北奥法律事務所

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06月

追憶の沖縄と縄文の記憶

先日は、沖縄の慰霊の日(沖縄戦の実質終結日)とのことで、関連する行事のニュースが流れていました。

私は沖縄にはたった一度だけ平成27年に那覇地裁に仕事(尋問)で行ったことがあり、もともと、沖縄に行く本土人は、ひめゆりの塔と平和祈念公園に行かなきゃ駄目だろうと思っていた手前もあって、到着後、急遽、レンタカーを借りて行ってきました。

残念ながら、アウトレット大渋滞のため通常より大幅に到着が遅れ、ひめゆり平和祈念資料館の入館締切時刻には間に合いませんでしたが、平和記念公園の岩手の塔をはじめ、夕暮れ時に様々な戦争関連の慰霊碑を拝見することができました。
沖縄放浪記(那覇出張と「残念な小話」) | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

子供の頃、私のすぐ近所には「りゅうちゃん」という、きっと蝦夷の直系の末裔なのだろうと感じる、縄文人のDNAが濃そうな歳上の男性が住んでいました。

とても善良な方で、少年期に色々とお世話になりましたが、沖縄には、りゅうちゃんとそっくりな顔立ちの人が街中に沢山いて、びっくりしました。

双方の土地で異なる時代に生じた戦災達から学ぶことに限らず、岩手と沖縄が縄文の血で繋がっていることに、もっと多くの人が関心を持ってよいのではと、今も感じています。

縄文を巡る岩手と沖縄の共通性については、出張後に書いたこの投稿もご覧いただければ幸いです。
琉球王国と北奥政権の栄光と挫折、そして再起するものたち | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

裁判所の電気代の無駄遣いを誰も咎めない光景

先日、事務局のお使いで昼に裁判所に行きましたが、電気代の激増による生活苦が報道されるご時世なのに、1階ロビーで誰も見てない「裁判所の手続案内(や裁判員案内)ビデオ」を大型TVで延々と常時上映している光景を何年も見させられ続けていると

こういう無駄のせいで庶民の電気代が激増しました。
官はたらふく喰ってるゾ

などと書いた貼り紙を人知れず画面に張りたい誘惑にかられます。

が、テロ行為に及ぶ度胸はありませんので、代わりに飯テロ・・もとい、物価高になる前に美味しくいただいた頃の美麺画像を投稿し、電気その他の無駄遣い抑制を通じた物価沈静の機運向上を祈念する次第です。

ともあれ、盛岡地裁も、付けっぱなしではなく、せめて、その辺の博物館みたいに、見たい人がいるときだけ自分で付けて(去るとき消して)見る、という程度の改善ができないものでしょうかね・・

なお、敗訴の腹いせとか、取扱事件の担当裁判官から虐待されたとか、そういう理由ではありませんのでヨロシクです(たぶん)。

ウソと桜と沈黙?の春

4月に盛岡市内(桜山の亀が池)の桜を拝見したときに感じたことです。

平成20年代前半は、ウソという小鳥による桜の食害が大きな話題になっており、当時、花が全然咲いていない桜木や鳥が花芽を食べている光景を見た記憶もありますが、ここ数年、岩手では嘘のように全く聞かなくなりました。

ウソは通常は冷涼な高地に棲息し、冬季のみ平地で越冬するとのことですので、食害がない=開花直前期などにウソが街からいなくなったのは、或いは、温暖化の影響で、冬のうちに山に戻った(里に来なくなった)のかもしれません。

ただ、温暖化等の影響でウソそのものが減少すると、彼らの主食である森林の害虫までもが放置され森林荒廃などのリスクが増大することになります。

ウソ食害と入れ替わるように、海では三陸の伝統的な魚種が(北方海域などに)消えてしまったという報道を聞くようになって久しいですが、海だけでなく山の世界も、生態系の混乱など、信じられないような事態が生じているのかもしれません。

或いは、美しい桜の姿も形を変えた「沈黙の春」の前兆なのかもしれず、皆さんも、花びらの先にそのような事柄も見つめていただけばと思っています。

そういえば、私、岩手弁護士会の公害対策環境保全委員長でしたね・・・本当ですよ。何もしてませんけど。

オクラホマの若者が蝦夷の夢をみるとき

先日の盛岡北RCの例会は、米国オクラホマ州からの短期留学生(17~18歳の男女約10名)の歓迎会を兼ねるもので、盛岡西北RCと合同で、ホテル大観で行われました。

私は例会だけでお暇しましたが、直後には有志の方々により着付けとさんさ踊り体験指導がなされたとのことで、その他の盛り沢山のRC歓迎行事と併せて、留学生の方々は満足して帰途につくものと思われます。
岩手県盛岡市 米の高校生「さんさ踊り」を体験 (tvi.jp)

ただ、折角なら「どうしてオクラホマの若者が、盛岡(岩手)に来る理由があるのか」について、RC関係者の方々から一言頂戴できれば、なお良かったのではないかと思いました。

