北奥法律事務所

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個別の法的問題等

尋問の東京出張からキュビズム経由で縄文の思想と近代の超克を考える

昨年末、約20年ぶりに東京地裁で尋問のため出張してきました。本来は色々な意味で尋問などの重い手続には相応しくない親族間の少額の金銭問題に関する事案であり、当方は穏当な解決を目指してきましたが、相手方が強硬な対応に終始し、やむをえず尋問・結審となった事案です。

この件に限らず、ここ数年「親分肌(姉御肌)だが我が強く自分本位な御仁に振り回され、弱者いじめのような扱いを受けた人が、これ以上は耐えられないと思って私に相談し、その後も相手御仁が不当・強硬な要求を続けたため、やむなく訴訟等に至るケース」の受任が多いような感じがします。

その種の事案は受任の時点で何らかの不利な条件が生じていることが珍しくなく、相手方はそれをタテに因業な要求をしてくるのが通例で、絵に描いたような古証文事案も複数あります。

そのうちの一つは、テレビをご覧の岩手県民なら誰でも知っている著名企業の創業者が、子分格の小規模企業経営者を長年いじめていた事案で、都会の豪腕弁護士さんと死闘を繰り広げた末、当方勝訴の心証開示を前提に、ご本人の希望で手打ちのような形で譲歩した勝訴的和解をしています。

昨年は、因業な元街金業者に長年いじめられた「保証人の保証人」たる債務者の代理人として、古証文事案で時効が成立するか激しく争い、無事に当方主張が認められ勝訴確定した事案もありました。

が、私自身も似たような経験を昔も今も余儀なくされている?せいか、この種のご依頼は絶対に負けさせるわけにはいかぬと死に物狂いで取り組む結果、時間給換算で大赤字となるのが通例で、ぢっと手を見るばかりの日々です。

***

というわけで、今回も数年ぶりの東京に、「長時間出張でますます大赤字だ」と全く嬉しくもなく行ってきたわけですが、せめてもの悪あがきということで、国立西洋美術館のキュビズム展に立ち寄りました。

私は高校1年次にパリのオルセー美術館でミレーの晩鐘に感動して以来(ここだけ昔の自慢話・・)、モネとかコローなどの素朴で美しい印象派の風景画ばかりを好んで見てきたので、キュビズムに小利口なことを言える身分ではありませんが、それでも、私も年を取ったというか、昔よりも色々と考えたり感じたりできるものがあったように思います。

個人的に一番感銘を受けたのは、キュビズムの源流がアフリカやオセアニアなどのいわゆる未開文化が創り上げた、祝祭や呪術などに用いていたとみられる異形の木像などである、という冒頭の解説でした。

そこで展示されていた西アフリカの木像の目とピカソの「キュビズム直前期」の女性画の目が酷似しており、ああ、これが元ネタなんだと素人目にも分かるものがありました。

企画展の入口で、これまでの絵画は(被写体たる人物や風景の)模倣に過ぎないが、キュビズムとは創造を目指したものである、と書かれていました。

ピカソ達の作品は、当時の西欧社会内で、この木像などと同じ役割・機能を果たすことを目指していたのではないかと思いました。

アフリカやオセアニアなど(いわゆる第三世界)では、意味づけや役割などが判然としない異形の人物像などが多く作られていたことは現代では誰もが知っているところですが、これらの異形の像は、現地の何らかの儀式に使われたり、或いは部族支配者の権威付けに用いられるなど、何らかの呪術的なメッセージを伴っていると考えられていると言って良いと思われます。

ピカソ達は、「なんだこれは」と人々が驚くと共に、知性や悟性(思考能力)では捉えることができない、禍々しさも含むのかもしれない何らかの異形の価値を社会に見せつけることを狙って、ああした異形の作品を送り続けたのではと思いました。

やがて多くの人々がキュビズムに熱狂し、その後、それまでの宗教画や印象派絵画とも全く異なる様々な抽象絵画が生み出されたのは、その絵画等に、自分達がまだ言語化できない、呪具・呪物のような得体の知れぬ価値が宿っていると感じたからなのかもしれません。

そのため、キュビズムひいては現代芸術を理解しようと思うのなら、源流・発祥とも言えるアフリカなど第三世界(グローバルサウス)の呪術文化を理解することから始めなければならないのではないか、しかし、現代社会は、果たしてその努力をどこまでしているだろうか、どこまで成果を挙げているだろうか(それこそ、我々の方が発展途上なのではないか)とも感じました。

それと共に、日本で「なんだこれは」と言えば岡本太郎ですが、彼が「発見」した縄文の異形の諸像は、アフリカなどの異形の諸像に通じるものがある、だからこそ、欧州の芸術家は第三世界に惹かれ、同時代の欧州で育った岡本太郎は縄文に惹かれたのだろうと思いました。

第三世界のプリミティブな文化と縄文の思想。

双方の根底には何某か通じるものがあると共に、現代を今も覆っている近代欧州文明の閉塞感を打破する何かが潜んでいるのかもしれません。

本日は企画展の料金で常設展もOKと言われたので、常設展も20年以上ぶりに拝見しましたが、キュビズムのあとに16世紀の宗教画を見ると、あれもこれも同じ「絵」なのか、絵とは何なのか、何のためにあるのか、などと目眩を感じる面があり、そうした感覚にまどろむ意味でも、常設展も併せてご覧になって良いのではと思いました。

