北奥法律事務所

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私事など

函館ラ・サール中学・高校の学校説明会と校内レポート番組

2週間ほど前の話ですが、盛岡で函館ラ・サール中学・高校の学校説明会があり、関係者として設営のお手伝いをしてきました。

これまでは学校のご担当(副校長など)が1時間ほど口頭で喋り続けることが多かったのですが、今回担当された教員の方は、ご自身の教え子(難関大に進学した方のほか、運動部などを含めた在学中の生徒さん達)のビデオメッセージを多数揃えて、個別の生徒さん達が、どのような個性の持ち主で、学校・寮生活を通じどう成長したか、という話を詳細になさっていたので、その点は、かなり聞き応えがあったと思いました。

次回(盛岡会場)の予定日は10月22日ですので、対象となりうるお子さんがおられる方、或いはそうしたご家庭や塾・学校関係者をご存知の方は、ご来場(その方々にご紹介)いただければ幸いです。

来場者向けの配布資料が入った封筒を幾つか持っていますので、ご希望の方は、お申し出ください。

数年前にもブログで「岩手など(中学受験が当たり前な首都圏等以外)の子が中学受験や函館ラ・サールに関わる意義」について、掲載したことがあり、ご覧いただければ幸いです。
函館ラ・サール中学・高校の入試説明会と「地方の子が中学受験や寮生活をする意義」 | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

また、1週間ほど前には、函館ラ・サールを取り上げた番組も放送されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=DC8JZYyD0fo

映像には建替前の昔の寮とみられる写真も含まれています。当時は100人部屋でしたが、現在は生徒数も減って、50人部屋と呼んでいるようですね。

卯建の上がらない高校生活を送った人間が、なんで出身校の宣伝ばかりさせられるんだというのが正直なところではありますが、お子さんの進学などを検討されている県内等の方は、当方でお役に立てることがあれば、ご遠慮なくお問い合わせ下さい。

 

インターネットを通じて著名人からブログにコメントを頂戴した件

2年前、事務所Webサイトの仕様変更(http→httpsの切替)を依頼した際、副作用?で、検索で相応に登場していたブログの記事がWeb上で全く検索されなくなり、Web世界の彼方に消えてしまうという悲しい出来事がありました。

自称・代表作であるJCIクリードと日本国憲法の関係を書いた記事など、検索上位に表示される投稿が幾つかあったため、しばらくは枕を涙で濡らす日々を送りました。

で、せめてもの悪あがきとして、昨年、昔書いた記事を読み返した際、誰か見てくれればと思ってツィッター上に掲載するセコい作業をこっそり行ったことがあります。

すると、宮崎監督と庵野監督の作品思想の違いについて論じた記事で引用した、ある著名人の方(浅羽通明氏)からツィッター上でコメントをいただいたので、大変仰天しました(1年以上前の出来事で、当時、FBには載せたのですが、ブログに掲載するのを失念していました)。

同世代の方で、若い頃、思想・哲学など「知の世界」に憧れを抱いたことがある方なら、浅羽通明氏の「ニセ学生マニュアル」三部作などをご覧になったこともあるかもしれません。

私は学生時代にこの本に強い影響を受け、今も、歪な自我を抱えた者だからこそ社会に役立てる「何か」もあると信じて、町弁のはしくれとして田舎の片隅で地を這うような悪戦苦闘の日々を送っています。

面識等はもちろんありませんが、私にとっては知の世界に触れる機会を与えていただくと共に、学生時代に道を違えずに済んだ、或いは真っ当な路線に辿り着く原動力を頂戴した恩人のような方だと思っており、それだけに

「長生きはしてみるものだ、たまにはいいこともある」

と、天に感謝した次第です。

先日も、浅羽氏が執筆された「『君たちはどう生きるか』集中講義」を拝読し、マルクス思想をテーマとする点では「人新世の資本論」と共通するものの、総論ばかりで有意な各論(実践論)が伴わないと感じた後者よりも遙かに具体的・実践的で面白い(マルクス思想は革命=権力闘争の思想と実践が伴わなければならず、そのことに正面からきちんと触れている)と、改めて浅羽氏の「読ませる力」に圧倒されました。

また、浅羽氏が現代の様々な社会事象に鋭い分析・解釈を示した新たな書籍を世に送り出して下さる日を、心より楽しみにしています。

 

誰もが才能を開花させる世界を夢見るダンブルドアは、偽善の狭間で孤独を余儀なくされるのか

連休期間中に、映画「ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密」を見ました。

正直、上映中はアクションシーン中心の退屈な映画なのかと思いましたが、後でWebで少し調べて、ようやく面白さが多少は分かってきました。

以下、作品の中身(ネタバレ的な話)とは別な観点から、感想を書きます。

ご承知のとおり、このシリーズは、魔法使いによる人類(マグル=ノーマジ)の支配を掲げるグリンデルバルドに、ダンブルドアとその協力者たる主人公らが立ち向かう物語が骨子となっており、それだけを見れば子供向けの勧善懲悪の作品ということになります。

ただ、前作では、グリンデルバルドも単純な悪党ではなく、彼なりの正義を掲げていたと記憶しています。

本作品の世界では、人類から迫害や何某かの抑圧を受けたり、能力を活かすことができず貧困など何らかの不満を抱えた魔法使いも相応におり、それを「能力の解放(人類への魔法の使用禁止の解除=魔法による支配)」により解決するのだという点が、彼の旗印・求心力として示唆されています(前作で、デップ氏が、そのように述べる下りがあった気もします。勘違いかもですが)。

ただ、今回は、その点=敵方の正義(彼が支持される理由)の説明がなく(作り手にとっては前作で済ませたとの認識かもしれませんが)、「魔法暴力で人類を支配しようとする悪い奴」的な描き方に終始したような印象でした。