日本人なかんずく岩手人にとって、オクラホマは全く馴染みのないない場所ですが、米国大陸の「へそ」にあたる、ど真ん中やや下の位置(南はテキサス)で、ロッキー山脈西側の大平原(グレートプレーンズ)を構成する諸州の一つであり、誤解を恐れずに言えば、地形的にはウクライナによく似ていると言って良いかと思います。

この地は、かつてインディアンと呼ばれた先住民(ネイティブ・アメリカン。以下「NA」)の本拠地の一つであり、東海岸で英国移民(アングロサクソン)により建国された米国が版図を西側に急拡大していた1700年代に、利権を主張する他の西欧国家との抗争の勝利という形をとって米国に編入されています。

が、実際の統治ないし社会運営を巡っては、移民(侵略者)たる白人と先住民たるNAとの間で激しい抗争があり、最終的にNA側が敗北し、1800年代頃には、多くのNAが故郷を追われると共に、白人による入植や、それに伴う農園労働力たる黒人奴隷の大量移住が行われ、現在の人種構成に至っていると言われています。

ここまでご覧になって、それってどこかで聞いた話に似ている・・と感じませんか?

そう。

古代において列島の西から興り弥生人=大陸由来民を中心に形成されたヤマト王権が、縄文の暮らしを色濃く残す東のエミシの部族集団(日高見国)を制圧していった光景を。

アテルイ、安倍氏、奥州藤原氏、九戸戦役、戊辰戦争などに彩られた岩手の歴史を。

北海道(アイヌ)を含む北日本の人々が辿った長い長い物語を。

それが脳裏に浮かばなかった岩手ケンミンの貴方は岩手人を名乗る資格が危ういので、イチから郷土史を勉強し直して下さい。

このように、帝国(異民族征服・統合国家)としての米国などの建国史は、その観点からは、日本の建国史とさほど変わりありません(その点はロシア等も同様でしょう)。

そして、蝦夷≒縄文人であれ、米国のNAであれ、有史以後の被征服民の多くが、遠い遠い昔、世界各地を横断した古モンゴロイドと呼ばれる人々の末裔であることも、よく知られている話です。

だからこそ思うのです。

社会経済上、直接にはほとんど何のつながりも持っていないだろうオクラホマの若い短期留学生達を、岩手・宮城のRCが長年に亘り世話することになったのには、何らかの見えざる力が働いていないだろうか。

歴史の中に忘れ去られ、取り残された蝦夷≒縄文=古モンゴロイド=NAの血が、声が、双方の出逢いを促したのではないか。

ホテル大観にいらしていたオクラホマの若者達は多くが白人でしたが、黒人の方が1名、NA由来か東洋移民系かは不明ですが、いわゆる黄色人種(モンゴロイド)の血が入っているのではと感じる方も1~2名ほど?いました。

彼らが故郷の複雑な歴史を正しく学んだ上で、人種を巡る米国の厄介な問題を克服し、人類共通の福利のため力を合わせていける光景を願っています。

そうであればこそ、岩手の人々にも、彼らの姿から蝦夷の末裔としての誇りを、そして、自分達のあるべき道を考えていただければと思います。

もとより、私は「被征服民(蝦夷・NA)ばかり同情し、征服者(弥生人・白人)を非難したい」のではありません。前回の投稿(岩手県立病院物語)でも触れたとおり、科学的・合理的知見が伝播したことで、健康や富に限らず不合理・抑圧的な陋習から人々が解放された面はあるはずですし、何より、双方の文化・思想が交わることで新たに社会に生み出された価値あるものが数多あるずだと確信しています。

であればこそ、歴史とその功罪、失われたものと生み出されたものの双方を適切に学び、自身の現場での役割へと昇華させる努力が各人に求められているのであり、異なる人種・文化・社会が激しく衝突した歴史を共有する岩手とオクラホマの人々は、互いの経験を知ることで、各人の実践に活かせる面が多々あるのではと考えます。

そうした話が岩手の人々とオクラホマの若者達との間で語られる光景を夢見つつ、大観の玄関で飲湯しながら「温泉入りたかった・・」と捨て台詞を残して、終わりなき日常に戻っていった次第です。

おんな達を人間にした、山と医療の光と影

6月末から遠野物語に着想を得た映画「山女」が公開されるとのことで、幾つかのWeb記事を拝見しましたが、できれば見てみたいと思いました。
福永壮志監督 × 山田杏奈主演、『遠野物語』から着想した「山女」。本予告など公開(キネマ旬報WEB) – Yahoo!ニュース

舞台が早池峰山の麓なので、岩手の寒村と言った方がよいのではと思いましたが、敢えて東北と表現したい理由があったのかもしれません(設定された時代が明治以前だからという理由なら、幕末に成立した東北という言葉ではなく、奥州=陸奥国と呼んでいただきたいですが)。

それはさておき、この記事では、予告編で主人公が死亡した嬰児に「次は人間に生まれないで」と告げながら川に流す映像が紹介されていました。

死因は予告編からは分かりませんでしたが、私が映像を見て思い浮かべたのは、当時の岩手の農村部では乳幼児の死亡率が著しく高く、それを昭和初期~前期の時代に様々な方が苦労して克服した、という点でした。

