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安倍首相の国葬を巡る「天皇制の終わりと権威分立社会の始まり」(第4回)

安倍首相の国葬について、前例との違いや天皇制との関係性という観点から事象の本質と課題を検討した論考の最終回であり、今回の国葬実施の背景に天皇制(現行憲法スキーム)の存続に関する国民の不安があり、それがオルタナティブな権威の渇望という形で具現化されたのでは、という仮説を述べて締めくくっています。

5 それでも今回、国葬が大過なく実施できた、もう一つの理由

今回、国葬が決定された理由は、死去直後には衝撃的な事件内容を理由に、自民党・政権中枢や支持者からの強い希望があり、その時点では統一教会を巡る一連の問題への世論の批判もさほど大きくなく、国民の支持が得られると岸田首相が判断したためとされています。

そして、その後、統一教会問題を巡る膨大な報道を通じて批判・反対の声が強くなりましたが、国民的な反対運動や倒閣運動などが生じることはなく、国葬の実施後、国民の関心も急速に萎んだと思います。

要するに、国民一般の多数派は「安倍首相への哀悼自体は当然でも、今回の件で国葬をするのは違和感あり」と感じつつ、「それは国家・国民への重大な背信とまでは言えない(政治家が行う数多の失策?の一つに過ぎない)」という感覚なのだろうと思います。

ただ、相応の反対の声が出た一方で、つつがなく国葬が行われ、批判の声が続いているわけでもない、という現象を見ると、国民の多くは、国葬に違和感を持ちつつも、敢えて、それを許容せざるを得ない理由・事情も感じているのではないか、という気もするのです。

それも、安倍政権への評価や統一協会問題などという、今回だけの、誤解を恐れずに言えば表層的な話だけではなく、国葬という儀式・制度・システムの本質に関わる問題として、天皇以外の存在への国葬を模索せざるを得ないと感じる国民が一定程度存在するのではないか、そのことが違和感を感じながらも今回の国葬を国民が受け入れたもう一つの理由なのではないか、というのが本項の主題です。

すなわち、皇室の権威力(国民統合を実現する力)が以前より弱まり、天皇家・天皇制自体の継続の危機すらも語られるようになった社会で、国民の側も、国体存続への不安から天皇に代わりうる国民統合の象徴的存在(大統領など)を無意識下?で模索する希望があるのではないか、そのことも、本来なら国葬の対象にならなかったかもしれない安倍首相を「国葬される地位」=権威的存在に押し上げた理由の一つではないか、というのが私の見解です。

***

既述のとおり、国葬には、対象者を特別な存在・みだりに批判すべきでない偉い存在として祀るための儀式・装置たる機能があります。戦前のような「軍神○○神社」が創建されるかはともかく、被葬者は一般の国民とは違う特別な存在(身分)なのだと位置づける機能があることは否定し難いはずです。

それは、本来の対象者たる天皇が、まさに特別な存在(現人神=神の依代)だと認識されていることに基づくもので、日本では、上記3=連載第2回の第2・第3類型としての国葬は、本来は天皇に対して行われる儀式(第1類型たる国葬)に連なる儀式を特別に付与するもので、いわば、天皇が独占する国家の権威を多少とも対象者に分けてあげるような性質を持つと言えます(だからこそ、国葬の濫用は、天皇に専属する国家の権威の濫用に該当することになります)。

ただ、肝心の天皇の権威(国民の統合力)そのものが低下した場合はどうか。

国家(という人民の統合装置)を存続させるために、天皇の代わりになる新たな権威(統合の象徴的存在)を求める動きが生じるはずであり、すでにそれは「現行天皇家が皇統を引き継げなくなった場合の旧皇族の皇籍復帰(養子ほか)の議論」などの形で、すでに始まっていると言えます。

今上天皇陛下の人徳や権威力(国民統合の力)に対し疑義を挟む国民はほとんどいないでしょうが、次世代の天皇家はどうなってしまうのだろう、という不安もまた、女性・女系天皇などを巡る議論の賛否に関係なく、多くの国民が感じていることは否定できないでしょう。

今上天皇の即位式の実況中継を拝見した際、天皇とは現人神(神の依代)であり、敢えて誤解を恐れずに言えば人柱でもあるのだろうと、神々しさと気の毒さを強く感じましたが、日本国民が、そのような存在としての天皇を必要としなくなる(天皇に頼らなくとも国家としてやっていける)には、まだ数百年以上の時間を必要とするのでは?と感じないでもありません。

私自身は、天皇承継などを巡る議論に関しては、現行天皇家(現皇室一門)の方々の気持ちや尊厳がなるべく尊重されるべきとのスタンスですが、ともあれ、仮に、現皇室一門で天皇制を維持することが困難となり皇籍離脱した旧皇族が養子などの方法で新たな天皇・皇族を形成する展開になった場合には、果たしてその方々が「国民統合の象徴」の認知を国民から受けることができるか等、天皇制ひいては国家体制の存続に重大な危機が生じることは間違いありません。

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仮に、天皇制が継続できないのであれば(天皇の担い手が現れず、或いは旧皇族を含めた一族全体が国家運営からの総撤退を希望する事態になれば)、大統領制などの検討もしなければならないのでしょうが、それこそ二千年も続いた国家体制の抜本的変更になり、国民的議論などという生易しいものではない、長期内乱や国家消滅(他国併呑)なども含む、凄まじいリスクが避けて通れないでしょう。

そのため、これからの数十年間の日本では、大きな変化・動きが生じるのに先立ち、天皇など権威部門(国民統合部門)に関する、幾つかの実験的な試みが生じるかもしれないと感じています。

大統領制はさておき、例えば、首相公選制に関する議論は復活するかもしれませんし、議院内閣制や国会など統治機構の主要部門も、一定の影響を受けて改革すべきとの議論も力を持ちそうな気もします。

今回の安倍首相の事件で、国葬の議論を最初に目にしたとき私が抱いた感想は「国葬って大統領に対して行うもんじゃないのか、それって天皇制をとる日本では大丈夫なのか」というものでした。

安倍首相に「国葬」という儀式が選ばれたのは、或いは、現皇室(天皇制も?)終焉の可能性を人々が感じているから、それに代わる権威を求める国家・国民の不安感や依存心が、安倍首相の国葬(国家の威光を用いた顕彰)へと人々(支持者)を駆り立てた面もあるのでは(今回の国葬は、ある種の実験だったのでは)と述べたら、それは言い過ぎでしょうか。

