北奥法律事務所

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08月

逮捕された人が弁護人を選ぶ権利は強化されるべきか

先般、当番弁護士で某警察署に赴いたのですが、担当した方から「半年前にも捕まったことがあるが、その際に私選で頼んだ若い弁護士は態度が横柄で、示談こそしてくれたが、釈放後に被害者からも「とても酷い弁護士だった」と言われた。それで、今回はその人に連絡せず当番弁護士の出動要請をした」と聞かされました。

その際の私選費用も聞きましたが、私(私選弁護はLAC単価のタイムチャージ方式)よりも、かなり高い金額を請求しているかもと感じました(その件でお金を使い果たしたのか分かりませんが、現在は資産なしということで、今回はいわゆる私選ではなく、そうした方向けの制度を利用いただくことになりそうです。遠方の署なので赤字必至ですが・・)。

依頼者と受任弁護士とのマッチングは多分に相性の問題もありますので、他の弁護士さんをどうこう述べる趣旨ではないのですが、ネットが多少は発達した娑婆の世界はともかく、身柄を拘束された人にとっては、現在もなお、弁護士の実質的な選択権は整備されていないと感じる面はありました。

その後、思ったのですが、仮に、警察署に「その警察署の管内を対象として営業している、私選弁護人の選任を希望する弁護士のリスト(PR欄や費用等の受任条件欄付き)」を備え置き、捕まった方(で私選弁護人の選任を希望する人)が、それを見て希望する弁護士に当番弁護士として出動を求めることができるような制度があれば、「捕まった人が、自分が希望する(自分に合う)弁護人の選任を求めることができる可能性」が、少なくとも、現在(警察署の地理的云々を別とすれば、基本的には弁護士会や法テラスの登録名簿順でしょう)よりも高くなるというような気はします。

弁護士側の判断もありますので、出動要請の際に、認否その他、一定の属性や情報が記載された(或いは拘束者が任意提供できるような)ペーパーなどを作って送信することも併用すれば、マッチングという点では多少は機能するかもしれません。

もちろん、現在の弁護士会(供給者側)の感覚からすれば、幾らでも批判できそうな荒唐無稽な案だと思いますが、需用者側にとっての合理性(競争原理ないし選択権)はもちろん、供給者側にとっても、現在の町弁供給過多の流れが続き、営業面で困る弁護士が増えれば、そうしたリストへの登録をしてでも依頼獲得を希望する(せざるを得ない)人は、それなりに出てきそうな気がします。

また、弁護士ドットコムの運営者などが(会内で)天下を取れば、弁護士会から警察署等に申し入れるなどという展開も、あり得ない話ではないように思います(ま、その前提自体があり得ない話と言われるのかもしれませんけど)。

ただ、捕まった方々が、地域の弁護士の顔写真入りリストのようなものを眺めている光景を想像すると、さすがに当事者としては目眩を感じないこともありませんので、そんな案は夢想が過ぎるということになりましょうか。

上記の案はさておき、刑事手続を受けた方(弁護人、とりわけ私選弁護人に関わった方)に向けて、上記のような観点からの当事者の意識調査などを大規模に行った統計資料のようなものがあれば(犯罪学の学者さんとマーケティング学者さんなどに手がけていただければ)と思わないでもありません。

事件の当事者を人前で呼び捨てにする人々

この仕事をしていると、事件の当事者について、敬称(さん、氏など)を付して呼ぶ方もいれば、それらを付さずに呼び捨てにする人もいて、特に、刑事被告人等について、人によって分かれることが多いことは皆さんもご存知のとおりです。

そして、そのような光景(発言)に出くわすと、そのいずれ(敬称を付すかどうか)が正しいかというよりも、発言者が、その当事者ないし事件とどのように向き合っているかが何となく感じられる面があります。

刑事事件で、威厳あふれる刑事事件の裁判長や老練なベテラン弁護士さん、糾弾すべき立場にある検察官が呼び捨てにするのであれば、私自身は、違和感を持つことはほとんどありません。まして、深刻な被害を受けた被害者ご本人等であれば、被害感情を表現する趣旨で呼び捨てにするのは当然と言ってもよいのだろうと思います。

