北奥法律事務所

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私事など

マチ弁が鎌倉来たりてエセ歌人(後編)

昨年末の鎌倉来訪に関する記事の後編です。

源氏山を東側から下山し、寿福寺に立ち寄った後、しばらく南下して鶴岡八幡宮に着きました。

鶴岡八幡宮は今回の主要目的地ということで、宝物殿を含め、可能な範囲で神社内を色々と拝見しました(が、話題の大河館は2時間待ちで諦め、国宝館は休館中で残念でした)。

鎌倉の象徴であり武家の守り神とも称されるこの神社は、源頼義により創建され頼朝の手で現在の姿となったもので、蝦夷の末裔たる東北人にとって仇敵の神殿という面があることも、忘れてはいけません。

と同時に、源氏(河内源氏)宗家はこの地で無惨な最期を迎えたわけで、そのこともまた、この神社の業の深さを感じさせるものと言えます。

ともあれ、千年前に時代に翻弄された人々の鎮魂を祈って一句

しめなわに禍福あざなす鶴ヶ岡

また、源実朝が落命した八幡宮の階段にて、山形県鶴岡市で先日生じた雪害事故も脳裏をよぎって一句。

この坂はまさかの雪が仇となり


その後、私にとっては今回の主要目的地にあたる「頼朝と義時の墓所」(法華堂跡)に行きました。

事前に勉強せず行きましたので、最初に上った頼朝の墓の区画に義時の墓もあるのかと右往左往しましたが、ほどなく、双方は別の場所に設けられており、それぞれ別の階段から上る必要があることが分かりました。

鬱蒼とした頼朝の墓(江戸期に整備されたもの)に比べて義時の墓所(跡地)の方が広々としており、また、頼朝は狭い区画に一人だけの墓となっているのに対し、義時の墓所の奥は三浦一族の供養墓があり、区画上部にも大江広元らの供養墓があるなど様々な施設で賑わっており、ここでも「頼朝のドス黒い孤独」を感じざるをえませんでした。

ともあれ、大河ドラマの様々な場面を思いつつ、鎮魂の丘にて義時が義和に囁く一句

その時は義を以て為し報い待て

***

その後、丘を下りて、鎌倉幕府の終焉の地に向かいました。

北条氏の天下は頼朝の死と義時の権力闘争(勝利)から始まり、東勝寺での高時一族の自刃にて終わる。もって盛者必衰の理をあらはす。

近時の研究(中公新書・亀田俊和「観応の擾乱」など)によれば、鎌倉幕府の倒壊(主要武士群からの支持喪失)は、土地利権をはじめとする武士同士の紛争を解決する役割(訴訟処理機能)を幕府=鎌倉政権が果たしていない(ので政権担当能力がない)と評価された点が大きかったのだそうです。

翻って現代はどうか。

この仕事をしていると、現在の司法制度の残念な部分を否応なしに感じさせられ、当事者の不満や失望を垣間見ることは多々あります。

高時の自刃跡とされる光景は、或いは、裁判所や司法関係者、ひいては立法のための努力をしない国民全体の近未来の姿なのかもしれません。

***

最後に鶴岡八幡宮の小町通り商店街に戻り、通り奥のカフェ・ミルクホールにて名物のプリンを頂戴しながら一服した後、ほどなく帰宅しました。

商店街には「神社のあとはジンジャーで」なるキャッチコピーを付した幟があり、どうせなら、寅さんの口上のように、こんな感じで言葉を並べた方が面白いと思いました。

神社のあとはジンジャーで
お寺で御法度ジントニック
天ぷらアタればテンプルへ
モスクで食べたやモクズガニ

そしてプリンはプリンシプル。

24年前、私が所属していた司法修習52期6組では、地元ご出身のTさんによる「魅惑の日帰り鎌倉ツアー」が開催されました。

Tさんは、数年前から研修所の刑事弁護教官として熱血指導に邁進されつつ、オウム真理教の末端著名信者を巡る刑事事件で無罪判決(実行者との共謀関係を否定)を勝ち取るなどの輝かしい活躍をなさっています。

かたや、当方は今や田舎の片隅で数多の名も無い赤字仕事に追われつつ事務所の運転資金に喘ぐ日々。まさに日暮れて道遠しというほかありません。

湘南の海が眩しく見えるのは、或いは、誰もが可能性に満ちあふれていたのかもしれない、あの日々への執着への裏返しなのかもしれません。

あたかも、この街がかつて武士の都であったように。

皆さんは鎌倉で、何を感じましたか?

ブログでは割愛した写真をご希望の方はFBへどうぞ。

もう一つの「寮生はどう生きるか」の物語と、黄昏の中で止まった時間

先日、函館ラ・サール学園の保護者向けの通信誌に寄稿する機会があり、思うところあって、私の昔話、それも、華やかな自慢の類とは真逆の、苦い思い出話を敢えて書くことにしました。

といっても、通信誌では、字数の制約もさることながら、言葉をかなり選んで書かなければならないでしょうから、踏み込んだ記載は避けて、かなりぼかした内容にしています。

ただ、現在も、何らかの形で寮生活に不適合を起こすなどして、気の滅入る暮らしを余儀なくされている生徒さんは一定程度いるのでしょうし、お子さんにそうした問題が生じた親御さん達も、辛い思いを余儀なくされているのだろうとお察しします。

