弁護士列伝のインタビュー記事と岸巌先生の言葉力

平成23年に、弁護士紹介サイト「弁護士ドットコム」が当時、全国の弁護士さんに取材し、毎日のように更新(連載)していた「弁護士列伝」という企画の取材依頼を受け、下記の記事を掲載していただいたことがあります。

幸い、今も掲載(公開)が続いていますが、サイトが閉鎖されることも想定し、データの予備として、勝手ながらこちらにも転載させていただくことにしました。

記事の中で、「ボスから、法律家は、法律3割、その他7割との教えを受けた」との部分がありますが、私が東京時代にお仕えした岸巌先生のインタビュー記事も、幸い、今も掲載されています。

岸先生は、残念ながら平成25年頃にご病気のため亡くなられており、インタビュー記事は平成22年(奇しくも、震災のちょうど1年前)に掲載されていますが、長い間、闘病生活を続けてこられた関係で、かなりお痩せになっているように見えます。

で、記事を拝見すると、やっぱりというか、上記と全く同じ言葉が語られていた上、学生記者の方も、この言葉が一番、心に残ったと述べています。

さらに言えば、私の記事を平成23年の掲載時にfacebook上で紹介したところ、大学の先輩でもある司法書士のF先生からコメントをいただいたのですが、その中でも、やっぱり岸先生のお言葉が印象に残ったと仰っていました。

そうしたことを思い返すと、改めて、岸先生の「言葉の力」には凄いものがあるというか、ご自身の実践や積み重ねがあってこそのものではないかと感じました。

私にとっては「とても近寄りがたい、オーラの塊のような大先生」でしたが(私と入れ替わりで独立された兄弁の先生も仰っていましたが、電話口でも直立不動になってしまうようなところがありました)、改めて、岸先生から今、何を学べるか、学ぶべきか、問い直してみたいと思っています。

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小保内義和先生にインタビューをさせていただきました。

Q1.弁護士になろうと思ったきっかけを教えてください。

A1.身も蓋もない回答をすれば、「一匹狼でも生きていける弁護士業の方が、窓際に追いやられそうな役人などより自分の性分に合うと思った上、大学受験で唯一合格できたのが中央大で、入学直後に真法会という業界では著名な司法試験受験生の養成団体の入室試験に合格できたので、その際、自分の道が定まったと思ったから」です。

ただ、これではつまらないので、長たらしい蛇足を加えると、次のようになります。

私の故郷である岩手県二戸市は、「豊臣秀吉天下統一の最後の戦が行われた地」として、一部の歴史ファンに知られています。一般的には、関東征服(北条氏滅亡)の際に、伊達政宗を筆頭とする東北の諸将が服属して統一が実現したかのように誤解されていますが、北東北のうち現在の岩手県北から青森県東部の一部地域だけは、名実ともに秀吉の支配に服属しない状態になっていました。

当時、北東北は、覇者・南部氏の跡目争いに一応勝利した南部信直、分家筆頭の九戸政実、南部氏から一方的に独立宣言をした津軽氏の3者が三つ巴で抗争しており、このうち信直公と津軽氏は小田原に参陣し本領安堵と引き換えに抗争停止命令に従いましたが、政実公は参陣せず服属を拒否したことから、豊臣秀次を総大将、徳川家康を副大将とし豊臣・徳川・東北の諸将が率いる大軍が、政実公の居城・九戸城に押し寄せました。

対する政実軍は上方軍の十分の一に満たないものでしたが、上方軍の総攻撃によく耐え、戦争では落城しませんでした。長期戦を恐れた上方軍は、政実公らが詰め腹を切れば他は助けると勧告し投降させましたが、とんでもない騙し討ちで、開城直後、上方軍は女子供を含む籠城者全員を殺戮し城を焼き払ったと言われています。

その後、秀吉から九戸氏旧領全域の支配権を認められた信直公は、一旦は版図の中央にある九戸城に本拠を移すも、ほどなく豊臣諸将の勧めで伊達氏との国境に近い盛岡に遷都し、以後、二戸地方は我が国の歴史から忘れ去られ、経済的にも国内有数の困窮地域として苦難の道を辿ることになりました。

