北奥法律事務所

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中小企業法務

公的団体の内部不祥事と公表の議論を巡る内部の光景

先日、JR東日本が社員の着服事件を外部公表していなかったことを取り上げる記事が出ていました。

以前、私も所属する某団体で、この報道(従業員の横領事件)と似たような問題が生じたことがあります。

役員の方々が大変尽力され、団体の被害は完全回復されたそうなのですが、その事案を対外的に公表するか、団体内で議論がありました。

私は会場に赴かずにズーム参加したのですが、過去に団体の役員をつとめた有力会員の方からは、内部の問題であり公表不要との意見があり、会場内では異論がなされていないようでした。

私は、その団体が強い公的性格を持つ(と世間一般が感じている)以上、不公表は適切ではない、お役所や金融機関などで同種の不祥事が起きていれば必ず公表するだろうから、当事者等を特定する情報を全て伏せた上で、このような事件自体はありました、と公表すべきではないかと意見しました。

すると、会場内の他の有力な会員の方から「役所などとは全然違う」などと、それに強く反発する反論を受けました。

明言はされていませんでしたが、不祥事を起こした方は、長年その団体のため多大な尽力をされ、多くの会員が自分達の身内だと感じてきたような方であり、「どうしてお前は(本人が事実を全て認めて被害回復も実現したのに)自分達の仲間を苦しめようとしているのか」と非難するニュアンスを強く感じました。

その後、大ベテランの方から、私の意見に理解を示すコメントがあり、それ以上、他に意見もありませんでしたので、あとは役員の方々に一任することになりました(誰も意見は言いたくなかったでしょうし、私自身、公表を主張する方が他にいたなら、好んで意見をすることはなかったでしょう)。

それから少しして、結局、私の意見どおり、その団体が、当事者等の特定情報を全て伏せた上で、その事案について公表している報道を拝見しました。もともと外部への被害がなく内部では解決済みということもあり、それ以上、世間でその件が取り上げられることはなかったと思います。

そのことを、この話を伝えても許されるであろう、ある方に話したところ、「仮に、公表せず伏せていれば、週刊誌などで批判的なニュアンスを交えて取り上げられ、団体や業界の信用を傷つけることもありえたのではないか。上記のやり方が正解というほかない。誰かが、そうすべきだとの意見を言わなければならなかったのだ」とのコメントをいただきました。

ただ、自分達の仲間を守りたい、内部で責任を取ったのだから、それ以上は苦しめたくないという方々の心情も、何一つ間違っていないと思います。

確実に言えることは、私はその団体では昔も今も末端ヒラ会員であり、残念ながら、団体内の多くの方々と、あまり親しい関係を築けず疎遠なまま終わりそうだ、ということだけでしょうか。

或いは、その方が、司法の世界に身を置く者らしいのかもしれませんが。

 

15年以上前に消えた名物駅弁と、今も放置されたままの課題

平成19年4月に旧ブログに投稿した文章の再掲です。詳細は差し控えますが、店じまい(店主さんの引退)の手伝いをさせていただく中で感じたことを書いたものです。

今年も食品関連の会社さんの破産申立を行いましたが、先日、事件記録を読み返したところ、惣菜関係の多数のレシピを有していたとのことで、本来なら、そうした「直ちに値段はつかない(管財人等による現金化には馴染まない)かもしれないが、誰かが生かせるであろう無形資産(様々なレシピ・ノウハウなど)」を簡易に保全・保存できる方法(Web等を通じた情報収集・管理センター的なもの)があればと、残念に感じてしまいます。

*****

JR一戸駅には、山口松山堂の「ロースカツ弁当」という数十年間親しまれてきた名物駅弁があったという話を、新聞で知りました。

残念ながら、今年の3月一杯で閉店してしまったそうですが、話を聞きつけて全国各地から食べにきた人がいたそうです。

恥ずかしながら、隣町の住人でありながら最近まで全然知らなかったこともあり、3月中旬に実家に行ってきた帰りに、買って帰って食べましたが、確かに、名物駅弁といわれるだけのことはある美味しさでした。

子供のころ一戸町内に住んでいた小説家の高橋克彦氏は、4食分買って4回連続して食べていたそうですが、確かに貧しい田舎ではそれだけ食べたくなるような味ではないか(妙に飽きのこないものがあった)と思いました。

現在、岩手県北の貧困等の拡大が特に問題視されていますが、このような「全国に知名度のあった町の宝」を何某かの手段を講じて保存することはできなかったのか、惜しまれます。

例えば、心ある若手経営者等が製法を学びに行って、何某かの形で(例えば地元のレストラン等で提供するとか、盛岡の駅弁業者等が継承するとか)存続させることはできなかったのでしょうか。

また、一戸町役場は、自ら金を出すことまではできなかったとしても、そういった後継者を募るようなキャンペーンをすることはできなかったのでしょうか。

今からでも、できることはやっていただきたいです。

こうした「(役所主導ではなく)自然発生的に生まれた地域文化遺産」を存続・継承できるかどうかで、その地域の真の地力の有無が明らかになると思っています。 
(平成19年4月5日)

