北奥法律事務所

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02月

日本語しかできない田舎の町弁が従事する、外国人相談の現状と本音~その2~

標題のテーマに関する前回投稿の続き(後編)です。

県庁(アイーナ)の外国人向け無料法律相談会で、A国籍の県内在住外国人の遺産相続という準拠法が大きく関わる案件について、事前に幾つかの文献を調べてまとめた内容を担当者にメールしていたところ・・

なんと、当日になって、本人がドタキャンしてきたとの連絡を県庁担当から受けました。

この企画は、会場で本人から相談を受けなければ日当が出ませんので、事前の準備は完全タダ働きとして水泡に帰すほかありません。

ご担当にはメールを本人に転送しても構わないと書いたので、或いは、本人がメールで目的を達し取り止めてきたのでは・・・(事前に返信しなきゃよかった?)、と思わないでもありません。

そういえば、今日も、(日本人相手ですが)そういう話ありましたし・・

そうであれば、実質的に相談を実施したものとして県庁は相談料を支払っていただきたいものですが、そうはならない(お役人さん達は給料を貰うが、チンケな出入り業者はタダ働きを強いられる)のは、この種の話(お役所絡みの仕事は、親切にすればするほど徒となる)のお約束なのでしょう。

が、ともあれ、弁護士にとっては「あるある」の類と言わざるを得ないでしょうから

この腹いせに、排外主義に転向しよう

とか

誰だ、外国人相談なんて日本人向けと大差ないなどと言った奴は

などとケチなことを言うことなく、せめて、相談者A国人氏が、私のメール?も活かして、何らかの形で日本に肯定的な影響を及ぼしてくれるよう願いました。

***

3回目は、10年以上前に来日し日本人男性と結婚した熟年アジア系女性が夫の死去に伴い相続紛争が生じたというご相談でしたが、この方も、10年以上日本に居住しているのに、全くと言ってよいほど日本語が話せず、通訳等の対応ができる友人等もおられないようでした。

アイーナ相談は県庁側で手配した通訳さんが対処するので、一定の意思疎通はできましたが、通訳さん自身が当該国のご出身の方?らしく、相続を巡る日本の様々な制度や実務もあまりご存知ないようでした。

そのため、それらを通訳さんに説明するだけでも難儀で、まして、ご本人の相談の核心となる論点への対処をあれこれ説明しても、砂漠に水をまくような印象は否めませんでした。

結局、様々な困難な論点があるように見受けられたものの、当方にはその紛争への対応は無理である=同国人同士の繋がりを通じて、当該言語への対応が可能な東京の弁護士さんなどを照会してもらうほかないのでは、と回答せざるを得ませんでした。

***

近年このような「働けど働けど」仕事ばかりが続く感が否めず、憑き物があるのかと泣き言の一つも言いたくなりますが、ともあれ、開運を願って橋を往復し続けたいと思います。

今般、岩手弁護士会にも、在外実務経験があったり英語が堪能だと聞く先生方を中心に、外国人の権利救済を目的とする委員会が発足したのだそうで、今後はそちらの方々が専門能力を活かして?相談会を担当されるものと思われます。

というわけで、私の屍を無駄にすることなく、今後、確実に予想される外国人の大量入国(大移民?)などに伴って生じる法律問題の解決に尽力いただければと思います。

 

日本語しかできない田舎の町弁が従事する、外国人相談の現状と本音~その1~

今回は、外国人向け相談に関する小話(前編)です。

数年前から弁護士会の某委員会と県庁の協定により外国人向けの無料相談会が県内でも年数回行われており、応募したところ、昨年は3回の配点を受けました。

最初に担当された方は、「相談の中身は交通事故とか日本人向け相談と大差ないものばかりだった、日本語も全面OKの方ばかりだった(ので、日本人の相談と何も差がなかった)」と豪語?していました。

