北奥法律事務所

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真法会

民話の里の雪の妖精と青春の影

2ヶ月以上も前の話で恐縮ですが、盛岡地裁遠野支部に係属している企業倒産(破産管財)事件の関係で、2月に遠野に出張したときのことを書きます。

今回は少し時間ができたので、カッパ淵のあたりに立ち寄ることとしましたが、周辺には雪原が青空に映える美しい光景が広がっていました。

ふと、大学時代に、いわゆる司法試験受験サークル(研究室)の仲間だったある女性が、大学2年か3年の冬に白いウールのコートを着ていた姿を眩しく感じたことを思い出しました。

遠い昔の報われぬ記憶を懐かしんでも致し方のないことですが、改めて、そうした疼きが成仏できればなどと、年甲斐もなく思わずにはいられませんでした。

白纏う貴女に雪の妖精と言えぬ切なさ とうの昔に

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ちょうど、写真に撮った風景の中央に二本の枯木があり、その木々は、通学時などにささやかながらもその女性と二人きりで話した時間があったことや実ることなく終わった若き日の感情を象徴しているのだろうかなどと、馬鹿なことを思わないでもありませんでした。

続いてカッパ淵に移動し、数年ぶりとはいえ毎度ながらの光景をチラ見して帰路につきました。

大学時代の思い出に浸っていたせいか?或いは脳内の沈静化も兼ねて、ここでもテーマを変えて、もう一首作りたくなりました。

すると、私がその団体(真法会研究室)の入室試験に合格した際に「学生指導の責任者」を務めていらした大物弁護士の方(稲益孝先生)のことを思い出しました。

入室試験の発表直後に合格者(入室者)全員が集められた最初の会合の際、自己紹介で「自分は出生直後の病気のせいで左耳が聞こえません」と述べたところ、稲益先生に「私も片耳が聞こえないが、仕事は問題なくできている。君も挫けずに頑張れ」とのコメントをいただいたせいか、真法会のお歴々の方々の中では親近感というかご挨拶しやすい気持ちがありました。

ただ、稲益先生とは1年に1~2回程度にご挨拶する程度の関わりしかありませんでしたが、お会いするたびに必ず「君は今もあまり勉強してなさそうな顔つきだな」と言われていました。

まあ、そのとおりと言わざるを得ない面はありましたので(在学中の勉強では合格にほど遠い力量しか備わらなかった上、学生時代は高校の反動?で、光栄ゲーム廃人化した時期もありました)、悔しさをバネにして?勉強していましたが、合格した年に「先生、もう同じセリフは言わせませんよ」と申し上げようと心待ちにしていたところ、その年に、先生が病気で亡くなられたという報に接しました。

そうした意味では、冒頭の思い出だけでなく稲益先生との関係でも、ある種の喪失を経験したのかもしれませんし、そうした心情が、その埋め合わせを求めるように戯言じみた一首の形をとって表出している面もあるのかもしれません。

会うたびに勉学足りぬと喝破せし 師は合格の年に身罷る

以前にも遠野に出張すると短歌の真似事をしたくなると書きましたが、この地は人が心の奥底に封じ込めているものと向き合わせようとする力を有しているのかもしれません。

懐かしき未来は名古屋城の礎石の中に~名古屋編②~

10月の名古屋出張(学童保育の全国大会の出張)に関する投稿の2回目です。今回は、全国学童保育研究会の開場前に名古屋城に行ってきましたという件を書きたいと思います(大至急の仕事が少し片付き、久しぶりに、ブログ書きたい病になっています)。

名古屋には花巻空港を朝の早い時間に出発し、午前中には市内に着きましたので、昼に始まる全国研の前に可能な限り城内を見ておきたいということで、すぐに名古屋城に行きました。

まずは二の丸庭園のパフォーマンス集団(武将隊の方々)をチラ見しつつ、一部復元に伴う公開がなされて間もない本丸御殿に向かい、次いで、天守に入城しました。当日は文句なしの晴天で、天守閣の展望台からは伊吹山をはじめ周囲の眺望を楽しむことができ、大満足でした。

