北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

〒020-0021 岩手県盛岡市中央通3-17-7 北星ビル3F

TEL.019-621-1771

ブログ
弁護士小保内義和のブログです。

ブログ一覧

二戸に残された西郷隆盛?の写真と歴史の彼方に消えた弁護士のルーツ

以下は6年前に旧ブログに投稿した記事ですが、今年の大河ドラマ主人公が西郷隆盛とのことで、便乗目当て?で再掲することにしました。

***********

以前、日本中世史の研究で有名な網野善彦氏の「日本の歴史をよみなおす(全)」を読んだことがあります。

学生時代に浅羽通明氏の「ニセ学生マニュアル」を読んでいたので網野史学なるものに昔から関心はありましたが、なかなか手が出ず、ようやく最初の1冊という体たらくです。読みながら色々なことを考えてはすぐに忘れてしまうのですが、少し考えたことを書いてみようと思います。

230頁あたりに、奥能登で江戸時代に大きな力を持っていた「時国家」という豪農兼商家のことが取り上げられており、その一族は、かつては農業経営者(豪農)として考えられていたが、実際には農業よりも日本海ルートの交易事業を中心に、製塩・製炭・山林・金融など当時の日本で行われていた様々な産業に携わっていた「地方の大物実業家(多角経営者)」として捉える方が正しいことが分かった、という趣旨の記載があります。

そして、それが決して例外的なものでないとの説明を踏まえ、「以前の歴史学は、江戸時代を農業(食料生産)中心に捉え、農業以外の事業に従事する人々の役割を過小評価していたが、実際は他の産業も盛んであり、そうした産業に従事した人々が社会や文化の維持・形成に果たした役割を再評価すべきだ」という趣旨のことが論じられています。

網野史学は、商業、金融、芸能さらには死や性に関連する仕事など、古代には聖的な位置づけを受けていたのに中世或いは近世以後に差別或いは卑賤視されることが多くなった諸産業或いはそれに従事する人々に光をあて、日本の歴史(社会形成に関する物の見方)を再構築することを目的としており、その一環として、上記の例が挙げられているようです。

その下りを読んでいて、我が国では明治維新後、政府や財閥、渋沢栄一などの実業家の力により、工業を中心とする産業が急激に発展したとされていますが、それは何ら素地のないところ(農業中心の社会)から突如として勃興したのではなく、相応に産業や商業を盛んにしていた社会の素地があり、それが社会構造の転換や欧米からの新技術の導入などという触媒を得たため、一気に花開いたのではないかと感じました。

まあ、その程度の認識は、今や陳腐というべきなのかもしれませんが。

ところで、私の実家は6~7代前に本家(一族の総本家である地元の神社)から分かれているのですが、本家は伝承(或いは父の戯言)によれば、戦国時代に秋田県田沢湖(旧・生保内町)の領主をしていたものの、秀吉の東北征服戦争(いわゆる奥州仕置に服従せず反抗した各勢力の討伐戦。代表例は九戸政実の乱こと九戸戦役)の際に所領を失い南部氏を頼って二戸に移転したのだそうで(それ以来?本家は代々、地元の由緒ある神社の神官職を継承しています)、歴史学者の方に調査研究していただければと思うだけの奥行きがあったりします。

で、何のために当方の話を持ち出したかと言えば、父によれば本家は明治の始め頃に現在の二戸市の西部に広がる広大な高原で日本でも珍しい牧羊事業に携わったものの、今や絶滅したニホンオオカミの襲撃などが災いして失敗し、破産寸前の憂き目に遭ったのだそうで(現在も本家は存続してますので、真偽はよく分かりません)、そうした本家の苦労も、網野史学の観点から何らかの再評価ができないのだろうかと思ったのでした。

その牧羊事業については、本家と共同で?事業を担った方が二戸の先人として顕彰されており、興味のある方は、岩手県庁の紙芝居もご覧いただければと思います。
http://www.pref.iwate.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/007/300/07bokuyou.pdf
http://www.takamikk.jp/sys/index.asp?ID=1548

***********

ところで、この文章の表題に挙げた「西郷隆盛の写真」について、そろそろ取り上げたいと思います。

西郷隆盛は本人のものと確定された写真が存在しない(ので、どのような顔立ちであったか現在も知ることができない)ことで有名ですが、その話題に当方の本家も登場してくることは、ほとんど知られていません。

