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廃棄物・環境行政など

おんな達を人間にした、山と医療の光と影

6月末から遠野物語に着想を得た映画「山女」が公開されるとのことで、幾つかのWeb記事を拝見しましたが、できれば見てみたいと思いました。
福永壮志監督 × 山田杏奈主演、『遠野物語』から着想した「山女」。本予告など公開(キネマ旬報WEB) – Yahoo!ニュース

舞台が早池峰山の麓なので、岩手の寒村と言った方がよいのではと思いましたが、敢えて東北と表現したい理由があったのかもしれません(設定された時代が明治以前だからという理由なら、幕末に成立した東北という言葉ではなく、奥州=陸奥国と呼んでいただきたいですが)。

それはさておき、この記事では、予告編で主人公が死亡した嬰児に「次は人間に生まれないで」と告げながら川に流す映像が紹介されていました。

死因は予告編からは分かりませんでしたが、私が映像を見て思い浮かべたのは、当時の岩手の農村部では乳幼児の死亡率が著しく高く、それを昭和初期~前期の時代に様々な方が苦労して克服した、という点でした。

そのテーマでは沢内村の深沢村長が有名ですが、同じ時期に岩手では小規模自治体を含めて多数の県立病院が県内各地に建てられており、これは岩手県の初代民撰知事(戦後の知事)である國分謙吉(二戸出身)が推進したとも言われています。

医療の普及は、病苦からの解放というだけでなく、迷信等に由来する悪しき民間療法のような様々な不合理・非科学的な習慣を克服する面もあったでしょうから、県立病院の整備などを通じて「田舎の集団心理(ムラの論理)に起因する悪しき旧弊」が解消される効果があったと思われます。

この映画では「この山で私は人間になれた」というキャッチコピーが用いられていますが、当時のムラ(里)の世界が、多くの不合理な因習を抑圧的に強要する面があった(反面、服従の対価として集団内では位階に応じた庇護を受け相互扶助に浴した)ことは間違いないはずです。

ですので「山女になる」とは、ムラの論理から解放される=剥き出しの厳しい自然に独力で対峙を余儀なくされる代わりに、自然固有の論理(合理性)を理解し使いこなせるのなら、ムラ(帰属集団)よりも遙かに自由に、心のままに生きることができることを、このコピーは意味しているのでしょう。

そして、その言葉は、当時のムラに限らず、現代社会に生きる我々も、自身が帰属する様々な集団内に生じた非合理な抑圧(集団心理)に晒され、或いは依存したり、主人公のような内部の異端児を排除抑圧し、または自身が排除抑圧されながら生きているのではないですか?(貴方はそれでいいですか?)というメッセージも含んでいるのだと思います。

***

ところで、以前に投稿したとおり、私は現在、旧岩手県立病院が行った医療系廃棄物の大量埋設を原因とする岩手県庁などへの損害賠償請求訴訟を原告代理人として担当しており、その訴訟を通じて、今から数十年前に県内各地で行われた旧県立病院群での病院廃棄物埋設問題について、同種被害の再発を防止するため本格的な実態調査などが必要ではないかと提案しています。
岩手県立病院の跡地群での医療系廃棄物の大量埋設問題に関する県民への問題提起 | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

(岩手弁護士会が会長声明なり意見書なりを公表すべき問題だとは思いますが、当事者代理人の私が要請しても無用の誤解を招きそうなので差し控えています。お偉いさんの後押しでもあれば、訴訟に触れない形で起案するのですけどね・・)

そのため、私が旧県立病院を敵視しているように感じる方もおられるかもしれませんが、上記のとおり、当時の県庁が旧県立病院群の大量設置を行ったのは、医療の普及と人命保護などは言うに及ばず、山村の人々を様々な陋習から解放するのに役立ったと考えており、そうした役割・成果は強く認識されるべきでしょう。

だからこそ思うのです。
光あるところ影あり。光強ければ影もまた濃し。

当時の時代背景に由来する旧県立病院の医療廃棄物の大量埋設問題とは、詰まるところ旧県立病院の果たした役割と表裏一体ではないかと。

そうであれば、現在の社会でも、社会や人命などを守る掛け声のもと行われ有意義なものと称賛された大規模公共事業などが、後年に巨大な負の遺産として人々を苦しめるという展開も生じてくるのかもしれません。

素人目には、防潮堤やメガソーラーなどが、その例になりそうな不安を感じますし、これからもそうした話が出てきそうな気もします。社会内で膨大に使用されるプラスチック関連製品なども、その典型なのでしょう。

今の社会を運営したり公金などを動かしている方々には、そうした事柄も考えて対処いただければと思っています。

 

岩手県立病院の跡地群での医療系廃棄物の大量埋設問題に関する県民への問題提起

前回も投稿しましたが、私が受任中の事件に関連して県民の皆さんに知っていただきたい問題がありますので、お時間のある方はご一読下さい。

具体的には、約50年ほど前、県内各地の旧県立病院に当時、医療系廃棄物が大量?に埋設され、現在も大半の跡地で未調査・未解決(放置されたまま)と思われる、という問題です。

***

私が受任している事件は、数十年前にK町中心部で操業していた旧県立病院が、当時、住民からの借地である敷地内に膨大な病院廃棄物を埋設した件で、約3年前に判明した後も、県側(医療局)が撤去や費用負担などを事実上全面拒否したため、やむなく提訴に至ったものです。