私は、生前の安倍首相を一部の「ネトウヨ」などが礼賛する光景は彼らの政治家への依存心のようなもので、それを引き受けていた安倍首相・自民党側にも共依存のような関係性があると感じていました。

が、国家(人民統合装置)自体への依存心は、天皇であれ五輪やW杯などの類であれ、私を含む他の人々も、さほど違いはないのかもしれません。

6 天皇制(権威・権力分立社会)の終わりの始まりか、再構築の入口か

安倍首相の「国葬」は、最高権力者であった同氏に国家による権威を付与するという意味で、あたかも大統領に祭り上げるような面があります。皇室の藩屏という役割がなくなった戦後日本では、なおのこと、国葬を通じた有力政治家の権威化は大統領制に通じる道というニュアンスを帯びそうな気がします。

権威と権力を分立する社会を望むなら、権力者の権威化は避ける(天皇の名のもとですらない国葬はしない)のでしょうし、権威と権力が一体化となる社会(戦前日本や大統領制)では、権力者の権威化(それに国民が信服し統合=団結させる)装置としての国葬は活用されやすい、と言えます。

このような「権威と権力を分立させる社会・させない社会」という視点で今回の国葬問題を語る視点・議論は、あって良いのではと思います。

ともあれ「国葬とは原則として天皇にしか許されないというのが戦後日本人の感覚ではないか」との私の見解(推論)からは、有力政治家の国葬が多用され、それを国民が支持するようになった場合、天皇に専属していたはずの国家の権威者たる地位が分散・分属されるようになり、やがて天皇制の終焉(国民が天皇を必要としない社会)にも繋がりうるのではないか、という印象を受けます。

別な観点で言えば、現行皇室の(男系?血筋)が存続できず、国民が直ちに権威を認めることが難しいかもしれない皇籍離脱者などが「新たな天皇家」になった場合、国民は、有力な首相などを天皇(国民統合の象徴)の代替として権威化しようと欲するのではと思いますし、その傾向が強くなると、やがて国家組織(国民統合装置)としての天皇制の不要論に行き着くこともありうるように思います。

そして、象徴天皇を奉じつつ有力政治家などにも国家存立・統合のシンボルとしての権威性を認めていく社会になれば、それは権威の分属・分立であり、それこそ内乱の火種になるか、そうでなくとも日本の国家制度・統治機構のあり方を大きく変える端緒になりうるような気がします。

日本国は、天皇のもと権威と権力が分立する社会を続けるのか、続けることができるのか。それとも、双方の分立(役割分担)を定めた天皇制を廃し、国家の権威と権力の双方を具有する大統領を国民の支持などにより擁立する社会に切り替えるのか。

それとも、第三の道があるのか。それは良好な道か、悲惨な道か。

今回の安倍首相の国葬は、いつの日か、そのプロローグとして歴史家に語られる日もあるかもしれません。

 

安倍首相の国葬を巡る「天皇制の終わりと権威分立社会の始まり」(第3回)

安倍首相の国葬について、各種前例との異同や天皇制との関係性という観点から事象の本質と課題を検討した論考の第3回目であり、今回は、主として戦後日本のスキーム(象徴天皇制や現行憲法に基づく「権威と権力の分立」)との関係性について述べます。

4 現代日本で国葬が行いにくい(盛り上がらない)固有の原因

ともあれ、今回の国葬は粛々と行われ、当日は故人を慕う多くの人々の参集もあったようですが、国民全体として見れば、国葬への社会的支持は乏しく、「盛り上がらない国葬」「自民党や支持者・関係者の人々だけの国葬」という面は否めなかったと思います。

ただ、吉田首相の国葬の実施状況を巡るWeb記事によれば、吉田首相の国葬もさほど盛り上がらず、尻すぼみに終わった(ので、その後、国葬が慣行として行われない状態が延々続いた)のだそうです。

そのため、現在の日本社会では、国葬という儀式そのものが、国民の支持を受けることが難しいのではないかと感じる面があります。

その原因は、国葬という手続が、性質上、被葬者を何らかの形で権威化する(死後も国家・社会を支えるものとしての権威ある存在、批判を避けるべき存在として祀る)ことを目的とすることに由来しているように感じます。

そのため、そのような儀式(国葬)は、現代日本(戦後日本)では、国家を代表する者・国家が掲げる価値観などの体現者だと国家・国民が認めることができる者(存在)=国葬を通じてその者を「権威ある=一般国民とは身分が違う特別な存在」と位置づけるのが許される唯一の存在である、天皇(及びそれに準ずる皇族)にしか認められるべきではないという国民感情が、社会の底流にあるのではないか。

これが、安倍首相であれ吉田首相であれ、現代日本で国葬が盛り上がらない根本的な理由ではないか、というのが私の見解です。

言い換えれば、誰であれ天皇と特別な皇族以外の者を「国葬」という形で祭る=権威化するのを、現行憲法・社会は想定していないのかもしれません。

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そもそも、象徴天皇制とは、天皇に一切の権力を認めない代わり国民統合のための権威としての役割・機能を徹底的に認めるものと言えます。裏を返せば、権力機関たる三権の長などには権威者(批判を許さない存在)としての役割を認めず、権威の機能は天皇に独占させることが予定されています。

権威者たる天皇は、権力を持たないからこそ国家運営(権力行使)に携わることがなく、それゆえ国家運営の失敗に責任を取ることがありません(天皇の無答責)。

国家機構の一部門という観点からは、この無答責(退位など、責任をとる制度がないこと)こそが、他の国家部門と比べた天皇の最大の特色と言ってよいと思われます(裁判官にも強力な身分保障がありますが、定年と熾烈な能力審査のほか、再任審査も一応あります)。

戦前=明治憲法でも天皇の無答責が定められていましたが、それは、天皇が神聖=無謬=誤るはずのない存在との前提に立っていたからで、前提自体はひっくり返りましたが(憲法学では、8月革命などと呼びます)、無答責という結論自体は全く変わりません。

そして、理屈(前提)のひっくり返りこそあれ、戦前も戦後も、国家運営に失敗があれば、天皇はその責任を負わず、権力機構の運営者≒政治家が負う(べきとされている)点は同じと言えます。

言い換えれば、日本の政治家には権威がないからこそ責任を迅速に取らせることが可能であり、戦前・前後問わず日本の首相の大半が短命なのは、「権威がないので地位の継続性の担保が弱く、世間の不満に伴う責任を取らされやすい=地位を追われやすい」ことが根底にあると思います。