恥ずかしながら、これまで名古屋城については不勉強で、消失や再建の時期などはほとんど把握していませんでしたが、戦時中も昔の雄姿を止めていたことや戦災(米軍の大空襲)で「落城」さながらに焼失したこと、戦後まもなく市民の熱意や募金を通じて再建されたことなどが、よく分かりました。

焼失前に撮影された写真も初めて見ましたが、白黒写真で垣間見た限りでも、現在のコンクリート製より遙かに風格があるように感じました。もちろん、現存していれば、姫路城と並んで(規模からは、姫路城以上に)日本を代表する城郭として世界に冠たる名声を得ていただろうと残念に思います。

我国は敗戦で多くのものを失い、それと引き換え?に多くのものを得ましたが、焼け落ちる名古屋城の写真が、まるで名古屋ひいては日本の戦後の復興のための人柱になったかのような、戦慄というか身震いするような感じがしました。

ところで、名古屋城(天守閣)の入口付近に、陸前高田の子供達を招待した企画に関する展示パネルが掲示されていました。

言うまでもなく、陸前高田は東日本大震災津波における最大の被災地の一つであり、市の中心部が津波により丸ごと壊滅させられるという、米軍の空襲と同等以上と言ってよいほどの凄まじい被害に遭いました。もちろん、街のシンボルである高田松原も完全に失われ、「一本松」のみを残すのみとなったことは皆さんご承知のとおりです。

それだけに、「あまりにも大きな外力(大国との総力戦や巨大災害)により、街の大切なものを多く失った者同士」という点で、名古屋と陸前高田は共通するところがあり、両市が交流などを深めていくことは大いに意義があるのではないかと思われます。

陸前高田には、市内の著名事業者の方々が従事する「なつかしい未来創造」という復興まちづくり企業があるとのことですが、自動車産業などを通じて戦後の「物づくりニッポン」を牽引すると共に、現在も本丸御殿を復元し、さらに天守閣の復元も構想している名古屋の地は、「なつかしい未来の創造」という点では、陸前高田をはじめとする三陸の被災地にとっては、ある種の先輩格というべきなのかもしれず、戦後の名古屋が辿った成功や反省などの体験の成果を、三陸にも還元するような営みが盛んになればと願っています。

そんなことを考えながら一首。

懐かしき未来は名古屋の城で待ち 努力と熱意の有無を見定む

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ところで、名古屋には、大学の先輩で同じ年に司法試験に合格し、その頃に大変お世話になったKさん(弁護士ではありませんが広義の同業である法律実務家)がおられるので、これ幸いとばかりに、夜にはKさんに十数年ぶりにお会いしてきました。

Kさんには、合格から修習開始までの期間に中央大の某団体(S法会)で答案練習会(司法試験の模試のようなもの)の内部スタッフ同士として奴隷労働?に明け暮れていた当時、一緒に呑みに誘っていただいたことがあるのですが、貧乏な合格者同士のはずなのに?なぜか、京王線の千歳烏山にある「純米大吟醸と高級酒肴ばかりの贅沢居酒屋」に連れて行かれ(しかも妙に盛り上がって2時間以上呑んでました)、「人生で行った居酒屋3本の指(ナンバーワン?)」といって良いほど大満足の反面、財布が空っぽになり、泣きそうな思いをして帰ったことがありました。

そのため、今度も凄いお店に連れて行かれるのだろうかとビクビクしていたのですが、最近は私がブログやfacebookで貧乏ぶりを吹聴しているのに気を遣っていただいたのか?B級グルメの名店と地元の庶民派居酒屋さんという組み合わせで、「懐に優しい食い倒れツアー」になりました。

ともあれ、Kさんが「現場の指揮官」として野武士のように奮闘されているお話などを伺っていると、懐かしさと共に、私も法律実務家のはしくれとして、私なりに地域の未来を切り開いていかなければならないとの思いを新たにしました。

