北奥法律事務所

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地域の大物達が去って行く光景と託された課題

半年も前の話ですが、当事務所の最初の顧問先になっていただいた会社さんの経営者の方(以下、Aさん)が亡くなられ、葬儀(お別れ会)に伺いました。

この会社さんは二戸を代表する企業の一つであり、Aさんは私の亡父とも大変親しくさせていただいた関係で、開業祝い?として顧問契約をしていただき、以来、良好なお付き合いをさせていただいています。

Aさんは当事務所の開業時点で経営者としては息子さんに代替わりをされており、仕事上のお付き合いはありませんでしたが、二戸の慣行?として、

お盆に付き合いの深い方々の家々を廻って神棚・仏前にお参りする

というものがあり、以前はAさんも例年、私の実家にいらしていただき、留守番担当の私が亡父や兄に代わりAさんをはじめ実家にお越しいただいた方々にご挨拶していました。

その際に限らず、二戸RCの家族会など子供の頃から何度もお会いした方でもあり、祭壇できちんとお別れの挨拶ができたので、その点は何よりでした。

葬儀自体はトンボ返りで事務所に戻りましたが、折角ということで中学の同級生のご実家だと聞いている堀野の食事処に立ち寄り、引用のとおり、鶏丼を大変美味しくいただいて帰りました。

先般もお盆で帰省しましたが、ウイルス禍に加えて世代交代・慣習変化などの影響が重なり、地域の人々がお盆に親しい家々を廻る(拝みに行く)習慣は、十数年前と比べて大幅に減少しているようです。

それ自体は諸々の理由からやむを得ないのだろうとも思いますが、そうした慣行に支えられていた地域社会の相互扶助の精神(人々のつながり)までも大きく後退しているのではと、残念に感じる面もあります。

私は地域の相互扶助・交流等の再構築が現代社会の大きな課題の一つだと思っており、そのような目的のためWeb等が良好に活用されるべきだと感じています(が、社会内でさほど有意な取組がなさているとは感じていません)。

FBも有意義な投稿を拝見する機会が減り、広告や見ず知らずの外国のミニ動画ばかりが表示され、残念に感じていますが、可能なら、そうした精神を支えるツールとして活かされてくれればと願っています。

恐らく、そうした再構築の努力もAさんや亡父から我々の世代が託されたことの一つだと思って、ささやかながら、こうした投稿を細々と続けている次第です。

 

RC会長幹事会への路線バスの旅と懐かしき未来

所属団体の役職にご縁のない私には珍しく、7月から盛岡北ロータリークラブの幹事を拝命しています。8月末の話で恐縮ですが、先日、盛岡8クラブの会長幹事会(と称するタダ酒の会)があり、私の生活圏から遠く離れた盛岡グランドホテル(以下、GH)にお邪魔してきました。

が、今年は(華やかな生活をされている他の同業の方々と違って)昔の稼ぎで会費を払っている落ちぶれ町弁ですので、タクシーなどという文明の利器にはご縁が無く、愛宕山をビュンビュン上っていく黒塗りの運転手付き高級車などを横目に、遠慮無く市バス+徒歩で往復させていただきました。

ちなみに、落ちぶれていなかったJC現役時代(10年以上前)は、当時GHに無料バスがあったのを知らず、JCの例会等の都度、ウロウロと流しのタクシーを探して何度も中央通を彷徨ってました。あの頃のタクシー代を返してくれ。

お開きの際、タクシー希望を問う設営ご担当の質問に、どこかの社長さんが「俺、バスで帰る」とジョークを仰っていたのですが、さすがに「お仲間ですね。一緒に内丸まで歩きましょう」とは言えませんでした・・・

その日のGHは、私の勘違いでなければ、著名力士さんの祝勝会?があったようで(入場前のお姿をチラ見しました)、そちらは終了後に参加者向けの送迎バスが待機していたので、便乗してこっそり乗り込みたい誘惑に駆られましたが、

「なんだお前、どこのドイツだ」

とお相撲さんを囲む会の方々に言われ、

「すいません。貧乏ロータリアンなので一緒に乗せて下さい」

と哀願したのがバレて会長幹事会に出禁→幹事クビ・・・という光景が目に浮かんできたので、見栄を張って泣く泣く歩いて帰ることにしました。

幸い、完全徒歩帰宅を覚悟していたところ、内丸に到着したところで、ちょうど信号待ちしていたバスに乗り込めましたが。

ともあれ、某大事件の起案締切がフニャコ氏状態でしたので、いつかは余計なことを考えずお酒を楽しめる身分になりたいと願いつつ、さっさと風呂に入って事務所に戻った次第です(着いた途端にスイッチが切れたかは覚えていませんが・・)。

酒の勢いで戯言ばかり書きましたが、設営いただいた盛岡南RCの皆様、ありがとうございました。

***

以上の内容をFBでコメントしたところ、著名実業家でありながら、敢えてバス利用を実践されている某社長さんより暖かいコメントを頂戴しました。

恥ずかしながら当方は車社会ズブズブの身で、盛岡で市バスのお世話になったのは本当に久方ぶりなのですが、若い頃に戻ったような感じもして刺激になりました。

思った以上に快適に利用できたので、これを機に交通利用について考え直してみたいと思います。

次いで、某事件で大変お世話になった先生から「お電話いただければ、送迎しますよ」などと妖しい?コメントもいただきましたが、その先生の運転だと、女の子が溢れるお店に到着して尻の毛まで抜かれる展開を想像せざるを得ませんでしたので、謹んで遠慮させていただきました(笑?)。

 

岩手弁護士会・会員名簿のビックリ情報とデタラメ翻訳の世界

良い子のみんなのお待ちかね、本日の岩手弁護士会びっくり情報だよ~

本日たまたま会員名簿を閲覧しようと弁護士会サイトを検索したところ、なぜか「中国語(繁体字)のページを翻訳しますか?」と表示されました。

ターゲット言語が日本語と表示されており、日本語を日本語にでも翻訳するのかと思って?何も考えずに翻訳ボタンを押したところ・・

当事務所が「北オーストリア法律事務所 内 浩峰 義和」と表示されてました!

その上の東海林先生の事務所メンバーも、大変なことになってるし・・

これらはまだマシな方で、登録順ナンバー2の大重鎮・安達孝一先生は、

「チャブ法 安田 浩一」

チャブ法って何だよ・・あんまりだ・・

その他、当事者が見たら吹き出しそうなメチャクチャ表記が多数出てきて、大笑いまくりで老化克服にもバッチリという感じです。

左脇の自治体名の表示も「北リスティング市」など味わい深いものだらけです。

というわけで、ぜひ、皆さんも岩手弁護士会名簿にGO!

