北奥法律事務所

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行政事件

市役所が生じさせた不良債権に対し住民ができること

整骨院による診療報酬の不正請求に関するニュースは時折目にしますが、3年前(平成25年)に盛岡市の整骨院が診療報酬の架空請求をして支払を受けた後で自己破産をしたため、市などに8000万円を超える不良債権が生じたとの報道を見たことがあります。

当時の盛岡市は、この件や平川食品(地元の大手豆腐業者)の倒産などで市に巨額の不良債権が発生したとのニュースがよく出ており、4年前(平成24年)には市の発注工事で業者と市の担当者が詐欺・贈収賄で逮捕された事件もありましたが、それについても市に生じた損害が填補されたという報道は無かったと思います。

当時も今も、それらの問題について市の担当者などの責任を問う住民訴訟が起こされたとの報道もなく、昨年(平成27年)の盛岡市長選でもそうしたこと(具体的な予防策などを含め)が論点になることもなく、残念に感じています。

まあ、市長さんなどへの賠償請求を求めても、主導的な関わりをしていたのでもない限り判決を待たずに市議会の放棄議決で終了となってしまうかもしれませんが。

ですので、紛争をたきつける趣旨ではないのですが、市当局も、回収できませんでした、だけで終わってしまうのはあまりにも情けないというか、住民側が市政運営を監視し場合によっては関係者の責任を問うような、何らかの具体的な営みがあればと残念に感じてしまいます(市議会にその役割を求めるというのは無い物ねだりでしょうか?)。

行政の責任という点ではオンブズマンなどを称する市民団体の方により訴訟がなされる例も国内ではそれなりにありますが、現職・与党への糾弾を強く意識する政治色の強いものは私が関わることはないでしょうから、できれば「第二オンブズマン」とでもいうか、政治色の薄い「ノンポリ無党派の立場でも、これはいかがかという問題があれば、役所に物申したい(そうした形で市政参加ができる)」といった文化が形成されてくれれば、私にもお役に立てる場面が増えるのではと思われ、そうした萌芽が何らかの形であればと願っています。

「地方自治体の運営に対する監視」という点では、訴訟だけではなく、このブログでも以前から触れている包括外部監査制度もありますが、これも我が国(特に東日本)ではほとんど活用されておらず、可能なら、包括外部監査(専門家)と良識ある住民の双方による建設的な監視・関与の制度・文化が形成されてくれればと残念に思っています。

ジョークの類で恐縮ですが、新聞に入っている市民講座のチラシを見ていると、市役所が住民の法的素養を涵養するとの見地から、「初めての監査請求」「住民訴訟にチャレンジ」などという講座を開いていただいてもよいのではと思わないでもありません(弁護士も余ってきてますので、講師のなり手はいくらでもいますし。ただ、県内では住民訴訟の経験が豊富な人は恐らくごく僅かというのが玉にキズですが)。

私も、昔、本人訴訟で別な自治体を提訴していた方から法律的な論点について簡易な書面作成のご依頼を受けたことがありましたが、それ以外で住民訴訟に従事した記憶がなく、いずれの立場であれ関わる機会を与えていただければと感じています(ただ、行政が当事者となる訴訟は、いずれの立場でも大赤字になりやすく、なるべくボランティアではなく持続可能な程度の対価はいただければ幸いですが・・)。

余談ながら、当家は生協の共同購買を利用しているため、当時、平川食品さんの倒産で、これまで購入していた豆腐が入荷されなくなったというお知らせを見たときは、ちょっとしたショックというか寂しさを感じました。

(本稿は、平成25年6月に旧ブログに投稿した文章を微修正し再掲したものです)

地元自治体の代理人の悲喜こもごも

地方都市でしがないノンポリ町弁をしていると、いつかは地元の県庁や市町村などの代理人をやらせていただきたいと思うのが人情?かと思いますが、岩手に戻ってから十数年目にして初めて岩手県庁が当事者になっている裁判のご依頼をいただき、感無量などと思うゆとりもないまま、あくせく書面作成に追われています。

以前、県の様々な役職や顧問をされている大物の先生が「県の仕事って安いんだよね」と呟いていたのを聞いたことがあり、この点は全国共通らしいのですが、この件も、相手方の主張への対応もさることながら、ご担当の方が様々な資料等を送ってくるので、それらの確認、検討などを含めて必要となる作業量が膨大で、事件自体のやり甲斐や色々なことを学ぶ充実感に反比例して、経済的には泣きそうな思いをしながら仕事をしています。

時給換算では勝っても負けても事務所屈指の大赤字事件の一つになるのはほぼ確定ですが、当方に価格決定権がないことは申すまでもありません。

ちなみに現在の1位・2位は、今も延々と続く震災絡みの某大事件と、昨年末にどうにか終わった「子の引渡」などを含む深刻な夫婦間紛争だろうと思っています。もちろん、しんどい事件ほど大変学ぶところの大きいことも間違いありませんが。

一般論として、事件のスケールもさることながら、相手方又は当方のどちらかに「強烈な負の感情の持ち主」が絡んだり、私の介入前に錯綜とした紛糾状況が形成されてしまうと、説明なども含め非常に手間が増えて消耗を強いられる傾向はあります。

以前、FB上で他業種の方が「役所の受注仕事は不採算だ」と書いているのを見たことがありますが、他方で、建設業界などでは、談合云々で税金から巨利を得る事業者がいたり、「閑散とした公共施設」などの無用の事業に多額の税金が投入されるなどの現実もあり、そうした不均衡を是正するにはどうしたらよいのだろうなどと、余計なことばかり考えてしまいます。

そういえば、青森の「アニータ事件」では県が回収したお金の大半は受任した東京の大物先生やチリの弁護士の方の報酬に使われたという話を聞いたことがありますが、色々な意味でそうした話は例外なのかもしれません。

幸い、仕事の中身自体は十分にやり甲斐があるもので(中身は差し控えますが、岩手県がある分野で長年進めてきた政策の当否が問われており、多数の利害関係者がいるため、その事業に真摯に取り組んできた県民の方々の思いも背負っているのだという自負や緊張感を感じる面はあります)、今後の糧になればとの思いも含めてあれこれ勉強しながらやっていますが、時には、仕事の進め方などに役所の方々との文化の違いを感じることもないわけではありません。

ただ、こちらも色々と我が身を顧みて仕事をしなければなりませんし、そうしたことも含めて一般の個人などの方々から事件をお引き受けするのとはまた違った学ぶべきものがあるのだろうと心がけ、今後も努めていきたいと思います。