ですので、語学能力も外国人向けに特化した法制度等の知識理解もさほど必要ないのかと安心して応募したのですが、

よくもそんなインチキ話をしてくれやがって

と言いたくなるほど、ズブズブの本格的な外国人相談ばかりでした。

1回目は、東南アジア出身の女性が日本人DV夫から子連れで脱出(シェルター保護)したので、これから離婚手続などをしたいというものでした。

事前に相談概要のメールが来たので、日本語が全く話せない外国人が調停などを行うための手法(現実的に利用可能な制度の有無など)について、(これまで経験がないので)あれこれ調べました。

結局、法テラスによる通訳利用などにも様々な限界があり、現状では、知人や大使館などを通じて外国人向け支援団体を探すか、最低でも、英語が堪能な弁護士さんに依頼すべきでは(当方は良好な対応が困難)と回答せざるを得ませんでした。

この点は、現在の法律実務の不備が大きいのではと思われ、少なくとも、日本語を使用できない外国人の離婚調停等に対応する通訳支援(税金等を含めた基金制度)と迅速解決の仕組みが整備されるべきと感じます。

***

2回目は「A国籍(西欧系。米国ではありません)の県内在住外国人(配偶者は日本人)が遺言作成の相談をしたいというもので、県庁担当からのメールには、

「遺言書は、日本語で書かないとダメだ(英語ではダメだ)と書いてあるサイトがあり、本人が不安になっているので、その点は分かるか」

などと書いてありました。

日本国内に資産を有する外国人の遺言という問題は、日本法と本国法のどちらが優先するかなど、外国人に特化した様々な制度や議論が複雑に絡み合うテーマですが、私自身は「外国人が遺言を作成する事案」の相談を受けた経験がありません。

やむなく、長年、事務所内で出番のなかった文献群を色々と調べ、次の内容をメールで書いて返信しました。

**

①外国人が外国語で自筆遺言証書を作成することは(民法の方式に適っているのであれば)可能・有効である

②但し、日本国籍ではない以上、本国=A国の法律の適用を受ける可能性がある。

一般論として、本国(A国)の財産は、本国法に従った遺言書の作成を要するが、日本国内の財産は、日本で作成した遺言書により処分できる(A国法が、日本法の適用を認める)ことが多いようである。

この点は、A国で渉外事務を扱う弁護士にも相談した方がよい(A国籍である以上、日本国内の資産の処分であっても、すべて日本の法律で大丈夫と思わない方がよい=同国弁護士にも相談すべき)

③日本国内の財産を遺言により確実に処分したいのなら、公証人役場で公正証書を作成すべきで、その場合は役場と相談の上、信頼できる通訳を交えるべき

なお、当職がWebで調べた限り、外国語で遺言ができないと書いたものは見ていない(上記と同趣旨のことを書いているものは確認した)。

以上の理由から、遺言の対象となる相続財産が日本国内のものであれば、通常の遺言事案とさほど変わらない説明ができるとは思われるが、本国等の財産であれば、当職が手も足も出ない=本国等の弁護士に相談し対処すべきで、その点を担当から確認していただきたい。

***

すると、当日になって・・・(以下、次号)

 

最後の電話とお別れの言葉

不思議な話に関心のある方は、一ヶ月前に起きた、以下の実話をご覧下さい。

先日、私の母の小学時代の同級生だと仰る女性から、突然、当事務所にお電話がありました。

いわく、母と話をしたくなったが、母の連絡先が分からない。

当事務所が開業した際、私から挨拶状が届いた。

挨拶状に表示された電話番号をもとに母の連絡先を聞きたくて当事務所に電話をした、というものでした。

私はお名前を失念しましたが、事務局によれば、クボさんと名乗っていたそうです。

当事務所を開設した平成16年秋、私は様々な方に挨拶状をお送りしました。

両親から「ここに送って欲しい」と言われ、何人かの方々の住所氏名が表示されたリストを受け取り、それに基づき挨拶状をお送りした記憶はあります。

ですので、クボさんが作り話をしているわけではないことはすぐに確信しました。

ただ、クボさんなる方にお送りしたか、私には記憶がありません。

クボさんは、平成16年から20年もの長期に亘り、面識のない私からの挨拶状を捨てずに持ち続けていたことになりますが、この20年間、クボさんから連絡を受けたことはありませんし、クボさんなる方の話題が出た記憶もありません。