あと、地域限定ネタですが、個人的には、ゴンチャロワさんというロシアの画家さんに親近感を持ちました。

余談。

これまで家族で東京に立ち寄る際は、いつも家族の申入で駅のコインロッカーを利用していたので、今回もその習慣で400円を払ったのですが、美術館に入館した直後、ああしまった、ここならタダだった(しかも駅の目と鼻の先なのに)と後悔しました。

というわけで、帰りは贅沢駅弁を諦めて、戒めの500円ニューデイズ唐揚弁当を泣く泣く・・もとい美味しく頂戴しました。

小さなことにクヨクヨしろよ(見城徹語録集より)。

地方の外国人当番弁護士に関する通訳の実情とげんなり感

3ヶ月前の話です。

12月上旬は、例年、賞与の原資確保(そもそも支給できるか・・)に悩みつつ、外食もできず安価な配達弁当に依存する日々となっています。

誕生日 自分にパスポを贈れども
店には行けず ただ見てるだけ

おまけに、当番弁護士で逮捕直後の外国人の接見に行けとの配点を受けたのですが、通訳の手配の関係で散々な目に遭いました。

外国人事件の配点自体が10年以上ぶりだったので、あれこれ調べ直した上で弁護士会の通訳人名簿に従って電話したところ、不通とか無理の返事が続々続いたほか、別人の番号(名簿ミス)だとか何年も前に東京に転居したなどという返事まであって、結局、名簿の10人以上の対象語の通訳さんがまさかの全滅(唯一きちんとお話ができた方は、本人の取調で通訳を担当しているので無理と言われる始末・・)。

もはや、20年も前の東京時代の刑事当番の経験をさほど覚えているわけではありませんが、通訳さんの手配で苦労した経験はなかったので、色々な意味で、あんまりだと思わざるを得ませんでした。

やむを得ず裏技的な方法(非違行為ではない)で接見だけはこなしましたが、原則として当日の接見が求められる逮捕直後の当番出動は、通訳の手配が不可欠な外国人事件では、かなり無理筋である(のに、弁護士会は対策を打っていない?)という印象が否めません。

弁護士会で通訳手配をして貰うのは無理でも、せめて通訳さん手配に関する直近の役立ち情報を会内で共有・提供するとか、何人か電話して手配できなければ、本格的な接見は被疑者国選弁護人の選任を待って行うものとする(当番は通訳を手配できなくとも簡易な説明翻訳文書の差入等の接見方法でも良しとする)など、現場に無理を強いない制度設計をお願いしたいものです。

或いは、最近世間で出回っている?簡易翻訳の機械を接見室に持ち込めるようにできれば、それが一番良いのかもしれませんが・・

というわけで、「その日」のとっても有り難い配点に心から感謝する一句。

お祝いに この仕事くれた弁護士会

 

日本語しかできない田舎の町弁が従事する、外国人相談の現状と本音~その2~

標題のテーマに関する前回投稿の続き(後編)です。

県庁(アイーナ)の外国人向け無料法律相談会で、A国籍の県内在住外国人の遺産相続という準拠法が大きく関わる案件について、事前に幾つかの文献を調べてまとめた内容を担当者にメールしていたところ・・

なんと、当日になって、本人がドタキャンしてきたとの連絡を県庁担当から受けました。

この企画は、会場で本人から相談を受けなければ日当が出ませんので、事前の準備は完全タダ働きとして水泡に帰すほかありません。

ご担当にはメールを本人に転送しても構わないと書いたので、或いは、本人がメールで目的を達し取り止めてきたのでは・・・(事前に返信しなきゃよかった?)、と思わないでもありません。

そういえば、今日も、(日本人相手ですが)そういう話ありましたし・・

そうであれば、実質的に相談を実施したものとして県庁は相談料を支払っていただきたいものですが、そうはならない(お役人さん達は給料を貰うが、チンケな出入り業者はタダ働きを強いられる)のは、この種の話(お役所絡みの仕事は、親切にすればするほど徒となる)のお約束なのでしょう。

が、ともあれ、弁護士にとっては「あるある」の類と言わざるを得ないでしょうから

この腹いせに、排外主義に転向しよう

とか

誰だ、外国人相談なんて日本人向けと大差ないなどと言った奴は

などとケチなことを言うことなく、せめて、相談者A国人氏が、私のメール?も活かして、何らかの形で日本に肯定的な影響を及ぼしてくれるよう願いました。

***

3回目は、10年以上前に来日し日本人男性と結婚した熟年アジア系女性が夫の死去に伴い相続紛争が生じたというご相談でしたが、この方も、10年以上日本に居住しているのに、全くと言ってよいほど日本語が話せず、通訳等の対応ができる友人等もおられないようでした。

アイーナ相談は県庁側で手配した通訳さんが対処するので、一定の意思疎通はできましたが、通訳さん自身が当該国のご出身の方?らしく、相続を巡る日本の様々な制度や実務もあまりご存知ないようでした。

そのため、それらを通訳さんに説明するだけでも難儀で、まして、ご本人の相談の核心となる論点への対処をあれこれ説明しても、砂漠に水をまくような印象は否めませんでした。

