北奥法律事務所

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書評

オレオレ詐欺と「彼を知り、己を知れば」

先日、「中央大学法学部政治学科のOBの方向けに、三菱地所系のワンルームマンションの営業をしてます」という電話が自宅にかかってきました。

私の学歴は事務所HP等で誰でも知りうる状態になっていますが、自宅の電話番号は現在では名簿などに載せないようにしていますので、どのようなルートで上記の情報を入手したのか、少し不思議に思いました。

そこで、自宅内にある大学時の所属団体(いわゆる受験サークル)の古い名簿を見たところ、有り難くないことに、自宅の電話番号等が書いていたため、これが元ネタの可能性があるのかもしれません。

先日、オレオレ詐欺の業界の実情などを詳細に述べた新書を読んだのですが、その中で、「現在のオレオレ業界では、入手した名簿を直ちに詐欺の電話に使うのではなく、不動産の営業などを装って、詳細に個人情報を聞き出し、それを、将来(相手の判断能力が鈍ってきた頃)或いは近親者への詐欺電話の素材(話に説得性を持たせるためのシナリオの材料)として活用し、そうした「磨かれた質の高い名簿」が高値取引されたりする」といったことが書かれていました。
http://president.jp/articles/-/15501

電話口の相手の声が、かなりの若年男性という感じもあり、営業電話は遠慮してますと言ったら、向こうから挨拶もせずガチャンと切ってしまいましたので、そうした類の御仁だったのかもしれません(本気で営業する気があるなら食い下がるでしょうし)。

私も、暇とエネルギーがあれば、根気強く先方の話にお付き合いして、言葉巧みに先方の正体等を突き止めるべく努力すべきだったのかもしれませんが・・

引用の書籍は、オレオレ詐欺プレーヤーの育成・誕生を描写した部分が、物語としてなかなか読ませるものがありますし、世代間などの格差ないし社会の閉塞の問題を考える上でも、参考になる点は大きい(筆者も私と同い年の方のせいか、感覚的に読みやすい)と思います。

今や、全国どこにでも、誰にでも入り込んでくる可能性のある人達ですから、敵方(詐欺業界)のことを知る上でも、それを踏まえて、こうした詐欺を生み出すもとになった、自分達の社会が抱えた様々な問題を考える上でも、ご一読をお勧めしたい一冊です。

余談ながら、著者の方が、私が大学で大変お世話になった同級生の方の高校等の親しい後輩なのだそうで、「鈴木氏に岩手まで講演にお越しいただきたい」という方がおられれば、お役に立てるかもしれません。

私自身は「オレオレ詐欺」は1、2回、被害者の方からご相談を受けた程度の関わりしかなく、まして、加害者側と関わったことは皆無なので(ヤミ金絡みの刑事事件なら弁護人を担当したことがありますが)、当事者の取材に基づくルポについては、色々と学ぶところがありました。

また、被害報道は県内でも繰り返し聞きますが、被害者側の「その後」については、ほとんど聞くことがないため、被害後に被害者側に大きな問題が生じた例であれ、そうでない例であれ、考えさせられる事案などを取材されているようでしたら、そうしたものについてもお話を伺うことができればと思っています。

町弁の受任力の向上を目指して

先日、船井総研監修の「弁護士10年目までの相談受任力の高め方」を読みました。

独立当時から、この種の「若い町弁向けに経営や業務のあり方を指南する本」を読むのは好きなのですが、近時の弁護士激増問題に加え、私(当事務所)の場合、独立直後に債務整理特需・弁護士過疎の時代を経験した名残で、私1人で4名の事務局の雇用を維持する運転資金=業務受注を確保しなければならない状況が続いていることもあって、この種の本を知ると、何か参考になればと取りあえず買って読むという習慣になっています。

