北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

〒020-0021 岩手県盛岡市中央通3-17-7 北星ビル3F

TEL.019-621-1771

社会全般

神も依代もやがて去りゆく社会の中で、君たちはどう生きるか。

先日、宮崎監督の最新(最後の?)映画を拝見してきました。

ラピュタのような爽快で分かりやすい冒険活劇を期待する方には不満が残るかもしれませんが、トトロ以降の宮崎作品の系譜に沿う文学的なメッセージを期待する方には満足できるもので、世間で広く言われる集大成としての演出表現や映像美なども含め、TVで見るよりも劇場でご覧になった方が良い作品だと思います。

以下、ネタバレを避けつつ、未見・既見の双方に向けた、「Web上、まだ誰も言っていない(かもしれない)考察」を含めた感想を書きます。

ここでは、小難しいことを色々と書きますが、最初に述べておくと、監督は、あくまで、この作品を

子供達が、自身の内的世界(子供心の空想等)を大事にしつつ、最終的には社会に前向きに向き合い、社会内で自分らしさを発揮し活躍すること

を願って作ったものである(そのメッセージがメインである)ことは間違いないと思います。

が、爽快な活劇ではなく全般的に不穏で文学的な空気が漂い、後記のとおり、現実社会での大きなテーマを様々な隠喩を用いて問うものとなっており、私自身は従前の作品より文学・思想としてのテーマ性が強調されているように感じました。

***

この作品が前半部分と中~後半部分に分かれている、という程度のことは、ここで書いても叱られないと思いますが、前半部分の多くが、よく言えば穏やかで落ち着いた、悪く言えば間延びした印象を受けるもの(あの映画の第三村のような感じ)となっています。

ただ、非常にセリフ・説明が少なく、言いたいことは映像表現で読み取って下さいと言わんばかりのシーンが続く上、全般的に不穏な空気が漂っているので、私は、この前半パートは

盛岡を舞台とする芥川賞作品の映画「影裏」

に、雰囲気が似ている感じがしましたし、「この作品は純文学です」と随所で述べているように思いました(なので、小さな子供はここで脱落するかも・・と少し思いましたが)。

そして、前半の最後、ある登場人物が、なぜそんなことをしてるの?という行動を始めてから(及び主人公があるモノに接してから)物語が一気に動き出すのですが、私は、これを見た瞬間

この作品の元ネタって、○○(仮称・古典A)なのでは

と思いましたし、その後(中盤~後半の展開)も、その印象どおりと言ってよい流れになりました。

(本文では名称を省略します。日本人なら誰もが知っているはずですが、ほとんど誰も読んだことがないアレです。知りたい方は、末尾を見て下さい)

ですので、事務所に戻ってから真っ先に映画名と古典Aで検索したところ、予想どおり、同種の感想を書いていた人が多数いました(他に、元ネタとされる外国小説?もあるようですが、私は全く存じません)。

***

ただ、古典Aが元ネタだと言うだけでは、この映画が詰まるところ何を言いたい作品だったのか、何の説明にもなりません。

この点、先日、小説「君たちはどう生きるか」について、思想家の浅羽通明氏が、

これは、近代から戦前までの世界を覆った二つの潮流のいずれを戦前日本が選択すべきかという思考実験を、知的エリートたる若者達に問うた作品である。

すなわち、仏革命思想に起因するボナパルティズム(中世ヒエラルキーを否定し、民衆の熱量で指導者を推戴し社会を再構築する思想=下からの支配)の延長又は変異体としてのファシズムと、共産主義(知的エリートの叡智を結集し、社会的不合理を是正する理想社会を構築しようとする思想=上からの支配)のどちらを世界が選択すべきかという知的闘争を描いた物語なのだ。

と論じていたことを、ブログでも紹介しました(引用記事)。
思想や情念が対立する社会の中で、君たちはどう生きるか | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

その話を宮崎監督がご存知だったか(原典たる吉野氏作品に対し、そのような解釈をしていたか)は全く不明ですが、私は、この映画の制作が発表されたときから、少なくとも、

君たちはどう生きるかというタイトルを冠する以上、監督は、原典に何らかの思想性があることを熟知した上で、ご自身なりの思想的テーマを必ず掲げようとするはずだ

と思っており、それを見抜きたい、というのが私の本作の鑑賞目的でした。

***

で、最後まで拝見した上で、私が結論として思ったのは

この作品は、国体すなわち天皇制の存続をテーマとしているのでは?