私の経験やその後に辿った道は、そうした方々に何らかの参考になるかもしれないと思い、敢えて、具体的な事実関係を書くことにしました。

ちなみに、通信誌に寄稿したタイトルは、次のとおりです。

【落ち込むこともあったけど、盛岡支部はまだ元気です。たぶん。】

****

33年前、私は100人部屋にいました。
何かと美化されやすいこの空間が、希薄な人間関係の中で育った私は苦手でした。

自習室(2室。当時は計7室くらいありました)は40人ほどで、1年次の最後に室内(生徒達)で行った「何でも投票」があり、十数個の質問の中にあった「面白くない人」ランキングで、私は2位でした。

こんな投票(アンケート)を2室の人達が行った理由は、今も分かりません。
当時の私への評価自体には、異議はありませんが。

自習室の私の目の前には、爽やかという言葉のエッセンスを抽出して具現化すれば、こんな若者が造形されるのだろうと感じた、美しい心と容貌の持ち主のA君が座っていました。入寮当日に打ち解け、100人部屋時代は一番の仲良しだったと思います。

入寮から半年以上を経て4人部屋に移行する時期になりました。

この学校では、「メンバー決め」は原則として生徒の自主性(自助努力)に委ねられています。

号令が下された直後に、私とA君、次いで、飄々或いは泰然自若としたB君が組むことになりましたが、あと1人が決まりません。

やがて、顔役の同級生から、少し離れたエリア(他の自習室)で暮らすC君が、仲間を作れず困っているので入れてやって欲しいと頼まれ、3人とも快諾しました。

***

4人部屋の生活が始まり、最初は4人とも関係は良好で、消灯時間後も深夜まで談笑する日々が続きました。
が、間もなく、C君は何かにつけて、私1人を執拗に非難するようになりました。

私はC君が一年次に他の同級生から寮内で「いじめ未満」の被害を受けるのを垣間見たことがあり、人としての未熟さを色々と抱えた「面白くない人」の私が、人望のあるA君やB君と仲良く暮らす光景を、面白くないと感じていたのかもしれません。

C君の言動は、その種の経験に慣れた私には半ば平気なものでしたが、暖かい家族と暮らした優しいA君には、その光景が耐えられなかったようです。

ほどなくA君は3人だけの場で私やB君に愚痴を述べるようになり、仕舞いには自身の退寮希望まで仄めかすようになってしまいました。

私もB君も事態悪化を回避したく、A君を説得すると共にC君との調和に努めたつもりですが、状況はさらに深刻となり、我々3人で、C君と困難な協議をせざるを得なくなりました。

最初に切り出した瞬間以外は、誰が何を話したのか、覚えていないことも多いのですが、事実上のリーダー役となったA君が、君と一緒にやっていくのは難しいという趣旨のことをC君に述べたのだろうと思います。

結果、C君は「君達に迷惑はかけたくない」と言って下宿に移りました。

私の記憶では、我々3人がC君に退寮を求めたことはありません。
しかし、寮教諭に相談するなど「C君の退寮を避けるための方策」を何か講じたこともありませんでした。

今ならそうした幾つかの方法が思いつきますが、当時、そこまでの知恵がなかったか、私に当事者意識・責任感が欠けていたか、C君ひいてはA君の立場に立って考える姿勢が足りなかったか、全ては未熟さによるものとしか言いようがありません。

ともあれ、5月か6月の時点で、4人部屋は3人だけの部屋になりましたが、その後も部屋に笑顔が戻ることはありませんでした。

A君は、それ以来、その出来事に強い自責の念を抱くようになり、1~2ヶ月ほど鬱々とする生活を続けた後、寮生活の継続を望まず、自ら下宿に移っていきました。

***

夕暮れに沈んだ暗い室内で退寮の意思を告げたA君が、そのとき何と言ったのか覚えていません。

ただ、私やB君の慰留を寂しそうな笑顔で断ったA君が、C君の件で責任を取りたいとの気持ちだったことは、間違いないと思います。

しばらくして、多少とも明るさを取り戻したA君は、下宿生同士でもあるC君と行動を共にすることもあったようです。

私が事態の打開にできた・したことは何もなく、力不足を彼らや親御さんに申し訳ないと思いつつ、他人事のように状況を眺めることしかできませんでした。

私自身は、その後、高校時代に誰かと一緒に出かけるなどした記憶が基本的にありません。大学時代も、そうした経験はほとんどありませんでした。

高校1年生の頃、私はA君と一緒に出かけたり二人だけで時間を過ごしたことが何度かあり、そのことは、私にとっては、他の友人・同級生と過ごした時間とは何かが違う、眩しさを含む思い出になっています。

もしかすると、それは、映画「影裏」の光景に、ほんの少し通じるものがあるかもしれません。

***

残った私とB君は、2年次の後半は他の4人部屋で生じた不和のため行き場をなくしたD君を受け入れて欲しいと寮の先生に言われ、D君と3人で互いに干渉しない静かで淡々とした日々を過ごし、3年次には、新たな仲間を見つけたD君に代わり、B君のほか別の4人部屋から分かれたE君・F君と組みました。

北大医学部に現役合格したE君の勉強姿勢に強い感銘を受けることも多く、3年次には、この4人で一貫して良好な寮生活を過ごすことができました。

私は、入学直後から理系科目で断崖を乗り越えることができなかった影響もあり、大学入試では、この学校への進学を活かし切ったと言えるだけの十分な成果を出すことはできませんでした。