そして、それを止めようとする主人公陣営の行動も、単に「相手は悪だ、だから相手の行動や価値観は全否定だ」と述べているようにしか見えず、思想的な葛藤を見出すことができなかったので、上映中は何となく退屈に感じたのでした。

***

ところで「自分が抱えた不満や身内の困窮(内部不経済)を解決する手段を、自分達が敵視する他者への暴力や収奪(外部不経済)に求める」というグリンデルバルドの主張は、現在の露国に喩えるまでもなく、暴力を振るう側のありふれた論理で、何の目新しさもありません。

これは露国に限った話ではなく、欧米日などの富裕地域(グローバルノース)も、自分達の社会の安定を図るため貧困地域(グローバルサウス)から様々な搾取を行ったり、海洋ゴミ等を含む汚染など(外部不経済)を転嫁させていると言われて久しく、「露国の方が、グローバルサウスとして、ノースの端(欧州の一員としてのウクライナ)に異議申立しているのだ」と見立てる人もいるかもしれません。

ですので「暴力で人を支配しようとするグリンデルバルドやプーチンは間違っている。倒すべきだ」というなら「構造的暴力を通じて世界中で搾取するグローバル富裕層(富裕諸国)も間違っている。倒すべきだ」という帰結になるべきと言えます。

少し前に一世を風靡した「人新世の資本論」のように?そうした主張をする論者も無いわけではありませんが、戦争やウイルス禍と比べるとインパクトが乏しいのか、或いは実践可能な具体論を欠くせいか、後者の議論は最近はすっかり下火になったようにも感じます。

ともあれ、現代のグローバル社会は、GAFAの創業者など魔法使いのような特別な能力・才能を有する一部の人が、特別な知恵と技術で世界に新たなサービスを提供し巨万の富を築くのを認めつつ、取り残された人々が貧困層に転落するのを防ぐことが大きなテーマであったものの、現実の格差・断絶は深まる一方というのが、ここ20年以上の現実ではないかと思います。

言い換えれば、「特別な力を持った人々が能力を発揮して社会に貢献し、その対価として大きな幸せを得ることができる一方で、そのような力を持たない人々も相応に幸せに暮らせる(酷い目に遭わない)社会」が現代世界の中心テーマですが、現状は、実現したというにはほど遠いと考えられているように思われます。

***

それを踏まえて改めて本作を見ると、気になるセリフが見つかるのです。

冒頭、グリンデルバルドは、ある重要人物に対し「お前はかつて俺の同志だった(が、今はそうではない)」という趣旨のことを語ります。

そして、終盤、その人物に対し「お前は俺としか分かり合えない、いつまでも孤独だ」とも語っています。

本作では、魔法使い達(魔法界)の伝統的な政策として、人類(マグル)に関わらずに生きるべきとされていますが、自らが強大な力を持つこの人物が、その政策の当否について見解を表明する場面があったか、記憶にありません。

グリンデルバルドのセリフからは、この人物=ダンブルドアは「魔法使いを解放しつつ人類を支配しない(魔法使いも人類も、魔法の力で共に力を合わせて幸せになる)社会」、言い換えれば、「特別な力を持った人々=魔法使いが能力を発揮して社会に貢献し、その対価として大きな幸せを得ることができる一方で、そのような力を持たない人々も、相応に幸せに暮らせる(酷い目に遭わない)社会」を理想としているのではないかとも思えてくるのです。

それは、理想主義的なユートピア思考ではあるものの、魔法と人類との隔絶よりも、グリンデルバルドの論理への対抗軸として、魅力的に感じるものと言うことができます。

平たくいえば、「強者(魔法使い)が自由に生きて(自己実現して)、それにより皆が幸せに暮らせる社会」と「強者が自由に生きて、それゆえに限られた者だけが幸せに暮らせる社会」という二つの世界観の対立という構図です。

ダンブルドアの思想をそのように捉えた場合、それを否定して「お前は孤独だ」と述べるグリンデルバルドは、グローバル社会なんて弱肉強食の搾取社会だ、能力主義(知価社会)はヒエラルキーが不可避なのに、皆が幸せになって欲しいなどというのは不可能かつ欺瞞だ、そんなことを吹聴する奴は自己矛盾に嫌気が差して孤独に沈むだけだ、というリアリズムを代弁しているようにも感じます。

乱暴に言えば、ダンブルドアはグローバル社会の勝ち組としての英米などの富裕層を、グリンデルバルドは、グローバル富裕層が作り上げた秩序に対し暴力により挑戦するロシア(や中国?)などの比喩という見方も可能かもしれません。

そして、そのようなダンブルドア(米国の勝ち組)に対し、グリンデルバルド(露国の独裁者)は、「お前は(どうせ勝っても)一人ぼっちだ。俺だけがお前のことを分かってやれる」といい、現に、ダンブルドアは(ハリーポッターシリーズで描かれるように)、さらなる圧倒的強者(ヴォルデモート)との関わり・対決もあったとはいえ、ある意味、孤独な人生を歩む(歩んだ)ようにも見受けられます。

であればこそ、ダンブルドアの今後の行動を垣間見ながら、このリアリズムにどのように抗うのか、グローバルノースの社会に生きる鑑賞者自身の実践が問われているのかもしれないというのが、最終的に私が抱いた本作への感想ということになります。

それはそれで、ハリウッド映画としては陳腐なメッセージというべきなのかもしれませんが、単なる勧善懲悪よりは、続きも見ようと感じることができそうな気もします。

一般的には、グリンデルバルドのセリフは別の意味で理解されるのでしょうが、私自身は、上記のような意味(思想的対立)も含めて解釈した方がより面白いのではと感じました。

と、あれこれ書きましたが、敵役の方は他作品で拝見したことが少なかったせいか、上映中は何度見ても松重豊氏に似ている・・と感じていました。

***

余談ながら、私は1年ほど前、エヴァンゲリオンの最終回(映画)を見に行っており、それ以来の映画鑑賞でした。

私は平成9年の司法試験・最終合格発表の当日(発表直前)に、当時のエヴァンゲリオン最終回(映画)を見ており、このシリーズにはそれなりに思い入れもあったので、しみじみと拝見しました。

