北奥法律事務所

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著名人の不倫に伴う賠償問題への保険による損害填補に関する一考察

現在は新型肺炎騒動ですっかり下火になりましたが、先日まで人気俳優さんの不倫騒動の件で、改めて不倫という事象が世間の注目を浴びることになりました。

この事件自体には、職業柄その手の話は日常的に仕事で扱ってる(有名人にはご縁ありませんが)ということもあり、さほど関心はないのですが、「CM打ち切りで企業が事務所に賠償請求を予定」という報道もあり、普段扱っている仕事では出てこないようなカネの話については多少の関心があります。

この点、不貞に限らず薬物なども含め、有名人が不祥事を起こして降板等を余儀なくされて企業が巨額の賠償請求をするとか、金額があまりにも大きすぎて払えないんじゃないか、というニュースを最近はよく見かけるようになりました。

このような「本人の迂闊さが祟って巨額賠償」という事象で我々庶民がご縁がある話といえば、なんといっても交通事故であり、まともな社会人なら任意保険で備えをしているかと思いますし、近時は大企業の役員などが代表訴訟向け?の賠償責任保険に加入しているといった話もあります。

が、有名人(や被害企業)が「CM等打切に備えた賠償責任(被害填補)保険」に加入している(そのような保険商品が販売されている)という話は聞いたことがなく、もし社会内にそうしたものがなければ、いっそ、そのような保険を販売してもよいのでは?と思います(商品設計にはAIの助けが必要かもしれませんが)。

この場合、一般論として「不倫や薬物は故意行為だから保険の対象外(免責)だ」という議論があるかと思いますが、薬物はまだしも?不倫については、「犯罪じゃない」などと擁護する声があったり、発覚せずに逃げきる?ことができる方も沢山いるのかも(また、被害の程度は事案でまちまち)、ということで、多少なりとも保険に馴染むように思いますし、少なくとも、被害者側(企業側)については被害填補保険を希望する声はいくらでもあるのではと思います。

ただ、とりわけ賠償責任保険(不貞加害者自身が加入する保険)は、一定の自己負担(保険会社の免責額)が必要でしょうし、その額は一律ではなく保険会社が独自の調査や判断で設定するのが望ましいでしょうから、例えば、賠償額も実行リスクも大きい大物芸能人に対しては億単位の免責額が設定されたりするのではないかと思います。

結果として、不貞リスクのある有名人がこぞって保険加入すれば「自分たち(仲間うち?)でやらかした問題は、自分たちで責任をとる(ので、保険料減額のためにも問題行動自体をさせない)」という一種の相互扶助(と相互監視)の仕組みも期待できそうに思います(同じような話を産廃不法投棄の賠償問題で投稿したことがあります)。

ただ、加入する有名人や保険会社が設定した免責額のリストが流出するなどすれば、それはそれで大ニュースになってしまいそうですが・・

ところで、某先生がFBで「ニュースで大事になって加害配偶者(夫)や不貞相手(女性)に顕著な減収等が生じると結果として不貞被害者(妻)が慰謝料や養育費等を回収できないリスクが生じる」と指摘されていたのですが、そうであればこそ、CM等の企業や有名人に限らず、世間一般のために「ウチの配偶者にはその種のリスクがある」と感じる方のため「被害填補保険(交通事故の人身傷害補償保険と同じ)」を販売・加入してもよいのでは?と思ったりします。

もちろん、コレも保険会社の調査・判断で「あなたの夫は危険度が高いから保険料も高くなります」という、加入者にとってはゲンナリするような話が避けられないかもしれませんが。

ともあれ、賠償責任や被害填補保険による責任や被害への備えを行いつつ弁護士費用特約のような形で当業界への委任費用の負担を軽減する仕組みも構築していただければ、なおよいのではと思っています。

余談ながら、大河ドラマ「花燃ゆ」は最後を除いて(録画の強制消去被害に遭いました)見ていましたので、京都で「やらかしてしまった」久坂玄瑞と重なって見える面はありました。そうした意味(憑依??)では、俳優さんというのも恐ろしい職業なのかもしれません。

芥川賞受賞作「影裏」の映画試写会の感想と、現代に甦る三島文学の世界?(改)

昨日、芥川賞受賞作を原作とする大友啓史監督の映画「影裏」の完成披露試写会が盛岡市内で行われ、とある事情により招待券をいただいたので、拝見してきました。司会の方によれば、一般向けの試写会はこれが初めてとのことです。
https://eiri-movie.com/

冒頭に主演のお二人と監督のご挨拶もあり、ご本人達のオーラもさることながら、職人気質の優等生的な綾野氏と不思議ちゃんキャラの龍平氏が対照的というか、作品とも通じる面があり、興味深く感じました。

作品の説明は省略しますが、純文学そのものという印象の原作を忠実に映画化した作品という感があり、(見たことがありませんので何となくですが)昔でいうところの小津映画のような作品なのだろうと思います。

言い換えれば、ブンガクの世界に浸ることができる人には見応えがあり、そうでない人にはとっつきにくい面はあるかもしれません。

ただ、(ネタバレは避けますが)冒頭の主人公の自宅の描写(映像)にやや面食らうところがあり(作品のテーマを暗示しているわけですが)、綾野氏ファンの方や「筋肉体操の方々よりも細身の男の生々しいカラダが見たい」という方(おばちゃんとか?)にとっては、必見の作品ということになるかもしれません。