クボさんと私がこれまで関わりを持ったことがないことは間違いないはずです。

クボさんに限らず、過去数十年間、母が幼少期の地元の同級生と晩年まで交流を持っていたという話も聞いたことがありませんし、私はそのような光景を見た記憶もほぼありません。

ですので、率直に言って奇異の念を抱かざるを得ませんでしたが、商家である私の実家の電話番号は、伝えても何の問題もないと考え(最初に、実家が経営している小さな会社の方々が応答するはずです)、端的にその番号のみを伝えて電話を終えました。

私は、その1~2時間ほど前、兄から実家の件で電話を受けていました。

そのこと(兄から伝えられた内容)をクボさんに伝えるべきか、一瞬だけ迷いましたが、私の口からは伝えるべきでないと思い、その件は話題にしませんでした。

その日は、私は夜に外せない会合があったほか、兄から急いで来なくても良いと言われたこともあり、翌日の朝、私は実家に赴き、母と対面しました。

兄にその件を聞いたところ、やはり、クボさんから電話があったそうですが、兄も対応を考えあぐね、「今、母はいません」とだけ答えて、それで電話を終えたそうです。

それから数日かけて、私と兄は、母を見送りました。

それらを終えた後、念のため、挨拶状の送付先リストが今も残っていないか探しましたが、ざっと調べた限りでは、見つかりませんでした。

ですので、私が本当に挨拶状をクボさんに送ったのか、今も分かりません。

当事務所の電話機は番号が表示されるので、或いは、クボさんの番号を控えるなどしても良かったのかもしれませんが、その際は番号を確認するなどの対応は一切しませんでした。

ですので、クボさんが本当に実在する人なのかも含めて、私には分かりません。

ただ、私は、この世に目に見えない力が存在していることを信じて疑いませんので、結論として、クボさんが実在するにせよ、そうでないにせよ、そうした力が作用したことは、間違いないと思っています。

母は、私が司法試験に合格した頃には身体に様々な支障を来すようになり、パーキンソン症候群と呼ばれる、身体の大半の可動が困難となる病気を抱えた生活を15年以上に亘り余儀なくされました。

最後の5年以上は難聴等も相俟って私とは会話による意思疎通がほとんどできませんでしたが、他方で、認知症は生じることなく脳内の意思疎通能力は保持していた(一方的な筆談等は通じた)ため、なおのこと気の毒だと思い続けてきました。

それだけに、冒頭の出来事については、

最後に息子2人と会話をしたくて、あのような措置を講じたのだ。曲がりなりにも、それにより思い残すことなく旅立ったのだろう

と思うほかありませんでした。

父が亡くなった10年ほど前、私は彼に「最後の代表的二戸人」という言葉を添えました。

母にはどのような言葉を添えるべきか、今も腑に落ちるものを見つけることができません。

夫であれ子供達であれイエ(普通ではない様々な労働を強いた私の実家)であれ、多くのものに尽くし、時に搾取され、そして何かを道連れにした人生というべきなのか。

それとも、限られた条件の中で精一杯生き一定の成果を挙げ最後は我が子(兄)に長い間尽くしてもらった、相応に幸せな人生だったのか。

私には最後まで答えを出すことができそうにないように思います。

間違いなく言えることは、「父親の経済力と母親の狂気」なるものは東京などでお受験をしている今どきの方々だけのものではなく、私もその環境のもとで育ち、そのおかげで曲がりなりにも身を立てて実家を卒業し、あくせく生きながら歴史を繰り返している人間の一人だということでしょう。

今は、かつての様々な思い出を時には懐かしみながら、実家の方々への感謝を忘れることなく、残された人生で、何かを繋げていければと思います。

転んでもタダでは起きない中二病

半年以上の話ですが、某所から自転車で事務所に戻ろうとした際、ドアの開閉に手間取っていたところ、恥ずかしながら転倒してしまいました。

というわけで、盛夏の真っ只中に皆さんの食欲にドロップキックすんべの一首。

気をつけよう夏の祟りと古マンション
おまけに爪も切りすぎ肉腫

幸い、見た目ほどの傷ではなく、半月ほどで概ね完治しました。

ところで、幾筋もの流線状の傷が、まるで巨大な氷河のように見えませんか。

ブラッディ・キグナスとでも呼んで下さい。
厨二だ、セイヤァ~ 少年はみんな~

・・・戯言はこの辺にして、今夜も溜まった書類仕事をこなさないと・・

モラ、モラで 次々湧ぐも(その2)