訴訟では、出土時まで放置したことへの県の責任も論点となっていますが、同種事件は平成20年前後に少なくとも3箇所の旧県立病院で発覚しており、本件は、いわば4件目(但し、借地案件では唯一)となります。

これまで、県庁(医療局)は他の3件では全て県費で埋設物撤去や費用支払をしており、本件に限って対応を拒否しているのは、他の案件が県の所有地だった(ので売買時に瑕疵担保責任を負う)のに対し、本件は借地なので瑕疵担保責任がないから埋設行為に法的責任がない、との主張に基づくものです。

埋設行為は廃棄物処理法の制定前(旧清掃法)で、県は「当時は埋設しても清掃法違反でないから原状回復義務がない(埋めて放置しても貸主に対し責任は生じない)」と主張しており、そのこと(清掃法違反の当否や公法と私法の区別など)も大きな争点となっています。

当方=貸主から土地を買い受けた者(地元自治体)は「撤去だけで数千万円を要する膨大な廃棄物を埋設した借主は当時であっても民法上の原状回復責任を負うはずだ、自分の土地(県有地)に埋設したときは撤去するのに、借地なら放置しても良いというのは非常識だ」などと主張し、大きく3つの法的構成に基づき撤去費用等の支払を県庁に求めています。

***

以上が前置きで、ここからが本題なのですが、本件で埋設行為が行われたとみられる昭和20~40年代前半頃の時点で、岩手県には現在と同じく20箇所以上の県立病院があったようです。

現時点で、埋設問題が発覚したのが本件を含む4件(うち1件は小規模?で、他の3件は億規模の諸費用を要した事案)ですが、果たして、二十数箇所の旧病院のうち、埋設問題があるのは「この4件だけ」と言えるでしょうか?

ほかならぬ県庁自身が「当時は、敷地内に埋設するのが当然だ(その結果、数千万円の撤去費用を要する結果を借地に生じさせ3年前に発覚するまで放置し続けても、知ったことか)」と主張しているのに、です。

実際、近年も一関や山田町の県立病院跡地で、県の負担で土壌汚染対策工事がなされているようです(K病院だけが、借地だからという理由で負担拒否の姿勢が続いています)。

オガール紫波の岡崎さんは、本件で訴訟提起した際の私の投稿をご覧になり、「県知事選の争点にしても良い問題だ」と仰っていました。

これは、本件裁判の当否などという(誤解を恐れずに言えば)小さな話ではなく、二十数カ所の旧県立病院の跡地の大半で、森友学園もビックリの医療系廃棄物の大規模埋設問題が未解決となっている可能性はないか、その危険を放置して次の世代に押しつけてよいのか(むしろ、それを適切に対処した上で土地の価値を高める開発をすべきだ)、と提起されたものと認識しています。

とりわけ、この問題が本格的に発覚した(他の大事件が判明した)平成20年代半ばの時点で県庁が全件の埋設調査などに取り組んでいれば、本件で撤去費用以外に生じた多くの損害の発生が回避できたはずで、そのことは訴訟で問題提起し、裁判所も関心を示しています。

***

私はこの裁判の期日のたび、地元記者達の囲み取材を受けており、これまで何度かその話を記者達に伝え、他の旧県立病院跡地群の実情がどうなっているか、調べたり記事で問題提起いただけないかとお願いしました。

が、残念ながら、今のところ、その問題が取り上げられた報道を見たことがありません。県議会の記事などで取り上げられているのも見たことがなく、残念に感じています(本件に触れたNHKの特集番組の制作者の方は問題意識を共有いただいたものの、番組で取り上げられるには至りませんでした)。

本日の期日で提出した当方の書面では、他の病院跡地への対応がどうなっているか回答して欲しいと県に要請しており、そのことは自身の選挙区に旧病院跡地を抱えている県議や県民の方々にも関心を持っていただければと思っています。

また、県立病院だけでなく、県内で昭和20年代~40年代前半頃に操業していた別の大規模な病院でも、同種の土壌汚染が発見された例があります。

そして「数十年前に借地上に大規模事業所が設けられ、人体に危険を及ぼすリスクのある物質を扱っていた」例は、病院に限らず岩手に限らず幾らでもありうると思います。

「廃掃法制定前(清掃法の時代)なら、借地には、どんな危険なゴミでも、どれほど膨大な量でも捨て放題(埋設者の責任は一切問えない)」との主張が罷り通るのでは、膨大な撤去費用という貧乏くじを引かされる現在の所有者は浄化を諦めて放置せざるを得ないでしょうし、本件のように何らかの事情で税金の負担により浄化せざるを得なくなった場合も、納税者=住民・国民等は納得できないはずです。

私は訴状などで「自ら汚染した者が法の不備を理由に責任を免れ、率先して大地の浄化に尽力する者が酷い目に遭う社会は絶対に間違っている。何より、県庁自身が、その気持ちで県境不法投棄事件の解決に取り組んでいたはずだ」と書きました。

この気持ちを、裁判所は言うに及ばず、県庁の方々も共有いただけることを願って、被害者(請求者)側代理人の立場で今後もできることに努めていきたいと思います。

 

