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函館ラ・サール中学・高校の入試説明会と「地方の子が中学受験や寮生活をする意義」

函館ラ・サール中学に子弟が通学する保護者の方から「学校側に宣伝の努力が足りず、このままでは、盛岡の入試説明会(11月1日。中学・高校共通)の来場者がゼロになりかねないので宣伝せよ」とのお達しを受けたので、勝手ながら以下のとおり告知させていただきます。
https://www.h-lasalle.ed.jp/admission/presentation/s_presentation/

すいませんが宣伝目的(拡散希望)の投稿ですので、賛同いただける方は「いいね」等なさっていただければ幸いです。

また、私は断片的にしか拝見していませんが、こちらの「女性ユーチューバーの方(札幌のタレントさん?)の潜入・赤裸々インタビュー」が、現在の様子を知る上では大いに参考になるそうです。
https://www.h-lasalle.ed.jp/news_gakuen/11502/

以下、蛇足ながら現役保護者兼OBより多少述べさせていただきます。

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我が国では、数十年前から「大都会の子は、学業で身を立てたいなら中学受験し(今や東京では小学生の4人に1人と言われます)、地方の子は、公立中(か国立大付属中)→学力に応じた地元の公立高に入る」というのが当たり前の光景となり、これが現在まで延々と続いています。

関西圏は、主要三都に限らず、奈良など隣接県も私立中進学が珍しくないと聞いていますので、双方の境目は曖昧なのかもしれませんが、東北と関東では、この二つの社会の断絶が際立っており、あたかも二つの国家が併存しているようにすら見えます。

当然、その二つの社会の分断は、「現在の高偏差値大学の入学者は著名な私立中高一貫校の卒業生ばかりだ」という類の言説を取り上げるまでもなく、それぞれの社会の出身者の人生に強い影響を生じさせやすいであろうことは、相応に強く予測されるところです。

もちろん、田舎(地方)の家庭は、中学受験の光景を「子供は伸び伸び遊ばせてあげればいいのに勉強漬けの生活を強要され気の毒だ」と否定的に評価するのが通例でしょうし、私自身それが間違いだとは思いません。

また、素質のある子が幼少時に伸び伸びと暮らした後、公立中で猛勉強し盛岡一高などに進学して自身の志を実現していく光景も、大いに価値のあるものと認識しています。

ただ、曲がりなりにも「お受験」を経験した家庭としては、親子(主に母子)が圧倒的な努力を重ねて栄冠を勝ち取っていく(勝ち取ろうとする)経験を得ることは、常に言えるわけでないとしても、双方(とりわけ子)が、その後「努力を重ねて自身の希望を実現する人生を歩んでいく」上で、非常に貴重な経験になりうるということは、強調しても良いのではと感じています。

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ビッグコミックスピリッツに連載され、本年夏にドラマ化予定だった(今冬に放送?)「二月の勝者」という人気漫画は、「中学受験とは父親の経済力と母親の狂気だ」の一言から始まります。

のんびりと過ごしたい、ゲームを好きなだけ遊びたい子に、母親が通信教材を片手に悪鬼の如く勉強を強いる光景には、時に目を背けたくなるときもありますが、そうした関門を突き抜けることで、努力する習慣を身につけて学業で身を立てる力を得ていく子もいるということ、また、そうした経験を通じ子供のうちから学業での成功体験を得ることの価値は、地方に住む方々も、理解いただいてよいのではと思われます。

当家の進学者も、母親の多年に亘る洗脳が奏功し、理系分野で身を立てる決意を固めているそうで、入学からかなり経た現在も理数科目では相応に良好な成績を修めているようです(反面、歴史等には関心がないようで、父子間には共通の趣味も話題も会話も微塵もありません。本人がスキーに興味をなくせば完全ゼロになりそうです・・)。

地方在住者も、運動関係であれば、いわゆる「アスリート・エリート」のご一家などが親子一丸となって特定のスポーツに凄まじい努力を重ねる光景を見聞することがあります。それとの比較からも、「お受験」だけが特異というわけではなく、勉強分野で幼少の子と親が一丸となって努力すること(その経験を得るものとしての中学受験)は、少なくとも適性がある家族なら経験する価値は相応にあるのではと思われます。

要は、地方で育児に従事するご家庭も、「伸び伸び育てて、公立中→公立高へ」という地方では当然の(ごくノーマルな)生き方だけでなく、小学4~5年生頃から上記の「モーレツ体験」という選択肢も視野に入れ、あとは、お子さんの適性やご家庭の事情などに応じて、どちらにするか決めていただければよいのでは、少なくとも、後者に適性を有する子から地方在住というだけでその選択肢を奪うのは間違っているのではないかという点は、皆さんにも考えていただきたいところです。

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その上で、次のテーマとして「函館ラ・サールという選択肢」について少し述べたいと思います。

ご存知の方も一定数おられるかと思いますが、この学校は、函館在住の子は自宅から通学しますが、それ以外の地域の出身者は、ほとんど全員(中学は必須)が寮生活を送ります。

以前に投稿したこともありますが、中学3年間(及び高校入学者の1年間)は二段ベッドとロッカーが並ぶ大部屋での寝泊まりが必要になり、他の寮生と両立して生活するため社会性(一定の社交性)の鍛錬を余儀なくされるという点でも、特異な面があります(このような手法は、全国でも同校だけかもしれません)。

親から見れば何かと気の毒に感じる面はありますが、子にとっては相応に大過なく生活できており、「物事は案外なるようになるものだ」と感じる面があります。

また、自分が親の立場になって改めて感じるのは、中学生になれば、もはや、身長に限らず自我のかなりの面で、大人と大差ないレベルになってくる、そうであれば、互いに一定の距離をとった方が、双方のため、とりわけ子にとっては自立心などの涵養の上で望ましいのではないか、という点です。