大人同士のいじめ事件と、残念な光景に挑むお気の毒な弁護士

この仕事(マチ弁業)をしていると、時折、

「人を食いものにして(巧妙に利用して)暴利・悪銭を得ようとする類の人と、その御仁に依存・従属し搾取された残念な人との争い(往々にして、後者が搾取された利益を取り返そうとする類の紛争)」

に遭遇することがあり、私の場合、前者にはご縁がなく、後者の方々が、とても酷い状態になってから、なんとかして欲しいと門を叩いてくることが通常です。

で、この種の紛争の常として、前者が自身の搾取を正当化しようとする外形(形式的証拠)を何らかの方法で作っていることが多く、この種の紛争が、事業者間・個人間で生じる(ので、消費者契約法の出番もない)ことも相俟って、やる気のない裁判官に遭遇してしまうと、後者がどんなに酷い目に遭っていても、あんたがそれを了解したんでしょ、などと形式論理で前者を勝たせてしまう危険が十分あります。

よって、この種の紛争では、そうした「ろくでなしな外形証拠(往々にして、当方ご本人が押印等してたりする)」をどうやって打ち破るかがテーマとなりやすく、そのためには、詳細な実質論や裏付けとなる事実関係を、独りよがりな価値判断ではなく、裁判官が勝訴判決を書くには何を積み上げるべきかも考えた上で、法廷に届ける作業をしなければなりません。

往々にして「この残念な物語を、きちんと裁判官に伝えて正しい事実を踏まえた判断をしてもらうべきだ(相手方のろくでなしな主張事実を放置してはいけない)」と感じることも多く、結論として、受任弁護士が(やる気の無い人を除き)塗炭の苦しみを余儀なくされることになります。

この種の話は、2~3年に1回くらいの頻度で出逢いがあり、現在も、膨大な作業に追われ続けた受任事件があります。

平たく言えば「大人同士のいじめ事件(それも、カネや力のある人が絡んでいる)」であり、諸々の理由から今回も何が何でも負けてたまるかという気持ちで死力を尽くしてきました。

近年、心身の緩やかな衰えを感じるようになりましたが、この種の作業に没頭したときは今も徹夜仕事を繰り返しており、俺もまだ捨てたもんじゃない、と感じたりもします。

で、我々の業界では、長文は書くなとか情緒的な文書を書くなとか散々言われますが、この種の事件では肚の奥に色々な事柄が溜まるせいか、決めゼリフ言いたい病から逃れることができません。

というわけで、その際に提出した準備書面から一言。

「被告の主張は原告に隷属を強いるものに他ならず、法的に正当化されることがあってはならない。それは、法の正義に反することが誰の目から見ても明白だからである。」

この種の事件は、タイムチャージ的には大赤字が不可避ですが、先般、山浦もと最高裁判事(弁護士出身)の「お気の毒な弁護士」を拝見し、「まだまだ俺も修行が足りん」と、自分を慰めて作業に向かうことにしています。

ただ、解決まで3~4年かかった数年前の事件では、運良く大成功を修め、奇跡的に採算の合う仕事ができたので、「お気の毒だが欲界と資金繰り地獄から逃れられぬ田舎のマチ弁」としては、また僥倖に恵まれないかなぁ・・と、そればかり考えてしまいます(笑?)。

中小・零細企業の事業承継や事業譲渡と弁護士への相談等を巡る地方の実情

昨日の岩手日報で、県内企業の4社に3社が事業承継を経営課題ととらえているとの記事が出ていました。

先般も、ウイルス禍の関係で全国的に小規模事業者の事業譲渡等(M&A)が増えているとの記事を見かけています(今は削除されてしまったようです)。

私も、少し前、関与先の会社さんの事業譲渡に関する株主総会の特別決議のための総会招集などのお手伝いをしたことがあります(諸事情により、総会も当事務所で行いました)。

その事案はさておき、一般論としては、小規模企業の事業承継、M&Aなどでは譲渡側企業に何らかの法的課題が生じていることが多いので、

①購入側は一定の情報・資料が揃った時点で何らかの法的リスクがないか調査する、

②譲渡側も、事業以外の点(相続対策など)も含め、事業や経営者の現状・概要をまとめて、現時点で行っておくべき方策がないか調査する、

という形で、(高額報酬になるのであろう東京の専門の弁護士さんだけでなく)我々のようなフツーの弁護士にも相談等いただいてよいのではと思います。

我々は、事業自体の値段の査定をするのは難しいでしょうが(それは会計士さんなどの仕事)、リスク査定やそれを踏まえた対策などを提案或いは対処すること(価値の変動要因の指摘を含む)は、マチ弁の通常業務を通じて日常的にやっているはずですので。

M&A会社などから一定の調査資料の提供を受けられるなら、それを預かり精査すれば、基礎的なコメントは、すぐにできそうな気がします(事前準備が適切になされていれば、タイムチャージ費用もさほど高額にならないケースが多いでしょう)。

これに対し、とりわけ譲渡側で、それら資料が何もない(ご自身も資料等の準備もなさらず相談にいらした)という場合は、基礎的な聴取等だけで馬鹿にならない時間=経費を要することになりそうなので、準備・聴取用のマニュアル的なものがあればと思ったりもします。

