北奥法律事務所

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2022年

庄内から神仏習合と古層の精神を考える(象潟・庄内編3)

今回と次回は、酒田・鶴岡を巡りながら感じたことを幾つか述べていきます。

鶴岡市中心部にある致道博物館の「文化財収納庫」には、庄内藩民が背負子の背中当てとして愛用した「ばんどり」と呼ばれる民芸品が多数、展示されていました。

インカ(ペルー・アンデス)やアイヌの民族衣装を彷彿とさせるように感じました。

山形は、日本海を通じて古代から大和政権=ヤマト文化との同化が進んだせいか、蝦夷・アイヌの文化の痕跡をほとんど聞いたことがありませんが、縄文(古モンゴロイド)の血の記憶は、この地にも流れているのかもしれません。

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最後に訪れた羽黒山の五重塔は、国宝9塔のうち「神社」と冠する施設内にある唯一の五重塔であり、我が国の神仏習合を象徴する施設の一つと言えるかもしれません。

江戸初期の羽黒山は天海上人の弟子が管理する寺院であり、その御仁の強力な指導のもと、比叡山のように藩領から独立した勢力として地域に君臨したのだそうです(ご本人は政争の末に失脚)。

修験道や古神道は「万物に神宿る」のアニミズムの系譜に属しますが、神仏習合もアニミズム(自然崇拝、多神教、多様性、多元主義)と親和性があり、日本では縄文文化がその根源にあると考えます。

山形がその聖地となっているのは、霊峰・名山に恵まれただけでなく、この地が縄文文化圏であることを示すものと言えるかもしれません。

アニミズムと対をなすのが一神教や原理主義であり、これらは科学的合理性を重視し自然よりも人類を優先する人間中心主義の傾向があり、弥生文化もその系譜に属すると理解しています。

以前、伊勢神宮に伺った際に、双方の違いなどを考えましたが、古神道の殿堂としての出羽三山は、弥生文化の象徴たる伊勢神宮と対置する存在として、双方の異同を比較するのも意義があるのかもしれません。

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羽黒山神社(三神合祭殿=本殿)では、巨大な建物の壮麗さも見事でしたが、それ以上に、本殿の目の前に池が配置されている光景に驚きました。

このような光景は初めて見ましたが、平等院鳳凰堂とその手前にある浄土庭園に、何か通じるものがあるようにも感じます。

意図的に作庭したのではなく、もともと池があったそうですが、これも神仏習合のなせる業なのでしょうか。

神社なのに、大きな鐘と立派な鐘楼もありました。私は神社仏閣には詳しくありませんが、鐘楼を備えた神社も現代ではほとんど聞いたことがないのではないでしょうか。

近くには、小規模な社殿が並び立つエリアもあり、上杉家廟所や男鹿半島の五社堂を彷彿とさせるものがありました。これらには、共通のバックグラウンドがあるのでしょうか?

 

庄内でも懲りることなくエセ歌人(象潟・庄内編2)

象潟・庄内方面への旅行の続き(2日目・3日目)です。

にかほ市内の宿泊先を出発し、どしゃ降りの中、地元出身の英雄を顕彰した白瀬南極探検隊記念館を拝見し、その後、道の駅象潟を経由して、主要目的地の一つである酒田に向かいました。

白瀬中尉が南極点踏破を断念した後、数十年を経て初めて南極点に到達した日本人(村山雅美隊長)は、田中舘愛橘博士の孫弟子なのだそうで、先日の岩手日報では、二戸の田中舘愛橘記念科学館が、南極観測隊を顕彰する企画を行っている旨の記事が掲載されていました。

白瀬記念館と愛橘記念館も、南極繋がりで様々な交流や企画を行い、自然への挑戦と畏敬の精神の涵養に努めていただければと思いました。

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酒田への途中、県境の名所「十六羅漢岩」に立ち寄りましたが、日本海の荒波に気を取られたせいか?勘違い(岩を仏像に見立てているのかと思っていました)で羅漢像を見ることなく海岸風景だけを堪能して立ち去りました。