岩手県庁の桜と大地の涙

1ヶ月前の石割桜の時期に、受任事件の閉廷後に盛岡東警察署に赴いた際、折角ということで、途中にある盛岡城址・亀が池周辺の桜を拝見しました。

岩手県庁をバックに桜が美しい姿を見せていますが、私は現在、岩手県庁を被告とする訴訟(旧県立K病院が借地である敷地内に埋めた膨大なゴミの撤去費用等を請求する訴訟)の原告代理人を務めており、ちょうど、県側の主張への反論書面に悪戦苦闘していました。

というわけで、折角の桜を見ても、庁舎が目に入ると、恨み言のように?余計な一首しか浮かんできません。

花愛でる言葉の裏で地の底に
ゴミ捨て片付けせぬ岩手県

この恥を県民なにも言わずとも
天が大地が花が見ている

ガン、ガン、ガン、ガンラ~イザ~♪(苦笑)

この頃はまさに締切に負われている最中で、先方が

「当時の病棟をK町(基礎自治体)が作って県立病院に運営委託しており、町は県に業務報告を求めることができるので、病院(受託者)のゴミの埋設を町(委託者)が知っていたと擬制される(ので、土地の買主たるK町は県に責任追及ができない)」

などと主張書面に書いているのを見ると

「その理屈なら、県知事自身が、報告徴収権を有する各種事業者(廃棄物処理業者、病院など)の違法行為に対し、何ら責任追及できなくなってしまうじゃないか。そんな主張を県庁が自らするなんて、正気か?」

などと(言葉を選んで)書かずにはいられないのですが、県政を巡る重大事件であることは間違いなく、こうしたやりとりに限らず、事件の内容について報道等で県民に伝えられるべきでは・・と思ったりもします。

報道対象になる事件を受任する都度、記者さん達の長時間に亘る取材要請に応じて精根尽きるほど?説明することが何度もありましたが、記事を見ると「この人、訴状提出してました」程度のことしか書いてくれず、何のために当方を消耗させるほどあれこれ聞いてきたのだろう、と残念に思うことが多いのです。

それはさておき、このエリア(亀が池)の景観自体は、病院廃棄物・・・ではなく周囲の電線を地中に埋めた方が、もっと映えるかもしれません。

(以下、次号)

廃棄物の大量埋設事件たちが語る、大地の尊厳と回復負担の適正公平への道

先日(12月9日)、「岩手青森県境不法投棄事件を総括しつつ、現在も県内で生じている廃棄物大量埋設事件に関する訴訟(旧県立軽米病院事件)を紹介し、一連の問題への県民意識の喚起を図ること」を目的とした、NHKの特集番組(いわチャン「希望郷の廃棄物」)が放送されました。

次の日曜(12月18日)も再放送されるそうなので、見逃した県民の方などはご覧いただければ幸いです。

番組は著名声優さんの語りで県境事件の概要や費用負担を巡る論点及び県庁(環境生活部)の取り組みなどが紹介され、ドキュメンタリーとして綺麗に出来上がっていました。

が、県境事件の総括の途中で突如、軽米事件がニュースをそのまま入れ込んだような形で出てきたため、唐突感というか、番組編集的に若干苦笑する面はありました。

ちょうど放送の前日頃に訴訟の第1回期日があり、進行中の事件の取り上げ方(しかも、県庁vs地元自治体という異例訴訟)の難しさも相俟って、NHK内でも様々な議論や苦慮があったものと察しています。

ともあれ、当方の主張の核心部分(汚染者が責任を問われず原状回復を負担することなく、大地の浄化を引き受ける地元民がしわ寄せを受け虐げられる社会は、間違っていること)には共感いただいた内容だと認識しており、制作サイドの熱意を含め、そのメッセージが行間から伝わる番組になっていたと思います。

私は軽米事件の相談を受けたときから、県境事件との繋がりや落差を強く感じていたため、そのことは訴状に書いたほか、提訴時の記者会見でも記者クラブ向け説明資料で特に指摘し、訴訟での立場等に関係なく、県民の関心を高める報道をお願いしたいと伝えていました。

が、記者クラブの参加者からは全く反応がなく、地元紙などで取り上げた話も聞きませんでしたので、残念に思っていたところ、しばらく経って、その際に同席していなかったNHKの方から、二つの事件をテーマにした番組を作りたいとの申出を受けたため、私と同じ問題意識をもってくれる人がいるんだと感動し、感謝の気持ちで可能な限りの協力をさせていただきました。

裁判自体は裁判官が判断すべきものですので、世論誘導が目的ではありませんが(そんな力もありません)、この問題は広く関心が持たれるべきで、可能なら、県民世論からも適正・円満解決を求める後押しがあればと願っていますので、今後も、訴訟自体に限らず、できる限りのことはしていきたいと思っています。

皆さんも、こうした番組を通じて、口先だけではない「美しい県土を守る」とはどのようなことなのか、考えていただければ幸いです。

私と岩手県庁の20年、そしてその先にある事件

19年前、私は、岩手・青森両県庁などのご協力のもと、全国の廃棄物問題の凄腕弁護士さん達を連れて、岩手青森県境不法投棄事件の現場に行きました。第二の豊島事件になるかもしれないと思われたこの事件は、増田知事の全面撤去の決断を機に、弁護士の出番を必要とすることなく決着しました。

14年前、岩手・青森の海の境界紛争と呼ぶべき「なべ漁場事件」が勃発し、私は、岩手県庁(水産振興課)の全面支援のもと多数の岩手県漁業者の代理人として、青森県庁と闘いました。数十年前から続いていた漁業紛争にケリを付けるため始まった事件は、苦心惨憺の末、実質勝訴と言える和解で終了しました。