ともあれ、戦後日本の国家体制は、天皇から一切の権力を剥奪した上で権威の頂点(拮抗する権威者がいないという点では唯一無二の権威)とし、それと対をなすように、権力を行使する国家組織(立法・行政・司法の三権=議会とお役所)は、国民に対する権威(威光・信頼)という点で、天皇に遠く及びません。

司法(裁判官)は、政治部門に比べて一定の信頼はされているでしょうが、それと同時、或いはそれ以上に、畏怖・嫌悪されている面があります。

司法には一定の権威が認められていますが、その権威は、情ではなく理屈を基盤とし、「この理屈(裁判官の判断)が通じない奴、言うこと聞かぬ奴は黙って従え」という高圧的な面(エリート支配の負の側面)も見え隠れするため、「国民との感情的な信頼関係・共感(天皇家が「国民の本家」のようなイエ意識)」を存立の基盤とする天皇の権威とは、かなり性質が異なるように思います。

もちろん、今の社会で最高裁長官その他の司法関係者を国葬したいなどと言い出す人は誰もいないでしょう。

結局、象徴天皇制を基礎とする現在の社会体制が盤石なものとして永続する限り、「この国では国葬とは天皇に行われるべきものだ。それ以外の人間の特別扱いは不要だ」という天皇のもとの平等思想が国民の総意として今後も存続し、よほどの事情がない限り、国葬をやろうとする人は出て来ないのではと思われます。

(井沢元彦氏の「逆説の日本史」でも、天皇が平等化推進体としての役割を果たしてきたとの視点が述べられており、これは日本の社会思想史ではよく語られていることだと認識しています)。

(以下、次号)

 

安倍首相の国葬を巡る「天皇制の終わりと権威分立社会の始まり」(第2回)

安倍首相の国葬について、各種前例との異同や天皇制との関係性という観点から事象の本質と課題を検討した論考の第2回目であり、今回は、主として世界における様々な国葬との比較を述べます。

3 国葬を実施してきた類型と、安倍首相の国葬理由の違和感

冒頭でも述べたとおり、現代の社会(とりわけ民主主義国家)では、国葬は元首や国家の功臣(有力政治家)に限らず、フランスなどでは「国家統合の象徴的な役割を担った」と社会内で広く認められた一般人にも行われるなどしており、その実施される類型は多様化しています。

ただ、概括的にまとめれば、国葬は、以下の3つの人物(場合)に行われてきたと言えるように思われます。

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①国家そのものを体現すると国家・国民が広く認めた人物。

王制・帝制なら国王・皇帝(日本では天皇=神の依代)、共和制なら大統領だが、形式的には該当しても、「国家の体現者」だという認知が国家・国民から得られない場合は、国葬は否定されたり後者(大統領)では本人が辞退する例もある。

②本来は(肩書=国家組織上の地位自体は)対象者とは言えないが、国家への功績が極めて大きく、果たした役割の重大さから国家の体現者にあたると国家・国民が広く認めた人物。

国家存亡などに多大な貢献をした政治家など=チャーチル首相が典型で、吉田首相(壊滅的敗戦後の国の立て直しと憲法等を通じ戦後体制を確立した功労者としての位置づけ)もこの類型か。

③第2類型ほどの貢献は認めないが、国家の掲げる政策・価値・理念などの体現者として、顕彰が特に必要とされた人物。

この類型では、存命中の功績の軽重のほか現国民(存命者)の動員などの政策的効果が重視されやすく、大戦中の山本元帥が典型。西欧で民主主義の体現者として認められた一般人に国葬がなされるのも、この例に含まれる。

また、国家自体が形成途上にある場合には、国家形成・機構整備などに特に貢献したと認められた者(建国の功臣)にも行われ、戦前の元老の国葬や近代の各国の国葬はその典型。

「靖国合祀」は狭義の国葬ではないが、広義にはこの一種と言える(アーリントン墓地なども同様か)。

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こう整理すると、各類型には次の特徴・傾向があるように思われます。

①は国家それ自体の権威の補強のため行われ、③は国家が掲げる特定の政策・価値観の権威化を目的とした面が強く、②は双方の性質(中間的性格)を持つ。

②は、国家存立の大きな事態が生じて特に貢献した政治家を輩出した場合に行われ、格式は①に劣らないものとなることが多い。

形成途上の国家(特に戦時中の国家)では③が行われやすい。建国の功臣の顕彰(国葬)はその典型。③類型は、国家(元首)・国民総意が「与える」ものとして、格式は①や②に劣るとされるのが通常。

国家(国民統合)の維持に何らかの不安要素を抱えた国家でも、国民統合の儀式(象徴的存在を新たな権威に追加する儀式)として③が行われやすい。

逆に言えば、国家組織・社会が成熟・安定すれば(特定人の葬儀を通じた国家・国民の統合の必要性が乏しい又は葬儀という装置が現在の社会的課題の解決策として役に立つわけではないとの認識が広まれば)、①以外の国葬は、行われなく(行われにくく)なりやすい。

ウクライナ戦争が適切に終結し復興が進めば、ゼレンスキー大統領は救国の英雄ないし象徴として没後に国葬に付される可能性が濃厚だが、今後の業績次第で、②③のいずれになるかは現時点で予測不能。

***

このように国葬を整理した場合、安倍首相は、①に該当しないことは議論の余地がありません。

長期の在任や外交での活躍を理由に安倍首相が②に該当すると主張する論者もいますが、「世界大戦の勝利の牽引」「無条件降伏からの奇跡的復興の土台作り」に匹敵するとの評価は無理でしょ、というのが一般の感覚だと思います。

では、③はどうか。長期在任それ自体は国家による顕彰の対象とは言えないでしょうし、外交云々も、国家による特別の顕彰に値するほどの功績かと言えば、少なくとも現時点でそのような評価が確立したとは言えないでしょう。

安倍首相の在任中に政治的権力闘争による社会の混乱があまり見られず社会が安定し経済が相応に繁栄したことは確かですが、それ自体、歴史の評価が定まっていません(成長戦略や痛みを伴う改革が実践されず、日銀を利用しツケを先送りしただけでは、との批判が根強くあると思います)。

また、③類型は、既述のとおり特定の政策や理念の推進のため行われるのが通例ですが、安倍首相を顕彰することで特定の政策や理念を牽引したい、というメッセージ性は実施前後はもちろん現在までほとんど見えてきません。

首相を長期歴任し現在も政界に強い影響力を持つ現役の有力政治家が凶弾に斃れたというショッキングな事件のため、「テロに負けない」とのメッセージも当初は掲げられました。