そんな様々な「懐かしき未来」が交錯する名古屋の地にいつの日かまた訪れて、次代の様々な可能性や努力の種について考えを巡らせることができればと思います。

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中央大OBの「大臣」の連続登板記録?の消滅と雑談

新たな内閣(改造を含め)が発足する際、今回は我が校のOBの大臣さんはいるのだろうかと見てしまう中央大出身者は、私だけではないだろうと思います(こうした感覚は東大や早慶のOBの方は無縁でしょうが、他の六大学や「マーチ」などの大学の方はどうなんでしょうね・・)。

で、私の記憶では「箱根駅伝に辛うじてシード校入りする(少なくとも予選会では落ちない)」のと同じ程度の感覚で、どの内閣でも一人くらいは中央大の出身の大臣さんがいたような気がするのですが(先日までは、山形の遠藤大臣がおられました)、今回の第3次安倍第2次改造内閣では、公開情報をざっと見る限り、残念ながら中央大の出身者が一人もおられないようです。

その上、土曜の新聞に載っていた副大臣名簿にも中央大の出身者が一人もいないという惨状になっていました。

唯一?の救いは、政務官(財務省)に真法会の先輩である三木亨議員(参院徳島選挙区)を発見できたことです(政務官の出身校情報を表示した記事を発見できていないため、他にもおられるかもしれませんが)。

三木さんは、私が入学(入室)した時点で大学は卒業されており、私自身は少しご挨拶させていただいた程度でしたが、ネットで表示されている現在のお姿と比べて、もっと髪が長く、スリムな体型(顔立ち)だったような記憶があります(体型云々は、私が言ってもブーメランになりそうですが)。

それはさておき、自民党の執行部では、中央大の弁護士OBなら皆ご存知であろう高村副総裁だけでなく、二階幹事長もOB(しかも私と同じ政治学科卒)とのことで、その点は恥ずかしながら今はじめて知りました。

ともあれ、他党の議員さんも含めOBの政界関係者の方々におかれては、他大学の方々に負けずに中央大らしさを発揮しご活躍いただければと願っています。

と、こんな話を書くと、お前もそっちの世界に色気があるのかと誤解を招くかもしれませんが、面識のある方々なら多言を要せずともご存知のとおり、私は、大学2年の真法会の役員選挙(信任投票)の際、同期のA原S太郎センセイと共に「最低得票率で賞」を頂戴した身であり、その種の経験は何度もしていますので、選挙(人気投票)の類にはおよそ適性がないことは身に染みて存じています。

また、政治には手を出すなが実家の家訓である上、最近、政界で存在感を放つ他の同業者の方々と異なり、零細企業のタコ社長(主要労働者)として事務所の存続に汲々とする日々を送っているのが実情です。

他方、プレイヤーとしてではなく距離を置いた場所から観察者として政治(権威と権力を巡る身近な人々のせめぎ合いの世界)を拝見するのは昔から割と好きで、岩手で言えば、岩手大の丸山先生や県立大の齋藤先生のようなポジションの一端を狙うことができないかなぁなどと夢想することがないわけではありません。

が、JCの公開討論会で反対尋問よろしく候補者にギャンギャン吠え立てて「あなたの言ってることはちっとも訳がわからないよ!」などと田原総一朗氏の真似事をしたところで、岩手から出て行けと言われるだけでしょうから、今後もFBやブログなどでボソボソと呟く程度が精一杯というのが分相応なのでしょう。

余談ながら、私と上記のA原(とF女史)は奇しくも同期で最初に司法試験に合格しており、役員選挙のときを思い出して「捨てる神あれば拾う神あり」などと思ったりしたものです。

私は子供の頃から「一般ウケはしないが、ゲテモノ好きの人には呼ばれる」という傾向があり、法曹界が「ゲテモノの世界」かどうかはさておき、今後も妙な高望みはせずその路線で磨きをかけていきたいと思っています。