ただ、一筋縄ではいかない事情も色々あり、実際には読んで終わりになっている面も大きいというのが恥ずかしい実情ではありますが。

本書は、債務整理特需終焉後の町弁の「基本分野」と目されている、離婚、相続、交通事故、中小企業向け法務の4つに絞って、それぞれの分野に特化して成功を収めている比較的若い世代の弁護士さん方が、業務遂行や広告等に関する方法論を詳細に述べているものとなっています。

4分野とも、私にとっては今も昔も事務所の中核をなしている基本業務といって良いものですし、どこまで取り入れることができるかはさておき、私が現在行っている業務や広告等のあり方を考える上でも、参考になる点が多々ありますので、手元に置いて何度か読み返すなどして、業務などの改良の手がかりとして活用していきたいと思っています。

本書ではテーマ外のためほとんど触れていませんが、事務所のマネジメント(内部運営)という点でも、ここ1、2年は色々と悩んだり考えたりさせられる出来事が多く、いずれは各自の広義の成長に繋げていくことができればと願ってはいますが、今はまだ右往左往の日々というのが正直なところです。

町弁と精神科医の類似性

昨年12月上旬頃から幸いなことに多数の案件処理に追われ首が廻らず、その上、12月は狭義の仕事以外の所用(忘年会や家族行事など)が公私に亘り多い月でもあり、ブログの更新ができず、判例学習も滞る日々が続きました。

ただ、正月など身動きが取れない時間に読書をしていたため、久しぶりに、最近読んだ本の読後の感想などを書いてみたいと思います。

今回は、春日武彦「精神科医は腹の底で何を考えているか」を取り上げます。

本書は、精神科医として多数の患者と関わってきた際の出来事を交えて医師として感じたことなどを書き綴ったエッセイ的な本で、新書らしく気軽に読むことができますが、本書で描かれている医師と患者の光景を、弁護士と顧客その他の関係者とのやりとりに置き換えると、実に収まりがよいというか、そっくりだと感じるものが多くあります。

本書の特徴として、精神科医の姿勢や思考などを、具体例を交えながら括弧書きで本文に添える方法で「○○な医師」と戯画的に類型化して表示しており、例えば、「倫理や哲学の領域に属する問題と現場で向き合いつつ、それに答えを出せぬまま診療に忙殺される医師」という項目では、統合失調症に対する医療の実情に触れながら、精神科医療のあり方、ひいては幸福という概念の二律背反的な面について語られています。

若干中身に触れると、統合失調症の治療では、投薬等により患者の静穏を確保できる(すべき)としつつ、回復させることができない問題(発症前に有していた思考やセンス、周囲との共通認識などに欠落が生じ、競争社会で勝ち抜くような生き方を断念させられること)が生じるのだそうです。その上で、患者に対し、そのことを受け入れて静穏に生活することに幸せを見出すよう説得するのが正しいのか、医師自身がそれと異なる感性(患者の病という異常事態に直面し解決するカタルシスへの傾倒)を抱いているから、そのような説得は不誠実だと考えるのかといったことについての葛藤が述べられています。

紛争の処理・解決という弁護士の仕事も、当事者が欲していること、望ましいと言えることに関し、できることとできないことが色々とあり、どのようなアドバイスをすべきかという作業(言葉の取捨選択も含め)を通じて、根源的には、当事者にとって「生きることの意味・生きることの価値」という問題も視野に入れた思索や仕事が求められていると感じることは、しばしばあります。

その上で、力の限界と形容するか謙抑的と形容するかはさておき、実際には当事者のそうした深い問題まで触れることはできず目先の仕事をこなすことで良しとする(せざるを得ない)のが通例であることも、他言を要しないと思われます。

私には「町弁は腹の底で何を考えているか」を書き上げる力はありませんが、本書は、精神科医だけではなく、「心の状態が一杯一杯になっている人を対象に、特殊な知見、技能を用いて、一杯一杯の状態の解消などを目的として接する仕事の従事者」一般に通じる話が色々と書いているように思われます。

従事者側(弁護士その他)にとってはもちろん、利用者側の目線で見ても、従事者側の考えていることを理解して、よりよい利用につなげていくという意味で、参考になる本ではないかと思いました。