7年前、長年の岩手のサケ産業システムに不満を持つ一部の岩手県漁業者による「サケ刺網訴訟」が勃発し、私は岩手県庁(水産振興課)の代理人として原告漁業者らと闘いました。この件も苦心惨憺の末、3年後に全面勝訴で終了しました。

ただ、岩手のサケ産業の現状に照らせば、ある意味、勝者なき闘いだったのかもしれません。彼らが数十年続けた闘争を終わらせるために起こしたのではと感じた訴訟は、裁判で語られたことの意義が世間に伝わることもなく、些か不毛さを残すものでした。

あくまで単発的なご依頼であり「地元の大物センセイ」でもありませんので、県庁の顧問などにご縁はありませんでした。

そして今、数十年前に行われた廃棄物の大量埋設事件で、被害者代理人として、岩手県庁(医療局)を訴える側の代理人として訴訟を提起しました。

自治体と関わる地元弁護士は数多あれど、こうした形で地元県庁と様々な関わりを持った弁護士は、珍しい部類に入るかもしれません。

提訴自体は、当日は地元TVで全局一斉に取り上げられたほか、国内向けWeb記事でも表示されていました。
軽米町が県を提訴 病院跡の廃棄物めぐり 総額1億9000万円の損害賠償請求<岩手県>|FNNプライムオンライン

反面、翌日の岩手日報では紙面の片隅に小さな記事が載っているだけでした。新聞には、訴訟の概要や事件の問題点などについて、提供資料などをもとにTVでは対応できない腰を据えた詳細な記事を書いていただければと願っていたのですが、その点は残念です。

ともあれ、この事件は数十年前に埋設された膨大な廃棄物の撤去費用などの賠償を埋設行為者に請求する事件ですが、以前に投稿した「あなたの街の森友学園事件」のとおり、全国に膨大な数の同種被害が潜在していると危惧されます。

とりわけ、数十年前とはいえ県庁が運営していた施設が起こした事件であることは関係証拠から間違いなく、県庁が県民から借りた土地に、現時点で1億強もの原状回復費用を要する投棄行為を行い放置し続けたことの当否を問うことは、県民にとっての県庁という存在の意味=信頼も問うことに他ならないと思っています。

本件自体の解決もさることながら、将来発覚する同種の事件で適切な対処がなされるようにするためにも、全力を尽くしていきたいと思います。

事件の適正解決のため、県民など多くの方々のご理解・ご協力も賜れれば幸いです。

ご近所の「ゴミ屋敷」に困り果てる方のための法的手段

かなり前の話ですが、朝のワイドショーで「愛知県豊橋市の市街地で、所有地上にゴミを放置している人がいて隣接企業や周辺住民が迷惑しているのに行政が何も対処してくれず、役所担当者は『ゴミ屋敷条例がないから無理だ』と回答するのみとなっている」という事例の紹介がなされていました。

事案の詳細は存じませんが、自己の所有地であっても、社会通念に照らし著しく不適切なゴミの放置をして周囲に迷惑をかけているのであれば、不法投棄ないしそれに準ずる行為(措置命令等の対象となる行為)に当たることは間違いありません(数十年前に産廃について散々に議論されたことですが、一般廃棄物にも当然にあてはまるべきものです)。

よって、行政は投棄者(放置者)に対し、屋敷条例云々がなくともゴミの撤去を命令することができ(廃掃法19条の4。措置命令)、投棄者がこれを行う資力がない場合であっても、自ら撤去(代執行)し、投棄者に費用の支払を求めることも可能です(同19条の7)。

土地所有者が投棄しているのであれば、当該土地を競売して回収することもできないわけではありません(銀行等の担保権があれば難しいでしょうが)。

一般的には、この件であれば、隣接企業や周辺住民は、放置者に対し、自身の権利侵害を理由に撤去等を求めることが可能でしょうし、豊橋市に対し、行政事件訴訟法に基づき措置命令の義務付け訴訟(と仮の義務付け申立)や代執行を余儀なくされた場合の放置者(所有者?)に対する費用求償の義務付け訴訟を起こすことができるはずです。

そして、これらは決して難解な法律論ではなく、一定以上の知見のある弁護士ならスラスラと言えるはずのことですので(現に、グーグル検索すると、弁護士の方が作成した文章が散見されます)、それを紹介ないし検討するところまで踏み込んだ放送内容にしていただければと思わずにいられませんでした。

もちろん、こうした問題に自治体(市町村)の腰が重いことは間違いないのでしょうから、自治体を現実に動かすという点からは、条例が設けられた方が望ましいことは間違いなく、法改正なども含め、未制定の自治体の住民の方は、関心をもって働きかけを行っていただければと思います(というか、盛岡市もゴミ屋敷条例は未制定でしょうから、私自身が、そうした努力をすべきなのでしょうが・・)

ともあれ、昨年から日弁連公害対策環境保全委員会・廃棄物部会長(名ばかり部会長なので、実態は雑用係)を拝命していますが(任期は来年5月まで)、本業では廃棄物処理法の知見を生かす機会に全く恵まれず、どうしたものやらです。

加除式書籍の追録執筆は続くよどこまでも

平成18年に、新日本法規出版社から日弁連廃棄物部会(のメインの先生)に「廃棄物処理法の各条文に関する網羅的解説を掲載した加除式書籍を出版したい」とのお話があり、平成15年に加入した私も執筆陣に加えていただき、措置命令の条文などの解説を担当したことがあります。
http://www.sn-hoki.co.jp/shop/product/book/detail_0572_8_0.html?hb=1