結局、様々な困難な論点があるように見受けられたものの、当方にはその紛争への対応は無理である=同国人同士の繋がりを通じて、当該言語への対応が可能な東京の弁護士さんなどを照会してもらうほかないのでは、と回答せざるを得ませんでした。

***

近年このような「働けど働けど」仕事ばかりが続く感が否めず、憑き物があるのかと泣き言の一つも言いたくなりますが、ともあれ、開運を願って橋を往復し続けたいと思います。

今般、岩手弁護士会にも、在外実務経験があったり英語が堪能だと聞く先生方を中心に、外国人の権利救済を目的とする委員会が発足したのだそうで、今後はそちらの方々が専門能力を活かして?相談会を担当されるものと思われます。

というわけで、私の屍を無駄にすることなく、今後、確実に予想される外国人の大量入国(大移民?)などに伴って生じる法律問題の解決に尽力いただければと思います。

 

日本語しかできない田舎の町弁が従事する、外国人相談の現状と本音~その1~

今回は、外国人向け相談に関する小話(前編)です。

数年前から弁護士会の某委員会と県庁の協定により外国人向けの無料相談会が県内でも年数回行われており、応募したところ、昨年は3回の配点を受けました。

最初に担当された方は、「相談の中身は交通事故とか日本人向け相談と大差ないものばかりだった、日本語も全面OKの方ばかりだった(ので、日本人の相談と何も差がなかった)」と豪語?していました。

ですので、語学能力も外国人向けに特化した法制度等の知識理解もさほど必要ないのかと安心して応募したのですが、

よくもそんなインチキ話をしてくれやがって

と言いたくなるほど、ズブズブの本格的な外国人相談ばかりでした。

1回目は、東南アジア出身の女性が日本人DV夫から子連れで脱出(シェルター保護)したので、これから離婚手続などをしたいというものでした。

事前に相談概要のメールが来たので、日本語が全く話せない外国人が調停などを行うための手法(現実的に利用可能な制度の有無など)について、(これまで経験がないので)あれこれ調べました。

結局、法テラスによる通訳利用などにも様々な限界があり、現状では、知人や大使館などを通じて外国人向け支援団体を探すか、最低でも、英語が堪能な弁護士さんに依頼すべきでは(当方は良好な対応が困難)と回答せざるを得ませんでした。

この点は、現在の法律実務の不備が大きいのではと思われ、少なくとも、日本語を使用できない外国人の離婚調停等に対応する通訳支援(税金等を含めた基金制度)と迅速解決の仕組みが整備されるべきと感じます。

***

2回目は「A国籍(西欧系。米国ではありません)の県内在住外国人(配偶者は日本人)が遺言作成の相談をしたいというもので、県庁担当からのメールには、

「遺言書は、日本語で書かないとダメだ(英語ではダメだ)と書いてあるサイトがあり、本人が不安になっているので、その点は分かるか」

などと書いてありました。

日本国内に資産を有する外国人の遺言という問題は、日本法と本国法のどちらが優先するかなど、外国人に特化した様々な制度や議論が複雑に絡み合うテーマですが、私自身は「外国人が遺言を作成する事案」の相談を受けた経験がありません。

やむなく、長年、事務所内で出番のなかった文献群を色々と調べ、次の内容をメールで書いて返信しました。

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①外国人が外国語で自筆遺言証書を作成することは(民法の方式に適っているのであれば)可能・有効である

②但し、日本国籍ではない以上、本国=A国の法律の適用を受ける可能性がある。

一般論として、本国(A国)の財産は、本国法に従った遺言書の作成を要するが、日本国内の財産は、日本で作成した遺言書により処分できる(A国法が、日本法の適用を認める)ことが多いようである。

この点は、A国で渉外事務を扱う弁護士にも相談した方がよい(A国籍である以上、日本国内の資産の処分であっても、すべて日本の法律で大丈夫と思わない方がよい=同国弁護士にも相談すべき)

③日本国内の財産を遺言により確実に処分したいのなら、公証人役場で公正証書を作成すべきで、その場合は役場と相談の上、信頼できる通訳を交えるべき

なお、当職がWebで調べた限り、外国語で遺言ができないと書いたものは見ていない(上記と同趣旨のことを書いているものは確認した)。

以上の理由から、遺言の対象となる相続財産が日本国内のものであれば、通常の遺言事案とさほど変わらない説明ができるとは思われるが、本国等の財産であれば、当職が手も足も出ない=本国等の弁護士に相談し対処すべきで、その点を担当から確認していただきたい。

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すると、当日になって・・・(以下、次号)

 

公的団体の内部不祥事と公表の議論を巡る内部の光景

先日、JR東日本が社員の着服事件を外部公表していなかったことを取り上げる記事が出ていました。

以前、私も所属する某団体で、この報道(従業員の横領事件)と似たような問題が生じたことがあります。

役員の方々が大変尽力され、団体の被害は完全回復されたそうなのですが、その事案を対外的に公表するか、団体内で議論がありました。

私は会場に赴かずにズーム参加したのですが、過去に団体の役員をつとめた有力会員の方からは、内部の問題であり公表不要との意見があり、会場内では異論がなされていないようでした。

私は、その団体が強い公的性格を持つ(と世間一般が感じている)以上、不公表は適切ではない、お役所や金融機関などで同種の不祥事が起きていれば必ず公表するだろうから、当事者等を特定する情報を全て伏せた上で、このような事件自体はありました、と公表すべきではないかと意見しました。