5年以上前、県内の小規模事業者の方から

「自分の事業を譲渡したい、貴方は役に立ってくれるか」と相談され、

「事業に値段を付けたり買い手を探すなどの作業は私にはできないので、M&A会社に相談して下さい。ただ、それを通じて一定程度まで話が進み資料が揃えば、それらを拝見して内在する法的な問題の検討や事業評価のあり方も含め、役に立てることはあると思います」

と回答して終了したところ、結局、その後アクセスを受けることはなかったという経験をしたことはありますが(営業的には落第点ということになるのでしょうか)、そうした形で弁護士を活用する文化・慣行を育てていただければと思っています。

何年か前に、岩手県議さん達と弁政連岩手支部との懇談会でも、似たような話をした記憶があります。

が、その後、県議さんからは、誰一人、「詳しい話を聞かせて」「支援者の相談に乗ってくれ」などとと打診されることもなく、今日も、ほそぼそとマチ弁仕事に明け暮れているところです。

社会に必要な小規模企業が消えゆく光景を繰り返させないために

先日の岩手日報に、紫波町の特産品である洋梨「ラ・フランス」をほぼ一手に生産する企業(紫波農園)が、人手不足や後継者難などを理由に閉園し、果樹も伐採される予定との記事が出ていました。

ラ・フランスは県内でも果物類の生産が盛んな紫波町を象徴する果物として認知されてきたと理解していますので、誰か承継できなかったのだろうかと、非常に残念に思います。

近年、小規模企業が同様の理由で廃業する例が非常に多く生じており、倒産を余儀なくされる例も少なくないようです。

反面、ここ10年ほど、裁判所に申し立てられる破産事件はごく限られた件数に止まっており、債務超過でも、銀行債務などを残したまま法的手続をせず放置する例が多数生じているのかもしれません。

昔と違って「いわゆるサラ金・商工ローンによる恫喝的な取立」をほとんど聞かなくなったことも、影響しているかもしれませんが。

後継者難については、近年、事業承継支援の動きが色々ありますが、報道や巷の光景を拝見する限り、実際に有益な対応がなされているのは膨大な需要のごく一部に止まるように見受けられます。

根本的な原因は、承継支援(マッチング支援、条件整備支援、事業維持支援など)の担い手不足もさることながら、事業承継の文化(ひらたく言えば、自分の家族以外に、企業を引き継がせる文化)そのものが根付いておらず、客観的には事業承継等の支援が必要でも、需要側(現在の経営者側)が必要性を認識・自覚したり、承継を求めて自ら動いたり第三者の支援を受けたいと考え、動き出すこと自体が、滅多になされていないことではないかと思います。

誤解を恐れずに申せば、病を患っている人が手の施しようのない状態になるまで医師の診察を受けないという話に似ているかもしれませんし、根本的には、日本人の「イエ意識」が、最大の壁になっているのかもしれません。

そのような意味では、ドラマや映画などで小規模事業の承継をテーマ・内容とする作品を取り上げるなどして第三者への承継を身近なものにすると共に承継後の「ハッピーリタイヤ」(とリスク対処)も視覚化して、「文化を変える」ような営みが、もっと盛んになればと思っています。

ともあれ、小規模従事者のための事業承継については、弁護士も本来であれば法務デューデリジェンス(法的資産査定)などの形でお役に立てる場面が多々あると思っており、制度の整備や利用の推進が、もっと盛んになればと感じています。

*****

ところで、県内で新聞販売店を営んでおられる経営者の方が、FBで上記の記事を紹介すると共に、我が業界も人手不足で大変だ、と嘆いておられるのを拝見し、若干の意見交換をさせていただきました。

人手不足一般に関しては、機械化云々や生産性=収益・賃金向上による就労希望者の獲得以外に対処法がないかもしれませんが、新聞配達の場合、毎朝3時~6時に就労することが必要で、機械化なども難しいことなどから、人員確保には、かなりのご苦労があるようです。

新聞も、10年か15年もすれば、ドローン配達もありうるのかもしれませんし、従事者の減少が、結果としてWeb利用での新聞購読(現在のPC・携帯での購読)を促進するのかもしれません。

ただ、個人的には、それとは別に、近未来には、新聞配達を全面的に不要とする仕組み・慣行が作られるかもしれないと思っています。

例えば「新聞紙のような形状・質感・軽量のデバイスにWeb上で新聞社が利用者に新聞データを電送し、利用者は都度、DLした新聞データ(チラシ広告を含む)を閲覧する方法」です。

これなら、PCや携帯で見るのと異なり紙面を広げて読むなど新聞本来の閲覧方法が可能で、デバイスが壊れない限り、延々と再使用できますし、データ保存も可能なので切り抜きを保存する必要もありません。データ整理も容易でしょう。

デバイスが主要紙の全部(海外含め)に対応すれば、1個のデバイスに各社の新聞データをDLして閲覧することもできます。

私は新聞は紙媒体派で、Webニュースは無料記事しか見ていませんが、上記のデバイスができたときは、利用しそうな気もします。

仮に、そのようなデバイスが作られ普及した(紙媒体に全面的に取って代わった)ときは、新聞販売店という企業(配達員という業態)自体が不要となる(貴社も業態転換を迫られる)ことになるのかもしれません。

