来訪神たちと、置いてけぼりの日々

まだ真っ暗な深夜3時か4時ころ、事務所のソファに寝袋を散らかしながら1人で横になっていると、突然、ガタガタッとドアを無理に開けようとする音がしました。

外には司法修習生時代のクラスの同級生だった方々が十数名いて、私にドアを開けるよう求めていました。

前期修習(27年前)の「鎌倉ツアー」と変わらぬ瑞々しい容貌のTさんが、そのときと同じく引率役になっており、いわく、北上高地の民俗・習俗の研究として、旅行を兼ねて手分けして山奥の一軒家に伺い家屋調査や聞き取りなどを行うが、早朝に出発する関係で、未明に当事務所に参加者全員が集合し、朝食兼打ち合わせを行う予定だったとのこと。

事前に私に連絡し了解を得ていたのに、なぜ準備していないのかと苦情を言われる始末。

そんなの聞いてないですよ・・と思いつつ、皆さん喧噪混じりに遠慮なく会議室に入って食事や打ち合わせを始めたので、所在ない私は、何か飲み物でも買ってきます、と誰かに話して外に出ました。

その後、肴町や東京の戸越のような商店街の街並みを少し彷徨って事務所に戻ると、皆さんの出発時刻が過ぎてしまったようで、すでに誰もいませんでした。

また、お別れのご挨拶ができませんでしたね・・と思ったところで、事務所のソファの上で夢を見ていたことに気づきました。

本日、朝5時ころのことです。

幼少期、ウルトラQのような画面で「おいてけぼり」というタイトルが最初に出てきて、家の中に誰も人がいなくなり、誰か頼りになる人を探して見知らぬ街を彷徨う夢を見たことがありますが、こうした、自分がひとりぼっちで取り残される類の夢は昔からよく見ているような気がします。

そうした深層心理があるのでしょうが、夢診断を受けたことはなく、よく分かりません。
ただ、今も昔も、普段の生活が夢の内容に影響を与えていること自体は間違いないのでしょう。

当業界では修習修了から10年ごとに同窓会がありますが、私は諸々の理由で一度も参加できたことがありません。

先日、思いがけず熱海(10年目=第1回の開催地)にお邪魔しましたので、そちらの雨上がりの光景をお届けし、せめてものお詫びとさせていただこうかと思います。

多忙等のため、しばらくブログの更新ができませんでしたが、そろそろ少しずつ更新していこうと思います。