そのテーマでは沢内村の深沢村長が有名ですが、同じ時期に岩手では小規模自治体を含めて多数の県立病院が県内各地に建てられており、これは岩手県の初代民撰知事(戦後の知事)である國分謙吉(二戸出身)が推進したとも言われています。

医療の普及は、病苦からの解放というだけでなく、迷信等に由来する悪しき民間療法のような様々な不合理・非科学的な習慣を克服する面もあったでしょうから、県立病院の整備などを通じて「田舎の集団心理(ムラの論理)に起因する悪しき旧弊」が解消される効果があったと思われます。

この映画では「この山で私は人間になれた」というキャッチコピーが用いられていますが、当時のムラ(里)の世界が、多くの不合理な因習を抑圧的に強要する面があった(反面、服従の対価として集団内では位階に応じた庇護を受け相互扶助に浴した)ことは間違いないはずです。

ですので「山女になる」とは、ムラの論理から解放される=剥き出しの厳しい自然に独力で対峙を余儀なくされる代わりに、自然固有の論理(合理性)を理解し使いこなせるのなら、ムラ(帰属集団)よりも遙かに自由に、心のままに生きることができることを、このコピーは意味しているのでしょう。

そして、その言葉は、当時のムラに限らず、現代社会に生きる我々も、自身が帰属する様々な集団内に生じた非合理な抑圧(集団心理)に晒され、或いは依存したり、主人公のような内部の異端児を排除抑圧し、または自身が排除抑圧されながら生きているのではないですか?(貴方はそれでいいですか?)というメッセージも含んでいるのだと思います。

***

ところで、以前に投稿したとおり、私は現在、旧岩手県立病院が行った医療系廃棄物の大量埋設を原因とする岩手県庁などへの損害賠償請求訴訟を原告代理人として担当しており、その訴訟を通じて、今から数十年前に県内各地で行われた旧県立病院群での病院廃棄物埋設問題について、同種被害の再発を防止するため本格的な実態調査などが必要ではないかと提案しています。
岩手県立病院の跡地群での医療系廃棄物の大量埋設問題に関する県民への問題提起 | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

(岩手弁護士会が会長声明なり意見書なりを公表すべき問題だとは思いますが、当事者代理人の私が要請しても無用の誤解を招きそうなので差し控えています。お偉いさんの後押しでもあれば、訴訟に触れない形で起案するのですけどね・・)

そのため、私が旧県立病院を敵視しているように感じる方もおられるかもしれませんが、上記のとおり、当時の県庁が旧県立病院群の大量設置を行ったのは、医療の普及と人命保護などは言うに及ばず、山村の人々を様々な陋習から解放するのに役立ったと考えており、そうした役割・成果は強く認識されるべきでしょう。

だからこそ思うのです。
光あるところ影あり。光強ければ影もまた濃し。

当時の時代背景に由来する旧県立病院の医療廃棄物の大量埋設問題とは、詰まるところ旧県立病院の果たした役割と表裏一体ではないかと。

そうであれば、現在の社会でも、社会や人命などを守る掛け声のもと行われ有意義なものと称賛された大規模公共事業などが、後年に巨大な負の遺産として人々を苦しめるという展開も生じてくるのかもしれません。

素人目には、防潮堤やメガソーラーなどが、その例になりそうな不安を感じますし、これからもそうした話が出てきそうな気もします。社会内で膨大に使用されるプラスチック関連製品なども、その典型なのでしょう。

今の社会を運営したり公金などを動かしている方々には、そうした事柄も考えて対処いただければと思っています。

 

アクセントの平板化に抗い続けて幾年月

先日逮捕された元参院議員の方のお名前(芸名)について、ニュースその他では全て、アクセントのない平板化された形で発声されています。

が、私はどうしてもこの発声に馴染めず(「ギロッポン」のようにエセ芸能界ちっくで胡散臭い印象を受けてしまいます)、第二音(または第一音)にアクセントを置いた

がアしぃ (アクセント位置をカタカナ表記しています

という発音でしか発声できません。

この御仁に限らず、私は子供の頃から

どラえもん
のブなが
ひデよし
いエやす

という発音を墨守し、周囲への迎合?を頑なに拒否して生きてきました。

これは、いわゆる「田舎訛り」なのだろうか?と一人悩んだ?こともありますが、下記の記事を拝見する限り、要するに、昔々は都会でもこの発音が主流だったのに、ここ数十年、一部のオサレ感のある業界の仲間内の人々に大衆が追随する形で生じてきたものと考えられることが分かりました。

最近、日本語を平たく言うアクセントが気になります。誤りではないでしょうか – ことばの疑問 – ことば研究館 (kotobaken.jp)

そうであればなおのこと、私はそうした業界人の仲間に入れる人間ではありませんし、ひとりで我が道をゆく生き方に適合しているとも思いますので、今後も自信をもって

がアしぃ 

などと発声し続けたいと思います(聞いてくれる相手もいませんけどね・・)

いずれ時代が逆転し、こっちのアクセントの方がもてはやされる社会が到来する・・・などということは、たぶん無いのでしょうね。