ともあれ、幾つかの写真を載せておきますので、ご参考まで。

なお、本日は弁護士会の相談担当日であり、事務局には報告済みです。

あと、翻訳しますかボタンを無視すれば通常どおり閲覧できますので、念のため。

以上、岩手弁護士会非公認組織・地下広報部からのお知らせでした。

追記。「ターゲット言語を日本語」というのは、よくよく考えると、文字のうち中国語(繁体字)にあたると判断したものを勝手にソレの日本語にあたる言葉に置き換える、という意味なのでしょうね・・ともあれ、昔の海外旅行あるあるの「メチャクチャ日本語案内文」の世界を堪能できました。

    

 R05.10.20 追記

発見時、まさかヒマな中国人ハッカーの攻撃か?と勘違い?したこともあり、念のため、昨日中に弁護士会事務局にお伝えしたところ、先ほど、「業者に連絡して速やかに改善させる」とのご連絡をいただきました。

反面、後になって、既にご存知で密かに楽しんでいた(ので、小保内、余計なことしやがってと怒っている)先生も多数おられるのではと怖くなり、お詫びを兼ねて?また、未見の方々は、今のうちにご覧の上、日頃のストレスを解消していただきたく、先ほど弁護士会MLでもお知らせしました。

サイト修正後(閲覧不能後)に本投稿に気づいて「ああ、見たかった・・」という方は、当職ブログ記事でご満足いただければと思いますが、せっかくなので盛岡と一関(いちかん市)ほか、現時点で翻訳表示されたものだけPDF保存しており(花北は事務所PCでは何度押しても表示されませんでした)、欲しい方はご遠慮なくどうぞ。

岩手がっかりツーリズム宣言とビッグマウス名所たちの活かし方

東北を代表する大河・北上川。

岩手県北に端を発し、盛岡を経て岩手県南の主要都市を全て貫き宮城県石巻にて太平洋に注ぐこの川は、かつては奥州水運の大動脈であると共に、幾度も巨大な水害をもたらしてきた、慈母でもあり厳父でもある、この地の象徴の一つと呼ぶに相応しい存在です。

その源流と聞けば、深山幽谷の果てに辿り着く神々しい光景が待っているのではという思いを掻き立てる人もいるかもしれません。

が。

北上川源流と称される、この「弓弭の泉」は、国道4号線からチョロッと入ってすぐ、あまり手の行き届いてない小さなお堂の敷地内の鬱蒼とした森の中にあり、これが源流だと言われても、「ハァ?」という感覚しか起きません。

というわけで、認定します!

ここは、岩手がっかり名所・堂々たる第一位である、と。

いや、泉自体には、罪はないと思うんですよ。源氏云々の由緒や価値も否定したいわけじゃありません。

でも、ここを北上川源流(源泉)だなんて言わなくてもいいじゃないですか。

源流って言ったら、黒部川源頭部のように、大山脈の森林限界の先のような光景をイメージするのが当然じゃないかと思うんですよ。

まして、巨大ブランド・北上川の源流ですよ。

それが、国道4号線のすぐそば、小集落や農地から入ってすぐのところなんて、そんなのアリか・・

この「名称と実際のギャップの激しさ」こそが、がっかり名所たる所以に他なりません。

というわけで岩手がっかり名所ランキングも選定すべく、皆さんからの推薦募集中。

暫定案ですが、ダム建設等により全く見ることができなくなった「イギリス海岸」が第2位、沿岸からも1箇所ということで、景観自体は全然がっかりではないものの、名称のビックマウスぶりから「八戸穴」が第3位の候補になるかもしれません?

その上で、提唱しようじゃありませんか。

今流行りの何とかツーリズムに対抗し、敢えて、がっかり名所群を巡って、あるべき振興策を語り合う「がっかりツーリズム」を。

或いは、今は亡き「タモリ倶楽部」に企画書を出せば、全国のがっかり名所を面白おかしく紹介してくれ、日本がっかりツーリズム学会もできあがったのかもしれません。

ちなみに、その前日には、新・日本三大がっかり名所に選ばれるべき、自称・聖人の墓に行ってきました。

その件については、また後ほど。

(追伸)

弓弭の泉は御堂観音の敷地内にありますが、山門など観音堂の施設自体は、がっかり名所ではなく十分に見応えのあるものだと思います。

山門の直下にある親水公園も、見たことのなさそうなヤンマ類が飛び交い、癒やされる場所です。ただ、「川の駅」なる名称(と閑散とした光景の乖離)のがっかり感は否めず、いっそヤンマの駅と改名した方がよいかもしれません。

 

記憶の中の迷ヶ平を探して

先日、岩手から遠く離れたツーリングの聖地・迷ヶ平を訪ねました。
そんな場所は知らない、というバイカーの人は、キリストの呪いでも喰らって出直してきて下さい。

私は、たぶん4歳か5歳くらいの夏の日、この地を訪れたことがあります。
その日は何かのイベントがあったようで、沢山の人で賑わっていました。

私が覚えているのは、晴れやかな高原の眩しい木漏れ日と清々しさ。
そして、大量のカブトとクワガタが籠か何かに入れられてウジャウジャしていた光景だけです。

たぶん、子供向けに売っていたのかもしれませんが、それ以上のことは思い出せません。

以来、迷ヶ平に来ればきっとカブトとクワガタのウジャウジャに逢えるはずとの妄念に取り憑かれて幾年月。
いま、私の目の前に広がる夕方の光景は、まるで夢から覚めた後のよう。

しかし。いるじゃありませんか。
きっと、あの頃から、ここにいたんじゃないかとしか思えない、おばちゃんが。

本日最後の串餅1個。おでん1個。
そして、ニンニク味噌1個。

でも、聞けませんでした。
昔、ここに、カブトとクワガタがウジャウジャいましたよね?と。

それは記憶なのか白昼夢なのか、或いは、私ではない誰かの物語なのか。

分からないまま終わらせてもよいのだと、数十年も経たこの地に来て、私もようやく受け入れることができたのかもしれません。

この地を初めて訪れた同行者は、自分はかつてここに来たことがあるはずだ、と何度も述べていました。
それもまた、白昼夢なのか、自分ではない誰かの記憶なのか。

皆さんも、来てみませんか?迷ヶ平。
あなたの記憶の中の何かを探して。

(追伸)

ここは南十和田湖とでもいうべきエリアですが、誰でも知ってる奥入瀬渓流などと異なる観光客が誰も来ない方角であり、手垢のついた観光地だけでないディープな旅をしたい人には、良い場所なのかもしれません。

可能なら、十和田湖高原などと銘打って、新たな観光地開発ができても良いのではと思ったりもしますが。

現状では少額しか認容されない長期困難訴訟(セクハラその他)に関する抜本的改善策(弁護士費用保険、短期審判+費用負担命令など)について

プロスポーツ選手(ガールズ競輪)の養成指導者がセクハラ行為をしたとの理由で提訴された訴訟で、450万円の請求に対し、指導者による一定のモラハラ行為が認定され賠償が命じられたものの、認容額が11万円であったとの報道を拝見しました(無料公開された限度でのみ)。

記事の事案そのもの(認容額や認定事実の当否)については具体的なことを何も存じませんので意見を述べる考えはありません。

が、事案から離れた一般論として述べると、11万円の認容額のために膨大な苦労と精神的負担を余儀なくされる訴訟を起こしたいと思う人はいませんし、弁護士も通常は受任できません。

この事件の審理状況などは存じませんが、熾烈な主張立証の応酬と複数の尋問を含むフルコース訴訟なら、弁護士費用保険(日弁連LAC)のタイムチャージ換算で50万円でも大赤字、100万円でトントンになるかどうかというレベルだと思います(当事務所の経費換算では)。

そして、裁判所が現在決めているこの認容額。これらの事情は、この種の相談を受ける都度、すべて私が相談者に説明している事柄であり、そのせいか、私はこの種の相談は時折受けているものの、訴訟を受任したことは一度もありません。