これに対し、若い修習生や弁護士、記者などが、横柄な態度で当事者を呼び捨てにしているのを聞かされると、そうした姿勢は、あなた自身への刃となって返ってくるのではありませんか、と感じるところが往々にしてあります。

先日、ある事件で、裁判所の門前で記者さん達に囲まれ、事件の進行状況等についてコメントしたことがあり、その際、私が終始一貫、関係当事者らを「●●氏」と呼んでいるのに対し、事件の当事者から何某かの迷惑行為を受けたわけでもないのであろう若い記者さん達の何人かが、そうでない呼び方(や態度)を示しているのを聞いていると、そんなことを感じたりします。

少なくとも、相対的に第三者性が強い立場の方が、事件の当事者に表立って乱暴な言葉遣いをしているのを見ると、どうしても、「威を借る」的な臭いがして、何だかなぁと思ってしまいます。

上記のケースでは、若い記者の何人かが、刑事手続を受けていない方も含め、事件の関係者を当たり前のように呼び捨てにしていたのですが、この記者さん達がそのような話し方をしているのには、どのような背景(マスメディアの社内・業界内の環境=取材対象者への向き合い方に関する文化)あるのだろうと考えずにはいられないものあがります。

もとより、記者の方が取材対象者に怒りを持ったのなら、乱暴な言葉遣いや態度で虚勢を張るのではなく、自らの努力で取材対象者を糾弾できる根拠となる事実を発掘する姿勢を身につけていただきたいと思いますが、私が記者の方と接点を持った数少ない経験の範囲では、そうしたものを感じたことはほとんどありません。

そのような姿勢を学ぶ機会を持たないまま社内で影響力を持ってしまう人もそれなりにいるのだろうかと思うと、残念に感じてしまいます。

私もそうでしたが、若い業界人(修習生や駆け出し期)だと、検察修習等の影響が残っているのかな(或いは、未熟さ・自信のなさが、かえって虚勢的なものにすがらせやすいのかな)と思いますし、そうしたものは、弁護士として叩き上げの経験を持てば、ほどなく解消されるのが通常ではないかと思っています。

記者さんも、個人差があるのでしょうが、中堅の方の方が、そうした(対外的な)言葉遣いが丁寧かなと感じたりしますので、法律家と同様?に、経験を積んで、事件や人に対し、相応の謙虚さを持っていただければと思います。

 

アイスバケツとALS関連訴訟

最近、アイス・バケツ・チャレンジなる運動(イベント?)が盛り上がっており、本来の趣旨は、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の研究を支援するための寄附を募る運動なのだそうです。

氷水をかぶること自体には、あまり意義を感じませんが、難病支援の運動であれば、盛んにやっていただいてよいのではと思います。

ところで、ALSが裁判のテーマとして取り扱われることはほとんど聞いたことがありませんが、先般、同症の罹患者への介護給付費の算定方法が問題となった裁判例が公刊されており、せっかく、アイスバケツを機にALSに関心を持ったという方がおられれば、こうした話題にも目を向けていただければと思います。

事案と判旨の概要は以下のとおり(和歌山地判H24.4.25)。

昭和11生まれの男性Xは、身体障害者1級を認定され、障害者自立支援法・介護保険法に基づく介護認定を受けている筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者であり、平成19年3月頃からは、Y(和歌山)市内の自宅で妻Aと2名の訪問介護員による24時間介護を受けている。

Y福祉事務所長は重度訪問介護の支給量を1月268時間(1日8時間+緊急対応20時間)とする介護給付費支給決定(H22・H23決定)をした。

Xは、24時間の公的介護を要し1月651時間(1日21時間)を下回らない決定をしないことが裁量の逸脱・濫用だと主張して、Yに対し、本件各決定の取消しと当該義務付けを求め提訴。

裁判所は、結論として、X(筋萎縮性側索硬化症の患者)に関する介護給付費で「1月支給量が542.5時間を下回らない決定をしないこと」が裁量逸脱・濫用とし、決定の一部を取消し、上記時間の限度で、介護給付費支給決定の命令(義務づけ判決。行訴法37の3)を行いました。