「西郷隆盛 写真 小保内」などと入力して検索してみて下さい。

敢えて特定のサイトを引用しませんが、「西郷隆盛?と(西郷の影武者を務めたとされる)永山弥一郎が二戸の神社の神主である小保内孫陸の子(定身又はその弟?)と一緒に撮影したと称する写真を郷土史家が紹介した」などと記載された記事を発見できると思います。

私には真偽のほどは分かりません(まあ「西郷が写真嫌いの人物だった」というのなら、そのときに限って撮影を了解する理由が分かりませんので、別人の可能性の方が高いとは思いますが)。

ただ、私は子供の頃、亡父から「本家は、(上記の)倒産の際に借金返済のため様々な家宝を手放したが、その中に日本で唯一とされる西郷隆盛が写っている写真があった」と聞いたことがあります。

その際は、そんな話はインチキに違いないと思っていたのですが、確実な話として、当時の本家は「会舗社」という郷土の子弟を教育するための私塾を開設し多数の蔵書を擁して尊皇攘夷的な教育活動をしていたため、当時はそれなりに名声があり、当時の本家の長男(小保内定身)が江戸に遊学した際、薩長などの攘夷の志士達と交遊を深めていたことは間違いないようです(この点は、平成27年に投稿したブログでも触れていますので、ご覧いただければ幸いです)。

当時、二戸市出身で対露防衛の必要などを説いていた「志士」の一人である相馬大作が、津軽藩主襲撃未遂事件を起こし江戸で捕縛・処刑されたものの、「みちのくの忠臣蔵」と呼ばれて一世を風靡し、藤田東湖・吉田松陰などに強い影響を与えたとされており、そのことも「志士たちとの交流を希望する二戸人」にとっては有利に働いたことは想像に難くありません。

そうした事情からは「本家には、かつて西郷隆盛(かもしれない御仁)の写真があった」という亡父の話も、あながちインチキとは言えないのかもしれません。

「小保内某と西郷隆盛?や永山弥一郎が写ったもの」とされる写真が、亡父が語った写真と同一なのかは全く分かりませんが、少なくとも、その写真で「小保内某」と表示された御仁の顔立ち(目元や口元)は、現在の本家のご当主(神主さん)に割と似ているように感じます。

***********

網野史学とは全然関係のなさそうな話ばかり書きましたので、少しそちらに戻ったことを書こうと思います。

我が弁護士業界は自分達のことを「サムライ業」と好んで称することが多く、「武士道」と相まって、弁護士という職業を、武士的なものになぞらえ、そのことを美点として強調することがよくあります。

弁護士の仕事は、ある意味、傭兵であることを本質とする面がありますし、「法の支配の担い手」という点や職業倫理的なことも含め、そうした見方が間違いだとは思いません。

ただ、武士という存在の捉え方にもよるでしょうが、幕藩体制下の武士は公権力を支える公務員であり、現代で言えば官僚に見立てる方が素直で、民間業者である弁護士と繋げて見ることには若干の違和感を覚えます。

ですので、弁護士の本質(或いはルーツ)を中世や近世の社会に求める際は、武士よりも(武士だけでなく)、公権力と一定の距離を置いた他の職業に(も)求める(光をあてる)方が適切でないかと思うのです。

ところで、我国における弁護士業界の萌芽として通常語られている事柄は、「明治時代は官僚国家なので弁護士の地位は低かった」とか、「弁護士の制度や各種法制が構築されるまでは、質の低い紛争介入業者がデタラメな仕事をしており、三百代言などと言われた」などといった否定的なものが多く、少なくとも明治より前の時代に、現代に連なる弁護士のルーツとして、輝かしい先人がいたという話を聞いたことがありません。

しかし、冒頭で記載した網野史学が描く中世や近世は、当時の技術水準を前提に、農業だけでなく様々な産業や交易が行われ、それなりに人や産物が自由に行き来されていた社会だそうなので、そうであれば、当時も人々の社会経済上の活動を巡って多様な紛争があり、紛争を解決する(欲する解決を得るよう支援する)ことについて、専門的技能を駆使して当事者を支援し正当な報酬を得て生活を営んでいた職能集団が存在していてもよいのではないか(存在しない方が変ではないか)という感じがしてくるのです。

