき皆様には年始早々から失礼してしまい恐縮ですが、ご容赦のほどお願いいたします。

反面、惰性で形だけお送りしているに過ぎないのではと感じる送付先もあり、その点に関する適切な対処も考えなければならないと思っています。

年末年始にかけて三島由紀夫について論じた本を読んだため、「壮大な虚無を感じつつ、それに抗うこと」について多少とも考えさせられましたが、時代の変化に応じて都度、取捨選択を悩みつつ、今、活かすべきものが何であるか、今年も考え続けていきたいと思います。