全くそうではない私のような者には冒頭は少ししんどいですが、目のやり場に困ったときは、カルバンクラインの文字だけご覧ください。

この作品では主人公が抱えた特殊な事情が重要なテーマになっていますが(原作を読む前からWEB上で散々見ていたせいか、初稿では自明の話と思ってストレートに書きましたが、同行者から「それこそネタバレだ」とクレームを受けましたので、一応伏せることとしました)、小説よりもその点が生々しく描かれているというか、主人公のキャラクターや振る舞いは、流行りのアルファベットよりも、その点について日本で昔から使われている言葉に馴染むような気がしました。

と同時に、もう一つの軸は、震災というより、相方である龍平氏演じる男性の特異なキャラと生き様であり、それを一言で表現すれば、「虚無(又は滅びへの憧憬ないし回帰)」ということになるかと思われます(この点も書きたいことは山ほどありますが、一旦差し控えます)。

で、それらのテーマからは、かの三島由紀夫が思い浮かぶわけで、小説版ではその点を意識しませんでしたが(そもそも、私は三島作品を読んだことがほとんどありません)、映画の方が「三島文学ちっく」なものを感じました。

とりわけ、本作が「主人公たちが無邪気に楽しむ岩手の自然や街並みの風景」を美しく描くことにこだわっているだけに、「文学的な美」という観点も含めて、この映画は、意図的かそうでないか存じませんが、「生きにくさを抱えた美しいものたちと、それらが交錯する中で生まれる何か」といった?三島文学的な世界観を表現しようとしているのではないかと思う面はありました。

もちろん、「若者は、本当に好きな人とは結ばれず、折り合いがつく相手と一緒になるだけ」というオーソドックスな(ありふれた?)恋愛映画との見方も成り立つでしょうから、そうした感覚で気軽に楽しんでもよいのではと思います。

私は昨年に原作を読みましたので、原作との細かい異同を垣間見ながら拝見しましたが、同行者は全く原作を読んでおらず、「一回で理解しようとすると疲れる映画」と評していました。この御仁が「ここはカットしても(した方が)よい」と述べたシーンが幾つかあり、それが悉く原作にはない映画オリジナルのシーンでしたので、その点は、同行者の感性を含めて興味をそそられました。

個人的に1点だけ不満を感じた点を述べるとすれば、龍平氏(日浅)にとってのクライマックスシーンで、「あれ」を全面的に描かないのは、ストーリーの性質上やむを得ないとは思うのですが、できれば、直前ギリギリまで、言い換えれば、引き波が姿を現す光景までは、主人公の想像という形で構わないので、描いて欲しかったと思いました。

原作には、主人公が、日浅の根底にあるメンタリティ(倒木の場面で交わされた言葉と思索)を根拠に、日浅は「その瞬間を自らの目で見たいと思うはずだ」と語り、その瞬間を目にした(直に接したのかもしれない)日浅が浮かべたであろう恍惚の表情を想像したシーンがあったと記憶しています。

私は、巨大な虚無を抱えた日浅が圧倒的な光景の前で恍惚の表情を浮かべる光景(そこには虚無の救済という三島文学論で語られていたテーマが潜んでいるはずです)こそが本作のクライマックスではないかと思っていましたので、その点が映画の中でストレートに描かれていないように感じたことには、映像化に難しい面があるのだとしても、少し残念に思いました(日浅の思想自体は、映画のオリジナルシーンで、ある人物が代弁しています)。

とはいえ、「性的な面が意識的に描かれる主人公と、全く性の臭いを感じない日浅」という点も含め、作品全体を通じて不穏・不調和な雰囲気が漂う本作は、通常の社会内では品行方正に生きているのであろう主人公が抱えた「本当はこの社会が自分には居心地の悪い世界だということ」、そして、主人公にとっての平穏ないし救いもまた、社会の側(映画を見る側の多数派)にとって、どこか居心地が悪く感じるものなのだろうということを、主人公のコインの裏側のような存在であるもう一人の人物(本当は社会と不調和を起こしている主人公の代弁者のような役割を担っているように見えます)にとってのそれも含めて映像として描いている作品であることは間違いなく、大人向けの純文学の映画としては、十分に見応えがあるのではないかと思います。

ちなみに、この映画は、とある理由で、中央大学法学部のご出身の方には、ぜひご覧いただきたいと思っています。そして、この大学(学部)のカラーが「やるべきことを地味に地道に積み上げて、あるべき場所に辿り着く職人」だということを知っている人には、この映画のあるシーンを見たとき、敢えてウチの看板が使われたことの記号的意味に想像を巡らせながら、苦笑せざるを得ないものを感じるのではと思います。

原作では、大学名が出ず法学部政治学科とだけ書かれていましたが(映画では学科の表示があったか覚えていません)、それだけに、中央大学法学部政治学科卒で、しかも心に何らかの虚無を抱えて生きるのを余儀なくされている?ホンモノの岩手人としては、余計なことをあれこれ考えさせられる面があったように思います。