まあ、妄想ないしミニSFの類と一蹴されるだけかもしれませんが。

また、配達員の確保困難を理由に販売店の業務継続が困難となった場合、郵便事業と何らかの形で融合させることは、解決策になるかと思います。

具体的には、朝刊の毎朝配達を諦め、郵便局が、郵便物の配達時間と一緒に(午前中などの配達時間に)対象地域を巡回して、郵便物と一緒に(その日は郵便物がない家にも)新聞を投函する、という方法です。

県内の販売店の方々も、中心部市街地のみ自社で対応し、山間地などは郵便局に対応して貰う(購読者も、やむを得ないものとして了解して貰う)形にすれば、現下の情勢でも、やりくりできるのかもしれません。

・・と思って「新聞配達 郵便」で検索したところ、すでに、かなり実施されているようです
今後は中心市街地以外は郵便などで新聞を配達するのが当たり前になるのかもしれません。

ともあれ、事業者の方々から、現在の事業経営上の問題点を伺ったり、法律問題に限らず、何か役立てることがないか調べたり考えたりするのも、色々と有意義が面があるように感じています。

さして地縁もない身で田舎のマチ弁をしていると、地元の事業者の方々から依頼等を受ける機会はさほど多くはありませんが、もっとお役に立つ機会があればと思いつつ、皆さんのご健闘を祈念しております。

ウイルス禍における賃料問題と廃業支援としての経営者保証ガイドライン

新型ウイルス禍で休業等を余儀なくされる飲食店などが休業期間中も賃料の負担を余儀なくされ廃業等に追い込まれる(ので支援を要する)という問題は、4月下旬頃から都道府県や国レベルで様々な救済策が検討・実施され、今も流動的な状況にあると思われます。

私自身は3月頃には賃料問題は今回の件で特に立法的解決が求められる問題ではないかと思っていましたので、この報道(論点)の行方には強い関心があります。

この種の事件を手がけておらず、込み入った検討はしていませんが、一般論として、ウイルス禍による休業を理由に貸主に賃料を請求する法律上の権利が借主にあるか(現行法上認められるか)と言われれば、貸主から使用停止を求められるなどという特段の事情がない限り、非常に厳しいのではと現時点では思っています。

他の先生のブログで、物件価値の大幅下落を前提とした賃料減額請求が検討されていましたが、その先生も、その場合は鑑定が必要になるなど現実的ではないと仰っていたと記憶しています。

他方、借主が望まぬ休業で契約上予定していた使用収益(による賃料原資の獲得)ができず、塗炭の苦しみを強いられているのに、貸主のみが何のリスクもなく契約どおりの賃料を支払え、というのは社会的公正ないし公平の観点から、相当に違和感があります。

その先生のブログでは、貸主側からの相談で、借主より強硬な減額要請を受け、やむなく応じているとの話を幾つも受けているとの記載があり、実際には貸主も大変な目に遭っている事案も多いのでしょうが、現行法でルールがないため「良心次第・交渉(大声)次第」という歪な状態になり、トータルで不公正な光景も相応に生じているのではと危惧されます。

結論として、疫病などで休業が不可避の状況にある場合は、一定の算式を作成して相応の減免等の請求を簡易に認めると共に、貸主(ひいては、その先にある銀行等)にも、相応の受益的措置(建設費などのローン支払猶予と利息停止や債務減額、固資税などの減免その他)を講じるような法的措置を早急に講じていただければと考えています。

話は少し変わりますが、厳しい経済情勢に伴い全国的には廃業や倒産の報道も増えてきましたが、当方に関しては、現時点でそのようなご相談はまだ全く受けていません。

小規模企業の債務整理に関しては、最後の選択肢である破産と、現状では金額面で利用困難な民事再生のほか、事案次第では利用でき、自宅の維持確保など破産などよりも遙かにメリットの大きい解決になりやすい「経営者保証ガイドライン」という、第3の選択肢があります。

田舎の町弁にはあまり接点のない(ので、岩手でも経験のある弁護士は多くはないはずの)手法なのですが、私は2年ほど前に小規模な福祉施設の店じまいの事案で活用しており、先般も、ウイルス禍が原因ではありませんが、店じまいをせざるを得ないという小さな地元企業さんで、GLで解決できる事案を受任し、現在、各種対応に追われています(2年ぶりで、これが実質2件目なので、試行錯誤的を交えつつではありますが)。

経営者保証ガイドラインは世間ではほとんど知られていない制度で、私が受任した案件でも、ご本人に「本件は、個人再生が無理な事案で、破産も自宅を手放さざるを得ない、GLなら自宅を守ることができるはず」とお伝えすると、そんな制度があるのかと驚き、強い安堵を示しておられました。

それだけに失敗は許されないとの姿勢で臨んでいますが、現下の情勢により店じまいを避けることができなくなった企業の方が、GLによる解決が可能であるのに知識不足や出会いに恵まれないことなどにより、残念な選択に至ってしまうことがなければと、願っているところです。