というものです。

これも、抽象的なことしか書けませんが、私は、ラストシーン(直前を含む)は、単に、

あの出来事が終わった

ことを示すだけでなく、現代を生きる我々にとって天皇制を続けることができるか(続けてよいのか)を問うメッセージが含まれているのではないか、というのが、私の解釈となります。

なぜなら、この物語では、

「世界の安定や安寧を守るための存在」

が登場しますが、これは、日本においては、天皇以外にはあり得ません。

そして、この物語では

「その立場を引き継がされるかもしれない人達」

が登場しますが(敢えて複数にしています。既見の方は、ぜひお考え下さい)、それって、将来、天皇の立場を引き継ぐことを宿命づけられた方々(現実の特定のどなたかではなく、一般名詞としての)の隠喩ではないでしょうか。

そして、現代を生きる我々は、天皇が、(敢えて戦前の言葉を使えば)崇高で神聖不可侵な権威(現人神)としての意味を持つ存在であると同時に、

社会(国民総意)のため様々な役割を強いられる、気の毒な依代(人柱)

という面が否めないことを、よく分かっているはずです。

そのことと、本作の後半に描かれた主人公と主要人物を巡る葛藤ないし対決は、どことなく親和性があるように思われるのです。

そのような観点から本作を改めて思い返すと

我々日本人が、天皇制を続けることができるか・続けるべきなのかという、現代日本で最も重く、誰もが直視せず先送りしようとするテーマに取り組んだ作品なのではないか

という印象を受けますし、主人公が最後に行った選択も、現代日本人からは、当否云々はさておき非常に重いもののように感じる面もあります。

それゆえ、上記の浅羽氏の解釈に照らせば、本作は原典=吉野本に勝るとも劣らぬ、現代に相応しい重い思想的テーマを扱い、描ききった力作なのでは、ということができそうに感じました。

まあ、私がそう思いたいだけなのかもしれませんが。

***

ちなみに、本作では擬人化された生物による様々な醜悪ないし滑稽な場面が描かれていますが、これも、戦中(戦後も?)日本の隠喩だと捉えれば、

実社会パートで当時の美しい日本を描きつつ、背後にある(日本人の)醜悪さも擬人化の手法で描いた作品

と解釈することができるでしょう。

この文章では、主人公が前半で行った「彼はなんでそんなことしたの?」という場面についての解釈などは何も触れていませんし、あのシーンが上記の解釈と関係するのかそうでないのかも分かりません。

というわけで、上記の妄想とは異なる説得的な作品の解釈がありましたら、ぜひ伺ってみたいものです。

君たちはどう生きるか。

ご覧になった皆さんの心には、何が残りましたか?

ちなみに、我々が天皇制を続けることができるか、というテーマでは、昨年末に安倍首相の国葬を題材に大長文を投稿したこともあり、興味のある方は、こちらもご覧いただければ幸いです。
安倍首相の国葬を巡る「天皇制の終わりと権威分立社会の始まり」(第4回) | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

(追伸)
この投稿を掲載した後、旧ツィッターで「君たちはどう生きるか 天皇」と検索したところ、本作品と天皇(制)との関係性を指摘した投稿が幾つかあるのを拝見しました。映画を拝見した直後には、同じ文言で検索しても記事は全く出てこなかったので、Web上で誰も言っていないと書きましたが、案外そうではありませんでしたね・・

ただ、現代における天皇制の存続との関係性を論じた投稿は見当たりませんでしたので、その点は、私の解釈にオリジナリティがあるかも?です。

ともあれ、リアルな世界でこうした議論を交わせる相手に恵まれない日々を送っていますので、自分が考えたキーワードで検索し、同種のことを投稿されている方を発見したときは、多少とも嬉しくなりますね。

廃墟建物を作り出した金融機関の貸手責任による解体費用の負担の提言

先般、「日本のアマルフィ」と呼ばれる和歌山の風光明媚な海岸近くに長年放置されていた廃墟旅館の解体が、多額の公費を投じて開始されることになったとのニュースが流れていました。

【速報】『日本のアマルフィ』にある「廃旅館」長年放置…倒壊おそれで解体作業始まる 和歌山・雑賀崎漁港近く 費用約7000万円は国や県などが負担(MBSニュース) – Yahoo!ニュース

この種の問題では、自ら責任をとれない事業に融資をして公費負担の結果を生じさせた金融機関≒担保権者に、一定の範囲(最大5割とか)で、撤去の連帯責任(補償義務)を負わせる法制度があってよいのでは(それにより、金融機関は無謀な融資の回避や借主監督、早期適正譲渡などの努力を行うようになる)と考えます。