荒磯に十六羅漢を見忘れる

名勝・二見岩付近も通過したのですが、道路から確認できることを知らず、見過ごしてばかりでトホホの連続です。

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酒田市に到着後は、最初に本間美術館を訪問しました。

栄華を極めた本間一族の美術館に相応しく、江戸期を代表する名匠達の作品(いずれも国宝級?)が一人一点ずつ厳選され展示されていたほか、2階では江戸期に活躍した女性画家の作品も展示されていました。

庭園(鶴舞園)と邸宅(清遠閣)も、大変美しく、満足して拝見しました。

私が東京で大変お世話になった兄弁は独立直後に本間ゴルフの民事再生に関与し、当時は頻繁に酒田にも出張していたそうです。

当時、江戸時代に流行したと言われる「本間様には~」の名文句を4回くらい?聞かされた記憶があり、その都度「先生、その言葉、昔から知ってます・・」と言いたいのを我慢して聞いていました。

というわけで、その先生に敬意を表して一句ならぬ一節?

本間様には及びもないが いつかなりたしプチブル弁

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その後、本間旧邸山居倉庫日和山公園を経て土門拳記念館に赴き、最後に2日目の宿泊地(湯野浜温泉)に向かいました。

土門拳記念館では、絵画と見まがうような印象的な構図で撮影された写真群に感銘を受けましたが、さっさと宿に行きゲームをやりたいなどと宣う同行者には、巨大な丸いものでもぶつけてやりたいと思わずにはいられませんでした。

魂と感性の刺激には、土門拳を
ゲーム中毒の輩には、怒モンケーンを
暑さで弛んだ身にも、怒モンケーンを

モンケーンが何のことか分からない方は、鋼鉄参謀や浅間山荘事件をお調べ下さい。

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翌日(3日目)は、最初に、加茂水族館を訪問しました。

同館をもって、ついに東北の主要水族館を踏破できましたので、記念の一句。

カモられる暗げな家族 列をなし

館内は決して大きくありませんが、日本随一とも言われるクラゲの展示が圧倒的な存在感を有しており、詳細な解説コーナーなども含め、オガールの遙か以前から、ここはピンホールマーケティングの聖地なのかもしれません。

個人的には、小粒のクラゲの大群が隊列をとっているように見えた展示が、

巨大な敵を~(撃てよ~撃てよ~撃てよ~)

というガンダムのオープニングテーマの画面(シャアザクが大量のザク群を率いている画面)によく似ていると感じて、印象に残りました。

また、目玉焼きに酷似したクラゲの展示もありましたが、私の実家にあった、「肩凝りなどを治すための吸引カップ(を身体に設置して装置を作動させたときの光景)」に似ているように感じました。

しびれるぜ 凝りに吸い付く目玉焼

あと、オマケに前夜の湯野浜温泉にて一句。

カニ喰えば疲れ花火を見忘れる

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その後は、鶴岡市内に移動し、致道博物館藩校致道館荘内神社(鶴岡城址)などを拝見した後、最後に、羽黒山五重塔と羽黒山神社(出羽三山神社)を拝見し、帰途につきました。

盛り沢山の旅行でしたが、時間の都合で断念した箇所も多く、再訪の機会を楽しみに待ちたいと思います。

鶴岡などを歩いて感じたことは、次回の投稿で述べることとします。

 

象潟に町弁来たりてエセ歌人(象潟・庄内編1)

先般、庄内(酒田・鶴岡)方面を初めて旅しました。秋田の日本海方面から入ることとし、折角なので、1日目は鳥海山の麓のエリアを廻りました。

最初に、出羽の名瀑・奈曽の白滝にて一句。

太古より轟く その名その白滝

続いて、元滝伏流水にて、次世代の飛躍を願って一句。

伏龍の世に湧く日を待つ岩清水

周辺は、湧水の冷気(温度差?)で霧に包まれる幻想的な雰囲気です。

霊峰の息吹 涼しく厳かに

この日は、天気予報では昼から豪雨のはずでしたが、秋田県南は全く雨に遭わずに済みました。ただ、津軽・秋田県北に豪雨をもたらした分厚い雲に覆われ、鳥海山までは望むことができず、その点は次回に持ち越しとなりました。