しかし、E君やB君(旭川医大現役合格)の背中から学んだことが、その後の司法試験で、当時の実力に照らし分不相応なスピードでの合格という形で、顕著に生きたことは間違いありません。

***

それから30年を経た今、田舎のしがない町弁の宿命として多数の赤字仕事に追われる日々を送っていますが、採算が取れなくとも人々の力になる真っ当な仕事をすることが、あの光景への、自分なりの贖罪かもしれないと思うことはあります。

もちろん、未熟な高校生同士の話ですし、C君やA君に対しては、誰かが一方的に悪いという構図は存在しないと思っていますが、C君やA君の親御さんに対しては、あのような事態になってしまい力不足で申し訳ありませんでしたとお詫びしたい気持ちを今も持ち続けています。

どうしてこんな昔話をダラダラ書くのか、だから、お前は「面白くない人」と言われるんだろうと、お叱りを受けるかもしれません。

今も昔も、この学校・寮で暮らす子供達は、多くの不安やストレスを抱えながら生きています。中学生なら、尚更だと思います。

私も、何か彼らの力になることができればとは思いつつ、希薄な人間関係に安住してきた報いなのか、意義のある役割は何一つ果たすことができていません。

ただ、人には歴史があります。

ここに書いていない事柄を含め、本校・寮で、決して楽しいとは言えない経験もしたのは、貴方だけではないこと、そして、そんな経験でも、いつか前向きに生かせるときが来るのではと伝えることで、私にも皆さんの役に立つことがあるかもしれません。

困難な問題を抱えた生徒さん達に対し、直に力になることはできないかもしれませんが、口先だけの励ましに代えて私の経験談をお伝えした次第です。

当事務所のブログには、他にも、ご迷惑にならない範囲?で本校や函館のことを書いています。気が向いた方は、そちらもご覧いただければ幸いです。

***

ちなみに、今回のタイトルは、本校ご出身の作家さんの作品にちなんだもので、私の手元にも1冊ありますが、まだ読めていません。そろそろと思ってはいますが・・

函館ラ・サール中学・高校の学校説明会と校内レポート番組

2週間ほど前の話ですが、盛岡で函館ラ・サール中学・高校の学校説明会があり、関係者として設営のお手伝いをしてきました。

これまでは学校のご担当(副校長など)が1時間ほど口頭で喋り続けることが多かったのですが、今回担当された教員の方は、ご自身の教え子(難関大に進学した方のほか、運動部などを含めた在学中の生徒さん達)のビデオメッセージを多数揃えて、個別の生徒さん達が、どのような個性の持ち主で、学校・寮生活を通じどう成長したか、という話を詳細になさっていたので、その点は、かなり聞き応えがあったと思いました。

次回(盛岡会場)の予定日は10月22日ですので、対象となりうるお子さんがおられる方、或いはそうしたご家庭や塾・学校関係者をご存知の方は、ご来場(その方々にご紹介)いただければ幸いです。

来場者向けの配布資料が入った封筒を幾つか持っていますので、ご希望の方は、お申し出ください。

数年前にもブログで「岩手など(中学受験が当たり前な首都圏等以外)の子が中学受験や函館ラ・サールに関わる意義」について、掲載したことがあり、ご覧いただければ幸いです。
函館ラ・サール中学・高校の入試説明会と「地方の子が中学受験や寮生活をする意義」 | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

また、1週間ほど前には、函館ラ・サールを取り上げた番組も放送されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=DC8JZYyD0fo

映像には建替前の昔の寮とみられる写真も含まれています。当時は100人部屋でしたが、現在は生徒数も減って、50人部屋と呼んでいるようですね。

卯建の上がらない高校生活を送った人間が、なんで出身校の宣伝ばかりさせられるんだというのが正直なところではありますが、お子さんの進学などを検討されている県内等の方は、当方でお役に立てることがあれば、ご遠慮なくお問い合わせ下さい。

 

インターネットを通じて著名人からブログにコメントを頂戴した件

2年前、事務所Webサイトの仕様変更(http→httpsの切替)を依頼した際、副作用?で、検索で相応に登場していたブログの記事がWeb上で全く検索されなくなり、Web世界の彼方に消えてしまうという悲しい出来事がありました。

自称・代表作であるJCIクリードと日本国憲法の関係を書いた記事など、検索上位に表示される投稿が幾つかあったため、しばらくは枕を涙で濡らす日々を送りました。

で、せめてもの悪あがきとして、昨年、昔書いた記事を読み返した際、誰か見てくれればと思ってツィッター上に掲載するセコい作業をこっそり行ったことがあります。

すると、宮崎監督と庵野監督の作品思想の違いについて論じた記事で引用した、ある著名人の方(浅羽通明氏)からツィッター上でコメントをいただいたので、大変仰天しました(1年以上前の出来事で、当時、FBには載せたのですが、ブログに掲載するのを失念していました)。

同世代の方で、若い頃、思想・哲学など「知の世界」に憧れを抱いたことがある方なら、浅羽通明氏の「ニセ学生マニュアル」三部作などをご覧になったこともあるかもしれません。

私は学生時代にこの本に強い影響を受け、今も、歪な自我を抱えた者だからこそ社会に役立てる「何か」もあると信じて、町弁のはしくれとして田舎の片隅で地を這うような悪戦苦闘の日々を送っています。