こういった「原状回復に関する融資者(金融機関)・出資者の監督責任」はメガソーラーなどでも用いられるべきだと思います。

平成の前期には、当時、米国で流行していた金融機関の貸手責任論が盛んに議論されていたのですが、今ではすっかり聞かなくなり、残念です。

我国では、代表者の家族とか、およそ責任を取れない者に巨額の負担を課して「連座させて潰す」ために保証制度が濫用されてきましたが、保証とは、本来「借主を監督できる後見役となりうる大物」こそが引き受けるべきものです

税金投入が強いられる「社会に生じた負の遺産」に関しては、その事業を開始させた金融機関や出資者などが、負の遺産の発生を防げなかったことへの責任を一定程度とるべきだ、という社会意識ないし政策の喚起が必要と考えますが、どうでしょう。

思想や情念が対立する社会の中で、君たちはどう生きるか

大学2~3年頃の私は、浅羽通明氏の「ニセ学生マニュアル」シリーズを片手に、同書が薦める膨大な書籍群を古本屋に探しに行くような日々を送っていました。

そのリスト群に「君たちはどう生きるか」も含まれており、当時購入していましたが、後回しにしたまま現在に至っています。

ただ、昨年頃、久しぶりに浅羽氏の著作が読みたくなり、

「君たちはどう生きるか」集中講義

なる本を見つけたので、購入して一気に読んでしまいました。

私は数年前に一世を風靡した「君たちは~」の漫画版も読んでおらず(子供に見せようと思って買ったものの誰も読んでない、がっかり家族・・・)、プレイ前に攻略本ばかり買いたがる、駄目ゲーマーのような人生というほかありません。

ともあれ、浅羽氏の本は、

「このマンガは、主人公にとって色々な意味で「萌え~」になる原作の憧れのヒロインを登場させなかった、ろくでなしのク○本だ!」

との一喝から始まり、諸々の理由から、

「君たちはどう生きるか」とは、子供のいじめや悔恨だけをテーマとするような、底の浅い(説教じみた)物語なんかじゃない、

ロマン溢れる革命思想(皇帝推戴を到達点とするボナパルティズム?)≒ナチス等に悪用される以前の善良?なファシズムの代弁者としてのヒロインと、人類社会全体の調和を目指す理性的な合理主義=ソ連等のインチキ共産主義ではない、本物のマルクス主義?の担い手としてのおじさんの二人が、主人公コペル君(戦前日本の進路)を取り合って争う、天才達の壮大な恋愛頭脳戦・・・もとい、思想対決の物語だ

(そして、それは、たぶん、今も形を変えて続いている)

という、独自?の解釈を展開したものとなっています。

このような話を聞いて興奮する人はどこにもおらず、大半はドン引きするか、珍獣として面白がるか、というのが世の常かとは思いますが。

ともあれ、先般公開された巨匠制作の同名タイトルの映画を今後ご覧になる方々も本書を一読されてみてはと思い、田舎の珍獣のはしくれとして、紹介させていただきました。

 

義理に生きる日本人と、正義に生きる偏屈者

私の名前は「義和」ですが、亡父から、祖父が「義勝」と名付けようとしていたのを父が「義和」案を推して決まったという話を聞いたことがあります。

どうして「勝」ではなく「和」にしたのかという肝心の点を聞きそびれてしまったのですが、私自身は自分の名前を非常に気に入っています。

というのは、私にとって、「義」とは正義の義、「和」とは平和の和を指し、2つの言葉=理念は相対立するものの、だからこそ私の人格や生き方に決定的な役割を果たしていると感じるからです。

もとより、争いは正義を主張する者同士の間に起こるものであり、平和とは、暴力・抑圧による欺瞞の平和を別とすれば、正義と正義の衝突の後の相克と調和・止揚の先にこそ存するものです。

よって、正義と正義(光と影の双方を背負う者同士)の対立と調和という問題(ひいては対決と調和の双方を創出する営み)は、正義や平和を扱う全ての職業人にとって、要諦というべき事柄だと思います。

それが弁護士という職業の本質に関わることは申すまでもないことでしょうし、そのことを弁えず自派の利害ばかりに目を向けて他方の正義や調和に視野が及ばない者は、法律家としては良質な仕事をしているとは言い難いと思います。

