北奥法律事務所

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弁護士小保内義和のブログです。

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今年の石割桜が見届けた事件たち

盛岡も石割桜が満開となり、快晴の中、多くの観光客が訪れていました。

そんな日に限って午前に調停期日があり、諸事情により直ちに調停が成立し終了するかと思ったのですが、毎度ながら延々と待たされ、結局、毎度ながら2時間以上(うち1時間半くらいが待ち時間・・)という有様でした。

色々と悩ましい事件で、依頼主が複雑な思いを伏せつつ窓の外を向いていた横顔に、代理人として何をすべきか、何ができるか(できたか)、考えずにはいられないものがありました。

午後には、盛岡圏内で生じたビジネス上のトラブルに絡んで、ある大企業に契約違反などを理由とする損害賠償請求をしている裁判の期日がありました。

軽口好きの身には、盛岡地裁が1年で一番華やぐ日に東京から出廷した相手方代理人に対しては、訴訟での対決はさておき、とりあえずラッキーでしたねと言わずにはいられない面があります。そんなわけで一首。

先方に今日が期日でよかったねと毎年述べる地元弁護士

ただ、去年の同じ頃に期日があった事件で遠方から出廷した相手方代理人は、そんな私のセリフに破顔一笑していましたが、今年の相手方代理人の方からは「お前は何を言っているんだ」と言わんばかりの仏頂面でサクッと黙殺されてしまいました。

で、法廷の帰りに「桜に興味がないのかなぁ、これだから企業法務中心の大事務所の人は・・」などと独り呟いたところ、危うく裁判所の階段を踏み外しそうになりました。

私がもっと元気よく話せば言わんとすることが伝わったのかもしれませんが、ともあれ、つまらない愚痴などを言っても我が身に跳ね返ってくるばかりなのでしょうから、なるべく前向きに生きたいと思います。

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観応の擾乱と北の「バサラ猿」たちが追いかけた夢

昨年末ころ、亀田俊和「観応の擾乱」(中公新書)を読みました。

最初、この本を書店で見つけたときは、1年ほど前に一世を風靡した中公新書の「応仁の乱」の著者が次回作として書いたものと勘違いし、「二番煎じか、だったらいいや」などと思っていたのですが、よく見たところ著者は違う方だし、応仁の乱は買うかどうか迷っているうちに時間が経ったので古本屋で探そう、それよりも、応仁の乱以上に実情がよく分からないこっちを買ってみよう・・と思って購入したのですが、程なく、驚くべきことに気づきました。

この著者の名前に見覚えがあるような・・と思って末尾の経歴欄を眺めたところ、1973年秋田生まれ、平成9年に京大の文学部卒って、高校の仲間内に似たような奴がいたな・・・と思ってネットで検索したところ、

アアァァッッッ・・!!! と雄叫びを(自宅内で)あげてしまいましたよ。

著者の亀田俊和先生は、紛れもなく私の高校時代(函館ラ・サール)の同期生で、寮(1年生の100人部屋)のベッドも割と近い位置(オとカなので)に住んでおり、私と同じ「北東北の片田舎(彼は小坂町)から出てきたお上りさん?同士」ということで、それなりに仲良くさせてもらっていた方に間違いありません。

2~3年生の頃の彼の成績は記憶がありませんが、少なくとも1年生の頃に関しては、入学直後から数学と理科(化学)で撃沈した私ほどでないにせよ、「日本史は得意だが、他の教科の成績はパッとせず、運動もできない者同士」ということで、多少は連帯感があったような、逆に「鏡に映った自分のように見たくない感じ」もあって互いに敢えて接近しないようにしていたような、「付かず離れず」の微妙な関係性があったという記憶があります。

ただ、卒業のときか後日(大学生の頃?)かは覚えていませんが、彼が京大に合格(入学)したという話を人づてに聞き、高校1年の「どんぐり仲間」の一人だったことしか覚えていない身としては、カメって実はそんなに優秀だったのか、一体いつの間に勉強やってたんだと驚愕したことはよく覚えています。

とまあ、つまらない曝露話?はさておき、彼が、当時から中世史なかんずく南北朝時代に関心が強いことを公言し、歴史研究者志望だと語っていたこと、彼の机に置かれていた幾つかの本の中に、「ばさらの群れ」という本(童門冬二氏の小説)があり、「ばさら大名が好きだ、佐々木道誉とか」などと話していたことは今もはっきりと覚えています。

