首相の靖国参拝とアーリントン墓地

購読している日経新聞が積ん読となり、さきほど、10月5日の新聞を読んだのですが、記者コラムで、靖国参拝に関し次のように述べられていました。

「今年の5月に、安倍首相が米誌インタビューに対し『靖国参拝は、米国人にとってのアーリントン墓地(戦没者追悼国立墓地)と同様に自然なことだ』と答えた。

ほどなく、米国の国務長官と国防長官が千鳥ヶ淵墓苑に献花し、国防総省高官が『千鳥ヶ淵墓苑はアーリントン墓地に最も近い存在だ』とのコメントを公表した。

これは、米国が、安倍首相に対し「靖国とアーリントンを一緒にしないで」とメッセージを送ったものに他ならないし、韓国や中国にもその認識(米国は靖国参拝を支持・容認しない)を示したものと見るべきだ。

実際、単一の宗教法人である靖国神社を、米国人戦没者でありさえすれば、無宗教を含むほぼ全ての信教の持ち主の埋葬を受け入れているアーリントン墓地になぞらえるのは無理がある。

安倍首相の言動によっては、日米同盟に対する米国内の支持も一部損ないかねない。両長官は米国民向けにメッセージを発したようで、高等なコミニュケーション戦術と言えようか。」

先日の、安倍首相の靖国参拝は、中韓の反発以上に米国からの「失望」コメントの方が国内の反響を呼んでいたように思いますが、上記のコラムを執筆した方は、当然そのようなコメントを予測していたのだろうと思います。

靖国を巡っては、あまりにも多くの論点が錯綜しており、ざっと考えても、大要、次のような論点が考えられ、個々の論点に関する論者の立場も、モザイク状に入り乱れていると思います。

先の大戦の意義に関する理解(大義の有無・程度)の問題(対東アジア政策を主とする大日本帝国政府の政策ないし統治思想に対する評価などを含む)、

政教分離の問題(最高裁の目的効果基準的な見地からの評価のほか、靖国神社と神道一般との関係(神道内部の路線の違い)なども含む)、

③個々の戦没者・遺族の靖国に対する肯否様々な感情及び信教の自由や思想などの問題(遺族会やその子弟などの肯定的立場と「靖国に祀られない権利」を主張する否定的立場との利害の調整のほか、国民を死地に送り込んだ基盤である大戦時の日本を覆っていた全体主義・集団主義と個人主義ないし人権思想(戦後民主主義)との関係等に関する考察や双方の評価等の問題を含む)、

A級戦犯合祀及びそれに付随する問題(戦没者追悼施設として相応しいのかどうかという議論のほか、前提としての個々のA級戦犯への評価(戦争犯罪者と言うに値するか等の論点)やBC級戦犯或いは戦犯であることから免れた個々の戦争責任者の評価、ひいては極東国際軍事裁判自体の大義云々の議論も含む)

靖国参拝を巡っては、各人の立場が強く出ている個々の主張が全く噛み合わない光景を目にすることが多いと感じますが、その背景にも、様々な論点が整理されずにゴチャゴチャのまま各人の言いたいことばかり声高に告げられていることが、主たる原因ではないかと感じています。

いわば、複雑な事案の訴訟で、裁判所等の強力なリーダーシップによる主張整理が伴わず、当事者が勝手な主張を繰り広げ、不毛な主張書面のやりとりばかり繰り返しているような状態だと思います。

それだけに、あくまで「首相の靖国参拝」を円満に実現したいのであれば、それらの様々な論点を解きほぐし、説得可能な論点について地道な努力を積み上げ、米国や中韓さらには国内も含む主要なステークホルダーが反発するのを不要視ないし躊躇するような環境作りをしなければならないと思います。

そのような努力の光景を欠いたまま、自分達のしたいことばかりを先行させ、結果として価値観を共有していない第三者的な周辺弱者(例えば中韓に工場移転し依存度が高い中小企業など)に損害を被らせることになれば、人心が急速に安倍政権等から離れてしまう可能性も否定できないと思います。

私個人を含め、現在のところ、国際問題等の形で騒がれることのない静謐な環境でなされるのであれば、殊更に靖国参拝に反対しようとまでは思わない(逆に、大騒ぎになるくらいなら自粛はやむなしと考える)立場の国民の方が多いと思われるだけに、この問題に関わっている方々には、冒頭のコラムで述べられているような「高等なコミニュケーション戦術」を学んでいただきたいと思うほかありません。

ともあれ、訳あって、1月1日に東京駅に立ち寄るので、可能であれば靖国神社と千鳥ヶ淵の双方に行ってみたいと思います。