そんなわけで、私は、自分の名前を他人様に説明する際は、「正義の義と、平和の和」と必ず述べています。

ところが、これまで他の方が私の名前を説明するのを聞いていると、「義理の義と、平和の和」と仰ることが非常に多くありました。

それを聞くと、その方にとって「正義」よりも「義理」の方が身近な(親和性がある)言葉・概念なのだろうと思わずにはいられませんでしたし、そうした方が多いため、正義という言葉・概念は、まだまだ日本人には馴染めない面があるのだろうとも感じました。

感覚的な話になりますが、義理は、一対一であれ多数であれ、対人関係を前提とした言葉であり、多くの方には「世間」(最近は「空気」と呼ばれる)という日本的な概念と非常に親和性のあるものと言ってよいと思います。

言い換えれば、世間(空気)や義理の根底には自分に身近な者で形成されたコミュニティ(帰属集団)による集団的な明示・黙示の意思決定を重視する思想(広義の集団主義)が存するはずです(このような考え方は、「菊と刀」などでも触れられているようです)。

他方、「正義」という概念には、「千万人といえど我行かん」という、自分が信じる理念のためなら徹底した孤独にも耐えて闘う覚悟も要求する面があり、個人主義に馴染むことは間違いありません(だからこそ相対立する正義が殺し合いをせず共存・調和できるよう、裁判や選挙などを通じた対決・決着のための法制度があると言えます)。

そもそも、正義という言葉(概念)は、日本よりも、中国(関羽でおなじみ)や西洋(いわゆる法の正義)の方で確立した概念だと思いますが、双方とも、日本よりも遥かに個人主義思想の強い風土だと思います。

そう考えると、義理よりも正義という言葉に馴染んでいる私は、日本人的ではない偏屈さの持ち主ということになるのかもしれませんし、そうした面も含め、この名が授けられた瞬間から、法律家という生き方が天職になったのかもと思うところはあります。

ただ、名付け親である私の父は、日本的な親父の最たる御仁で、およそ西洋或いは中国的な個人主義にはほど遠い、世間様と共に生きる人でしたので、人の世は実に不思議なものだと感じないでもありません。

或いは、父にとっては「義理の義と平和の和」だったのかもしれませんが、作者の意図はどうあれ、私は頑なに「正義の義と平和の和」として生き続けたいと思っています。

 

追憶の沖縄と縄文の記憶

先日は、沖縄の慰霊の日(沖縄戦の実質終結日)とのことで、関連する行事のニュースが流れていました。

私は沖縄にはたった一度だけ平成27年に那覇地裁に仕事(尋問)で行ったことがあり、もともと、沖縄に行く本土人は、ひめゆりの塔と平和祈念公園に行かなきゃ駄目だろうと思っていた手前もあって、到着後、急遽、レンタカーを借りて行ってきました。

残念ながら、アウトレット大渋滞のため通常より大幅に到着が遅れ、ひめゆり平和祈念資料館の入館締切時刻には間に合いませんでしたが、平和記念公園の岩手の塔をはじめ、夕暮れ時に様々な戦争関連の慰霊碑を拝見することができました。
沖縄放浪記(那覇出張と「残念な小話」) | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

子供の頃、私のすぐ近所には「りゅうちゃん」という、きっと蝦夷の直系の末裔なのだろうと感じる、縄文人のDNAが濃そうな歳上の男性が住んでいました。

とても善良な方で、少年期に色々とお世話になりましたが、沖縄には、りゅうちゃんとそっくりな顔立ちの人が街中に沢山いて、びっくりしました。

双方の土地で異なる時代に生じた戦災達から学ぶことに限らず、岩手と沖縄が縄文の血で繋がっていることに、もっと多くの人が関心を持ってよいのではと、今も感じています。

縄文を巡る岩手と沖縄の共通性については、出張後に書いたこの投稿もご覧いただければ幸いです。
琉球王国と北奥政権の栄光と挫折、そして再起するものたち | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

オクラホマの若者が蝦夷の夢をみるとき

先日の盛岡北RCの例会は、米国オクラホマ州からの短期留学生(17~18歳の男女約10名)の歓迎会を兼ねるもので、盛岡西北RCと合同で、ホテル大観で行われました。

私は例会だけでお暇しましたが、直後には有志の方々により着付けとさんさ踊り体験指導がなされたとのことで、その他の盛り沢山のRC歓迎行事と併せて、留学生の方々は満足して帰途につくものと思われます。
岩手県盛岡市 米の高校生「さんさ踊り」を体験 (tvi.jp)

ただ、折角なら「どうしてオクラホマの若者が、盛岡(岩手)に来る理由があるのか」について、RC関係者の方々から一言頂戴できれば、なお良かったのではないかと思いました。