あと、せっかくなので、ご覧になる際は、エンドロールを最後の方まで目を凝らしてご覧くださいね、というのが当事務所からのお願いです。

余談ながら、試写会なるものに参加したのは初めてですが、終了時に関係者の方から「これで終了です。ご来場ありがとうございました」のアナウンスがあった方がよいのでは?と思いました(終了後も何かあるのか、そうでないのか分からず、帰って良いかそうでないのか判別しかねますし、試写会なので、最後に関係者の一言で皆で拍手する?といったやりとりもあった方がよいでしょうから)。

最後に、私の密かな野望である「大戦の戦渦からシンガポール植物園等を救った田中舘秀三教授の物語」の映画化は、いつになったら実現できるのやらという有様ですが、大きな代償と引き換えに?、某プロデューサーさんによれば、企画案自体は監督にも伝わったとのことです。願わくば、「男達の熱い物語」の作り手として現代日本に並ぶ者がないであろう大友監督の作品として、いつか世に出る日が来ればと、今も岩手の片隅で願っています。

環境マネジメントシステムと田舎者の違和感

半年ほど前の話になりますが、「全国弁護士会・環境マネジメントシステム・サミット」なる会合が東京で行われ、私も岩手弁護士会の担当者?として参加してきました。

これは、環境問題に熱心に取り組んでいる全国の幾つかの弁護士会が、自会の活動報告をしたり、環境省のご担当などを交えて活動のあり方などを協議することを目的とした会合で、主に、「エコアクション21」の審査を受けて正式にKES(環境マネジメントシステム)を導入している弁護士会(と日弁連)が対象となっているものです。

そのため、KESの(相応に大変らしい)手続や事務作業に耐えうる規模の弁護士会が対象ということで、日本第二位の広さなのに会員規模は全国最小クラスである岩手弁護士会は、(よほど酔狂な人や特殊なカリスマでもいない限り?)導入できるはずもなく、私の知る限り、会内で導入が議論されたこともありません(というか、私以外にKESを知っている人もいないのかもしれません)。

というわけで、私もさしたる関わりはなく、「意識高い系?の弁護士会の取組を拝見した」程度の参加に止まったというのが正直なところです。

会合では、最初に環境省の方の講義や国内でKESの普及実務などに携わっている財団法人の方の講義等がなされた後、幾つかの弁護士会の取組の報告と意見交換、という形で進みました。

その際、熱心に取り組んでいる主要な(大規模な)弁護士会の方々から、省エネなどに取り組んで相応の成果は挙げ、内部でやるべきことはそれなりに尽くした感がある反面、それを対外的な影響力としてつなげる(地域内の様々な企業・団体などとつながりを持つなど)ことができていない、という話が出ていました。

これに対し、財団法人の方から「金融機関は、割と熱心にKESに取り組んでいるようだ」とのコメントがあったのですが、それを聞いた瞬間、金融機関なら、KESを「取引先の情報収集のネタ」として活用するインセンティヴがあるのかもしれない、と思いました。

すなわち、金融機関は、多額の融資をしている(または行う予定の)貸付先企業の経営の健全性(利息収入と元本返済の見通し)に強い利害関心があり、当該企業の経営に関する様々な情報を欲しているはず(そうあるべき)です。

ただ、「貴方(貴社)との融資取引を続けて大丈夫か心配なので、調査や確認のため会社の様々な内部情報を教えて欲しい」と露骨に伝えるのが憚られる場合に、経営調査の口実?として「KESの導入支援です」と伝えて了解を得ることができれば、表向きはKESらしい?環境配慮云々の話をしつつ、それと並行して、その会社(融資先)の運営状況を調査・確認し、「この点も改善を要するのでは?」と申し入れることができるのではないかと思います。

そのような観点で見れば、弁護士もKES(導入支援或いは意見交換など)を入口(突破口)として企業法務などの業務の受注(各種法的リスク調査とその対応支援など)につなげることも可能なのでは・・と思わないではありません。

ただ、KES(エコアクション21)の登録や保持には少なからぬ事務負担があるとのことで、当事務所はもちろん岩手弁護士会のような小規模な組織では、よほどの熱意がない限り、厳しい面があるかもしれません。

現に、今回の「サミット」でも、東京の三弁護士会や京都、福岡など比較的、規模の大きい(沢山の人員を抱えた)弁護士会が主に取り組んでいるとのことでしたが、田舎者の目線で見ると、「環境保護」に関するテーマについて、「環境という利益」の消費者というべき大都市圏の方々ばかりが熱心に取り組み、地方=生産サイドの弁護士(会)がさほど関わっていないという光景そのものに、少し違和感というか残念な感じもしました。

震災(原発事故)をはじめ、全国で生じた様々な残念な光景に接するたび、日比谷公園に、原発被曝廃棄物(汚染廃棄物)や各地の不法投棄事件で埋設された廃棄物を積み上げて「私たちのせいでこうなりました」とでも書いた看板を立てればと思わずにはいられないときもありますが、都会の方々には、省エネなどに限らず、地方に「都会のエゴによる負の遺産を押しつけない」ことに強く結びつくような取り組みを、実際に生じた光景を直視した上で進めていただければと思っています。

令和2年の年頭のご挨拶

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年も、地域の中小企業や個人の方々の様々な法的問題の対処、解決に従事しましたが、相応の規模の企業の倒産により様々な作業や法的検討を必要とした破産管財事件を数年かけて概ね決着させたり、家事事件や労働事件など、当事者の人的関係の深刻な破綻に伴い激しい対立が生じた事案で、苦心の末に良好又は穏当な成果を挙げることができた受任事件が幾つもありました。