すると、会場内の他の有力な会員の方から「役所などとは全然違う」などと、それに強く反発する反論を受けました。

明言はされていませんでしたが、不祥事を起こした方は、長年その団体のため多大な尽力をされ、多くの会員が自分達の身内だと感じてきたような方であり、「どうしてお前は(本人が事実を全て認めて被害回復も実現したのに)自分達の仲間を苦しめようとしているのか」と非難するニュアンスを強く感じました。

その後、大ベテランの方から、私の意見に理解を示すコメントがあり、それ以上、他に意見もありませんでしたので、あとは役員の方々に一任することになりました(誰も意見は言いたくなかったでしょうし、私自身、公表を主張する方が他にいたなら、好んで意見をすることはなかったでしょう)。

それから少しして、結局、私の意見どおり、その団体が、当事者等の特定情報を全て伏せた上で、その事案について公表している報道を拝見しました。もともと外部への被害がなく内部では解決済みということもあり、それ以上、世間でその件が取り上げられることはなかったと思います。

そのことを、この話を伝えても許されるであろう、ある方に話したところ、「仮に、公表せず伏せていれば、週刊誌などで批判的なニュアンスを交えて取り上げられ、団体や業界の信用を傷つけることもありえたのではないか。上記のやり方が正解というほかない。誰かが、そうすべきだとの意見を言わなければならなかったのだ」とのコメントをいただきました。

ただ、自分達の仲間を守りたい、内部で責任を取ったのだから、それ以上は苦しめたくないという方々の心情も、何一つ間違っていないと思います。

確実に言えることは、私はその団体では昔も今も末端ヒラ会員であり、残念ながら、団体内の多くの方々と、あまり親しい関係を築けず疎遠なまま終わりそうだ、ということだけでしょうか。

或いは、その方が、司法の世界に身を置く者らしいのかもしれませんが。

 

無料掲載を装う悪徳求人広告被害について

最近は沈静化したと思いますが、5年ほど前には、小規模企業に対し、インターネットで求人広告を掲載するとの勧誘を行い騙し討ちのような形で不当な高額請求を行う業者が全国規模で多数出現し、その相談を受けたことが何度もありました。

それらの業者は、あたかも無料掲載であるかのように装いつつ「無料掲載は最初の短期間だけで、その期間を経過すると高額な有料掲載に自動更新する契約であり、お宅はそれにハンコを押した。よって数十万円払え」という請求を行うのが通例で、安易に応じてしまった多くの事業主が泣かされる事態が膨大に生じました。

当方も当時は数件の依頼を受け、いずれも「悪徳商法だから一切払わない」などと抗戦したところ、運良く?ゼロ和解ができたり、膠着状態でそのままとなったり、当方が了解可能な少額な解決金で決着するなどの経験をしたことがあります。

この件は今も全国で続いているのだそうで、私も形だけ参加している同業者の情報交換サイトMLでは、活発な意見交換がされているようです。

悪徳業者と名指しされた業者の中には、(恐らくは対決姿勢を示して支払っていないのであろう)歯科医院に対し、「虫歯などの酷い画像を付けた負の広告」を出してくるという挙に及んでいるものもあり、それを見たときは呆れるばかりでした。

以前、闇金が「(刑罰金利を前提とした悪徳融資の)返済をしなかった女性について、事前に送信させた裸の写真をネット上で掲載している」との報道も見ましたが、それに類するような酷い話だと思いました。

こうした事案に限らず、事業者の皆さんには人手不足などの問題があっても安易な電話等の勧誘に応じることなく、求人などの課題は健全な常識に適う方法で解決を図っていただきたいものです。

 

国会を少数精鋭の府に~歳出削減と定数不均衡の一挙解決策としての間接選挙制~

国会も地方議会も、議員数が多すぎるとか、国会議員の報酬などが(労働ないし人物の質に比して)高すぎるなどという議論がある一方、小選挙区制では一人一票の原則(投票価値の平等)を守るには、相応の議員数が必要だと言われています。

その是正策として、近時は中選挙区の復活論も耳にしますが、もっと抜本的な解決策を考えてもよいのではと思います。

例えば、盛岡選挙区では10人前後の選挙人を有権者が選び、当選した選挙人達(全国で2000人程度の規模)の互選で数十人~100人以内程度の議員を選ぶという方法(間接選挙型の国会議員選挙)はどうでしょう。

選挙人は基本的に議員の選出を行うだけの仕事とし、さほどの負担がないことから実費等を除けば原則として無給とします。

国会で討議を行うのは「議員」のみですので、「選挙人」のため新たに施設を作る必要もありません(投票=議員選挙はしかるべき場所で実施すれば足りるでしょう)。

これなら、①選挙人なら若者など就労中の者も立候補が容易、②選挙人を全国で2000人規模とすれば人口比で調整可能なので、定数(人口比)問題も一挙解決、③有給の議員数を大幅に減らすので、税負担も減り、人材の少数精鋭化にも資する、と考えます。

また、選挙人に選ばれる国会議員は、現在の金額に匹敵する相応の報酬を支払う代わりに原則として議員活動に専念させる(兼業禁止・許可制)ことで良いと思います。

現行制度は、大物歌手のような特別な経歴・知名度を有する若者しか立候補できないとか、逆に国民代表として相応しいと思えない残念な行状が露見している方でも有力政党の所属であるというだけで選出されてしまうバランスの悪さが否めません。