狭いマンションに住んでいると、子の帰省時に「家が狭くなった、一刻も早く函館に帰って欲しい」と感じるときもありますが(笑?)、それはさておき、中学の時点で離れて暮らすことが、子の成長にとって看過できない欠落などを生むという実感は現在のところ特にありません(反面、寮生活で成長したのかと聞かれると、それもよく分かりませんが・・)。

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以前読んだ橘玲氏の「言ってはいけない」(新潮新書)で、親が子に影響を与えることができるのは幼少期の限られた期間だけで、その後は主として同世代から影響を受ける面が大きいと述べているのを見た記憶があります。それが正しいのであれば、函館ラ・サールで、全道・全国から集まる「学業で身を立てたい同級生達」から良好な影響を受けることができれば、本人のその後に強い威力を発揮するのかもしれません。

逆もまた然りで、多少存在するかもしれない残念な同級生に残念な影響を受けないよう願うばかりですが・・

余談ながら、この仕事をしていると、大人になっても長く同居する親子が残念な寄生関係に陥った結果、好ましくない事件が起きる例を拝見し、「この人達は何年も前から離れて暮らせば良かったのに」と感じることが多々あります。子が親と離れて暮らすことの意義や価値に、もっと光が当てられてもよいのかもしれません。

また、昔と今で生徒の出身地の比率に多少の違いがありますが(昔は道東など北海道の小都市や辺境の出身者が中心で今は東京などが多い)、全国の各地から子供達が集まってくる珍しい学校であることに変わりなく、その点=擬似的な上京体験という点でも、お子さんに得がたい体験をさせることができる面はあります。

そもそも、子を未熟なうちから外の世界に出して鍛錬させることは岩手でも昔から相応に存在した光景です。

明治=戊辰敗戦後の世で言えば、二戸出身の田中舘愛橘(日本物理諸科学の創設者の一人)は、若年時に親が自宅を売り払い一緒に上京してまで最先端の学問を習得させ、言わずと知れた原敬も、同時期に上京し司法省法学校などで研鑽し、その後の飛躍につなげています。

当家の少年がそれら偉人の足元に及ぶかはさておき、岩手の方々にも、函館ラ・サールという選択肢は、そうした先人が辿った道に通じるものがあるのかもしれないという視点を、持っていただければ幸いに思います。

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かくいう私も、30年以上前、盛岡一高と函館ラ・サール高校の双方に、どういうわけか(受験者の実感として双方とも間違いなく最下位ランクで)合格してしまい、一体どちらに進学すべきかという身の程を超えた悩みを抱えたことがあります。

その際、最後の決め手になったのは、一高にプールがあってラ・サールには無かったから・・・ではなく、また、運動できない「のび太」なので高校時代に男女交際できる自信はなかったから・・・でもなく、自分は将来、盛岡を拠点に、岩手の人と社会のため生きたいと思うのではないか、そうであれば今のうちに外の世界を見ておくべきだとの「うすうす感」があったことでした。

自身の高校時代に未熟さゆえに悔いる点は山ほどありますが、その判断自体については、私自身の問題として後悔する点は何一つありません(反面、一高には今も「最下位レベルで拾っていただいたかもしれないのに、すいません」という申し訳ない思いで一杯で、一高OBばかりの盛岡の社会では、いつも肩身の狭い思いをしています)。

皆さんも、私のようなケースに限らず「うちは子供に家業を継いで欲しい」などの事情のある方もおられるかと思いますが、そうした大人になれば岩手で人生を送る可能性の高い方ほど、若年時に外の空気を吸っておくことに、意味や価値があるのではと感じます。

また、函館ラ・サール中学にご子息を通学させる方の中には「若い頃から、外の空気を吸って、世界全体に目を向けることを考えて欲しい」という理由で送り出す方も少なくないようです(それが奏功して、お子さんも海外留学などの希望を持っておられるという話を聞いたことがあります)。

私が入学した当時は、科目全般なかんずく数学や理科が「田舎の公立中で教えている内容」との難度差があまりにも大きく(断崖絶壁のような落差でした)、私自身はそれに嵌まって入学直後から落伍してしまい、文系分野では若干の持ち直しはあったものの、全体的にパッとしない成績のまま高校を終えました。

ただ、一緒に寮生活(とりわけ、2、3年次の4人部屋)で過ごした仲間が、圧倒的かつ規則正しい勉強生活を続け、その結果、難関大(医学部・医科大)に現役合格していく光景をよく見ており、その背中を見続けていたことが、司法試験に(当時としては、あまりにも運良く)大卒2年目で合格できた、大きな原動力になりました。

もし、皆さんのお子さん・お孫さんも「地元の公立高もいいけど、敢えて、そんな環境に放り込んでみたい」とお考えになるのでしたら、函館ラ・サールという選択肢も考えていただければ幸いです。

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もちろん、私立中の寮生活ですので一定の経済的負担はありますが、カトリック系の学校だからか?昔(私の時代)から同校の学費や寮費はさほど高額でなく、三食・風呂・洗濯などが完備されていることも含め、東京の大学に通学し生活する学費などに比べると、金額はかなり低い(良心的)と思われます(反面、寮の食事に関しては・・以下、自粛)。

facebook等ではゴルフや会食など華やかな暮らしをなさっている方々の姿も拝見することがありますが、そうした皆さんが、若干でも、若い世代の学業のためにお金を投資していただければと思っています。

皆さんの子弟に、私たちの新たな仲間に加わっていただける日を心待ちにしつつ、最後までご覧いただいた方に御礼申し上げます。

啄木新婚の家前バス停のベンチに、板一枚の愛の手を

1週間ほど前、岩手日報にも掲載されていましたが、当事務所の目と鼻の先にある「啄木新婚の家前バス停」にかつて設置されていた木製?ベンチは、数年前に破損し、着座困難な状態で長期間放置された挙げ句、昨年頃に撤去され、現在は無残な赤コーン姿を晒しています。