加除式書籍は改訂が必要になれば追録を作成しなければならないのですが、廃棄物処理法の性質上、法改正などが頻繁にあり、私が担当した箇所も、2年に1回くらいの頻度で作業の指示がなされています。

で、昨年12月に平成29年改正の追録の要請があり、年末が提出期限だったのですが、今年の年末年始は本業等に加えて私事で厄介事が勃発したこともあり、正月明けになってようやく、一晩で仕上げて提出しました。

今回の追録は重要な新設条文がある一方、それに対する解説書の類は手元に何もありませんので、開き直って、ネットであれこれ調べて大胆な仮説?を交えつつ、無理矢理仕上げたというのが正直なところです。

代表の先生方と出版社との協定で、最初に気持ち程度の報酬を頂戴したあとは、追録の原稿料は一切無しという日々を送らせていただいておりますが、そんなことにもめげずに、本年最初の一首。

新年の最初の徹夜はタダ仕事 今年の計も推して知るべし

と愚痴半分の戯言をFBにも投稿したところ、日弁連の医療観察法の解説書籍などを刊行されているO先生から「委員会活動で執筆したものは、印税=原稿料も含めて全て日弁連の収入になり、執筆者には(実費支給を別とすれば)一円も来ないので、最初の原稿料が入るだけ恵まれているよ」とのコメントをいただきました。

そのようにせざるを得ない合理的な事情(活動費や大勢の合宿など実費類が多いとか、出版元の経費リスクなど)があるのでしょうが、それだけ伺うと、日弁連から「中村修二教授もびっくりのブラック弁連」に改称した方がよいのではというか、いつか裁判する人が出てくるかもなどと、余計なことを考えてしまいます。

まあ、我々の書籍もそうですが、法律書籍の出版は自身の勉強を兼ねてという色合いが非常に強く、研鑽と発表の機会が与えられただけで感謝すべきというほかないという感じはあります。

追録の作業も直近の重要な改正を否応なくフォローできるというメリットは大きく、そうした意味では有り難いお話なのですが、困ったことに私自身が住民・業者・行政いずれの立場でも、未だに本格的な廃棄物紛争の訴訟等を受任したことがなく、せっかく勉強したことを仕事で活かす機会に恵まれていません(自宅建設用に購入した土地から廃棄物の不法埋設が発覚し関係者に責任追及した事案があり、その際は相応に役立ちましたが・・)。

まあ、東京から遠く離れた岩手で「何でも屋のしがない田舎の町弁」として仕事しているせいか、それとも岩手は廃棄物を巡る民事紛争などがほとんどない恵まれた土地柄だからなのか?、その辺は分かりませんが、まだ勉強が足りないから「そうした仕事」にも巡り会わない(選ばれない)のかもしれないと謙虚に受け止め、今後も廃棄物部会の活動を含めて精進していければと思います。

AKB商法の拡大生産者責任

AKB48のCDを「総選挙の投票券」目当てに大量購入した関係者が、CDを持て余して山中に数百枚も不法投棄して摘発されたという事件が報道されていました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20171017-OYT1T50037.html?from=ytop_main5

こうしたCDの大量廃棄やそのなれの果てとしての不法投棄は、AKB商法なるものが脚光を浴びるようになった頃から予測・危惧されていた事件ではないかと思いますが、環境法学では世界的な共通認識として、昔から「物を生産し流通させる者は、社会内で廃棄等による過剰・不当な負担・負荷が生じないよう適切な対処をとるべき義務(拡大生産者責任)」があるとされています。

残念ながら、我国の廃棄物処理法制では、それを具現化する規定が未整備なので「ボロ儲けした音楽業界の連中に廃棄費用を負担させるべき」と当然に言えるわけではありませんが、本来の用途(音楽鑑賞)を逸脱した大量購入・大量廃棄を必然的に招く商法に対しては、不法投棄の対処費用の負担だけでなく過剰販売そのものを禁圧する制度が必要ではと思っています。

日弁連廃棄物部会では、製品の無償引取(によるリサイクル)義務を製造者に課すよう求めており、販売禁止が無理なら速やかにその種の制度を導入して、メーカーにまとめて引き取っていただきたいものです。

また、AKBのCDに関しては、販売時にリサイクル料金を上乗せして購入者に支払わせるくらいの措置が必要ではと思わないでもありません。

投票券自体の販売はどうこう言うつもりはありませんが、そうした販売方法の規制についてメディアなどで提唱する方を拝見したことがないのは残念です。

少なくとも、処理施設での焼却であれ不法投棄の原状回復費用の貸倒(実行者からの回収不能)であれ、それらは税金の負担になるわけですから、環境面の負荷も含め、そうした事態を招来する行為は「華々しくもなんともない醜い営みだ」と抗議する声を上げていただきたいと思わざるを得ません。

日弁連廃棄物部会も、原発汚染廃棄物ばかりに取り組むのでなく、こうした点でも世間の目を引くような提言とかしてもよいのではと思ったりもしますが、万年実質ヒラ部会員の身には、望むべくもありません。

あなたの街の森友学園事件(後編)~全国に潜在する「購入した土地に潜み、いつか誰かが気づく埋設廃棄物」というババ抜き問題と対処策~

森友学園問題を通じて廃棄物処理法制のあり方を考える投稿の後編です。

この事件では一連の報道などを通じて様々な問題が世間に明らかになりましたが、仮に、これらの問題が露見しないまま校舎が建設され、その後、同学園が経営に行き詰まって倒産し、土地が競売となった場合を考えてみて下さい。

森友学園(競売の申立を受けた所有者)が「実は、この土地の地中に大量の埋設物があり撤去に本来は8億円も要するのに、1億円程度の工事しか実施しませんでした。今も7億円を要する廃棄物があります」などと裁判所の執行官(競売手続の主宰者)に申告すると思いますか?