第1回期日に原告代理人(行政訴訟の大ベテランの方)と名刺交換した際「厄介な事件を引き受けて大変だね」と仰っていましたが、「そう思っていただけるんでしたら、ぜひ、今すぐ請求放棄書の提出をご検討ください」などと面と向かって憎まれ口を叩けるような図太い人間になりたいものです。

秋田県・小坂町の「千葉の高濃度焼却灰の搬入埋立問題」に関する日弁連調査②地域住民が執り得る法的手段に関する一考察

前回の投稿の続きです。

秋田県庁で解散した帰路で「このままでは単なるやられっぱなしで納得できない、何か一矢報いたい」という住民団体(米代川流域連絡会)の方の言葉を思い返し、現在、或いは発覚当時、彼らが何をできたのか(すべきだったのか)について少し考えていました。

で、現時点で認容されるかどうかはさておき、本件で地域住民の主要な関心事につき取り得る(取り得た)手段としては、「行政は現場でボーリング調査をすべき(グリーンフィル小坂にさせるべき)」という義務づけ訴訟(行政事件訴訟法)を軸とした手続ということになるのではと思いました。

以下、基礎となる事情や制度を踏まえつつ、想定される訴訟のあり方などを少し検討しましたので、何かの参考になれば幸いです(手控えレベルの文章ですのでさほど正確性の検証をしていないことはご了解ください)。

まず、本件では、1万ベクレル超の焼却灰が発覚した際、行政(小坂町ないし秋田県)が処理業者側に事情説明を求めていますが、そのことは法律上の権限という観点から見れば、廃棄物処理法18条(報告徴収)に関わることだと思います。

その上で、同条に基づく権限行使のあり方としては、

①秋田県庁は、本件一般廃棄物(一廃)処分場の許可権者として、一廃処分場の設置者(たるGF)に対し、法違反となる「放射性物質に汚染された焼却灰の埋立(後日に制定された特措法の基準値も超過しており、発覚時は言うに及ばず、事後的に見ても、埋立時には管理型処分場への埋立が許されない違法な焼却灰)」により施設の維持管理(法8条の3)に関する基準に反する事態が生じた(そのおそれがある)として、適正管理ができるのか報告を求める

②鹿角広域行政組合(管理者・鹿角市長)は、GF小坂の一廃処理業の許可権者として、最終処分業者たるGFに対し、法違反となる焼却灰の処分がなされた経緯や事後防止措置について説明を求める(地方自治法291条の2?広域連合について勉強したことがないので正確には分かりません)

という構図になるのではないかと思います(広域連合が許可権者となる場合、構成団体たる小坂町は当該権限を行使できる立場にないということになるのでしょうか。そうだとすれば、小坂町長によるGFへの関わりは組合の副管理者の立場からということになるのでしょうか。その点は不勉強のため分かりません)。

そうした前提で、次の2つの条件、すなわち

①現地に埋め立てられた焼却灰が、仮に、現在でも1万ベクレルを大きく上回る(ので、かなり先まで8000Bqを下回らない)のであれば、そのような埋立は、汚染対処特措法(事後法)によっても正当化されない=当該焼却灰(の管理型処分場への埋立)」は、生活環境の保全上の支障がある(又はその恐れがある)

②現時点までにGFが行った措置(コンクリートを被せる等)はその支障の除去に不十分である(重大な損害のおそれあり)

の2点を証明できれば、鹿角組合はGFに対し、撤去措置命令(法19条の4)をすべき義務がある(義務づけ訴訟が認容される。或いは、重大な損害のおそれ要件は満たさなくとも、措置命令の要件は満たす)ことになります。

そこで、地域住民としては、鹿角組合はその点を明らかにするために、立入調査権(法19条)の一貫として、ボーリング調査をすべきだとして、調査権発動の義務づけ訴訟の提起と仮の義務付けの申立を行うということになるのかもしれません(住民が原告、組合が被告)。

また、秋田県庁も、措置命令の主体ではないと思われますが(一廃処分業の許可権者ではないから?)、維持管理に関する改善命令(法9条の2)やその前提としての立入調査(法19条)を行う権限(責務)があると言えます。

そこで、住民は県に対しても、上記調査権(裁量)の一貫としてボーリング調査をすべきだとして、義務付けの訴訟提起等をするということができるかもしれません。

その上で、②については、組合や県(GFも補助参加するかもしれません)は、本件で現に行われたコンクリート敷設等の措置につき、「秋田県が、環境省から上記方法での現地封じ込めOKとの回答を得て?(或いは、H23.8.31環廃産発110831001通知2~4頁に基づく適法な処理のあり方として判断をして)、それをGFに伝えて行わせたものである。よって、生活環境上の支障除去の措置としては十分(現時点で撤去命令の必要も義務もない)」と主張するのでしょうから、裁判では、その判断の当否(環境省通知の解釈・当てはめの問題)が問われるのではないかと思います。

この点については、私自身がまだ十分に勉強、検討できているわけではありませんが、上記の環境省通知をざっと見る限りでは、本件事案を前提にコンクリートを被せればよいとは書いていないように見えますが、隔離層を設置する方法での対処に関する記載があるので、県はこれに基づきコンクリートを被せる等すれば十分と判断したものと思われます。

よって、それがダメだというのであれば、最終的には環境省通知そのものを敵に回して「こんなやり方はダメだ」という「放射性物質汚染焼却灰の処分のあり方に関する科学技術論争」が必要になるのかもしれず、そうなれば苦心惨憺の大訴訟を覚悟しなければならないかもしれません。

ただ、上記はあくまで撤去の要否に関する論点のように思われますので、住民団体の方々が最も切望している「現在の埋設物の線量調査(8000ベクレルを下回っているのか、実は数万もあるのか等)」自体の義務づけについては、もっと別な観点から緩やかな基準で認められてもよいのではと思わないでもありません。

あと、その種の訴訟の宿命として、原告適格の有無なども争点となるのかもしれません。

他にも考えられるのは、鹿角組合や秋田県庁に何らかの権限不行使等の違法があり、それにより組合・県が違法に損害を被ったとして、その賠償を責任者に求める住民訴訟かもしれませんが、住民側にしてみれば、小坂町(鹿角組合)も秋田県も共に「被害者仲間」なわけで、仲間内で賠償の訴訟をするのは本意ではないでしょう。

同様に、住民がGFを相手に訴訟することも考えられないわけではないものの、「高濃度焼却灰の搬入(による環境汚染)を知りながら意図的に埋め立てた」などという異常な事実が存在する(立証できる)のでもない限り、現実的には厳しいのではと思われます。