鑑賞直前、昼食をとりながら、このようなことを考えていました。

「平成9年の映画は、アスカをヒロインとするような終わり方だった。今回のシリーズは、前回までの流れだとアスカとの関係が希薄だが、他の登場女性と懇ろになるような終わり方をするのだろうか。それだと、まるで『なんとかルート』みたいな、恵まれない男性諸氏のためのゲームのような感じになってしまうな。」

多くの方がすでに映画をご覧になったかとは思いますが、鑑賞後の感想はあえて割愛します。

 

愚痴を述べれば怪我来たる

写真のとおり、昨日、ちょっとした災難に遭いました。両足の写真を比べていただくと、左足が腫れているのが分かるかもしれません。気晴らし?に歌詞みたいなものを作ったので、チープな感じもしますが、どなたか曲を付けて歌っていただければ幸いです。

*****

笑う門には福来たる
愚痴が多けりゃ祟られる

仕事に追われる日々なのに
残高みるみる減った上

職場の階段踏み外し
歩けぬほどに腫れるのは

至らぬ事件で泣く人の
痛みも背負えということか

それなら独りじゃないのだと
無理でも笑え、また歩け

*******

幸い、今回は骨折していませんが、診察では

「通常よりも腫れが酷い。足首付近に陳旧性(昔々)の骨折(の完治しなかったもの)があり、それが影響したのかもしれない」

と言われました。

私は、幼稚園時代におっちゃんのバイクに轢かれる交通事故で左足を骨折しており、他に思い当たる点はないので、その件のせいかもしれません。

余談ながら、私個人は一円も賠償金を貰っておらず、両親が自賠責を含めて何も請求してないのか懐に消えたのかは不明です。今なら、後遺障害等級認定申請して後遺症保険金を貰ってくれよと苦情を言いたいですが。

ともあれ、その古傷のせい?で、長距離登山では左足が疲れやすく、下山時に左膝が曲げられなくなるなどの後遺症がありますが、皆さんも、お子さんなどが骨折などの大怪我をすることのないよう、ご配慮をお願いします。

*****

余談ながら、先ほど「岩手県内の公設診療所の所長が平成26年に自殺した件で公務外災害認定処分され、遺族が取消訴訟を提訴し、認容=勝訴した事件」(盛岡地裁R02.6.5判決判時2482-74)について、原告代理人の方が記載したレポートを先ほど拝見しました。

いわく、死亡された方(被災職員)は、長期の孤独な激務の影響で、愚痴を言う、苛立つ、怒鳴るなど、それまで全くみられなかった行動が現れ、次いで、周囲に苦しみや辛さを再三訴えるようになり、ほどなく鬱病を発症し、その半年後に自殺してしまったのだそうです。

そうした記述を見ると、何かと身につまされる面もないわけではありませんが、その方が数年以上担い続けてきた職務の内容や日常生活の詳細を拝見すると、今の私の日々など、取るに足らぬレベルだなぁと反省・恐縮するほかなく、この程度で愚痴を言えるだけ幸せなほうだと思った方が、賢明な感じがします。

ともあれ、今のたった一つ?の楽しみは、5~10年に1件位の某大口案件(穏当な内容で無事解決)で、相手方の対応の遅れのせいで延々遅れている報酬清算(による今月の大赤字の一挙解消)が早く実現しないかなぁ(清算ができた瞬間、腫れも消えてなくなるんだろうなぁ)・・といったところで、浅ましい運転資金の亡者の日々から解脱できるのは、いつになるんだろうという有様です。

あと、テーピングの写真は、本日、通院先で先生に巻いていただいたものですが、もはや巻き方分かりません(泣)。

 

 

聴覚障碍者の端くれとして

NHKで、聴力は正常でも雑音の多い場所では必要な音や話を選び取れず、理解できなくなってしまう「APD(聴覚情報処理障害)」という症状に関する記事が出ているのを拝見しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210708/k10013125531000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002

私は左耳の聴力が全くないため(右は健常です)、会議・会合などでは左方向からの発言などを聞き取ることが容易ではありません。

とりわけ宴会など騒がしい場では、左側の人々の話の輪を聞き取ることがほぼできないため、なるべく左端に座るか、それが無理なら、諦めて飲食に専念することにしています。

私が宴会(人の集まる場)が苦手で雑談力の低い孤立主義者であることは皆さんご承知でしょうが、或いは、そうした経験の積み重ねも大きく影響したのかもしれません。

引用の記事で紹介された症状(病名)は初めて知りましたが、広義の「聴覚障碍者」には、全面的な失聴者(いわゆる聾者)だけでなく、私のような片耳だけの失聴者のほか、記事のような症例の方もおり、決して「自分とは接点のない遠い世界にいる(から、そのような存在など眼中になくてよい)人」ではない、ということは、もっと知られてよいことだと思います。

そんなわけで、聴覚障碍者の方々に、本業を活かした何らかの支援云々ができればと昔から思っていますが、20年経った今でも、その種の機会に全く恵まれません。

昔々、何の接点もなかった日弁連廃棄物部会の門を叩いたときのように、自分で探して無理矢理に飛び込んでいくべきなのでしょうが、事務所の維持に一杯一杯の日々で、ぼちぼちエネルギーの低下も感じる年頃になってきており、このまま機会を得ることなく終わってしまいそうな気もします。

甘い赤ワインには、久慈ファームのサラミチョコを

昨年まで盛岡駅フェザン(おでんせ館)の1階で営業していた、久慈ファーム(岩手を代表するブランド豚の一つ「佐助豚」を生産する二戸の会社さん)の直営店で、1年ほど前、チョコレートをソーセージ風に模した「サラミチョコ」を購入しました。