しかし、加害者の凶行の原因となった統一教会による凄まじい被害と、岸・安倍家三代の長年に亘る統一教会との蜜月関係、それに起因するとみられる清和会・自民党を中心とする多数の議員が統一教会に選挙運動などで依存していた光景などから、「凶行は是認しないが、背景となった統一教会による社会悪を放置することは許されない」という世論の方が遙かに強くなり、「テロに負けない」というメッセージは萎みました。

敢えて言えば、統一教会に関する現在の政府の対応(質問権行使など解散命令請求を視野に入れた行政権行使と、異常献金等に対する予防や救済に関する特別立法など)に見られるように、事件後の社会には、「現代を代表する大物政治家たる安倍首相を暗殺に追いやる原因となった統一教会には、相応の落とし前を付けさせるべき」という国民合意が相応に形成されていると思います。

そして、その合意形成の方法の一つとして国葬という儀式が活用されたという見方はできると思います(岸田首相にとっては、それ自体が目的というだけでなく、それを掲げることで自身の政権存続の糧にしたいのかもしれませんが)。

少なくとも、支持率が低下し続ける岸田内閣ですが、法律案の中身や実行力の問題はさておき、「統一教会に落とし前をつけさせるべき(そのための権力行使をすべき)」という政策の方向性自体は、今も広く支持されていると思います。

ただ、それ(統一教会をぶっ潰す、アベ政治ならぬ統一教会による社会悪を許さない)は、他ならぬ被葬者の殺害犯人が求めてきたことであり、ある意味、「テロを許さない」という表層的な言葉からは、真逆の話でもあります。

ですので、被葬者自身が生前に現在の光景を求めていたのかという点も含め、そうした「ねじれ感」が、この国葬は特定の政策の推進のためのものなのか?という違和感或いはヘンテコ感(居心地の悪さ)を感じさせるような気がします。

それこそ、大戦回避や早期収束を望んでいたとされる山本元帥の戦死による国葬が、国民総動員という真逆の政策目的のため用いられたとされることと似ている面があるのかもしれません。

或いは、色々とややこしいことを考えるよりは、「存命なら令和の妖怪として政界に隠然たる力を行使したであろう安倍首相の無念の斃死に起因する現実世界への祟り(怨霊化)を恐れた人々による鎮魂」と考えた方が、分かりやすいのかもしれませんが。

(以下、次号)

安倍首相の国葬を巡る「天皇制の終わりと権威分立社会の始まり」(第1回)

安倍首相の国葬に関し、主に天皇制との関係で感じたことを幾つか述べます。長文になりましたので、全4回に分けて掲載しますが、骨子は

Ⅰ 今回は過去に国葬の対象とされた典型・類型に当てはまらないやや特殊な例であり、前例や国葬の趣旨・目的という点からは違和感を持つものである。

Ⅱ それにもかかわらず、国葬という形式で葬儀が行われたのは、岸田首相らの思惑もさることながら、国葬の本来の対象者(元首など)の社会的影響力の低下が影響しているのではないか。

Ⅲ さらに言えば、現皇室(ひいては天皇制も?)の終焉の可能性を人々が感じているから、それに代わる権威を求める国家・国民の不安感や依存心が、安倍首相の国葬(国家の威光を用いた顕彰)へと人々・支持者を駆り立てた面もあるのではないか

Ⅳ 今後も、国家統合の象徴としての天皇制の存続への不安・懸念から、有力な首相などを天皇(国民統合の象徴)の代替として権威化しようとする試み(大統領制の議論など?)が生じるかもしれない。

というものです。以下、次の項立てにより詳細を述べます。

1 安倍首相の国葬を巡る論点の整理(第1回)
2 国葬とは何か、何のために行われてきたのか(第1回)
3 国葬を実施してきた類型と、安倍首相の国葬理由の違和感(第2回)
4 現代日本で国葬が行いにくい(盛り上がらない)固有の原因(第3回)
5 それでも今回、国葬が大過なく実施できた、もう一つの理由(第4回)
6 天皇制(権威・権力分立社会)の終わりの始まりか、再構築の入口か(第4回)

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1 安倍首相の国葬を巡る論点の整理

今回の国葬に関する論点は、大まかに言えば、次のように理解しています。

①安倍首相への評価(国葬に値するか。政権一般の評価のほか統一教会との関係性を含む)や規模(カネ)の相当性

②法的な正当性や根拠があるか(閣議決定だけで可能か等。人権云々を含む)

③国体=天皇制との関係を含む、現代日本で国葬という儀式を行うこと自体の意味・当否・あり方

開催前は、①の議論は盛んにあり、②も訴訟を起こす方がいるなどしたため一定の議論がありましたが(各地の弁護士会で表明された国葬への反対声明も、これを理由としています)、最も肝心というべきはずの③は、当時も今もあまり語られていません。

①は、詰まるところ価値観と多数決の問題でしょうし、それに対する評価は岸田内閣の存続や次回の総選挙の結果などの形で問われるでしょう。

②は、一般的な法律家の感覚からは、内閣府設置法は根拠にならないというべきだと思いますが、国民世論を動かす論点にはなりませんでした(所詮、議院内閣制ですし)。

③に関して、7月頃、反対派の学者さんが国葬自体が民主主義に反するなどと述べるものを見たことがあります。そこでは批判の理由として、山本元帥の国葬のように、戦前の皇族以外の著名人(権力者など)の国葬が政府の世論形成に活用(濫用?)されたことが挙げられていました。

しかし、米国など大統領制の国々では大統領=国家元首が亡くなると国葬が行われているほか、西洋諸国の中には、ごく普通の一般人でも、国の歴史の中で重大又は象徴的な役割を果たしたと認めれ国葬がなされる例もありますので、中身の検討もせずに、儀式としての国葬それ自体が民主主義に反するなどと言えるはずもありません。

そのように思っているうちに色々と考えが浮かんできたのが本稿のきっかけであり、以下では、その「中身」をテーマとして検討していきます。

2 国葬とは何か、何のために行われてきたのか

国葬とは、

国家を代表する者や国家が掲げる価値観などを体現する人物と国家・国民が認めた人間が亡くなった場合に、その者を追悼・顕彰することで、その者が存命中に体現した価値観を承継するよう国民に促し、ひいては国民統合や国家継続の糧としようとする儀式

だと認識しています。

先般のエリザベス女王は言うに及ばず、天皇の葬儀(大喪の礼)もいわゆる国葬にあたることは異論がないと思います。

そもそも、現代日本(戦後憲法下の社会)では、天皇は国家・国民の統合の象徴という価値を体現した存在とされています。

これ=統合の象徴としての機能は、戦後になって始まったものというより、古代から天皇が担っていた役割の核心部分であり、千数百年もの長きに亘り国家・国民に支持されてきた、強固な基盤を持った役割と言えるでしょう。