次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~第2話~

恐らく次期日弁連長に選出されるであろう山岸良太弁護士と駆け出し時代の私が間接的に対決していたことに触れた話の第2話(私の関わり編)です。

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平成12年の春、就職後間もない私が夜に一人で事務所の記録庫を漁っていると(と書くと聞こえが悪いですが、ボスが手がけている事件を自主的に勉強したいとの目的です。たぶん・・)、おおっ、天下の森綜が相手の事件があるのか、しかもガチンコ支配権紛争だ、と興奮したのを今も覚えています。

もちろん自分が後日関わることになるとは微塵も思っておらず、ミーハー感覚で記録をチラ見しただけでしたが、半年ほど経過して、その事件の係属紛争の一つで、1審でB氏が敗訴した事件(相手はA氏ではなくα社。代理人も森綜ではなくα社の顧問弁護士さん)の控訴趣意書を私に起案せよとのお達しがボスからありました。

そして、私でよいのだろうかと思いつつ、多くの新人がそうであるように「巨大事務所を相手とする企業法務の大事件」にある種の憧れを抱いていた平凡な駆け出しイソ弁の一人として、その事件に関われることが嬉しくて、無我夢中で記録や文献を読み漁り、終電仕事を繰り返しながら、長文の控訴趣意書を作成しました。

ただ、その事件の特質(メインの受任者がボスではなく某先生であること等?)のためか、私は受任者(代理人)ではなく、ボス(及び代理人として書面に名を連ねる某先生達)のゴーストライター(起案代行)という立場であり、また、起案にあたりB氏からお話を伺うなどの機会はありませんでした。

当然のことながら、通常は、事務所の依頼者の方と直にお会いしお気持ちを伺ったり事実や証拠を確認した上で起案を始めますので、依頼者から説明を受けず「記録(と文献)だけで起案する」ことに疑問や不安を感じないこともありませんでしたが、私の内気さ(或いはボスの敷居の高さ)もさることながら特殊な事件という認識もあり、敢えて自分からボスに「B氏と会わせて下さい、某先生の事務所で行われる打ち合わせにも同行させて下さい、法廷も傍聴させて下さい」と求めることなく、純然たる「ただの起案屋さん」で終わってしまいました。

自分の名前が出ないこと自体は不満も何もありませんが、やはり、B氏との面談(打ち合わせへの同席など)を一度でもボスにお願いすべきだったのでは(起案担当者が依頼者と会わず肌感覚の心証もとれないというのは、いくら何でも間違っているのではないか)と感じざるを得ない面はありましたし、ボスはもちろん某先生も恐らくB氏も(たぶん、相手方たる山岸先生たちも)私=法廷に来ていない若いイソ弁が起案していることを分かっていたはずで、それだけに「貴方の顔が見たい(お前も出てこい)」という話が全くなかったことには、少し、さびしい面がありました。

その後、天王山というべき事件(もちろん、相手方は山岸先生たちです)の上告趣意書も任せていただいた(私が売り込んだのではなく、ボスから指示された)のですが、株主間契約の法的性質が中心争点であり、私が全く関与していない控訴審では「有効な合意だが当事者の合意から長期の期間が経過したので法的拘束力が失われた」との理由で敗訴していたため、そのような場当たり的な法律論が許されてなるものかとの思いで、東弁図書館などにあった株主間契約などの文献を徹底的に読み漁り、当時の書式(B5)で100頁超の上告受理申立理由書も作成しています。

今でこそ株主間契約は、企業経営に臨む方(とりわけ共同出資者間)の基本的な留意事項の一つですが、平成12~13年当時は、まだほとんど国内では表だった議論がなく、日本の文献ではほとんど触れていませんでした(そのせいか、1・2審の書面でも株主間契約の法的性質に関しさほど議論が行われていませんでした)。

反面、米国では幾つかの州で相応に議論や判例の集積があり、東京弁護士会の図書館にはそれに関する多数の書籍がありましたので、それらを徹底的に読み込み、文献の該当箇所を多数引用しながら「米国諸州では株主間契約に強い法的効力が認められており、米国会社法の影響下で成立した日本の株式会社法も同様の解釈がなされるべきだ」などと主張したため、今なら最高裁にクレームを受けるような長文書面ができあがったのでした(さすがに英文を読む力はなく翻訳書籍限定ですので、たかが知れた内容かもしれませんが)。

ともあれ、その事件をはじめ、全部で5~6件ほどの事件(平成13年頃から上級審又は1審で係属した主要な事件)の書面作成をことごとく私が担当することになり、山岸先生らの書面に「それは間違っている、こっちが正しい」と書き続けました。

今も、理屈で負けたとは思っていません。

しかし、皆さんのご想像どおり、結果は全敗でした。上告趣意書に至っては、業界人の誰もが経験することではありますが、最高裁は何も言わずに全部の事件とも三行半(受理しない)の一言で終わらせています。

理由は人によって様々な見方(私自身の力不足も当然含め)があるのでしょうが、根本的には、A氏がB氏を排除できた根本的な理由が、A氏側とB氏側の持株比率ではなく(その点はほぼ対等でした)、支配権の死命を決する役割を担ったのが、グループ本社の主要役員(平取締役)の方々の支持の有無であり、端的に言えば、その方々が一貫してA氏を支持し続けたことが、B氏の敗訴の根底にあるものだと感じられました。

