北奥法律事務所

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07月

大きすぎる弁当とマイ保冷袋~某ルーペのCM風に~

新型ウイルス禍により、私が所属する盛岡北RCでも昨年から今年の前半にかけて例会の大半が休止となり、再開後は今も会場で食事ができず、延々と「弁当持ち帰り」が続いています。

感染予防対策の面からはやむを得ないのかもしれませんが、私は食事は温かいものをその場で頂戴したい(要するに弁当嫌い)上、持ち帰り云々の手間は増えるわ、夏場は立派な保冷袋と保冷剤が毎回付いてくるので、捨てるのも勿体ないし、他に再利用するのも困難ということで、ただただゲンナリさせられています。

盛岡北RCの例会は、ホテルメトロポリタンニューウィングの11階の大広間を20~25名で利用しているので、座席同士も十分な距離が保たれている上、ご年配の方が多いせいか、以前から、黙食気味(よく言えば、大人しい)の伝統があるため、黙食厳守で会場で食べさせて欲しい・・と思わないでもありません(昔、一度だけお邪魔した盛岡RCは、これと真逆の三密+喧噪の空間でした)。

が、現状では会食は無理との慎重なご判断に異を唱えるわけにもいかず、トホホと思いつつ、ここ3ヶ月ほどは毎回、弁当の持ち帰りをしてきました。

ただ、7月以後、品質保持のため毎回付いてくる保冷袋等(1回200円?)の無駄遣い(使い捨て)はどうにかならないのだろうかということで、某ルーペのCMを拝借して、思うところを少し述べることにします。

*********

ニューウィングの弁当は
大きすぎて事務所の電子レンジに入らな~い!

毎回もらう保冷袋と保冷剤も
溜まりすぎて置き場所がな~い!

でも、保冷袋はこうすればいいんです。
マジックでキュキュッと自分の名前を。

あとは、毎回、保冷剤と一緒に例会に持って行くだけ。
こうすれば、もう、袋も保冷剤も溜まりません。

ちょっと見ていて下さいね。

(お約束のシーンとキャアの一声)

凄い!この保冷袋、何回座っても大丈夫!
この強度、さすがメイド・イン・ジャパン!

~大歓声~

・・・で、弁当の方は?

中のプラ容器をハサミでチョキチョキすれば、
どうにか電子レンジに入りそうだと、
先日、食べ終わった後に思いました・・

凄いデカいぜ!
ニューウィングの例会用持ち帰り弁当!

*******

すると、本日の例会で、市内の感染拡大等の事情がない限り、来月からは会場での食事が再開されるとの発表がありました。

ようやく弁当持ち帰りの日々から解放されることになったと安堵していますが、東京などでは、現在も、弁当持ち帰り形式で例会を行うRCその他の団体が多く存在するのではと思われます。

立派な保冷袋を弁当と一緒に貰って帰る全国のロータリアンなどの皆さんは、ケチでビンボー・・・もとい、SDなんとかの実践のため、マイ保冷袋の持参運動に参画いただければ幸いです。

マイ保冷袋と大きすぎる弁当はコチラ。

  

東京五輪の「違法な弁当大量廃棄」と食品ロス削減推進法などの改善を求めて

新型ウィルス禍に起因する東京オリンピックの無観客化に伴い、ボランティアへの食事の提供が不要になったことを理由に、1日数千食分の弁当が無駄に廃棄されたという記事が出ていました。

しかし、記事でも述べられているとおり、2週間(以上)前から発注(提供)不要・廃棄必至と予測できたはずで、製造中止等の措置を講じなかった五輪組織委は、食品ロス削減推進法5条(事業者の努力義務)に違反したというべきでしょう。

また、東京都や23区などは、事前に事態を把握して弁当等を引き取り「五輪食堂」などと称して貧困世帯などに提供することもできたはずで、同法19条(未利用食品の貧困者等への提供のための行政側の措置義務)にも違反するというべきだと思います。

