クールビズと小泉内閣と刑事法廷

先日より、旧ブログ(平成25年の切替前)の投稿を幾つか再掲していますが、今回は平成20年の夏に投稿したクールビズに関する投稿を載せました。

今では刑事法廷もクールビズが当たり前になっていると認識しており、駆け出し時代(平成12年)の夏の大阪簡裁出張で、出廷した人々が半袖シャツ姿で、スーツは私一人だけ?だったのに驚愕したことも含め、時代の違いを懐かしく感じさせます。

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今年(平成20年)の夏は「クールビズ」にあやかって、ほぼ完全にノーネクタイを通させていただきましたが、あまりの快適さに、これまでの自分は奴隷のように首に縄をつけて仕事をしていたのだろうかと思わずにはいられないほどでした。

ところで、クールビズは、小泉内閣なかんずく小池環境相(当時)の音頭で花開いたものですが、郵政改革のような効果が見えにくいものを除いた「分かりやすい政策」としては、私が感じる限り、国民生活に直結する施策で、これほど国民にとって有益なものは近年なかったのではないかと感じます。

旗振り役(環境相)を小池氏が務めたというのも適切な人事というほかなく(失礼ながら、その後の環境相の面々は、なんとなく華のない方々ばかり続いている印象で、旗振り役は務まらなかったでしょう)、大臣が「良い仕事」をしているのをあまり見受けない最近の政治状況に照らせば、懐かしさすら感じてしまいます。

ただ、正直言うと、小泉内閣当時は、私もその良さを認識できず、どちらかといえばネクタイ派であり(昨年までは法廷や接客時にはすべてネクタイをしていました)、下らないことばかりやっていると冷ややかに見ていました。

また、私は、現在は感謝していますが、他方、当時を顧みてクールビズ運動を素晴らしい政策であったと賞賛する報道などというものに接した記憶がありません。

井沢元彦氏の「逆説の日本史」には、信長が苦心して教団勢力を撃滅した結果、日本では宗教(教団)的教義に囚われない自由な精神が国民に広がったものの信長の功績が正当に評価されていないと論ずる下りがあり、「社会に有益なパラダイムシフト(社会の仕組に関る大きな価値の転換)がもたらされる場合ほど、それを生んだ偉大な行為が忘れ去られやすい」という趣旨のことが述べられていたと記憶していますが、多少はそれに通じる面があるのかもしれません。

ただ、夏の期間にたった一度だけあった刑事法廷では、裁判官も書記官も検察官も全員ネクタイ着用で、検察官に至っては上着まで着ており、なんとなく肩身の狭い思いをさせられました。

先般、裁判員裁判では、身柄拘束中の被告人もネクタイ(類似のもの)を着用できるようになったという話を聞きましたが、ネクタイを欲しがる理由が多少とも理解できました。

それ以前の問題として、夏は刑事法廷からもネクタイを追放しようと運動して欲しいところではありますが。

(2008年8月31日)