面識等はもちろんありませんが、私にとっては知の世界に触れる機会を与えていただくと共に、学生時代に道を違えずに済んだ、或いは真っ当な路線に辿り着く原動力を頂戴した恩人のような方だと思っており、それだけに

「長生きはしてみるものだ、たまにはいいこともある」

と、天に感謝した次第です。

先日も、浅羽氏が執筆された「『君たちはどう生きるか』集中講義」を拝読し、マルクス思想をテーマとする点では「人新世の資本論」と共通するものの、総論ばかりで有意な各論(実践論)が伴わないと感じた後者よりも遙かに具体的・実践的で面白い(マルクス思想は革命=権力闘争の思想と実践が伴わなければならず、そのことに正面からきちんと触れている)と、改めて浅羽氏の「読ませる力」に圧倒されました。

また、浅羽氏が現代の様々な社会事象に鋭い分析・解釈を示した新たな書籍を世に送り出して下さる日を、心より楽しみにしています。

 

誰もが才能を開花させる世界を夢見るダンブルドアは、偽善の狭間で孤独を余儀なくされるのか

連休期間中に、映画「ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密」を見ました。

正直、上映中はアクションシーン中心の退屈な映画なのかと思いましたが、後でWebで少し調べて、ようやく面白さが多少は分かってきました。

以下、作品の中身(ネタバレ的な話)とは別な観点から、感想を書きます。

ご承知のとおり、このシリーズは、魔法使いによる人類(マグル=ノーマジ)の支配を掲げるグリンデルバルドに、ダンブルドアとその協力者たる主人公らが立ち向かう物語が骨子となっており、それだけを見れば子供向けの勧善懲悪の作品ということになります。

ただ、前作では、グリンデルバルドも単純な悪党ではなく、彼なりの正義を掲げていたと記憶しています。

本作品の世界では、人類から迫害や何某かの抑圧を受けたり、能力を活かすことができず貧困など何らかの不満を抱えた魔法使いも相応におり、それを「能力の解放(人類への魔法の使用禁止の解除=魔法による支配)」により解決するのだという点が、彼の旗印・求心力として示唆されています(前作で、デップ氏が、そのように述べる下りがあった気もします。勘違いかもですが)。

ただ、今回は、その点=敵方の正義(彼が支持される理由)の説明がなく(作り手にとっては前作で済ませたとの認識かもしれませんが)、「魔法暴力で人類を支配しようとする悪い奴」的な描き方に終始したような印象でした。

そして、それを止めようとする主人公陣営の行動も、単に「相手は悪だ、だから相手の行動や価値観は全否定だ」と述べているようにしか見えず、思想的な葛藤を見出すことができなかったので、上映中は何となく退屈に感じたのでした。

***

ところで「自分が抱えた不満や身内の困窮(内部不経済)を解決する手段を、自分達が敵視する他者への暴力や収奪(外部不経済)に求める」というグリンデルバルドの主張は、現在の露国に喩えるまでもなく、暴力を振るう側のありふれた論理で、何の目新しさもありません。

これは露国に限った話ではなく、欧米日などの富裕地域(グローバルノース)も、自分達の社会の安定を図るため貧困地域(グローバルサウス)から様々な搾取を行ったり、海洋ゴミ等を含む汚染など(外部不経済)を転嫁させていると言われて久しく、「露国の方が、グローバルサウスとして、ノースの端(欧州の一員としてのウクライナ)に異議申立しているのだ」と見立てる人もいるかもしれません。

ですので「暴力で人を支配しようとするグリンデルバルドやプーチンは間違っている。倒すべきだ」というなら「構造的暴力を通じて世界中で搾取するグローバル富裕層(富裕諸国)も間違っている。倒すべきだ」という帰結になるべきと言えます。

少し前に一世を風靡した「人新世の資本論」のように?そうした主張をする論者も無いわけではありませんが、戦争やウイルス禍と比べるとインパクトが乏しいのか、或いは実践可能な具体論を欠くせいか、後者の議論は最近はすっかり下火になったようにも感じます。

ともあれ、現代のグローバル社会は、GAFAの創業者など魔法使いのような特別な能力・才能を有する一部の人が、特別な知恵と技術で世界に新たなサービスを提供し巨万の富を築くのを認めつつ、取り残された人々が貧困層に転落するのを防ぐことが大きなテーマであったものの、現実の格差・断絶は深まる一方というのが、ここ20年以上の現実ではないかと思います。

言い換えれば、「特別な力を持った人々が能力を発揮して社会に貢献し、その対価として大きな幸せを得ることができる一方で、そのような力を持たない人々も相応に幸せに暮らせる(酷い目に遭わない)社会」が現代世界の中心テーマですが、現状は、実現したというにはほど遠いと考えられているように思われます。

***

それを踏まえて改めて本作を見ると、気になるセリフが見つかるのです。

冒頭、グリンデルバルドは、ある重要人物に対し「お前はかつて俺の同志だった(が、今はそうではない)」という趣旨のことを語ります。

そして、終盤、その人物に対し「お前は俺としか分かり合えない、いつまでも孤独だ」とも語っています。

本作では、魔法使い達(魔法界)の伝統的な政策として、人類(マグル)に関わらずに生きるべきとされていますが、自らが強大な力を持つこの人物が、その政策の当否について見解を表明する場面があったか、記憶にありません。