というわけで、鉾立駐車場の奈曽渓谷展望台にて、全国のしがない町弁の皆さんに捧げる一句

喰らはずに仰ぎ生きたし ちょうかいさん

懲戒・・・もとい鳥海ラインの出入り口付近で、対向車が猛スピードで下山し、激しくセンターラインオーバーをしている光景を目の当たりにし、あと少しタイミングがずれていれば・・と恐怖すると共に、安全運転の大切さを感じずにはいられませんでした。

その後、下山し、九十九島・坩満寺に赴き、芭蕉を偲んで緩慢な一句。

行く末を案ずる間もなく象潟に

この日(時間)は当方以外に人影はありませんでしたが、人間以外の来訪者がありましたので、寂しさは感じませんでした。

象潟で我も詠まんと鳥一羽
警察は歌わぬ鳥をサギといい

さすがに、私が近づくと飛び立っていきました。

というわけで、この日の最後に、句心のない同行者に一喝もとい一句

ゲームに病んで夢が枯野に散るなかれ

現在ブログでは写真の掲載はすべて割愛していますので、ご覧になりたい方は、FB投稿にてご確認ください(今後の投稿も同じ。反面、公式サイトなどを引用しています)。

 

私と岩手県庁の20年、そしてその先にある事件

19年前、私は、岩手・青森両県庁などのご協力のもと、全国の廃棄物問題の凄腕弁護士さん達を連れて、岩手青森県境不法投棄事件の現場に行きました。第二の豊島事件になるかもしれないと思われたこの事件は、増田知事の全面撤去の決断を機に、弁護士の出番を必要とすることなく決着しました。

14年前、岩手・青森の海の境界紛争と呼ぶべき「なべ漁場事件」が勃発し、私は、岩手県庁(水産振興課)の全面支援のもと多数の岩手県漁業者の代理人として、青森県庁と闘いました。数十年前から続いていた漁業紛争にケリを付けるため始まった事件は、苦心惨憺の末、実質勝訴と言える和解で終了しました。

7年前、長年の岩手のサケ産業システムに不満を持つ一部の岩手県漁業者による「サケ刺網訴訟」が勃発し、私は岩手県庁(水産振興課)の代理人として原告漁業者らと闘いました。この件も苦心惨憺の末、3年後に全面勝訴で終了しました。

ただ、岩手のサケ産業の現状に照らせば、ある意味、勝者なき闘いだったのかもしれません。彼らが数十年続けた闘争を終わらせるために起こしたのではと感じた訴訟は、裁判で語られたことの意義が世間に伝わることもなく、些か不毛さを残すものでした。

あくまで単発的なご依頼であり「地元の大物センセイ」でもありませんので、県庁の顧問などにご縁はありませんでした。

そして今、数十年前に行われた廃棄物の大量埋設事件で、被害者代理人として、岩手県庁(医療局)を訴える側の代理人として訴訟を提起しました。

自治体と関わる地元弁護士は数多あれど、こうした形で地元県庁と様々な関わりを持った弁護士は、珍しい部類に入るかもしれません。

提訴自体は、当日は地元TVで全局一斉に取り上げられたほか、国内向けWeb記事でも表示されていました。
軽米町が県を提訴 病院跡の廃棄物めぐり 総額1億9000万円の損害賠償請求<岩手県>|FNNプライムオンライン

反面、翌日の岩手日報では紙面の片隅に小さな記事が載っているだけでした。新聞には、訴訟の概要や事件の問題点などについて、提供資料などをもとにTVでは対応できない腰を据えた詳細な記事を書いていただければと願っていたのですが、その点は残念です。

