今こそチョイワヤッセの意味を知りたい人に捧げる一文
盛岡はさんさ踊りで大賑わいですが、多重仕事債務者には無縁の話・・・と思いつつ、今年は約15年ぶりに参加しました。
といっても、1日だけ風呂上がり風のインチキ浴衣姿で横断幕行進に加わり道路上をテケテケ歩いただけですが。
で、終了後は、直ちにスタート地点近くの駐輪場に戻って自転車で事務所に直帰し、カップラ夕食からの徹夜仕事(色々難ありの相手方と闘う反論書面・・)。人これを現実と言う。
ところで、さんさ踊りのかけ声は
サッコラ チョイワヤッセ
ハラハラハラセー
エヤーサ エヤサー
というもので、このうち「サッコラ」は漢字で幸呼来というのだ(意味は字のごとし)と、どこのサイトにも書いていますが、残りの文字についてはロクな説明がありません。
「チョイワヤッセは、盛り上げるためのかけ声だ」
「全部併せて、幸せがやってくるという意味だ」
などと取って付けたような解説?をWeb上で拝見しますが、前者は「その言葉の意味」の説明に全くなっていませんし、後者は「幸呼来」だけでその意味になるはずで、全く説得力がありません。
この点、「幸呼来」が最近のインチキ当て字の類ではなく古くからの伝承だというのなら(それは間違いないでしょう)、漢字を用いて言葉や思想を表現する文化=仏教との繋がりがあるはずです。
さんさも恐らくは盆踊りなどと同様に、時宗=念仏踊りの類がルーツになるはずで、かけ声は呪術的な意味合いを持つものとしての仏教用語=漢語(音読みの漢字)が用いられやすかったはずです(幸は訓読みなのでコトバが先で漢字が後=昔の当て字なのかもしれませんが)。
「江戸時代に寺に集まって踊っていた」などという解説もWeb上に多々ありますので、その点からも、仏教=漢語が何らかの形でかけ声のルーツを形成したのではと考えます。
また、「エヤサ」については、運営サイドの説明では「栄夜差」という漢字が用いられており(私は存じませんが、栄夜差踊りもあるのだとか)、一部で継承される伝統さんさの一つに「キッキィエカッコ(吉祈栄活呼)踊り」というのがあるのだそうで、こちらも音読みの漢字=漢語なので、なおのこと、他の言葉も漢語・漢字由来でないとおかしいのでは?という感じがします。
で、それを踏まえて「チョイワヤッセ」とはなんぞや、と考える上で最も準拠すべきは、さんさ発祥の歴史、すなわち三ツ石神社の鬼の手形(鬼が退散し人々が喜んだ)の逸話ではないかと思います。
であれば、当て字・・ならぬ、もともとの漢語は
逃鬼厄散(チョウキヤクサン)
といった感じの漢語だったのではないか=それが踊る際に呼びやすいよう変化した(訛った?)のが「チョイワヤッセ」ではないのか、というのが現時点での憶測です。
少なくとも、「幸呼来 逃鬼厄散」なら、三ツ石神社の伝承にはピッタリ当てはまるはずです。
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では、「ハラハラハラセー」とは何なのか。
ハラハラと聞いて漢語や仏教用語で何か無いのかな、と想像するとすぐ出てくるのが京都の「六波羅」ですが、これはもともと「六原」という地名がいつの頃か「六波羅」に改名されたのだ、というWeb解説を見つけました。
で、「波羅」は多義的な仏教用語ながら、主に戒律という意味と彼岸(冥界)という意味を併せ持つ言葉なのだそうです。
さんさは、三ツ石神社=鬼ネタだけでなく先祖供養の意味も持っていると一般的に言われており、彼岸=波羅という概念と親和性が強いように思われます。
よって、「ハラハラハラセー」は「亡くなった先祖や親類縁者の皆さん、今こそお越し下さいな(波羅波羅波羅せ)」という意味ではないかというのが、現時点での憶測となります。
なお、「せ」は「~しなさい(~してほしい)」という意味を持つ東北方言(訛り?)としてはごく一般的なもの(食べなせぇ、行きなせぇetc)ですので、そうした意味でも、上記の解釈に馴染みやすいと思います。
ただ、こちらについては、ちょっと調べると「祓う」だと自信満々に述べるサイトがあり(公式見解でしょうか?)、無理があるのかもしれません。
でも、どうしてこれだけ和語なのか疑問がありますし、祓せというのも日本語や方言としても変な感じがするだけでなく、祓うというのは神道の概念であって仏教では使わないと思われ、その点でも仏教=寺院との結びつきの強いさんさの用語として違和感が拭えません。
ちなみに「栄夜差」はいかにも夜に皆で踊って騒ぐ光景にピッタリの漢字で(差の意味は分かりませんが)、結局、それら一連の光景に当時の僧侶が相応しい漢字を当て、それがこうした言い回しに転化し伝承されてきたのかな、というのがとりあえずの結論です。
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以上が、さんさのかけ声の意味に関する考察ですが、余勢を駆って
ラッセラー(ねぶた)
について調べると「(酒や蝋燭を)出せというのが訛ったのだ」という全く面白くない解説に混じって
坂上田村麻呂の軍勢が反抗地元民(蝦夷)を拉致して遠方に強制移住させた行為を指すのだ=拉致せよ=拉ッセ(或いは羅ッセ)が語源だ、
などとぶっ飛んだ?説を述べる、市井の研究者っぽい方の作成とみられる解説サイトを見つけました。
ラッセラー、ラッセラー – ねぶた由来記
「殺すよりも拉致する方がマシだろう、これも田村麻呂の優しさだ」などという書きぶりで、蝦夷の末裔としては噴飯物だと言いたくもなりますが、ともあれ、青森ねぶたが田村麻呂を顕彰しまくっていることは確かで、妙な説得力を感じざるを得ません。
ただ、いわゆる被差別部落は蝦夷達が大和政権に全国各地への強制移住を強いられたのが起源だとも言われており、
田村麻呂軍がヒャッハーよろしく気の毒な蝦夷を拉致しまくって数千年の苦難を強いた凄惨な光景(の再現)が、ねぶたの正体だ
などと言われたら、
そんな祭りはぶっ潰せ
と言いたくもなります。
むしろ、一般的に言われる日本の祭りの本質からは、そんな権力により一方的に連れ去られた蝦夷の人々の安寧や鎮魂を残された人々が祈った(ラッセラーは拉致られないよう気をつけろとの蝦夷達の注意喚起?)のが「ねぶた(ねぷた)」の起源ではないのか?というのが私の見解です。
そう考えると、さんさ踊りの起源である三ツ石神社物語だって、
里の民(植民者たる弥生人≒ヤマト人)が、鬼(山の民=縄文人≒蝦夷)を侵略・放逐してヒャッハーする物語
ではないかという印象も否めません。
そう考えると、本来、さんさ踊りは里の民のヒャッハーではなく、放逐された鬼達が復讐=祟りをしないように、鎮魂を祈る祭りだったのかもしれない(或いは、そうあるべきではないか)と思わないでもありません。
ともあれ、今年のさんさ踊りも無事終幕しました。
こうした雑談も時に脳裏に巡らせつつ、遠方の方は今後も北東北の夏祭りを体験しにきていただければ幸いです。
ちなみに、私の前日の参加写真は一枚もありません、というのがお約束ですので(運動会とか体育祭とか集合写真に写ってない類の人・・)、先日の吉里吉里海岸の美しい光景で勘弁して下さい。
ともあれ、久方ぶりに参加の機会を与えていただいた方々に感謝を申し上げます。