判例タイムズの解説によれば、本件は、障害者自立支援法に基づく介護給付費につき、支給決定を義務付けた初めての事例とのことです。

Xは、本件訴訟の提起時に仮の義務付け命令を申し立て、支給量を1月511.5時間とする決定の仮の義務付け命令を得ており、Xの代理人をされている方は障害者支援の分野では著名な先生で、福祉関係者とも連携し、緻密な主張立証をなさったものと思われます。

福祉分野に関しては、私も本格的な紛争の相談を受けることは滅多にありませんが、以前、母子手当に関し行政から納得のいかない判断を示されたというご相談を受けたことがあります。

その際には、市側の対応が筋の通らないものと判断しましたので、ご本人の主張を書面に要約して市役所に提出して下さいとお渡ししたところ、後日、市役所から希望どおり手当を受給できることになったとのお話をいただきました。

福祉関連は、弁護士にとっては超不採算仕事になるのが通例で、経営者にとっては「業務」として受任できるか悩ましさが伴い、いわゆる市民団体等の支援が得られない普通の弁護士にとっては、持続可能性等の関係で受任してよいのか悩む面はあると思います。

ただ、行政が明らかに筋の通らない対応をしていると確信できる案件などに巡り会った際には、そうしたものを糾すのも町弁の職責と腹を括って、できる限りのことをしていきたいとは思っています。

 

弁護士業界のグローバル経済とローカル経済

先日、冨山和彦氏の「なぜローカル経済から日本は甦るのか」という新書本を購入したのですが(まだ未読)、今日の午前中に、BS朝日の激論クロスファイアで同氏が出演し、同じテーマで話をされていたので、途中からでしたが、興味深く拝聴しました。

冨山氏に関しては、司法試験に合格しながら事業家に進んだ先駆者という意味で、以前からちょっとしたファンのようなもので、初期の著書を拝読するなどしていました。

で、先日、上記書籍を書店で手にとった際、そこで図示されていた、「グローバル経済(G)とローカル経済(L)の特徴」とで列挙されていた要素が、以下のように、前者(G)=世界や全国規模で活躍する企業法務等(やそのカウンターパートとしての大規模消費者被害)を取り扱う弁護士さん達の世界で、後者(L)が、私のような地方の町弁の世界によくあてはまる(或いは、弁護士業界も、G側とL側の乖離がより顕著になってきているのではないか)と感じ、読書欲を駆り立てられて購入した次第です。

・Gの世界→製造業、大企業が中心でグローバル経済化での完全競争
高度な技能を持つ人材が求められ、高賃金

・Lの世界→非製造、中堅・中小企業によるローカル圏での不完全競争
平均的技能を持つ人材が求められ賃金が上がりにくい

すでに、G側(特に企業法務に特化した弁護士)とL側(町弁)とは、同じ職業ではないと言わざるをえないほど「働き方の違い(一種の階層分化)」が確立したと思いますが、現在、議論がなされつつある業界の構造激変に対応した弁護士会の改革問題(会のサービスを享受しない会員等の会費減額運動から組織再編等まで)を考える上では、上部組織としての日弁連はまだしも、下部組織については、都道府県単位での単位会(だけ)という括りが、いかにも不合理という感じがしています。

法曹の一体性を重視する立場の方からすれば、異論も大きいところだろうとは思いますが、少なくとも、思考実験としては、「G側の弁護士とL側の弁護士」に区分して弁護士会(業界団体)を再編した場合に、どのような業界団体像が考えられるか、ということも検討してみてよいのではないかと感じています。

また、その延長線上でふと思ったのですが、現在、大企業の世界では、社外取締役の推進という議論が盛んになされていると思いますが、私の勘違いでなければ、日弁連や各地弁護士会に、社外役員(弁護士以外に理事会等の重要な意思決定に外部の企業・団体の経営者等が参画し一定の影響を及ぼす立場の方)が設けられた(或いは、設けるべき)という話は聞いたことがありません。