或いは、一部住民の本意としては、「千葉から焼却灰が搬入されること(都会のゴミを埋め立てること)自体を止めさせたい」という思いがあるかもしれませんが、これも現時点では立法論と言わざるを得ない(現行法令そのものから逸脱した処理がなされているなどの特段の事情がない限り訴訟としては成り立たない)と思われます(この点は、次回で少し触れます)。

また、以上は「現時点」での手段(の当否)ということになり、それゆえに様々な点で(特に、すでに覆土が進んでいる点で?)ハードルの高さを感じざるを得ないところがありますが、仮に、発覚時たる平成23年7月=環境省通知の前(せめて直後)に上記訴訟と仮の義務付けの申立を行っていれば、まだ違う展開があり得たのかもしれないとも思われます。

住民による「不作為(発覚時にGFにボーリング調査をさせなかったこと)の違法確認請求」といったものもできないのだろうかと思いましたが、行政事件訴訟法には不作為の違法確認訴訟制度があるものの、処分(調査命令)の申請権のない地域住民が過去の調査の当否を問題とするようなことまでは認められていませんので(法3条4項、37条等)、その点は、立法論でしかない(日弁連が意見書を出すかどうかはさておき)と思います。

そういえば、廃棄物問題に関する日弁連の平成16年意見書や平成22年人権大会決議(これらは、私が作成に大きく関わっているものです)では、住民による行政への権限発動の申立権云々という意見もしていました。(決議理由第4の2)。

とりあえず、「措置命令の当否を明らかにするための調査権発動」という観点から考えてみましたので、間違っている点などがありましたら、ご教示いただければ幸いです。

税金の不正使用の予防等に関する弁護士の活用と民主政治

会計検査院が岩手県庁と県内8市町に対し、平成20年から25年にかけて国の補助金で行われた緊急雇用創出事業に法律違反があったとして、約5700万円を国に返還すべきという趣旨の報告をしたとの報道がありました。

主に問題とされたのは、山田町を舞台とする「大雪りばぁねっと」事件と被災県などでコールセンター事業を展開したDIOジャパンの倒産事件の2件で、いずれも県内でも大きく報道されてきた事案です。報道によれば、前者が1300万円強、後者が4300万円強とされています。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20151107_3
http://news.ibc.co.jp/item_25716.html

恐らく、その全額又はかなりの部分について、県や関係市町は国に返還=支払をするのでしょうし、両事件とも事件当事者からの回収については悲観的な見方をせざるを得ないのでしょうから、それらの返還金については、県などが自ら支出した補助金と共に、県民に負担が重くのしかかることになります。

ところで、以前も少し触れましたが、私は大雪事件の関係者(岡田栄悟氏ではありません。仮に「Aさん」といいます。)の方の刑事裁判に途中から国選弁護人として関わり、特殊やむを得ない事情で、大雪事件を巡りA氏が関係する多数の民事紛争の処理(要するに清算を巡る後始末)までも引き受けざるを得なくなり、今も、その対応に追われています。

本件では、大雪の破産管財人、山田町に加え、前代理人との間でも訴訟手続が必要となり、最近は多少は落ち着いてきましたが、去年の初夏から秋にかけての時期は、多数の関連事件のため膨大な労力を投入せざるを得ず、民事事件では相応のご負担をいただいたとはいえ、必要な作業のあまりの多さに「時間給ベースでは、当事務所の開業以来最悪の巨額赤字事件」という有様で、泣きそうな思いで対応してきたというのが率直な実情です(峠は越したと思っていますが、まだ終わりが見えません)。

こう言っては何ですが、何人もの弁護士が登場する中、大雪事件の民事手続で現に関わっている「岩手の弁護士」は私一人ということもあり、会議とか抽象的な意見書の類や丸一日かけて誰も来ない被災地相談会に行くことよりも、こうした事件の適正解決に汗をかくことこそ地元弁護士の役割だという矜持のようなものだけで自分を支えているというのが正直なところです。

詳細は書けませんが、A氏のスタンスは、債権者への適切な配当のため管財人の管理換価に協力するのを基本としつつ、A氏自身が事件の処理や解決のため多額の自己資金の投入を余儀なくされたので、その回収を裁判所の理解を得た相当の範囲内で行いたいというものです(これは、裁判後の記者質問でも繰り返し説明しています)。

この点は裁判所も理解を示しており、「天王山」というべき訴訟では、これに沿った和解勧告もなされているのですが、管財人によれば、一部の債権者の反対があるとのことで、決着が進まない状態が続いています。

当方としては、少なくとも私が関与するようになってからは、それ以前とは一転して、動産の換価や某施設を巡る和解など管財人や山田町の作業が円滑に進むよう様々な形で協力しているだけに、残念に感じています(まだ書けませんが、やむを得ず、「窮鼠猫を噛むかのごとき、次の一手」を検討しています)。

ところで、何のためにこんなことを書いてきたかというと、Aさんは、この事件の中で大きな関わりをしたことと、本人に迂闊な面があったことは確かなのですが、自らの私利私欲を図ったわけではなく(現に、私が関わる以前から、「すっからかん」の状態でした)、詰まるところ、「巨額の税金が使用される事業に関わるには未熟すぎた(ので、留意すべき大事な場面で易きに流されてしまった)」という評価が、最も当てはまるのではないかと感じています。

また、岡田氏に関しても、さほど全体像を把握しているわけではありませんが、幾つかの不幸な偶然で、身の丈をあまりにも超えたカネ(税金)とヒト(部下)を与えられたため、結果的に身を滅ぼすことになったというべきで、少なくとも、初期の段階から「税金を食い物にして私利私欲を図ろう」との判断ではなかった(或いは、独りよがり云々の批判はさておき、本人の主観では、最後まで、一連の出費は彼の思い描いた「被災地支援事業」なるものを実現し継続させるためのものだったのかもしれない)という印象を受けています。

だからこそ、この件では、「使った側」の責任を問うだけでは全く不十分で、第三者の適正な監視、監督を欠いたまま、「公金を適正に使用する資格」を持っていない未熟な人々に高額な税金を渡し、使用させた(或いは、国を含め、その仕組みを作った)人々の責任が強く問われるべきであると共に、再発防止策に関し、事案の経過を踏まえた、より踏み込んだ手法の導入が図られるべきではないかと感じています。

そうした意味では、前者(責任追及)に関しては、住民訴訟が検討されてしかるべきではないかと思われ、そうした動きがないことが、とても残念です。一般論として、その種の住民訴訟は、いわゆる左派系の団体さんが行うことが通例と認識していますが、そうした方々に提訴のお考えがないのであれば、いっそ保守系勢力の方々がなさってはと思わないこともありません。