グリンデルバルドのセリフからは、この人物=ダンブルドアは「魔法使いを解放しつつ人類を支配しない(魔法使いも人類も、魔法の力で共に力を合わせて幸せになる)社会」、言い換えれば、「特別な力を持った人々=魔法使いが能力を発揮して社会に貢献し、その対価として大きな幸せを得ることができる一方で、そのような力を持たない人々も、相応に幸せに暮らせる(酷い目に遭わない)社会」を理想としているのではないかとも思えてくるのです。

それは、理想主義的なユートピア思考ではあるものの、魔法と人類との隔絶よりも、グリンデルバルドの論理への対抗軸として、魅力的に感じるものと言うことができます。

平たくいえば、「強者(魔法使い)が自由に生きて(自己実現して)、それにより皆が幸せに暮らせる社会」と「強者が自由に生きて、それゆえに限られた者だけが幸せに暮らせる社会」という二つの世界観の対立という構図です。

ダンブルドアの思想をそのように捉えた場合、それを否定して「お前は孤独だ」と述べるグリンデルバルドは、グローバル社会なんて弱肉強食の搾取社会だ、能力主義(知価社会)はヒエラルキーが不可避なのに、皆が幸せになって欲しいなどというのは不可能かつ欺瞞だ、そんなことを吹聴する奴は自己矛盾に嫌気が差して孤独に沈むだけだ、というリアリズムを代弁しているようにも感じます。

乱暴に言えば、ダンブルドアはグローバル社会の勝ち組としての英米などの富裕層を、グリンデルバルドは、グローバル富裕層が作り上げた秩序に対し暴力により挑戦するロシア(や中国?)などの比喩という見方も可能かもしれません。

そして、そのようなダンブルドア(米国の勝ち組)に対し、グリンデルバルド(露国の独裁者)は、「お前は(どうせ勝っても)一人ぼっちだ。俺だけがお前のことを分かってやれる」といい、現に、ダンブルドアは(ハリーポッターシリーズで描かれるように)、さらなる圧倒的強者(ヴォルデモート)との関わり・対決もあったとはいえ、ある意味、孤独な人生を歩む(歩んだ)ようにも見受けられます。

であればこそ、ダンブルドアの今後の行動を垣間見ながら、このリアリズムにどのように抗うのか、グローバルノースの社会に生きる鑑賞者自身の実践が問われているのかもしれないというのが、最終的に私が抱いた本作への感想ということになります。

それはそれで、ハリウッド映画としては陳腐なメッセージというべきなのかもしれませんが、単なる勧善懲悪よりは、続きも見ようと感じることができそうな気もします。

一般的には、グリンデルバルドのセリフは別の意味で理解されるのでしょうが、私自身は、上記のような意味(思想的対立)も含めて解釈した方がより面白いのではと感じました。

と、あれこれ書きましたが、敵役の方は他作品で拝見したことが少なかったせいか、上映中は何度見ても松重豊氏に似ている・・と感じていました。

***

余談ながら、私は1年ほど前、エヴァンゲリオンの最終回(映画)を見に行っており、それ以来の映画鑑賞でした。

私は平成9年の司法試験・最終合格発表の当日(発表直前)に、当時のエヴァンゲリオン最終回(映画)を見ており、このシリーズにはそれなりに思い入れもあったので、しみじみと拝見しました。

鑑賞直前、昼食をとりながら、このようなことを考えていました。

「平成9年の映画は、アスカをヒロインとするような終わり方だった。今回のシリーズは、前回までの流れだとアスカとの関係が希薄だが、他の登場女性と懇ろになるような終わり方をするのだろうか。それだと、まるで『なんとかルート』みたいな、恵まれない男性諸氏のためのゲームのような感じになってしまうな。」

多くの方がすでに映画をご覧になったかとは思いますが、鑑賞後の感想はあえて割愛します。

 

愚痴を述べれば怪我来たる

写真のとおり、昨日、ちょっとした災難に遭いました。両足の写真を比べていただくと、左足が腫れているのが分かるかもしれません。気晴らし?に歌詞みたいなものを作ったので、チープな感じもしますが、どなたか曲を付けて歌っていただければ幸いです。

*****

笑う門には福来たる
愚痴が多けりゃ祟られる

仕事に追われる日々なのに
残高みるみる減った上

職場の階段踏み外し
歩けぬほどに腫れるのは

至らぬ事件で泣く人の
痛みも背負えということか

それなら独りじゃないのだと
無理でも笑え、また歩け

*******

幸い、今回は骨折していませんが、診察では

「通常よりも腫れが酷い。足首付近に陳旧性(昔々)の骨折(の完治しなかったもの)があり、それが影響したのかもしれない」

と言われました。

私は、幼稚園時代におっちゃんのバイクに轢かれる交通事故で左足を骨折しており、他に思い当たる点はないので、その件のせいかもしれません。

余談ながら、私個人は一円も賠償金を貰っておらず、両親が自賠責を含めて何も請求してないのか懐に消えたのかは不明です。今なら、後遺障害等級認定申請して後遺症保険金を貰ってくれよと苦情を言いたいですが。

ともあれ、その古傷のせい?で、長距離登山では左足が疲れやすく、下山時に左膝が曲げられなくなるなどの後遺症がありますが、皆さんも、お子さんなどが骨折などの大怪我をすることのないよう、ご配慮をお願いします。