私は、実家が九戸城址の三の丸跡にあったため、幼少時からこの物語を知り、荒れ果てた本丸周辺の物悲しい空気に触れながら育ったので、自分も、理不尽に地獄を強いられた人々の血と涙に報いるような、何事かをしなければならないのではという漠たる思いを持っていました。

その後、将来は盛岡で定職を得て生活したいと思うようになった際、いつの頃からか、「盛岡は、敵将である信直公が九戸一族を滅ぼすのと引き換えに得た都である上、規模や地理的条件などから、北東北の盟主と言ってよい都市である。この地で正しい仕事をして人々の支えになり、社会を盛り立て、必要な存在として認められていくことは、まさに九戸城の人々が成し遂げたかった生き方ではないか。」と考えるようになりました。

他の道に憧れを抱いたこともありますが、最終的に、盛岡で弁護士として生きることが腑に落ちた理由は、そうしたことによるのではないかと思っています。

Q2.弁護士になって特に印象に残っている案件(事件)を教えてください。

A2.東京で4年半、岩手で7年近く仕事をしていますが、岩手での仕事について詳しく書くのは憚られますので(事務所Webサイトに少し書いています)、東京時代のことで、一つ挙げることにします。

弁護士2年目に担当した、ある刑事国選事件が執行猶予判決で終了した後、被告人のお子さんが以前に受傷した交通事故に関する賠償請求を依頼されました。受任時点で家庭内に複雑で特殊な事情があったのですが、途中でご家族の関係が変容し、法律上様々な論点を含む深刻な不和が家族間に生じてしまいました(具体的な説明ができなくて申し訳ありませんが、野島伸司氏脚本のドラマ並みの事情とだけ述べておきます)。

最終的に、交通事故の賠償請求は訴訟で相当の和解勧告を受けて解決し、ご家族の関係も社会通念に照らしやむを得ない形で決着しましたが、ご家族・親族の間を綱渡りするような思いでやりとりしなければならない面が多々あり、弁護士倫理など様々な点で貴重な経験をしました。

現在も、駆け出しの弁護士が、こうした「狭義の受任対象である法律問題とは別に、およそ教科書に手がかりがない複雑・困難な事情が存するケース」に直面し、自分なりに、人の道、弁護士のあるべき関わり方を悩みながら解決を模索していかなければならない経験をすることは、珍しくないと思います。

私がお仕えしたボスのお言葉ですが、法律家は「法律3割、その他7割」の心構えで、直面した紛争の正しい解決を考え、実現するための地道な努力を重ね、胆力を練り上げていくほかないと思います。

Q3.弁護士のお仕事の中で嬉しかったことは何ですか。

A3.月並みですが、一定の努力を尽くせば相応の成果が実現できると想定できた受任業務で、人事を尽くして成果を達成できたときは、いつも嬉しいです。

また、そうした際、依頼者の方から「貴方に会えて良かった」と仰っていただけるときには、この仕事に就いたよろこびを何よりも感じることができると思います。

反面、精根尽くして債務名義を得た途端に相手方が破産してしまうなど、物心共に報われない思いを強いられることも少なくないというのが町弁の現実です。

Q4.弁護士になって一番大変だと感じることは何ですか。

A4.事務所を開設する町弁は零細自営業者であり、業務を通じて社会の役に立ちつつ、事務所と職員の雇用を守る責任を負っています。

事務所を維持するに足る受注を確保すること、それぞれの受任事件で、依頼者・受任者双方が納得できる真っ当な業務や価格の水準を確保することの2点が、現在、最も腐心し、大変だと感じるところです。

私が盛岡に移転し独立した平成16年から数年間は、岩手全域が弁護士過疎地で、債務整理特需の全盛期でもありましたので、幸い、受注不足に困ることも事務所維持に必要な売上確保に困ることもありませんでした。

しかし、①債務整理特需の終焉、②若手弁護士の激増に伴う従来型ルートを中心とする弁護士個々の受任機会の減少、③東京の弁護士事務所等の派手な宣伝活動やコミュニケーションツールの活用による地方需要の吸い上げに加え、④東日本大震災に伴う被災県の社会・経済活動の停滞、⑤被災県の弁護士に期待される各種ボランティア活動への参加の必要などにより、地方とりわけ被災県で活動する町弁の事務所経営は、すでに非常に厳しい時代へと突入しています。