ともあれ、この事件は数十年前に埋設された膨大な廃棄物の撤去費用などの賠償を埋設行為者に請求する事件ですが、以前に投稿した「あなたの街の森友学園事件」のとおり、全国に膨大な数の同種被害が潜在していると危惧されます。

とりわけ、数十年前とはいえ県庁が運営していた施設が起こした事件であることは関係証拠から間違いなく、県庁が県民から借りた土地に、現時点で1億強もの原状回復費用を要する投棄行為を行い放置し続けたことの当否を問うことは、県民にとっての県庁という存在の意味=信頼も問うことに他ならないと思っています。

本件自体の解決もさることながら、将来発覚する同種の事件で適切な対処がなされるようにするためにも、全力を尽くしていきたいと思います。

事件の適正解決のため、県民など多くの方々のご理解・ご協力も賜れれば幸いです。

三島由紀夫の自決事件から安倍首相の殺害事件を考える

3年前に、三島由紀夫事件からの着想で、以下の替え歌を投稿したことがあります。安倍首相殺害後の一連の報道を見る中で、この歌を思い出しました。

真っ赤だな 真っ赤だな
きれいごとって 真っ赤だな
戦後の平和も 真っ赤だな

三島由紀夫が そう言って
真っ赤になり問うた この世界
真っ赤な嘘は まだそこにある

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一連の報道で、安倍・岸家三代と強い関わりのあった勝共連合=統一教会が多くの日本人に災禍を及ぼし、国民から搾取された富が文鮮明ファミリー(ひいては韓国社会?)に還元されていたことと、安倍首相の代名詞とも言われていた朝鮮両国(韓国・北朝鮮)への強硬姿勢との間に、強烈な矛盾・不整合を感じずにはいられなかった人は、少なくないのだろうと思います。

ただ、その話は決して今に始まった・露見したことではなく、戦後政治や統一教会被害問題に多少とも知識のある人なら、半ば分かりきったことでした。それでも、安倍首相の在任中に限らず、その前後も含めて、「反アベ」を標榜する方々すらもキャンペーンすることなく、誰もが忘却していたと言ってよいと思います。

今回の事件は、忘れられた世界で塗炭の苦しみを強いられた御仁による、強烈な異議申立と見ることもできるのかもしれません。

***

米国にはラストベルトで忘れられた没落中級層の代弁者としてのトランプ大統領が出現しましたが、日本では同氏に匹敵する存在は現れていません。

そんな中、誰よりも同氏と懇意にしていたと言われる安倍首相が半ばとばっちりのような形で「忘れられた日本人」の凶弾に斃れる光景も、皮肉というのか、得体の知れない恐るべき何かを感じざるを得ません。

我々が経験してきた「戦後の平和」にも「戦後レジームの脱却(の先にあるとされる平和)」にも何らかの嘘や欺瞞があるのだろうと感じつつ、何が真実なのかと問われても答えに窮する方は、少なくないと思います。

或いは、我々自身がそれらに依存する面が大きいがゆえに、真実を見ることも困難な状況にあるのかもしれません。

今回の事件で誰が問うたのか・何が問われたのかはさておき、真っ赤な嘘がはびこる社会には、真っ赤な光景をもって、その嘘を問おうとする人が、出現せざるを得ないのかもしれません。

三島由紀夫は自決直前の演説で、戦後社会には欺瞞が溢れているという趣旨の社会批判をしていたようですが、或いは、そのメッセージは、今回の事件に限らず、数十年を経た現在の社会に対する批判としての意味も持ちうるようにも感じています。

3年前のブログ記事は、今回の文章とはあまり関係ありませんが、末尾に替え歌の全文を収録しています。

福田家三代の言葉たちと政治家にとっての他人事・自分事

福田康夫首相のことは忘れても「あなたと(は)違うんです」なら覚えている、という方は珍しくないかもしれません。

今回の福田総務会長の不用意?な「何が問題か分からない」発言を聞いた際、お父さんは記者会見で数々の名台詞を残し、「フフンの人」と揶揄されながらも世間に結構愛されていたことを思いだしました。