上記の観点から、地元行政だけを悪者にするのは間違いで、制度の構築等に関する国の責任も視野に入れるべきだと思いますし、その点で、十数年前に我が国を震撼させた大規模不法投棄事件における原状回復に関する国と自治体の費用負担などを巡る議論(とりわけ、私も関与した日弁連シンポの提言)は、参考になる点があるはずです。

また、後者(再発防止)に関しては、端的に、補助金の支給や費消に関して監視、監督する第三者(支給側である行政と受給側の事業者の双方から独立した立場で実務に携わる者)の関与を拡げる仕組みを作るべきだと思います。

具体的には、「一定以上の金額の税金(補助金)を受給して行う企業は、補助金交付の趣旨(その法律の趣旨)に即した支出をするだけの能力があるか、或いは、受給後に、その趣旨に合致する適正な使用等をしているか」について、例えば、弁護士や公認会計士、税理士などに、調査、報告等させる仕組みを作るべきではないかと感じています。

現在の社会では、弁護士の出番は、「第三者委員会」に見られるように、事後的なものばかりが中心となっていますが、食えない弁護士(公認会計士も?)が増えたとされる今こそ、薄給でいいのでそうした仕事をしたいとの供給サイドの要望はかなりあるのではと思われますし、日弁連なども、「行政は被災者に援助せよ」といった意見書も結構ですが、そのような仕組みの導入(と地元弁護士の働き口の創出)にも尽力していただきたいものです。

何より、そうしたものを導入させていくには、結局のところ、その必要性を理解し、人々に訴えていくだけの「政治=民主主義のチカラ」というものが育たなければ、どうしようもないのだと思っています。

民主主義(議会制民主政治)というものが、「公権力に税金を取られること」に対する自主権の獲得を発端として始まったことは、誰もが教科書で学ぶことではないかと思います。

しかし、「取られるかどうか」だけで使い道はどうでもよいというのが民主主義の社会でないことは、言うまでもありません。

「投票するときだけ主権者」という社会では、国民主権・民主政治とは言えないのと同様に、税金の使い道をより良くさせるための仕組みの構築や運用に人々が関わっていくことこそが、本当の民主主義の実現の道なのだということにより多くの方の共感が得られればと、願ってやみません。

と同時に、そうした営みに積極的にサポートすることが現代社会の弁護士の役割の一つになるべきだとの認識で、そうした場面に必要とされるよう、今回の件も僥倖なのだと感謝し、まずは地道な研鑽を重ねていきたいと思います。

補助金の支出を巡る地元自治体の光景と田舎の町弁の意地

進行中の仕事なのであまり具体的なことは書けませんが、奇縁により、2、3年前に県内等を震撼させた「震災絡みの補助金の巨額不正使用などが問題となった事件」に1年半ほど前から関わっています。

私が担当しているのは事件全体の中では脇役というべき方なのですが、後始末の民事訴訟などでは要に位置する方なので、山のような訴訟手続が必要になっています。勉強にはなるのですが、経済的には「事務所を潰す気か」と天に吠えたい気持ちを抱えつつ、毎度泣きそうになりながら関わっています。

その事件では、舞台となったA町などの補助金の支出のあり方に大いに問題があると巷間では言われており、私も同様に感じるのですが、誰も住民訴訟等を起こす人がなく、訴訟上は不問に付された状態が続いています。

先日、訴訟関係者が集まった場でも、どなたがとは言えませんが、出席者の方々が「この点が置き去りにされてるよね」という趣旨のことを仰っており、改めて、その点は残念に思いました。

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で、どうして今こんな話を書いたかというと、A町ではなく以前からお世話になっている県内のB町(仮称)さんから、先日、上記とは全然関係のない件で補助金の支出に関するご相談を受けました。

そこで、事務所の書籍などで、補助金(地方自治法232条の2)の支出の適否に関する判断基準などをまとめた文献などを調べて、ご相談の件のお返事をしたのですが、読めば読むほど、B町さんの件(問題ないと思われる例)よりも、A町事件の方を考えずにはいられないという感じがしてしまいました。

ちなみに、自治体(地方公共団体)による補助金の支出は、「公益上の必要」の存在が必要とされていますが、具体的な判断基準は法律では定められておらず、裁判所の解釈に委ねられており、同条や地方自治を取り巻く諸制度、憲法89条の趣旨なども勘案して、判断することになります。

仮に、住民が「その支出は違法(地自法232条の2違反)だ」と主張して、支出を行った首長などや支出を受けた関係者などに賠償等の請求をしたい(自治体にさせたい)場合には、同法242の2第1項4号に基づく住民訴訟(や前提としての住民監査請求)を行い、「自治体は、支出に関与・容認した首長等や、受領した団体側に、賠償等請求せよ」という趣旨の請求をすることになります。

そして、これに対し、訴訟の被告となった側は、①当該補助金の支出は地自法232条の2に反しない、②仮に違反したのだとしても、故意や過失がない、などと、反論し、それらの主張の当否が問われることになります。

で、本題というべき、法232条の2違反の当否ですが、補助金の支出の判断については、様々な行政目的を斟酌した政策的な考慮が求められるため、社会通念上不合理な点がある場合や特に不公正な点がある場合でない限り、これを尊重することが必要で、そのような観点から首長などの裁量権の逸脱・濫用があると認められる場合に限って、違法になるとされています(最判H17.10.28等)。

その上で、「公益上の必要」に関する具体的な判断基準(要素)については、判例分析をした書籍によれば、

①補助金の目的、趣旨、効用、経緯
②補助の対象となる事業の目的、性質、状況
③当該自治体の財政の規模、状況、
④議会の対応、地方財政に係る諸規定の事情

などを総合的に判断するとされています。

例えば、支出目的が適正であるか、当該補助が当該「公益」の目的達成のため適切かつ有効な手段と言えるか、受給者たる団体や金額、使途等が、「公益」との関係で、社会通念に照らし、適切な支給先・使途と言えるか、支出手続や事後の検査体制、流用のリスクなどといったことが、具体的事情や政治的な事柄を含む事案の経緯なども勘案して、問われることになります。

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余談ながら、A町事件は、県内等を震撼させた大事件であるにもかかわらず岩手の弁護士さんがほとんど関わっていません(少なくとも、民事事件で関与しているのは、現在は私だけです)。

あまり具体的なことは書けませんが(事件が終わった後に、守秘義務などの範囲で、少し書いてみたいとは思っていますが)、その事件では、東京方面を中心に非常に多くの弁護士さんが関わっており、訴訟期日では、東京などの弁護士さん達に囲まれつつ仕事をしているという状態になっています(蛇足ながら、ほとんどの先生が、私ほどではないにせよ?経済的に割に合わない仕事をしている面があるように見えます)。