反面、これを裏返せば、①借金問題から解放された人々による新たな法的サービス需要の発生、②若手と連携した新たな需要喚起・活動領域等の拡大、③他の弁護士等の広報・経営戦略などの研究、④今後の復興活動等に伴う法的サービス需要の発生、⑤ボランティア活動を突破口とする新たな人脈・弁護士業務の開拓など、様々な可能性や好機が生じていると捉えることもできるわけで、詰まるところ、ピンチをチャンスに変える力が自分にあるのか、日々問われているのだと痛感しています。

文章ではあれこれ書いていますが、実際には内向的で引っ込み思案の性格なので、そうした自営業に向かないところが最大の問題なのでしょうが・・・

Q5.休日はどのようにお過ごしですか。

A5.イソ弁時代は、自宅で夕方まで寝て、日暮れ時に事務所に来て終電まで仕事をするような荒んだ生活をしていましたが、現在は、仕事と兼業主夫との両立に追われる日々です。

Q6.弁護士としてお仕事をする上の信条・ポリシーを教えてください。

A6.平成16年に東京を去り自分の事務所を開設すると決めたとき、自分が何のため、誰のために働きたいのか、色々と考え、自分がこだわりたいキーワードとして、北東北という概念に辿り着きました。

これは、Q1で述べたことのほか、父方の一族が大昔に秋田県田沢湖近辺の領主をしていたとの伝承があり、母が青森県東部の出身で幼少時には母の実家をよく訪ねていたなど、個人的にも北東北三県に関わりがあり、自分にとっての広義の故郷が、この3県を中心とする地域ではないかと感じたことによるものです。

そこで、北東北の人々や社会への貢献を事務所の存在意義(コーポレートアイデンティティ)として明確に打ち出したいと思い、北東北を意味する「北奥法律事務所」と名付けました。

今も、岩手だけでなく青森や秋田(特に両県の東部地域)の人々や社会のお役に立てる機会があればと思っていますが、管轄や経費の関係で業務として成り立たせるのは容易でなく、転勤族の方などに多少のお手伝いをするに止まっているのが実情です。

Q7.ご依頼者様に対して特に気を付けていることは何ですか。

A7.一筋縄ではいかない事件・論点などでは、ご自身が直面する法的課題について、「弁護士に任せて結論・成果だけを待ってなさい」とするのではなく、その課題の本質・病因がどのようなものか、論点の法解釈なども含めた解決のあるべき姿がどのようなものか、弁護士(私)なりの理解・考えを極力分かりやすく伝え、認識を共有いただいた上で、共に解決を勝ち取っていく態勢を作ることに腐心しているつもりです。

受任事件の方針に対する正しい判断を依頼者自身が行うために必要な理解を深めていただくことが主たる目的ですが、弁護士との共同作業を通じて、ご自身が法的紛争に対する理解・分析や解決の力を高め、今後に繋げていただくことができれば、広義の社会貢献ができたと言えるのではないかと思います。

結果として、例えば、相手方への通知書や準備書面などがくどい長文になることもありますが、分かりやすい言葉で言い分を尽くしてくれたと依頼者の方々から感謝いただくときは、自分の方針が間違っていないと安心するものです。

Q8.弁護士として特に関心のある分野は何ですか。

A8.ありふれた田舎の町弁の一人として、企業法務・知財・事業承継から債務整理・家事・消費者問題などに至るまで幅広い分野を射程にしていますので、関心も多種多様で、ここで延々と述べるのは適切ではありません。

ただ、敢えて一つ触れるとすれば、私の実家が零細ながら会社経営をしており、経営者の苦楽を垣間見て育ちましたので、中小企業のサポートになる類の業務には、特に関心を向けていると思います。今後、低額の顧問契約など、そうした方々との接点を高め、気軽に当事務所をご利用いただけるような工夫をしていくつもりです。