本年も、交通事故や家庭内の問題、債務整理など日常的に取り扱う類型のほか、企業譲渡(事業承継)を巡り様々な問題が生じて深刻な紛争に陥った訴訟など争点が多岐に亘り当事者の対立も激しい事件まで、引き続き多様な業務に取り組んで参りますが、個々の受任事件に懸命に取り組むことなどを通じて、ささやかながらも社会のお役に立てればと願っております。

皆様におかれましても、変わらぬご愛顧のほどお願い申し上げます。

ところで、年末にボリュームの大きい案件の処理に多数追われた上、新件のご依頼やご相談も多数いただいたことなどから、年賀状の作成が期限(年末の強制終了)に間に合わず、恥ずかしながら、数年ぶりに年明けに投函することになりました。

顧問先の方々をはじめ年賀状をお送りすべき皆様には年始早々から失礼してしまい恐縮ですが、ご容赦のほどお願いいたします。

反面、惰性で形だけお送りしているに過ぎないのではと感じる送付先もあり、その点に関する適切な対処も考えなければならないと思っています。

年末年始にかけて三島由紀夫について論じた本を読んだため、「壮大な虚無を感じつつ、それに抗うこと」について多少とも考えさせられましたが、時代の変化に応じて都度、取捨選択を悩みつつ、今、活かすべきものが何であるか、今年も考え続けていきたいと思います。

教員によるいじめ事件について、住民が懲戒免職を求める訴訟をすることができるか

先般から神戸市内の小学校で教員間の深刻ないじめがあったとの報道がなされており、台風禍やラグビーなどと並んで全国のご家庭の関心を集めているのではと思われます。

当初から世間の注目を集めていましたが、その後、悪質な行為の様子が映像で流れたり、被害者(たる教員の方)が被害届を提出したとか神戸市が給与差止の条例を制定・施行した等の報道もあり、どのような形で事件が収束するのか、まだ予断を許さない状況が続いています。

事件が報道された最初の時点で、私がもし兵庫県の教育委員であれば、事実経過の調査確認と共に、懲戒免職や退職勧奨(最低でも?停職処分)が可能か(また、懲戒免職・停職をした場合に対象教員から処分取消請求訴訟を提起された場合の勝敗の見通し)などを検討するのではと思いました。

が、その種の訴訟に経験がないので(判例地方自治などでチラ見だけはしていますが)、直ちに勝敗の見通しを聞かれても、なかなか即答は難しいです。

自作のささやかなデータベースを確認したところ、教員絡みの裁判例としては、①女生徒に悪質なセクハラを繰り返して懲戒免職→取消請求が敗訴(処分維持)、②女生徒に甘ったれメールを大量送信し懲戒免職→停職相当として免職取消、といったものなどがありましたが、「同僚へのいじめで教員を懲戒処分」という例は、チラ見限りでは確認できませんでした。

但し、民間企業ではそのような例は相応にあるでしょうし、かくいう私自身が、それに類する訴訟を手がけて大変な思いをしていたりもします。

他方で、仮に、教育委員会が停職未満の「寛大な処分」に止めた場合、全国の「けしからん族」の皆さんには、大変不満が残るところではと思われます。

このような場合、怒りに燃える?兵庫県民の方が「教育委員会は、いじめ教員を懲戒免職すべき法的義務がある、それを果たさないのなら、俺がやる!」と言って、義務付け訴訟(行政事件訴訟法3条6項)により、自ら教育委員会を被告として訴訟提起することもありうるかもしれません。

県民というだけでは門前払いされそうですが、当該学校に児童が通学中のご家庭であれば、当事者適格が認められる可能性はありそうな気はします(転勤になればどうか云々や、本案以前に非申請型訴訟の訴訟要件を満たすのかなどの点はさておき)。

まあ、そこまでやるかという感じはあるでしょうが、仮に「全国の同じ憤りを感じている皆さん、私が頑張りますので、訴訟費用の援助をよろしく」とクラウドファウンディングを実施する人が登場すれば、多少は資金が集まりそうな気がしないでもありません。

他方、教員の方々も、そうしたリスクもありうるということで、仮に本案審理がなされる展開にでもなれば、保険会社が訴訟費用保険を用意し、それに加入して当該訴訟に補助参加するなどということもあってよいと思います。

なんだか醜いバトルロイヤルのようだ、などと言われるかもしれませんが、こうしたこともまた「教育現場のあり方を、役人(お偉いさん)任せにせず、住民(国民)が自ら動いて作り上げていく」という住民自治・国民主権のあるべき姿だという議論もあってよいかもしれません。

少なくとも、光景としては「原発事故で東電役員を不起訴処分としたのに不満を抱く被害者ひいては国民世論を踏まえて検察審査会が強制起訴を選択し、刑事裁判が行われる」姿に、多少は?類する面がありそうな気もしますし、この議論は「行政が適切な行政措置を講じない場合に住民等がどこまで関与(参画)できるか」という問題に広く当てはまるものとして、関心を持っていただいてもよいのではと思います。