祖父の赳夫首相は宮沢首相と並んで戦後の秀才首相の双璧と言われている方ですが、この方も言葉の達人で、「人の命は地球より重い」など、多数の名言を歴史に残しています。

お孫さんは、自身が(安倍家と違って?)統一教会と公私とも関わりがないとか、俺達はそんな奴らに左右されるほどヤワじゃないと言いたかっただけなのかもしれませんが、言葉の使い方が悪くて、傲岸不遜な印象を与えてしまったように見えます。

冒頭の康夫首相の名ゼリフ?は、「他人事のように政治を語っている」との記者発言への反論として、自分は物事を客観的に見ているのだとの意図で発したそうですが、DNAを感じさせる面はあるのかもしれません。

小沢一郎氏は陸山会事件の公判で「自分の関心は天下国家のことだ(だから、こんな話に自分は関わりがない)」と述べたと報じられましたが、政治家の自負心が、かえって自分の足元を支えている人達・物事への無関心・無責任を印象づける面があり、その後の小沢氏勢力の退潮にも繋がるように見えました。

そういえば、康夫首相も官房長官時代、北朝鮮との国交樹立等?を優先させ、拉致被害者家族への対応が冷淡だったと批判されたことがありました。

福田家三代も、高い知的能力を有し自負心の強い一族だろうと拝察しますが、天下国家のことばかりでなく、あたかもその養分として吸い取られたかのように、政治に関わろうとする様々な周辺勢力(統一教会に限らず)の活動を通じて辛酸を嘗めるなどした庶民の思いも代弁できる言葉を紡いでいただければと思います。

赳夫首相ひいては清和会の政敵であった田中首相は、曲がりなりにも、自身が貧しい戦後庶民の「豊かになりたい」との思いを代弁する存在だと印象づけたことが、強固な政治力の根底にあったのではと思いますし。

 

次期岩手県知事選を巡る待望論と衆院選岩手選挙区への影響

前回、一世を風靡したオガール紫波の物語について感じたことを書きました。5年以上前に読んで、前段はすぐに書いたものの、後段部分をあとで書こうと思っていたら5年以上も経ってしまい、ようやく感想を書き終えることができました。

ところで、先日の参院選岩手選挙区の結果を受けて、来年に予定される岩手県知事選に誰が出馬するのか、様々な憶測が飛び交っているようですが(私は蚊帳の外なので何も存じません)、岡崎さんの待望論は間違いなくあるのだろうと思います。

私自身は、現時点で達増知事に確実に勝てる唯一の候補と思っていますし、岡崎さんが出馬となれば、達増知事の方が対決を避けて知事選ではなく国政選挙などに方向転換する展開もあるかもしれません。

・・などと書くと、ご本人にとっては迷惑千万かもしれませんが(ご覧になっていたら、すいません)、ともあれ、自民党岩手県連などの方々は今回のブログ記事も参考にしていただき三顧の礼を尽くすことも考えていただければと思っています。

まあ、無党派層としては、自民が別候補を擁立し三つ巴の闘いになるケースでも、新たな本格的地域政党の誕生に繋がりそうで、見応えがありそうな気もしますが。

それこそ、木下斉氏なども抜擢し庁内で様々な試みを行っていただけるのであれば、増田知事時代以上に、日本で一番注目される知事になることは間違いないと思います。

なお、近時(参院選=安倍首相の死去前後)の達増知事が反自民的な発言で繰り返し報道に取り上げられている光景を見ると、達増知事は知事再選よりも国政選挙に戻って国政の小沢氏勢力の承継を予定している(希望している)のかな、と感じないでもありません。

その場合、小沢氏から岩手3区を引き継いで「藤原議員への敵討ち」を目指すのか、岩手1区で階猛議員と「野党(岩手小沢党)内の裏切り者?への落とし前対決」をするのか、野次馬たる盛岡市民としては後者の方を期待していますが、いずれにせよ、全国から強い関心を集めることは間違いないでしょう。