国民全体から「誰を代表にすべきか」の判断のみを託された2000人?程度の選挙人が、各人の見識や所属政党などに応じて国会議員を選ぶなら、知名度が極端に有利になることなく、能力や識見などを備えた御仁が選出される可能性は高まるように思われます。

また、選挙人は、選ぶだけでなく、個々の議員の解任権も持つ(その議員に投票した面々が過半数での解任権を有する)ものとすれば、国民の多くが望むであろう、任期中に重大な不祥事等を行った議員へのリコール制度を、間接選挙人の投票による議員の交代という形で、さほど高額な費用をかけずに実現できるでしょうし、国会議員側はもちろん選挙人自身も緊張感をもって仕事ができそうな気がします。

このような制度をとる以上、選挙人による議員選抜(間接選挙)は、秘密投票ではなく国民全員に投票行動が判明する公開(顕名)投票とします。

選挙人が選ぶ国会議員(専業議員)の出身地域は必ずしも人口比にこだわらなくとも良く、都市と地方・東西のバランスを確保すべきとの原則を定めた上で、基本的には選挙人の判断に委ねて良いと考えます。

人口比に応じて選ばれる選挙人が各人の判断で国会議員を選ぶ以上、「代表者の選出に関する国民一人一人の投票価値の平等」は担保されているとの認識に基づくものです。

このように考えれば、一人一票の原則を守りつつ国会議員の大幅減員による税金削減と質の確保の双方を実現できると思われるのですが、どうでしょう。

同様の試みは、国会だけでなく地方議会(県議会・市町村議会)でも行ってよいのではと考えます。例えば、間接選挙を前提に、専業議員は「地方自治のプロ」として辣腕を振るう力のある数人程度に大幅に絞り込み、その代わり、選任時に期待された実績が出せないと、選挙人の判断で相応の期間で任期終了・解任するなどの形で緊張感のある議会運営をさせてよいのではと思われます。

それこそ、地方自治法14条などを改正し、条例で独自の機関設計が一定程度できる制度ないし特区を設けてもよいのではないでしょうか。

現行法制度を詳細に検討した上で述べているわけではありませんが、案外、憲法改正をしなくとも公選法その他の改正で実現できそうな気もしますので、選挙制度の専門家などに試案として考えていただければと思っています。

 

盛岡市議との懇談会と「弁政連のあるべき活動」に関する幻の意見書(第3回) 

前回に引き続き、先日の盛岡市議さん達との懇談会のため用意した(ものの、ボツ扱いで葬られた)レジュメを載せます。

今回=資料2は、盛岡市議の方々に、地方議会・議員として弁護士という存在=インフラを、どのように活用いただきたいか、考えたことをあれこれ述べています。

標題のテーマ(地方で執務する弁護士が、地方における民主主義と人権保障の拡充の向上のため何を考え何をすべきか)に関心のある方は、ご覧いただければ幸いです。

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資料2 弁護士・弁政連と市町村議会議員の交流等のあり方に関する一考察

皆さんは、上川あや「変えてゆく勇気」(岩波新書)を読んだことはありますか?

これは、性同一性障害が社会に認知される以前の時代に、その「心」を持って生まれた筆者(MtF)が、艱難辛苦を乗り越え前向きに生きようとすると共に、区議会議員に立候補して当選し、性同一性障害性別取扱特例法(特定の要件のもと、戸籍上の性別を変更=人格に適合させることができる法律。先日、手術要件の違憲判決がなされた)の制定運動にも携わった方が、立法運動を含むご自身の半生を語った本(平成19年出版)です。

僭越ながら、私は、この本に、資料1で述べた「住民の民意反映と人権保障の担い手」としての地方議会議員の「あるべき姿」の一例を見る思いがしています。

と同時に、本書で描かれた上川議員の熱意と工夫溢れる立法活動を拝見すると、社会的的課題を立法(法律制定)によって解決するためには、立法化を強く希望する方が当事者として地方議会議員となり主要国会議員(政府を運営する関係者)に強く・賢く働きかけ理解を得る形をとらなければならない(そうでなければ実現は困難であろう)と感じます。

今や、盛岡をはじめ各自治体で「同姓パートナーシップ制度」の導入が盛んに行われていますが、本書が出版された平成19年当時には、現在の光景はほとんどの人が想像していなかったでしょう。

当事者でもある上川議員に限らず多くの方々の地道で熱心な活動の積み重ねと、それが(世界の潮流も含め)徐々に社会内で理解を得てきたことが、現在の光景に繋がったのだろうと思われます(某市長の当選もそれに似ているのかもしれません)。

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このような「小さい(ごく少数だ)けれど切実な声」は、LGBT等に限らず、社会に様々な形で存在しているのだろうと思います。自分達の地域社会に間違いなく存在するであろう、そうした声を拾い集め、専門家の力を得て、様々な艱難辛苦を受けつつも現実的に可能な解決に向けて努力していく。それこそが、皆さん(地方政治家)や我々(地方のフツーの弁護士)のあるべき仕事の一つであろうことは、申すまでもありません。