で、諸々の理由で後回しになっていたのですが、先般、ようやくいただきました。

数年前、深夜を過ぎて事務所から帰宅した際に神経が昂ぶって寝付けないときは、甘口の赤ワインに氷を大量に入れて、チョコレートを頬ばりつつ、ビデオを見ながらゴクゴクと眠気が来るのを待つ、という生活を時折していました。

が、昨年に一旦その習慣が途切れてしまい、そのせいで放ったらかしになってしまったのですが、ともあれ、先日、久々にそうした形でいただいてみました。

結論として、美食家にはほど遠い身ながら、

「これほど甘口の赤ワインが美味しく飲めるチョコは他にない。スーパーのチョコとは、次元が何段階も違うレベルの味わい」

というのが、正直なところです。

皆さんも、ぜひ賞味なさってはいかがでしょうか。

なお、賞味期限をかなり過ぎても(冷蔵していれば)問題ないことは、私が保証いたします(笑?)。

久慈ファームの直営店が残念ながら閉店してしまい、今となっては通販で購入するほかないかもしれませんが、その手間をかけるだけの価値のある逸品です。

通販希望の方は、こちらでどうぞ。余勢を駆って、佐助豚の諸商品もご一緒に。
http://3491.ac.shopserve.jp/SHOP/kakou054.html

先日まで南部美人とのセット販売もされていましたが、現在は終了とのことで、ご希望の方は今後にご期待下さい。
https://www.nanbubijin.jp/shopdetail/000000000184/

 

ウイルス禍におけるRC運営や会員交流に関する意見~盛岡北RC卓話~

先日、盛岡北RCの卓話を担当する予定でしたが、ウイルス禍に伴う休会のため、やむなく以下の文章を会報に寄稿すると共に、折角なのでブログでも一部修正の上、掲載することにしました。

目新しい内容はありませんが、RC関係者の方々の参考にしていただき、他クラブの工夫例をご教示いただいたり、何らかの意見交換などができれば幸いです。

*****

【ウイルス禍による休会下における会運営や会員交流について】

1 はじめに

2月第1週の卓話担当の小保内です。今月は「平和と紛争予防・紛争解決月間」だそうで、国際奉仕委員長という立場で担当を拝命しています。

ですので、本来なら、海外RCの活動、はたまた国際的な法的紛争や解決に関する話(日産元会長事件とか、ハーグ条約に関する子の奪い合い訴訟とか)を取り上げる方が望ましいのかもしれませんが、外国語が関わる仕事はほぼ行っておらず、自分の経験としてお話できませんし、RCの海外交流などにも何ら関与したこともありませんので、それらを取り上げるのは止めておきます。

1年前に個人的な計画があり、本来はこれをネタにしたかったのですが、ご承知のとおり渡航不能となる憂き目に遭いました。風の噂では、他にも豪華客船に乗り損なった会員さんがおられた?と伺っています。

というわけで、今回は話題を変え、休会が延々と続く現在の状況下における会員交流や会運営、会報のあり方などについて、私見を述べたいと思います。

2 SNSなどの活用・活性化のお願い

ロータリークラブは「会員同士が現に交流し『友人(この地で研鑽を積み活躍する人生の先輩・後輩)としての信頼と相互扶助の関係』を形成できてナンボ」だと思います。

言い換えれば、そうした交流と関係の形成ができないのなら、会員として在籍する意味も必要もありません。

そのため、例会すら実施できない現状が危機的なものであることは申すまでもありませんが、現在のところ、当クラブであれ市内の他クラブであれ、代替の交流手段の発案・実践の光景を見かけることがなく、その点は大変残念に感じています。

現下の情勢では、Webを通じたコミュニケーションを活用せざるを得ないのですから、まずは、SNSなどの活用を試みるべきだと思います。

私の知る限り、当会ではHP(Webサイト)とは別に、facebookとLINEの双方に専用グループ(当会の会員・関係者のみが投稿できるもの)が設けられています。

FBは3~4年前に私が開設しましたが、1~2年前にYさんが開設したLINEの方が登録者数・投稿とも圧倒的で、FBは開店休業状態(新規登録も放置)になっています。

LINEも、若干の事務連絡と新年おめでとうメールの類を別とすれば、時折、Yさんが痺れを切らして下ネタを投下し、Hさんが「コラY!」と返答する程度で、さほど活用されているわけではありません。

できれば、皆さん全員にFB・LINEに登録し、当会グループに加入いただいた上で、下ネタに限らず、簡易な挨拶や写真だけの掲載であれ、本格的な近況報告であれ雑談の類であれ、皆さんが和んだり楽しんだり、盛り上がることができるような話題を、次々に投稿していただければと思っています。

なお、LINEは長文投稿に適さず過去の投稿がその後の雑多な投稿にかき消されやすいので、投稿の保存を重視するならFBグループに投稿いただいた方がよいと思います。

もちろん、RC会員として、ご自身が現下の状況で実践されている「ご自身なりの奉仕」を発言していただくことも、あるべきことだと思います。

ベテラン勢には「Webなんて分からんよ」という方もおられるかもしれませんが、ご家族・従業員さんに登録作業を行っていただければ、先日のAさんのように、加入直後に会員から歓迎メールが来たりします。

また、グループだけでなく、FBの個人フィードでの投稿も、リアルな交流の代替手段として、各自に活発に行っていただければと思っています。

私の投稿は、クセが強すぎるせいか?皆さんからなかなかコメントをいただけませんが、随時お待ちしているところです(笑)。

3 会報のあり方について(自己紹介、近況報告など)

休会中の会報の編成に関する議論は存じませんが、この間の会報は、従前の編成(会長挨拶、卓話、幹事報告など)の踏襲ではなく、何某か、例会での交流の代替手段としての活用を考えていただくべきだと思います。