日本人なかんずく岩手人にとって、オクラホマは全く馴染みのないない場所ですが、米国大陸の「へそ」にあたる、ど真ん中やや下の位置(南はテキサス)で、ロッキー山脈西側の大平原(グレートプレーンズ)を構成する諸州の一つであり、誤解を恐れずに言えば、地形的にはウクライナによく似ていると言って良いかと思います。

この地は、かつてインディアンと呼ばれた先住民(ネイティブ・アメリカン。以下「NA」)の本拠地の一つであり、東海岸で英国移民(アングロサクソン)により建国された米国が版図を西側に急拡大していた1700年代に、利権を主張する他の西欧国家との抗争との勝利という形をとって米国に編入されています。

が、実際の統治ないし社会運営を巡っては、移民(侵略者)たる白人と先住民たるNAとの間で激しい抗争があり、最終的にNA側が敗北し、1800年代頃には、多くのNAが故郷を追われると共に、白人による入植や、それに伴う農園労働力たる黒人奴隷の大量移住が行われ、現在の人種構成に至っていると言われています。

ここまでご覧になって、それってどこかで聞いた話に似ている・・と感じませんか?

そう。

古代において列島の西から興り弥生人=大陸由来民を中心に形成されたヤマト王権が、縄文の暮らしを色濃く残す東のエミシの部族集団(日高見国)を制圧していった光景を。

アテルイ、安倍氏、奥州藤原氏、九戸戦役、戊辰戦争などに彩られた岩手の歴史を。

それが脳裏に浮かばなかった岩手ケンミンの貴方は岩手人を名乗る資格が危ういので、イチから郷土史を勉強し直して下さい。

このように、帝国(異民族征服・統合国家)としての米国などの建国史は、その観点からは、日本の建国史とさほど変わりありません(その点はロシア等も同様でしょう)。

そして、蝦夷≒縄文人であれ、米国のNAであれ、有史以後の被征服民の多くが、遠い遠い昔、世界各地を横断した古モンゴロイドと呼ばれる人々の末裔であることも、よく知られている話です。

だからこそ思うのです。

社会経済上、直接にはほとんど何のつながりも持っていないだろうオクラホマの若い短期留学生達を、岩手・宮城のRCが長年に亘り世話することになったことに、何らかの見えざる力が働いていないだろうか。

歴史の中に忘れ去られ、取り残された蝦夷≒縄文=古モンゴロイド=NAの血が、声が、双方の出逢いを促したのではないか。

ホテル大観にいらしていたオクラホマの若者達は多くが白人でしたが、黒人の方が1名、NA由来か東洋移民系かは不明ですが、いわゆる黄色人種(モンゴロイド)の血が入っているのではと感じる方も1~2名ほど?いました。

彼らが故郷の複雑な歴史を正しく学んだ上で、人種を巡る米国の厄介な問題を克服し、人類共通の福利のため力を合わせていける光景を願っています。

そうであればこそ、岩手の人々にも、彼らの姿から蝦夷の末裔としての誇りを、そして、自分達のあるべき道を考えていただければと思います。

もとより、私は「被征服民(蝦夷・NA)ばかり同情し、征服者(弥生人・白人)を非難したい」のではありません。前回の投稿(岩手県立病院物語)でも触れたとおり、科学的・合理的知見が伝播したことで、健康や富に限らず不合理・抑圧的な陋習から人々が解放された面はあるはずですし、何より、双方の文化・思想が交わることで新たに社会に生み出された価値あるものが数多あるずだと確信しています。

であればこそ、歴史とその功罪、失われたものと生み出されたものの双方を適切に学び、自身の現場での役割へと昇華させる努力が各人に求められているのであり、異なる人種・文化・社会が激しく衝突した歴史を共有する岩手とオクラホマの人々は、互いの経験を知ることで、各人の実践に活かせる面が多々あるのではと考えます。

そうした話が岩手の人々とオクラホマの若者達との間で語られる光景を夢見つつ、大観の玄関で飲湯しながら「温泉入りたかった・・」と捨て台詞を残して、終わりなき日常に戻っていった次第です。

鎌倉長谷寺にて、カトリック的仏教とプロテスタント的仏教の歴史と異同に思いを馳せる

鎌倉編のおまけに、長谷寺に赴いた際に考えたことについて書きます。

鎌倉長谷寺は紫陽花の名所として有名であり、どうして文化財指定を受けていないのだろうと感じる、巨大な十一面観音像が本尊となっています。

御仏も鎌倉殿に馳せ参じ
競えど殺さぬ世を導けり

長谷寺の創建時期は不明(伝承では天平期)ですが、一般的理解では鎌倉期から幕府関係者を中心とする時の権力者・有力者の庇護のもとで発展した寺院であり、奈良・平安仏教などと共に、広義の「鎮護国家系仏教」と言えるでしょう。