この訴訟の原告代理人がどれだけの費用をいただいているかは存じませんが、ご本人等が富裕層で認容額に関係なくタイムチャージどおり支払ってくれるなどという有り難いお話でなければ、恐らく(私も法テラス系など少なからぬ事件で経験しているように)限られた費用で大赤字に耐えて尽力されたものと思われます(事務所経費の負担があまりない低コスト弁護士さんもいますので、一概に言えないことですが)。

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もちろん、コミュニケーションのトラブルは、往々にして「どっちもどっち(お互いさま)」の要素が絡んでいることが珍しくなく、認容額が少額となっているのも、裁判所がそうした認識に立っていることの表れで、そのこと自体は多少やむを得ない面があると思います。

ただ、「自分は強い辱めを受けた、このままでは終われない、相手に一矢報いたい」という気持ちを抱えて生きることを余儀なくされた人達にとっては、こうした形で「今の社会では諦めるしかないんですよ」と扱われてしまうと、社会に希望を失い、やがて様々な形で社会に復讐することもあるのかもしれません。

そうしたリスクを抱えて人々の不満を抑圧する現在の社会を続けるか、敢えて不満と向き合い決着の場を支援する社会に切り替えるか、我々の選択が求められていると言えます。

結論として、軽微又は本人の非が大きい無理筋事案はさておき、現在の社会通念に照らして看過すべきでない、法廷に持ち込むべき価値のある事案については、弁護士費用保険などを強化して、本人の負担を大幅に軽減する形で真っ当な価格で弁護士に依頼できる仕組みを作るべきだと思います。

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例えば、モラハラ問題に限らず、解雇などを含む業務上のトラブルに関する紛争を対象とする弁護士費用保険を作り、保険料は所得に応じて年間数百円+α程度を源泉徴収しつつ、企業や自治体などが補助を出したり特約で保険料を上乗せすれば、タイムチャージの限度額を超えた対応も得られる(自己負担がなくて済む)、といった制度があれば、依頼する弁護士の費用負担は劇的に解消されるでしょう。

被保険者を同居家族とすれば、学校でのトラブルなども対象にできるかもしれませんし、自治体の援助内容次第で、住民獲得競争などにも影響するのかもしれません。

ただ、モラハラ申告などは交通事故と比べて無理筋相談が頻発せざるを得ないので、保険適用の可否を判断する事前審査が必要であり、その点も含めて保険会社や弁護士業界との協議が必要になると思います。現実には、事前審査で却下される例が多数生じるでしょうから、そこが事実上の第1審になるのかもしれませんが。

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また、弁護士費用以前の問題として、「もともと少額しか認容されない訴訟に膨大な手間や高額な経費が必要となること自体が間違っている=早期・簡易の紛争解決を可能とする仕組みを整備すべきでは、という点があります。

この点は、冒頭で述べた「フルコース訴訟」という展開になる前に、例えば、現在の労働審判のように、早ければ第1回又は第2回期日で裁判官が暫定的な心証を示して和解勧告し、なるべくその内容で和解を成立させる(尋問用陳述書や尋問など膨大な作業を当事者に強いるのを避ける)ことができれば、日弁連LACの基準(タイムチャージ30時間)の範囲内で大半の訴訟を決着できるはずです。

あくまで和解勧告ですので、形式的には双方に拒否権を与えますが、裁判所は拒否した当事者に対し、その後の判決等までの審理のために拒否された側が要した弁護士費用の実額(タイムチャージ制を前提とすれば、膨大な額になります)の全部又は大半を負担させる制度を作れば、事実上、勧告拒否に対する極めて強力な抑止力になり、大半の事件が和解勧告で終了することになります。

この種の訴訟は、被害者(請求)側だけでなく加害者(被請求)側も相応の事情があれば(不当・過大請求とか過失と評価できるなど)、弁護士費用保険が利用できるようにすべきだと思いますが、双方とも現行LACの30時間制で運用すべきで、かつ、勧告を拒否した場合は原則として以後の保険利用を不可とすれば、加害者(被請求)側の不当拒否への抑止だけでなく、被害者(請求)側の過大請求への抑止力としても十分に機能するはずです。

もちろん、相手方(敗訴者)負担に慎重な対応をとるべき事案もあるかとは思いますが、大半の事案では適切な運用が図られ、少額事件で膨大な時間と労力を当事者が強いられる(受任弁護士も大赤字を余儀なくされる)ことが大幅に減ると思われます。

その上で、裁判所や行政などが認定基準や慰謝料その他のガイドラインなどを作成・公表すれば、現在の小規模交通事故の大半のように、短期・簡明な解決が大きく促進されると思います。

十数年前、弁護士費用の敗訴者負担制度に関する議論が盛り上がった際には、環境系訴訟など「大企業相手に困難な訴訟に挑む、勝てないが社会的に意義のある訴訟」に従事する方々の猛烈な反対で頓挫したと認識しています。

が、そのような特殊事案には適用しないとの前提で「普通の少額事案を早期・簡明に終わらせるため(勧告拒否へのペナルティ=受諾のインセンティブ)としての「勧告拒否者の弁護士費用負担制度」を考えて良いのではと思っています。

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なお、「そもそも11万円では被害者が報われない」との点については、日本の裁判所が言葉の暴力への対処に冷淡な態度を続けてきたことが根底にあり、非常に根深く難しい問題です。

何より、裁判官は物理的暴力はしませんが(だからこそ、物理的暴力=事故のケガ等には高い慰謝料を命じる)、真綿でジワジワと首を締めるような言葉の暴力は大好きですので(弁護士や検察官も)、言葉の暴力にカネを払えというのは裁判官(法律家)の自己否定につながりかねず、容易に解決できることではありません。

(皆、膨大な勉強を続けて激しい知的対決を要する高ストレスの厳しい世界で生きている方々ですので、知的怠惰を感じた相手に厳しい態度を示すのは職業病としてやむを得ない面はあります。法律家に限らず医師など高学歴系職業に共通の性癖でしょうが)

結局のところ、人間の尊厳とは何か、総論と各論の議論をそれぞれ深めた上で、最終的には法律や各種GLなどで慰謝料増額要素の基準を明確化して裁判所に働きかけていくほかないのかもしれませんし、それは政治=国民に求められる役割だとも言うべきでしょう。

本当は、弁政連岩手支部などでも、地元の県議さんや市議さん達などと、こうした議論(ひいては議会決議などに繋げる)ができればよいのですが、万年窓際会員の身には、雑談や宴会の段取りばかりの光景を黙って拝聴する程度のことしかできず、非力さを嘆くばかりです。

・・・あっ、これも「言葉の暴力」ですかね・・かくて人類は不毛なりき。

 

信用生協相談と北上とのご縁の今昔

先日、信用生協(岩手弁護士会消費者委員会と協力関係にある岩手独自の特殊な金融機関)の相談事業の担当者として、北上駅前に行きました。

この相談会は、電車賃+α程度の日当が支給されるだけですので、新幹線で来ると実費だけで赤字になりますが、債務整理案件の相談を受けて受任することが多いと言われており、それ=受任報酬で「モト」をとってね(モトがとれるから担当してね)と内々では言われています。

私の場合、かつての弁護士過疎+債務整理特需の時代の後遺症?で、一人で稼がなければならない事務所の経費が若い同業の皆さんよりもかなり高額となっており(盛岡も、今や私のようなボチ弁は少数で、経費を分担する複数事務所が多い)、事務所の存続のためにも、こうした機会に少しでも債務整理事案の受任ができれば今月もどうにか事務所が存続できる・・との思いで、恥ずかしながら参加させていただいています。