例えば、ここ1~2年に入会された新入会員などに自己紹介いただいたり、既存会員も本業の成果であれ意外な趣味などの類であれ、様々な近況報告をいただくのが望ましいと思いますし、「過去の大物会員の列伝記事(昔話)の連載」も検討されてよいと思います。

現状ではスマイルボックスが不能になっていますので、これに代わる投稿を事務局にメール(DM)したり、会員で割当を決めて、「今回の会報ではスマイル投稿をすること」といった形でもよいのではと思います(大サービスで、スマイルゼロ円で投稿OKとしていただければ有り難いです・・と言ってみたりして)。

ちなみに「小保内って誰?」という新入会員の方は、当事務所のHPをご覧ください。

4 ズーム例会、スキー例会など

皆さんも、ズーム会議は相応に経験されていると思います(私はズーム飲み会は経験がありません)。直ちに「ズーム夜例会(宴会)」を行うかはさておき、何らかの形で例会など(会運営)に活かせればと考えます。

例えば、各人が事前に食事を済ませることを前提に、午後1時から1時半まで30分程度のズーム例会を行い、会長挨拶のあと、事前に割当を決めて5人前後が近況を報告し、簡易な質疑応答(雑談)を行って終了という方法も検討されてよいと思います。

先日、たまたま同じ日に家族で安比に行っていた、という複数の会員さんをFBで拝見したことがあります。大人数の参集は現状では無理でも、例えば「スキーができる人は、家族を連れてこの日に安比に来て下さい。昼食は(予約等が無理でも)可能な人は○○エリアに来て、挨拶だけでもやりましょう。可能なら、若干でも一緒に滑りましょう」といった試み(スキー例会?)も検討されてよいと思います。

例会という形式をとるかはともかく、現下の状況でも、適切な工夫を前提に、可能な限り会員交流の「あの手この手」が図られることが望ましいと思います。

5 代替措置と例会復活後について

先般の役員会で、休会長期化による伴う会費還元の手法として、夜例会の復活時に全額クラブ負担(自己負担なし)で行う方法を提案しました。一部返還も検討されているようですが、会費は会員の交流の原資というのが基本でしょうから、皆さんからも知恵を拝借できればと思います。

また、ウイルス禍と別の話として、ここ1~2年、当クラブに長年多大な貢献をいただいた方の退会や逝去が相次ぎましたが、クラブとしての「お別れの会」がほとんどできていないことを大変残念に感じています。

今後は、ベテラン会員や転勤族の方が「引退」的な形で退会される場合には、前後の夜例会を「お別れ会」を兼ねるものとし、引退のスピーチや会員による別れの挨拶をするような形をとるのが望ましいのではと思っています(転勤族の方は送別会がなされることもありますが、それはそれとして、例会の場でもお別れ会はあってよいと思います)。

また、逝去された方についても、同じように繋がりの深い方々に簡易なスピーチをしていただくなど、クラブとしての「お別れの会」があってよいのではと思いました。

ちなみに、私はN先生が亡くなられた際に、当ブログにN先生の追悼記事を掲載させていただきました。関心のある方は検索してご覧ください。

以上、大変な長文になり恐縮ですが、参考にしていただければ幸いです。

重たすぎるタイヤ交換に「メイドインジャパンの凄いサービス」を求めて叫んだ日

岩手ではタイヤ交換は11月中に行うのが常識でしょうが、何かと遅れがちの私は、毎年12月になってようやく交換しています。

私は3年前、不幸な追突事故の被害を機に、思い切ってRV車(国産SUV)を購入し、MD等が聞けないのを除けば満足して使用しているのですが、タイヤ交換の季節だけは大変気が重くなります。それは、

RV車のタイヤは、重たすぎて持てな~い!(byケン・ワタナベ)

という点に尽きます。

自宅(集合住宅)のタイヤ置場では下段なので収納時は何とかなりますが、車両のトランクルームに入れる際は持ち上げるのが非常にしんどく、数時間を経た今も、胸骨のあたりに鈍い痛みがあります。

恐らくあと5年もすれば一人で持ち上げるのは無理なのではと感じていますが、家族の協力は期待できませんので、果たしてどうなることやらです。

先代はミニバン(ステーションワゴン)だったので何とかなっていましたが、RV車のタイヤは、屈強な若者でないと持ち上げるのは無理ではと感じます。

女性や高齢者の方は一体どのようにしてタイヤ交換(店舗持ち込み)をなさっているのでしょうか?

それとも、私一人が貧弱貧弱ゥ~なだけでしょうか?

で、いつもタイヤ交換をお願いしているディーラーさん(車両購入元)に

自宅からお店までタイヤを運搬(往復)するサービス(交換全般に対応できるものを含め)は無いのでしょうか。相応の費用は負担しますよ

と相談したところ、

当店では存在しないし他店などでも聞いたこともない。ただ、営業担当が一部の顧客に泣きつかれ、事実上、無償対応するケースはある

とのことでした。そこで、

そのような仕事は無償で行われるべきではありません。御社自身が運送業務を行うのが難しいのであれば、ヤマトや佐川などと組むことはできませんか。

そして、顧客が運送会社に依頼し特定の日時に搬送して貰い、交換後に返却を受け、顧客は運送費用を含めた全費用を事前又は事後に御社に支払い、御社から運送会社側に運送料の支払をすれば、顧客は自分でタイヤを持ち運ぶ必要がなくなります。

中には、タイヤ交換(運搬)ができないというだけの理由で、RV車を諦めている人もいるかもしれません。

そうした人にとっては、御社がそのサービスを始めれば『さすがメイドインジャパン、凄いぜ○○ダ』と感謝し、RV車の販売促進につながるかもしれません。

顧客はもちろん、全てのディーラー・タイヤ販売会社・運送会社にとってビジネスチャンスになるのではないでしょうか。

と陳情してお店を後にしました。

Webで調べたところ、上記の「タイヤ搬送サービス」を見つけることはできませんでしたが、「タイヤ自体を店舗側で保管するので、持ち込みなどの負担が全く無い」というサービスが存在する(タイヤ館など)ことが分かりました。