建物や敷地内には多くの日本の寺院と同様に様々な種類の仏像・地蔵像などが多数入り乱れ、いかにも多神教的な印象を受けます。

ただ、有力者の庇護を受けた寺院に様々な「ランキング」化された仏像などが並べられるのは、それが、貴人(支配階級)の序列社会の光景に馴染む面があるからなのかもしれません。

カネ主たる有力者にとっては、色々な仏様から多様な御利益を受けたいとのニーズもさることながら、偉い仏が沢山いて序列化されている光景を眷属(配下・庶民)に見せて「それが当たり前」とすること(権威化)で、自分達=支配階級の序列社会への服属心を高める効果(ひいては自身の安心感)を期待できたでしょうから。

そう考えると、仏達の序列社会的な表現を伴う鎮護国家系仏教はカトリックに、阿弥陀仏とか妙法蓮華経など特定の如来等を唯一神化する一向宗や日蓮宗などは、プロテスタントに似ているように感じます。

日本のキリシタンも、渡来したのはカトリックですが、この文脈からは、プロテスタント的なものと位置づけられるでしょう。

一向宗などの「プロテスタント的仏教」は一神教的で拝む対象も限られ、排他的傾向がある(あった)のに対し、それ以外(以前)の「カトリック的仏教」の方が多様で寛容な傾向があるようにも感じますが、それは、既存の権威秩序を尊重することが条件である(そのような意味で保守的である)と言えるのかもしれません。

だからこそ、プロテスタント的仏教には、既存秩序を転覆する革命志向的な側面があり、それが一向一揆や同時期の法華宗、キリシタンの弾圧は、弾圧側の担い手たる武家勢力が基本的には旧教(カトリック的仏教)の庇護者であることに照らしても、日本版の宗教戦争にあたるようにも思われます。

日本では新教側が米国のような独立国を作ることはできず、武力闘争としては旧教側が勝利したものの、旧教側も比叡山焼討をはじめ固有武力や政治への制度的な影響力を失い、幕府に庇護された一定の利権を別とすれば、政教分離に近い光景が出現しました。

新教側も、あたかも敗戦後の日本のように、武力(主権)放棄と引き替えに宗教活動の自由を得て、江戸期には戦国期以上に発展したと言えるでしょう。

それらの光景は、基本的にカトリック国であるものの革命時に政教分離が極端に進んだフランスに、似ているようにも見えます(当時、暴力的な教会弾圧もあったのだそうで、宗教利権への反発を含んだ日本の廃仏毀釈や中国の文革に近い面があるかもしれません)。

他方で、かつてプロテスタント的仏教の人々が抱いたであろう「革命の夢」は、我が国では地下深く(人々の抑圧された深層)に眠り、ごく稀に、例えば、オウム真理教のような形で露出することになったのかもしれませんが。

現代日本人が仏像群を拝見しながら宗教心をかき立てることは難しいかとは思いますが、こうした形で社会のありようを考える機会として活かしていただければと思います。

鎌倉殿の14番目の秘密と「禍々しい陽光」の正体

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が今度で最終回とのことで、先日は、オープニング映像に様々な仕掛けが含まれていることを説明した特集番組が放送されていました。

ただ、この映像の核心の一つである「主人公(北条義時)を指すのであろう、佇立する武士の背後から巨大な太陽?が照らす光景(冒頭部分)」については何も説明がなく、その点は不思議に思いました。

この部分は、少し検索すれば「これから武士の時代が到来することを陽光で表現しているのだ」といった評釈を見かけますが、私は、そのような見方をすることに違和感を抱いていました。

というのは、太陽が大きすぎ、陽光が強すぎる感じがする上に、照らされる武士も生身ではなく石像という「異様さ」もあって、なんとなく怖いというか気味が悪い感じがして「さぁ、俺たちの時代だ!」的な明るさがなく、むしろ否定的な印象を受けていたからです。

そのため、このオープニング映像や主題曲が(初見で気に入った「麒麟が来る」などと比べて)最初はあまり好きではありませんでした。

が、最近になって、これは意図的に「異様で嫌な感じのする強すぎる太陽」にしたのではないかと感じるようになり、今では映像も音楽も気に入っています。

ご承知のとおり、本作は、平家を倒し天下を取ってハッピーになったはずの鎌倉武士団が、主君(源氏嫡流)殺しをはじめとする陰惨な内部抗争に明け暮れる光景を描いた作品です。