里山資本主義と町弁デフレの行方

藻谷浩介ほか「里山資本主義」を読みました。
http://www.kadokawa.co.jp/product/321208000067/

NHK広島取材班との共著なので、中国山地で自然エネルギーや新型建材を通じた林業の復権、耕作放棄地などを活用した高品質の食品産業や里山の資源を活かした過疎地での地域コミュニティの再生の取り組みなどが取材班から紹介され、それらの営みが近未来の日本社会を支えていく姿を、藻谷氏が「デフレの正体」のような歯切れの良さで論じています。

中国山地なので東北の人間には馴染みにくい例のように感じがちですが「標高数百メートルのモコモコした山がどこまでの連なり、小さな谷が複雑に入り組む、雪は降るが豪雪地帯ではなく緩傾斜地が多い。よく言えば玄人好み、ありていに言えば地味すぎて、体験型観光などの新たな観光産業も、多くの場合根付いていない」(123~127頁)という意味では、東北も北上高地をはじめ中国山地とよく似た地域が非常に多くあります。

そうした点では、東北の人々にとって、学ぶところの多い一冊というべきかもしれません。

地方に生きる弁護士としては、「里山資本主義」を実践し、個の知恵と力を活かして地域内で新たな営みをする方が増えることで、必然的に、関係者の利害を法的に調整する必要のある場面が生じてきますので、そのときにお役に立てるようにしておきたいものです。

とりわけ、新たな取り組みであればこそ、従来の実務では見られなかった新たな法的問題が生じてくる可能性がありますので、そうした場面で必要とされるよう、何らかの形で、地域内の「里山資本主義」の営みに、弁護士として接点を持っておければと思っています。

例えば、岩手会の公害環境委員会が、その受け皿として活用できればとは思いますが、原発被害対策がお役御免になったこともあり、また休眠状態に逆戻りしそうな状況です。

10年近く前に日弁連の公害環境委員会に出席した際、「里山を保護せよ」といった活動に関する報告を耳にすることがあったのですが、最近は脱原発などに重心が移っているせいか、里山の話に接する機会もなく、どうしたものやらです。

余談ながら、「日本でデフレと言われているものの正体は、主たる顧客層が減りゆく商品の供給過剰を企業が止められないことによって生じた、ミクロ経済学上の値崩れである」という下り(270頁)については、債務整理や企業倒産など近年の「主たる顧客層」が急減し、これに代わる採算の合う仕事も伸びないのに、人(供給)ばかり増やし続ける町弁業界にとっては、色々と考えずにはいられないものがあります。

尤も、町弁業界の場合、全国で広がる「相談料無料キャンペーン」を別とすれば、値引き競争をしているというより、事務所経営を維持できるだけの採算の合う仕事が激減し、新規受注する仕事の多くが採算割れリスクの高いものばかりという話が多いのかもしれません。

このような話は、数年前の公共工事激減による建設業界の大量倒産時代に多くの業者さんから「倒産に至る経緯」としてよく聞かされた話です。

ともあれ、藻谷氏によれば、デフレ(成熟分野の供給過剰による値崩れ)を解決し企業が生き残るには、需給バランスがまだ崩れていない、コストを価格転嫁できる分野を開拓してシフトしていくことでしか図れないとのことですが、町弁業界はコストを価格転嫁できない仕事を相当程度、避けて通ることができない業界であり「需給バランスが崩れておらず、かつ、採算の合う類型の仕事」を新規開拓せよと言われても、なかなか思いつくものではありません。

少なくとも、震災関連で被災県に新たに生じてきた業務(地元の弁護士に配点される仕事)については、地域固有という意味では、里山資本主義的な感じがしないこともありませんが、採算性という点では、今も総崩れと言っても過言ではない状態が続いているように見えます。

結局のところ、自己の付加価値(能力や信用)を高め、「単価の大きい仕事を任せたいと顧客層に信頼される力」を養うほかないのかもしれませんが、当面は、暗中模索の状態が続きそうです。