さらに言えば、「かつて聖的な存在として特別視された職業(職能集団)の多くが、社会構造の変化に伴うパラダイムシフトにより卑賤視されていった(ので再評価すべき)」との網野史学の基本的な目線からすれば、「明治初期に、民間の紛争解決?業務従事者達が、まがい物として卑賤視されていた」という話は「そうした人々は、以前は社会内で相応の権威を与えられ活躍していたが、社会の価値変動に伴い卑賤視され不遇な立場に追いやられるようになったのではないか」という推論と、とても親和的であるように感じられます。

少なくとも、紛争解決という分野は、古代から中世であれば宗教的或いは神秘的権威の助けを大いに必要としたはずで、「かつては畏怖された職能」という網野史学の射程範囲に明らかに収まるように思われますし、争点に対する当否の判断(裁判)の機能は国家=時の公権力が独占したのだとしても、紛争当事者の支援という役割を武力以外の方法で担った職能集団が存在してもよいのではないかと思われます。

私が知らないだけで、相応に研究が進んでいるのかもしれませんが、古代から近世にかけての「その時代の社会のルールや社会通念に基づく紛争解決・処理業務に従事した人(特に、公権力から食い扶持を得るのではなく利用者から対価を取得し支援業務等に従事していた民間人)」の実像を明らかにし、そのことを通じて、現代の紛争解決(ひいては社会そのもの)のあり方にも生かしていただければと願っています。

***********

余談ですが、平成24年頃は、尊皇攘夷ならぬ大阪維新?の旋風が国内に吹き荒れていましたが、当時もその後も、東北の社会ないし政治の世界には、そうした時流に連動したり新たな社会革新の震源地になりそうな営みや蠢きは生じていません。

大阪維新の会に対する肯否や現在(H29~30年)の沈滞ムードはさておき、通信や交通が著しく不便であった150年も前に、二戸という辺境の地にも新時代を切り開いた西国の方々と価値観を共有し懇意にしていた人々がいた(ものの、天運などに恵まれず大きな存在感を発揮するには至らなかった)という事実は、北東北の人々に知っていただく機会があればと思っています。

岩手県PR動画「都会のオラオラ、岩手のおらおら」そして北方世界を制覇したアイヌ王・源義経の物語

岩手出身の60代の(もと)専業主婦の女性が、「おらおらでひとりいぐも」という作品で新人作家の登竜門とされる河出書房新社の文藝賞を受賞されたとのことで、市内の書店の正面にも山積みされています。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309026374/

私は小説を読む習慣がないので、山積みの光景をチラ見して通り過ぎただけなのですが、岩手でも、こんなCM(PR動画)を作れば、石原軍団や壇蜜氏で話題を集めた宮城県CMに対抗できるのでは?と思いました。

(第1幕~都会のオラオラ~)
半グレ風、或いはジョジョ風の荒くれ者どもが、何かに取り憑かれたように「オラオラオラオラー」と叫び、拳を突き上げ修羅の国よろしく闘いまくる。

(第2幕~岩手のオラオラ~)
のどかな農村風景。野良着姿のお婆さん(又はお母さん)を座敷童風の子供達が取り囲んで「おらもおらも~」と何かじゃれあっている。そんな里の姿を遠くから宮沢賢治が一人静かに見守っている。

最後に「あなたは、どっちのオラオラが好きですか?~喧噪に疲れたときは、おでんせ岩手。」のメッセージで終了。

と、ここまで書いて私自身が岩手県のPR動画を一度も見たことがないことに気づいたので先ほどチラ見しましたが、せっかく村上弘明氏を擁して色々なテーマを素材にしているのに、面白味がないというか、視聴者の心に突き刺さるような「グッとくる何か」が欠けているように感じました。

いっそ、村上氏こと清衡公が、他の登場人物らと共に途中から北野監督の座頭市のように全員でタップダンスを始めるとか、「岩手もしもシリーズ」と題し、義経と泰衡らが蝦夷地に渡り、北の琉球王国こと「アイヌ王国」を建国し、北方世界の要としてロシアからアラスカまでを勢力圏とする一大貿易国家を構築する・・といった話を作った方が話題性があるように思うのですが、いかがでしょう。

ちなみに、今、読んでいる「アイヌと縄文」という本によれば、平安期に北海道に住んでいたアイヌ(擦文人)は、鎌倉期までにはサハリンから渡来したオホーツク人を圧倒しロシア本土にも進出して現地人(ニヴフ=ギリヤーク)と抗争し、最終的には現地人が助けを求めた元朝(モンゴル帝国)との数十年の抗争を経て(北の元寇と呼ばれています)、北海道に撤退するという壮大な展開を辿ったそうです。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480068736/