残念ながら、食品ロス削減推進法(令和元年制定)にはロス削減の実効性を担保する強制的な制度はなく、同法上(公法上)は、組織委であれ行政云々であれ、誰かがペナルティ(行政命令、刑罰など)を課されることはありません。

しかし、弁当云々に限らず組織委ないし今回の五輪に対し指摘された様々な問題に照らせば、弁当大量廃棄を理由に組織委の誰かが何らかの責任をとる(内部で自主的にそのような措置が講じられる)など、全く期待できません。

だからこそ、組織委(担当者等)には、予防に対する意識も全く無かったのでしょう(すべての杜撰は無責任に宿る)。

これを機に、大規模または悪質な食品ロスの防止の実効性を担保する制度や固有のペナルティ制度について、議論が深まって欲しいと思います。

例えば、

担当者と役員などに、断食の刑とか農家や弁当屋さんで無償労働の刑(公開つき)

などを導入すれば、多少は抑止効果があるのでは?と思ったりもします。

もちろん、より悪質な「飲食店の無断キャンセル」についても、食品ロス削減推進法違反という形で、警察が摘発しやすいように定めた特別規定を作るべきと考えます。

併せて、この種の無駄遣いの抑止のための賠償請求訴訟制度(日弁連が昔から提言している「住民訴訟の国版制度」)も、併せて考えていただきたところですが。

食品ロス削減推進法は「廃棄物の発生と資源の無駄遣いの防止」に関する法律であるという点では、環境省が所管すべきだったのでは?と思っていますが、どういうわけか消費者庁の所管となっています。

昔、日弁連廃棄物部会で食品ロスの問題を取り上げなくていいんですかと尋ねたところ、有力な先生に「うちの仕事じゃない。人権の問題じゃないから」と一蹴されたことがあり、今も残念に感じています。

SDなんとかに言及するまでもなく、この問題は、

①資源の有効利用等の点で、本来ならその食品を利用できたはずの現在及び将来の人類の権利の問題であり、

②国内外に飢餓を抱える人がいるのに、食品を粗末に扱い平然としている者がいるという点で、法の下の平等の問題であり、

③食事を作り提供する人の心を踏みにじる行為であるという点でも、人間の尊厳の冒涜であり、

④そして、原料たる動植物や作られた食事そのものなど、人にあらざる存在の尊厳(万物の尊厳)への冒涜でもある、

と認識しています。

それらを踏みにじる東京五輪に幸あれ!などと、つまらない便乗悪口を述べるつもりはありませんが、先日も賞味期限切れのレトルトカレーを一人寂しく食べていたケチでビンボーな身としては、こうした報道を機に、実効性ある制度の導入に向けた世論の機運が高まってくれればと思っています。

 

華麗なる孤食の夏と、京都・亀岡から岩手を考える

昨年3月に日弁連廃棄物部会の関係で、レジ袋禁止などの取り組みをしている京都府亀岡市に視察したことがあります。

その際、添付(末尾)のカレーを思わず購入しましたが、そのまま現在に至り、今となっては誰のため・何のため購入したのか分からない有様になってしまいました。

ともあれ、個人的な諸々の不遇感を嘆きつつ、我が身にも麒麟を待ち望んで一首。

あれこれの賞味期限が過ぎたので
カレー光秀ひとり喰う夏

盛岡は「みちのくの小京都」と自称?する街の一つですが、その比較で言えば、亀岡は「京都に隣接する農業王国で、近時はレジ袋禁止条例をはじめ先進的な取り組みが全国的に注目される街である」という点で、紫波町に似た面があるかもしれません。

「華麗なる光秀」は、亀岡駅前に最近できた京都スタジアム(当時は光秀大河展と物産館が併設)で購入したものですが、集合時間までの観光タイムを終えて館内フードコートで昼食をいただいていたところ、突如、30歳手前くらいの亀岡あんちゃんから、