まあ、「お前は単に弁護士の仕事を増やしたいだけだろう」とお叱りを受けそうではありますが・・

新天皇陛下のご即位と万歳三唱の現在

先日皇居で行われた即位礼正殿の儀は、私もTV中継を拝見していましたが、ある方が「万歳三唱に少し違和感がある。それよりは君が代を歌った方がまだよいのでは」と仰ったのを機に、あれこれ考えが頭をよぎりました。

私の場合、儀式内容そのものに特段意見があるというわけではないのですが、TVのコメント等で「高御座は古代から用いられていた」とか「平安絵巻云々の装束等」の説明ばかりが繰り返されているのを見ると、「おことばも総理の寿詩も万歳三唱も、幾ら何でも当時は無いでしょ(明治以前に太政大臣が祝辞を述べたなんて話があるのでしょうか?)、そちらの方(大日本帝国が始めたことや個々の行為の由来や意義など)や平安朝~明治までの話には、どうして触れないんですか(TVで扱えない理由でもあるんですか)」と、その点ばかり気になって、後で少し調べていました。

恥ずかしながら、万歳三唱の由来も存じなかったのですが、wikiによれば、もともと中華皇帝の寿命を「万歳(1万年)」と称したのが言葉の発祥で、日本では大日本帝国の草創期に練兵場で軍人が明治天皇に向かって歓呼したのがきっかけとなり、それまで天皇に対し群衆が歓呼する言葉(様式)がなかったため、明治政府の検討を経て定着したのだそうです。

で、万歳(三唱の歓呼)とは「天皇陛下の健康と長寿を(臣下が)祈念すること」とのことですので、括弧内の部分はさておき、(本質的には古代から中世、現代に至るまで)日本国統合の象徴的権威であり続けた天皇の役割に照らし、国民が万歳三唱をする(弥栄を言祝ぐ)こと自体が、直ちに間違っているという印象はありません(但し、天皇と中華皇帝は役割・本質が全く異なるため、その点はどうかとは思いますが)。

ただ、それでも「天皇陛下を人民(の代表たる総理)が仰いで万歳三唱する光景」に一定の違和感が生じざるを得ない(複雑な気持ちを抱く人がいる)のは、やはり15年戦争(大東亜戦争=日中・太平洋戦争)の出征風景やバンザイ突撃に象徴される、全体主義的な(「みんなの都合」で個人や他者に理不尽な犠牲を強いた挙げ句に敗亡した)悲惨で暗い時代の記憶が、今も国民に共有されているからなのだと思います。

言い換えれば、万歳三唱という言葉・儀式ないし意味自体に罪はないものの、あまりにも残念な使われ方をされてしまったため、「ケチがついた」と言わざるを得ない面があるのではと感じています。

万歳三唱は、平成(上皇)の即位式でも行われましたが、昭和は戦前も戦後も(たぶん右も左も)、良くも悪くも集団主義(悪く言えば全体主義)の時代ですから、その総括がなされていない状況で、海部首相が万歳三唱をすることに違和感を呈する人は、(反政府ないし反自民など、一定の立場のある方を別とすれば)あまりいなかった(そのような声は、戦争の記憶がまだ色濃く残っていた割に、ほとんど出なかった)のではと思います。

これに対し、平成は(個人主義とまで言うかは別として)良くも悪くも集団主義が解体されていった時代なので、それなのにまだ万歳三唱なのか(今もそれしかないのか)、と違和感(時代遅れ感?)を感じた国民は、少なくとも平成元年よりは多くいたのではないか、というのが私の印象でした。

私は万歳三唱の間の今上陛下の表情をずっと拝見していましたが、その際の表情は、TV解説者がしきりに強調していた「自然体」というよりは、ある種のぎこちなさというか、硬いものであった(少なくとも、万歳三唱されて喜んでいるという様子ではなかった)ように感じましたし、それが「重責を担う緊張感によるものだ(に過ぎない)」という理解だけで良いのか、「国民一人一人の喜怒哀楽に寄り添う」ことを象徴のつとめとして掲げた平成・令和の両天皇の姿勢などを踏まえて色々と考えさせられる面があったように思います。

そうであればこそ、昭和の時代はまだしも、平成の30年間(或いはこの1年間)に「次も万歳のままでいいのか、天皇制を言祝ぐ、ケチのつかない別な言葉(儀式)を考えるべきでは」という議論があって良かったのかもしれません。

それこそ、現在の即位式のあり方に批判的な左派勢力などから即位式のスタイルに関する新たな提案があっても(そうした形で議論の先鞭を付けても)良かったと思いますが、政治関係者がこのテーマで世論喚起するのは難しいでしょうから、いっそ社会派志向のあるお笑い芸人とか文化人の方々などが、万歳三唱に代わる現代の=新天皇に相応しい別な言葉(儀式)を考える試みなどがあってよいのではと思ったりもしました。

また、本当は、こうしたこともTVでは議論されるべきでしょうから、一局くらいは、せめて儀式の直後にでもそうした朝生的な討論番組を行ってもよいのでは、とも思ったりしました。

ともあれ、こうした儀式を拝見すると、改めて、天皇は現在もなお神の依代としての役割を期待されている(国家・国民により担わされている)のだろうと、その重責に対し、ある意味、気の毒に感じます。

見方によっては、天皇もまた、万歳のかけ声と共に、理不尽な役割を強いられている存在なのかもしれませんし、陛下の表情は「今も(社会統合のため)現人神(依代)を必要とし続けることに、皆さんは本当にいいのですか?」と語っていると解釈する余地もあるのかもしれません。

