北奥法律事務所

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個の解放と収斂

宮崎監督(個の解放)と庵野監督(社会への収斂)という「平成の風景」

11月に「シン・ゴジラ」がテレビ放送していたので、1年3ヶ月前に映画館で拝見して以来、久しぶりにチラ見すると共に、映画の鑑賞時に書いた文章を読み返しましたが、今回感じたのは、こうした「大組織に属する人々が巨大な災禍を克服するため力を合わせて闘う物語」は、宮崎監督なら絶対に作らないだろうな、という点でした。

映画評論できるほどの力はありませんが、ジブリ作品は「個人が組織などの巨大な力からどれほど自由に生きることができるか」がテーマになっているとの印象を受ける作品が多いと感じますし、それは、宮崎監督が「あの戦争」に象徴される滅私奉公(全体主義)を嫌悪・敵視していることが背景にあるのだろうと思います。

これに対し、エヴァンゲリオンもシン・ゴジラも(「トップをねらえ」も?)、異端児たちが組織の中で「自分だけが発揮できる力」を生かして巨大な災厄を克服することが重視され、その過程の中で、「厄介な自我を抱えた個人」が内省を深める面はあるにせよ、「組織から個人が解放される」ことはテーマにはなっていないように思われます(「ナディア」は見たことがないので分かりません)。

陳腐な言い方をすれば、昭和=個性が組織にすり潰されていた右倣えの時代の終わりに個人の解放を説いたのが宮崎監督で、平成=組織から多少は自由になったけれど、「こんなに変な私」の価値が皆に理解されたわけでもなく、かえって身の置き場を無くした時代の中で「私だけが発揮できる力」を社会に還元して居場所を作る道を示したのが庵野監督、という見方もできるのかもしれません。

そういう意味では、庵野作品のテーマは、平成前期に「ニセ学生マニュアル」や小林よしのり氏との関わりなどで注目された浅羽通明氏の言説に近接するような気もします(当時は大学生でしたので、浅羽氏の本はよく読んでいました)。

それが時代の関心事だったなどと雑な括りをするのは愚かなのでしょうが、ともあれ「個人が社会に収斂される物語」へのニーズはまだ続くのか、また、次の時代に人々が必要とするテーマはどのようなものだろう(例えば「そんな私が社会の仕組みや人々の意識を現に変えていく物語」が、メジャー作品として取り上げられることもあるのだろうか)などという不毛な問いに縋ろうとするメンタリティが、まだ自分にも残っているのかもしれません。