そして、擦文人(アイヌ)の成立にあたっては、古代(平城・平安期?)に北東北の太平洋側から多くの地元民(蝦夷)が移住してアイヌの原型たる続縄文人と同化し、これにより北海道の擦文人=アイヌ民族が形成・成立されたのだそうです。

であれば、その「短い期間ながら、北方世界を一度は制覇した大アイヌ国」の成立や勃興に、実は義経や平泉が関係していた・・などという物語は、想像の世界として十分にあり得るというか、歴史小説のネタとしてはもってこいではないか、と思わないこともありません。

ということで、ぜひ、冒頭の作家さん(若竹千佐子氏)をはじめ岩手在住又は岩手にゆかりのある作家の方々は、このテーマでの渾身の大作をご執筆くださるよう、強くお願い申し上げる次第です。

まあ、こんな戯言を書いても「無駄無駄無駄無駄~」と言われるだけかもしれませんが・・

(H30.1.16追記)
先ほどのニュースで、若竹氏が芥川賞を受賞されたとのことで、誠におめでとうございます。

はれのひ事件の背後にあるものと弁護士業界の現在

「はれのひ」の騒動(被害)について、着物ビジネス業界の実情に照らし出現は不可避だったという趣旨の投稿を拝見しましたが、以下の点などは、弁護士業界もよく似ているように感じます。
http://diamond.jp/articles/-/155406

・(裁判が)ほとんど一生に一度のセレモニー

・何度も利用するわけではないので、一般の方には(弁護士の)質の良し悪しや価格の相場などがわからない。

・業界環境の激変と競争激化により、(倒産や廃業が相次ぐとまでは言えないが)業界内の所得格差が拡がっており、脱落者の中には、費用の過大請求や預かり金の横領など暗黒面に墜ちる者もいる。

・赤字仕事で窮する「昔気質の業者」がいる一方で、新規参入者(経験年数の浅い世代)の中には、派手な宣伝活動の裏側で、業界の一部に昔からある「ぼったくり気質」を引き継いだり、(低料金戦略をとっているわけでもないのに)良識ある業界人が目を背けたくなるような仕事の仕方(受任に関する悪質な選別や丸投げ、極端に練度の低い仕事ぶりなど)を平気でする者もいる。

とまあ、そんなところですが、弁護士を「普段づかい」するかどうかはさておき、法(の根底にある健全な良識や社会的責任)に対する理解と、それを踏まえて解決されるべき様々な問題がご自身や周囲に多く存在していること、そして、深刻な状況になる前に相談し、賢明な事前準備などをしておくべき必要などは、皆さんにも認識いただければと思っています。

「日常的に弁護士を利用する庶民文化」は過去も全くありませんでしたが、弁護士以外のツール(親族、近隣や会社その他の善良な有力者などを通じて帰属社会の内部で問題を解決する仕組み)なら相応にあったでしょうし、それが今や大きく崩れてしまい、弁護士をはじめ第三者(外部者)の支援を要する状態にあることも確かだと思います。

また、かつては、弁護士の助力を必要とする問題自体が生じない(内部の保護や抑圧を通じて生じにくくする)仕組みが社会内に色々とありましたが、今はタガが外れたというか、法意識の向上による真っ当な権利行使だけでなく、家庭や地域など様々なコミュニティが崩壊した結果として、法律家が関与しないと問題を処理できない(コミュニティ崩壊がなければ、自分達で問題を解決できたり問題自体が生じなかったはずなのに、それができなくなった)ケースや事柄が非常に増えていると感じます。

そうした点でも、弁護士業界の本質的な意味での「身近さ」と「アクセスや業務などに関する質の向上」が強く問われているでしょうし、当事務所も、そのことを踏まえて努力を重ねたいと思います。

加除式書籍の追録執筆は続くよどこまでも

平成18年に、新日本法規出版社から日弁連廃棄物部会(のメインの先生)に「廃棄物処理法の各条文に関する網羅的解説を掲載した加除式書籍を出版したい」とのお話があり、平成15年に加入した私も執筆陣に加えていただき、措置命令の条文などの解説を担当したことがあります。
http://www.sn-hoki.co.jp/shop/product/book/detail_0572_8_0.html?hb=1

加除式書籍は改訂が必要になれば追録を作成しなければならないのですが、廃棄物処理法の性質上、法改正などが頻繁にあり、私が担当した箇所も、2年に1回くらいの頻度で作業の指示がなされています。