このバス停、例年なら「新婚の家」に来た全国の修学旅行生が押し寄せるほか、ご年配の方の利用も多く、赤コーンのため待機スペースが狭くなり歩行者と自転車の接触リスクも増えるなど、このような状態が続くのは、地域住民としては残念というほかありません。

いっそ、市内の有閑オヤズの皆さんが、平らな板に赤コーンにピタリ嵌まるように穴を二つ空けて人知れず「板一枚で可能なお手軽ベンチ」を設置し、「けっこう仮面(又はパンクシー)参上」などと書いた張り紙を付していただければ、ワイドショーのネタにもなって良いかもしれません。

或いは、市内のRCクラブがベンチを寄贈していただければ・・・と思わないでもありませんが、関係者の皆さんの迷惑そうな顔が浮かんできそうなので、余計なことを言うのはやめておきます。

以下、余談の令和こちょこちょ話。

2ヶ月ほど前、同居家族が突如、鬼切りアニメの視聴を開始

当方は「数年前から某ピースも深夜に見てるのに、これ以上ノルマを増やせるか」と無視

毎度の「お前も一緒に見ろ」のお達し

やむなく深夜閲覧の日々

なんだ、これってジョジョとディオじゃないか、ウリィ~(今ココ)

大物首相たちの国葬と、それを拒否した原敬の矜持から「税と葬儀のいま」を考える

1週間ほど前、中曽根首相の葬儀に税金から9000万円も拠出する(さらに、自民党も9000万円出して、計2億弱の葬儀を行う)とのニュースが出ており、反自民の立場の方が「中曽根首相は国鉄は民営化したのに自分(の葬儀)は国営化するのか」と批判しているを目にしました。

で、政権側は、「大物首相経験者は同等の葬儀を税金で行っていた(ので前例を踏襲しただけだ)」と説明(反論)しているようで(引用の記事などを参照)、前例に照らせば、特別な取扱をしたわけではないということにはなりそうです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tarobando/20200928-00200496/

ただ、岩手県民としては、

原敬って、暗殺直後に盛岡に運ばれて大慈寺で葬儀をしており、国の世話に一切ならなかったのでは?

と思って、wikiなどで「国葬」について少し調べてみました。

で、それらの記載によれば、古代云々を別とすれば、皇族以外の者(臣下)を国葬=多額の税金を投じて葬儀するようになったのは維新時の薩長藩主が始まりで、その後は、いわゆる明治の元勲や元帥など=大半は薩長関係者(軍人などを含む)となっており、原敬に限らず、薩長以外の戦前の首相で「国葬」された方はいないようです。

それが、戦後になると、吉田首相を皮切りに、なぜか?大物首相を「国葬」する風習が生じており、出身県で見ると、上州(群馬)が中曽根首相を加えると3名(福田、小渕)でトップで、2位が岸・佐藤兄弟の長州(山口)となっており、特定の地域に集中しているわけではなさそうです。

ともあれ、戦前に首相を「国葬」する習慣が(基本的には)無かったことと比べると、どうして戦後になって生じたのか少し不思議な感じがします。

見方によっては、形式的には天皇、実質的には軍部などとの関係で、戦前の首相には、形式上も実質上も、戦後ほどの力は与えられていなかったことを示すものなのかもしれませんし、そうであればこそ、戦後社会は「国葬」という儀式を通じて首相など(民主主義社会における国家運営の責任者)の権威を高めようとした、というのが「大物首相の国葬」のきっかけだったのかもしれません。

ただ、それはそれとして、現代の庶民感覚からすれば、いかに戦後最大級の大物政治家とはいえ、葬儀に1億も2億もかけるなんて・・(とりわけ税金で)と疑問を感じる面は否めません。

戦後間もない頃はともかく、現代では「大がかりな葬儀をせずとも、首相の権威は国民は十分理解している。それよりも、ここ十数年、社会内で葬儀の簡素化が模索されている(その方がよいと、国民の多くが考えつつある)実情に照らし、大物の葬儀ほど簡素化を追及すべきだ(功労の顕彰云々は、より税金を使わない、別の形で行うべきだ)」という議論はあってしかるべきではと思います。

とりわけ、菅政権は「脱ハンコ化(による行政の効率化=税金節約)」のキャンペーンを掲げたり、日本学術会議の件でも「年間10億が投入される→任命拒否に文句があるなら民営化せよ」との主張が政権寄りの方からなされるなどしており、「税金節減(他分野への配分)のため、従前、当然に税金が使われていた分野にも大ナタを振るう」姿勢を打ち出しているように見受けられます。

それだけに、大型葬儀のようにカットしても(葬儀業者・ホテル関係者以外は)誰も困らなそうな話から先に断行する姿勢を見せないと、ハンコ業者や(産地の)山梨県知事、或いは学者さん達だけでなく、やがて国民一般の「反抗」を招いて、せっかく有意な改革をしようとしても、つまらないところで頓挫してしまうことも危惧されるのかもしれません。

それこそ、菅首相であれ安倍首相などであれ「今回は前例などを尊重した形にしたが、今後は簡素化したい。少なくとも、自分には税金は一切無用」と表明していただければ、支持率アップにつながるのでは?などと、余計なことを思わないでもありません。

*********

ところで、先日、「原敬首相と田中舘愛橘博士(二戸出身で戦前の日本物理学の構築者の一人)の対話という形で、明治・大正の社会が何を目指そうとしていたのか(目指すべきだったのか)を描いた本」を読んでいました。
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5863-1.htm

この本は色々と学ぶところが多く、ぜひ皆さんにもご覧いただきたいのですが(後日、改めて取り上げたいと思っています)、終盤、原敬の暗殺直後に、遺体を官邸に運ぼうとした立憲政友会の面々に対し、夫人が