また、旧所有者たる国の担当者が、その競売手続を聞きつけて、「その土地にはかつて大量の廃棄物が埋設されていた。森友はそれを全量撤去したか疑わしいので、きちんと調査して欲しい」などと執行官に通報すると思いますか?

そんなことが期待できるのなら、彼らは売買の際に原状回復をしているはずでしょう。特に後者(国の通報)については、当時の担当者の責任問題に直結する話ですので、自主的な対応が期待できるはずもありません。

かくして、競売手続では埋設の事実が露見しないまま、「不法投棄などの問題がない当たり前の土地の値段」で売却され、買受人が購入後に建物の建設のため土地を掘ってみたところ、あぁぁ、という事態が生じる可能性が十分にあるのです。

私は、昨年まで約2年半ほど、そのような展開を辿り、深刻な紛争に至った事件に携わっていました。

具体的には、10年以上前に大量の廃棄物が埋設された土地を事情を知らずに購入して撤去を余儀なくされたXが、その廃棄物を土地に埋めたと目される旧所有者Yらに賠償請求した訴訟を、X代理人として従事しました。

その件では、10年以上前に対象土地の所有者であったYが既存建物を解体し、Yが土地をAに売却→AがBに転売→Bが倒産して土地が競売→不動産業者Cが競落してXがCから購入→自宅の建築工事を開始したところ、最初に着手した地盤改良工事の際に地中の埋設が発覚→工事業者が調査し、Y側の埋設の疑いが濃厚と判明、という経過を辿りました。

廃棄物処理法の一般原則もさることながら、Xは自宅建築のための土地購入である上、地盤の問題などもありましたので、確認された埋設物(地中2.0~2.5m程度に埋められていました)の全量撤去を余儀なくされ、多額の工事費の負担を負う羽目になりました。

その後の調査で、Y社が建物の撤去を委託した地元の解体業者(既に倒産)が土地に不法投棄しYはそのことを知らずにAに売却したのではないかと推測され(知っていたら大問題ですが)、AもBも埋設の事実を知らず、当然ながら競売記録にも埋設の事実は表示されていませんでした。

以上を前提に、当方(X側)は、「本件埋設物はYが委託した解体業者が解体工事の際に埋設(不法投棄)したものである、Yは、解体業者に不法投棄をさせない監督義務(民法716条)を負っていたのに、それを果たさなかったのだから、不法投棄のためXが負った被害に対し、賠償責任を負う」と主張しました。

なお、埋設からは10年以上も経ていますが、被害者Xに発覚したのは最近ですので、時効(被害及び加害者を知ったときから3年)には該当せず、その点は争点にもなっていません。

Yは「当該埋設物はYの建物ではない(それ以前の所有者が埋設したものだ)」とか「仮にY建物の解体物を業者が埋設したのだとしても自分に賠償責任はない」、「X(が依頼した業者)が見積もった費用も過大だ」などと主張して徹底抗戦したため、様々な事情もあって裁判は長期化し、立証のため苦心惨憺の目に遭いましたが、裁判所から「まずまずの勝訴的和解」の勧告を受けてYも応諾し決着しました。

この件では、不法投棄の原因者(実行者)と目される者が倒産していましたが、委託者Yが大手企業でしたので「責任を負うべき者の全員が倒産し賠償金を回収できない」事態に陥ることは回避できました。

これに対し、その事件とは別に何年も前に相談を受けた例で、競売で某建設業者が使用していた土地を取得した一般の方が落札後に地中の調査をしたところ地中に大量の建築廃棄物の埋設があるのが判明したという相談を受けたことがあり、その件では、実行者が倒産していることなどから、上記のように賠償請求をするのは困難ではないかとお伝えしたことがあります。

また、私自身が管財人を担当した土木工事関係の企業で、会社の敷地建物を他社に売却できたものの、敷地内にコンクリート類を埋設していたという話があり、幸い、管財業務中に元従業員の方からその申告を受け、相応の調査を行って買主にも説明し、相当な調整をして売却したということもあります(10年ほど前の話なので記憶が判然としませんが、撤去を実施するなどして売却したはずで、放置した状態で委ねてはいないはずです)。

このような事案は、何も岩手に限った話ではなく、全国に膨大な件数が存在するはずです。その原因は、すでに述べたとおり、廃棄物処理法がかつてザル法と呼ばれ、建設関係や危険物・有害物質などを取り扱う事業者が、自社所有地への埋設をはじめ、かつて多くの不法投棄・不適正処理を行ってきた(それを阻止するだけの法制度ないし実務体制が整備されていなかった)点にこそ求められると思います。

根源的には、大地の尊厳を守るという我国の美点というべき基本的な意識が国民や企業に共有されていなかったことが強調されるべきなのかもしれませんし、それだけに、日本の伝統云々を強調する教育を標榜する学校が、廃棄物の埋設を平然と放置していることは、彼らの本質を言い当てているのではと思わざるを得ません。

