JR福知山線事故の刑事裁判で議論されなかった重大論点と、就労者の尊厳のいま

先日、H17に発生したJR福知山線の車両転覆事故に伴う大惨事について歴代社長が検察審査会により強制起訴され無罪となった最高裁決定(最決H29.6.12)が、判例タイムズ1457号に掲載されているのを見ました。

判決(決定)によれば、刑事裁判では、社長らが本件現場(カーブ地点)に自動停止装置を設置(指示)しなかったことが過失(業務上過失致死傷罪の成立を基礎づける注意義務違反)と言えるかが問われ、最高裁は、社長らには事前に指示すべき義務(刑事責任を問うだけの過失)はなかったと判断しています。

ただ、私はこの事件に不勉強でよく存じませんが、この事故に関する報道が盛んになされていた当時、JR西が運転士ら従業員に対し、日勤教育などと称する心身の健康を害するような抑圧行為を組織的に行っており、本件運転士も本件運転時にそれにより強いストレスを抱えていた(ので無理に遅れを取り戻そうとした)ことが、大幅な速度超過の原因だと言われていたような記憶があります。

決定文や判タ解説を見る限り、その問題が刑事裁判で問われていたようには見えないのですが、どうなんでしょうか。

少しだけWeb検索したところ、本件事故とは別にJRの従業員さん達が日勤教育について慰謝料等を請求した訴訟の記事が出ていましたが、本件で日勤教育などの就労環境上の問題が事故原因として争点となった訴訟等があるのかは見つかりませんでした。

もともと当然に有罪と言える事案ではなく、だからこそ事故の原因となった会社内の様々な問題を社会に問うべき面の大きい裁判だったのでしょうから(被告人の負担云々の議論は措くとして)、どうせなら「運転士の心身不調(による操作ミス)を誘発した(それを阻止すべき義務を怠った)関係者の過失」(体調等を管理すべき直接の上司などのほか、運転士の不調の原因となった悪習?に帰責性のある立場の方々の過失責任)も、民事を含め何らかの形で裁判所の審査の対象としてもよかったのではと思わないでもありません。

この件に限らず「モーレツ企業での末端従業員に対する過酷待遇(組織的なパワハラ行為?)」というのは、社会問題を生じさせた一部の企業を典型に、かつて日本社会で少なからず見られた光景かとは思いますが、そうであればこそ、こうした風習が個人の尊厳への重大な侵害になりうるものであることを裁判所が明確に宣言する機会があればよかったのではと感じています。

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ところで、少し前、伝聞ではありますが、次のような話を聞いたことがあります。

「盛岡市内のA先生の事務所では、職員が、ほとんど毎日、昼の時間に裁判所と弁護士会(サンビル)に赴くことになっている。これは、弁護士会や裁判所に設置されているポスト(書類入れ)に交付書類がないか確認するためというものだが、現在は急いで(その日のうちに)取りに行くべき書類がポストに挿入されることは滅多になく(そもそもポストが空の日の方も多い)、何のために行くのか疑問を感じつつも仕方なく往復している。なお、先生(弁護士)は、裁判所や弁護士会に行っても、自ら書類を取ることはない。」

私自身は、それを聞いて「なんて無意味で不合理なことをさせているのだろう、それって日勤教育とか身分制社会などと言われても仕方ないのでは?」と思わざるを得ませんでした。

ちなみに、当事務所では必要やむを得ない事情がない限り、職員に弁護士会や裁判所に書類を取りに(出しに)行くよう指示するということはしていません。事務所がこの2つの施設から遠い(自転車で10分、歩くと20分以上?)ということもあり、基本的に、私がこれらに行くときに、ついでにポストに寄って取っており、職員に出動を頼むのは、ごく希です(裁判所は私が頻繁に行くのでほとんどありませんが、弁護士会はあまり行く機会がなく、急ぎの用事があるときなどにお願いしています)。

もちろん「そんな無意味なことに時間を使う暇があれば、事務所内にもっとやるべき(やって欲しい)ことがある」という、ごく当たり前?の発想に基づくものですし、私も職員も皆、細々した仕事で相応に一杯一杯で、「しなくてもよい仕事(と称する無駄な行為)」に時間を浪費する暇(させる余裕)はありません。

ですので、「だったら、その先生(事務所)に無用で不合理な仕事を命じるのを改めよ(やりがいのある仕事を命じて欲しい)などと、団交申立など(ついでに記者会見も)をなさってはどうか」と戯言?の一つも言いたくなったのですが、そのあと、「あっ」と思い返したことがありました。

私が司法修習生のときにお世話になったB先生の事務所でも、その事務所の職員(事務員)さんが同じようなことを仰っていた(なさっていた)ことを思い出したのです。

ちなみに、B先生は県内の著名企業の顧問などをなさっている大ベテランのせいか、当時はさほど忙しく仕事をなさっているようには見受けられず、事務員さんも日中はかなり暇を持て余している感じがあり(私も雑談のお相手をするのが大変だった・・という記憶が微かにあります)、上記の「毎日のお使い」を嫌々しているという印象は全くありませんでした。

ただ、私がお世話になっている間は、その事務員さんに代わりに行ってくれる?と言われたことは時々あり、私も(修習生としてさほど起案などを命じられていなかったという負い目?もあって)無為徒食の日々を過ごすくらいなら、その程度のことはしなくてはと思って、昼食のついでもあり、ある意味、喜々として引き受けていたような気もします(他にも個人的な理由があったかもしれませんが・・)。

ですので、完全な想像になりますが、ひょっとしたら、盛岡のベテランの方々(A先生もB先生も、私が修習生になる前から長年仕事をなさっている大ベテランの方々です)には「事務職員に、昼になると裁判所や弁護士会に書類の提出や受取のお使いをさせる文化」が、かなり以前(数十年前)からあったのかもしれません。

そして、A先生は、(少なくとも先生や事務所の主観では)それを今も続けているだけに過ぎない(殊更に、無駄な仕事を強要して就労者の尊厳を害しているという認識は持っていない)のかもしれません。さらに言えば、もしかしたら、冒頭の話に登場したA先生の職員さんも、さほど仕事を抱えているわけでもなく、その「毎日の昼のお使い」があることが事務所で就労する上での存在意義になっている面もある、などという話もあるかもしれません。

そうであれば、「そんなの日勤教育じゃないか」などと一方的に非難することができるのか、という話につながってきそうな気もします。

ただ、「就労対策の一環として、本来は必要がない軽作業をさせている」といった類の話なのであれば、その方が障害を持っているなど相応にやむを得ない事情があれば致し方ないのかもしれませんが、そうでなければ、最近流行りの生産性云々の話を持ち出すまでもなく、「就労者の尊厳」という観点から、そのような光景は決して望ましいものではないのであって、労使双方が真摯に「各人のあるべき仕事のあり方(仕事の創出のあり方)」を考え、実践を積み上げることが求められていると思います。

本当は、そうしたことなども地元の先生方などとお話できる機会があればと思わないでもありませんが、諸々の理由で夢のまた夢、ということになりそうです。