「死ねば、もはや私人」

と述べて公の行事を拒み、自宅に連れ帰ったと述べられています。そして、暗殺に備えて生前に準備されていた遺言により葬儀が盛岡で営まれ、氏名のみ表示した墓碑が建立されたことなどは、広く知られているとおりです。

歴史をきちんと勉強した方ならご存知かと思いますが、原敬首相は、明治政権(薩長閥など)の威光に依らぬ政党政治家として、最初に首相に上り詰めた御仁であり、日本の政党政治=民主政治の創設者(原点)の一人と評しても過言ではありません。

そして、原敬の政治手法には様々な議論があるにせよ、米国との対立の回避を重視した政権運営や私益を一切図ろうとしなかった生涯なども相俟って、引用の書籍などに限らず、様々な場で再評価がされており、「彼が暗殺されなければ、あの戦争は回避されたのかもしれない」と論じられることもあるようです。

その御仁が、生前はもとより死後にも位階勲等を拒否し、郷土に強い誇りを抱いた一人の地域人(盛岡人)としてのみ葬られることを望んだことの意義や価値について、いま改めて、現代日本人は学ぶべき点が多々あるのではないかと思っています。

或いは、彼は今も大慈寺から「白河以南の奴らは死んだ後も税金ばかり欲しがってダメだなぁ」と述べているのかもしれません。

まあ、そんなことを言うと、「鈴木善幸首相だって国葬されてるよ」と言い返されるかもしれませんが・・

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放言議員たちと鈍(なま)る国民のうた

この数年間も年に数回ないしそれ以上の頻度で、国会議員の「放言」のニュースを目にしており、先ほども、その種の記事を見て残念に思ったところです。

昔は「政治家の放言」というと自民党の高齢の大物政治家というイメージがあったように思いますが、最近は、当選1~2回程度(比例を含む)の若い政治家の方による、極端な立場であるとか、あまりにも不見識と感じるものを見かけることが多いような気がしています。

ともあれ、そうしたニュースを見ているうちに、突如、ラップ曲の歌詞?が思い浮かんできたため、折角なので投稿することにしました。

***

今年も議員は 男女問わず
放言ばかりで 君なまる

なまくら国民 選ぶのは
ハラスメントや 悪口や
カネで堕ちてく 人ばかり

自ら汗を かかぬから
馬鹿にするしか やることなし

反面教師を日替わりに
税で養う むなしさよ

それでも選挙を止めぬなら
出るべき人を 立てること
出た人たちを 活かすこと

なまくら国民 いつまでも
他人まかせで 済ますなよ

君が明日を 築くのを
未来圏から 待っている

***

私には珍しく?替え歌ではなくオリジナルの歌詞ですので、どなたか曲を付けて、ユーチューブなどで歌っていただければ有り難いかも・・と思わないでもありません。

なお、オリジナル(FB版)の冒頭は、割とストレートな歌詞でしたが、ブログ掲載版は、その点はソフト?なものに修正しました。

まあ、公人への意見表明は相当な表現の範疇であれば問題ないので、現職のうちは大目に見て下さい、というところかとは思いますが。

貧乏暇なしクラブの歌とゲゲゲゲ弁護士

この連休期間中も、相変わらず普段どおり溜まった起案(書面作成)に追われる日々です。

ただ、深夜に大物起案が一服した後などは、次の山々をチラ見しながら何か歌いたくなる・・なんてこともあるかもしれません。

そんな貴方に捧げる2曲。

1作目は、私が物心つく前後の頃にNHKで放送されていた人形劇「プリンプリン物語」内の「世界お金持ちクラブの歌」から。

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じかんじかん 時間 時間 
じかんじかんじかん 時間

時間さえあれば いつかは手に入る (かもね)
ドレスは要らないが仕事をこなしたい

完済 別宅 子供の教育費

プライベートジェットで
あの子と月旅行

ふるさと納税 
見ず知らずのニク、サカナ

時間さえあれば 仕事も終えられる
多忙で貧乏暇なしクラブ~

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続いて、申すまでもない「鬼太郎」より。

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ゲゲゲゲゲゲ 
夜も朝まで起案中 
楽しいな 楽しいな
田舎の町弁は 土日も何にもない ヴ~

ゲゲゲゲゲゲ 
みんなで嗤おう ゲゲゲゲゲ

ゲゲゲゲゲゲ
朝も書面が未完成
楽しいな 楽しいな
今日会う裁判官 優しさ微塵もない ヴ~

ゲゲゲゲゲゲ 
みんなで嗤おう ゲゲゲゲゲ

ゲゲゲゲゲゲ 
昼も期日に客、電話
楽しいな 楽しいな
弁護士は死ねない 仕事が済むまでは ヴ~

ゲゲゲゲゲゲ 
仕事が終わらぬ ゲゲゲゲゲ
うんてん資金も ゲゲゲゲゲ

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というわけで、今夜もまた、優雅なお友達を尻目に、事務所に泊まり込みということになりそうです。

成都の腐海なマンションと風の谷への分かれ道

中国の成都に建築された「全戸に庭園と池を設置した、富裕層向けの高級マンション」で、蚊大発生して購入者が入居できず廃墟のような有様になっている、というニュースが話題になっています。

昨日=金曜の朝に洗濯物を干している最中、モーニングショーなのに風の谷の曲が流れてきたので、橋田壽賀子ドラマよろしく隣室で聞き耳を立てていたところ、このマンションの件を取り上げており、

蚊の大群に住民達が逃げて廃墟状態になったところで腐海の森の曲→コメントシーンへ、

となっていました。

で、そのマンションは全戸に池を設けており、蚊(ボウフラ)が繁殖しやすい環境なのに天敵(メダカ、ゲンゴロウ、カエル、ヤモリ等)が全くいない(から大発生した)、と羽鳥さんが述べていたので、私自身は、