その原因がどのようなものであるのか(B氏又はその父に責められるべき点があるのか、A氏が狡猾に幹部の方々を抱き込むなどという事実でもあったのか)、確証を得るだけの資料等がなく、私には全く分かりませんでした。

ただ、そうした事情が分かるようになってからは、この事件は、そこで勝負ありになっており、それ以上は、どのように理屈や制度をいじくり倒しても、本質的な部分で勝てない構図だ、と感じざるを得ないようになりました。

以前、医療ドラマで「大学病院には、出世コースから外れた若い医者に対し、成功が絶対的に無理=患者が死亡を余儀なくされる手術ばかり担当させる=それによる遺族対応なども押しつけることがあり、敗戦処理係と呼ばれて日陰者扱いされ、失意のまま病院を去っていく」などという話(登場人物)が描かれているのを見たことがありますが、客観的に見れば、当時の私も、敗戦処理係を担当していたのかもしれません(事実、私が関与するようになったのは、主戦場たる事件の控訴審で和解協議が決裂し、敗訴判決が出た後でした)。

もちろん、当時の私は、薄々そのような感覚を抱きつつも、そのような帰結は、父達の期待に応え、それまでの相応に輝かしい人生を捨ててα社に身を投じたB氏にとって、あまりにも酷ではないか、仮に、親世代の二人が合意した内容の拘束力に疑義を呈すべき面があったとしても、せめて、B氏には何らかの救い(一定の金銭給付であれ、それ以外であれ)がなされるべきではないかと感じ、相手方に何か一矢報いなければならない、そして、局地戦で強力な一勝を得て、それをテコに再度の和解協議の素地を作りたいという、「不本意ながら太平洋戦争に臨んだ良識派軍人」のような?思いで、必死に闘っていたつもりです。

しかし、私はその思いを遂げることが全くできないまま、α社事件で敗訴判決を重ねた上、失意のうちに?平成16年に東京を去ることになりました。

もちろん、岩手(盛岡)での開業は私が自分で敷いたレールの核心部分ですので、「すべてのモラトリアムが終わり、ついに人生の本番が始まる」という高揚感はありましたが、「自分は東京で他の人にはできない特別な何かを成し遂げて凱旋したのだ」などという達成感は微塵もありませんでした。

(以下、次号)

ちぃたん☆vsチータンの法廷闘争が来る日?

最近、カワウソのゆるキャラを巡って関係者が紛糾状態にあるという報道が繰り返されていますが、1月中旬に「解任」の記事が出た直後、「じゃじゃ麺を擁する盛岡の人々は、何かコメントをしなくてよいのか」などと思ってFBに下記の戯言を掲載したことがあります。

先日のニュースでは、事の発端(舞台)となった高知県須崎市が、ちぃたん☆の運営会社(芸能事務所)に対し、市が権利を有する「しんじょう君」に関する権利侵害を理由に使用停止の仮処分を申し立てたとのことで、事態はさらに泥沼化しているようです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190222-00000138-spnannex-ent

請求の当否などは分かりかねますが、「ゆるキャラ」の元祖と言われる「ひこにゃん」では自治体と制作者との間で熾烈な法廷闘争が繰り広げられ判決もなされたと記憶しており、そうした展開もありうるかもしれません。

この種の事柄は、官製キャラクター商法と評してもよいのかもしれませんが、制作者と利用者との間の信頼関係が十分でないとか利用者側に多数の関係者が生じ思惑もバラバラである(適切な協議や統一がされていない)とか、一部の関係者に非常に無責任な姿勢があり、それに便乗し事態を悪化させる者が新たに生じて混迷を深めるといったパターンはよく見られるような気がします。

消費者(そのキャラクターを楽しむ側)であれば、「ゆるいから良いのだ」ということになるかもしれませんが、提供者側が「ゆるい」のでは無責任等の言い換えに過ぎないとの誹りを受けてしまうでしょうから、そうした話を全く聞かない熊本や船橋の方などをはじめ、キャラクタービジネスの権利管理や活用に長けた方々から学ぶ姿勢を大事にしていただければ良いのではと思います。

キャラクター商法に限らず大雪りばぁねっとのようなケースも含め、官民連携で行われる事業は「官の無責任」と「民の濫用」で惨憺たる事態に陥るリスクを内包していますので、公金や公共財を扱う資格のない者に物事を委ねることのないよう、適切な監視や監督がなされる仕組みの構築や運用に意を注いでいただきたいものです。

【虚構新報いわて支局速報 31.1.17】

お騒がせ中のゆるキャラ「ちぃたん☆」に対し、盛岡市商工観光部が、じゃじゃ麺の締めのスープである「チータン」との誤認混同を招きかねないなどとして、不正競争防止法違反を理由に名称の変更を求めていることが分かった。

17日に記者会見したタニフジ市長(仮称)は「チータンはじゃじゃ麺と共に市民が長年愛してきた宝。勝手に名前を使うのは盛岡ブランドへの重大な侵害だ」と憤る。

「ちぃたん☆」の運営会社は取材に対し盛岡市の要求に応じるつもりはないとした上で「今度は、チータンをたっぷり注いだ皿回しにちぃたん☆がチャレンジする動画を投稿する予定です」と回答。