だから何だというわけではないのですが、この事件が世間の耳目を集めていた当時、地元で発生した大事件なのに、岩手の弁護士が関与しないのは残念なことだ、と思っていました。

それが、色々な偶然ないし行きがかり上、私が関わることになってしまったのですが、ある意味、(ご自分の迂闊さもあったとはいえ)とてつもない不運に巻き込まれてしまった依頼主(当事者ご本人)の心情と、私自身の、「とてつもなく不採算のリスクの高い仕事ではあるが、地元の町弁の意地?を示したい」との思いが重なる面もあり、ある程度の限界があるとはいえ、できる限りのことはやりたいと思っています。

稼げない町弁が地方の司法を変える?~裁判を活かす10の覚悟~

今年の7月頃、まちづくりに関する事業を手掛けている木下斉氏の「稼ぐまちが地方を変える」を読みました。

著者は、高校時代から早稲田商店街の活性化事業などに取り組んできた方で、その中で様々な利害対立の渦中に放り込まれて辛酸を嘗めた経験なども踏まえて、「地域の特性はもちろん全国的・世界的な「ピンホールマーケティング」までも視野に入れた魅力あるコンテンツを地域内に揃えることで、小さくとも確実に稼ぎながら地域に再投資し「公」を主導する企業を育てて、そのことを通じて地域づくりの取り組みを再構築すべきだ」という主張と、それを実現していく上での要諦に関する事柄が述べられています。

本書で取り上げられている「まちづくりを成功させる10の鉄則」は、零細事業者たる町弁の事務所経営にも当てはまる点が多く、色々と参考になります。顧客にとって「これ(問題の状況把握と解決の方法)は自分の生活に足らなかったもの」と思わせる強烈な個性(と熱意)が必要だと述べられている点などは、生存競争を迎えた町弁業界にこそ、向けられている言葉というべきでしょう。

本書でも代表例として取り上げられている「オガール紫波」で一躍時の人となった岡崎正信さんは、私も「同時期に盛岡JCに所属していた多数の会員の一人」としてfacebook上で「友達」とさせていただいており、硬軟様々なメッセージ性の強い投稿を日常的になさっているので、興味深く拝見しているのですが、以前から、岡崎さんのFB投稿への木下氏のコメントなどを拝見して同氏の活動に関心を持っていたので、発売後、すぐに購入して一気に読みました。

また、同じくJC繋がりのFB友達で、私をFBに誘因した張本人でもある、肴町のプリンスことS・Mさんから、7月に木下氏の講演会を盛岡で行うとの告知をいただいたので、歌手のコンサートの類は全く行かない私も久々にミーハー根性が刺激され、拝聴してきました。

残念ながら、その際は、少し遅れたところ席がびっしりと埋まっていたので、一番奥の隅にポツンと座らざるを得ず、聴き取り等に難儀した面がややありましたが、それでも、色々と興味深いお話を伺うことができました。

9月に書いておりメモもほとんど取らなかったので勘違いしている面もあるでしょうが、「人口減少は結果としての現象に過ぎないのだから、地域経済の低迷など、原因を形成している個々の事象に目を向けて、それに応じた対策を取るべき」とか「行政の運営で一番大事なことは、破綻しない、させない(夕張市や、巨額赤字=維持の税負担を強いる公共施設を作った各自治体のような愚を犯すことを防止する)ための仕組みを構築することだ」といったお話があったように思います。

また、そうした問題を克服していくため、己の才覚と責任で稼ぐ力を持った民間の経営者やそうした方に理解を持った公務員の方が、地域内で存在感を発揮すべきだという趣旨のエールがあり、参加された方には公民様々な立場の方がおられたようですが、大変好評のまま閉幕したように見えました。

ただ、自治体が法の趣旨に反する違法ないし無益な公金使用をした場合には、住民は、違法行為に関与した者の責任を問うための法的手続(住民監査請求、住民訴訟)を取ることができるわけですが、裁判沙汰はさすがに専門外?のせいか、そこまでの言及はなかったように思います。

とりわけ、住民訴訟などは、従前は、いわゆる市民運動に従事する左派系の関係者の方が行うものが多く(あとは、私怨などが絡んだ本人訴訟も拝見したことがあります)、個人的な印象としては、行政が推進する特定の政策の当否を住民訴訟というツールを通じて争うというケースは、一部の環境系訴訟(脱ダム訴訟など)以外には、ほとんど見られないのではと思われます。

「まちづくり系の訴訟」の前例として私が存じているものを挙げるとすれば、大分県日田市で企画された競輪のサテライト施設の反対運動(住民側代理人の先生が執筆された著作によれば、左右の勢力を問わず地域の諸勢力が結束して取り組んだものだったようです)に絡んだ行政訴訟が挙げられるとは思いますが、これは、国(中央官庁)の許認可の当否が問われた事件で、自治体による公金支出(開発行為)の当否が問われた事件ではありません。

少なくとも、私は、住民側であれ行政側であれ、地方行政等に役立つことができる弁護士になりたいと思って、数年前から「判例地方自治」という自治体絡みの裁判例を集めた雑誌を購読しているのですが、そうした政策の当否を問う訴訟をほとんど見たことがなく、その点は残念に感じています。

木下氏らの活動の中に、自治体が巨額の税金(自費や国の補助金)を投じて豪華な施設を作ったものの、維持費すら稼ぎ出すことができず自治体に重い負の遺産になっているケースを取り上げて警鐘を鳴らす(「墓標」シリーズ)というものがありますが、そうした問題についても、本来であれば住民監査請求や訴訟等が行われて、自治体の政策判断の当否(裁量逸脱の是非)が問われるべきではなかったかと思われます(すでに監査請求等の期間を途過しているのかもしれませんが)。

少なくとも、一般論として裁量違反のハードルが非常に高いことは確かですが、裁判を通じて、事実認定を含めて的を得た形で裁量論争が深められ、それに対し裁判所が法の趣旨を踏まえて緻密な検討をし、真っ当な判示がなされれば、訴訟の結果がどうあれ、対象となった政策分野を巡る行政裁量のあり方について一石を投じる(そのことで、行政を変える契機とする)ことができると言ってよいのではと思われます。

私は行政裁量が問題となる訴訟にほとんど関わったことがないので、大したことは申せませんが、私が少しだけ勉強している環境訴訟は行政裁量の当否が争われやすい分野であり、北村喜宣先生の「環境法」や越智敏裕先生の「環境訴訟法」などで行政裁量の争い方や最高裁の考え方などを論じた部分などが参考になるはずです。