「古き良き中央大」を作り上げたものとロースクールの現在

先日、中央大の学員時報(OB向け新聞)が届いたのですが、「戦前の法曹界は中央よりも明治の方が多くの人材を輩出していた。それが逆転した(中央が東大よりも司法試験合格者数が多い時代が一定期間続いた)大きな原因は、学費が安かったからだ」と仰る、当時を経験された大物OB(弁護士)の方の投稿が載っていました(裏付けなどは調べていませんので、本当に明治大の方が合格者数が多い時代があったのかは存じません)。

また、投稿から察するに、当時の中央大は戦略的に(司法試験合格者増を狙って)学費を安くしたのではなく、たまたま戦争で建物が焼けずに済んだ(明治等は焼けて建て直しのため学費が高くなったそうです)という話ではないかと思われます。

実際、私が入学した頃まで、中央大の大学当局は司法試験受験生の面倒なんてほとんど見ておらず、見ていたのは「OB支援付き受験サークル」とでもいうべき各研究室でした(大学が本腰を入れるようになったのは、平成5~10年前後からというのが一般的な見方だと思います)。

あと、戦争で失業した若い優秀な軍人さん(陸士・海兵等出身者)が東大等への進学をGHQに制限されたことも大きい(失業した高級将校が学費の安い中央に殺到した)という話も書かれていましたが、その点は、鹿児島ラ・サールが超進学校となった経緯に関する噂話(公職追放された東大等の先生を受け入れてスパルタ教育?をしたとか)と似ていると感じました。

ちなみに、私は函館ラ・サール(地方では平凡なレベルの進学校)の出身なので姉妹校などと畏れ多くて言えませんが、高校時代に上記のような話を聞いたことがあり、ラ・サール会は函館の方に先に学校を作りたかったのに軍に反対されて出来なかったので、そうなっていれば函館の方が超進学校になったんじゃないかなどと、負け惜しみ?じみた話も聞きましたが、それだと私は入れなかったので、鹿児島に出来てくれて助かったと思ったりしたものです。

そういえば、私が東京時代にお仕えした先生(中央OB)も、海軍経理学校(中曽根首相の出身校)のご出身だと聞かされていました。

で、冒頭の投稿をされていた大先生は、そうした話に続けて「中央が多摩に移転したのは間違いだった、優秀な学者さんを集めて都心への再移転を目指すべき」と締めくくっておられるのですが、その当否はさておき、冒頭の話に加え、あまりにも学費が高いと批判されているロースクール制度のことを考えれば、「中央ロースクールは学費を他大学の数分の1にして(大学に金がないので)学者さんは3流ばかりになっても仕方がないから安さに惹かれて集まってくる(選抜される)優秀な学生さんの自主学習で、司法試験合格者数1位を取り戻そう」と締めくくった方が、文章の筋道が立つのではと思われます。

ただ、さすがに、そのように書くと「大人の事情」に抵触するでしょうから、そのことを意識されたのかそうでないのかは分かりませんが、上記のような締めくくり方になったのかなと思ったりもしたのでした。

余談ながら、私自身は中央大の真法会答練制度という、努力と運と適性さえあれば、ほとんど金をかけずに合格できるシステム(とりわけ、室員は合格後は修習開始まで奴隷と化す?のと引き換えに一貫して無料で受講できました)の恩恵に与った最後の世代です(当時は予備校の全盛期で、すでに現役大学生には知名度不足となっていた真法答練は平成10年に終了を余儀なくされました)。

そのせいか「司法試験に合格するために多額の学費を投じなければならない(しかも講義が試験勉強にはあまり直結していないらしい?)」システムに変貌してしまったという話を聞くと、余計に、搾取じみたもの(何らかの不正義)を感じずにはいられないところがあります。

今も若い方々には大したことはできていませんが、せめて相手方代理人などで対峙し、残念な主張立証を感じたときなどは、徹底的に法論理を駆使してトラウマになるくらい完膚無きまでにやっつけて、ではなくて(そんな力量もありませんし)、懇切丁寧に私なりの法律論を説明してOJT的な学びの機会を持っていただこうという姿勢で、反論書面などを書くように心がけているつもりです。