その上、主人公は若い頃から様々な汚れ仕事を担わされた末、自分は社会のため誰よりもそれを引き受けざるを得ない存在だとの境地に至り、そして、最もなすべきこと(かつて朝廷・貴族=旧支配者に隷属を強いられた存在としての武士が、立場をひっくり返した出来事)を終えた直後に退場する人生となっています。

こうした骨格を踏まえると、この物語は「新たな時代を切り開いた武士達が、栄光の代償として激しい光に焼け尽くされる姿を描いた物語」であり、武士を照らす強すぎる光は、映像の最後に石像群が滅んでいく光景と相俟って、それまで田舎で安閑と暮らしていた関東武士達(や頼朝ら)が社会の中心に躍り出るのと引き替えに強烈な試練に晒される禍々しさを意味しているのではないかと感じるのです。

ただ、そのように「旧勢力から権力を奪取し新たな時代を劇的に切り開いた人々が、強烈な試練に晒され次々に命を落としていく光景」は源平時代に限った話ではなく、幕末維新期はもちろん、戦国時代も含め、日本の歴史の中では時折みられる話だと思われますし、それだけに、生身の殺し合い云々はさておき、社会では相応に普遍性のある事柄のようにも思われます。

そんな物語を送り出した三谷氏の意図は、現代社会にあっても、旧勢力(既得権益)を打破して新たな時代を切り開きたいなら、様々な汚れ仕事や恐るべき試練に己が焼け尽くされる覚悟と深慮遠謀をもって立ち向かえ、というメッセージを若者達に届けることなのかもしれません。

***

ところで、冒頭で紹介した「オープニング映像の解説番組」では、コーラスを担当しているのがハンガリーの方々だ(作曲家の判断で決まった)と説明する一幕がありましたが、ハンガリーと言えばフン族の末裔であり、フン族といえば「ゲルマン民族大移動とローマ帝国崩壊を引き起こしたアッティラ帝国」であり、謎に包まれた?フン族の正体は、モンゴル民族の祖先というべき匈奴だと推定する説が有力と言われています。

そうしたことを想起すれば、武士の時代を切り開いた主人公達と繋がる面があるように思われ(人種的にも、モンゴル人と日本人は近いと言われます)、ハンガリー人のコーラスが起用されたことが、そこまでの意図があったとは思えないだけに、不思議なものを感じざるを得ませんでした。

私自身は「天下の闘争の渦中に飛び込み汚れ仕事に明け暮れる」こととは無縁な、身近な社会(弁護士会とかJCとか)ですら権力闘争に関わることなく末端で小さくなっている「安閑と暮らすだけの村はずれの奇人」で終わる人生となりました。

せめて、こうしたドラマを拝見しつつ、次の時代を担う方々に何らかの役に立てるような最後のご奉公ができればと願うばかりです。

***

ところで、ここまで書いてきて、武士達を焼き尽くす「強烈な太陽」とは何を意味しているのか、取り上げるのを失念したことに気づきました。

ただ、この点は、皆さんも薄々感じているはずです。

日本国の存立に必要不可欠な存在と考えられる一方、近づき過ぎると(権威を笠に着て専横しようとすれば)身を滅ぼすことになりかねず、敬して遠ざけるのが賢明と考えられ、現に幾つもの武家政権などにはそのように扱われてきた存在。

「日出づる処の天子」こと天皇ないし天皇制という仕組みそのものが、もしかすると、今は野に埋もれている人々に、チャンスと強烈な試練を与え、世を作り替える原動力となる一方、そうした時代の転換を受け入れることができなければ、主要な担い手(後鳥羽上皇など)であっても転落を強いる、そうした側面を持っているのかもしれません。

クールビズと小泉内閣と刑事法廷

先日より、旧ブログ(平成25年の切替前)の投稿を幾つか再掲していますが、今回は平成20年の夏に投稿したクールビズに関する投稿を載せました。

今では刑事法廷もクールビズが当たり前になっていると認識しており、駆け出し時代(平成12年)の夏の大阪簡裁出張で、出廷した人々が半袖シャツ姿で、スーツは私一人だけ?だったのに驚愕したことも含め、時代の違いを懐かしく感じさせます。

****

今年(平成20年)の夏は「クールビズ」にあやかって、ほぼ完全にノーネクタイを通させていただきましたが、あまりの快適さに、これまでの自分は奴隷のように首に縄をつけて仕事をしていたのだろうかと思わずにはいられないほどでした。