*****

余談ながら、先ほど「岩手県内の公設診療所の所長が平成26年に自殺した件で公務外災害認定処分され、遺族が取消訴訟を提訴し、認容=勝訴した事件」(盛岡地裁R02.6.5判決判時2482-74)について、原告代理人の方が記載したレポートを先ほど拝見しました。

いわく、死亡された方(被災職員)は、長期の孤独な激務の影響で、愚痴を言う、苛立つ、怒鳴るなど、それまで全くみられなかった行動が現れ、次いで、周囲に苦しみや辛さを再三訴えるようになり、ほどなく鬱病を発症し、その半年後に自殺してしまったのだそうです。

そうした記述を見ると、何かと身につまされる面もないわけではありませんが、その方が数年以上担い続けてきた職務の内容や日常生活の詳細を拝見すると、今の私の日々など、取るに足らぬレベルだなぁと反省・恐縮するほかなく、この程度で愚痴を言えるだけ幸せなほうだと思った方が、賢明な感じがします。

ともあれ、今のたった一つ?の楽しみは、5~10年に1件位の某大口案件(穏当な内容で無事解決)で、相手方の対応の遅れのせいで延々遅れている報酬清算(による今月の大赤字の一挙解消)が早く実現しないかなぁ(清算ができた瞬間、腫れも消えてなくなるんだろうなぁ)・・といったところで、浅ましい運転資金の亡者の日々から解脱できるのは、いつになるんだろうという有様です。

あと、テーピングの写真は、本日、通院先で先生に巻いていただいたものですが、もはや巻き方分かりません(泣)。

 

 

聴覚障碍者の端くれとして

NHKで、聴力は正常でも雑音の多い場所では必要な音や話を選び取れず、理解できなくなってしまう「APD(聴覚情報処理障害)」という症状に関する記事が出ているのを拝見しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210708/k10013125531000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002

私は左耳の聴力が全くないため(右は健常です)、会議・会合などでは左方向からの発言などを聞き取ることが容易ではありません。

とりわけ宴会など騒がしい場では、左側の人々の話の輪を聞き取ることがほぼできないため、なるべく左端に座るか、それが無理なら、諦めて飲食に専念することにしています。

私が宴会(人の集まる場)が苦手で雑談力の低い孤立主義者であることは皆さんご承知でしょうが、或いは、そうした経験の積み重ねも大きく影響したのかもしれません。

引用の記事で紹介された症状(病名)は初めて知りましたが、広義の「聴覚障碍者」には、全面的な失聴者(いわゆる聾者)だけでなく、私のような片耳だけの失聴者のほか、記事のような症例の方もおり、決して「自分とは接点のない遠い世界にいる(から、そのような存在など眼中になくてよい)人」ではない、ということは、もっと知られてよいことだと思います。

そんなわけで、聴覚障碍者の方々に、本業を活かした何らかの支援云々ができればと昔から思っていますが、20年経った今でも、その種の機会に全く恵まれません。

昔々、何の接点もなかった日弁連廃棄物部会の門を叩いたときのように、自分で探して無理矢理に飛び込んでいくべきなのでしょうが、事務所の維持に一杯一杯の日々で、ぼちぼちエネルギーの低下も感じる年頃になってきており、このまま機会を得ることなく終わってしまいそうな気もします。

甘い赤ワインには、久慈ファームのサラミチョコを

昨年まで盛岡駅フェザン(おでんせ館)の1階で営業していた、久慈ファーム(岩手を代表するブランド豚の一つ「佐助豚」を生産する二戸の会社さん)の直営店で、1年ほど前、チョコレートをソーセージ風に模した「サラミチョコ」を購入しました。

で、諸々の理由で後回しになっていたのですが、先般、ようやくいただきました。

数年前、深夜を過ぎて事務所から帰宅した際に神経が昂ぶって寝付けないときは、甘口の赤ワインに氷を大量に入れて、チョコレートを頬ばりつつ、ビデオを見ながらゴクゴクと眠気が来るのを待つ、という生活を時折していました。

が、昨年に一旦その習慣が途切れてしまい、そのせいで放ったらかしになってしまったのですが、ともあれ、先日、久々にそうした形でいただいてみました。

結論として、美食家にはほど遠い身ながら、

「これほど甘口の赤ワインが美味しく飲めるチョコは他にない。スーパーのチョコとは、次元が何段階も違うレベルの味わい」

というのが、正直なところです。

皆さんも、ぜひ賞味なさってはいかがでしょうか。

なお、賞味期限をかなり過ぎても(冷蔵していれば)問題ないことは、私が保証いたします(笑?)。

久慈ファームの直営店が残念ながら閉店してしまい、今となっては通販で購入するほかないかもしれませんが、その手間をかけるだけの価値のある逸品です。

通販希望の方は、こちらでどうぞ。余勢を駆って、佐助豚の諸商品もご一緒に。
http://3491.ac.shopserve.jp/SHOP/kakou054.html

先日まで南部美人とのセット販売もされていましたが、現在は終了とのことで、ご希望の方は今後にご期待下さい。
https://www.nanbubijin.jp/shopdetail/000000000184/

 

ウイルス禍におけるRC運営や会員交流に関する意見~盛岡北RC卓話~

先日、盛岡北RCの卓話を担当する予定でしたが、ウイルス禍に伴う休会のため、やむなく以下の文章を会報に寄稿すると共に、折角なのでブログでも一部修正の上、掲載することにしました。