医療の世界では「かかりつけ医」が提唱されて久しいですが、地域の伝統的な相互扶助システムが崩壊し揉め事を仲間内で解決することが困難となった現在では、社会生活上の病の治療の担い手としての弁護士の果たすべき役割が飛躍的に増大しています。

そうであればこそ、地域住民の多くが、ご自身や大切な方に問題が生じたとき解決を真っ先に相談に行くべき「かかりつけ弁護士」を持つべきと言えるでしょうし、かつての「二割司法」の時代は弁護士大増員により終わりを告げ、それが可能な人的供給は十分に整えられた(整えられつつある)と言えます。

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とりわけ、支持者・支援者をはじめ多くの地域住民と関わりを持つはずの地方議会議員の方々は、様々な困りごと・悩みごとの相談等を通じて「これは(議員マターではなく)弁護士に相談して解決すべき」と感じる点があれば、地域内の弁護士への相談等を勧めていただきたいと思いますし、そのような意味で、地方政治家の方々こそ、そうした用途を含めた「かかりつけ弁護士」を(得意分野や年代別などに応じて)複数擁しておくことが望ましいと言えるでしょう。

何より、上記の理由(隣近所や親族との交流が絶え、勤務先の人間関係も希薄だなどという、かつて社会にあった地域相互扶助が崩壊したことに伴い、地域の相互扶助の再構築が求められていること)から、助けを求めている住民と、ニーズに応えられる専門家との媒介役(仲介者)としての地方政治家やその補助スタッフなどに求められる役割は、飛躍的に増大していると言えるはずです。

・・・が、盛岡で開業してはや20年。私(小保内)自身は、ただの一度も政治家の皆さんから、相談者のご紹介などを受けたことはありません・・

盛岡市議会や岩手県議会などでは、コイツに紹介するのだけはやめておけ、という悪評でも立っているのでしょうか?(笑?まあ、皆さん、重鎮の先生方や優秀な若手の方々を紹介され、しがない町弁は相手にされていないのでしょうが・・)

それはさておき、既述の理由から、地方政治家こそ「かかりつけ弁護士」を持つべきであり、多数の弁護士が参集する場で一人一人の顔や人となりを見ることができる「弁政連との懇談会」は、ご自身や支援者のための「かかりつけ弁護士」を選ぶ場(相性を含めたマッチング)としての機能も持ちうるものと言えます。

そのような観点から、この機会を積極的に生かしても良いのではないでしょうか。
(便乗して当方の営業活動をしているわけではありませんので、ご理解ご容赦のほどを)

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ちなみに、10年以上前、盛岡ではない某市役所の無料相談会を担当した際、地元の市議さんが、相談者に付き添って何度か来所されたことがありました。

私の知る限り当職への法律相談等の場に盛岡市議さんが同席されたことはありませんが(そもそも、どなたも紹介いただけないし・・)、とりわけご高齢の方などは、ご本人が当方の説明内容を十分にご理解いただけない場合もありますので、ご自身が同席されるかはさておき、そうしたことへの支援も地方議員さんの役割の一つとして考えていただいても良いかと思います。

盛岡市議との懇談会と「弁政連のあるべき活動」に関する幻の意見書(第2回)

前回に引き続き、先日の盛岡市議さん達との懇談会のため用意した(ものの、会場でボツ扱いになり闇に葬られた)レジュメ(資料1)です。

標題のテーマ(地方で執務する弁護士が、地方における民主主義と人権保障の拡充の向上のため、何を考え何をすべきか)に関心のある方は、ご覧いただければ幸いです。

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資料1 日本弁護士政治連盟や弁政連岩手支部の「きほんのき」と実情・課題の考察

日本弁護士政治連盟は、日弁連の政策を立法等を通じ政治的に実現することを目的として昭和34年に設立され、昭和期はさしたる活動がみられなかったものの、平成期には、隣接他士業(司法書士・行政書士・税理士・弁理士など)の職域拡大に関するロビー活動に触発される形で全国の弁護士会ごとに支部設立が行われるようになり、岩手支部は平成23年(震災直前)に設立されています。

岩手支部は、発足以来、概ね年に1~2回の頻度で、県内選出の国会議員や岩手県議会議員の方々との懇談会を実施しており、基礎自治体(市町村議会など)との交流は前2者と比べて少ないものの、数年前には盛岡市議会議員の方々との懇談会を実施しています。

他方、首長(知事・市町村長)との懇談会等は、岩手では実施例がありません(他支部=他県等では実施例もあります)し、自治体行政部局との関係でも同様と思われます。

弁政連本部(日弁連会長OBなど重鎮の方々)は、定期的に主要各政党や政府(弁護士出身の政務三役、とりわけ法務省関係者など)との懇談会を行っているようです。

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冒頭のとおり、弁政連の趣旨・目的は「日弁連ないし弁護士業界が、社会正義や弁護士業務の適性確保などの見地から実現したい(すべき)政策(立法=法律・条例等の制定や行政による事業化・予算措置など)を政治部門を担う方々(議員や首長)にお伝えし実現を要請させていただく点にあります(他士業と違い?職域拡大への関心は低そうですが)。