で、昨年12月に平成29年改正の追録の要請があり、年末が提出期限だったのですが、今年の年末年始は本業等に加えて私事で厄介事が勃発したこともあり、正月明けになってようやく、一晩で仕上げて提出しました。

今回の追録は重要な新設条文がある一方、それに対する解説書の類は手元に何もありませんので、開き直って、ネットであれこれ調べて大胆な仮説?を交えつつ、無理矢理仕上げたというのが正直なところです。

代表の先生方と出版社との協定で、最初に気持ち程度の報酬を頂戴したあとは、追録の原稿料は一切無しという日々を送らせていただいておりますが、そんなことにもめげずに、本年最初の一首。

新年の最初の徹夜はタダ仕事 今年の計も推して知るべし

と愚痴半分の戯言をFBにも投稿したところ、日弁連の医療観察法の解説書籍などを刊行されているO先生から「委員会活動で執筆したものは、印税=原稿料も含めて全て日弁連の収入になり、執筆者には(実費支給を別とすれば)一円も来ないので、最初の原稿料が入るだけ恵まれているよ」とのコメントをいただきました。

そのようにせざるを得ない合理的な事情(活動費や大勢の合宿など実費類が多いとか、出版元の経費リスクなど)があるのでしょうが、それだけ伺うと、日弁連から「中村修二教授もびっくりのブラック弁連」に改称した方がよいのではというか、いつか裁判する人が出てくるかもなどと、余計なことを考えてしまいます。

まあ、我々の書籍もそうですが、法律書籍の出版は自身の勉強を兼ねてという色合いが非常に強く、研鑽と発表の機会が与えられただけで感謝すべきというほかないという感じはあります。

追録の作業も直近の重要な改正を否応なくフォローできるというメリットは大きく、そうした意味では有り難いお話なのですが、困ったことに私自身が住民・業者・行政いずれの立場でも、未だに本格的な廃棄物紛争の訴訟等を受任したことがなく、せっかく勉強したことを仕事で活かす機会に恵まれていません(自宅建設用に購入した土地から廃棄物の不法埋設が発覚し関係者に責任追及した事案があり、その際は相応に役立ちましたが・・)。

まあ、東京から遠く離れた岩手で「何でも屋のしがない田舎の町弁」として仕事しているせいか、それとも岩手は廃棄物を巡る民事紛争などがほとんどない恵まれた土地柄だからなのか?、その辺は分かりませんが、まだ勉強が足りないから「そうした仕事」にも巡り会わない(選ばれない)のかもしれないと謙虚に受け止め、今後も廃棄物部会の活動を含めて精進していければと思います。

平成30年の年頭のご挨拶

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年も交通事故や家庭、中小企業や個人の様々な法的問題の解決に関する業務が中心でしたが、2~3年かけて多くの関係者との間で複雑な利害調整と膨大な事務作業に追われた末にようやく解決・決着した印象深い事件も幾つかありました。

例えば、定年後に銀行から巨額の借入をして起業したものの収支が好転せず資金繰りが行き詰まる前に相談された方について、事業の停止による混乱を極力回避しつつ、銀行との長期の交渉により、無担保のままとなっていた自宅を処分せず存続させた上で、多額の債務免除を伴う解決を実現した事案(経営者保証ガイドラインによる債務整理)がありました。

また、震災復興に絡む巨額の補助金の不正利用が露見し全国を震撼させた「大雪りばぁねっと事件」の民事上の処理に関する主要事件に平成26年から携わり、3年かけて裁判上の和解により決着をつけたこともあります。

全ての事案で依頼主の希望する結果を勝ち得たとは言えないでしょうが、大半の事件では、主張立証を尽くした上で、裁判所の勧告をはじめ事案の性質に即した穏当な解決を了解いただいたのではないかと思います。

上記の自宅確保の例のように、交渉で望ましい成果を挙げることができた案件も相応にありますので、こうした経験を今後に生かすことができればと思います。

現在も、「高齢の方の財産管理や相続に絡んで家庭内に難しい問題があり信託による解決を模索せざるを得ない事案」をはじめ、幅広い検討と多様な関係者との折衝を要する事件のご依頼も多く、悪戦苦闘の日々を送らせていただいております。

開設から14年目を迎えた当事務所では今後も時代に適合する良質なリーガルサービスを提供すべく研鑽を重ねて参りますので、変わらぬご愛顧のほどお願い申し上げます。

皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。