前回の投稿の続きですが、主にfacebook(FB)上のコメントなど(不毛なコメントを頻繁に繰り返す方への感想)について述べたものです。

FBはリアルな会話の代替手段ですので、コメントを受ければ何らかの返事をしないわけにはいかない(一部の政治家や著名人のように、自身のフィードにヘイト主張を含む膨大なコメント等を受ける方々はともかく、我々フツーの身分の者には、返事をしない無視・放置行為は人として望ましくない)と感じる方は多いだろうと思います。

それだけに、投稿の都度、頻繁にコメントを繰り返すようなものに関しては、投稿者自身が歓迎している等の事情があるのでない限り、投稿者に「何らかの返事をしなければならない負担感」と強いるものになりやすい面があるように感じています。

言い換えれば、コメントを受ける側=投稿者は、コメント者が何らかの自身が悦ぶような返事を期待しているのだろう(そのような意味で、自分に歓心を寄せて欲しいという投稿者への依存心があるのだろう)と感じやすいと思われます。

相思相愛的な者同士であれば、それは望ましい作用を生むでしょうが、そうでない場合は、客観的には、歓迎されない相手に言い寄る行為と変わりは無く、否定的な影響ばかり生じさせることになってしまいます。

とりわけ、反復継続的にそのような負担感が投稿者に強いられる場合、それは「コメント・ハラスメント」とでも呼ぶべきものになってしまうかもしれません。

そうした意味で、FBのコメントは相互交通的なものであることが望ましい、言い換えれば、頻繁なコメントは、実社会で現実に頻繁な交流があるとか、自身の投稿にも頻繁にコメントしてくる方に対してのみ行うべきで、そうでない方に対しては頻繁なコメントはすべきでない等の節度を守ることが求められると思います。

とりわけ、FB投稿は、(投稿者が公開設定し多くのFB友達を有している場合などは)実際には多くの方が閲覧するのでしょうし、Web上で残念なやりとりがあると、やがて現実世界でも、そのツケを負うこともあるのかもしれません。

あくまで一般論ではありますが、FB上で他の方の投稿へのコメントを多数繰り返す方には、そのような印象を受けることもありますので、参考にしていただき、節度あるご利用を心がけていただければ幸いです。

FBの使い方は個人により千差万別で、個人的かつ一方的な主義主張や私的なじゃれ合い、ヘイトじみた投稿ばかりを繰り返している方を拝見し、残念に感じることもあります。

が、私はそのような利用の仕方は好まず、私的な投稿を含めて社会に有意な公共・公益的な言論空間として利活用される場であって欲しいとの観点から投稿しているものが大半であり(一見ふざけているように見えて、そうしたメッセージを含めていることもあります)、私の投稿にコメントいただける方々にも、そうした理念と噛み合うような文章を頂戴できれば大変有り難いと思っています。

ともあれ、本文記載のとおり、日々、荒んだコミュニケーションばかり本業で強いられている身には、優しさ溢れる良質なコメントを頂戴したときは、救われたように感じることも珍しくありませんし、私自身、そうした救いを求めて不毛な投稿を繰り返しているのかもしれません。

この内容も参考にしていただき、引き続きよろしくお願いいたします。

 

モラ、モラで 次々湧ぐも(その1)

この仕事をしていると、相手方であれ依頼者であれ他の関係者であれ、突如として喚き出すなど会話等に非常に困難さを伴う御仁との関わりが避けて通れません。

とりわけ、相手方以上に、依頼者や相談者が「紛争相手などへの憎悪の感情」を私(自身が依頼する弁護士)に、溶岩や噴石のようにドロドロ・ドカドカとぶつけてくることは珍しくありません。