そして、法律実務の専門家集団たる弁護士の団体である以上、単なる「陳情」に止まることなく、条例その他(政策実現のための各種文書)の起案であるとか、条例等の必要性を支える基礎事実(いわゆる立法事実)の収集・分析・報告等、政治部門(議員や首長、行政部局など)との折衝、さらには自分達の陳情だけでなく、政治部門の要請に基づく法律実務シンクタンクの受託者そしてロビー活動の従事者・補助者としての役割を果たすことが期待されていると言えます。

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が、いち末端窓際会員としての私が垣間見てきた限り、岩手支部は言うに及ばず弁政連本部や他県支部などが、その役割を現に果たしているのか判然とせず、実情としては各種議員さん達との単発的な(悪く言えば、その場限りの)懇談会等を続けているだけのように感じています。少なくとも、個別の陳情について、条例等であれ議会の決議等であれ、政策として実を結んだという話を聞いた記憶がありません。

また、岩手支部の過去の岩手県議さんとの懇談会では、関心をお持ちの議員さんが多いテーマ(震災対応、養育費など)を取り上げた際は、多くの質問等があって盛り上がったものの、その議論等が「その後に具体的な政策として生かされた」という話は存じません。

まして、多くの議員さん方に馴染みの薄いテーマ(ご自身の社会生活や議員活動で現に取り扱ったり接することが乏しい事柄。例えば、司法制度改革、刑事法制等)については、担当弁護士の資料に基づく説明を聴取等いただく以上のやりとりは無かったと思います。

所詮、相手(議員側)が強い関心を抱いているわけではない事柄の陳情(説明)ばかり繰り返しても、相手が関心のない(自分=話し手しか関心がない)話題で異性を口説こうとしているようなもので、上手くいくはずもありません。私が今回「内舘市長の政策を取り上げては」と話したのも、まずは聞き手が関心を持つテーマを懇談の対象とすべきでは(相手のニーズに適うサービスから始めるべきでは)と考えたからでした。

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また、弁政連のあるべき活動は、いわゆるロビー活動(ルール策定交渉)や「最近話題の法的論点」について政治家の方々と懇談等することに尽きるものではありません。

地方議会の主要な目的(活動原則)は、地方行政の運営者である首長及び自治体各部局に対し、適切な自治体運営がなされるよう監視や評価を行い働きかけることにありますが(盛岡市議会基本条例2条参照)、議会ないし各議員は、住民の代表者として選挙結果に基づく地域内の民意を適切に反映させる(民主主義)と共に、多数決の横暴・濫用にならぬよう、住民全員の権利擁護や福利(人権保障)も確保する(行政に確保させる)姿勢も強く求められている(それが憲法の地方自治制度に対する付託である)と言えます。

地方自治の本旨(憲法92条)は、団体自治(中央政府からの独立)と住民自治(民意反映)が強調されることが多いものの、根底には「多数決原理と人権保障の調整」という統治機構制度の全体に流れる基本思想を含んでいる=地方政治家はその担い手であることを銘じていただきたいと思います。

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そうであればこそ、地方政府の意思決定権者(首長及び地方議会議員)がご自身の職責を適切に果たすためには、人権保障の「もう一人の担い手」たる法律実務家(弁護士等)との協働(時には緊張関係)が不可欠なのであり、双方(地方政治家と地域内弁護士)は、様々な形で、「互いに関わる(刺激し合う)こと」が求められていると言えます。

米国では国会議員が議員立法などを行うため法律専門職たるスタッフを抱えることが珍しくないそうですが、それを直ちに模倣することは無理でも、例えば、市議会の委員会活動の充実化のため、弁護士会や個別弁護士に協力を求めること(そうしたものを通じて、日常的に業務上の関わりを持つこと)はあってよいはずです。

この機会を「単なる世間話と酒飲みの会」で終わらせないためにも、これを機に、皆さんの方から「よりよい市政のため、弁護士(会)にこうしたことをして(検討して)欲しい」と働きかけていただくことを、ぜひご検討下さい。

 

盛岡市議との懇談会と「弁政連のあるべき活動」に関する幻の意見書(第1回)

本日、弁政連岩手支部と、盛岡市議会の最大会派「盛友会」の議員の方々との懇談会があり、名ばかりですが支部の理事をしていることもあり、参加しました。

それに先立つ支部の会議で「内舘市長の公約や市政の課題に関し弁護士の観点から議論すべきことを取り上げることはできないか」と述べたところ、支部長の先生から、貴方が準備しなさいとの指示を受けたので、自分なりに考えたことをレジュメにまとめて用意しました。

が、当初から予定されていた他のテーマ(成年後見人の報酬助成等)のほか、直前に別のテーマが追加され、それらで時間切れだとの理由で、当方のレジュメ等には一切触れられることもなく、あたかも最初から存在しないものとして、終了が宣告されてしまいました。

私は、支部運営をされている他の同業の方々とは活動のあり方について多少異なる考え方を持っているほか、私よりも若い方々とは人間関係も希薄で疎遠になるばかりの有様で、その点も、そうした取り扱いに繋がったのかもしれません(心底嫌われているのかもしれませんが・・)。

ともあれ、いじめ被害だなどと嘆いても致し方ありませんし、もともと様々な方に考えていただきたいテーマでもありましたので、市議の方々にお伝えするのに代えて、こちらで掲載することとしました。

地方の弁護士と地方議会議員が関わりを持つ意味、或いは地方自治における民主主義(国民主権)と人権保障の実現・調整などという抽象的なテーマに関心のある方は、ご覧いただければ幸いです。