不勉強なので、法規制等の問題があるのかもしれませんが、弁護士会に限らず、「業界団体の役員について、発言力のある外部関係者を投入し組織を活性化、変革する梃子にする」という視点は、もっと持ってよいのではと思います(少なくとも、社外取締役の給源として期待され営業している弁護士業界自身が、弁護士の独立なるものを理由に、自社に社外役員なんか入れません、というのでは、何の説得力もないと思いますし)。

 

地方の弁護士として生きることの光と影と、それぞれの道

先般、佐世保市で生じた痛ましい事件については、加害者の関係者を巡って生々しい報道がなされることが多々あり、それも同業者の方ということで、ネット上で流布されている記事(引用は差し控えました)を見ると、色々と考えさせられるものがあります。

少し具体的に言えば、私は、「大学卒業2年目で(奇跡的に)司法試験に合格し、東京で中小企業法務等を中心に4年半修行した後、出身県の主要都市(ちなみに盛岡は当時の人口30万弱、佐世保は25万とのこと。岩手と長崎の県人口も概ね同じ)で事務所を開業し、(東京時代に某先生から勧められていたので)すぐに地元の青年会議所に入会した」という人間なのですが、上記事件の関係者の方が、その部分に限って言えば、客観的には、これと似たような経歴をお持ちのようです。

ただ、私の場合はJC入会後の展開がその方とは大きく異なり、半年程度で兼業主夫(幽霊会員)の道に邁進(転落?)せざるを得ず、9年間も在籍したのに理事長どころか委員長すら拝命することなく終わりました(当然、ごく稀にJC関係の会合に出ても、大して居場所もなく隅でひっそりとしているという有様になってしまいました)。

そのせいか?、地域の有力企業さん方とは顧問云々の仕事上のご縁はほとんどなく、運良く親しくさせいてただく機会に恵まれたごく一部の方に多少のお世話になっている程度で、もとより「地域有数の規模の事務所」では微塵もありません。

それどころか、債務整理特需の終焉後は事務所の運転資金に汲々としつつ、名士どころか営業時間前後は自宅で雑多な家事等に追われながら、「書類仕事する時間が足りないんだけど」と愚痴を撒き散らす日々というのが正直なところです。

そのため、ある時点までは記事の方のような「地方の大物弁護士への道」がありえたのかもしれないものの、10年ほど前に、そうした道にご縁のない分岐点を辿ったのだろうと感じたりすることもないでもありません。

といっても、こんな事件を引用するまでもなく、自分に明らかに適性のない道にご縁がないことを嘆くこともありません。せいぜい、(当時の中央大の宿命として)受験仲間の全員が初志を貫徹できるわけではないので、彼らに恥じない(小保内は折角受かったのにこの有様か、と思われない)生き方が出来ればという程度の欲(執着?)で済んでいます。

この仕事に限らず、我々程度の年数を生きた方なら、同じ感覚をお持ちだと思いますが、

・Aを得た者は、Bを得ることができない(ことが多い)
・Aを得ることができなかった者が、結果としてBを手にする(ことがある)
・AもBも手にすると、恐るべき災厄まで付いてくる(ことがある)
・但し、その災厄を受けた者が、時に、特別な何かを創出することもある

ということを、多くの実例を含めた実感として、感じることがあります。

光強ければ影もまた濃しと言いますが、私に関しては、今のところ、華やかな舞台に関わらず日陰で静かに暮らすことで、結果的に対処困難な問題にもご縁が無くて済むという方向に、生き方の舵が切られているように感じないこともありません。

 

岩手と沖縄の訴訟件数に関する格差から考える

先日、那覇地裁に7月下旬に提訴された事件の訴状を拝見する機会があり、事件番号(平成26年ワ第何号)が550番台になっていました。

これに対し、私が7月上旬に盛岡地裁に提訴した民事訴訟の事件番号が150番弱となっており、事件番号は、私の誤解でなければ、その年の1月1日以後、受理した順に付されますので、それを前提に考えれば、盛岡地裁と那覇地裁とでは、地裁本庁に係属する民事訴訟の件数が、約3倍もの開きがあるということになります。