だったら全戸(ベランダ庭園と池)にそれらの生物を標準装備すればいいじゃないか。それらの生物を狙って野鳥も来るし、それこそ生物の楽園になって子供も喜ぶでしょ。

と思ったのですが、コメンテーターの方々は誰もそのように発言せず、

「池の水を抜け、樹木を撤去せよ」

と口々に叫ぶばかりで、これでは、やむなく林を焼いて水を抜いた後の風の谷と同じじゃないか、せっかく曲が散々流れていたのに、この方々はあの映画から何も学ばなかったのだろうか、これだから都会の人達はダメだなぁ、

と、がっかりしました。

ちなみに、一茂氏だけは、ちょっとだけ「俺の海外の別荘は天敵がいるから蚊が出ない」などと自慢?していましたが、玉川さんとかが、いつもの剣幕?で、腐海を焼き払え・・ではなく、全部撤去せよと述べるのに気圧されて、一茂氏もすぐにそれに同調してしまったので、

全国の良い子のみんなは、きっと悲しんでいるに違いない

と、余計なことばかり思いました。

そんな光景を横目に、

もし、日本でメダカや昆虫などを飼育等する事業者が、「これらを使って蚊を減らしながら水と緑に囲まれた生活を取り戻して」と、天敵(人に危害のない生物)達を提供しそのマンションに安定供給する役割を担っていただければ、そして、ぜひ、その社長さんが、青い衣装で黄金色に染まった秋の高層湿原(八幡平とか四川なので九寨溝とか)から登場してくれれば、

このコーナーに、風の谷のクライマックスの曲が流れて、どんとはれ

という展開になったのになと、風の谷・・ではなく、八幡平の遙か麓で今も起案に追われる身としては、思わずにはいられませんでした。

ところで、この話をFBに投稿したところ、同業の某先生から

地震時などに各戸の庭園に持ち込まれた土の重さで倒壊するのではないか

と、ジョーク?が飛んできたのですが、その光景を思い浮かべたとき、いかにも「中国あるある」な話で想像するだに恐ろしいと感じつつも、

建物の奥から、大地の想いを集めた青い結晶が出現し、崩落する建物を尻目に、木々と鳥たちだけを連れて、大空に上っていく・・

という展開もありうるかもなどと、夢想せずにはいられませんでした。

河野太郎行革相は「鈴木善幸内閣の中曽根康弘行革相」の再現となるか?

虚報新報北奥支部特派員?(現地採用)の小保内です。

前回投稿した山下外相待望論はサクッと外れましたが「菅政権の誕生の姿は鈴木善幸内閣によく似ている」という件に関しては、興味深い事象が生じました。

高齢者?と留任ばかりの内閣(新任の方も平沢復興相を除き知名度が低い)の「ほとんど唯一の目玉」と見られているのが河野行革相かと思いますが、鈴木内閣では、中曽根次期首相が行革相に相当する行政管理庁長官になっているのですよね。

ですので、仮に、菅内閣が短命に終わり、河野行革相が実績と名声をあげて次期首相に躍り出ることがあれば、見事に歴史が繰り返したことになりますので、今後の展開を興味深く見守ってよいのではと考えます。

さきほど、河野行革相が「閣議でナンバー2の席に座った」というニュースを拝見しましたので、ますます、その色合いが強くなったとも言えそうです。

もちろん、私は菅内閣が短命に終わることを願っているわけではありませんので、鈴木首相がなさりたかったであろう「自分に取って代わるかもしれない敏腕行革相を使いこなして名宰相を目指す」という路線で頑張っていただければと思います。

なお、前回ピックアップした「鈴木内閣との共通点」については、自民党が権力抗争に明け暮れた三角大福の各政権をまとめて一個の時代と捉えれば(「中」は世代が違い安定期に転換されたのでカット)、菅政権は「一つの大きな時代のあとに就いた首相」という点でも鈴木内閣と共通することになります。

まあ、鈴木内閣は「三角大福時代の終わり=中曽根長期政権への転換点」ですので、菅首相にとっては、そうした意味では全くもって似て欲しい話ではなく、余計な一言というほかありませんが。

また、三角大福混乱期→ひと呼吸の鈴木内閣→中曽根安定期という流れに照らせば「安倍安定期→ひと呼吸の菅内閣→政界大混乱へ」との展開もありうるかもですし、小沢氏などはそれを狙って今も策動なさっている?のかもしれません。

このネタ(河野=中曽根再来かも説)は必ずマスコミが取り上げるネタと思われ、もしかするとワイドショー等でも誰かが言ったかもしれませんが、私はまだ見ていませんので「誰かが言う(聞く)前に言ってやる!」との思いで、大慌てで書きました(初出は前日のFB投稿です)。

菅義偉新総裁と鈴木善幸首相の「あまりにも多い共通点」と、山下貴司外相待望論

大至急の起案が一段落し、久々の政治談義です。

秋田県人初の首相となる菅総裁の誕生については、北東北という括りで見れば、鈴木善幸首相(1980年)から40年ぶりの朗報ということになります。

当時、鈴木首相の「お国入り」があり、理由は分かりませんが二戸にもいらしたため、小学2年生?だった私も、沿道で旗振りをした記憶があります。

菅総裁は、地方出身の割に(横浜の人のせいか)都会的な合理性や効率性を重視する(結果として、高所得が得られる能力の高い人を優遇する政策になりやすい)傾向があると言われたりもしますが、その点を別とすれば、鈴木首相と色々と共通点が多いと言えます。