私自身は、特定の時代(まして、マイナー?な南北朝)に関心(こだわり)がなく、むしろ、歴史の全体をざっと見つつ現在の社会(特に北東北)との関わりを知ることに興味があった上、高校時代は、試験勉強を超えて、学問としての歴史に深い関心を抱くには至りませんでしたので、「佐々木道誉って誰だよ、こっちは足利直義と護良親王くらいまでしか分からんぞ」という体たらくで、亀田君と歴史談義をするなどという関係を築くことはできませんでした(今思えば、惜しいことをしたのかもしれません)。

ともあれ、本書を拝読しながら「~という出来事は興味深い」の言葉遣いが多すぎるぞ(見開きで3カ所くらい出てくる頁あり)とか「寮生(しかも受験期)なのに毎週、大河ドラマを見ていたのか?テレビが1台しかないのに取り合いはなかったのか?」などと余計なことを思いつつ、彼も高校時代に求めた道をこうして実現したのか、と感慨を抱かずにはいられませんでした。

すでに何冊も出版されている石川知裕君(もと衆院議員)も、著書によれば、高校時代から政治家を志していたとのことであり、また、この高校の性質上、医学部を目指して難関校を突破し現在も全国或いは世界で活躍されている(であろう)方々は何人も存じていますが、歴史学者になりたいと述べ、それを実現し、当時から関心を持っていたライフワークというべきテーマで中公新書の出版まで成し遂げたという方は、同期では亀田君だけかもしれませんし、亀田君もまさに「夢を現実とし、今もその過程を駆け抜けている真っ最中」なのだろうと思えば、胸が熱くなるものがあります。

それに対して我が身は・・となると、大卒2年で司法試験に合格できたまでは良かった?のかもしれませんが、今や、うだつのあがらないちっぽけな田舎の町弁として、雑多な仕事に従事しつつ事務所の存続(運転資金=売上確保)に追われるだけの日々という有様に堕してしまったように思わないでもありません。

私の高校のときの夢は、弁護士とか医師とか学者とか、具体的なイメージを抱くレベルには至っておらず、ただ、学力をはじめ、自分が到底及ばない強い力(オーラ)を持った凄い人達に会いたい、その背中を追いかけながら、いつしか「高校時代から外の凄い世界を見てきた人間」として、郷土に意義のある何らかの貢献をしなければならない(そうでなければ、岩手を離れて函館に来た意味がない)、という漠とした気持ちを持ちながら、現実には授業を追いかけるので精一杯という日々でした。

そうした初心に立ち返り、改めて自分ができること、すべきことを見つめ直すという意味では、今、亀田君の著作に出会えたことは、幸いなことというべきなのかもしれません。

ところで、ここまで書いてきて「書評」的なものを全然書いていないことに気づきましたので、一言触れておきますと、本書は、観応の擾乱の全体像(高師直の失脚を中心とする第1幕と、尊氏vs直義の決戦と南朝勢力などを巻き込んだ大混乱を中心とする第2幕)を様々な事象を紹介しつつ説明しており、その点は中公新書らしい?マイナー知識のオンパレードというか、中世史を相応に勉強した人でないと、スラスラ読むのはしんどい(また、末尾に人物や制度などの索引が欲しい)という面はあります。

ただ、擾乱の主要な原因について、単純な(師直と直義の)路線対立というより、幕府(足利勢力)が北条氏や建武政権の打倒に伴う論功行賞(恩賞)やそれに付随して生じた紛争(訴訟)の処理を円滑に進めることができなかった(紛争解決制度が未整備だった)ため、それを担当した責任者(最初は師直、次いで直義)が結果として多くの武士(御家人)の反感を買った(信望を失った)ことが、失脚(その前提としての混乱)の原因であり、擾乱の過程を経てそれが整備されたことが、義詮・義満期の室町幕府の安定・興隆の基盤となったと説明している(ように読み取れる)点は、紛争解決という観点からは、興味深いものを感じます。

本書は、冒頭から足利政権(発足直後の幕府)の紛争解決制度(訴訟など)に関する説明に大きな力点が割かれており、当時、土地を巡る紛争が多発して政権がその処理に負われていたこと、また、鎌倉幕府の訴訟は判決=宣言をするだけ(下文)で、執行力がない=自助努力を要求された(判決は自力執行を正当化する根拠として機能するに過ぎなかった)が、足利政権の発足後、徐々に、判決を強制執行する制度(執事施行状)が用いられるようになったことなどが説明されており、建武新政の破綻要因の一つが新政権が迅速・適正な紛争解決ができず多くの人々の失望を買ったためとされていることと相俟って、色々と考えさせられるものがあります。

