今年も無為のまま迎えた憲法記念日と来たるべき万物の尊厳

かつて、万物の尊厳を掲げる憲法改正を世に訴えたいと思って様々な投稿をしたものの、何もせぬままはや9年。今年も無為に憲法記念日を迎えました。
万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から(前編) | 北奥法律事務所

当時も今も、憲法改正を巡る日本国民の世論は「今こそ憲法改正を経験してみたい。が、今やってみたい改正案は、9条改正でも緊急条項云々でもない(が、国民が歓迎する憲法改正案を提唱する者は誰もいない)」というのが多数派と評して間違いないはずです。

もちろん、あたかもウクライナのように、ロシアや中国、北朝鮮などが本当に武力攻撃をしてくるなら(台湾有事などを含む衝突を余儀なくされるなら)、そして、そのことで、多数の日本人が無惨に命を奪われる結果になるのであれば、現在の日本人は9条を捨てて、自衛隊を明文化するなどの憲法改正を支持するでしょう。

自分の命を賭けて、他人(国民全体)の命を守るため闘ってくれる人に敬意を表し特別の地位を認めるのは、対価として当然とも言えるからです。

意地の悪い見方をするなら、現在、9条を捨てろ云々と声高に仰る方々は、そうした事態をこそ望んでいるのかもしれません。

どうせなら、仮想敵ともなりうる諸国とリスクを承知で官民とも物心様々な関係を結び、相手だって戦争したくてもできない社会を作る努力をすればいいのに。それこそ日米の?ように。

9条守れ云々の人達は、元気よく叫んでる暇があるなら、諸国の人民達と血肉の通った交流をして、可能なら諸々を賭けて諸国に赴き、彼の国々が自ら変化できる手助けをすればいいのに。

憲法改正に興味はあるが9条自体は現状のままでよい、辟易しつつも一応汗をかいている自民党に国政を任せ、口先だけの野党には見向きもしない、そんな日本人多数派の感覚は、上記のようなものではないかと思います。

であればこそ、国民が身を守るために仕方なく行う憲法改正ではなく、祝福できる憲法改正、そして敗戦時には掲げ損なった、日本人の大事な価値を掲げる憲法改正こそが現代日本人の責任であり、万物に神宿るとの日本古来の思想(或いは縄文DNA)の体現である万物の尊厳(憲法13条の2新設)は、それに相応しい候補と言えるはずです。

・・・と思いながらも、未だ「執筆」は何一つできず、数年前に試しにメール相談してみた自費出版専門の某社からは、年1回「やる気ありますか?」の照会メールが来て、すいません、今年も何もやってません(かえって、日経新聞と判例雑誌の積ん読が溜まる一方です)と返信するだけの日々・・

このまま終わってしまうのかもしれませんが、今年こそ、どうにか発憤できるようになりたいものです。

万物の尊厳を巡る過去の投稿群については、昨年の投稿も参照下さい。
万物の尊厳を志し、何もできずにはや8年 | 北奥法律事務所