まあ、私にとっては日暮れて道遠しというほかなく、己の無力を嘆くばかりですが・・

今回は、レジュメ本文を載せ、第2回から第4回までは今回の末尾に資料1~資料3として表示(記載)した文章を載せることとしました。

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弁護士政治連盟・岩手支部 R05.11盛岡市議(盛友会)懇談会 担当資料
~弁護士と市議会議員との交流のあり方に関する考察と実践について~

文責 弁護士(弁政連岩手支部会員・理事) 小保内義和

はじめに(本稿の経緯及び趣旨について)

今回、盛友会(盛岡市議)の方々との懇談会を行うにあたり、どのようなテーマ(市議の皆さんへの陳情対象)を取り上げるべきか、支部理事会で協議がありました。

その際、会内で長年の課題になっている「成年後見人の無報酬事案に対する公的助成」(身寄りのない方への公的支援その他の必要性から後見申立がされ、弁護士等が後見人に選任されることになったが、被後見人が資産ゼロで僅かな年金又は生活保護費しか収入がなく、施設費や生活費等で完全に使い切ってしまうなど、後見人への報酬原資が全く無いため、後見人がタダ働きせざるを得ない=自営業者たる弁護士には本来は受任不能の事案について自治体に報酬相当額の助成を陳情したいという件)を取り上げるべきとの意見が出ました。そして、後見等に関する他の問題の説明等も含め、Y弁護士に担当いただくことになりました。

が、それ以外に、どのようなテーマを扱うべきか、さしたる意見が出ませんでしたので、当職から次のような意見を述べました。

「内舘市長の当選に伴い、新市長が従前と異なる新たな政策等を打ち出してくると見込まれるが、推進の立場であれ批判の立場であれ、掲げられた政策を実現する上で取り扱わなければならない(直面する)であろう法的課題を検討・協議することが、市議会議員と弁護士の懇談のテーマとして相応しいのではないか。

いずれの立場であれ、市長・市役所(行政側)が承認を求めてきた政策について、実現する上で直面するはずの課題を抽出し、賛同側であれば解決の道筋を立て市長・担当部局に提言したり、反対側であれば、解決困難な法的論点を確認・指摘し市長らに軌道修正を求めることが、市議会議員に求められる主要な役割の一つというべきである。

ゆえに、その前提(議員が職責を全うするための補佐)として、政策のうち法的な事柄について、課題の抽出や検討、提言(多数の住民にとって利害関心のある事柄についての法的シンクタンク機能)を担うこと(そして、それを議員側が活かすこと)が、弁政連=地元弁護士集団と地方議会議員との交流のあるべき姿ではなかろうか」

・・結論として、「だったら、お前がやれ」ということで、担当のお鉢が回ってきました(余計なことを言うんじゃなかった?)。

ただ、その後、テーマが追加(生活保護、再審)され、私の担当は「その他」=オマケ扱い(時間切れならカット)となったので、長講釈は不要であることが分かりました。

また、事前情報によれば、今回の懇談会は谷藤前市長の慰労会と重なり、議員の方々の多くが懇親会(宴会)の途中で退席なさるとのことで、他の方々の報告・懇談のあとは、むしろ、フリートーク的な場にした上で、議員の方々に弁護士(弁政連)に期待すること(自分達=市議会・市政のため汗をかいて欲しいと思っていること)などを自由に語っていただいた方が望ましい(ので、私が下らない話をベラベラ喋って時間を浪費しない方がよい)とも思われました。

また、私の知る限り、これまで「何のために我々(弁政連岩手支部)は地方議会議員の方々との交流の機会を求めているのか(地方政治家と地方の弁護士との関わりは何のためにあるのか、何を目指すべきなのか)」について、原点・本質に立ち返った協議等をしたことが無く、一度はそうしたことを整理してお伝えすべきではないかと思っていました。
 
そこで、私の担当時間(せいぜい10分程度?)は、これらに関する基本的な考えや、内舘市長の掲げた公約等について、私なり「弁護士の立場から見た感想」、或いは、この機会に議員の方々にお伝えした方が良いと考えたことなどをレポートにまとめて、手短に口頭でお伝えし、あとは、それを踏まえて、感想であれ、ご自身のお考えであれ、議員の方々に(とりわけ懇親会に不参加又は途中退席される予定の方を中心に)、自由にご発言いただくこととしました。

交流の実を結びますよう、積極的なご意見・ご発言をよろしくお願いいたします。

なお、申すまでもありませんが、今回のレポートは全て、私(小保内)個人の意見等を述べたもので、弁政連や岩手支部としての見解等では微塵もありません(内部で取り上げられることもないので、折角の機会を活用し、これまで思ってきたことを書いてみました、というのが実情ですので、関心のある方は、後ほどチラ見いただければ十分です)。

【添付資料】
1 日本弁護士政治連盟や弁政連岩手支部の「きほんのき」と実情・課題の考察
2 弁護士(ないし弁政連)と市町村議会議員の交流等のあり方に関する一考察
3 内舘市長の公約等に関するノンポリ無党派弁護士からの一考察(雑駁なもの)
4 当事務所ブログ集(今回に関わりのあるもの)
①上川あや氏(世田谷区議)の著作書評、②前回市長選の投票日直前に掲載した論考

(以下、次号)