大喪の礼は、亡くなった天皇への厳粛な追悼を通じて、「象徴としての価値・役割に敬意を表し、各人に色々と意見や事情はあっても最後は天皇のもとで国民がまとまることができる社会(象徴天皇制)を後世の日本人も継承して欲しい」というメッセージが込められていると理解しています。

象徴天皇制が圧倒的に支持されている現行日本で大喪の礼(という形式で行われる国葬)に異論を唱える人はほとんどいないでしょうし、そのことは、大喪の礼が担う意味が以上のようなものであり、それを大多数の日本人が得心していることに基づくものと思われます。

他方、大日本帝国下の山本元帥や元老などについては、国家中枢が「陛下の股肱の臣であり国家運営の礎」と認定した御仁を臣下の鏡=国家目標の体現者として顕彰することを通じて、その御仁が推進し、又は否応なく担わされた政策(富国強兵であれ対米英戦争であれ)を今後も推奨する目的で、国葬が行われたように見受けられます。

国民=臣下全体がこれを範とし追従・実践させることが目的であり、だからこそ、敗色濃厚の戦時下で、山本元帥の死が、戦争継続のため利用されたと言えます(元老らに関しては、政策推進よりも単純に国家の功労への顕彰の意味合いが強いでしょうが)。

言い換えれば、国家体制の如何にかかわらず、国葬は、国家が掲げる価値観の体現者(求道者)であり代表者として国家・国民に広く認められ、かつ、その者の追悼を通じ、その者が掲げていた(であろう)価値観を、後世の国民も範として実践して欲しいと国家中枢・国民多数が感じる者に対してなされるべきものです。

そうでなければ、国家組織や国民の支持・共感が得られず、儀式として失敗に終わるはずです。

(以下、次号)

岩手県知事マニフェスト検証大会のレクイエム

旧ブログ投稿の再掲シリーズの最後に、平成25年に、岩手県知事マニフェスト検証大会について掲載した記事を微修正の上、再掲しました。

来年は岩手県知事選挙とのことで、恐らくは、すでに報道された有力県議さんと達増知事の一騎打ちになり、事実上「小沢氏勢力vs自民系」の最終?決戦としての意味合いも持つように思われます。

震災後、公約の検証(を通じた県政への民意の適切な反映や緊張感確保)という理想論を掲げる(旗を振る)方が全くいなくなり、数年に亘り「小沢氏勢力に飽きたか否か」だけが県政の実質的な争点になっているようにも見える光景に、大変残念に感じています。

当時は盛岡JCに親分肌の方がいて「俺は(主権者意識向上の活動を目的とした)任意団体を作りたい」と仰っていたので、できれば私も参画し、兵隊として汗をかきたいと思っていましたが、残念ながら、そうした話が結実することはなく、その方との接点も全く無くなってしまいました。

あまりにも多くのことが過ぎゆき、私も無残な老骨の一人に成り果ててしまったのかもしれませんが、かつて若者だった人々が曲がりなりにも掲げていた夢を、今どきなりの方法で次の世代にも引き継いでいただければと願っています。

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今回は、主として岩手県民の方、かつては一世を風靡した「マニフェスト選挙」に関心がある(あった)方、並びに盛岡JCの会員の方に向けて書いた投稿です。

皆さんは、10年以上前、「岩手県知事マニフェスト検証大会」というイベントが行われていたことをご存知でしょうか。

これは、平成19年に始まったイベントなのですが、当時、知事として三期目であった増田寛也氏が退任するにあたり、4年前の選挙の際に発表し県民の信を問うたマニフェスト(政権公約)について、その達成度を自己検証して県民に報告する場を設けたいとの意向が知事から盛岡JC側に伝えられて始まったものだそうです。

増田氏はマニフェスト選挙の先駆者とされており、知事人生の集大成として、このイベントを行うべくJCに動員をかけたというのが一つの実情なのかもしれません。

が、少なくとも当時の私は、小林正啓先生も引用の講演で指摘されるように、「地域住民の主権者意識の向上(国民主権原理の実質化)につながる地道な活動に寄与するのが、田舎のしがない弁護士の責任ではないか」と感じて、末端のスタッフとして、後記のアンケート調査など、若干のお手伝いをしてきました(なお、実働の大半は盛岡JCですが、公式の主催者はJCの岩手ブロック協議会=岩手のJCの連合体です)。

このイベントは、後任の達増知事の1期目の半ばである平成21年にも実施され、23年にも実施予定で準備を終えていたのですが、開催日直前に震災に見舞われ、中止の憂き目に遭っています。

2年おきに行っているのは、知事の任期は4年ですので、任期満了時である4年後に実施して達成度を県民に明らかにすることで、次の選挙での投票の判断材料とするというのが4年ごとの検証の目的であり、さらに、任期半ばの2年目にも中間検証を行い、残り半分の任期における県政向上に資することを目的としています。

検証大会の内容ですが、従前は、県知事による自己検証と行政分野をご専門とする県立大の先生による第三者検証の各講演のほか、知事やその年の盛岡JCの理事長さんを含めた識者によるパネルディスカッション、さらには、JCが県民に行った岩手県政に関するアンケート結果の発表も行ったことがあります。

アンケートについては、過去3回とも私が原案を作成しており、平成21年と23年には、長大な分析レポートも作成してJCのサイトで発表しています。

といっても、誰の注目も集めることなく、ケジメないし自己満足の類で終わっていますが。

アンケートは、盛岡JCだけでなく県内のJC全部の協力を得て、最盛期には1600通強の回答を集めました。

これは、県内紙や行政のアンケートにも引けをとらない回答数ですので、その集計結果等は、岩手県政を考える上で、大いに参考になるものだということは、特に強く述べておきたいと今も思っています。

ちなみに、ある年の大会で、私がアンケート分析の発表をした直後にパネルディスカッションになったのですが、冒頭で感想を聞かれた某知事が、ご自身の癇に障る内容でも含まれていたのか、アンケート結果について冷淡な感じのコメントをなさったことがありました(私の見る限り、集計結果も分析内容もそのような内容ではなかったのですが)。

その際は、パネリストである理事長さんから知事に「多くのJC会員が苦心して集めたアンケート結果に敬意を表しないとは何事だ」などと気概を見せていただければなぁと思ったりしたのも、懐かしい思い出です。

ところで、さきほどから書いているように、私は平成19年、21年、23年の3回に亘り、マニフェスト検証大会を担当する委員会に所属して、設営やアンケート調査に関わってきました。