これに対し、タニフジ市長も「そんな暇があるなら白龍で皿洗いでもさせて欲しい。当市も、ゆるキャラ『元祖ちぃたん★』を作って世界に伝えたい」と応酬し、両者の対立は深まるばかり。

一番かわいそうなのは、昔から人間のエゴに翻弄され今や絶滅したとされるニホンカワウソかもしれない。

任意団体(権利能力なき社団)が自治体から借りて管理する緑地で生じた事故における法律問題~盛岡北RC卓話から~

私が所属する盛岡北ロータリークラブでは、各会員が年1回、20分ほどの卓話(スピーチ)を担当することとなっており、先日がその担当日でした。

ちょうど、その少し前の役員会で、当クラブが盛岡市から土地を借りて植樹し管理している「どんぐりの森」について話題になったため、万が一のリスクもありますよ、と余計なこと?を言ってみたくなり、以下のとおり「どんぐりの森で大事故が発生した場合のクラブや関係者の賠償責任如何」という設問を作成して、簡単ながら解説しました。

奥入瀬渓流国賠訴訟判決のアレンジという面もありますが、権利能力なき社団たる任意団体で賠償問題が生じた場合に広くあてはまる法的論点について取り上げた面もあり、それなりに参照価値があるかもしれません。

盛岡西北クラブの某大物ロータリアンの方に倣って「似たような話を皆さんのクラブの事業バージョンで聞いてみたい方は、卓話に呼んで下さい」と宣伝してみたい気もしないこともありませんが、「そんな縁起でもない話はイヤだ」とお叱りをうけるのが関の山かもしれません。

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盛岡北RC(以下「当クラブ」という。)が管理している「どんぐりの森」で、次の事態が生じた場合に、被害者は当クラブやその関係者(役員や一般会員など)或いは盛岡市などに賠償請求をはじめとする法的責任を追及したいと考えている。誰がどのような責任を負うか、説明しなさい。

(1) 近所の高校生Aが、当クラブに断りなく敷地内でバーベキューを始めたところ、Aの火の不始末により森が燃え上がり隣接するBの自宅に延焼して全焼し、逃げ遅れたBが死亡した。そのため遺族Cが賠償請求を希望している。

(2) 近所の小学生Dが、当クラブに断りなく「森」を散策中、植栽されていた木(遊歩道状に設置された通路に面するもの)が突如、倒れてDに衝突し、Dは脳挫傷など重大な傷害を負い、治療の終了後(症状固定後)も常時介護を要する全身麻痺(自賠責保険における後遺障害1級相当)などの障害が残存した。

事故後の調査でその立木の根本が遅くとも半年以上前から腐っており、強風や地震など一定の外力が加わるなどすれば倒木のおそれがあったことが判明したが、そのことを調査、指摘するという作業は当クラブ内ではなされていなかった。

(3) 当クラブが「森」の入口に設置している看板が、「100年に一度の大型台風」と報道された異常な強風のため杭から外れて近所のE社の事務所に衝突し、E社の建物を損壊したほか、相当の期間、E社の営業を困難にさせる被害を生じさせた。被害発生後の調査では、特に杭の腐食などの問題は確認されなかった。

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(レジュメの項目)

第1 ロータリークラブが管理する施設で賠償問題が生じた場合の法的主体(誰が義務を負うか)について
 1 ロータリークラブという団体の法的性格と賠償問題が生じた場合の権利義務の主体
 (1) 団体の法的性格
 (2) 団体の債務に関する構成員個人の責任
 (3) 団体の責任者、問題を起こした担当者などの賠償責任
 2 民事上の賠償以外の法的責任(刑事責任)

第2 小問(1) 失火と延焼に関する賠償問題
 1 A及びその親権者のB・Cに対する賠償責任
 2 当クラブのB・Cに対する賠償責任
 3 当クラブの会員個人(会長、担当委員長、一般会員など)のB・Cへの賠償責任
 4 盛岡市のB・Cに対する賠償責任
 5 B・Cの損害について

第3 小問(2) 施設内の立木に起因する被害に関する賠償問題
 1 当クラブのD(及び親権者)に対する賠償責任
 2 会員個人の責任、盛岡市の責任
 3 Dらの損害

第4 小問(3) 施設内の設備に起因する被害に関する賠償問題

第5 まとめ(予防策とおまけ)

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事故で賠償問題が生じた場合の対策ですので、当然ながら損害保険(賠償責任保険)への加入が望ましいという「まとめ」になるため、我ながら損保会社の回し者じゃないかなどと思ってしまいます。

反面、それならそれで、いっそ損保各社におかれては「我が社の保険商品の販売促進のため、その商品の出番になるような事例を作ってミニ講義をして欲しい」とのご依頼があれば、大歓迎という気持ちもないわけではありません。

が、よくよく考えると多くの会社さんが「交通事故などの賠償請求の相手方(当方が被害者代理人)」になっているため、残念ながら利益相反のため断念、という感じになってしまいそうです。