ちなみに、ネットでざっと見たところ、岩手県の人口は130万強、沖縄県の人口が142万強ということで、ほとんど差がありませんから、単純人口比で言えば、同程度の訴訟件数があってしかるべきだということになるはずです。

人間の社会・経済上の活動が活発さの程度に応じて訴訟件数も変化すると思いますし、東京地裁のように制度的・社会的に訴訟件数が集中し易い大都市であればともかく、岩手と沖縄であれば、共にそのような問題(他県裁判所に訴訟が吸い上げられたり他県から吸い上げたりする訴訟のストロー減少)にはさほど縁がないと思われ、単純に、上記の活発さの差と訴訟件数の差をパラレルに捉え易いのではないかと思われます。

ですので、このような差が出ることに、双方の支部数の差(岩手6、沖縄4)を考慮しても、岩手と沖縄とは、社会・経済上、一定の格差があるのだろうと感じざるを得ないところがあります。

岩手の現在の弁護士数は約100名ですが、沖縄弁護士会のHPによれば、同会の会員数は250名強とのことで、その比較からすれば、沖縄の半分弱程度(上記時点で言えば、200~230件程度)の訴訟件数はあってほしいというのが、地元の弁護士の率直な感想です。

震災直後、被災地相談支援でいらした大阪の先生が「大阪の弁護士は沖縄が大好きで、移住者も多い。沖縄と関西の関係のように、岩手も、大都市圏とのつながりをもっと盛んにすべきでは」と仰っていたのを、何となく思い出しました。

どれほどの数かは分かりませんが、震災後、復興特需の影響?で関西方面から移ってこられた方にお会いしたこともあり、そうしたことも含めた人口増や交流人口増等を促進することについて、もっと様々な取り組みが広まればと願っています。

 

参院選・岩手選挙区結果を過去の投票結果と比較したプチ分析(H25.7.22再掲)

今年は国政選挙や大きな地方選挙などがなく、「国民(住民)の選択」という意味での政治のあり方等に関する議論が盛り上がっていません。

昨年の7月の参院選の開票当夜に、以下の文章を書いて旧HPの日記に載せていたのですが、改めて、岩手県における選挙(政治)の実情を考える機会にしていただければということで再掲しました(一部、表現を修正しています)。

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平成25年7月21日に投開票が行われた参院選ですが、岩手選挙区の結果を過去のそれと比較すると色々と興味深い現象を感じ取ることができます。

選挙結果の見方は人それぞれだとは思いますが、何かの参考にしていただければと思い、少し長いですが、書いてみることにしました。

まず、最初に、岩手日報HPに掲載された今回の選挙結果(得票状況)をざっとご覧下さい(閲覧できなくなったときは、wiki等でご確認下さい)。

大雑把に得票率を見れば、次のように算出されると思います。

平野氏(無所属・40%弱)、田中氏(自民・26%強)、
関根氏(生活・15%弱)、吉田氏(民主・10%強)、
菊池氏(共産・7%強)、高橋氏(幸福・1%強)

次に、これと、wikiに表示されている前回(平成22年)や前々回(平成19年)の同じ岩手選挙区の選挙結果(但し、半数改選の関係で、前回については、立候補者は全員異なります)を比較してみて下さい。

これらを比較すると、最初に目につくのは、自民系の候補者(今回の田中氏(26%)、前回の高橋雪文氏(30%)、前々回の千田勝一郎氏(25%))の得票率が、さほど大きな違いがないという点です。

ちなみに、この中で、高橋雪文氏は県議(盛岡選挙区)を2~3期ほどお務めになっていましたので(千田氏もご出身は岩手ですが出馬までは他県在住で、今回の田中氏と同じく議員秘書をなさっていたとの記憶です)、他のお二人と比べると基礎票があると思われ、その点が、得票率の違いの大きな理由の一つと推測されます。

お三方とも、出馬時の年齢に大きな差がなく(性別も同じ)、小選挙区を中心とする当時の自民党の勢力図にも大きな違いがないため、お三方の得票率の違いは、上記の点など候補者間の多少の違い(変数)を除けば、純粋に、それぞれの年における「岩手の自民党(誤解を恐れずに言えば、鈴木俊一氏を中心とする勢力)の県内における支持率を表したもの」と言えそうな気もします。