ところで、クールビズは、小泉内閣なかんずく小池環境相(当時)の音頭で花開いたものですが、郵政改革のような効果が見えにくいものを除いた「分かりやすい政策」としては、私が感じる限り、国民生活に直結する施策で、これほど国民にとって有益なものは近年なかったのではないかと感じます。

旗振り役(環境相)を小池氏が務めたというのも適切な人事というほかなく(失礼ながら、その後の環境相の面々は、なんとなく華のない方々ばかり続いている印象で、旗振り役は務まらなかったでしょう)、大臣が「良い仕事」をしているのをあまり見受けない最近の政治状況に照らせば、懐かしさすら感じてしまいます。

ただ、正直言うと、小泉内閣当時は、私もその良さを認識できず、どちらかといえばネクタイ派であり(昨年までは法廷や接客時にはすべてネクタイをしていました)、下らないことばかりやっていると冷ややかに見ていました。

また、私は、現在は感謝していますが、他方、当時を顧みてクールビズ運動を素晴らしい政策であったと賞賛する報道などというものに接した記憶がありません。

井沢元彦氏の「逆説の日本史」には、信長が苦心して教団勢力を撃滅した結果、日本では宗教(教団)的教義に囚われない自由な精神が国民に広がったものの信長の功績が正当に評価されていないと論ずる下りがあり、「社会に有益なパラダイムシフト(社会の仕組に関る大きな価値の転換)がもたらされる場合ほど、それを生んだ偉大な行為が忘れ去られやすい」という趣旨のことが述べられていたと記憶していますが、多少はそれに通じる面があるのかもしれません。

ただ、夏の期間にたった一度だけあった刑事法廷では、裁判官も書記官も検察官も全員ネクタイ着用で、検察官に至っては上着まで着ており、なんとなく肩身の狭い思いをさせられました。

先般、裁判員裁判では、身柄拘束中の被告人もネクタイ(類似のもの)を着用できるようになったという話を聞きましたが、ネクタイを欲しがる理由が多少とも理解できました。

それ以前の問題として、夏は刑事法廷からもネクタイを追放しようと運動して欲しいところではありますが。

(2008年8月31日)

中央大学の志(こころざし)と「Think Global, Act Central」

今回も旧ブログに平成19年に投稿したものの再掲です。当時は、まだ盛岡青年会議所に入会して3年目ほどの身であり、何もかもが懐かしい思い出です。

***

先日、盛岡JCのメンバー(OB含む)のうち中央大学出身者の方だけで集まりがあり、私も参加してきました。

集まりといっても10人弱程度の人数でしたが、盛岡JCで理事長など重要役職を担ってきた方が少なくなく、今にも幽霊会員になりそうな怠け者の私とは大違いというか、中央大学の面目躍如といった感がありました。

で、その中で、ある大物OBの方が、

「自分が盛岡JCの運営をしていた十数年前、『Think Global,Act Local』という言葉を盛んに提唱したが、『Local』というのは『Central』(中央)の対義語で、田舎・辺境という意味があってよくない。

その後に興った地方分権の流れからは、『Act Regional』と言っていれば、先駆的なものとして評価されたのではないか」

と仰っていました。

ただ、「Regional」というのは、地域・地方といったこと(地理的概念)を意味する言葉のようですので、地球全体のことを学んだ上で、そのことを、どのような観点・姿勢でもって地域に活かそうとしているのかまでは伝わってきません。

そこで、地球全体のことを学んだ上で、自分達の地域から新しい物事を起こして地球全体をよりよく変えていく起爆剤にしようという気概を抱くのなら、「Regional」ではなく、自らが新たな時代の中心たらんとする「Act Central」とでも称するのが適切ではないかと思いました。

そもそも英語として成り立っているか分かりませんが、意訳?すれば、

地球全体のことを考え、我こそが社会の中心たらんと全力を尽くせ

といったところでしょうか。

秦の始皇帝や清朝、或いは明治維新を引き合いに出すまでもなく、歴史の変革は、辺境の民が中央の文明と辺境の知恵、或いは外国の新たな潮流などを学ぶことによって、新たに作り出されることが少なくありません。

地方のリーダーとして生きる人達には、『Think Global , Act Central(from your region)』とでも標榜し、大都市圏に隙あらば新たな時代の中心に取って代わらんとする野心や気概を持っていただきたいものです。

中央大学とひっかけた洒落の類じゃないか、という話はさておくとして・・・(笑?)

(2007年4月6日掲載の内容を微修正)