ガンダム最新作の裏テーマと、アニメ監督達が描く現代日本の重要課題
半年前にガンダムの最新作アニメ(ジークアクス)の映画評を書きましたが、お約束どおり早々に脱落した家族を尻目に一人深夜にビデオ視聴を続け、昨日ようやく最終回を拝見しました。
で、Web上に溢れる超マニアの方々の考察文もチラ見しましたが、そうした方々が誰も書かない感想を若干。以下、露骨な記載は差し控えますが、最後まで見た方向けの文章になるので、未見の方はご留意下さい。
まず、半年前の文章で「この作品の雰囲気はZZガンダムに似ている」と書きましたが、今回の円満な終わり方は、その予言どおりと言って良いのではないでしょうか。スゲー俺。褒めてください。
私の「ガンダム体験」と、作品群の根底にあるかもしれない?思想と倒錯 | 北奥法律事務所
次に、Web上で最も盛り上がっている、最終シーンのあの画面。映画で無言で出てきたあの御仁の出番がこうした形になるとは、私ももちろん予想できませんでしたが、私はこの光景が、現実社会=現代ニッポンの、あの方に重なって見えました。
ここからが本投稿(日本で私しか書く人のない?ぶっとんだ考察)の本番です。
まず、あのシーンを見たとき、私も彼女の表情が全然幸せに見えないことに気づきました。素直に考えれば、社会の表舞台になんか立ちたくなかったのに、皆がいなくなり自分しか担い手が残っておらず、苦渋の決断で引き受けた、という解釈になるだろうと思います。
そして、彼女のもとで、作中では全然具体的な内容・方法の説明がない「ニュータイプがニュータイプらしく生きられる(が人類虐殺などの暴走はしない)社会」や「宇宙移民と地球人民が対立せず平和に暮らす幸せな社会」の模索・構築が始まるのだろう、との期待を持たせる終わり方だと誰もが受け止めるのでしょう。
ただ、私は、推戴された彼女がちっとも幸せそうに見えない光景を見て、そんなに上手い話になるわけがない、ということもさることながら、
見方によっては虚ろとも言える、無表情を浮かべていた即位の礼のときの今上天皇陛下の表情
に似ているように感じました。と同時に、この終わり方は
愛子内親王の天皇推戴
を意識しているのでは(その暗喩?として描いているのでは)
と感じずにはいられませんでした。
皇族の方々が現に(ご本人の主観で)幸せかどうか、という点は他者(国民)が妄りに口を出すべきではないでしょうが、客観的には、様々な自由を享受する我々現代日本人(一般国民)の目から見ると、皇族という生き方が、実に過酷で気の毒に感じることは確かだと思います。
本当はなりたいわけではない(生身の自分にとっては自由の方が大事だから)のに、自分が擁立されないと社会が治まらないから苦渋の選択で擁立を受け入れる、という作品内の彼女の姿は、仮に、将来に何らかの理由で愛子天皇が即位された場合のご本人の心情と、重ならざるを得ないのではないでしょうか。
余計な一言ながら、お二人とも(ご本人固有の問題ではなく経緯や立場的な意味で)擁立後に配偶者を得るのがかなり大変になるであろう、という点でも共通しています。
(あのシーンに同行する男性は、Webで比定されている青の御仁で間違いないのなら、彼女の夫のはずがありません。初代の視聴者全員が怒ります。彼女も、アムロが見当たらない世界で釣り合いのとれる男性を見つけるのは大変でしょうし)
私は、昨年に映画「君たちはどう生きるか」を拝見した際、これは、宮崎監督が「日本で天皇制が終焉する(社会の背後で安寧を守る存在がその役割を終える)光景を描いた映画ではないか」と書きました。
神も依代もやがて去りゆく社会の中で、君たちはどう生きるか。 | 北奥法律事務所
ご承知のとおり、宮崎監督はもともと左翼シンパの方だと言われていますが、これに対し、ガンダム原作者である富野監督は、右翼的なスタンスの方だと言われています。
天皇制が存続できるか問われている現代社会にあって、宮崎監督は左派の立場から天皇制の終焉を描いたのに対し、富野監督の思想を承継する庵野監督や鶴巻監督らは穏健右派の立場?から、愛子天皇の擁立による天皇制の存続を描いた。
あたかも、そうした議論からひたすら逃げ続ける、政治家そして日本国民達に問題提起、議論喚起をしようとして。
そういった見方もできるのでは、否、そこまで考えて作ったのかもしれないと思いませんか?
だって、この作品の主人公の名前は・・・ですよね。
ジオンって、遙かに国力で勝る相手に無理な戦争を仕掛けて、初期には奇襲で大戦果をあげ(コロニー落とし?)、精神論による難局打破(ニュータイプ?)を重視するとか、初代の頃から大日本帝国(軍国主義の戦前日本)になんとなく似てますし。
ちなみに、グーグルで「ガンダム 思想」などと入力すると、私の投稿が最上位に出てくるみたいです。
でも、大して嬉しくもありません。こうした考察を投稿する方がもっといればいいのに。
天皇制、言い替えれば「今のぼくたちの社会(の基層)」は続くのか、そうでないのか。
そのことを人々がどう感じているのか。何を模索しているのか。
憲法を考えるというのは、そして、国民主権とは、そういうことだと思います。
皆さんの心には、何が残りましたか?
R7.7.4追伸。
色々と考えていくと、初代ガンダムって、米国(地球連邦)の属領となった日本(サイド7)にドイツ混じりの大日本帝国(ジオン)が攻めてきて、それを現代日本人(アムロ達)が米国から提供された最新兵器で撃退し、米国(連邦本部)に命令されるがまま、自分達(独立部隊)だけで倒しに行く、という物語のようにも見えます。
敵側(戦前日本ないし枢軸国)に作中最大のカリスマ(シャア)がおり、彼の風貌こそが「開国以来の日本人が憧れる西洋人そのもの」という点も含めて、初代ガンダムは家畜人ヤプーに匹敵する倒錯感あふれる物語という見方ができるのかもしれません。
それは戦後日本の宿痾そのものであり、そのことがガンダムの不動の人気・支持の根底にあるのかもしれませんね。
今回の作品は、「アマテとシュウジ(現代日本人)の物語」が消化不良ないし中途半端に終わり、「シャアとララァ(戦前日本の唯一?の支持者であるインド人)の物語(それは、枢軸国側の正義に基づく恋物語と言えるのかもしれません)」が回収・優先されたようにも思われます。
その点も、以上に述べたような背景が根柢にあるのではと解釈できるのかもしれません。
そうしたことも含めて、ガンダムって、敗戦国ニッポンの怨霊鎮魂物語としての側面があるかもしれませんね・・(まあ、逆説の日本史の見過ぎか・・)