また、師直は執行(執事施行状)を通じた迅速な紛争解決を優先したものの、不満も多く寄せられたため、長期の慎重審理=理非究明を重視して師直と対立した直義に支持が寄せられたことが擾乱第1幕の主因の一つであるとか、その後は逆に直義の手法が支持を失い、尊氏・義詮政権のもとで迅速解決型の手法が整備されて安定期に向かったという記載も見受けられ、そうした「紛争解決制度の未整備による混乱が政争の大きな要因になった」という指摘は、紛争解決の実務に携わる者にとっては学ぶところがあるように思います。

ともあれ、いつの日か亀田先生に再会し、私の手元に保管しているご著書にサインをおねだりできる日を楽しみにしています。

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そだねDAYONEんだべ

時機遅れの投稿ですが、平昌オリンピックでカーリング選手の方々が脚光を浴び、「そだね~」が流行語になりCDデビューするのではなどという記事もあったかと思います。

また、最近では、北海道の著名企業などが、これ(そだね)を商標登録出願したため当否が論争になっているという記事も出ていました(商標法3条1項4号などの当否が問題になるのでしょうか)。

私の大学時代ですから25年以上前のことですが、「DA.YO.NE」という曲が一世を風靡した際、南部地方の人々も、便乗して地元方言で替え歌を作って世に問えば良いのにと思っていたところ、岩手ではなく他の地域でそのような動きがあった(ものの、さほど流行らずに終わった)ことがあったのを、少しばかり覚えています。

折角、似たような言葉が北海道から出てきたのですから、改めて、次のような替え歌を地元の著名人がユニットを結成して展開してみるのもいかがでしょう。

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んだべ んだべ 
へねばなんねべなそだなとぎだばな

んだべ んだべ
 へねばなんねべなそだなとぎだばな

あのなはん、おらの●●
おったまげるほどおどごぶりコよくて
(中略)

そったらごどだば、まんつんがのほが2号さんだごったよ
んだべ・・
(以下略)

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私と世代が異なるなど元ネタの分からない方は、こちらのサイトなどで歌詞をご覧いただければ良いのではないかと思います(私もグーグル検索して見つけただけなので、引用して良いのか分かりませんが・・)

「彼氏」とか「交際相手」にあたる南部弁(東北弁)が存在するのか分からないので●●の状態ですが、どなたか、気の利いた言葉をご推薦いただければ幸いです。

こうした話に限らず、自分達の文化の中にある素材を生かして全国・世界から「やるじゃないか」と評価される何かを伝達する営みがもっと盛んになればと思います。今なら「若竹さんに続け」が合言葉でしょうか。

高速利用者の途中下車の促進策

高速の出入口付近にある道の駅の利用活性化や高速利用者の便宜の目的で、1時間以内にICに戻れば料金は据置とする制度が導入されるとのことで、岩手では九戸ICのそばにあるオドデ館(道の駅おりつめ)が対象となっているそうです(岩手日報の3月1日の記事ですが、すでにWeb上で閲覧不能となっており、やむなく転載しているサイトを見つけたので貼り付けます)。
http://ayame.walkers.tokyo/iwate/iwatesan/43718
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20180301_6

私も、先日投稿した1月の久慈出張の際、数年ぶりにオドデ館に立ち寄りましたが、一般論として、昼食時などは待ち時間のため食事だけで1時間ギリギリになることが多いでしょうし(間に合わないときのストレスは強烈です)、物販コーナーの立ち寄りも考えたら、1時間半は確保した方が良いのではと思います。

盛岡駅北のマックスバリュは「入庫30分は無料、1000円以上の購入で90分まで無料」のルールですが、購入時にETCカードを提示する(カード読取機で対応?)ことで、同じやり方ができるのではないでしょうか。

また、高速利用者の便宜を道の駅だけの利権にする理由もないでしょうから、高速の出入口付近の飲食店などもそのサービスを利用できる(道の駅も含め、利用店舗は一定の負担金を高速側に払う方式とする)ようにすれば、なお良いのではと思います(この記事も、単に1時間以内で戻れば無料というだけで道の駅利用が強制されないなら同じことではありますが、記事の内容だけでは判然としません)

まあ、根本的には、わざわざ途中で降りて立ち寄る人がどれだけいるのか、皆さっさと目的地に向かいたいのではないか、また、顧客吸引力のある商品をどれほど提供できているのか(それが先では)というべきかもしれません。