そのブーツ、格好いいっスね、
どこで買ったのか教えて下さいよ

と話しかけられました。

いやぁ、10年位前に川徳で買ったバーゲン品ですよ、

と当惑しながら答えましたが、山国・丹波の入口に位置する亀岡の人々は、ケンミンショーで京都人が「礼儀正しいが腹黒そう」などと称されるのとは異なった、ぶっきらぼうで人懐っこい、良い意味での田舎人気質を残しているのかもしれません。

ちなみに、保津峡下りの若い船頭さん達も、大阪とも京都とも異なる、ビミョーなお笑いトークを繰り広げていました。

物干に走る季節ぞ恨めしや

暑さよりも何よりも、夕立のせいで一時帰宅を何度も強要されるこの時期は、兼業主夫にとって一年で一番憂鬱な季節です。

着くまでが豪雨のピークだ手遅れだ
降る前に帰れと服にも詰られて

今日もまた分かってるのに間に合わず
昼下がりズブ濡れなのは服だけか

出る頃にいつも晴れるよ空のバカ
そう思い干したら今日は降り出した

どうにでもなれよと夏をあきらめて

小岩井農場にて「盛岡と雫石」「会津と郡山」の物語や異同を考える

先日、小岩井農場の園外売店に立ち寄り、添付(末尾)のかき氷風飲料?を頂戴しました。

上下段で異なる着色ですが、下層は草原の緑、上層は空の青さ、氷菓は夏の入道を描いたのかもしれません。

高原の盛夏の涼は白い雲

ところで、小岩井農場は言わずとしれた三菱財閥(岩崎家=土佐)が開発した農場ですが、三名の創始者のうち「小」の小野義眞(鉄道経営者)が土佐、「井」の井上勝(鉄道庁長官)が長州の出身であり、明治藩閥政府の影響を強く受けた企業という面があります。

雫石の「ほぼ隣」の盛岡は、戦火こそ遭わなかったものの、会津(や仙台、長岡)と並ぶ戊辰戦争の敗戦国の代表格であり、市内に武家屋敷が全く残っていないのも、白石転封=亡国が原因と言われます。

ですので、盛岡には、時勢の勝者らによる小岩井農場の開発の光景を複雑な思いで眺めていた人々もいたかもしれません。

そのように考えると、盛岡と小岩井=雫石の関係は、会津と郡山との関係に似ているように感じます。

私は平成21年に4時間だけ郡山観光をしたことがあり、その際、都市の創設・発展の礎となった安積疎水の開発を巡る物語を展示・顕彰した「開成館」に立ち寄りました。

当時、本ブログで述べたとおり、そこでは安積疎水(郡山)の核心人物として大久保利通などを大々的に顕彰しており、これが会津の隣町なのだろうかと、不思議に感じざるを得ませんでした。

言い換えれば、郡山は、安積疎水と巨大水田開発という一大事業を通じた新政府のカネと力により創出された街であり、それまで「不毛の地」と呼ばれていた点も含めて、上記の経緯で創設された小岩井農場によく似ています。

そして、盛岡と会津若松も、共に転換期の敗者となり、勝者=新政権に大開発が施された地域に隣接する近世からの都市という点で、よく似ているように思われます。

ただ、郡山が福島最大級の都市に成長したのに比べ、雫石は当時も今も小さな街のままという点だけは大きく異なります。

想像するに、安積開発が郡山のまちづくりそのものであったのに対し(その点で、釜石に似ています)、小岩井農場は雫石の街から離れた企業の独立地帯で、共に発展するような連動性は乏しかったのかもしれません。

ともあれ、「盛岡と雫石」「会津と郡山」という二つの地域の物語や異同を考えてみるのも、色々と新たな発見があるかもしれません。

少なくとも、開成館の展示担当者が熱く語っていた「開拓者魂」は、雫石の方々がぜひご覧になって良いのではと思いました。

  