そして、ここ10年ほど「岩手の自民党の支持率」が大きく変動したとはあまり感じられない(全国レベルの風を別とすれば、鈴木氏ら県内の自民党議員の方などに、県民の支持が大きく増えるような政策的成果も、大きく減らすような不祥事もなかった)ことに照らせば、毎回の得票率に大きな違いがないということも、ごく自然に納得できます。

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今回の参院選では、当初から「岩手と沖縄以外は、自民候補は盤石」との報道が流れ、岩手県では前代未聞と思われる、安倍首相・石破幹事長・進次郎氏の複数回の波状攻撃が岩手でも繰り広げられましたが、それでも、自民党の得票率という点では、過去の選挙とほとんど変わらない結果となったと言うことができます。

また、「政党の離合集散を経験していない」という点から、同様に共産党系の候補の方を見てみても、5~7%ほどの幅ということで、あまり大きな違いがありません。

今回に関しては、社民党から立候補がなく、同党支持者の票が一定数は流れたと推測されるため、今回選挙での全国的な「共産党躍進」と比べると、自民党と同様、岩手は異なる風が流れていた(共産党に風が吹いたとは言えない)と見るほかないと思われます。

次に、民主系列ですが、得票順に、平野氏・関根氏・吉田氏を全部併せると、合計で約65%の得票率になります。これは、平野氏が、民主党(小沢氏系)候補として圧倒的な勝利を収めた6年前の選挙(得票率62%強)とほとんど同じ比率です。

そのため、6年前の結果と比べれば、自民・共産は、多少は得票率が増えたものの過去の結果と大差はなく、非自民・非共産の勢力が、得票率は若干減りつつも、単に3分割されただけに過ぎない(この勢力の内部で票の取り合いをしただけ)という印象を強く受けます。

要するに、現在の参院選の制度を前提に、過去10~15年ほどの岩手県の政治状況を見る限り、有権者のうち、①自民系が25%程度、②共産系が5%程度、③非自民・非共産系が55%程度(過去の選挙結果からの大凡の推計)の基礎票を持っていて、残りの15%程度の浮動票(無党派層ないし各党支持者内部の流動層)を奪い合っている(政治状況に応じてこの15%の層が揺れ動き、得票率に影響を与えている)が、少なくともこの間のほとんど全部の選挙で、その浮動票は主に非自民・非共産系候補に流れていた、という姿が見えてくるように思われるのです。

そして、平野氏が2期目の当選を果たした6年前は、非自民・非共産系が、小沢氏という、諸党派の糾合に関し稀有な才能を持った方の全盛期であった上、順風満帆の状態(候補者が官僚出身の2期目の候補で政党に対する逆風も一切なし)であったことも重なり、非自民・非共産系の候補として最大級の得票率(62%強)を獲得できたのではないかと思われます。

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このような観点から、今一度、今回の選挙に戻りますと、今回の参院選においては、当初から最有力候補の1人と見られていた平野氏が、民主離党後に自民党に支援を求めたものの、自民党岩手支部が独自候補の擁立を重視して、支援を拒否したという報道が流れたことがあったと記憶しています。

もし、この時点で、自民党(岩手支部)が、「平野氏が、自民の基礎票=25%を超える得票をする可能性が相当にある」と予見することができれば、独自候補の擁立を見送り平野氏と手を組む方向で動くことができたのではないかとも思われますし、仮に、自民党側に最盛期の小沢氏のような方がいれば、勝つためには手段は選ばずということで、そのような選択肢をとったのではないかと思われます。

もちろん、選挙のプロの方々ですので、上記のような予測をしつつ「負けてもいいから、独自候補を擁立したい(平野氏と手を組むのは避けたい)」といった、何らかの込み入った理由(内部事情)があったのかもしれず、そうした事情の有無については、そうしたものを発掘することこそメディアの役割ということで、報道関係者にはご尽力いただきたいところです。