そして、そうした感想と共に、この制度(いわゆる国体)の数十年、数百年後の姿について色々と考えさせられたという点で、TV特番を拝見したこと自体は大いに意義があったと思います。

木伏緑地の華々しい新装開店と、歴史の彼方に消えた?先人達の魂

先日、所用のついでに、先日に全面改装された北上河畔にある「木伏緑地」に立ち寄ってきました。

木伏緑地は以前から小さな公園(後記参照)でしたが、Park-PFIという手法により、多数の民間店舗を公園内で営業させ、その営業利益を元手に公園の整備を行ったのだそうで、オープン時に盛んに報道されたとおり、横浜ベイエリアあたりから飛び出てきたようなお洒落な飲食店が立ち並び、江戸期(京文化移植)以来、都会が大好きな盛岡市民の方々には好評を得ているようです。

が、これから寒くなる一方なので、紺屋町あたりにありそうな、イケてないおじさんなども気軽に立ち寄れる「おでんと熱燗のお店」も配置した方がよいのでは、と余計なことも思ったりしました。

ところで、この界隈(緑地)の北側には「谷藤翁顕彰碑」なるものが建立されています。谷藤翁といっても現職の盛岡市長さんではありませんが、谷藤市長の直系のご先祖さんであることは間違いないはずです。

碑文によれば、明治の初期に盛岡駅が開設された際、当時は夕顔瀬橋以南に道路がなく、北側の往来は「盛岡駅→開運橋→材木町→夕顔瀬橋」という迂回を強いられるなどしていたため、盛岡駅北面の大地主で実業家でもある谷藤家の当主が、私費を投じて盛岡駅(開運橋西袂?)から夕顔瀬橋までの道路を開設したので、それを顕彰するのだと書いてありました。

そして、その際、その道路が「木伏街道」と呼ばれたのだそうで、これが木伏緑地の名称のもとになったようです。

この「木伏」という字、これまで、てっきり「きぶせ」だと思っており、今回初めて「きっぷし」という呼び方だと知ったのですが、聞いた瞬間、それってアイヌ語由来なのでは、と思って調べたところ、やっぱりそうだ(そして、このエリアの元々の地名だった)ということが分かりました(下記引用の「もりおか歴史散歩」の記事を参照)。
https://blogs.yahoo.co.jp/fiwayama/12270884.html

余談ながら、FB上で「盛岡駅に勤務する人達が住んでいたから、切符士が転じて木伏になったと聞いた」と投稿されている方を見かけたのですが、「切符士」で検索しても、そのような言葉自体が出ませんでしたので、恐らくは噂話の類かと思われます。

ともあれ「木伏緑地」なる名称を誰が付けたのか分かりませんが、アイヌ語(きっぷし)と漢語(りょくち)の相性が良くないというか、実に言いにくい(音のつながりが悪い)ので「きぶせ(りょくち)」に読み替えた方が楽だというのが正直なところではあります。

が、盛岡市内にはアイヌ語=古代からの地名がほとんど残存していないので「きっぷし」なる地名は貴重で、味気ない「緑地」の方を他の言葉に代えるべきと思われます。

「きっぷしひろば」など、和語とくっつけるのが手っ取り早そうですが、広場などというありふれた言葉では有り難みがないので、いっそ、アイヌ語で、この場所に相応しい名称(河畔の台地にあたるような言葉)があれば、それを拝借するのが良いのでは、と思ったりします。

wikiによれば小さな集落をアイヌ語で「ポンコタン」というのだそうで、例えば「キップシ・ポンコタン」などと改名?するのも良いかもしれません。

ところで、この場所は少し前まで「啄木であい道」と称され啄木とその関係者の歌碑群が設置されていましたが(引用サイト等を参照。検索すれば同種記事は多数出てきます)、現在それらは全て姿を消しているようで、「であい道」の面影は全くありません。
http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/takudeaimiti.html?fbclid=IwAR0FsQP_DkO4L3Nxe3G09ugrEQ_E-Uw1kZCOSF8GJCkyi9NZYXIKEhSfJaU

歌碑群はどこかに移設されたのか、それとも無残に廃棄されてしまったとでもいうのか、少し検索した限りでは該当記事が見つからず全く分かりませんが、これを撤去したのは、早計だったのではと感じます。

というのは、「緑地」の飲食店群はそれなりに「都会のオサレ感」が満載ではあるものの、その周囲には、悠々と流れる北上川や少し離れて望む開運橋などを別とすれば、殺伐というか、お店しかオサレ感を出すものがなく、芸術云々など他のオサレ装置がない(言い換えれば、空間全体のオサレ設計が足りない)ため、オサレ感目当てに来た人にとっては物足りないというか、実に寂しい感じがします。

例えば、飲食店群が並んでいる通り(緑地の本体)の下にある河川敷の草原部分に、それら石碑をセンスよく再配置(移設)すれば、階段を降りて歌碑を見に行かなくとも、店舗群(丘の上)から歌碑群を見てオサレ感を相応に満足させることができるのではないか(ちょっとした石碑公園=プチ石神の丘感が出るのでは)という感じがします。