が。

今回、北上地区を担当する弁護士は2名で、配点表を拝見したところ、債務整理系の相談は隣のブースで相談を受ける某先生に集中的に配点され、私の担当案件は、家族が残念サイトに手を出したとか、相続放棄したいとか、○○書にハンコ押しちゃったのよとか、相談のみで終了する(せざるを得ない)案件ばかり・・・

さすがに意図的というわけではない(偶然そうなった)のでしょうが、弁護士会の消費者委員会でも、ほぼ幽霊部員と化しているので、そうした人間には「日頃の行いが」の見えざる力が働いてしまうのでしょうね・・・

(と思っていたら、最後、早く終わった方に配点すると言われた1件だけ無事に受任見込みとなりましたが)

幸い、お昼は弁当を出していただき、実費ベースでもモトをとることができました。

が、数年ぶりの参加ということもあり、弁当を頂戴できるのを当日まで失念しており、昨日は北上のラーメン店情報を検索し、駅のすぐ北にあるオサレラーメン店の食べログ情報を眺めて脳内唾液を流しまくっていたのです。

というわけで、弁当をいただいた後、散歩がてらお店の目の前まで赴き、いつの日か必ず来るぞと脳内ヨダレ由来の涙を休憩時間が終わるまで落としはべりぬでした。

北上には、当番などで出動していた昔々と異なり、今はあまり行ける機会がないのですが、数年前に悪を打ち砕いたとしか言いようがないほど完勝させていただいた大事件があったほか、現在も電話やメール相談などで顧問料のモトをとっていただいている顧問先が複数あり、もっとご縁ができればと思っています。

ただ、いつ来ても、活気のある四号線エリアなどに比べて、駅西の寂れ具合はどうにかならないか、脱クルマ社会等のためにも?ぜひ、駅前の活性化やオサレ再開発に着手いただければと願っています。

あと、行きの新幹線は全席指定で立席ボタンもなく3360円も取られたのに対し、帰りの新幹線は自由席で1740円で済みました。この落差、何とかしてよJR。

 

岩手県知事選を巡る「ドカ貧リスクを避けるジリ貧県政か、リスク覚悟でジリ貧脱却に挑む県政か」の選択と県民の覚悟

現在、岩手県庁を被告とする大事件の起案の真っ最中で、県某局の悪口なら仕事で山ほど書きましたが、これまで先日の市長選のような投稿をする余裕がありませんでした。

岩手の小沢氏勢力vs自民党の最終・頂上決戦であるにもかかわらず、つまらない選挙だとも囁かれる今回の知事選等ですが、ようやく時間が出来たので、無党派層の投票意欲を多少は駆り立てたいとの観点から少しだけ書きます。

県庁相手に訴訟している身で言うのもなんですが、市長選同様、どちらにも肩入れしない立場のつもりで書いています。

今回の投稿の趣旨は、今回の知事選を巡る「岩手の矛盾と風土」を説明した上で、この選挙は、

「みんな貧しく、それでいい(やむを得ない)岩手」か、「それじゃマズいから、ドカ貧リスクを取ってでもジリ貧から抜けだそうと足掻く岩手」か

の選択ではないか、というものです。以下、詳細です。

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つい先日、岩手県の最低賃金が全国最低に落ちたとの報道がありました。私の実感でも、今の岩手は、震災前に比べても、どんどん貧しくなっているように感じます。

そうであれば、知事の責任を問う声、或いは不満のはけ口として知事の悪口を言う声が、県民なかんずく低所得者層(最低賃金に近い収入しか得られていない人々)から沸き上がって良いはずです。

しかし、そのような階層から知事の悪口、対抗馬擁立などの声は、ほとんど聞こえてきません。

昔から低所得者層の人々は共産党など左派色の強い政党を支持するものだと言われていますし、現に、共産党系の労働組合(いわて労連)は、先日、最低賃金の答申に異議申立をしています。

が、彼らは達増知事批判をするどころか、今は共産党も達増知事の支持勢力の一つだと言われており、十数年来の小沢氏の左傾化に伴い、岩手の左派系の方々は、ほぼ達増知事支持で固まっている(離反していない)と言われています。

他方、最低賃金であれ、その根底にある岩手の貧しさであれ、その点=達増知事や現県政を厳しく批判するのは自民党系の方々が中心ですが、自民系の支援者には、低賃金に助けられているはず?の小規模企業経営者も珍しくありません。

露骨に言えば、岩手でも相応に裕福な(カネにあまり困っていない)暮らしをされている方がおり、そうした方は自民党の支持者が多いことは、誰しも(FBでチラ見できる人も、そうでない人も)知っていることだと思います。

要するに「低賃金で困っているはずの人々が、長きに亘る県政運営の責任者である達増知事を支持し、低賃金で助けられている(ように見える)人々の方が、達増知事を引きずり下ろそうとしている」

という矛盾した光景が、そこには見て取れます。

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どうして、このような事態が生じているのか。

震災以来、県政が直面する課題を粛々とこなしているが、知事個人のカラー(何をしたいか)が見えてこないとも言われる達増県政ですが、少なくとも1度、政策選択として他県との好対照をなしたことがあります。

震災で大打撃を受けた水産業界を復興させるにあたり、宮城県は村井知事の方針のもと、水産業界への企業参入を推し進めたのに対し、岩手では「なりわいの復興」の掛け声のもと、震災前と同じく零細・小規模な個人水産業者の生計を守ることを重視した政策をとったと言われています。

これは、もともと宮城は企業参入の素地があったのに対し、岩手は零細従事者が圧倒的だったから(基盤が違う)と言われたりしましたが、企業=ヨソ者は入れない、昔からのやり方は変えたくないのが岩手の風土で、達増知事はそれを保護した(変えようと挑戦しなかった)面もあるように見えます。

その達増知事の選択に、報道(日報記事など)を見る限り怨嗟や批判の声はほとんど聞こえてこないように思われますし、その選択を通じて「なりわいが守られた=ヨソ者が入ったりして面倒な思いをしなくて済んだ」と感じた沿岸の小規模水産業者の多くが、達増知事を支持しているのだと思います。

他方、これと異なる選択をした宮城は、(当時多少は報道されたように)従前からの小規模事業者と新規参入した企業との対立・軋轢・優勝劣敗が生じ、中には競争に負けて退場し又は従業員化せざるを得なかった人、或いは参入に失敗し撤退・倒産等した企業も生じたでしょうが、競争を勝ち抜き巨大市場に打って出て富を得た人や企業もあったのではと推察されます。

震災から10年以上を経て宮城と岩手のどちらの水産業がより経済的成果を挙げているのか、少し調べただけではよく分かりませんが、宮城の「水産業復興特区」をWeb検索すると、左派系の批判的投稿が散見される一方、結果を総括した第三者的な記事が見つけられなかったので、今も模索中の状態なのかもしれません。

**

ともあれ、村井知事が軋轢覚悟で従来の方法を変える挑戦をしたのに対し達増知事はそのような選択はせず、また、この十数年間の達増県政を見ても、そうした「分断や紛糾を生じさせる県政の挑戦」の光景を見た記憶がありません。

そうした意味で、達増県政は

昔からのやり方を変えたくない。ヨソ者に掻き回され変わらざるを得なくなるなんて真っ平御免だ。それで、結果的に貧しい状態のままでも、それは仕方ない。だって昔から皆が貧しさに耐えてきた岩手なのだから