また、上記の観点から、三分割された「非自民・非共産」系の票が、3者(平野氏:関根氏:吉田氏)で、大雑把に言って、60:25:15の比率で分かれたことは、旧民主(小沢氏が糾合した勢力)の岩手県内における行く末を考える上で、なかなか興味深い印象を与える数値ではないかと思います。

吉田氏が関根氏に及ばなかったという点は、今もなお、小沢氏(の勢力)を強く支持する方が県内には相当におられるということでしょうし(保守層のうち反TPPの票を集めたという要素もあるのかもしれませんが)、分裂後の民主党(岩手支部)が、全国の選挙結果と同様、基礎票と目される幾つかの労組などの方々以外には、支持の広がりを持つことができていないことが強く印象づけられたように思います。

少なくとも、吉田氏個人は、新人云々という点をさておけば、県外出身のハンディを跳ね返す快活さ(人柄の印象の良さ)、熱心さなどがあったと思われ、ご本人の資質はマイナス要素としては働いていなかったと言うべきだと思います。

そして、平野氏が「非自民・非共産」(55%)及び無党派(15%)のうち、かなりの得票を占めたのは、民主党政権の大臣さん方には珍しく?バッシング報道も無いに等しかった地元出身の復興相として、「派手さはないが、地道に実績を積んだのだろう」という印象を有権者に残したため、県民の多くが、昨今の政治情勢で被災地の復興問題が何かと置き去りにされているように感じている(そのことに対する問題意識が、全県的に共有されている)ことと相俟って、被災県の代表として送り出す上で最も相応しいと考える有権者が多かったというのが、素直な見方ではないかと思われます。

もちろん、報道によれば、鈴木氏の地元である(山田町を含めた)旧岩手2区では、沿岸部も含めて、軒並み、田中氏の方が得票していたので、上記だけでは説明がつかない、南北問題や沿岸・内陸の違いなども、視野に入れなければならないとは思いますが(平野氏の地元である北上市は、数十年の幅で見れば、県北・沿岸の地盤沈下と入れ替わるようにして発展してきた地域だと思いますし)。

ともあれ、上記の分析の見地からすれば、今回、平野氏が集めた「40%弱」という得票率のうち、約15%位が無党派などの浮動票であったと思われ、仮に、この層の投票が全く得られなかったなら、平野氏の得票は25%ほどに止まるため、田中氏に敗北していたはずだと言えることは確かなのではないかと思われます。

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また、今回の選挙は、かつて保革を含めた非自民・非共産系の糾合という偉業を成し遂げた小沢氏の時代の終焉を完全に印象づける結果になったことは確かと思われますが、それと同時に、他の理念・論理・剛腕で岩手の政界を糾合・再編したり、岩手から全国に向けて、新しくより良い政治のあり方を発信できる方の不在もまた、印象づける結果になったと感じます。

無党派層の1人としては、そのような力量を備えた政治家の方が出現して(もちろん、既存の方々がそのように成長することも含め)、新しい政治風景が現れてくれればと願っているところです。

というわけで、今後の参院選であれ、岩手県知事選であれ、岩手県全域を射程に入れて選挙をなさる方にあっては、現在の勢力図を前提とした、上記の各政党ごとの基礎票と、有権者の約15%と思われる浮動票を視野に入れて、自派の足場固めと支持拡大を検討いただくのが賢明ではないかと思った次第です。

また、上記の見地から、市町村毎の得票状況を年度ごとに調査して分析できれば、さらに興味深いものが見えてくるかもしれません。

そうした仕事は、県内の政治学者さんが、ゼミ生を動員してやっていただくべきものだと思うのですが、いかがでしょう。

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ちなみに、毎回の選挙結果の得票率があまり大差がないという姿は、参院選に限らず、衆院選でも見受けられるようです。

この点は、岩手1区のここ10年ほどの得票率をwikiで見れば感じられるところですが、小沢氏の支援で登場してきた達増拓也氏(現知事)と、その後継者の階猛氏(現職)の得票状況を見れば、達増氏が徐々に増やしてきた得票率が、階氏への継承時にピーク(10~11万票=60%強)となり、それが、民主党分裂により、全体の得票率(6割)を維持したまま、真っ二つに割れた(前回選挙での階氏:達増陽子氏の得票比が、概ね35%対25%)という様相を呈しています。