知事選が本格化するのはちょうど1年後ですが、その頃、国政を含めてどのような動きが生じるのか、今から楽しみに待ちたいと思います。

 

RPG小説または出会いの熱量の物語としてのオガールと、その先にある私たちの出番

5年以上前の話で恐縮ですが、猪谷千香「町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト」を読みました。

当時から一世を風靡し現在も進行中の「オガール紫波」を、立役者であり開設と運営の中核を担っている岡崎正信氏の軌跡を中心に物語風に描いた本ですが、私は岡崎さんの翌年に盛岡青年会議所に入会した関係で平成17~19年頃は何度かお会いする機会があり、いわば「オガール前史」時代の岡崎さんを若干は存じています。

その後は残念ながらお会いする機会がほぼなく、岡崎さんがJCを卒業する際の卒業式でご挨拶した程度の関わりに止まっていますが、幸い、facebookでは「友達」の承認をいただいたので、硬軟さまざまな投稿を日々興味深く拝見しています。

本書で描かれる「オガールの物語」は、紫波町の建設会社の子として高校まで地元で育ち、大卒後は都市再生機構で各地の開発事業で活躍していた岡崎さんが、必ずしもご自身の希望ではない形で帰郷し、地元での生き方を模索していたところから始まります。

そして、ほどなく、長年塩漬けにされていた町有地の開発について町役場の会合で相談を受け、その時点では誰にとっても「雲を掴む話」であった公民連携の手法による開発を提案し、町長の英断で推進に向けて様々な取組みか開始されるところから、一気に物語が進展していきます。

かくして、オガールの誕生から現在(直近)までの全体像や今後の展開などを、プロジェクトに寄与した多数の関係者の証言を通じて描き切ったのが、本書の骨子です。

その物語は、岡崎さん個人の努力と成長に加えて、まちづくり・デザイン・金融など、様々な分野の第一人者が「旅の仲間」のように次々と登場しては重要な役割を果たす姿が日替わりヒーローのように描かれ、最後に次の世代の育成で締めくくられているため、ちょっとした英雄譚を見ている感覚になります。

本書をRPGゲーム風に要約すれば次のようなものになるでしょうし、そうした読みやすさや引き込み力が本書の特徴であり魅力とも言えるでしょう。

「旅の勇者が故郷の小さな町に帰ってきました。町を治める王様は、勇者にある頼みごとをしたところ、勇者はたった一人で町の皆が驚くほどの成果をあげました。

王様は勇者に、その町が抱えた深刻な問題を相談しました。勇者は、隣の大きな町で意気投合した吟遊詩人を皮切りに、旅を通じて培った知恵や度胸を武器に、強い力を持った魔法使いや賢者など次々に優れた仲間を集め、独自の構想でその問題に取り組みました。

王様は国を挙げて勇者と仲間たちの闘いを支え、それまで町を不安に陥れていた脅威は、彼らの努力により町の良さを国中に広めるチャンスへと大化けしました。

今、その町には、新たな勇者たちが活躍の機会を求めて集まってきています。勇者たちと町の挑戦の物語は、まだ始まったばかりなのです。」

そうした意味で、本書は、都会(国=全国組織)から「お金を引っ張る」方法ではなく、まっとうな稼ぎ方を学んで実践したい人にとっては教科書的な本と言えるのかもしれません。

また、都会で何かを学んで帰郷(或いはIターン)したけれど、それを地元(現在の居住地域)で必ずしも生かせてない、という人にとっては福音書のような面もありそうです(見果てぬ夢の物語というべきかもしれませんが)。

そんなわけで、田舎のしがない町弁としての私が本書で描かれているような「都会と地元を行き来する人が担う地方自治の新しい物語」に、どうすれば、また、どのように関わることができるのか考えつつ読みました(残念ながら、いまだ何らの関与も実践もできていませんが)。