最終年である今年も、2期目の達増県政の中間年として、平成21年と同様に検証大会が行われなければならない年であり、私自身はそれを最後の置き土産として卒業するつもりでいたのですが、どういうわけか、今年はこのイベントを行わないことになったそうです。

その原因が奈辺にあるのか、達増知事からクレームでも来たのか(たぶん違うでしょう)、もはやマニフェスト選挙が流行らないということで、JCの上層部の方々がやる気をなくしたのか、単に、当時を知る人が私を除き誰もいなくなってしまったというオチか、はたまた何らかの特殊事情でも生じたのか、万年下っ端会員の私には、真相は分かりません。

が、少なくとも、2年後の知事の任期満了の際には、公約の検証に関する何らかの事業を行っていただきたいことを、私を含むこの事業に携わってきた少なからぬ方々からの遺言として、JC関係者の方々に述べておきたいと思っています。

(2013年2月22日)

矢巾町と郡山市の共通点と蝦夷の怨霊

平成25年3月に、矢巾町の歴史民俗資料館に立ち寄ったところ、タイヤが雪道に嵌まり脱出に難儀した件に関する旧ブログの投稿を再掲しました。

岩手における矢巾町の歴史的特殊性(中央政権によって作られた街としての面)を福島県郡山市との類似性も交えて述べており、矢巾や郡山の方のほか、興味ある方はご覧いただければ幸いです。

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この日、久しぶりに紫波警察署に接見に行ったので、先日、「蝦夷の古代史」という本(平凡社新書)を読んでいたこともあり、帰りに矢巾町の歴史民俗資料館に立ち寄りました。

この施設は、大和朝廷の東北侵略事業(領土化)における最後の前線拠点とされる徳丹城跡(の隣)に建てられており、国道4号線からすぐ(100m位)のところにあります。

ただ、冬期は訪れる人もほとんどいないようで、管理人さんが1名のみ、しかも、どういう理由か、建物内ではなく、建物正面の駐車場に車両を駐車させて待機していた(外出先から戻ったばかりなのかもしれませんが…)という状態でした。

しかも、昨夜から本日にかけての大荒れの天気のせいか、国道から入る道も全然除雪されておらず、入館者向けの記帳をするように言われたので見てみると、最後の入館者は1月初旬とのことで、雪のない時期に来ればよかったのかも…と少し後悔しながら見学を開始しました。

ちなみに、本日の4号線は、「上空は晴天なのに、暴風で田畑の雪が強烈に舞い上がって地吹雪体験となり、時速某㎞(自粛)で走っているのにホワイトアウトが間断なく訪れる」という恐ろしい状態で、その上、後述のように、悲惨な目にも遭いました。

資料館そのものは、徳丹城と矢巾町の集落遺跡などを説明するコンパクトな施設ですので、すぐに見終わってしまうのですが、私が感じたのは、「この施設(展示)は、徳丹城を造営した大和朝廷の立場・視点から作っている」ということでした。

というのは、文章等もさることながら、徳丹城コーナーの最初のエリアに「蝦夷軍と戦う大和朝廷軍を描いた絵」というのがあるのですが、絵の目線が完全に朝廷側になっていて、「武具に身を包み勇ましく戦う朝廷の戦士」と「斬り殺されてムンクないしアベシ顔になっている蝦夷の賊徒」といった様相になっているのです。

ですので、蝦夷側の視点でこの地を見るのを好む私としては、けしからんと言いたくもなりましたが、それはさておき、数年前、福島県郡山市でこれと似たような感慨を抱いたことを思い出しました。

郡山市の中心部に「開成山公園」という名所があり、そのすぐ近くに「開成館」という郡山市の歴史を伝える施設(確か、昔の役所跡だったはずです)があるのですが、開成館の展示は、東北にありがちな「土着勢力と中央政府との抗争や苦闘の歴史」を描くものではなく、「郡山が、維新政府による大規模開拓(安積疎水)を礎として築かれた都市であることを確認し、開拓を推進した政府の元勲等を顕彰する」ことを目的とした内容となっており、東北の都市としては、異色さを感じずにはいられませんでした。

そして、矢巾町は、蝦夷をはじめ土着勢力の拠点となった歴史がない一方で、徳丹城という、大和朝廷(中央政府)の重要な出先機関(拠点都市)となった歴史があるため、郡山市と同様に、「中央政府寄り」のメンタリティを持ちやすい自治体であり、それが、「底流に流れるもの」として、上記のような展示にも反映されたのではないかと感じた次第です(矢巾という地名も、前九年の役=源氏侵略に由来するようです)。

余談ながら、矢巾町の吸収?合併は、盛岡市にとっては(ほぼ断念に追い込まれた)滝沢村(滝沢市)と並んで、長年の悲願の一つとされ、矢巾町がこれに応じてこなかった理由は、主として経済的なもの(巨額?税収の基盤となる流通センター)と言われることが多いと思います。

が、土着勢力の拠点都市としての長い歴史を持つ盛岡市(南部家は言うに及ばず、古くは安倍氏の本拠地とされています)と、中央政府の拠点都市としての歴史ないしアイデンティティを持つ矢巾町とでは、ある意味、相容れないというか、共感しあう土台づくりに工夫を要する面が隠されているのではないかと、妄想を逞しうせずにはいられないところがあります。

とまあ、そんなことを考えながら、資料館を後にしたのですが、すぐに、とんでもないハプニングに見舞われました。

前記のとおり、4号線から資料館に入る細い道は、冬期来訪者の少なさもあって分かりにくく、積雪も多い状態になっていたのですが、轍に沿って走っていたつもりが、あれよあれよという間に(氷に滑って?)、道路脇の積雪にはまって動けなくなってしまったのです。

幸い、資料館の管理人の方がスコップを持って救援に駆けつけて下さったので、2人であれこれ雪かきをしたのですが、それでも動きません。

しかたなく、6年強ぶりにJAFに出動をお願いしたところ、到着まで3時間半を要するとの返事。

ガーンということで、とりあえず要請はした上で、その後も管理人さんの支援を得つつ地道に鉄製のスコップで氷雪と闘い続けたところ、約40分ほどして、ようやく脱出できました。

終わりよければすべてよしで、雪国暮らしらしくない文明の恩恵に浴した生活を送っている身には、たまには肉体労働に勤しむのも良しと思ったものの、反面、「1200年以上も前に、この地で徳丹城造営に駆り出された蝦夷の人々の呪いだろうか」と思わずにはいられませんでした。