そして、この間、自民(高橋比奈子氏ほか)は、26~30%の得票、社民・共産も約6%ずつの得票となっており、これらを見ると、参院選以上に、政治勢力ごとの得票率が固定化していることが分かります。

そのため、無党派層としては、選挙ごとに、もっと政治勢力間の得票率が変動するような仕組みないし仕掛けをして欲しい、そうでなければ無党派層(浮動層)の存在感が高まらないじゃないかと大いに感じてしまいます。

ちなみに、今回の参院選での盛岡市における各候補者の得票率も見たところ、田中氏(自民)は約25%で国政の岩手1区の自民候補者の得票率と大差なしですが、達増知事が支援する関根氏(生活)が15%強、階氏らが支援する吉田氏(民主)が12%弱であるのに対し、平野氏が40%もの得票率となっています。

平野氏を無党派層のシンボルのように捉えるのは間違いだとしても、盛岡市に関して言えば「盛岡を地盤とする達増知事も階氏も負けて、彼らの固定客(所属政党の固い支持基盤)ではない層が存在感を示した」と言うべき面があるようにも思われ、今後の県政の行方を考える上で示唆に富む面があるのかもしれません。

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あと、ここまで書いてから思い出しましたが、「自民系」の得票には公明党支持者の投票が相当数を占めることは明らかでしょうから、正確には、「自公系」と言わなければならないと思います。というわけで、適宜、そのように読み替えていただければ幸いです。

この点に関し、岩手日報を見てもwikiを見ても、「自民候補者の得票数(得票率)のうち、公明票の占める割合」というのが表示されていないように思われ、この点は、残念だ(よくない)と思います。

とりわけ全国的には与党勢力ということもあり、自民系候補がどの程度、得票レベルで公明票に依存しているかを知ること(自公系における内部の可視化)は、公明党に対するスタンス云々に関係なく、他の党の支持者や無党派にとっても、投票行動を決める上で、一つの大きな要素になると考えます。

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とまあ、ここまでダラダラと書いてきましたが、私は、選挙に象徴されるような権力闘争の類には適性が微塵もなく、片隅で書生肌の青臭い政策論(政治システムの理念論)にうつつを抜かす方が性に合っています。

そのため、選挙で勝つための方法なんぞを考えるよりも、上記のとおり、別の選挙制度を導入するなどして無党派=浮動層が影響力を持ちうるような状態を作出して欲しいなぁと感じているというのが正直なところです。

もちろん、政党を嫌悪しているわけではまったくありませんので、得票率が固定化しないという前提で、無党派(浮動層)が、もっと政党側と関わり(良い意味での影響力)を持てる仕組みも考えていただきたいです。

ところで、ここまで、主として公表された各選挙での得票率を基礎として、色々と書いてきましたが、統計情報をよく見ると、岩手日報もwikiも、白票(無効票)の割合(票数)について、一切表示せず、完全に無視しています(日報らが悪いのか、選管が公表していないのか、私には分かりませんが)。

ご承知のとおり、無党派層に投票を呼びかける方の多くが、「嫌なら白票を出して欲しい。それ自体が、既存勢力への抗議票になるから」と語っているわけですが、公表される統計情報の中で白票が無視されたのでは、上記の呼びかけに応じて?、民主政治の発展を願って白票を投じた方の思いが、完全に無視され、裏切られていることになります。

というわけで、選挙結果の統計情報で白票を公表しないのはもってのほかというべきで、ご賛同いただける方は、岩手日報に抗議電話(wikiには抗議メール?)をなさっていただければと思います。

また、過去の選挙の得票数と現在のそれを比較すると、改めて、人口減少を強く感じます。

その他、実際の数字を見ていけば、空理空論で抽象的な政治論などをするよりも、色々と見えてくる面があると思われ、皆さんも何らかの形で実践していただければ幸いです。