少し考えただけで、次の10点を指摘できると思われます。

①北東北の出身。

②相応に苦学し学歴もトップ校(東大等)ではない、二世等でもない。

③(菅氏も地方議員出身のため)政治家としては党人派。

④少し前まで首相になる人とは思われていなかったが、自民党の多数派グループに、調整能力を買われて擁立された。

⑤大物たる前任者(鈴木首相の場合は大平首相)との関係で、忠臣かつ重臣とみられている。

⑥前任者には強い存在感を放つ政敵(鈴木首相の場合は福田首相。今回は当然ながら石破氏)がいて、多数派グループ(田中派・宏池会など)は、政敵に権力を渡すまいとの思いで結束した面がある。

⑦外交関係に経験が乏しいと目され、その点を不安視されている。

⑧行政改革に意欲を示している(鈴木内閣では中曽根次期首相を担当大臣に充て、土光臨調を発足させた)。

⑨政界のフィクサーと呼ばれる御仁(田中首相・二階幹事長)の強いバックアップがあると言われている。

⑩おでこが広い(余計な一言?)。

ちなみに、鈴木内閣で自治相(今で言えば、総務相)をつとめたのが石破氏の父君(石破二朗氏)ということで、大河ドラマちっくなものを感じたりもします。

そんなわけで、菅内閣が鈴木内閣のように「外交でミソを付けて(日米安保発言)米国からB級扱いされて失速し後任者が本格政権」という展開になるのか、それとも「化けて」大物宰相の道を歩むことができるのか、隣県人として興味深く拝見しています。

ところで、菅内閣の人事で、国民一般が現時点で最初に注目しているのは、上記⑦=外交対応への不安という点から、外相人事ではないかと思います。

失礼ながら、安倍首相に比べ「華がない」と見られている菅首相にとって、ご自身を補完できる華のある御仁を登用したいのではと思われますが、河野防衛相は経験済みで、進次郎環境相は、たぶん他のポスト又は一休みになりそうですので、他に菅首相が安心して任せられる「華があり力量もある現役世代の議員さん」がおられるのか、少し思い当たりません。

が、たった一人、菅首相にとっても意中なのでは?と個人的に想像するのが、元外交官であり実務能力の高さに定評のある山下貴司もと法務大臣(平成10年頃には盛岡地検三席検事)です。

私も、修習生として当時の盛岡地検の片隅で若干ながらお世話になりましたので(主に、冬の「連れスキー」の末席ですが)、法相1期で終わらないであろう山下議員のさらなるご活躍を期待している一人です。

ご経験と能力など(また、当時も今も非常に華のあるキャラクター)からすれば、少なくともあと5~10年以内には、確実に外相をなさるのではと思っていますので、実務能力が高い人を好む菅首相からすれば、意中の人なのではと推測しても、あながち間違いとは言えません。

ただ、山下議員は今回の総裁選で石破氏陣営の番頭役をつとめており、彼を外相に抜擢するのは菅首相を担いだ方々から猛反発を受ける可能性もあるので、さすがに無理があるのかもしれません。

いっそ「麻生首相が総選挙までの期限付きで副総理兼外相に横滑りし、山下議員が副大臣→総選挙で勝てば、大臣昇格」というパターンもありうるのでは・・と、勝手に期待しています(基本はノンポリ無党派層なので、殊更に総選挙で自民党に勝って欲しいわけではありませんが・・)。

まあ、今朝(14日)のモーニングショーで田崎氏が「記者が大臣の予想をしても絶対外れて恥をかくから言わない」と仰ってましたので、私も田舎者の戯言でおしまい、ということになるかもですが。

ともあれ、法相経験者で後日に首相に上り詰めたのは、明治の草創期を別とすれば、戦前検察の体現者として悪名高い?平沼騏一郎首相ただひとりですので、山下議員には、ぜひ、平沼首相以来の「検事出身の首相」になっていただくと共に、平沼首相の轍を踏むことなく、我が国の社会と未来のためご活躍いただければと願っています。

西谷巌先生のご逝去に寄せて

先日、盛岡北RCの会員である西谷巌先生が急逝されたとのことで、通夜に伺いました。

西谷先生は苫小牧のご出身で(ご本人から聞きました)、北大医学部に進学し北大などで活躍された後、岩手医大の産婦人科の教授を長くお務めになり、定年後も盛岡の主要病院の院長などを歴任され、御年88歳となった現在も、滝沢市内の中規模病院で診療等に従事なさるなど、年齢を感じさせない若さで精力的に活動されていました。

亡くなられる10日ほど前も、いつもどおり当クラブ(盛岡北RC)の夜例会に参加され、その際も色々と話をさせていただきましたので、急なご病気によるものと聞いていますが、ただただ残念でなりません。

私にとって、西谷先生は、当クラブで最も親しくさせていただいた方の一人なのですが、それには2つの理由があると思っています。

私は函館ラ・サールの出身ですので、同級生には北大医学部に進学した方もおり(しかも、1年間、4人部屋で過ごした仲間でした)、そこに入学できる人というのが、どれほど凄まじい才覚を持ち圧倒的な努力を重ねているか、若干ながら体感として知っているつもりです。

私も、学力や業績などの程度は遙かに及びませんが、学問で身を立てた人間のはしくれであり、また、盛岡の出身ではない点でも共通点があることから、「先祖の代から盛岡で暮らし、代々或いは何十年もこの街で重責を担ったご一家の当主」の方が珍しくない当クラブでは、西谷先生にとっても地元出身ではない私に対し他の会員の方々とは違った親しみを感じていただいた面はあったかもしれません。

また、私は幼少期に大人に囲まれて育ち、同世代の面々より両親の周囲にいた大人の人達と一緒に過ごす方が居心地がよかったせいか、今もその感覚をひきずっており、同世代よりも親子ほども年の離れた方々の方が、なぜか親しくなりやすい傾向があります。

恐らく、私にとって父が人生のロールモデルではなかった(実家を出ていくほかない身であり、幼少期の父との人間関係も希薄だった)ため、その役割を担って下さる様々な大人との関わりに飢えがあったからだと思っており、私が西谷先生と親しくさせていただいたのも、何某かの「父性」を西谷先生に求めた面があったからなのかもしれないと感じています。