という岩手の田舎的?な文化に、良く言えば寄り添い、悪く言えば迎合するものだ(その文化を変えずに済む前提で、県民生活向上のための様々な努力をなさってきた知事だ)と言うことができそうに思います。

言い換えれば、「ドカ貧リスクからジリ貧を守っている(ように見える)」ことが、低賃金にあえぐ労働者が達増県政を支持し続ける理由なのでしょう。

だって、誰かに何かを根こそぎ奪われるドカ貧リスクに遭いたくない人にとって、ジリ貧の方が「まだマシ」ですから。

たった今、達増知事のサイトを拝見しましたが、やはりというか、各種政策分野への取組は詳細に述べられているものの、よく見ると、そうした内部の軋轢・対立を生みかねないリスクある挑戦(言い換えれば、県内の誰かが、俺の権益を奪うのか・俺の暮らしを脅かすのかと叫び出すような政策構想)は掲げられていません。

それは、平穏な暮らしを守りたい人には望ましいものなのでしょうが、退屈だとかチャンスがないと感じる人、チャレンジしたい人、能力のある人、稼げる人は出ていき、帰ってくる人は少ないとの結果になりやすいのかもしれません。

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こうした「挑戦しない・リスクを取らない県政」は、達増知事の人生の投影のようにも見えないこともありません。

増田知事の引退(再出馬断念)に伴い、達増議員が知事選出馬を表明した際、現在の鈴木財務相は、達増議員を「最強候補」と評しましたが、議員時代を含めて非常に選挙に強く、選挙に絶対負けない人=勝ち戦しかしない強運の持ち主、というイメージが強くあります。

また、議員であれ知事であれ、政治家としての達増知事は、口では安倍首相や自民党などの悪口や小沢氏勢力の追従発言を繰り返す一方、自身の身を危うくするリスクを伴う政治的行動をしているのを見たことがありません。

この点は、リスクある選択を繰り返し、時に大成功(二度の政権奪取など)しつつも程なく自壊させてしまう小沢氏とは全く逆だと言えます(小沢氏のような生き方ができる人の方が遙かに珍しいというべきでしょうが・・)。

私は、JC在籍時代に達増知事が知事選に初出馬した際の公開討論会を目の前で見ており、「知事は二期しかやりません!退職金はいりません!」と強く仰っていたのを拝見したので、「他に候補を擁立できなかったので小沢氏勢力を知事に据えるため仕方なく知事選に出たけれど、本音はきっと国政に戻りたいんだろうなぁ」と感じていました。

或いは、民主党政権が崩壊せず続いていれば、公約どおりすぐに知事を辞めて議員に戻り外務大臣などに就任したのかもしれませんが、小沢氏の凋落後は、知事の立場で小沢氏勢力を援護するような政治行動をしているのも特に見たこともなく(当初は悪目立ちも若干ありましたが)、華やかな話題を振りまき続けた増田知事と比べれば、良くも悪くも(つまらない発言報道以外は)目立つ行動のない知事として君臨し続けたように思います。

具体的なことを存じているわけではありませんが、恐らく、達増知事は自民など敵対勢力の利権基盤などに「手を突っ込み奪おうとする」ことも、していないのではないでしょうか。

全国の大物知事が官製談合などで次々に逮捕された20年ほど前と異なり、そのような元締め行為を知事が行うこと自体が難しくなっているのでしょうが、賢明な達増知事は、そのような危険なことをせずとも知事選には勝てると判断し、敵対勢力が憎しみのあまり血眼になって対立候補を擁立する事態が生じない状況を作ってきたと言えそうに思います。

だからこそ、達増知事の誕生以来、自民(自公)勢力は死に物狂いで勝てる候補を擁立することもなく、消化試合のように、勝ち目のない若い県議さんの使い捨て、或いは卒業式(記念受験)にしか見えないセレモニーばかり繰り返してきたのでしょう。

なにせ、負けても、さほど失うものがないのですから(候補者ご本人のことは存じませんが・・)。

かくして、つまらない選挙、あまり変わりばえのない岩手、競争に晒される他県と異なる、割と平和な暮らし(がんばらない岩手?)が続く一方で、その代償にジリ貧もまた続いてきた(でも、それでいいじゃない)・・というのが、岩手の長きに亘る選択だったのかもしれません。

そこには、縄文や蝦夷の時代から連綿と続く岩手の風土(或いは、これ以上ヨソ者に傷つけられたり、奪われたくないとの被害者意識?)が見え隠れしないこともありません。

**

ところで、達増知事のことばかり書いていますが、私は達増知事も千葉県議も面識がなくチラ見程度の関わりしかなく(増田知事には修習生時代を含めてなぜか3回もご挨拶しており、結構ファンでしたが)、千葉県議が県議としてどのような活動をされていたかも全く存じません。

内舘新盛岡市長のように、何が何でも首長になりたくて一部の「身内」に嫌われてでも死に物狂いで努力してきた、といった物語性があるのかも存じません。

ですので、千葉県議のことは何も書けないのですが(否定も肯定もなく、単純に存じない方ということに尽きます)、これまで述べてきた達増知事のカラーや県政を巡る対立軸からすれば、自民系の候補者である以上、

平穏なジリ貧を続けるのではなく、多少の軋轢やドカ貧リスクを負ってでも、まずは、これまで(達増県政)と違うことをやってみよう

という面があることは確かなのだろうと思います。

少なくとも、千葉県議が公約として強調する「県民所得を本気で上げたい」のなら、既述の文脈のとおり、外資導入(ヨソ者参入)であれ、他の方法であれ、競争原理の強化(による底上げ)が不可欠ですが、そこには競争を嫌がる既存の方々の不満や軋轢との対決が不可避です。

それに耐えうる(対処できる)だけの力が千葉県議にあるのか私には分かりませんし、これまで出馬した自民系の県議さん達が負け続けた(自公系の基礎票である25%前後の得票しか得られなかった)のも、その方々がそうした過酷な道に耐えて県民を導けるだけの政治家としての力が十分ではない(無理しないなら達増知事で十分だ)、と無党派層などに評価された結果ではないかと思わないでもありません。

といっても、それは候補者個人を悪者にすべきことではありません。

自民系候補を支持している、ご自身の努力などを通じて相応に豊かな暮らしを得てきた方々が、努力や挑戦などを通じ、今の暮らしを変えていくことの意義や価値を他の県民に伝える努力を怠ってきた結果ではないか?というのが、一つの答えなのだろうと思っています。

言い換えれば、「こうすれば、ドカ貧リスクを避けて、ジリ貧から抜け出せるよ、だから、まずは努力し挑戦してみよう」と伝え、率先して実践する人が岩手にもっと増えることがあれば、県政はやがて変わっていくのでしょう。

もちろん、自民系の方々(政治家、支援者)にも、今の自身の豊かな暮らしに満足しそれを維持できれば十分だと感じている方も多いのでしょうが、そうであれば、結局のところ、そうした恩恵にあずかれない人々の

ドカ貧リスクは嫌だから、ジリ貧続きでも仕方がない。だって、元々の生活を続けられるのだから。たぶん。

という気持ち(それを基盤とする達増県政的なるもの)は覆されることなく、今後も「どこか残念な岩手」は延々と続いていくのでしょう。

そこに何が取り残され、誰が失望するか、そしていずれの路線を選択するか、すべては県民一人一人が決めることですが。

**

最後に、県議選のことについて何も触れていませんので、一言だけ書きます。

といっても、個別の候補者のことについて書きたいわけではありません(某訴訟の関係で、あれこれ言いたい現職の方が1人だけ盛岡以外の某選挙区におられますが、自粛します)。

下記の引用投稿のとおり、私はJCに在籍していた約15年前、県知事マニフェスト検証大会の運営に3回ほど関与し、県民向けアンケートの作成と分析などを担当しました。
岩手県知事マニフェスト検証大会のレクイエム | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

が、こうした流行りものはサクッと廃れ、今や県政の検証などというのは新聞等で少しばかり取り上げられる程度ではないかと思います。

本来は、それを行うべき立場にあるのが県議会なのではないでしょうか?