もちろん、このような「田舎のスマートな施設」は、いつの日か地元民が「シャレオツ疲れ」を起こして飽きられるリスクもあるのかもしれず、今も行われている様々なイベントをはじめ、ディズニーのようなコンテンツ更新や話題作りのため不断の努力の宿命を負った施設でもあるのでしょう。

事実、以上の文章は数年前に書いたのですが、この数年間で紫波町には学校跡地に新たな技能教育施設を作るとか、町役場跡に温泉施設を作るなどの話が持ち上がっており、岡崎さんが関わった町外の他の案件(盛岡市動物公園やバスセンター、二戸の金田一温泉など)も含め話題に事欠かない状態が続いており、スポーツ指導者としての活動もなさっていることも含め、庶民から見れば驚愕するほかないと言ってよいと思います。

そうした意味も含め、今後もオガールの努力から何かを学んでいければと思います。

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ここからは、現在=掲載時に加筆した文章です(これを書くのが遅れ、ようやく掲載できました)。

本書には、岡崎さんが最終的に目指す道が何であるのか窺わせるような記載はありませんが、私は読了直後=5年以上前、岡崎さんには米国の「シティマネージャー」のような路線を目指していただければと思っていました。

シティマネージャーとは、増田寛也・前岩手県知事が平成22年に出版した「地域主権の近未来図」(朝日選書)で紹介されていた米国の制度で、要するに「市長」という制度を止め、代わりに議会が「自治体の経営者」を選任する制度です。

いわば、議会が、市長に代わり「会社の代表取締役=雇われ社長」のような存在を選任する制度だそうで、米国では、小規模な自治体を中心に、かなり普及しているのだそうです。

岡崎さんが従事した「PPPエージェント」は、シティマネージャー業務の一端ないし先取りという面があるようにも思われ、これが各地に広まり実績が認められれば、やがて、日本でもシティマネージャーを導入してみたい、との機運が高まるかもしれません(同書でも埼玉県内で導入提案がなされた例の紹介があります)。

ただ、そのためには地方自治法の大改正が必要でしょうから、まずはPPPエージェントなど現行制度でも実現可能な手法で実績や担い手を増やすことで制度改正の機運を作る必要があるのでしょう。

そうした営みを中心に運営されていく新しい「地方自治のカタチ」に地元の町弁もお役に立つことができればと願ったりもしますが、現状では夢のまた夢なのかもしれません。

ともあれ、「自民党の憲法改正案(で指摘されている事項)は別段支持しないが、憲法改正或いはそれに類する制度改革はぜひ行って欲しい」という現在の世論は、地方制度を含め、議会(立法)・役所(行政)の制度や文化の大改革を期待していることは、間違いないはずです(それらが良好に改善されることがあれば、やがて司法も追随するのでしょう)。

最近は聞かなくなりましたが、数年前には盛んに報道された「地方議員などのがっかりニュース群」に照らしても、地方自治制度には「我々のまちには、こんな無駄な制度はいらない」とか「自分たちの独自のやり方で町をつくりたい」として、会社法のように、ある程度、自由に(自主自立的に)機関設計できることを期待する声があるのではと思っており、岡崎さん達の営みも、その一助になればと願っています。

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日本の地方制度は、中央官僚による統制を主導した大久保利通に由来すると評して過言ではないと思います。

彼ら=明治政府の先駆者達は、民衆や地元自治体よりも中央官僚(英才集団)による統制の方が、公共の福祉=社会全体のしあわせを実現できるとの強い自負を持ち、曲がりなりにもその努力を積み重ねてきたことが、現在も連綿と続く「民」や地元自治体などの「官」への依存心の根底にあると思います。

それだけに、まちの未来を自分達で創ることを標榜するオガールのPRG物語にとって、最後の敵=ラスボス大魔王とは、人々の依存心を喰らい続けて巨大化した大久保利通の影法師(血の記憶)なのかもしれません