個人的には、給油利用が一番ニーズがありそうな気がしますが、それを目的にしてしまうと、高速の運営企業(NEXCO東日本)に嫌がられるのでしょうね・・

町弁が久慈に来たりて じぇじぇ歌人

昨年末頃から業務と私用で一杯一杯の状態が続き、とりわけ2月になって書面の締切が続いたことから、ブログの投稿が困難となっています。

久しぶりに少し一息ついたので、1月下旬に弁護士会の企画で久慈商工会議所での相談会を担当したときのことについて載せることにします。

午後1時から午後3時まで2時間(30分ごと計4人)の枠が設けられていたのですが、前日の昼の時点で予約ゼロと報告されたので、応募するんじゃなかったと後悔したのですが、夕方になって1件予約ありとの連絡があったので、エア宅急便だけは免れたと思いつつ、久慈に向かいました。

この日は東京は大寒波に見舞われていましたが往路は順調そのもので、想定より1時間近く前に到着したので、思い切って小袖海岸に向かうことにしました。

小袖海岸のシンボルの一つである「つりがね洞」は昔から存在だけは知っているのですが、これまで訪れるたびに通行止め(工事)やら時間切れやらで赴くことができず、今回こそはと思って行くことにしたものです。

で、最初の「行けなかった日」である修習生のときから数えて足かけ20年ほどを経て、ついに、つりがね洞に辿り着きました。

昔は「洞」の内部に岩が鐘のようにぶら下がっていたそうですが、今は鐘を無くした空洞がその名称と共に欠落を強調するかのように存在感を訴えているように見受けられます。

そんな光景を眺めつつ自分の心にも開いた穴があるのだろうかなどと思って一首。

人生の峠を越えて見る海は 夢の隙間を埋める旅路か

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小袖海岸の海女センター周辺は、1~2年前に大手生保会社さんのご依頼で相続セミナーを久慈で行った際に山側ルートでチラ見だけしましたが、折角なのでそこまでは行くことにしました。途中の海岸線は、内陸部とは違った冬の厳しさ、美しさを感じさせる見応えのある光景になっていました。

荒磯の波と雨雪 あのひとの涙と思い寒さかみしむ

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なんだか短歌というより演歌みたいな感じですが、ともあれ、ゴールの夫婦岩まで到着し、去り際にまた一句。

おらおらで じぇじぇじぇの浜に ひとりいぐ

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商工会議所に到着した際は目の前のお寿司屋さんにも行きたかったですが、悲願?の小袖海岸を優先したため、昼食は、泣く泣く寿司を諦めてコンビニサンドで済ませました。

で、会場に戻ったところ予約の1件のほか新たにもう1件追加申込があり、2件分の相談対応をしてきました。

双方とも弁護士への相談が必要相当な案件で、うち1件は訴訟受任などの可能性を含めた会社業務に関する様々なご相談があり、1時間近くも要するものでしたので、結果として久慈まで往復した甲斐はあったと思います。

午後3時過ぎに終了となり、道の駅でウルイやサメの切り身など「自分用の土産」を買い込んで久慈を出発しました。九戸ICまでの北上高地は降雪で白一色に染まった森を微かな陽光が照らす幻想的な姿に包まれており、その光景に溶けてしまいたいと思いながら、快適に走行することができました。

銀世界 白に消えんと願う身の 胸の残り火 そを妨げる

ところが、なんということでしょう。

浄法寺ICに辿り着くと通行止めを理由に強制退場を余儀なくされました。盛岡では大雪状態という情報は得ていましたが、浄法寺の空は何の問題もない薄曇りの晴天で、これで通行止めと言われても納得できません。

ただ、どうせ安比~安代周辺=奥羽山脈の吹雪が原因だろう、松尾ICに着けば高速に戻れるだろう、吹雪が終わったのなら安代ICで復帰できるかもと淡い期待を抱いて、4号線に戻らず、そのまま安代=高速沿いに県道を南下することにしました。

すると、少し調べたところ、滝沢ICまで通行止めになっているとのことで、これでは途中で高速に戻ることもできず、並行路(国道282号)は同じ境遇の車両で大渋滞は不可避と思い、いっそ一戸に戻り国道4号線で南下する方が賢明かとも思いましたが、すでに安代IC近くまで来てしまったので、今更と思い、やむなくそのまま南下を続けました。

やはり、安比が近づくにつれ国道は混雑気味になり、これでは1時間で足る帰路が3時間以上になるかも、と意気消沈せざるを得ません。そんなわけで、安比の温泉地帯を横目に峠道を上り下りしながら一首。

高速が止まりまさかの大迂回 雪見温泉 寄る金もなく

結局、安比(竜ヶ森)の峠を越えて松尾八幡平ICの手前に辿り着いた時点で、ちょうど通行止めが解除され、無事に高速で盛岡に戻ることができ、通常の1時間遅れで済みました。

帰宅後、朝には晴天だったとはいえ、こんな日に洗濯物を外に干した我が身の愚かさを呪ったことは申すまでもありません。