 

社会に必要な小規模企業が消えゆく光景を繰り返させないために

先日の岩手日報に、紫波町の特産品である洋梨「ラ・フランス」をほぼ一手に生産する企業(紫波農園)が、人手不足や後継者難などを理由に閉園し、果樹も伐採される予定との記事が出ていました。

ラ・フランスは県内でも果物類の生産が盛んな紫波町を象徴する果物として認知されてきたと理解していますので、誰か承継できなかったのだろうかと、非常に残念に思います。

近年、小規模企業が同様の理由で廃業する例が非常に多く生じており、倒産を余儀なくされる例も少なくないようです。

反面、ここ10年ほど、裁判所に申し立てられる破産事件はごく限られた件数に止まっており、債務超過でも、銀行債務などを残したまま法的手続をせず放置する例が多数生じているのかもしれません。

昔と違って「いわゆるサラ金・商工ローンによる恫喝的な取立」をほとんど聞かなくなったことも、影響しているかもしれませんが。

後継者難については、近年、事業承継支援の動きが色々ありますが、報道や巷の光景を拝見する限り、実際に有益な対応がなされているのは膨大な需要のごく一部に止まるように見受けられます。

根本的な原因は、承継支援(マッチング支援、条件整備支援、事業維持支援など)の担い手不足もさることながら、事業承継の文化(ひらたく言えば、自分の家族以外に、企業を引き継がせる文化)そのものが根付いておらず、客観的には事業承継等の支援が必要でも、需要側(現在の経営者側)が必要性を認識・自覚したり、承継を求めて自ら動いたり第三者の支援を受けたいと考え、動き出すこと自体が、滅多になされていないことではないかと思います。

誤解を恐れずに申せば、病を患っている人が手の施しようのない状態になるまで医師の診察を受けないという話に似ているかもしれませんし、根本的には、日本人の「イエ意識」が、最大の壁になっているのかもしれません。

そのような意味では、ドラマや映画などで小規模事業の承継をテーマ・内容とする作品を取り上げるなどして第三者への承継を身近なものにすると共に承継後の「ハッピーリタイヤ」(とリスク対処)も視覚化して、「文化を変える」ような営みが、もっと盛んになればと思っています。

ともあれ、小規模従事者のための事業承継については、弁護士も本来であれば法務デューデリジェンス(法的資産査定)などの形でお役に立てる場面が多々あると思っており、制度の整備や利用の推進が、もっと盛んになればと感じています。

*****

ところで、県内で新聞販売店を営んでおられる経営者の方が、FBで上記の記事を紹介すると共に、我が業界も人手不足で大変だ、と嘆いておられるのを拝見し、若干の意見交換をさせていただきました。

人手不足一般に関しては、機械化云々や生産性=収益・賃金向上による就労希望者の獲得以外に対処法がないかもしれませんが、新聞配達の場合、毎朝3時~6時に就労することが必要で、機械化なども難しいことなどから、人員確保には、かなりのご苦労があるようです。

新聞も、10年か15年もすれば、ドローン配達もありうるのかもしれませんし、従事者の減少が、結果としてWeb利用での新聞購読(現在のPC・携帯での購読)を促進するのかもしれません。

ただ、個人的には、それとは別に、近未来には、新聞配達を全面的に不要とする仕組み・慣行が作られるかもしれないと思っています。

例えば「新聞紙のような形状・質感・軽量のデバイスにWeb上で新聞社が利用者に新聞データを電送し、利用者は都度、DLした新聞データ(チラシ広告を含む)を閲覧する方法」です。

これなら、PCや携帯で見るのと異なり紙面を広げて読むなど新聞本来の閲覧方法が可能で、デバイスが壊れない限り、延々と再使用できますし、データ保存も可能なので切り抜きを保存する必要もありません。データ整理も容易でしょう。