知事与党(立憲系)なら礼賛検証、野党(自民系)なら批判検証になるのでしょうが、それぞれの会派が専門家や県民有志に呼びかけ、メディアなども巻き込んで県政の様々な論点や意見を県民が共有できる場を作る、そうした努力が県議さんには求められるのではないかと思いますが、残念ながら、そのような話は聞いたことがありません。

皆さんには、投票日だけの主権者ではなく、選挙結果が定まった後も、代表者に様々な形で働きかける県民であって欲しいと思いますし、この投稿もその一助になれば大変幸いです。

それが、日本国憲法92条に定める「地方自治の本旨」なのですから。

少しだけのつもりで毎度の大長文になりましたが、ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

 

盛岡市長選の勝敗を決した分岐点と、夢が叶えられていく光景の役割

前回も投稿した盛岡市長選は、3度目の挑戦となった内舘茂氏が谷藤市長を破って悲願の初当選を果たしましたが、今回の件は、ウイルス禍の最中に内舘さんが大通の居酒屋救済の弁当祭りを企画し盛り上がったことが節目になったと思っています。

当時、谷藤市長が住民や地元企業などのため何か特別な尽力をしているという報道等はなされておらず、盛岡市は全国でもワクチン接種が非常に遅れているとのニュースと相俟って、

住民等が困っているときに、助けようと汗をかいているのはどちらなのか

という点で明暗が分かれたことが、勝敗を分けた最大の要因ではというのが、さしあたっての感想です。

少なくとも、あの光景がなければ、この結果は絶対になかったと思います。

ただ、それだけで勝敗が決まるとは私も思ってはおらず、むしろ、最近はあまり市長選が盛り上がっていない(住民の関心が高くない)ように感じたので(事実、投票率は低かった)、多数の市議さんや伝統勢力の支持を擁する谷藤市長が優位なのではとの印象もあり、私自身は最後まで結果が予測できず、大きな票差が付いたことにも驚かされました。

1年ほど前、若い世代の同業者の方から

「内舘さんは(かつて市長選に何度も立候補して落選を繰り返し、得票率等から泡沫候補扱いとなっていた)Aさんのようなものでしょ」

と言われたことがあり、その認識は絶対に間違いだ、次はいい勝負になると思う、と少し気色ばんで反論したことがありました。

彼は谷藤市長の支持者だったのかもしれませんが、改めて、弁護士には選挙のことは分からないものだと痛感しました。

市議選も、当然に当選されると思っていた方(色々考えた末、結論として、私はその方に投票しています)が当選できなかったこともあり、選挙とは、実に恐ろしいものだと改めて思いました。

私は祖父が岩手県議を1期つとめたものの、2期目で落選し、関係者の落武者狩りと実家存続の危機がオマケで付いてきたので、「政治に関わるな」が亡父の家訓ですが、反面、少し離れた距離から政治に関わる方々を拝見等するのが好きで、政治学を勉強したくて政治学科に進み、才能さえあれば、大学の政治学の先生になりたかったという気持ちも少しだけありました。

谷藤陣営の支援者の方々の中にも、この方が出ていれば内舘市長は誕生できなかったのでは?と感じている方もおり、次回の選挙がどうなるのか分かりませんが、まずは、今回、内舘さんが行動で示されたように、現に困っている住民や地元企業などを支援するような地道な活動とPRにつとめていただければと思います。

ともあれ、県政最大の大物である谷藤市長と闘い続け艱難辛苦の末に当選された内舘新市長の偉業は、多くの市民・県民にとって、

「自分も(各自の夢について)やればできるかも」

という形で非常に分かりやすい希望を示したことは間違いありませんし、それは政治に携わるリーダーに最も求められていることの一つである(とりわけ、現在の日本社会では)ことは議論の余地がないと思います。

恥ずかしながら、18年前のJCご卒業時には

内舘さんは、将来、市長選に出たいのだろうと思うけど、かなり難しいのでは?

と感じていた「その他大勢」のJC関係者の1人として、不明を恥じ、内舘さんに心より祝意を申し上げ、新市政へのご尽力をお願いすると共に、当落に関係なく、恐ろしい世界に身を投じて民主政治を支えておられる全ての方に、改めて敬意と感謝を示したいと思います。

 

どっちつかずの私達は、明日の盛岡市長に何を求めて誰を選ぶか~無党派層のための羅針盤を目指して~

日曜に実施される盛岡市長選ですが、金曜の岩手日報に、谷藤・内舘両陣営とも支持が拮抗しており(日報の表現は「競っている」)で、有権者の4割が態度未定との記事が出ていました。

盛岡タイムズのWeb記事も概ね同旨と思われ、他の情報筋からの実感としても、かなりギリギリの?相当な激戦ではと思われます。

日報調査では、50代は内舘氏・20~30代は谷藤氏が優勢と述べられていました。

若い世代が現職優勢というのは、安倍首相と同じ現象(幼少時から在任していたので、見知らぬ新人より親近感を持つ)ではと感じましたが、ともあれ、記事からは40代の無党派層(私も?)の動向で決着すると言わんばかりですので、なおのこと一票の重みを感じて投票に行きたいと思います。

私自身は下記のとおり各陣営のご本人又は有力支援者の方と面識はあるものの、それ以上の関わりを持っていない完全無党派層(蚊帳の外とも言いますが)であり、そのような意味で「投票直前まで悩みたい人」の一人です。

というわけで、今回は、事実上の決定権を持つ無党派層の参考になるよう(投票率が少しでも上がるよう)、この件について少し書くこととします。

どちらかの応援演説の類ではなく、無党派=どっちつかず(どっちもつけず)の立場から、無党派層のための参考になればという形で書きます。

以下、候補者お二人を「谷藤市長」「内舘さん」と書きますが、現職には肩書を付して記載したいのと、内舘さんはJC在籍中にお世話になり面識があることが理由であり、それ以上の他意はありません。

***

前置きとして、敢えて私自身と候補のお二人との接点(の有無)を書きます。

内舘さんは、私が盛岡JCに入会した平成17年に卒業された方(当時の肩書は、元理事長を指す「顧問」というものでした)で、当時、会員の1人として相応に親しくさせていただきましたが、その後は、JCやRC関係の行事でお会いする機会があればご挨拶する程度の関わりしかありません。

谷藤市長は、遠くから拝見した程度なら何度かありますが、面識はなくご挨拶できる機会にも恵まれず、相対して会話等した経験もありません。

いきさつは存じませんが、私が盛岡北RCに入会する以前からクラブの名誉会員となっているものの、私の入会後はクラブの例会等にいらしたことはないと思われ、その意味では内舘さんよりも遠い存在です。