以上を踏まえて、冒頭に述べたとおり、仮に、森友学園が校庭?に埋もれた大量の廃棄物について、埋設の事実を伏せて他者に売却した場合とか、撤去しない状態を続けたまま倒産→埋設の事実を報告せずに競売が行われた場合などを想定すれば、その後の取得者が撤去等の負担を不当に強いられることは優に予測されますし、その際に埋設の原因を作出した譲渡人=国が責任を回避できるのかという問題もあります。

とりわけ、前回も述べたとおり廃棄物は処理施設で法の基準に基づき適正処理を行うべきことが廃棄物処理法制により厳しく定められていますので、適正処理を行うべきことを知りながら完遂せずに放置した者は根こそぎ、その責任が問われてもおかしくありません

現在、問題の小学校が大阪府の認可を受けることができるのかという論点が生じているようですが、教育内容云々という点もさることながら、廃棄物の適正処理をしていない場所を教育の場として用いて良いのかという観点から問題提起をしていただければと思っていますし、直近の報道では、そうした理由で不認可などの対応がなされる可能性が高まっているように思われます。

だからこそ、こうした特異な事件で世間が騒いでおしまい、ではなく、前回に述べたような様々な論点を適切に対処したり同様の事態を繰り返さないための法制度が構築されるべきで、その点に関する認識や議論が深まればと願っています。

あなたの街の森友学園事件(前編)~埋設廃棄物を含む土地を撤去費用を差し引いて購入した者が撤去せず放置した場合に生じる法的問題と対処策~

本日現在、様々な疑惑や法的問題が噴出し益々ややこしい展開になりそうな森友学園事件ですが、処理費用の見積の適正とか政治家の介入とか教育理念・手法の適否や教育基本法との抵触などといった問題はさておき、廃棄物の処理のあり方という点に関しては、昨年までこれに類似する事件に携わり、悪戦苦闘した経験のある者として、色々と考えさせられる面があります。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170216-00010000-bfj-soci

この事件の発端は、過去の様々な経緯で膨大?な廃棄物が埋設された土地を行政が取得し、そのまま放置していた点であり、廃棄物問題(環境問題)の観点からは、廃棄物が埋設されている土地を処理費用を買主が負担するとの前提で「本来の価格Aから、処理費用として見積もられた額Bを差し引いた金額C」をもって代金とすると合意して売却したのに、買主(森友学園)がこれを全部撤去(原状回復)せず一部(大半?)を放置したまま学校の建築を行ってしまったという点が、最大の問題だということができます。

この点について論点を整理するとすれば、次のようになるかと思います。

①廃棄物が埋設された土地を旧所有者(売主)が自ら適正処理することなく他者に売却して良いのか(代金から控除などという手法を採るくらいなら、その額を納付ないし適正な処理業者に支払わせ廃棄物の全面撤去を見届けてから売却すべきではなかったか)という問題

買主(新所有者)は適正処理をするとの前提で代金から処理費用を控除して購入したのに、直ちに処理をすることなく(売買時に負担すべき「代金」からの控除という観点からは、購入と同時に行うべきではないかと思われるのに)、除去をしないで土地を使用(校舎建築や校庭造成など)させてよいのか(そのような行為を規制=事前に廃棄物除去を義務づけなくてよいのか)という問題

③買主が本来の土地の評価額から控除対象とした「処理業者が作成した撤去費用の見積額」が適正なのかという問題

④仮に、買主が、このまま廃棄物の除去をしないまま倒産など「自ら廃棄物の除去をすることができない状態」に至った場合、土地に埋設された廃棄物は誰が、いつ、どのように除去するのか(費用を誰がどのように負担するのか、撤去はいつどのようにして実現されるのか)という問題

なお、前提として、このような問題を考える上では、その廃棄物がどのような原因で誰により埋設されたのか(誰の廃棄物なのか)という点も明らかにすべきですが、この点は、報道によれば、もとは民家などが建っていた土地を空港騒音対策の一環として買収した土地とのことで、買収時まで対象地を利用していた民間人(民家や工場など)が、何らかの事情で排出した物ではないかと推察されます。
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni3?utm_term=.xj9Jra03m#.lv7RJDweV

或いは、買収の際に、騒音のため活用できない土地だと軽信して当時の所有者(元売主)側で埋設したのかもしれませんし購入側(行政)の委託で買収地の建造物の撤去などを受注した解体業者などが不法投棄したという可能性も考えられます。売主側で撤去する前提で買収がなされたのなら、売主から受注した解体業者が不法投棄したと考えられ、私の経験した事件との比較では、この可能性が最も高いのではと思わないこともありません。

ともあれ、廃棄物処理法では、産業廃棄物(事業活動に伴い生じる廃棄物の大半)であれ一般廃棄物(その他の廃棄物)であれ、廃棄物はすべて法定の基準に基づき処理されるべきものであって、それをせず許可された処分場でもない一般の土地の地下に埋設するのは基本的に不法投棄に他なりませんので、本来は、その状態が「生活環境の保全上の支障(廃棄物処理法19条の4、同5など)」が生じているものとして、一刻も早くその状態を是正(原状回復)する措置が講じられるべきです。