デバイスが主要紙の全部(海外含め)に対応すれば、1個のデバイスに各社の新聞データをDLして閲覧することもできます。

私は新聞は紙媒体派で、Webニュースは無料記事しか見ていませんが、上記のデバイスができたときは、利用しそうな気もします。

仮に、そのようなデバイスが作られ普及した(紙媒体に全面的に取って代わった)ときは、新聞販売店という企業(配達員という業態)自体が不要となる(貴社も業態転換を迫られる)ことになるのかもしれません。

まあ、妄想ないしミニSFの類と一蹴されるだけかもしれませんが。

また、配達員の確保困難を理由に販売店の業務継続が困難となった場合、郵便事業と何らかの形で融合させることは、解決策になるかと思います。

具体的には、朝刊の毎朝配達を諦め、郵便局が、郵便物の配達時間と一緒に(午前中などの配達時間に)対象地域を巡回して、郵便物と一緒に(その日は郵便物がない家にも)新聞を投函する、という方法です。

県内の販売店の方々も、中心部市街地のみ自社で対応し、山間地などは郵便局に対応して貰う(購読者も、やむを得ないものとして了解して貰う)形にすれば、現下の情勢でも、やりくりできるのかもしれません。

・・と思って「新聞配達 郵便」で検索したところ、すでに、かなり実施されているようです
今後は中心市街地以外は郵便などで新聞を配達するのが当たり前になるのかもしれません。

ともあれ、事業者の方々から、現在の事業経営上の問題点を伺ったり、法律問題に限らず、何か役立てることがないか調べたり考えたりするのも、色々と有意義が面があるように感じています。

さして地縁もない身で田舎のマチ弁をしていると、地元の事業者の方々から依頼等を受ける機会はさほど多くはありませんが、もっとお役に立つ機会があればと思いつつ、皆さんのご健闘を祈念しております。

担保権抹消登記訴訟の光景と裁判所のIT執務環境のいま

今回は、裁判官と仕事のことで互いに愚痴を交わした話です。

近年、マチ弁にご依頼がある仕事の類型の一つに「自分の所有地(相続含む)に昔々に設定された担保権登記を抹消して欲しい」というものがあります。

売買の必要から依頼される方が多いですが、ご自身の代で解決しておきたいと仰る方も珍しくありません。

担保権自体は、完済の証明などができなくとも被担保債権などの消滅時効により抹消の請求が認められることが通例で、それだけを見れば、弁護士にとっては楽な仕事のように見えます。

ただ、数十年前に設定された登記名義人が現在も存在しているのかという問題があり、その点で余計な作業や経費が色々と生じる(ので、複雑な実務知識・理解も問われる)のが通常です。

概ね、①担保権者が個人で、相続問題が生じた=相続人を調査し全員を被告とする訴訟、②相続人調査が不能で、その旨を証明し公示送達、③法人だか遙か昔に代表者が死亡済み=特別代理人の選任が必要、のいずれかが多いかと思います。

が、先般、聞いたこともないA農協を抵当権者とする登記(昭和50年設定)の抹消の依頼があり、法人登記事項を調べたところ、A農協が平成4年に解散し、当時10人近くいた理事の全員が清算人となり、代表清算人の定めがないことが分かりました。

そこで、農協って代表理事の定めがあるはずでは(その人の生死だけ調べればよいのでは)?と思って調べたところ、手持ちの書籍に、当時の農業協同組合法が代表理事の定めがなく、平成4年(だったか)に代表理事制度が導入された(施行は後年)ので、平成4年に解散したA農協は理事全員が清算人となり、全員が代表権を有する=全員の生死を調べなければならないことが分かりました。

結局、2名の方が存命だったので、年若のB氏(90歳位)を被告代表者に表示して訴状を書き、併せて、訴状送達の際にB氏のご自宅にも「これは当方の登記のためだけの訴訟なので、無視しても大丈夫(何の不利益もない)です」と説明の手紙を出すことにしました。

