排出者責任という「正義」に至る長く遠い道のり

先般、福井県敦賀市で生じた廃棄物の大規模不適正処理(実質は不法投棄)事件で、排出元である全国の自治体の責任を否定した2審判決を最高裁が破棄し、排出自治体にも費用負担の責任があることを前提として2審に費用算定を行うよう求める差戻判決がなされたとの報道が出ていました。

今から20年も前の話ですが、私も日弁連廃棄物部会の企画(現地視察)で、引用記事の事件現場(キンキクリーンセンター)を拝見したことがあります。

といっても、業者等が現地を管理し自由な立入ができないので、辛うじて確認可能な入口付近の幾つかの地点をチラ見した程度でしたが、水処理施設から排水が轟々と河川に流れ込む光景だけはよく覚えています。

この事件は、数量上は岩手青森県境事件を超える日本最大規模の廃棄物不適正処理事案と言われていましたが、県境事件(や豊島など)と異なり、世間の注目を集めることはほとんどありませんでした。

産廃ではなく一廃だからだとか、県境事件のような純然たる不法投棄ではなく既存の埋立施設を無断で拡張したものだからなどと聞いた記憶ですが、汚染流出などの問題があったことは他事案と同様ですし、都市部を中心とする全国の膨大なゴミが特定の辺境の山間地に丸ごと押しつけられたものであるという構図は、県境事件と何ら変わりありません。

そのため、負担を押しつけた側=排出者・委託者たる全国各地の自治体の責任が問われたこの裁判の行く末については、判例雑誌などを通じて注視し続けてきたのですが、排出者責任という最も基本的な考え方を最高裁が支持したことは、当然というか、ホッとしているところです。

私が数年前から従事している某重大事件も、先般、この事件に類似する法律構成で排出者の撤去責任=費用負担を認める心証開示が(曲がりなりにも)なされており、当方にとっても追い風になるのではと期待しています。

その事件の訴状等では「人間が汚した大地の浄化は汚した側が責任をもって行うべきで、汚された被害者に押しつけるのはもってのほかだ。まして、行政がそれを開き直って当然視するなんてあり得ない(あんたら岩手人として恥ずかしくないのか)」という趣旨のことを訥々と書きました。

大地の尊厳を守るべき人間の責務について、こうした事案をもとに、多くの人々に考えを深めていただきたいものです。

ただ、キンキ事件も、発覚から現在まで25年以上を経ており、簡単な論点ではないとはいえ、あまりにも長すぎます。

私が延々と死闘を続けている某重大事件も発覚から5年目に突入し、費用の補充のないまま何年も長時間労働を余儀なくされるのは事務所経営的には非常に苦しいというのが正直なところで、そうしたことも含め、裁判所は訴訟の適正解決をもっと迅速にできないのかと、残念に思うばかりです。

余談ながら、何年も前、引用記事の事件の被告側代理人のうちの1人(この事件は全国各地の自治体が被告になっています)からお話を伺う機会があり、事件の当否とは別の問題として、原告代理人の仕事ぶりがいかに拙劣かという話を延々聞かされた記憶があります。

その話の当否は私には分かりかねますが、私も同じようなことをヨソで言われないよう、今後も精進してきたいものです。