なぜ日本人は清水寺を「きよみずでら」と呼ぶのか(思想的?考察)

帰宅時にTVを付けると浅草寺の特集番組を放送しており、なぜ「あさくさでら」と言わないのかとの質問が出演者向けにされていたので「仏教(輸入文化)だから当然だろ」と思ったところ、解答も同様となっていました。

その際、だったら清水寺や鞍馬寺はどうして訓読みなのかと、番組でも取り上げていたのと同じ疑問が浮かびましたが、番組では(浅草寺特集のせいか)その説明がありません。

Webであれこれ調べたところ、様々な見解が披瀝されているものの、公式見解や定説の類があるわけではないようです(だから、出演の学者さんも触れなかったのかも)。

で、少し考えたのですが、清水に関しては、「清らかな水」という、神道≒日本人が一番好きなもの(清浄=穢忌避思想)が影響を与えているのではと感じざるを得ません。

清水寺は平安遷都以前の創建で神仏習合色も強く、そうした点でも訓読み=和語を掲げることに寺院側も抵抗感がなかったのではと思われます。

Web上では、音羽の滝にちなんで清水寺(せいすいじ)と名付けられたものの、後世に訓読みされるようになったと書かれており(寺院の公式見解?)、その真偽は分かりかねますが、そうした「土地の状態にちなんだ名称」は、訓読み(和語呼称)と非常に相性がよいと思われます。

少なくとも、延暦寺、金剛峯寺、薬師寺、建長寺などといった、いかにも漢語(仏教用語?)由来と感じられる寺院名では、人々が和語で呼ぶことはあり得ないでしょう。

そのように考えていくと、鞍馬寺は(wiki等によれば)「暗い谷間」に作った寺院であること=深山幽谷と呼ぶのに相応しいあの場所の地勢が寺院名の由来になっているのではと言われているそうですし、奈良(や鎌倉)の長谷寺も、山深い谷間の土地に建立されているように思われます。

ただ、日本に伝来した仏教(大乗仏教)は高度に哲学化された学問体系で、自然(山川草木)を愛でる思想は乏しい(それは日本の思想・文化)と思われますので、延暦寺などの厳めしい名称(寺号)こそが仏教らしいと言え、滝があるから清水寺、暗い谷だから鞍馬寺、といった名付けが本当にあったのか、ちょっと不思議に思います。

その上で、さらにWebであれこれ調べたところ、「奈良周辺は飛鳥寺のように地名+テラの名称が多く、京都など他エリアは仏教用語+ジが通常である。これは、仏教伝来時には寺院数は多くなく、地名+テラ(和語)で寺院名を付ければ十分だったが、平城期は南都六宗など同一地域に多数の寺院が建立されるようになると、互いの識別のため、地名ではなく仏教用語を寺号とするようになった」と記載された文献が紹介されているのを見つけました。

清水が地名だったのかは分かりませんが(滝にちなんだ地名なのかも)、鞍馬や長谷は、もともとその土地の地名だった=地勢をもとに付けられた素朴な和語地名だった可能性が高いように思われ、それら寺院の歴史の古さ=もともと地域に1個しかないことに照らしても、そういうことなのだろうとようやく得心できたように思います。

ただ、清水・鞍馬・長谷のいずれもが日本屈指の景観美を誇る寺院であること(訓読み寺は、そうしたものが非常に多い)ことに思いを致すと、これらの寺院が和語表示であることについては、「地名だったから」という、つまらない?理由だけでない、何か別なチカラも働いているような気がします。

或いは、優れた自然景観を有する場所に古くから建立された寺院は、仏教的意義(哲学的救済)だけでなく、景観美それ自体が人心を癒やす力がある(それは仏教思想ではなく日本土着的な思想でしょう)と考えられ、それが、これらの寺院が地勢を踏まえた和語名称で定着した理由の一つになっているのでは(言霊思想の影響?)、というのが私なりの一応の結論となります。

最後に、こうした投稿は盛岡JC在籍時の旧友・田口昭隆君にご覧いただきご意見賜りたかったのですが、残念ながら今は叶わぬ願いとなってしまいました。

仏門の方に相応しく、今頃は流行りの漫画のように別世界に転生して自由気儘に活躍されているのかもしれませんが、ともあれ、田口さんのご冥福を心より祈念しつつ、当方は引き続き、残された時間の合間に、こうした事柄も考え続けたいと思っています。

写真は、彼とは別宗派で恐縮ですが、連休の遠野で訪れた福泉寺(五重塔)です。