すると、訴状提出後、裁判所(担当書記官)から、「当時の農業協同組合法に代表理事制度がないことなどを証明せよ」との連絡がありました。

私としては、「法令調査って裁判所の職責じゃないのか」と疑問に感じましたが、ともあれ、本にこう書いてありました、だけでは実務家失格なので、仕方なく、当時の農協法の定めを書いたものがないか、調べることにしました。

・・・が、これ(改正前の昔々の法令調査)が案外大変で、結局、深夜にWebをかなり彷徨った挙げ句、日本法令索引なる著名サイトであれこれ検索し、農業協同組合法の制定時の条文と平成4年改正(代表理事導入時)の条文を見つけて、裁判所に報告しました。

深夜の作業で心が荒んだせいか、報告書には、

「なお、法令調査は裁判所の職責である(外国法や条例、慣習法などはともかく法令は証明の対象とはされておらず、この点は改正前の法令も同様である)との認識ですが、改正前の法令の存在につき当事者に立証責任があるとの文献等があるのでしたら、ご教示いただければ幸いです。」

と、余計な一言を添えるのを忘れませんでした。

すると、裁判官から電話があり、

ご指摘はもとより承知していますが、裁判所は今もWebの利用に制限が大きくて、このサイトを調べたり改正前の法令調査を行うのが大変で、すぐ分かるようなら教えていただければと思ってお願いした次第なんです。

と、丁重なご連絡をいただきました。もちろん、当方提出書面でOKとのことで、その後はサクサクと進み、無事に完了しました。

昨年頃から、裁判手続のIT化などと称して多額のカネと手間を掛けている割に電話会議がTV会議になっただけではと感じる程度のやりとりを拝見して残念に感じていますが、裁判官や書記官などの執務環境のIT整備(や昔から散々言われているエアコン問題の解決)の方が先決なのでは?と思わないでもありません。

結局のところ、他省庁に比べ政治力のない(司法官僚さん達もその種の作業に関心が無い?)司法部門の残念な現実というほかないのかもしれません。

「絶対安全の居酒屋」による飲食店(酒類提供店)の救済方法

菅政権の飲食店に関する感染防止対策については、迷走気味の印象が否めませんが、官に頼らず民の側で可能な究極の解決策?として、次のようなものを考えてみました。

【虚構新報いわて支部ニュース】

ウィズコロナ完全対応を謳う、新感覚の居酒屋が登場しました。

先月、盛岡市内にオープンした、その名も「居酒屋だまれ」です。

店先には等身大の「黙食!」の看板が掲げられ、店内にも随所にその掲示が。

ヒソヒソ話は許されますが、大声はもちろん周囲に何を話しているか聞こえる音量での会話は厳禁です。

注文も全てタッチパネルで、店内の滞在も原則1時間から最大で90分以内とされますが、お酒も料理も品揃えがよく、パネルには組み合わせの推奨コメントも表示され、会話を諦める代わりにお酒と料理を味わうことに力が注がれています。

もちろん、換気など一般的な感染予防対策もバッチリです。

どうしても会話をしたい人のために、座席には小型のホワイトボードとペンも用意されています。中には飲食しながら目の前の人に向かってLINEで美味しいと伝える人もいるそうです。

黙食を守らずに騒ぐ人は「ひそひそリーダー」のプレートを付けた店員や他のお客に、必要なことだけをヒソヒソ話すよう注意され、それでも従わなければ、強面の店長に退店を命じられます。