また、先ほど述べたように、これまで、住民訴訟等に従事するのは、特定の政治的傾向を有する一部の運動家の方に限られていたという現実があるように思われ、木下氏らの文脈に合致した意味での「まちづくりに絡む公費濫用の予防や是正に関わる訴訟」に取り組む弁護士(や支援者)というのは、ほとんど聞いたことがないように思います。

そうであればこそ、合格者激増という「稼げない時代」を迎えた町弁業界にとっては、行政裁量との硬軟様々な関わりという問題は、今後、手掛けていきたいと考える弁護士が増えてくる分野であることは確かで、とりわけ、行政庁の任期付職員になるなどして裁量のボーダーラインを肌で感じる機会に恵まれた方などは、任期後に町弁として復帰した際、こうした訴訟を手掛けたい(いわば、ヤメ検が大物刑事弁護人になるように?古巣を相手に裁量論争を挑みたい)と希望するのかもしれません。

さらに言えば、そうした営みが活性化されてくれば、包括外部監査制度や内部職員としての従事(事業開始・執行段階からの関与)をはじめ、弁護士が地方行政(ひいては国家行政も)の内部で手掛けることが法律上(制度趣旨の面から)期待されている分野が広がり、そうした営みを通じて、法の支配の理念に合致し、かつ「税金の無益な浪費をさせない(本当に活性化させることにだけ使わせる)」など経営マインドにも合致するような行政の構築にも繋げることができるのではと期待したいところです。

ところで、本書の末尾は、「まちを変える10の覚悟」というキャッチフレーズ(とミニ解説)で締めくくられていますが、ここで取り上げられている言葉は、我が業界の需給の当事者にも、大いに当てはまる面があるように思います。

そんなわけで、これを拝借して、「裁判・司法を本当に役立つものにするための10の覚悟」とでも題して、少し、考えたことを書いてみたいと思います。こちらはありふれたことしか書いていないかもしれませんし、ここで書いたような理想どおりにいかない現実もありますが、元ネタ(本書の該当部分)と対比して参考にしていただければ幸いです。

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①弁護士や裁判(司法)に頼らない

裁判(法的手続)という営みは、弁護士や裁判所だけが行う仕事ではない。依頼者・当事者自身に、紛争の正しい姿や重要な事実、救済・解決の必要性を、裁判所(や代理人たる弁護士等)に真摯に伝える姿勢が必要。そのような姿勢に欠けると、結局、司法の側から熱意ある支援は得られない。

まして、個々の「紛争」の解決に関し弁護士や裁判所が実際に果たせる役割はごく限られている。紛争の原因・背景にあって司法が救済の役割を果たすことができるわけではない、当事者やそれを取り巻く環境にある様々な人的・物的問題とも、紛争解決への取り組みを通じてご自身が正面から向き合う姿勢を持つべき。

②自ら「適正」な労働力や資金を出す

司法(弁護士等)により良い仕事をさせるには、その事案・業務に相応しい人的、物的コストを負担する姿勢が必要。当事者が適正なコストを負担しない場合ほど、裁判等の進行や結果が「尻すぼみ」の結果になりやすい。

③「活動」ではなく「事業」としてやる

裁判は、余技のような「活動」でないことはもちろん、単に「弁護士に料金を払ってサービスの提供と結果を待つだけの営み」ではない。紛争の当事者=主体は自分自身であり、自らの活きるか死ぬかの闘い、人生の重大な岐路という認識を持って主体的に取り組むべき紛争が幾らでもある。

④論理的に考える

裁判の当事者は、自身の価値観に基づくバイアスのかかった主張や自身に都合の良い結論(願望)ありきの発想に陥りがち。そうした方に限って、判断の依って立つ基盤を崩されると過度に弱気になる例もある。

自分の立場的な価値観ありきで物を考えず、紛争を取り巻く様々な事実経過や原理原則、事案の特殊性や関係者の適正な利害などを論理的かつバランスよく考える姿勢が、当事者にも求められる。

⑤リスクを負う覚悟を持つ

裁判などの闘争の渦中に身を置かず、リスクとリターンのないところで願望や不満ばかり述べても何も変わらない。裁判等をしなければ事態の好転は望めない事案で、かつそれが相応しいタイミングであるにもかかわらず、面談した弁護士に不満や願望を述べるばかりで前に進もうとしない(闘おうとしない)方は珍しくない。

⑥「みんな病」から脱却する

裁判闘争を嫌がり、話し合いで解決したい(すべきだ)と強く希望する方は少なくないが、そうしたケースに限って、「関係者みんなの話し合い」では何も進まない(進めることができない)状況に陥っていることが通例である。法の力を借りて実現すべき適正な要望(解決方法)があるなら、たった一人でも闘う姿勢を示し自ら智恵と汗をかくことで、紛争の適切な解決のあり方について、他の関係者にも認識を共有させることができる。

⑦「楽しさ」と利益の両立を

裁判は、正義と悪の対決ではなく、正義と正義(エゴとエゴ、自我と自我)の衝突と調整が基本であり、長期戦が通常。だからこそ、適正な利益を実現するための智恵や熱意だけでなく、質の高い裁判闘争を通じて争点が整理され、紛争が適切に解決されていく過程を楽しむ姿勢があった方が、結果として得るものが大きい。

⑧「知識を入れて、事案を練って、主張立証を絞る」

より良く裁判を闘うには、法律はもちろん、その紛争の解決に必要な様々な分野の知識、理解を得て、それを前提に、事案の内容を適切に分析し、その上で、贅肉だらけの冗長な訴訟活動をするのでなく、可能な限り必要最小限のポイントを突いた主張立証で、裁判官の支持(と相手の納得)を得るよう努力するのが基本。

⑨裁判で学んだことを、次の人生、社会に生かす姿勢を

裁判は人生の岐路になりうるし学ぶところも多いが、あくまで人生の一つの過程に過ぎない。現在の法制度の限界や改正のあるべき姿を世に伝えることも含め、そこで学んだことや解決によって得た利益を次の人生ひいては社会全体に生かす姿勢を持っていただきたい。

⑩10年後を見通せ

裁判と戦争はよく似ており、望外の(過大な)利益を得るなど勝ちすぎると、後で反作用が生じることが少なくないと言われ、そうした観点から、勝訴する側が敢えて譲歩した和解を希望するのも珍しくない。そうした解決方法に限らず、裁判が終局してから10年後に、ご自身やその他の関係者が、裁判で行われた議論や生じた結論に恥じることのない、何より、笑顔で暮らすことができるような将来を見据えて、裁判という闘いの場に臨んでいただきたい。