もちろん、(増水時を別とすれば)時間のある人はついでに降りて歌碑群を見に行けばよいでしょうし、岩手公園まで行かなくとも、北を眺めさえすれば「ふるさとの山に向かいて言うこと無し」と勝手に呟いても様になりますので「ここでしか得られないナッタ鬼感」を味わえるのではと思われます。

さらに言えば、この草原(河川敷)部分は夜間は真っ暗ですので、土日など盛況の際はLEDで歌碑群や川面などを照らせば、夜も華やかな雰囲気が多少は出るのではと思います。

啄木であい道は、盛岡市内(中心部)には、啄木新婚の家(と盛岡城の歌碑)しか啄木遺産(ゆかりの場所)がないという点を踏まえて、住民と来訪者に「啄木ワールドをもっと伝えたい」との思いで作られたのではないかと思われます。

それだけに、緑地がオサレ改装すること自体には何の異議もないものの、「啄木であい道」の姿を抹殺してしまうことには疑問を感じざるを得ません。

啄木であれ、さらに古い先人達であれ、その息づかいを何らかの形で残しておくことが今回の改装の際に留意されるべきではなかったか(それが十分になさず、都会的なものの移植に止まっていることが、上記の「物足りなさ」の背景にあるのでは)などと感じないこともありません。

もし、今も歌碑が残っている(どこかに保管されている)のであれば、そのような「歌碑の生かし方」を関係者の方々には考えていただきたいところです。

英国首相とよく似た、広島の知られざる?大物弁護士

EU離脱の是非を巡って物議を醸している英国のジョンソン首相については、風貌などが何かと話題になると共に、率直な?キャラクターが人気を博しているようです。
https://www.asahi.com/articles/ASM9C4H4RM9CUHBI01Q.html

大学の同期で受験生仲間、しかも同じ年に合格した上に司法研修所のクラスまで同じ、という男が広島で弁護士をしているのですが、奴は、

「髪はボサボサ、いつも何か面白いことを言ってやろうと狙ってるお調子者で、クラスの人気者。孤高な一面もないわけではないが、気さくで話しやすく、服装や髪形には無頓着で憎めない。頭も育ちもそれなりに良く、案外、色々なことを考えたり蠢動したりもする(が、それをあまり生かし切れていない)」

という御仁で、その点でジョンソン首相によく似ているような気がします。

大卒(浪人)1年目か2年目のS法会の夏合宿の際、次のような「忍者ハットリくんの歌」の替え歌(歌詞)を彼のテーマソングとして作ったのですが、それが私の記念すべき?替え歌第1号だったりします(○○部分は彼の名前がそのまま入るので、さすがに伏せました)。

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山を飛び 谷を越え
S法会へ やってきた
○○○○○ やってきた

怪しいまなこに 減らず口
ボサボサあたまに 中国人民帽

目もあてられぬ 屁理屈で
ボールが投げられストライク

おさる おさるだ ○○○○○
味方か敵か シンタでござる シンタでござる

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もっと世に出て来て欲しい(それに値する)男なのですが、ネットで検索すると、商売っ気のない事務所サイトと地元での幾つかの仕事ぶりなど限られた情報しか表示されず、少し残念に思っています。

ぜひ、地元の方々は彼を表舞台に引きずり出していただければと思いますが、案外、フィクサーとして暗躍しているのかもしれません。

もしかすると、朝寝坊癖がまだ尾を引いているのかもしれませんが・・・

おっと、「それはお前のことだろう」と仰る方々が岩手弁護士会方面などから来たようです。

ご近所の「ゴミ屋敷」に困り果てる方のための法的手段

かなり前の話ですが、朝のワイドショーで「愛知県豊橋市の市街地で、所有地上にゴミを放置している人がいて隣接企業や周辺住民が迷惑しているのに行政が何も対処してくれず、役所担当者は『ゴミ屋敷条例がないから無理だ』と回答するのみとなっている」という事例の紹介がなされていました。

事案の詳細は存じませんが、自己の所有地であっても、社会通念に照らし著しく不適切なゴミの放置をして周囲に迷惑をかけているのであれば、不法投棄ないしそれに準ずる行為(措置命令等の対象となる行為)に当たることは間違いありません(数十年前に産廃について散々に議論されたことですが、一般廃棄物にも当然にあてはまるべきものです)。

よって、行政は投棄者(放置者)に対し、屋敷条例云々がなくともゴミの撤去を命令することができ(廃掃法19条の4。措置命令)、投棄者がこれを行う資力がない場合であっても、自ら撤去(代執行)し、投棄者に費用の支払を求めることも可能です(同19条の7)。

土地所有者が投棄しているのであれば、当該土地を競売して回収することもできないわけではありません(銀行等の担保権があれば難しいでしょうが)。

一般的には、この件であれば、隣接企業や周辺住民は、放置者に対し、自身の権利侵害を理由に撤去等を求めることが可能でしょうし、豊橋市に対し、行政事件訴訟法に基づき措置命令の義務付け訴訟(と仮の義務付け申立)や代執行を余儀なくされた場合の放置者(所有者?)に対する費用求償の義務付け訴訟を起こすことができるはずです。

そして、これらは決して難解な法律論ではなく、一定以上の知見のある弁護士ならスラスラと言えるはずのことですので(現に、グーグル検索すると、弁護士の方が作成した文章が散見されます)、それを紹介ないし検討するところまで踏み込んだ放送内容にしていただければと思わずにいられませんでした。