そんな怖い居酒屋に誰が来るんだろう・・と思いきや、なかなか繁盛しているようです。

運営会社のT社長は、狙いを次のように語ります。

「お酒自体はウイルス蔓延の原因ではないのに、お酒ばかりが悪者のように扱われる今の社会に一石を投じたかったんです。

お酒が悪者にされたのは、本人が自覚したくても自覚できない発症直前や無症状の人が会食で延々と話をした場合に、飛沫で他の人を感染させる例が多くみられたからですよね。

なので、感染原因としての「会話」を徹底的に断ち切り、その代わり美味しいお酒と食事はとことん楽しんでいただきたい。これが、当店のコンセプトです。

「だまれ」なんて怖い店名ですが、支那そばやで一世を風靡した、故・佐野実氏をイメージしたんです。あのラーメンも、純粋に味を楽しむことを追求したものですよね。

開店当初は色々と不安がありましたが、意外なことにカップルの利用も多いんですよ。いわく、会話が許されない非日常な空間を二人だけで共有したり、自分達だけの「美味しい」のサインを作り出すことで、かえって密な関係が深まるのだとか。

基本的にはコロナ禍の終焉までの期間限定のお店ですが、できれば全席にキーボードとモニターを取り付け、その場で仲間同士が閲覧できる会話を入力しながら飲食する方法も推奨してみたいです。

ともあれ、歓談の場を提供できず申し訳ありませんが、その分、お酒と食事の質には自信があります。当店なら、お酒を伴わない飲食店以上に、クラスターや感染拡大の心配はありません。ぜひご来店ください。」

来月は東京に2号店を出店し「これだけ完璧な感染予防対策を強いたのだから、お酒の提供を禁じたり時短を強いる正当理由は全くない。完全に通常営業でやります。行政がどんな嫌がらせをしても、絶対に裁判で勝ってみせますよ」と息巻くT社長。

お店では、黙食の励行のため、来客が騒いで退店を命じられるケースを撮影した映像も用意しており、タッチパネル画面で閲覧できます。

T社長の知人で、クレーマーと帰還兵を演じれば盛岡随一というY地さん、サングラスをかければ西部警察の大門警部を彷彿とさせるY田さん、盛岡某RCの鈴木京香と松嶋菜々子と称されるKさんとNさんが、大騒ぎして追い出される来客グループ役を買って出て、地元TVの出演経験が豊富なT社長も、退店を命じる店長役を熱演しています。この映像を楽しみに来店するお客さんも多いのだとか。

最後に、コロナ禍以前から宴会でも黙食を実践する黙食専門家ことオボナイさんに、一言伺いました。

「ようやく時代が私に追いついてきましたね。私なんて家族との会食もすべて黙食で本ばかり読んでますよ。え?家族に見放されているだけだって?余計なお世話です。」

******

と、戯言はさておき、飲食店や酒販業界、消費者の方々も、「国の施策は間違っている、酒を悪者にするな、自分たちをいじめるな」などと批判なさるだけでなく、可能であれば、このような「酒を悪者にせず、現下の状況でも安全に酒食を楽しむことができる方策」を考えて、様々な方法で実践していただければ良いのではと思っています。

※この記事は、末尾の一部を除いて全てフィクションであり、登場する方々も実在の人物ではありませんので、モデルの方々と勘違いなさらぬよう、ご留意下さい。自分のことかも・・とお感じになった皆様も、ご容赦のほどお願いします。

愚痴を述べれば怪我来たる

写真のとおり、昨日、ちょっとした災難に遭いました。両足の写真を比べていただくと、左足が腫れているのが分かるかもしれません。気晴らし?に歌詞みたいなものを作ったので、チープな感じもしますが、どなたか曲を付けて歌っていただければ幸いです。

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笑う門には福来たる
愚痴が多けりゃ祟られる

仕事に追われる日々なのに
残高みるみる減った上

職場の階段踏み外し
歩けぬほどに腫れるのは

至らぬ事件で泣く人の
痛みも背負えということか

それなら独りじゃないのだと
無理でも笑え、また歩け

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幸い、今回は骨折していませんが、診察では

「通常よりも腫れが酷い。足首付近に陳旧性(昔々)の骨折(の完治しなかったもの)があり、それが影響したのかもしれない」

と言われました。

私は、幼稚園時代におっちゃんのバイクに轢かれる交通事故で左足を骨折しており、他に思い当たる点はないので、その件のせいかもしれません。

余談ながら、私個人は一円も賠償金を貰っておらず、両親が自賠責を含めて何も請求してないのか懐に消えたのかは不明です。今なら、後遺障害等級認定申請して後遺症保険金を貰ってくれよと苦情を言いたいですが。