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最後になりますが、前記の木下氏講演会では、本書の購入者にはあまり有り難くない話?ですが、参加者に本書が1冊ずつ配布されていました。

私は、自分が読んだ本を持参してサインしていただきたかったのですが、愚かにも忘れてしまったので、やむなく、当日配布された本にサインしていただきました(ので、結果的に、本書が配布されて助かりました)。

というわけで、私の手元には本書が2冊あり、サインをいただいたものは有り難く事務所に鎮座させますので、私の手垢と折り目がついたもう1冊を欲しいという方がおられれば、ご遠慮なくご来所下さい。

公務員が危険な作業を民間人に代行させた際に生じた事故と責任

北海道のある牧場に国が設置した施設内で生じた民間人の死亡事故で、担当公務員の事故防止措置義務違反を理由とする遺族からの国家賠償請求が認められた例について若干勉強しました。

具体的には、AB夫妻が経営している帯広地方の甲牧場内に国が設置・管理した「肥培かんがい施設」(牛などの家畜糞尿の処理施設)を管理を担当する国の機関の職員Cが施設の状況の調査中に、施設の一部である糞尿の貯留槽の蓋を誤って落下させてしまったところ、AB夫妻がCに対し、後日回収しておくと申し出たため、CもABに委ねました。そして、ABが貯留槽内で回収作業をしていた際、急性硫化水素中毒と見られる症状が生じて死亡するという事故が生じたものです。

そこで、夫妻の遺族Xが「CにはABに蓋の回収を委ねる際に、作業の危険性を警告する等の事故防止措置を講ずべき義務の違反などがあった」と主張して国に賠償請求したところ、裁判所(釧路地裁帯広支判H26.4.21判時2234-87)は、Xの主張(担当職員の義務違反)を認め、国に数千万円の賠償を命じています(但し、AB夫妻にも4割の過失があったと認定)。

そもそも、公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失により違法に他人に損害を加えたときは、国又は地方公共団体が賠償責任を負います(国家賠償法1条1項)。

国賠請求を巡る紛争は公務の種類や態様に応じて多岐に亘りますが、「公務員が自ら行うべき作業を申出により民間人に委ねた際に事故が発生した場合に、作業に内在する危険性を警告しなかったことを理由に被害者が賠償請求した例」というのは滅多に聞いたことがなく、同様の性質を持つ事故の賠償問題を考える際に、参考になると思われます。

また、「業務として危険な作業に従事する者が、その作業の一部を好意で代替を申し出た他者に委ねた際に、その者への説明不足に起因して死傷の結果が生する例」というのは、民間企業などでも十分ありうることでしょうから、そうした事故の賠償責任を検討する際にも参考価値があると思われます。

裏を返せば、公務員に限らず、危険性を伴う作業に従事する方が、業務の際に関係者と接する際における事故防止のための措置(接する者への説明等)のあり方という点でも参考になると思われ、研修のための素材として活用できる裁判例というべきかもしれません。

消費税の課税標準の判断を巡る裁判

田舎の町弁をしていると、税務に関する法的紛争(申告等の解釈等を巡る税務署との争いなど)の相談、依頼を受けることはほとんどないと言ってよいのですが、東京時代に重加算税処分を争う訴訟を手掛けたこともあり、判例雑誌の勉強くらいはやっておこうということで、多少は勉強するようにしています。

といっても、判例時報などで時折取り上げられる「海外のタックスヘイブンを絡めた巨額の節税対策を巡る紛争(所得税法絡み)」は、田舎の町弁に縁のある紛争とはとても思えず、真面目に読んで勉強するのは、我が業界が対象となった「破産管財人の源泉徴収義務」に関する最高裁の判例など、一部に留まっているのが実情です。

この点、判例地方自治(雑誌)では、固定資産税の評価などを巡る訴訟が多く取り上げられているのですが、消費税は滅多に出番がないと思っていたところ、平成18年に、課税標準(消費税の算定の基礎となる課税資産の譲渡等の対価の額=対価として収受する(すべき)経済的利益の額)の算定を巡る裁判例があったのを見つけました。

具体的には、静岡県川根町の第三セクターが経営する温泉運営企業が、平成12~15年に、入湯客数や入湯税の対象者数を毎日集計し、営業日報に記載する方法で入湯税額を毎日算出して町に申告納税することにより、消費税は課税標準額に入湯税相当額を含めずに税務署に申告していた件で、税務署長が、当該申告方法(消費税の課税標準額からの除外)を認めずに更正・過少申告加算税賦課処分をしたため、企業側が処分取消請求をしたところ認容された例です。(東京地判H18.10.27判タ1264-195

裁判所は、上記の経理作業のほか、顧客への周知などから取引価額と入湯税を区別していたとして、入湯税部分が課税標準額の対象外となることを認めています。

ところで、このような「消費税と他の税金の二重課税」の問題は、温泉税に限らず、酒税など幾つかの商品・サービスで問題になりうるのではないかと思い、そうした紛争や制度上の手当の有無はどうなっているのかと少しだけ検索してみました。

すると、ある税理士さんのサイトで、「たばこ税・酒税等はメーカーが納税義務者となって負担する税金で、その販売価額の一部を構成しているので消費税の課税標準に含まれる。軽油引取税、ゴルフ場利用税、入湯税等は利用者(消費者)が負担する税金なので、原則として消費税の課税標準から除外される」とあり、そうであれば、残念ながら街の酒屋さんなどが、上記の温泉企業のような工夫をして消費税を節税することは難しい(他方、ゴルフ場などは、工夫次第で可能であり、税務署の処分を争うこともありうる)ということになるのかもしれません(もちろん、両者を区別することについての制度論としての当否の問題はかなりあるとは思いますが)。

ところで、上記の裁判例を手掛けたのは我が国の税務訴訟の第一人者と目されている鳥飼重和先生の事務所で、判決文の代理人一覧には面識のある方も含まれているのですが、税務訴訟のすべてが「第一人者が担うべき、多様で総合的な税法の知識、理解を要する訴訟」であるわけではなく、中には、事実認定が主たる争点であるとか、法律論としてはさほど複雑ではない案件もありますので、訴訟外の交渉なども含め、田舎の町弁にもお役に立てる機会をもっと持てればと思っています。

「物議を醸す施設」の建設阻止(営業妨害)と関係者の責任

行政が、周辺住民などが反対する企業の進出を阻止するため、風営法などの立地規制を利用しようとして、その企業と賠償問題などの紛争になることがあります。

先日、その一例として、「パチンコ業者Xの出店を阻止するため、国分寺市Yが風営法の立地規制を利用する目的で、市立図書館条例を改正して隣接地に図書館を開設して出店を断念させたため、XがYに賠償請求し、3億円強が認容された例」(東京地判H25.7.19判例地方自治386-46)を少し勉強しました。