目新しい内容はありませんが、RC関係者の方々の参考にしていただき、他クラブの工夫例をご教示いただいたり、何らかの意見交換などができれば幸いです。

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【ウイルス禍による休会下における会運営や会員交流について】

1 はじめに

2月第1週の卓話担当の小保内です。今月は「平和と紛争予防・紛争解決月間」だそうで、国際奉仕委員長という立場で担当を拝命しています。

ですので、本来なら、海外RCの活動、はたまた国際的な法的紛争や解決に関する話(日産元会長事件とか、ハーグ条約に関する子の奪い合い訴訟とか)を取り上げる方が望ましいのかもしれませんが、外国語が関わる仕事はほぼ行っておらず、自分の経験としてお話できませんし、RCの海外交流などにも何ら関与したこともありませんので、それらを取り上げるのは止めておきます。

1年前に個人的な計画があり、本来はこれをネタにしたかったのですが、ご承知のとおり渡航不能となる憂き目に遭いました。風の噂では、他にも豪華客船に乗り損なった会員さんがおられた?と伺っています。

というわけで、今回は話題を変え、休会が延々と続く現在の状況下における会員交流や会運営、会報のあり方などについて、私見を述べたいと思います。

2 SNSなどの活用・活性化のお願い

ロータリークラブは「会員同士が現に交流し『友人(この地で研鑽を積み活躍する人生の先輩・後輩)としての信頼と相互扶助の関係』を形成できてナンボ」だと思います。

言い換えれば、そうした交流と関係の形成ができないのなら、会員として在籍する意味も必要もありません。

そのため、例会すら実施できない現状が危機的なものであることは申すまでもありませんが、現在のところ、当クラブであれ市内の他クラブであれ、代替の交流手段の発案・実践の光景を見かけることがなく、その点は大変残念に感じています。

現下の情勢では、Webを通じたコミュニケーションを活用せざるを得ないのですから、まずは、SNSなどの活用を試みるべきだと思います。

私の知る限り、当会ではHP(Webサイト)とは別に、facebookとLINEの双方に専用グループ(当会の会員・関係者のみが投稿できるもの)が設けられています。

FBは3~4年前に私が開設しましたが、1~2年前にYさんが開設したLINEの方が登録者数・投稿とも圧倒的で、FBは開店休業状態(新規登録も放置)になっています。

LINEも、若干の事務連絡と新年おめでとうメールの類を別とすれば、時折、Yさんが痺れを切らして下ネタを投下し、Hさんが「コラY!」と返答する程度で、さほど活用されているわけではありません。

できれば、皆さん全員にFB・LINEに登録し、当会グループに加入いただいた上で、下ネタに限らず、簡易な挨拶や写真だけの掲載であれ、本格的な近況報告であれ雑談の類であれ、皆さんが和んだり楽しんだり、盛り上がることができるような話題を、次々に投稿していただければと思っています。

なお、LINEは長文投稿に適さず過去の投稿がその後の雑多な投稿にかき消されやすいので、投稿の保存を重視するならFBグループに投稿いただいた方がよいと思います。

もちろん、RC会員として、ご自身が現下の状況で実践されている「ご自身なりの奉仕」を発言していただくことも、あるべきことだと思います。

ベテラン勢には「Webなんて分からんよ」という方もおられるかもしれませんが、ご家族・従業員さんに登録作業を行っていただければ、先日のAさんのように、加入直後に会員から歓迎メールが来たりします。

また、グループだけでなく、FBの個人フィードでの投稿も、リアルな交流の代替手段として、各自に活発に行っていただければと思っています。

私の投稿は、クセが強すぎるせいか?皆さんからなかなかコメントをいただけませんが、随時お待ちしているところです(笑)。

3 会報のあり方について(自己紹介、近況報告など)

休会中の会報の編成に関する議論は存じませんが、この間の会報は、従前の編成(会長挨拶、卓話、幹事報告など)の踏襲ではなく、何某か、例会での交流の代替手段としての活用を考えていただくべきだと思います。

例えば、ここ1~2年に入会された新入会員などに自己紹介いただいたり、既存会員も本業の成果であれ意外な趣味などの類であれ、様々な近況報告をいただくのが望ましいと思いますし、「過去の大物会員の列伝記事(昔話)の連載」も検討されてよいと思います。

現状ではスマイルボックスが不能になっていますので、これに代わる投稿を事務局にメール(DM)したり、会員で割当を決めて、「今回の会報ではスマイル投稿をすること」といった形でもよいのではと思います(大サービスで、スマイルゼロ円で投稿OKとしていただければ有り難いです・・と言ってみたりして)。

ちなみに「小保内って誰?」という新入会員の方は、当事務所のHPをご覧ください。

4 ズーム例会、スキー例会など

皆さんも、ズーム会議は相応に経験されていると思います(私はズーム飲み会は経験がありません)。直ちに「ズーム夜例会(宴会)」を行うかはさておき、何らかの形で例会など(会運営)に活かせればと考えます。

例えば、各人が事前に食事を済ませることを前提に、午後1時から1時半まで30分程度のズーム例会を行い、会長挨拶のあと、事前に割当を決めて5人前後が近況を報告し、簡易な質疑応答(雑談)を行って終了という方法も検討されてよいと思います。