もちろん、こうした問題に自治体(市町村)の腰が重いことは間違いないのでしょうから、自治体を現実に動かすという点からは、条例が設けられた方が望ましいことは間違いなく、法改正なども含め、未制定の自治体の住民の方は、関心をもって働きかけを行っていただければと思います(というか、盛岡市もゴミ屋敷条例は未制定でしょうから、私自身が、そうした努力をすべきなのでしょうが・・)

ともあれ、昨年から日弁連公害対策環境保全委員会・廃棄物部会長(名ばかり部会長なので、実態は雑用係)を拝命していますが(任期は来年5月まで)、本業では廃棄物処理法の知見を生かす機会に全く恵まれず、どうしたものやらです。

多世代交流と家庭の葛藤を通じて学ぶリーガルマインド

もう終わってしまいましたが、夏休みにはご自身の実家に帰省し、三世代や四世代が揃って楽しい時間を過ごされた方も多かろうと思います。

私自身は父が実家の承継者のため帰省にはあまり縁がありませんでしたが、中学1年の冬まで曾祖母が存命で(享年99歳と聞いています)、最期まで自宅で暮らしていましたので、当時のことは相応に覚えています。

曾祖母は私の出生直後(当時90歳)に大怪我をして歩行不能になり寝たきりを余儀なくされたのですが、私の実家は曾祖父母が商人として人並み外れた努力をして作り上げた家なのだそうで、「二戸では相応の規模の商家」の象徴的存在として、地域の多くの方から敬われていました。

私が幼稚園か小学1~2年くらいの頃、ある程度は意思疎通が可能であった曾祖母は、私と兄(3歳上)をベッドの枕元に呼びつけることがしばしばありました。

その際は、私が隣室で待つように言われ、枕元には兄だけが立ち、曾祖母は「立派な人になりなさい」的な話(当時の兄談)を数分ほど何やらムニャムニャ宣った後、兄が小遣いを渡され、次いで、私が呼ばれて小遣いを渡される、というのがお決まりの光景でした。

小遣いは100円程度で、金額に違いがあったかは記憶にありません(たぶん、同じ額だったとは思います)。

ともあれ、私はこの「儀式」が子供心にあまり好きではありませんでした。言わずもがなですが、自分が差別されているように感じたからです。

裏を返せば、幼年期の私は、誰のどんな教育によるものかは分かりませんが「兄弟だろうと誰であろうと天地に人の上下無し」的な感覚(戦後民主主義思想?)を多少なりとも持っていたのだろうと思います。

ですので、幼い私一人だけが、家族はもちろん多くの方々に立派な人格者として尊敬されていた曾祖母を、若干のわだかまりを抱きながら、誰にも言うことなく小さく見つめていたような気がします。

で、何のためにこの話を書いたかと言えば、もちろん、曾祖母ないし実家の悪口を書きたかったわけではありません。

司法試験受験生(大学及び浪人)時代が典型ですが、私は実家から強い経済的庇護を受けて育っており、正直なところ司法試験に合格したその瞬間まで、ただの一度も「金に困った」経験をしたことがありません(後日、修習末期にペルー旅行で生活費を使い果たして本当に困ったことが一度だけありますが・・)。

ボーイスカウトや学習塾、域外の高校進学なども含め、二戸という片田舎で生まれた少年としては、かなり恵まれた育ち方をしたことは間違いないと言ってよいと思います。

但し、物心ついたときから「貴方と兄とでは役割や立場が全く違う、貴方は家から出て行かなければならない人間である」ということは、陰に陽に強く言われており、経済的庇護も、そのことと不可分一体のものだろうと感じて生きてきました。

ですので、感謝したくてもしきれない、わだかまりのようなものを絶えず抱いていたような気もします。

そして、曾祖母の件でも述べたとおり、そうした実家の論理に一定の合理性や必要やむを得ない事情を感じつつも、他方で、それと異なる論理(正義)も自分にはかけがえのないものとして感じており、その「相対立する二つの正義」に揺さぶられ、時に戸惑いながら育ってきたのだろうと思っています。

私は大学で憲法の勉強をはじめて間もなく、その年に司法試験に合格された非常に優秀な先輩に「憲法学とは、相対立する二つの正義について、どちらかが一方的に正しい、間違っているというのではなく、双方ともかけがえのないものだという前提に立って、現実に即した調和点を探る学問である」という趣旨のことを教わりました。

もとより、離婚訴訟であれ企業間紛争などの類であれ、多くの事件が「正義と悪の対決(悪い相手方を懲らしめろ、やっつけろ)」ではなく、互いに相応の正義(事情)があり、また、程度や濃淡の差はあれ互いに残念な事情も抱えており、それらを全て見据えた上で、自身の立場を踏まえつつも落としどころを探るのが望ましい仕事のあり方である、ということは、皆さんもご存知のところかと思います。

そのように考えれば、期せずして、私は弁護士としての適性を育みやすい環境にあった(広義の教育を受けた)ということも言えるのかもしれません。

果たして今、自分がそうした「いつかは深く考えることができるかもしれない環境」を次世代に提供できているのか、大変心許ないところではありますが、皆さんにおかれても、そうした観点も含めて、帰省或いは多世代交流の意義などというものを考えていただければ幸いに思っています。