ともあれ「つい先日まで一緒に酒杯を交わして盛り上がった方」が急逝してしまう経験自体、私にとってほとんど初めてではないかとも思われ、まだ現実を受け入れることができないというのが正直なところです。

ところで、以前は、どこの小社会にも「組織のあるべき姿や理念を大所高所から論ずるご意見番的な御大」がおられましたが(岩手弁護士会なら、故・菅原瞳先生でしょうか)、西谷先生は、当クラブでは、その代表格のお一人だと認識しています。

西谷先生と重鎮論客の双璧をなし、私にとってはもう一人の「当クラブでの父親代わり」と言うべきSさんも、ご病気を理由に先般、RCを引退されてしまうなど、盛岡北RCにとっては「一つの時代が終わった」と評さざるを得ない状態が、ここ半年~1年ほど続いているように感じます。

そうした「父親世代のご意見番」の喪失(ひいてはRC全体の退潮)の中、当クラブがどうなってしまうのか(単なる親睦団体の類としてしか存続できないのか、それとも世界とつながる・世界に通じる高邁な理念なるものを自分達の不可欠な要素として保持・実践できるのか)、今の私には全く分かりません。

ただ、折り返し地点を過ぎてかなり経過しながら、相変わらず社会全体との関係では無為の日々を送る私に「それでいいのか?」と何らかの問いかけがなされているのかもしれないと、そのことには絶えず向き合っていきたいと感じています。

西谷先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

献帝に捧げる愛と哀の詩~三国志Secret of Three Kingdoms の感想と主題歌の真の翻訳?~

皆さんにも中学の頃、クラスに1人か2人くらいは、横山光輝氏のマンガや光栄のゲーム或いはその他の作品を通じて、三国志の群雄・武将に無駄に詳しい奴がいたという記憶があると思います。

私もその典型で、原点は物心つく前後に見たNHKの人形劇三国志ですが、中学から高校にかけて、当時、一般向けに作られていた三国志の関連作品の大半(各所が色々と熱くなる本宮作品も、忘れてはいけません)を読み漁ったほか、結婚してようやく光栄ゲーム廃人から完全卒業できた、という有様でした。

ところで、ご存知の方もおられるかとは思いますが、昨年11月から年明けにかけて、BS12チャンネルで、中国で制作された三国志のドラマ(全54話)が放送されていました。
https://www.twellv.co.jp/program/china/sangokushi-sotk/
https://bd-dvd.sonypictures.jp/sangokushi/ 

現在も、6月1日から同様のペースで放送されているようですので、知らなかった・見たかったという方は、今からでもご覧になってよいと思います。私は普段はドラマはほぼ全く見ないのですが(例外は大河。中韓ドラマは全く見たことがありません)、なぜか、11月上旬のある日、たまたまTVの番組表をチラチラ見ていたところ(その作業も普段は数週間に1度しかやりません)、ちょうど、そのドラマの第1話が放送されており、主人公が、崩御直後の献帝の前に現れたシーンが映されていました。

それで、こんなドラマがあったのかと驚き、三国志バカのはしくれとして、見ないわけにはいかないだろうと思い、第2話から録画し、現在も深夜に少しずつ、一人さみしく拝見しています。現在、ようやく官渡の戦いが終わり、ついに登場した彼と主人公との対峙が始まったところです。

三国志バカの皆さんはご存知のとおり、横山三国志は曹操と袁紹の戦いはほぼ描かず飛ばしており、また、前半は劉備陣営の描写が中心で曹操陣営の参謀スタッフを丁寧に描いてくれませんので、荀彧・郭嘉などがきちんとした形で登場しません(本物とは違うだろうという名無しの参謀が出てきますが)。

本作は、荀彧・郭嘉をはじめこの時期の曹軍・袁軍や漢朝の関係者を多数のマイナーなキャラも含めて丁寧に示し、「もう一人の献帝が平和のため司馬懿と共に大活躍する」という架空?の物語を基盤としつつ、正史・演義に描かれた多くの関係者の人物像も裏切ることなく、文官勢は光栄三国志の絵柄と比べても違和感が無い役者さんが起用されるなど、三国志バカの皆さんにとっては泣きたくなるほど嬉しい作品と言えます。

また、光栄ゲーム廃人の皆さんなら、司馬懿は知力98、郭嘉は97というのが常識かと思いますが、まだ若い司馬懿がギリギリのところで全盛期の郭嘉を出し抜く(追及を免れる)ように描かれている光景が、この数値にピタリとはまって、その点でも泣きそうになります(彼らに劣る若き日の楊修は、武闘派の面々を手玉に取りつつ、彼らにだけは手玉に取られる役回りです)。

ちなみに、光栄三国志や横山三国志のビジュアルの元ネタは、数十年前(戦前?)に中国で刊行され、陳舜臣氏が翻訳を担当した「劇画三国志」であることは間違いないだろうと思っており(私は中学2年生の頃に二戸市立図書館に通って全巻読了しました)、そのことが、三国志の登場人物像で日中間にさして齟齬がないことの根底にあるのではと考えます。

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というわけで、三国志バカの日本人にとっては拝見必須の作品なのですが、一つだけ、不満を感じる点があります。

本作の最後に流れる「少年志」という主題歌は、十分聴き応えのある曲なのですが、字幕で出てくる「日本語の歌詞」が文章としてまとまりがなく何を言いたいのかよく分からない上、あまり胸に響く内容ではなく、最初の頃はすっとばしていました。

が、主題歌に限っては中国語も字幕表示されるので、何度か見ているうちに、この翻訳は不正確では、また、本物=中国語の歌詞は本作品の主題に即した重く悲しい意味を含んでいるのでは?と思うようになりました。

