選択の結果としての敗戦と寄る辺なき人々のマグマ~参院選の感想として~
参院選岩手選挙区は、過程に面白くなる要素は何もなく、誰もが予想したとおりの結果になっていましたが、先週、とある会合で長年の自民系の支持者の方からお話を伺った際、
平野氏は平成27年(今から3回前)の知事選に出ていれば、こういう事態にはならなかったのではないか
と仰っていたのを感慨深く感じました。
もはや県民に飽きが生じている現在はまだしも、平成27年は達増知事の震災対応が県民の堅調な支持を得ていた時期でもありますので、恐らく平野氏が出ても敗北したであろうとは思います。
が、当時は平野氏もまだ若く、彼が無党派層の期待を集めて圧勝した平成25年の参院選の遺産もあるため、自民に限らず無党派の反・非達増票を取り込んで、過去の知事選には無い善戦・拮抗になり得たことは間違いないでしょう。
で、その経験(自民党岩手県連の御用達ではなく無党派層の一定割合を固定客に掴んだ状態)を維持して参院選にカムバックすれば、自民系の候補という形であっても、その後に立候補した立憲系(小沢氏・達増知事系)の候補と十分に渡り合えたのではと思われます。
とりわけ、仮に、平成27年の知事選のあと木戸口英司氏が当選した平成28年の参院選に再挑戦するパターンなら、木戸口氏に勝つことも十分あり得たでしょう(当時は安倍政権下なので自公系は決して弱くないはずです)。
そして、そのまま任期満了に伴う令和4年の参院選にも「正史」たる広瀬氏ではなく平野氏が出馬していれば、確実に勝利すると共に、あのような大スキャンダルで議席を無駄に明け渡すこともなく、今回の選挙は他人(広瀬氏とか?)が出馬し代わりに負けてくれる、などという、平野氏にとって最も都合の良い「イフの歴史」があり得たはずです。
結局、どれほど優秀であっても無党派層を取り込んで独り立ちしよう(組織に頼らず生きよう)という度胸?が無かった時点で、政治家としての平野氏のここに至る道は当時から定まっていたと言わざるを得ないのかもしれません。
まあ、ガンダム最新作の見過ぎだ、とか言わないで下さいね・・
ともあれ、別に平野氏を批判したくてこのような文章を書いているわけではなく、私自身も平成27年の知事選で平野氏が出馬すれば良かった(知事選として面白くなった)のになぁと感じていた人間の1人として、
「政治家の決断の有無による、その後の展開の違い」
の不思議さ(ご本人にとっての怖さ)を感じざるを得ないというのが、今回の選挙の感想でした。
ちなみに、今回の選挙結果を過去と比較すると、勝者である横澤氏の得票率はご自身にとっての前回=令和元年ととほぼ同じで、得票数で言えば、ごく僅かですが下がっています(1万票程度)。平野氏と参政党の及川氏の得票を合算すれば横澤氏を上回っており、横澤氏の方が県民の支持を得たと単純に考えるのも適切ではないでしょう。
横澤氏個人の1期目の活動が県民にとってどれほど魅力に映っていたのかという点もさることながら、やはり、自公系だけでなく立憲(小沢氏・達増知事系)も支持者の高齢化や無党派層に飽きられている(支持が得られてない)という構造的問題が否めない(基礎票+α程度しか入らない)状態が続いているのだと思います。
それは、今回の立憲党全体の得票にも現れているのでしょう。
参政党は、言っていることの多くは滅茶苦茶或いはハリボテですが、
生活苦をはじめ社会の中で「割を喰わされている」と感じている人々、
ラストベルトのように忘れられた、捨てられたと感じている人々、
社会内の意思決定からつまはじきにされていると感じている人々、
帰属集団の中で居場所もなくポツンとした立場を余儀なくされている人々、
社会内の様々な利権を潰して欲しいと思っている人々、
今の社会の様々なものに、兎にも角にも壊れて欲しいと思っている人々
にとって、現在これほど共感できる選択肢はありません。
私も見方によってはそうした側に属する人間の1人なので、こんな政党に投票できるかと思いつつ、投票したくなる人の気持ちは痛いほどよく分かります。
昔々は共産党や公明党がそうした人々の受皿でしたし、小泉首相や安倍首相の全盛期には彼らが多少の受皿となりましたが、そうした時代は終わったのでしょう。
そうしたことを、自公系であれ立憲系であれ、岩手或いは日本の社会的意思決定を様々な場所で司っている方々には、よく考えていただきたいものです。
或いは、酒肴をいただきながら、こうした話をどなたかとできれば良いのでしょうが、夢のまた夢のことなのかもしれません。