そのため、上記のサービスが実現しなければ、そちらにお世話になるのかもしれません。

が、私の場合、曲がりなりにも自宅にタイヤラックが設置されているので保管料を負担してまで預けるニーズが薄く、ディーラーさんとのお付き合いも殊更にやめたいとは思わず、上記のサービスを始めていただけないかと願うばかりです。

或いは、タイヤ交換(保管)のときだけタイヤを軽量化できる方法(空気を抜くとか?)が安全かつ低料金でできれば、それもよいのかもしれません。

昨年末にfacebookでこの投稿をした際は、電動リフト購入やベンリー社への打診などのアイディアをいただきましたが、皆さんのご経験や知恵も拝聴できれば幸いです。

小保内一族のルーツを求めて(後)~南部藩の古文書から考える~

標題のテーマに関する前回の投稿の続きです。

Webで偶然見つけたのですが、盛岡市中央公民館で保管されている南部藩の古文書群に、前回の話とは違った形で、小保内源左衛門が登場しているのでは?との想像をかきたてるものが存在しているようです。

この古文書群の内容を整理して紹介するディープなサイトがあり、南部藩に仕えた諸氏の来歴などを説明しているのですが、その中に「生内(おぼない)賢一郎家」を紹介するページがあります。そこに「生保内源右衛門」なる御仁が登場し(左ではなく右なのが残念ですが)、同人又はその親族が秋田と二戸の双方と関わりがあると記載されているのです。
https://www.komonjokan.net/cgi-bin/komon/kirokukan/kirokukan_view.cgi?mode=details&code_no=50624

古文書を紹介する内容のせいか、矢鱈に人名が登場し噛み応えのある文章ですが、本稿に関連する部分を要約すると、次のような事柄が書かれています。

①古文書Aによれば、秋田(角館)出身の高橋信真は福岡(二戸)で南部利直(信直の子で、南部藩では名君と謳われる初代盛岡藩主)に登用され、名字を変えて生内(おぼない)信真と名乗った。信真の直系は孫の代に家禄没収に遭ったが、庶子が明治まで家臣?として存続し、末裔が雫石に住んでいる。

②生内信真の先祖は四国の出身で、信濃を経て佐竹家や戸沢氏に士官していたが、信真の親の代?に角館城が落城し戸沢氏が没落したため岩手(南部家)に士官したものである。

③古文書Bによれば、信真の父方の叔父に「生保内源右衛門」がおり、同人の子も源右衛門と名乗っていた。源右衛門の素性の説明は無い。諱(名前)の記載もなく、通称の「源右衛門」しか記載されていない。なお、古文書Aには信真の父・信家の兄の信忠は角館落城後も角館に留まり佐竹家に仕官したとあり、信真の叔父で「秋田から岩手に移住した者」の記載はない。

④古文書Cによれば、南部信直は、秀吉の小田原征伐に参陣する途中に、仙北で小保内禅門の館に宿陣した(※この「仙北」は、仙北町=盛岡ではなく秋田の仙北郡を指すと考えられる)。その際、信直は禅門の子を召し抱えた。なお、小保内禅門と高橋(生内)信真一族との関係は不明(記載なし)。

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高橋信真が秋田出身とされることから、信真の叔父の「生保内源右衛門」も秋田にゆかりがあると思われますし、稲荷神社の記録に伝わる小保内源左衛門も、素直に考えれば南部信直・利直時代の人物であることは間違いありません。

わざわざ「(信真が)二戸で仕官した」とある点にも、本家(小保内一族)との何らかの繋がりを感じさせる面があります。

「盛岡で居場所を持てず二戸にやってきた小保内源左衛門」と「二戸で南部家に仕官し(恐らく)盛岡に移住したものの孫の代に家禄を失った生内信真」も、二戸との関わりや盛岡との相性の悪さ?などから、ビミョーな類似性を感じます。

もし、この生保内源右衛門が実在するとして、この御仁が稲荷神社(本家)の始祖たる小保内源左衛門義信と同一人物(どちらかが誤記?)と言えるのであれば、これらの古文書からも、本家は秋田出身と裏付けられると共に、小保内と名乗る前は、高橋と名乗っていた(しかも四国に先祖がいた?)という話になります。

なお、本家の始祖の小保内源左衛門は秋田城介=安東通季?の家臣とされているのに対し、こちらの古文書では角館を拠点とする戸沢氏の家臣となっています。

ただ、前出の「湊合戦」の際には戸沢氏も安東通季に加担していたとwikiに表示されているため、「安東実季(檜山安東氏)に敗れて秋田の支配権を失った一派」と捉えれば、双方は共通することになり、その点は興味深く感じます。

ともあれ、このサイト記事のみを根拠に「源右衛門と源左衛門が同一人物だ」などと推測するのは無理があるでしょうから、現時点では妄想の域を出ません。

ちなみに、上記①~④のうち、②は史実ないし一般的な歴史認識に照らし誤った記載が多々含まれています。角館城をWebで調べると、戦国・織豊期に落城したとの記録は全くなく、角館城主たる戸沢氏は敗亡や没落はせず、関ヶ原(対上杉戦の北方戦線)での働きが不十分だとして常陸に減転封されたに過ぎず、その後、山形県新庄の藩主として存続しています(他にも、数世代に亘り生じた出来事の時系列に関する記載に不合理さを感じます)。

ただ、高橋(生内)一族が戸沢家の家臣だったなら、奥州仕置の際に失職して南部藩=仙北町に来た可能性はありうるのでしょうし、戸沢家臣時代に戸沢氏の勢力下にある田沢湖町(旧生保内村)の領主だったのなら、私の父が田沢湖町で聞いたという伝説にはピタリあてはまります。