反面、上記の理由から、私がRCで親しくさせていただいている方々は谷藤市長の支援者の方が多いと思われ、その点は、RCに限らずJC関係者でも、谷藤市長の支援者の方が多いのではとの印象を受けています。

内舘さんがこれまで出馬された過去の市長選の際、JCで同時代を過ごした「仲間」の方々は、ほとんど関わらなかったのではと思われますし、そのことと、従前、谷藤市長が自民系、内舘さんが野党系の候補者と目されてきたこととは、先後は分かりませんが、無関係ではないのだろうと思います。

ちなみに、お二人のどちらからも仕事をお世話(紹介等)いただいた経験は全くありません。

以下、本論です。

***

今回の市長選ですが、報道等されている候補者お二人の言動から感じる限りでの対立構図は、敢えて失礼?な表現も一部用いれば、次のようなものと理解しています。

①谷藤市長に飽きたか(交代を求めるか)、継続を求めるか。長年の重鎮にお任せする安定の市政と、半素人の挑戦者による混乱リスクも覚悟する市政のどちらを求めるか。

②有産階級が推戴する市長と無産階級が推戴する市長のどちらを求めるか。今の暮らしに概ね満足・幸せか、閉塞感・生きづらさ等を感じるか

③税金の使い道はインフラ整備重視か、個人(ヒト)への給付・補助重視か

wikiなどを見れば、谷藤市長が平成15年の就任時に「それまで危機に瀕していた盛岡市の財政に大鉈を振るい(緊縮財政や市庁舎移転凍結など支出削減)、財政状況を改善させた」ことが詳述されており、恐らく、それは大筋として正しいのだろうと思います。

少なくとも、この十数年、盛岡で巨額の市費を投じた(が維持費で火の車になっている)残念施設ができたとか、バラマキ行政をしているという類の話は聞いたことがありません。

私は、行政(政治家)が無駄な公共事業や利権絡みのバラマキ政策で巨額の債務を作って将来の世代にツケを強いる類の話が大嫌いで、カネの無駄遣いをせず役所の財政を健全にする政治家は、そうでない方より遙かに良いと思っていますので、その意味では谷藤市政に不満はなく、大筋で良い仕事をしていただいたのだろうと思っています。

ただ、私は平成16年10月に盛岡に戻ってきましたが、当時から現在まで、

谷藤市長が財政を大幅改善させ、市民を危機から救った

などという報道を見た記憶が全くありません。ですので、谷藤陣営がこの点を強調されているのをFBなどで拝見しても、ピンと来ないというのが実感としてはあります。

それが、善政の報道・宣伝を怠った地元メディア等のせいなのか、それとも上記の「谷藤市政の説明」自体に不正確な部分があるのか、私には分かりません。

ともあれ、市長ご就任間もない頃から現在まで盛岡に在住してきたフツーの住民の立場からは、谷藤市政に対しては

殊更、悪政だとは思わないが、善政なのかもよく分からない。この間、盛南開発は進んだと思うが、その当否も一概に判断しにくい。他の地区はあまり代わり映えを感じない(それが無為無策か税金節約なのかもよく分からない)、市長はあまり身近に感じないし、市民への血の通ったメッセージ発信を感じたこともほとんどない(が、それが問題なのか否かもよく分からない)、そのような意味で、市長がどのようなリーダーシップを市政に発揮されているのかも、よくわからない(市政は安定しているので、まとめ上手なのだろうけれど、それを発揮している姿が見えない・伝わらず、善し悪しも判断できない)

というのが正直なところで、そういう意味で、谷藤市政を殊更否定したいとは思わないものの、何らかの飽き(退屈さ、或いは距離の遠さ)を感じていないといったら嘘になると思っています(それは、市長だけでなく市議会・市役所を含む市政全般に言えることなのでしょうが)。

**

他方、内舘さんは(パンフ等に書かれているとおり)JC卒業直後(40歳頃)に一旦、家業を離れ?建設会社を起業し(具体的な事情は何も存じません)、相応の成功を収めた後、市長選の挑戦を続けてこられた方ですが、この間、市議など市政運営に従事された経験はないと思われ、そのような意味では、

政治的にはほとんど素人

と言って良いのではと思われますし、市役所のような大組織の運営に関与された経験もさほど無いのだろうと思います。

市議選がどうなるかは分かりませんが、概ね従前どおりの勢力図になるのであれば、谷藤市長支持派が多数になるのでしょうから、内舘市長誕生となれば、議会との対立や混乱という展開が生じる可能性は相応に高いのではと予測されます。

少なくとも、今回の市長選で内舘さんと連動する「内舘派市議候補」なるものはほとんど聞いたことがなく、市長選後に相応の会派がありうるのだとしても、まずは「ねじれ」になる可能性が濃厚と考えます。

当然、市民のカネを使う政策の多くは議会の承認がない限り無理ですから、議会で多数派を形成できない限り、目玉公約の幾つかは実現できないことになるでしょうし、多数派形成のための寝技的なことに内舘さんが長けているとは、失礼ながらあまり思えません(それは内舘さんの魅力でもあるというべきでしょうが)。

ですので、市政の混乱や停滞を望まない(現路線を粛々と続けて欲しい)方は、谷藤市長に投票するのでしょうし、多少の混乱が生じたとしても市政に新たな風を吹かせたい(或いは、多少の混乱自体を期待したい)という方は、内舘さんに投票するのだと思います。

***

また、今回の市長選が接戦となった(そのように報道された)のは、谷藤市長の多選・高齢批判(仕事自体への批判はあまり聞きません)や膨大な辻立ちと大通弁当企画で内舘さんが知名度を上げたことなどもさることながら

現在の物価高などによる生活苦や格差拡大

が、どうしても現職にはマイナスになりやすく、とりわけ、市内でも有数の名門資産家(一族)と理解されている谷藤市長は、そのような状況下では投票面で不利になる(対立候補が批判票の受皿になる)面は否めない思います。

私の仕事の関係でも、例えば、かつて膨大に受任していた債務整理の依頼者の方々の多くは、月収20万円以上(世帯で30万円以上)の方が多かったのですが、ここ5~10年ほどは、依頼者のかなりの割合が、生活保護受給者や低所得者の方ばかりとなり(当然、自己破産であり、中には50万円未満の債務しかないものの、返済の目処がなく破産するほかない方も珍しくありません)、また、メンタル面に何らかの問題を抱えている(ので、それに起因し低所得化等せざるを得なくなる)方の割合も増えている印象が否めません。

もちろん、それ(貧困や格差の拡大等)が谷藤市長のせいでないことは議論の余地がありませんが、そうした方にとっては(米国の貧困層がよく言われるように投票に行かない方も多いのでしょうが)、投票に赴くのであれば、投票行動が谷藤市長のような方への批判票(嫉妬票?)になりやすい面は否めないと思います。

他方、まがりなりにも現在の生活に相応の満足や希望を持って暮らしている方にとっては、谷藤市長は地方の成功者の鑑(目指すべき目標)といってよい存在であり、続投を希望される限りは支持する(引きずり下ろしたいとは思わない、対立候補は快く思わない)方向になりやすいと思います。