また、被災県の弁護士として、復興や街づくりに関して生起するであろう新しい弁護士業務に携わる機会を持てればとは思います。

Q9.今後の弁護士業界の動向はどうなるとお考えでしょうか。

A9.前記4のとおり、今後、町弁業界が厳しい時代を迎えることは間違いありません。その中で生き残る=選ばれる弁護士になるため、田舎の町弁も、①良質な受注機会の獲得、②受注業務を適正に解決するための研鑽の深化の双方を、ますます追い求めていかなければならないことは当然です。

①については、HPなど空中戦に力を入れるか、人脈づくり(地上戦)に精を出すか、各人で手法が分かれるでしょうが、②については奇策などあるはずもなく、基本書や判例雑誌、近時の実務状況をまとめた本などを地道に勉強し続けるほかありません。私自身は、これまで多少とも経験させていただいたように、地道に努力を続けていれば、今後も誰かがそれを見ているのだと信じて、腐らずに頑張っていきたいと思います。

Q10.先生の今後のビジョンを教えてください。

A10.当事務所は、債務整理特需の最盛期に事務局の増員とスペース拡張を行ったため、今後、これを維持できるのかという課題に直面しています。

弁護士を1、2名受け入れるだけのスペースがあるため、数年内には複数弁護士体制にしたいのですが、勤務弁護士に高収入を約束できる恵まれた事務所ではありませんので、どのような方法で弁護士の増員や経営安定を図るか、思案の最中です。

また、受注費用に関しては、公平さや透明の面からタイムチャージ的な手法による受注を増やしていきたいと考えており、この点も試行錯誤を続けています。

Q11.ページを見ている方々に対してメッセージをお願いします。

A11.都会の企業法務中心の大事務所など、私にとっても縁遠い世界のことは分かりませんが、少なくとも、地方の弁護士業界は、地元の著名企業など良質な顧客基盤を有し、伝統的な弁護士像を地でいく大ベテランの先生方を別とすれば、数年続いた債務整理特需の終焉と若手弁護士の大増員に不安を抱きながら、業務拡大など様々な模索を始めた変革期に突入しつつあると思います。

裏を返せば、ここ十数年間は、これまでに考えられなかった、新しく、現代に適合した合理的な弁護士の法的サービスを享受できるチャンスが到来したということでもありますので、供給サイド(弁護士)だけでなく、需要サイドの方々も、リーガルサービスのあり方について、検討を深め、弁護士業界に刺激を与えていただきたいと思っています。

Q12.ページを見ている法曹界を目指している方に向けてメッセージをお願いします。

A12.すでに延々述べてきたように、町弁業界は、厳しいピンチとチャンスの時代に突入しました。コストパフォーマンスの適正なども含め、真に社会に価値を供給できる法律家だけが生き残ることを許される、逆に、そうした法律家には、これまでの社会では実現できなかった多様な活躍の場が与えられるのだという認識をもって、研鑽に励んでいただきたいと思います。

また、法律以外の諸学問の基礎的理解は言うに及ばず、人情の機微に触れる力から未来の社会需要を見通す力まで、様々な力を養うための機会を大切にして下さい。私が言える立場ではありませんが、「ハンドルの遊び」があり、僅かな言葉・労力で相手を納得させる器量を持つ人ほど、多様な経験を重ね、センスやバランス感覚、胆力を養っていることは確かです。

私はそうしたものを養う機会をさほど持たずに実務家になりましたので、ツケを後日に支払うことになったとは思っていますが、それでも、学生時代や修習中に享受した幾つかの経験や業界の先輩を含む幾人かの素晴らしい方々から薫陶を受ける機会に恵まれたこと、様々なジャンルの読書などが、今の糧として生きていると確信しています。

Q13.その他特記したい事項やページを見ている方にお伝えしたいことがございましたらお願いします。

A13.当事務所のWebサイトも併せてご覧いただければ幸いです。
URL:https://www.hokuolaw.com/home2/

<取材学生からのコメント>

今回、小保内先生にインタビューをさせていただきましたが、とても濃い内容だったのではないかと感じました。事前に先生に準備してくださったおかげでもありますが、インタビューの質問1つ1つが身に染みてきて、とても勉強になりました。

最後になりましたが、お忙しい中インタビューをお受けくださった小保内先生、ありがとうございました。