余談?ながら、本家=稲荷神社の当主(神職)は、稲荷神社サイトによれば、源左衛門の子・定義を筆頭に、江戸時代には「定●」という名前を名乗る(2文字の最初に定の字を用いる)のが通例となっています(理由はわかりません)。他方、生内信真の子孫は、江戸末期頃から数代に亘り「定●」という名前を名乗っていたようで、不思議なものを感じます。
歴代宮司について(1) : 呑香稲荷神社ブログ (blog.jp)

ともあれ、本家の始祖たる小保内源左衛門義信の正体(出自)を考える上で、このサイトの文章が様々な示唆ないし想像をかきたてる面があることは言うまでもありません。

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以上で小保内源左衛門義信の出自を探る考察を一旦終えますが、もう一つ、純個人的に、大変興味深い事実に気づきました。

私の名前は「義和」で、兄も漢字2文字で「義」が名前の先の方に用いられている(漢字1文字違い)ので、兄弟そろって「義」の字が使われているのですが、私の実家(数代前に総本家から分かれた家)の家系には、そのような名前=名前に「義」の字が用いられている方は全くいません。

また、本家の家系図を見ても、始祖の源左衛門義信と子の定義以外に「義」の文字が用いられた者(当主たる神職)がおらず、不思議なほど「義」の字が使用されていません(まあ、特に理由もないのでしょうが・・)。

そのような中、私の父が自身の子供二人に、一族の始祖たる源左衛門義信と同じ「義から始まる漢字2文字の名前」を命名したことには、不思議というか、興味を掻き立てられずにはいられません。

残念ながら父は数年前に亡くなり、私は生前に聞きそびれましたので(兄も聞いていないとのこと)、この点に関する真相究明は困難です。

ただ、以上に述べたことを踏まえると、もしかすると、父は何らかの理由で、子供達に一族の始祖と同じ「義から始まる漢字2文字の名前」を定めたいと考えたのではないか、と妄想せずにはいられない面があります。

では、仮に、その「妄想」が本当だったとして、どうして父はそのようなことを考えついたのか。以下も全くの想像ですが、折角なので、とことん妄想してみようと思います。

私の実家は曾祖父が商家として身を立て(盛岡なら三田一族にあたるような、地元で最も著名な商家で奉公し独立したと聞きました)、祖父の代に最盛期を迎えたものの、頑張りすぎた反動?で祖父の晩年に斜陽となり存亡の危機に直面したこともあったそうです(私が物心ついた頃には、危機は去り緩やかな衰退期に向かっていました)。

そのような状況下で家業を継承する前後に我々を授かった父は「ここで家を潰してなるものか」という緊張感と闘っていたと思われ、本家=一族の始祖の加護を欲して「義」の字を子供達に付すことを思いついたのではないか。

これが、現時点では立証困難な妄想の終着点となります。

ただ、そのように妄想すれば、実家を離れ「新たな家を建てるべき立場」になった私にとって、一族の始祖と同じ「義」の一字を授けてくれたことは、相応に意味や価値があるように感じます。少なくとも、他の名前を授かった場合と比べ、親近感は全く異なると言ってよいでしょう。

故郷の秋田を不本意な形で離れ、第二の故郷となるはずだった?盛岡に馴染めず、何らかの理由で二戸に落ち着き、城跡の一角にある神社の神職として、大戦争で荒れ果てた地域の鎮守となった小保内源左衛門義信。

小さな商家の次男として生まれ、故郷(二戸)に身の置き場がなく、都会にも馴染めず、盛岡=主君を滅ぼした敵が作った都(二戸人は政実公が主君ですので信直公は主の敵です)で身を立てることにした小保内義和。

この二つの物語が交差する有様を眺めつつ自分のなすべきことを考えてみるというのも、多少はおもしろいのではと思います。

この物語をみていただければ、どうして私が北奥法律事務所(北東北のために働く弁護士)と名乗ったのかという理由も、若干はご理解いただけるかもしれません(もちろん、以上の理由で考案したのではなく、直感で思いついただけですが)。

余談ながら、私の実家の親族には盛岡に定住した方がほとんどおらず、実家以外で本家から分かれた他の方々を含め、この一族には「盛岡で身を立てた方」がいるのか知りません(本家にこれほどの歴史があるだけに、些か不思議に感じます)。

そのことも、私が盛岡で生きることに何らかの意味や価値を与えてくれるのかもしれません。

皆さんも、ご自身のルーツを探る旅に出かけると共に、その果てに、自身のあり方を深める物語に辿り着いていただくことを願っています。

 

小保内一族のルーツを求めて(前)~稲荷神社の公式記録から考える~

皆さんはご自身の先祖を把握されていますか。中には数百年前まで分かるという方がおられるかもしれませんが、ごく少数かと思います。

私の実家は「江戸晩期に本家から別れた後、6代ほど続いた家」で、曾祖父が商家として身を興し、祖父の代に一旦は二戸でも著名な商家の一つとして最盛期を迎えたものの、祖父の晩年から斜陽気味になり、様々な方の支えで現在も何とか存続しています。

本家(総本家)は二戸市にある呑香稲荷神社ですが、本家は神社の正当な伝承に基づき、江戸初期(盛岡南部家2代・利直の時代)に「小保内源左衛門義信」なる御仁が、当時、浄法寺(稲庭岳の麓あたり?)にあった稲荷大神を現在の地(二戸市五日町)に遷座させたのが発祥とされ、以来、数百年も連綿と続いています。
http://tonkouinari.blog.jp/archives/1388136.html

本家は、私が聞いた話では発祥時から現在まで男子直系が続いているわけではないものの、血族(当主の姉妹の子)を養子に迎えるなどしており、血筋は絶えたことがないはずです。

ただ、この「小保内源左衛門義信」については、引用の稲荷神社のサイトをはじめ、Web上の多くのサイトで秋田城之介の家臣と書かれているものの、それ以上の情報が得られず、どこで何をしていた者か(そもそも「秋田城之介」自体、何者なのか)、突き止めることができていません。