というわけで、矢巾町民の皆さんはもちろん、盛岡広域圏その他の皆さんも、徳丹城に末永いご愛顧をいただければと思います。

(2013年3月2日)

鎌倉殿の14番目の秘密と「禍々しい陽光」の正体

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が今度で最終回とのことで、先日は、オープニング映像に様々な仕掛けが含まれていることを説明した特集番組が放送されていました。

ただ、この映像の核心の一つである「主人公(北条義時)を指すのであろう、佇立する武士の背後から巨大な太陽?が照らす光景(冒頭部分)」については何も説明がなく、その点は不思議に思いました。

この部分は、少し検索すれば「これから武士の時代が到来することを陽光で表現しているのだ」といった評釈を見かけますが、私は、そのような見方をすることに違和感を抱いていました。

というのは、太陽が大きすぎ、陽光が強すぎる感じがする上に、照らされる武士も生身ではなく石像という「異様さ」もあって、なんとなく怖いというか気味が悪い感じがして「さぁ、俺たちの時代だ!」的な明るさがなく、むしろ否定的な印象を受けていたからです。

そのため、このオープニング映像や主題曲が(初見で気に入った「麒麟が来る」などと比べて)最初はあまり好きではありませんでした。

が、最近になって、これは意図的に「異様で嫌な感じのする強すぎる太陽」にしたのではないかと感じるようになり、今では映像も音楽も気に入っています。

ご承知のとおり、本作は、平家を倒し天下を取ってハッピーになったはずの鎌倉武士団が、主君(源氏嫡流)殺しをはじめとする陰惨な内部抗争に明け暮れる光景を描いた作品です。

その上、主人公は若い頃から様々な汚れ仕事を担わされた末、自分は社会のため誰よりもそれを引き受けざるを得ない存在だとの境地に至り、そして、最もなすべきこと(かつて朝廷・貴族=旧支配者に隷属を強いられた存在としての武士が、立場をひっくり返した出来事)を終えた直後に退場する人生となっています。

こうした骨格を踏まえると、この物語は「新たな時代を切り開いた武士達が、栄光の代償として激しい光に焼け尽くされる姿を描いた物語」であり、武士を照らす強すぎる光は、映像の最後に石像群が滅んでいく光景と相俟って、それまで田舎で安閑と暮らしていた関東武士達(や頼朝ら)が社会の中心に躍り出るのと引き替えに強烈な試練に晒される禍々しさを意味しているのではないかと感じるのです。

ただ、そのように「旧勢力から権力を奪取し新たな時代を劇的に切り開いた人々が、強烈な試練に晒され次々に命を落としていく光景」は源平時代に限った話ではなく、幕末維新期はもちろん、戦国時代も含め、日本の歴史の中では時折みられる話だと思われますし、それだけに、生身の殺し合い云々はさておき、社会では相応に普遍性のある事柄のようにも思われます。

そんな物語を送り出した三谷氏の意図は、現代社会にあっても、旧勢力(既得権益)を打破して新たな時代を切り開きたいなら、様々な汚れ仕事や恐るべき試練に己が焼け尽くされる覚悟と深慮遠謀をもって立ち向かえ、というメッセージを若者達に届けることなのかもしれません。

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ところで、冒頭で紹介した「オープニング映像の解説番組」では、コーラスを担当しているのがハンガリーの方々だ(作曲家の判断で決まった)と説明する一幕がありましたが、ハンガリーと言えばフン族の末裔であり、フン族といえば「ゲルマン民族大移動とローマ帝国崩壊を引き起こしたアッティラ帝国」であり、謎に包まれた?フン族の正体は、モンゴル民族の祖先というべき匈奴だと推定する説が有力と言われています。

そうしたことを想起すれば、武士の時代を切り開いた主人公達と繋がる面があるように思われ(人種的にも、モンゴル人と日本人は近いと言われます)、ハンガリー人のコーラスが起用されたことが、そこまでの意図があったとは思えないだけに、不思議なものを感じざるを得ませんでした。

私自身は「天下の闘争の渦中に飛び込み汚れ仕事に明け暮れる」こととは無縁な、身近な社会(弁護士会とかJCとか)ですら権力闘争に関わることなく末端で小さくなっている「安閑と暮らすだけの村はずれの奇人」で終わる人生となりました。

せめて、こうしたドラマを拝見しつつ、次の時代を担う方々に何らかの役に立てるような最後のご奉公ができればと願うばかりです。

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ところで、ここまで書いてきて、武士達を焼き尽くす「強烈な太陽」とは何を意味しているのか、取り上げるのを失念したことに気づきました。

ただ、この点は、皆さんも薄々感じているはずです。

日本国の存立に必要不可欠な存在と考えられる一方、近づき過ぎると(権威を笠に着て専横しようとすれば)身を滅ぼすことになりかねず、敬して遠ざけるのが賢明と考えられ、現に幾つもの武家政権などにはそのように扱われてきた存在。

「日出づる処の天子」こと天皇ないし天皇制という仕組みそのものが、もしかすると、今は野に埋もれている人々に、チャンスと強烈な試練を与え、世を作り替える原動力となる一方、そうした時代の転換を受け入れることができなければ、主要な担い手(後鳥羽上皇など)であっても転落を強いる、そうした側面を持っているのかもしれません。

廃棄物の大量埋設事件たちが語る、大地の尊厳と回復負担の適正公平への道

先日(12月9日)、「岩手青森県境不法投棄事件を総括しつつ、現在も県内で生じている廃棄物大量埋設事件に関する訴訟(旧県立軽米病院事件)を紹介し、一連の問題への県民意識の喚起を図ること」を目的とした、NHKの特集番組(いわチャン「希望郷の廃棄物」)が放送されました。

次の日曜(12月18日)も再放送されるそうなので、見逃した県民の方などはご覧いただければ幸いです。

番組は著名声優さんの語りで県境事件の概要や費用負担を巡る論点及び県庁(環境生活部)の取り組みなどが紹介され、ドキュメンタリーとして綺麗に出来上がっていました。

が、県境事件の総括の途中で突如、軽米事件がニュースをそのまま入れ込んだような形で出てきたため、唐突感というか、番組編集的に若干苦笑する面はありました。

ちょうど放送の前日頃に訴訟の第1回期日があり、進行中の事件の取り上げ方(しかも、県庁vs地元自治体という異例訴訟)の難しさも相俟って、NHK内でも様々な議論や苦慮があったものと察しています。