北風~他業界にも吹き荒れますように?~そして、フェアユースの本質としての多様性と尊厳

ここしばらく多忙等を理由にブログの更新ができず、ご無沙汰しております。おかげさまで、今年も超低空飛行ながら何とか年を越すことができそうです。

今日も今日とて兼業主夫業に負われる日々のため深夜に事務所に帰り寝袋で朝まで寝てしまうことも珍しくないのですが、午前4時前後に自宅に戻る日もあり、この時期は深夜に降り積もった雪が月明かりや道端の光で誰もいない街を明るく照らす光景を目にすることもあります。

そんなときは槇原敬之氏の「北風~君にとどきますように~」の歌詞が思い浮かんだりもしますが、「誰のせいでこんなに遅くまで仕事してるんだ」などと色気のない八つ当たり根性に囚われているせいか、毎度ながら自虐替え歌の歌詞ばかりが涌いて出てくる有様です。

まあ、おかげさまで当事務所もどうにか年越しだけはできそうですし、我が業界も今は混迷の真っ只中ですが、もうしばらくすれば多少は落ち着くのではと期待したいところですので、あまり愚痴っぽいことばかり書くのもどうかとは思います。

ともあれ、来年も、当事務所にとっても依頼主の方々にとっても、

もう裁判はしないなんて 言わないよ絶対~♪

といった感じで問題解決のため訴訟制度など(弁護士の活用)を前向きに考えていただけるよう、研鑽に努めていきたいと思います。

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いま君がこの雪に気付いてないなら
人並みに眠れて恨めしい 心から思った

深夜のカップ麺じゃ 根気も続かないような夜
事務所のソファの寝袋で 恵まれた過去なつかしむよ
今は滅入る話ばかりで 思い当たるのは
北緯40度の岩手には東京にいない貧乏神

昔よりひどく売上落ちてる
帳簿をそっと開けて僕は言葉なくす

北風が吹きすさぶ 町弁業界
毎晩文書作るのに 収入は凍えている
いま君がこの光景に覚悟がないなら
弁護士目指すのやめとけ 心から思った

どれだけたくさん仕事に 囲まれていても
なぜか働いてないような額しか預金が増えなくて
だから無理に首を縦に振っていたけれど
きっと同業者みんな 「おかしいだろ、これ」と言いたいはず

事務所を開いたその時から
法律の意味さえ 変わってしまう?

贅沢や出費がかさむ 話題のたびに
かっこ悪いくらい 何も話せなくなるよ
明日もし 飲みに行こうと誘いが来たなら
小さく「無理」だと言っても 君に聞こえない

北風で書類の山も雪に沈む
出番なく錆びついた 企業法務 忘れていく
いま君がこの業界に夢を見てるなら
誰より早く教えたい 心から思った

北風が深夜の街を白く包む
歩車道は雪原となり 孤独な帰路を癒やしている
明け方に この雪が積もったままなら
起きるの無理だと言っても 君に聞こえない

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ところで、替え歌は元ネタの作詞者の方の著作権(著作者人格権、著作財産権)との抵触の問題があり、我が国の法制ではいわゆるフェアユース規定が設けられていないため、替え歌の公表などは、現時点では違法とされてもやむを得ないと説明する業界人の方も少なくありません(というか、たぶんそれが主流なのだと思います。著作権に関する実務に関わる機会に恵まれませんので勉強しておらず、何となくですが)。

この点(違法性ないし損害の有無)は、以前に他の方の替え歌を載せたときにも書きましたが、基本的に原著作権者(作詞者等)の合理的意思解釈の問題だと思っており、利用(公表)の内容や態様が、作詞者側の収益等に関する正当な期待を害するか、作詞者の制作者(創造者)としての尊厳(同一性保持権)に照らして合理的意思(許容認識)の範囲内と言えるかを、諸般の事情をもとに総合的に判断すべきことだと考えています。

ただ、替え歌に関してしばしば伝えられる「風刺の文化」(原著作物の風刺というより社会風刺の手段として、人口に膾炙した存在たる人気楽曲の歌詞を拝借し、自分なりの創造を加えて何らかのメッセージを相当な態様で伝えようとする行為)については、原著作権者の狭義の意思だけで説明し尽くせない公的な要素も視野に入れるべきではないかと思われ、それは、「人の知的創造という営みに敬意を表し尊重・保護する」ものとしての著作権の本質に内在する事柄(原著作物の内在的制約?)ではないかと考えます。

思いつきレベルですし上手く整理できていませんが、良質な知的創造物ほど、原型(元ネタ)の創造者に敬意を払いつつ様々な他者の手で良質なアレンジを施して新たな息吹(メッセージ性の幅の広がり)を与えられるべき性質を内在しており、そうした観点から「フェアユース」としての替え歌のあり方を考えてもよいのではないでしょうか。

私自身は、申すまでもなく「戯言として作ったものを折角なので誰かに聞いて欲しいから」という程度の動機で載せているに過ぎませんが(商業的利用どころか「こんな変なものを載せる弁護士はヤバそうだから仕事は頼みたくない」などと仰る方もそれなりにいそうでビクビクしており、匿名ブログを別に作って載せるべきかもしれませんが、そんな技術も余力もありません)、良質な具体例が社会内で多く示されていけば、フェアユース法制を巡る議論も深まるでしょうから、そうした観点も交えつつ「作詞者に敬意を示しながら替え歌(を通じた社会風刺)を健全に楽しむ文化」が形成されてくれればと願わないでもありません。