上記のサイトでは、この人物(本家の始祖)は秋田出身で江戸初期に、主家没落に伴い南部家に移籍し盛岡市の仙北町(秋田の仙北郡出身者が移住した地)に身を置いたものの、不遇の身に憤慨し二戸に移住したなどと書かれており、他に同種の記載があるサイトも見かけましたが、Web上の情報は全てそこで終わっています。

もし、それ以上の話をご存知の方がおられれば、ぜひご教示をお願いしたいところです。

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で、今回の投稿は、この「小保内源左衛門義信」の出自・正体について、私なりに調べて推測したこと(現在の到達点)を記録に残しておきたい、との目的で書いたものです。

まず、この「秋田城之介」とは、秋田市中心部の千秋公園=久保田城(佐竹氏の居城)ではなく、大和朝廷により創建された古代の秋田城(秋田市北部に遺跡があります)の長官を指すことは間違いありません。

そして、当時=安土桃山~江戸草創期に「没落した秋田城之介」がいたのか調べてみると、以下の理由から、現在の秋田市周辺などに勢力を有していた「安東通季」だと推測されます。

そもそも、北東北は頼朝の平泉征服に伴い甲斐から移住した南部一族が席巻し、鎌倉後期には広い圏域を支配下に収めていましたが、室町期に退潮し、戦国期の秋田県は、安東一族が勢力を伸ばしていました。

安東一族は「奥六郡(狭義は岩手県、広義には北東北全域)の正当な支配者」たる安倍一族の末裔を自称し、かつて北東北随一の港湾と謳われた十三湊を領有していましたが、室町期に一旦没落した後、戦国期に復権し、秋田市のエリアに拠った湊安東氏と、能代市エリアに拠った檜山安東氏に分かれて覇を競っていました。

当初は湊安東氏の方が優勢で、最盛期は秋田県の大半を勢力下に収めていたのですが、戦国後期に檜山安東氏に有力武将が二代続けて出現し(安東愛季・実季父子)、織豊期には檜山安東氏が湊安東氏を併呑してしまいます。

で、その際、湊安東氏が「呑み込まれてなるものか」と秋田の覇権を賭けて檜山安東氏に戦いを挑むものの、敗亡するという出来事(湊合戦)があり、その最後の当主である安東通季のwiki情報を見ると、敗亡後は南部氏のもとへ逃れ、復権運動を行ったものの奏功せず、やがて南部氏の家臣となった、と記されています。

そして、安東通季=湊安東氏は秋田市周辺を本拠とし、一時は秋田県の大半を勢力下に置いたことなどから、秋田城介(旧秋田城の長官=秋田県域の正当な支配者)を自称していたと記されています。

以上から、小保内源左衛門義信が仕えていた(と称する)「秋田城之介」とは、安東通季に間違いないと考えられます(義信自身又は他者が創作したかどうかはさておき)。

ちなみに、安東氏ひいては秋田の覇者となった安東実季は、秋田制覇後には秋田氏と名乗るようになりましたが、関ヶ原後は天運に恵まれず、佐竹氏と入れ替わりで常陸の一角に移封された後、子の代には陸奥国三春=現在の福島県三春町に移封され、そのまま三春の小領主として明治を迎えています。

三春は言わずと知れた福島を代表する桜の名所の一つで、現在でも古い建物が点在する小京都的な街ですが、そうした歴史を踏まえて訪れていただければ、また違った光景が見えてくるかもしれません。

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それはさておき、没落した秋田城介こと安東通季については相応にWeb上で分かるものの、さすがに家来?の小保内源左衛門義信のことまでは、Web上で辿ることはできそうにありません。

ただ、私は子供の頃に亡父から「自分が秋田県の旧田沢湖町(現仙北市)の中心部(生保内地区=旧生保内村)に赴いた際、地元の人から『あなたの先祖は、ここの領主だった』と言われた」と聞かされたことがあります。

ここからは憶測になりますが、小保内源左衛門義信(の先祖)は、湊安東氏の最盛期に生保内村の領主をしており、その関係で「小保内」と名乗っていたのかもしれません。

漢字が違うじゃないかと言われそうですが、それこそ、秋田を去って南部(岩手)の人間となることを決めた際、旧領への未練を断ち切るため「生」を「小」に変えたのかもしれません。

ちなみに「内」はアイヌ語で「小さな沢」です。「小保」の由来は不明ですが、古代に東国の有力豪族と言われた「オホ氏」と関係があるかも、という独自説(笑?)もあります

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私は幼少期に亡父から「我が一族の先祖は、田沢湖(生保内村)の領主をしていたが、秀吉の東北征服(奥州仕置)により領地を失い、南部家の食客になった。そして、南部公から『二戸には九戸政実の残党が今も多数あって政情不安であるから、この地を鎮めて欲しい』と頼まれ、神官として二戸にやってきたものである」と聞かされたことがあります。

稲荷神社は、言わずと知れた九戸城(九戸戦争による政実公の敗亡=信直公の入城後は「福岡城」)の敷地内(旧三の丸及び松ノ丸)にあります。ですので、神社の敷地は、福岡城の城主たる南部氏が盛岡に移転した際に、何らかの理由で南部公から引き継いだ(託された)ものと考えるのが合理的だと思います。

ですので「小保内源左衛門義信が南部公の意を受け神官として二戸にやってきた」という父の説明(伝承?)には相応の信憑性があることは間違いないでしょう。

次回は、Web上で偶然見つけた「小保内源左衛門の出自を突き止めることができるかもしれない、もう一つのネタ」から考えたことを書きます。

(追記)
今、Webで少し調べたところ、「オボナイ(小保内、生保内等)」とは、アイヌ語で深い川、或いは深い谷を指すと書いてあるものを拝見しました。