冒頭の日報記事には、太田・本宮・玉山地区が谷藤市長、松園・上田・中野地区は内舘さんを支持する住民が多い、と述べられていました。

太田・本宮は盛南開発の中心部であり、開発で潤った方もいるのかもしれませんが、新たに住宅を建てるなどして転居した方も多く、その方々は、新しく切り拓かれた街と共にご自身の明るい未来を感じているはずで、盛南開発の推進者でもある谷藤市長に支持が集まりやすいのだと思います。

他方、松園は、ニュータウン住民の高齢化等による課題先進地などと言われることが多く、中野も(内舘さんの膝元でもありますが)松園に似た昔々に開発された郊外で、課題状況は松園に似ているように思われ、お叱りを恐れずに言えば、

ラストベルト的な色合いを帯びている地域が、現職批判票として内舘さんに廻っているのでは、

という印象を受けます。

その意味で、今回の市長選は現在の盛岡が「(経済的に)豊かなまちか、そうでないか」を推し量るリトマス紙という面も持ちうるのかもしれません。

盛南地区や玉山は「合併の対価」として様々な公共事業が行われたと聞いたこともありますので、より多くの税金が投じられた地域とそうでない地域で支持が分かれただけの話かもしれませんが。

***

内舘さんは(JC理事長などを歴任されていますので相応の資産等をお持ちなのでしょうが)谷藤市長に比べれば、色々な意味で「大物」とは言い難く、言い換えれば、名実ともに挑戦者と呼ぶに相応しいと言えます。

ですので「ジャイアント・キリングの物語を見たい」という住民からは支持を受けやすいことは確かだと思います。

18年前=JC卒業時の内舘さんは、JCに集まってくる、将来の地域のリーダー候補生達の1人という印象で、失礼ながら、同世代の仲間内の方々から、自分達を代表する傑出したリーダーだと目されていたわけでもないと感じています。

他方、配布物や各種メディア等で拝見する現在の内舘さんの顔立ちは、当時と比べて全然違う、僭越ながら、とても精悍な顔立ちになったと思います。

もちろん、政治は顔(だけ)でするものではありませんし、現時点での政治家としての力量(市政への全般的な視野云々)では、谷藤市長の方に遙かに軍配があがると見るべきでしょうが、それでも、政治に物語性を求める方にとっては、今回の選挙は、内舘さんに入れてみたいと感じる面はあるかもしれません。

反面、谷藤陣営の方々からは

政治はおとぎ話じゃない、地域で様々な役割を受け持った人達の地道な努力で築かれているもので、谷藤市政(支援者である自分達)はそれを長年積み重ねてきたのだ、それを軽々しく考えるな

ということになるのでしょうし、それもまた大きな重みがあることは間違いありません。

ともあれ、FBなどで、両陣営の方々がご本人を取り巻いて撮影している写真を拝見していますが、谷藤市長を取り巻く方々は、それこそ数世代に亘り盛岡の街を支えてきた「まちの重鎮」や、現在、市内の社会経済を様々な形で支えている経営者の方などが多く含まれているように感じました。

他方、内舘さんを取り巻く方々は(著名映画監督さんと、盛岡市民ではない某さんだけは一目で分かりましたが)JC関係者もあまりお見かけせず、私は全く存じない(JCやRCなどで拝見したことがない)方が多いように感じました。

それ自体の当否を論じたいわけではありませんが、そうしたものを見ても、

谷藤市長の続投なら、長年まちを支えてきた人々が、引き続きその役割を担って安定した(悪く言えば、変わらない)まちづくりがなされるのであろうし、内舘さんの勝利なら、そうした方々の協力が得られない(得られにくい)という意味でも、色々と混乱や頓挫・停滞などが生じるのかもしれない、反面、もし内舘さん達がその苦難を乗り越えることができれば、全く新しいまちの可能性が見えてくることもあるのかもしれない、とも思います。

その意味でも、谷藤市長と内舘さんの対決は、ご本人が望むと望まざるとに関わらず、

プロが運営する安定の盛岡か、素人が挑む盛岡の変革か

という面があることは確かなのだろうと思います。

そのため、内舘さん陣営に「変革の実現を現実に支える政策や実務のプロ集団」がいれば良いのではと思いますが、そうした方がいるのか選挙運動を拝見した限りではよく分かりません。悪く言えば、辻立ち等の運動を皆で頑張りましたねと励まし合っているだけのようにも見えます。

その点は、政治や政策はきちんとしたプロが行うべきものだと思っている方から見れば、怖くて投票できないと感じさせる面はあると思いますし、仮に、内舘さんが勝利するのであれば、この点を重大な課題として取り組んでいただきたいと思います。

***

ところで、ここまで、公約の比較検討などを何も行ってきませんでした。

この点は、細かい話をする意味はあまりないのではと思っていますが(本稿をご覧になるエネルギーのある方なら、多少はご自身で比較検討されているでしょうし、市政の細かい様々な課題に関しては谷藤市長のサイト等の方が現実的かつ詳細で、内舘さんの公約等には実現可能性や実施する意義に疑問を感じるものも幾つかあると思っていますが、現職と新人の対決は、往々にしてそのようなものでしょう)、全体として、

谷藤市長は、割とインフラ整備を重視するのに対し、内舘さんは、割と個人(ヒト)への給付・補助を重視している

と思います。

例えば、前者が新興住宅地たる郊外地域への鉄道新駅整備を強調しているのに対し、後者が奨学金や高齢者・小規模事業者・起業者向けの各種支援を強調しているのが、その例ではと思います。

そのこと(インフラ重視かヒト重視か)は、往年の自民対民主の対決を見ているようであり、それこそ「民主党嫌い」の方にとっては、華々しい公約を多数掲げてほとんど実行できず短期間で混乱・失墜した鳩山由紀夫政権の影を、内舘さんに感じる面はあると思います。

そのリスクを忌避するか、敢えてリスクを求めるか、全て有権者次第ですが。

あまりにも長文になったので、そろそろ止めますが、前任の桑島市長のwikiを拝見したところ、谷藤市長の初当選時=平成15年のご年齢が53歳で、桑島市長が71歳であり、これは、現在の谷藤市長・内舘さんの年齢と酷似していることが分かりました。

だから同じ結果になるとは全く言えません(思いません)が、個人的には興味深い現象だと感じました。

***

また、今回の選挙を通じて改めて残念に感じたことは、

地方には、中央政治(国)におけるマスメディアのような、地元行政・地域政治の様々な論点(公約検証などを含む)を掘り起こして発信し住民の議論等を呼びかける地域メディアがなく、Web等を通じて、そのような試みをしようとする人もほとんどいない

という点です。

私がJCで真面目に活動していた時期は、首長の公約検証という話が流行しており、私もお手伝いしたこともありますが、そうした話が根付くことはなく、何年も前に潰えてしまいました。

私も、膨大な時間を投じて作成したレポートが、マニフェスト検証大会にお越しいただいた某知事に「ご苦労さん」の一言で片付けられ、残念な思いをしたこともありますので、他人に無理に勧めたいとは思いません。

が、例えば、谷藤市政に関しても、ウイルス禍の最中に

盛岡は全国の自治体でも、ワクチン接種の連絡(導入)が非常に遅れた

ことがあったはずで、そうしたことについて、検証等があっても良かったのではと残念に感じています。

ともあれ、色々なことを書きましたが、地方自治こそ民主政治(国民主権)の礎だと大学の憲法学で学んだ身としては、こうしたことも参考にしていただき、明日の投票に限らず、各人がそれぞれの持ち場で担っておられる地域社会の運営に活かしていただければ幸いです。