最後の電話とお別れの言葉

不思議な話に関心のある方は、一ヶ月前に起きた、以下の実話をご覧下さい。

先日、私の母の小学時代の同級生だと仰る女性から、突然、当事務所にお電話がありました。

いわく、母と話をしたくなったが、母の連絡先が分からない。

当事務所が開業した際、私から挨拶状が届いた。

挨拶状に表示された電話番号をもとに母の連絡先を聞きたくて当事務所に電話をした、というものでした。

私はお名前を失念しましたが、事務局によれば、クボさんと名乗っていたそうです。

当事務所を開設した平成16年秋、私は様々な方に挨拶状をお送りしました。

両親から「ここに送って欲しい」と言われ、何人かの方々の住所氏名が表示されたリストを受け取り、それに基づき挨拶状をお送りした記憶はあります。

ですので、クボさんが作り話をしているわけではないことはすぐに確信しました。

ただ、クボさんなる方にお送りしたか、私には記憶がありません。

クボさんは、平成16年から20年もの長期に亘り、面識のない私からの挨拶状を捨てずに持ち続けていたことになりますが、この20年間、クボさんから連絡を受けたことはありませんし、クボさんなる方の話題が出た記憶もありません。

クボさんと私がこれまで関わりを持ったことがないことは間違いないはずです。

クボさんに限らず、過去数十年間、母が幼少期の地元の同級生と晩年まで交流を持っていたという話も聞いたことがありませんし、私はそのような光景を見た記憶もほぼありません。

ですので、率直に言って奇異の念を抱かざるを得ませんでしたが、商家である私の実家の電話番号は、伝えても何の問題もないと考え(最初に、実家が経営している小さな会社の方々が応答するはずです)、端的にその番号のみを伝えて電話を終えました。

私は、その1~2時間ほど前、兄から実家の件で電話を受けていました。

そのこと(兄から伝えられた内容)をクボさんに伝えるべきか、一瞬だけ迷いましたが、私の口からは伝えるべきでないと思い、その件は話題にしませんでした。

その日は、私は夜に外せない会合があったほか、兄から急いで来なくても良いと言われたこともあり、翌日の朝、私は実家に赴き、母と対面しました。

兄にその件を聞いたところ、やはり、クボさんから電話があったそうですが、兄も対応を考えあぐね、「今、母はいません」とだけ答えて、それで電話を終えたそうです。

それから数日かけて、私と兄は、母を見送りました。

それらを終えた後、念のため、挨拶状の送付先リストが今も残っていないか探しましたが、ざっと調べた限りでは、見つかりませんでした。

ですので、私が本当に挨拶状をクボさんに送ったのか、今も分かりません。

当事務所の電話機は番号が表示されるので、或いは、クボさんの番号を控えるなどしても良かったのかもしれませんが、その際は番号を確認するなどの対応は一切しませんでした。

ですので、クボさんが本当に実在する人なのかも含めて、私には分かりません。

ただ、私は、この世に目に見えない力が存在していることを信じて疑いませんので、結論として、クボさんが実在するにせよ、そうでないにせよ、そうした力が作用したことは、間違いないと思っています。

母は、私が司法試験に合格した頃には身体に様々な支障を来すようになり、パーキンソン症候群と呼ばれる、身体の大半の可動が困難となる病気を抱えた生活を15年以上に亘り余儀なくされました。

最後の5年以上は難聴等も相俟って私とは会話による意思疎通がほとんどできませんでしたが、他方で、認知症は生じることなく脳内の意思疎通能力は保持していた(一方的な筆談等は通じた)ため、なおのこと気の毒だと思い続けてきました。

それだけに、冒頭の出来事については、

最後に息子2人と会話をしたくて、あのような措置を講じたのだ。曲がりなりにも、それにより思い残すことなく旅立ったのだろう

と思うほかありませんでした。

父が亡くなった10年ほど前、私は彼に「最後の代表的二戸人」という言葉を添えました。

母にはどのような言葉を添えるべきか、今も腑に落ちるものを見つけることができません。

夫であれ子供達であれイエ(普通ではない様々な労働を強いた私の実家)であれ、多くのものに尽くし、時に搾取され、そして何かを道連れにした人生というべきなのか。

それとも、限られた条件の中で精一杯生き一定の成果を挙げ最後は我が子(兄)に長い間尽くしてもらった、相応に幸せな人生だったのか。

私には最後まで答えを出すことができそうにないように思います。

間違いなく言えることは、「父親の経済力と母親の狂気」なるものは東京などでお受験をしている今どきの方々だけのものではなく、私もその環境のもとで育ち、そのおかげで曲がりなりにも身を立てて実家を卒業し、あくせく生きながら歴史を繰り返している人間の一人だということでしょう。

今は、かつての様々な思い出を時には懐かしみながら、実家の方々への感謝を忘れることなく、残された人生で、何かを繋げていければと思います。