解説では、個室付浴場や高層マンションの建設を阻止する目的でなされた行政等の措置に関する国賠請求が認容された前例などが紹介されています。

この種の出店妨害は、同業者がライバル業者の出店を阻止する目的で、土地を取得し社会福祉法人などに寄付する方法でなされることもあり、最高裁の判決があるほか、盛岡でもこの種の裁判が提訴され巨額の賠償が命じられた例があります。

パチンコ等の業態に対する社会的な評価はさておき、設置規制などを、設置反対者の利益を図る目的で、法の趣旨に即しない形で活用(悪用?)したと裁判所が評価した場合には、厳しい判断がなされる可能性が濃厚ですので、それらの施設の建設を阻止したいということであれば、急進的な手法は通用しない可能性が高いとの認識のもと、遠回りでも、良好な景観形成などに関し、文化的なものから法的なものまで地道かつ多様な努力を積み重ねていただくほかないのではないかと思います。

ところで、上記の判決の認定によれは、市が条例の制定にあたり、顧問弁護士などに法的リスクについて諮問し、「リスクがあるが、●●の展開になれば賠償紛争を避けられるかも」などと回答していたようです。この種の相談を受ける弁護士としては、リスクを強調して依頼者が行おうとする行動を極力防ぐ方向で回答すべきか、何らかの手段がありうるとして依頼者の希望に沿う方向で回答すべきか、悩ましい面が色々とあると思いますが、少なくとも、前例などを調査し紹介するなどして、依頼者が適切な判断をできるように努める必要があります。

この事案では、顧問弁護士が諮問を受けたのが平成18年とのことですが、パチンコの出店妨害問題を巡っては、平成19年に最高裁の判決がなされているものの、それ以前に最高裁の判決はないようですので、当然に顧問弁護士の判断を違法(業務水準違反)と言うべきではないでしょうが、その種の紛争に関する下級審裁判例はそれなりに出ていたそうなので、それらを調査し市に提供することが求められていたというべきかもしれません。

この点に関し、景観保全のためマンション建設を巡る紛争が生じた国立市では、業者が市に賠償請求して認められ、住民訴訟により市長個人の賠償責任が問われ、責任を認める判決がなされており(東京地判H22.12.22)、上記の国分寺市の事件でも、市長その他の責任が問われる事態もありうるかもしれません。

その場合、事案次第では、事前に関与した弁護士も相被告として提訴される可能性もないとは言えないのでしょうし、今後は、自治体の権限強化(地方分権)が叫ばれることで、自治体の権限行使の適法性を問うような紛争は増えてくると思われます。

「周辺住民等から反対運動が生じる施設の建設等の阻止を巡って賠償問題が生じる例」は、風営法を利用したパチンコ施設の出店妨害の問題に限らず、廃棄物処理施設などでも生じており、そうした事案への対処も含め、研鑽を積んでいかなければと思っています。

東北油化の倒産と周辺環境の原状回復

先月頃から、奥州市江刺区にある東北油化という家畜の死骸処理を行う会社が周辺に悪臭等を生じさせたとして行政処分を受け、程なく自己破産申立をしたとの報道がなされています。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20141012_3

私自身は(少なくとも現時点で)この事件には全く関わっていませんので、報道されている以上の事実関係は知りませんが、岩手県から水濁法や条例に基づき汚水や悪臭の是正措置を命じられていた中で破産申立がなされたということは、一般論としては、法令に適合する是正措置を講ずるだけの資力がないのではと危惧されます。

当然、破産したからといって会社に是正措置を講ずべき義務が無くなるわけではありませんし、会社施設の原状回復(特に、周辺環境に著しい悪影響を生じさせるような有害物質等の除去)は、破産手続=管財人の業務上も優先性の高い事務とされています。

ただ、破産手続は、換価・回収可能な会社財産(破産財団)の範囲内で会社の財産の管理や配当を行う手続ですので、もし、同社が当該措置(水質などの原状回復工事)を行うに足る金融資産等を有するのなら、管財人が早急に当該措置に着手するでしょうが、それを賄うに足る資産がない場合は、管財人としては手の施しようがありません。

この場合、有害性の強い物質が拡散するなど周辺環境への悪影響が看過できないもので、税金を投入してでも原状回復をすべきだと判断されるときは、岩手県知事は、行政代執行により一定の除去工事を行う可能性があります(廃棄物処理法19条の8)。

仮に、上記の事情が認められるのに県が代執行を行わない場合には、住民は、豊島事件のように公害調停を申し立てることで、県に代執行を行うよう働きかけることが、方法としては考えられます(行政代執行の義務づけ訴訟という手段も考え得るかもしれませんが、ハードルはかなり高いと思われます)。

ただ、岩手県庁(環境部局)は、県境不法投棄で全量撤去を早期決定するなどの前例がありますので、現在の制度上、代執行の必要性が高い案件であれば、そのような手続を経ずとも、率先して一定の除去工事を行うことは期待できるのではないかと思われます。

なお、管財人(破産財団)が自ら実施できるにせよ、税金を投入(代執行)せざるを得ないにせよ、債権者や納税者の犠牲のもとに高額な原状回復工事を余儀なくされる場合には、そうした事態を招いた会社役員など主要関係者の個人責任を厳しく追及すべきではないかという問題があるかと思います。

水濁法は仕事上関わったことがないため詳しくは存じませんが、事案次第では、廃棄物処理法を含め、何らかの刑事罰の適用がありうるかもしれません。また、刑事罰に至らなくとも、会社等に対する民事上の賠償責任(特に会社法に基づく役員の賠償責任)は十分にありうるところです。

この事件が、そうしたスケールの大きい事件なのか、さほど除去工事に費用を要せず管財人が簡単に実施できるレベルなのか分かりませんが、周辺環境に禍根を残すような形にはならないよう、住民や報道関係者などは、今後も成り行きを注視していただければと思います。

また、報道によれば、同社は県内で牛の死骸の処理ができる唯一の施設で、県内の畜産農家への影響が懸念されるとのことですが、そのような企業であれば、経営破綻になる前に、行政が経営の健全性を何らかの形で調査したり、経営困難な事情が生じた場合には、破綻になる前に事業譲渡など混乱回避の措置を講じる仕組みづくりが必要ではないかと思われます。

そうしたことも含めて、一連の経過を検証し今後に繋げるような取り組みがなされることを期待しています。