ともあれ、当方の主張の核心部分(汚染者が責任を問われず原状回復を負担することなく、大地の浄化を引き受ける地元民がしわ寄せを受け虐げられる社会は、間違っていること)には共感いただいた内容だと認識しており、制作サイドの熱意を含め、そのメッセージが行間から伝わる番組になっていたと思います。

私は軽米事件の相談を受けたときから、県境事件との繋がりや落差を強く感じていたため、そのことは訴状に書いたほか、提訴時の記者会見でも記者クラブ向け説明資料で特に指摘し、訴訟での立場等に関係なく、県民の関心を高める報道をお願いしたいと伝えていました。

が、記者クラブの参加者からは全く反応がなく、地元紙などで取り上げた話も聞きませんでしたので、残念に思っていたところ、しばらく経って、その際に同席していなかったNHKの方から、二つの事件をテーマにした番組を作りたいとの申出を受けたため、私と同じ問題意識をもってくれる人がいるんだと感動し、感謝の気持ちで可能な限りの協力をさせていただきました。

裁判自体は裁判官が判断すべきものですので、世論誘導が目的ではありませんが(そんな力もありません)、この問題は広く関心が持たれるべきで、可能なら、県民世論からも適正・円満解決を求める後押しがあればと願っていますので、今後も、訴訟自体に限らず、できる限りのことはしていきたいと思っています。

皆さんも、こうした番組を通じて、口先だけではない「美しい県土を守る」とはどのようなことなのか、考えていただければ幸いです。

クールビズと小泉内閣と刑事法廷

先日より、旧ブログ(平成25年の切替前)の投稿を幾つか再掲していますが、今回は平成20年の夏に投稿したクールビズに関する投稿を載せました。

今では刑事法廷もクールビズが当たり前になっていると認識しており、駆け出し時代(平成12年)の夏の大阪簡裁出張で、出廷した人々が半袖シャツ姿で、スーツは私一人だけ?だったのに驚愕したことも含め、時代の違いを懐かしく感じさせます。

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今年(平成20年)の夏は「クールビズ」にあやかって、ほぼ完全にノーネクタイを通させていただきましたが、あまりの快適さに、これまでの自分は奴隷のように首に縄をつけて仕事をしていたのだろうかと思わずにはいられないほどでした。

ところで、クールビズは、小泉内閣なかんずく小池環境相(当時)の音頭で花開いたものですが、郵政改革のような効果が見えにくいものを除いた「分かりやすい政策」としては、私が感じる限り、国民生活に直結する施策で、これほど国民にとって有益なものは近年なかったのではないかと感じます。

旗振り役(環境相)を小池氏が務めたというのも適切な人事というほかなく(失礼ながら、その後の環境相の面々は、なんとなく華のない方々ばかり続いている印象で、旗振り役は務まらなかったでしょう)、大臣が「良い仕事」をしているのをあまり見受けない最近の政治状況に照らせば、懐かしさすら感じてしまいます。

ただ、正直言うと、小泉内閣当時は、私もその良さを認識できず、どちらかといえばネクタイ派であり(昨年までは法廷や接客時にはすべてネクタイをしていました)、下らないことばかりやっていると冷ややかに見ていました。

また、私は、現在は感謝していますが、他方、当時を顧みてクールビズ運動を素晴らしい政策であったと賞賛する報道などというものに接した記憶がありません。

井沢元彦氏の「逆説の日本史」には、信長が苦心して教団勢力を撃滅した結果、日本では宗教(教団)的教義に囚われない自由な精神が国民に広がったものの信長の功績が正当に評価されていないと論ずる下りがあり、「社会に有益なパラダイムシフト(社会の仕組に関る大きな価値の転換)がもたらされる場合ほど、それを生んだ偉大な行為が忘れ去られやすい」という趣旨のことが述べられていたと記憶していますが、多少はそれに通じる面があるのかもしれません。

ただ、夏の期間にたった一度だけあった刑事法廷では、裁判官も書記官も検察官も全員ネクタイ着用で、検察官に至っては上着まで着ており、なんとなく肩身の狭い思いをさせられました。

先般、裁判員裁判では、身柄拘束中の被告人もネクタイ(類似のもの)を着用できるようになったという話を聞きましたが、ネクタイを欲しがる理由が多少とも理解できました。

それ以前の問題として、夏は刑事法廷からもネクタイを追放しようと運動して欲しいところではありますが。

(2008年8月31日)

中央大学の志(こころざし)と「Think Global, Act Central」

今回も旧ブログに平成19年に投稿したものの再掲です。当時は、まだ盛岡青年会議所に入会して3年目ほどの身であり、何もかもが懐かしい思い出です。

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先日、盛岡JCのメンバー(OB含む)のうち中央大学出身者の方だけで集まりがあり、私も参加してきました。

集まりといっても10人弱程度の人数でしたが、盛岡JCで理事長など重要役職を担ってきた方が少なくなく、今にも幽霊会員になりそうな怠け者の私とは大違いというか、中央大学の面目躍如といった感がありました。

で、その中で、ある大物OBの方が、

「自分が盛岡JCの理事長をしていた十数年前、『Think Global,Act Local』という言葉を盛んに提唱したが、『Local』というのは『Central』(中央)の対義語で、田舎・辺境という意味があってよくない。

その後に興った地方分権の流れからは、『Act Regional』と言っていれば、先駆的なものとして評価されたのではないか」

と仰っていました。

しかし、「Regional」というのは、単に地域・地方といったことを意味するに止まり、地球全体のことを学んだ上で、どのような観点・姿勢でもって地域に活かそうとしているのか、そのことが伝わってきません。

むしろ、地球全体のことを学んだ上で、自分達の地域から新しい物事を起こして地球全体をよりよく変えていく起爆剤にしようという気概を抱くのなら、「Regional」ではなく、自らが新たな時代の中心たらんとする「Act Central」とでも称するのが適切ではないかと思いました。

そもそも英語として成り立っているか分かりませんが、意訳?すれば、

地球全体のことを考え、我こそが社会の中心たらんと全力を尽くせ

といったところでしょうか。

秦の始皇帝や清朝、或いは明治維新を引き合いに出すまでもなく、歴史の変革は、辺境の民が中央の文明と辺境の知恵、或いは外国の新たな潮流などを学ぶことによって、新たに作り出されることが少なくありません。

地方のリーダーとして生きる人達には、『Think Global , Act Central』とでも標榜し、中央に隙あらば新たな時代の中心に取って代わってやろうという野心や気概を持っていただきたいものです。

中央大学とひっかけた洒落の類じゃないか、という話はさておくとして・・・(笑?)

(2007年4月6日掲載の内容を微修正)