もちろん、話しているだけで癒やされる誠実な方々の方が圧倒多数であり、あくまで例外的な事象ですが。

ともあれ、そうした光景に思うところは多々ありますが、余計なことを言っても事態を悪化させるだけですので、我慢タイムのあと「言いたいことは全部言えましたか、そろそろ私が話してもいいですか」と、言葉を選んで接するようにしています。

心身の健康を害して仕事を続けられなくなった弁護士は私の知り合いを含め、何人もおられますが、その多くは、そうしたことが原因なのではとも感じています。

抜本的な解決は容易に思いつきませんが、それぞれの事件で自分がなすべきことをきちんと行えば自ずから収束すると信じて、対峙する暴風に惑わされないよう自身に言い聞かせるほかないのかもしれません。

というわけで、今も様々な理不尽に耐えつつ郷土の偉人達に倣った一吟。

モラ、モラで 次々湧ぐも
苦にもセズ シヅカにワラッテ
ツマラナイからヤメロとイヘル
サウイフモノニ ワタシハナリタイ

この文章は、最初にfacebook(FB)に投稿したものですが、FBに色々と駄文を書いていると、頂戴したコメントを拝見したり返信を書くのが煩わしいと感じることもあります。

が、残念な対峙に多々追われる本業時間中の諸々を思い返すと、自ずから、感謝の気持ちも湧き上がってくるような気もしますので、謙虚さを大切に、今後も投稿を続けていければと思います。

こっそり花火大会のまち・盛岡

この頃 盛岡に流行るもの
ニイニイゼミに下克上
そしてヒミツの冬花火

というわけで、今回も何の予告もなく?毎度の川原の花火大会が開催されており(本年1月中旬の話です)、今回は運良く若干ながら拝見できました。

すぐ近くのA橋に目を向けると、観客は5名ほど。

会場の直近のB橋は、アクセスの悪さもあってか、誰も観客はいないように見えました。

ウイルス禍の勃発以降、盛岡に限らず、ミニ花火大会をこっそり挙行するのが全国的に流行っていたような気もしますが、それなりの観客が得られないと、どうしても税金?の無駄遣いに見えてしまいます。

さすがに、盛岡は大洲城と異なり「ふるさと納税で一日城主の歓迎花火」は無いでしょうし。

昔はガソリン値下げ隊などと称する方々がおられたように思いますが、岩手では内ゲバなどでお忙しいのか、肝心の物価高のご時世で、そうした話も聞くことなく、残念に思います。

 

値上げアイの攻撃とぼうけんのしょ

最近は聞かなくなりましたが、昨年は岸田首相に対し「増税メガネ」なる悪口が述べられているとのニュースをよく見ました。

ただ、批判の是非はともかく眼鏡自体を悪く言っているかのような言葉は、着用者の端くれとして好ましいとは思えません。

そもそも、昨年の政権下で実施或いは深刻化したのは増税というより円安等に起因する物価高であって、その点からも、実態に即さない悪口のような印象を受けてしまいます。

というわけで、岸田首相の新たな愛称として

値上げアイ

というのはどうでしょう。細身のメガネを愛用されている点からも、セブンに通じるような気がします。

或いは、RPGゲームの登場人物風に言えば、こんな感じでしょうか。

値上げアイがニヤリと笑った!
カップラーメンが30円上がった!
しょみんは100のダメージをうけた!

値上げアイは何もしなかった!
つうこんのいちげき!
豚骨味噌ラーメンが200円上がった!
しょみんはしんだ!

・・・どこからやりなおしますか?

1 第2次安倍内閣発足時
2 鳩山由紀夫内閣発足時
3 小泉純一郎内閣発足時
4 中曽根康弘内閣終了時
5 敗戦直後

ボタンを押した直後に、残念ながらこの社会は全て消えてしまいしました、とならないようご留意下さい。

~おしまい~

仕事の合間の息抜き?で脳内に湧いてきた岸田首相ネタの投稿が続きましたが、そろそろ他のネタに戻ろうと思います。

書類仕事が山積しているせいか、本業絡みの投稿ではなく、息抜きの雑談・戯言ばかりになっていますが・・