例えば、歌の中盤で「唯有餘年祭天下事 悲歌 唱山河」とあり、歌手の声量も大きく、歌のメインと言って良い場所の一つです。

この歌詞、字幕では「余生は乱世から離れ 悲しき歌が響き渡る」と表示されています。が、これでは、前段は老人が余生を安らかに暮らしたいと述べているのかな、という印象は受けますが、後段は悲しい歌が云々ということで、両者のつながりがやや悪く、全体的に何を言いたいのかよく分からないように感じます。

その上で中国語を見ると「祭天下事」とあり、直訳すれば「余生はただ天下のことだけを祭りたい」ですが、この「祭」とは、日本のお祭り(現在の姿)と異なり、祭祀=亡くなった人を弔うことを指すはずです。

で、その上で作品を思い返すと、主人公は、崩御を公表できず、あるべき葬儀・埋葬などが全くできなかった献帝をきちんと弔いたい、ということを繰り返しヒロインに述べています。

中国人(とりわけ当時)が祭祀を非常に重視する文化であることも相俟って、その点は、本作ではストーリーの核となる重要な動線となっています。

よって、「唯有餘年祭天下事」とは、余生=曹操との対決を終えた後は、献帝を祭りたいという主人公の心情を表現したものでは?と読み取ることができます。

そのように考えれば、「悲歌 唱山河」も、主人公にとっての大切な人はもちろんのこと漢朝ないし世の混乱のため非業の最期を遂げた多くの人々の悲しみを歌いたい、という意味に理解できるはずです。

私はまだ最後まで本作を拝見していませんが、史実と真正面から反しないストーリーになるのであれば、終盤に深刻な悲劇が主人公を襲うはずで、この歌が主人公の晩年の心情を描いたのであれば、「祭=弔い」の対象は献帝だけに止まらないのかもしれません。

仮に、それと多少違う展開を辿ったとしても、この歌を、若くして才能を嘱望され漢朝復興の強い願いを抱きながら、繰り返し悲劇や辛酸に見舞われ失意のうちに世を去ったのかもしれない、本物の献帝の鎮魂歌と理解することもできるのではないかと思います。

また、主題歌は最後に「風落 帰人間」と歌って終わり、この「帰人間」とは、直訳すれば「人間に戻る」となるようですが、中華皇帝とは人ではない(龍の化身たる黄帝の承継者=それが皇帝の権威の源泉である)と理解されていますので、その点からも、この主題歌が献帝(主人公)のことを歌ったものであることが窺われると思われます。

この箇所は、日本語字幕では「人の世に生きる」と表示されており、善解すれば、ストレートな翻訳をするとストーリー(史実)を知らない日本人視聴者にネタバレになるので、ぼかした翻訳をしたのかな、と感じる面はあります。

というわけで、本物の歌詞(中国語歌詞)には以上に述べたテーマが潜んでいるのに日本語訳詞がそれを適切に伝えているように見えないことが、私が本作に不満を感じた唯一といってよい点ということになります。

で、ここからが三国志バカの暴走となりますが、上記のテーマに適った翻訳が日本人に伝わるのでなければ、本作ないし献帝が浮かばれないのではないか、と感じたので、私なりに以下でオリジナルの訳詞を載せることにしました。

ただ、私は中国語は勉強したことがなく、最低限の漢字しか分かりませんので(21年前、長江三峡や武漢などで辞書を片手に筆談したことはありますが・・)、Webの翻訳サイトのお力で少しだけ悪戦苦闘し、あとは意訳超訳の塊という感じです。

本作を実際にご覧になった(これから見てみたい)方はもちろん、三国志に関心のある方は何かの参考にしていただければ幸いです。

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(中国語の原文)

煮酒的火 還尚溫

多情 空餘恨 
夜話的燈 還撩人
長夢 遇遊魂

欲蓋彌彰 他鄉月光
荒涼 某個 眼眶
現世彷徨 陣陣風涼
沉淪了 多少個 星霜

少年之志欲留青史
亂世百年剩無名氏
唯有餘年祭天下事
悲歌 唱山河

少年之志不渝終始
亂世百年皆如赤子
但使餘年了清平願
風落 歸人間

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(オリジナル訳詞)

温くなった 燗酒のように
果たせぬ思いが 空しく漂う夜

微かな灯火が 私をいざない
黄泉のあなたに 夢でまみえる

されど、異郷の月光は 私を現実に戻し
眼前の荒涼を 否応なく見せつける

今はもう この心は 風の中を彷徨うだけ
大切な時間は 遠く過ぎ去ってしまったから

私は歴史に名を残そうと欲したけれど
乱世の果てに 名も無き者として生き残った

ゆえに、残された時間は
世のために散ったあなたを弔い
悲しい物語を 山河に歌い継ぐのだ

私の志は逆境に負けはしなかったけれど

乱世では誰もが 赤子のように無力だった

ゆえに、残された時間は
ただ世の安寧のみを願う

そして、役割を終えた私は
ただの人として、閑かに生涯を終えるのだ

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絶対的な権威を持ちながらも、何の権力も実力組織も持たず、天下の平和と万民の安寧のため僅かな同志と共に知恵と勇気を尽くし、時には苦渋の決断も受け入れる献帝(主人公)の姿は、現代日本人にとって、ある人物ないし存在に非常に近接して見えることは、少なからぬ方が感じたのではと思われます。

それは、中国人のほとんどにとって馴染みがなく(或いは、何らかの誤解をしていて)、逆に、日本人なら、ある意味、とても身近に感じる存在です。

どうして、日本には、その方がいて、中国にはいないのか。

どうして、日本人はその方(の一族)の物語を描くことがないのに、中国はこのような物語を描いたのか。

今度は、そのことについて、考えたことを少し書きたいと思っています。

(8.3追記 訳詞の冒頭を差し替えました)