ともあれ、その古傷のせい?で、長距離登山では左足が疲れやすく、下山時に左膝が曲げられなくなるなどの後遺症がありますが、皆さんも、お子さんなどが骨折などの大怪我をすることのないよう、ご配慮をお願いします。

*****

余談ながら、先ほど「岩手県内の公設診療所の所長が平成26年に自殺した件で公務外災害認定処分され、遺族が取消訴訟を提訴し、認容=勝訴した事件」(盛岡地裁R02.6.5判決判時2482-74)について、原告代理人の方が記載したレポートを先ほど拝見しました。

いわく、死亡された方(被災職員)は、長期の孤独な激務の影響で、愚痴を言う、苛立つ、怒鳴るなど、それまで全くみられなかった行動が現れ、次いで、周囲に苦しみや辛さを再三訴えるようになり、ほどなく鬱病を発症し、その半年後に自殺してしまったのだそうです。

そうした記述を見ると、何かと身につまされる面もないわけではありませんが、その方が数年以上担い続けてきた職務の内容や日常生活の詳細を拝見すると、今の私の日々など、取るに足らぬレベルだなぁと反省・恐縮するほかなく、この程度で愚痴を言えるだけ幸せなほうだと思った方が、賢明な感じがします。

ともあれ、今のたった一つ?の楽しみは、5~10年に1件位の某大口案件(穏当な内容で無事解決)で、相手方の対応の遅れのせいで延々遅れている報酬清算(による今月の大赤字の一挙解消)が早く実現しないかなぁ(清算ができた瞬間、腫れも消えてなくなるんだろうなぁ)・・といったところで、浅ましい運転資金の亡者の日々から解脱できるのは、いつになるんだろうという有様です。

あと、テーピングの写真は、本日、通院先で先生に巻いていただいたものですが、もはや巻き方分かりません(泣)。

 

 

聴覚障碍者の端くれとして

NHKで、聴力は正常でも雑音の多い場所では必要な音や話を選び取れず、理解できなくなってしまう「APD(聴覚情報処理障害)」という症状に関する記事が出ているのを拝見しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210708/k10013125531000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002

私は左耳の聴力が全くないため(右は健常です)、会議・会合などでは左方向からの発言などを聞き取ることが容易ではありません。

とりわけ宴会など騒がしい場では、左側の人々の話の輪を聞き取ることがほぼできないため、なるべく左端に座るか、それが無理なら、諦めて飲食に専念することにしています。

私が宴会(人の集まる場)が苦手で雑談力の低い孤立主義者であることは皆さんご承知でしょうが、或いは、そうした経験の積み重ねも大きく影響したのかもしれません。

引用の記事で紹介された症状(病名)は初めて知りましたが、広義の「聴覚障碍者」には、全面的な失聴者(いわゆる聾者)だけでなく、私のような片耳だけの失聴者のほか、記事のような症例の方もおり、決して「自分とは接点のない遠い世界にいる(から、そのような存在など眼中になくてよい)人」ではない、ということは、もっと知られてよいことだと思います。

そんなわけで、聴覚障碍者の方々に、本業を活かした何らかの支援云々ができればと昔から思っていますが、20年経った今でも、その種の機会に全く恵まれません。

昔々、何の接点もなかった日弁連廃棄物部会の門を叩いたときのように、自分で探して無理矢理に飛び込んでいくべきなのでしょうが、事務所の維持に一杯一杯の日々で、ぼちぼちエネルギーの低下も感じる年頃になってきており、このまま機会を得ることなく終わってしまいそうな気もします。