先日、たまたま同じ日に家族で安比に行っていた、という複数の会員さんをFBで拝見したことがあります。大人数の参集は現状では無理でも、例えば「スキーができる人は、家族を連れてこの日に安比に来て下さい。昼食は(予約等が無理でも)可能な人は○○エリアに来て、挨拶だけでもやりましょう。可能なら、若干でも一緒に滑りましょう」といった試み(スキー例会?)も検討されてよいと思います。

例会という形式をとるかはともかく、現下の状況でも、適切な工夫を前提に、可能な限り会員交流の「あの手この手」が図られることが望ましいと思います。

5 代替措置と例会復活後について

先般の役員会で、休会長期化による伴う会費還元の手法として、夜例会の復活時に全額クラブ負担(自己負担なし)で行う方法を提案しました。一部返還も検討されているようですが、会費は会員の交流の原資というのが基本でしょうから、皆さんからも知恵を拝借できればと思います。

また、ウイルス禍と別の話として、ここ1~2年、当クラブに長年多大な貢献をいただいた方の退会や逝去が相次ぎましたが、クラブとしての「お別れの会」がほとんどできていないことを大変残念に感じています。

今後は、ベテラン会員や転勤族の方が「引退」的な形で退会される場合には、前後の夜例会を「お別れ会」を兼ねるものとし、引退のスピーチや会員による別れの挨拶をするような形をとるのが望ましいのではと思っています(転勤族の方は送別会がなされることもありますが、それはそれとして、例会の場でもお別れ会はあってよいと思います)。

また、逝去された方についても、同じように繋がりの深い方々に簡易なスピーチをしていただくなど、クラブとしての「お別れの会」があってよいのではと思いました。

ちなみに、私はN先生が亡くなられた際に、当ブログにN先生の追悼記事を掲載させていただきました。関心のある方は検索してご覧ください。

以上、大変な長文になり恐縮ですが、参考にしていただければ幸いです。

重たすぎるタイヤ交換に「メイドインジャパンの凄いサービス」を求めて叫んだ日

岩手ではタイヤ交換は11月中に行うのが常識でしょうが、何かと遅れがちの私は、毎年12月になってようやく交換しています。

私は3年前、不幸な追突事故の被害を機に、思い切ってRV車(国産SUV)を購入し、MD等が聞けないのを除けば満足して使用しているのですが、タイヤ交換の季節だけは大変気が重くなります。それは、

RV車のタイヤは、重たすぎて持てな~い!(byケン・ワタナベ)

という点に尽きます。

自宅(集合住宅)のタイヤ置場では下段なので収納時は何とかなりますが、車両のトランクルームに入れる際は持ち上げるのが非常にしんどく、数時間を経た今も、胸骨のあたりに鈍い痛みがあります。

恐らくあと5年もすれば一人で持ち上げるのは無理なのではと感じていますが、家族の協力は期待できませんので、果たしてどうなることやらです。

先代はミニバン(ステーションワゴン)だったので何とかなっていましたが、RV車のタイヤは、屈強な若者でないと持ち上げるのは無理ではと感じます。

女性や高齢者の方は一体どのようにしてタイヤ交換(店舗持ち込み)をなさっているのでしょうか?

それとも、私一人が貧弱貧弱ゥ~なだけでしょうか?

で、いつもタイヤ交換をお願いしているディーラーさん(車両購入元)に

自宅からお店までタイヤを運搬(往復)するサービス(交換全般に対応できるものを含め)は無いのでしょうか。相応の費用は負担しますよ

と相談したところ、

当店では存在しないし他店などでも聞いたこともない。ただ、営業担当が一部の顧客に泣きつかれ、事実上、無償対応するケースはある

とのことでした。そこで、

そのような仕事は無償で行われるべきではありません。御社自身が運送業務を行うのが難しいのであれば、ヤマトや佐川などと組むことはできませんか。

そして、顧客が運送会社に依頼し特定の日時に搬送して貰い、交換後に返却を受け、顧客は運送費用を含めた全費用を事前又は事後に御社に支払い、御社から運送会社側に運送料の支払をすれば、顧客は自分でタイヤを持ち運ぶ必要がなくなります。

中には、タイヤ交換(運搬)ができないというだけの理由で、RV車を諦めている人もいるかもしれません。

そうした人にとっては、御社がそのサービスを始めれば『さすがメイドインジャパン、凄いぜ○○ダ』と感謝し、RV車の販売促進につながるかもしれません。

顧客はもちろん、全てのディーラー・タイヤ販売会社・運送会社にとってビジネスチャンスになるのではないでしょうか。

と陳情してお店を後にしました。

Webで調べたところ、上記の「タイヤ搬送サービス」を見つけることはできませんでしたが、「タイヤ自体を店舗側で保管するので、持ち込みなどの負担が全く無い」というサービスが存在する(タイヤ館など)ことが分かりました。

そのため、上記のサービスが実現しなければ、そちらにお世話になるのかもしれません。

が、私の場合、曲がりなりにも自宅にタイヤラックが設置されているので保管料を負担してまで預けるニーズが薄く、ディーラーさんとのお付き合いも殊更にやめたいとは思わず、上記のサービスを始めていただけないかと願うばかりです。

或いは、タイヤ交換(保管)のときだけタイヤを軽量化できる方法(空気を抜くとか?)が安全かつ低料金でできれば、それもよいのかもしれません。

昨年末にfacebookでこの投稿をした際は、電動リフト購入やベンリー社への打診などのアイディアをいただきましたが、皆さんのご経験や知恵も拝聴できれば幸いです。