そのような観点からすれば、

①土地所有者たる国が、今回の森友学園への売却にあたり、自ら埋設廃棄物の撤去をせず、又は、買主側で撤去するというのであれば、「買主が全量撤去を終える(適正な原状回復をする)ことを条件とする売却」などという措置を講じることなく、漫然と「撤去工事費用相当額を代金から控除して、実際に撤去するかどうかは買主の対応に委ねた」ことは、廃棄物処理法の理念に悖るというべきですし、

②買主(森友学園)が、撤去工事を自ら行うことを条件に代金の値引を受けて購入したのであれば、特段の事情がない限り、直ちに撤去工事を行った上で土地を利用するとの前提で購入したものと見るべきで、それをせずに廃棄物が埋設された(それどころか埋め戻した?)状態で土地を利用しようなどというのは、廃棄物処理法の理念に悖るというべきですし、

③現在の売主・買主の責任を問う以前に、廃棄物の埋設を行った張本人や、そのことに監督責任がある者は、特段の事情がない限り、その廃棄物を撤去すべき責任があるというべきで、本来は、土地所有者たる国や、廃棄物処理に対する監督責任のある行政(大阪府など)が、その点に関する事実関係を明らかにして現時点でも何らかの形で投棄行為者の責任を問うたり自主撤去などの任意の対応が得られないか検討、交渉することができないか検討することが、廃棄物処理法の理念(ひいては措置命令など諸規定)から求められているというべきだと思います。

特に、③については、行為者(本来の加害者)などに責任を問うことができなければ、売主=国=税金の負担で撤去(又は今回のように撤去費用を控除した売却)せざるを得ないのですから、なおのこと、この問題を軽視、放置するのは適切ではありません。

また、仮に、森友学園が学校不認可などの事情で倒産に至った場合、地中の廃棄物を誰がどのように除去するのか(してくれるのか)という問題が生じますが、その点(所有者の倒産後の所有地に埋設等された廃棄物の撤去等の確保という問題)についても、現行の廃棄物処理法は十分な制度を設けているわけではありません。

だからこそ、世論には、政治家の関与云々とか処理費用の見積の適正などの不正の有無、森友学園の教育手法の問題などといった点に限らず、「廃棄物まみれの土地を、どのように適正に原状回復するか、その費用は誰がどのように負担するのが適切なのか」、さらには、「こうした問題を再発させないため、廃棄物処理法をどのように改善すべきなのか」という問題についても、真剣に考えていただきたいと思います。

上記に即して言えば、

①自己の所有地に廃棄物が埋設されていることを知った者は、土地の売却時に、少なくとも売得金の限度で当該廃棄物を撤去すべき義務を負い、それを優先的に実施する(買主にさせる)ことなく売却できないものとする。

②廃棄物が埋設等されている土地を購入しようとする者は当該廃棄物を除去して原状回復した上でなければ、土地を利用することができない。除去に要する費用については代金からの控除を求める(そのような意味で売主負担とする)ことができるが、除去費用が土地の対価を上回る場合は、一定の条件のもと、廃棄物処理センター(廃棄物処理法15条の5)などが運営する基金制度から相当な支援を受けることができるものとする。

③廃棄物の埋設などを行った者は、原状回復に関する私法上及び廃棄物処理法上の責任を永久に負うものとし、売買時に瑕疵担保責任の免除などの合意(豊洲新市場でも話題になってますが)をしても特段の事情がない限り無効とする。但し、埋設等の際にこれを正当化せざるを得ない特段の事情があれば、内容に応じて減免することができる。

④廃棄物行政と法務局が連携し、土地に埋設された廃棄物等についての情報を収集して登記事項に掲載し、除去がなされない限り埋設情報を抹消してはならないものとする。なお、所有者等が埋設情報を把握した場合は、所定の方法で行政に申告すべき義務を負う。

といった制度を設けるべきではないかと思います。

少なくとも、現行法上は、土地の性状(汚染や埋設物等の有無)の公示制度(所有者への調査義務などを含め)がありませんので、土地を購入する者は、購入した土地が不法投棄や汚染等の問題があるかどうか必ずしも知ることはできませんし、取得した土地に埋設等が発覚した場合に、所有者に原状回復を義務づける制度も十分ではありません。

だからこそ、本来なら率先して撤去をすべき国自身が、このように廃棄物の埋設(不法投棄)を継続させたまま他者に土地を譲渡して撤去の有無を無責任的に(売主側が責任を持つことなく)委ねてしまうという出鱈目な事態がまかり通ってしまい、国政の混乱と共に怪しげな出来事や税金や政治資源の浪費などを招いています。

廃棄物処理法は、かつて「ザル法の典型」と呼ばれ、平成以後は全国で頻発した大規模不法投棄事件なども踏まえて強化の一途を辿りましたが、現在も様々な「法の隙間ないし狭間」が存在しています。

だからこそ皆さんにも廃棄物処理法制や実務のあり方に関心を深めていただきたいと思わざるを得ません。

また、森友学園の一連の問題が現時点で露見せず、後日に埋設が発覚した場合を考えると、さらに厄介な問題が生じる可能性があります。そして、そのような問題(人知れず廃棄物の不適切な埋設=不法投棄が潜在している土地)は、実は、我が国には現在、潜在的には大量に存在しているのです(先日の築地市場を巡る報道も、そうした現実を示すものでしょう)

そのことは、私が現に扱った事件などを踏まえて次回に触れますので、次回もぜひご覧下さい。