現下の社会情勢では、或いは、岡崎さんを選挙などの大舞台に担ごうとする動きも出てくるのかもしれませんが、そうしたことも含め、ぜひ、人々の範となる闘いを今後も硬軟交えつつ続けていただければ幸いに思っています。

 

「関わってはいけない宗教団体がある」と聞いた日のこと

参院選については、岩手選挙区への是非の発言をするつもりはありませんが、北海道選挙区では応援している石川候補が惜敗となりましたので、その点は残念に思っています。将来の話をするのは早すぎるのでしょうが、どのような場であれ、いずれ捲土重来を期して頑張っていただければと思います。

開票日には、深夜まで刻々と順位が変動する各局等の開票状況をサイトで一喜一憂していただけでも疲労感がありました。まして、実際に選挙運動に従事された方々大変さは、想像を絶するものがあるのでしょう。

ところで、安倍もと首相の殺害事件に関し、犯人(被疑者)が恨みを抱いていた宗教団体として、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の名前が報道され、教団側も、犯人の母の在籍を認めています。

この点に関し、私は、かなり若い頃、尊敬していた方(故人)に、信仰の自由は最大限尊重されるべきだが、統一教会だけには関わらないで欲しいと言われたことがあります。その方が普段は非常に温和なのに、そのときは深刻な口調で説明されていたためか、強く心に残ったことを覚えています。

具体的な内容までは思い出せないのですが、間違いなく霊感商法や家庭崩壊等の話があったはずで、多分その種の話を人生で初めて聞いたので、よく覚えているのだと思います(今回の事件を受けた記事でも、同種の話が紹介されています)。

ただ、大学時代には「インドカレー研究会」と表示された手作りポスターを学内で見た記憶は微かにあるものの、統一教会の存在を感じたことは一切ありませんでした。

その後も本業等で相談を受けた経験もなく、私自身は何の関わりも持たずに現在に至っています。

そんなわけで、部外者の身で、岸首相や安倍首相の「光と影」にあれこれ物申すつもりはありませんが、こうした形で人に災禍が及ぶこともあるということは、残念な事件から庶民が学ぶべき事柄の一つとして、考えてよいのではと思っています。

 

函館ラ・サール中学・高校の学校説明会と校内レポート番組

2週間ほど前の話ですが、盛岡で函館ラ・サール中学・高校の学校説明会があり、関係者として設営のお手伝いをしてきました。

これまでは学校のご担当(副校長など)が1時間ほど口頭で喋り続けることが多かったのですが、今回担当された教員の方は、ご自身の教え子(難関大に進学した方のほか、運動部などを含めた在学中の生徒さん達)のビデオメッセージを多数揃えて、個別の生徒さん達が、どのような個性の持ち主で、学校・寮生活を通じどう成長したか、という話を詳細になさっていたので、その点は、かなり聞き応えがあったと思いました。

次回(盛岡会場)の予定日は10月22日ですので、対象となりうるお子さんがおられる方、或いはそうしたご家庭や塾・学校関係者をご存知の方は、ご来場(その方々にご紹介)いただければ幸いです。

来場者向けの配布資料が入った封筒を幾つか持っていますので、ご希望の方は、お申し出ください。

数年前にもブログで「岩手など(中学受験が当たり前な首都圏等以外)の子が中学受験や函館ラ・サールに関わる意義」について、掲載したことがあり、ご覧いただければ幸いです。
函館ラ・サール中学・高校の入試説明会と「地方の子が中学受験や寮生活をする意義」 | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

また、1週間ほど前には、函館ラ・サールを取り上げた番組も放送されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=DC8JZYyD0fo

映像には建替前の昔の寮とみられる写真も含まれています。当時は100人部屋でしたが、現在は生徒数も減って、50人部屋と呼んでいるようですね。

卯建の上がらない高校生活を送った人間が、なんで出身校の宣伝ばかりさせられるんだというのが正直なところではありますが、お子さんの進学などを検討されている県内等の方は、当方でお役に立てることがあれば、ご遠慮なくお問い合わせ下さい。