北奥法律事務所

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2016年

日本国憲法の根本原理を語るメルケル首相と、安倍首相との好対照

トランプ氏が米国大統領選挙に当選したことに伴って、警戒から歓迎まで様々な観測や他国関係者の言動などに関する記事が入り乱れていますが、ドイツのメルケル首相の同氏への祝辞を取り上げた下記のネット記事には、憲法学を学んだものとして、強く印象を受けました。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/219486/111100022/?P=1

メルケル首相の祝辞は、選挙期間中に外国人やマイノリティへの辛辣ないし敵対的な言動が多く見られたことを踏まえて、トランプ氏に個人の尊厳を守るように強く迫ったものとなっており、記事では、そうした発想ないし表明もないまま手放しで迎合している感のある安倍首相と好対照(というか、日本の対応は残念なものである)と述べられていますが、恐らく日本の法律家の多くが、同じような感慨を抱いたはずです。

大学で憲法を勉強した人にとっては、日本国憲法の最高原理(根本目的)が個人の尊厳(13条)であることは自明・常識ですが、私の頃の小学校の授業では「国民主権、平和主義、基本的人権」は出てきたものの、個人の尊厳は聞いた記憶がなく、他に、教育・報道・政府広報等の類を問わず、そうしたことをきちんと国民に伝えているようなものを見た記憶がありません。

ですので、上記の「常識」感覚が一般の方には浸透しているだろうかと不安に感じたりもする、というのが正直なところです(条文の位置や体裁にインパクトを欠く点にも原因がありそうに思いますが)。

ブログ等で人様の悪口を書くのは好みませんので(本業で十分です)、安倍首相の祝辞にあれこれ申すつもりはありませんが、個人(人間)の尊厳が冒頭に来ているというドイツ基本法や国のリーダーがご自分の言葉で尊厳のあり方を語っている光景をいささか羨ましく感じます。

と共に、翻って、ドイツ基本法では個人の尊厳が第1条に設けられているのに対し、日本国憲法の第1条は象徴天皇制を掲げており、天皇制云々の当否はともかく、こうした日本国憲法の仕組みや諸外国との対比などという観点も含めて、改めて色々と考えさせられる面があります。

象徴天皇制(及びそれを担う人的実在としての昭和・平成の両天皇)の有り難みを享受してきた戦後日本は、「王殺し(革命)の国」の淋しさを感じずに済む反面、公というもののあり方について、ある種の他力本願的な体質を持たざるを得ない(それが国民にとっての「分相応」になってしまう)という弊害を生じさせているのでしょうか。

或いは、安倍首相とメルケル首相の祝辞の違いについて、単純に前者を批判するばかりでなく、そうした観点も交えて考えてみるのも意義があるのかもしれません。

「魔女のパン屋さん」の盛岡降臨と麺サミットに忘れ去られた南部はっと鍋、そして北東北の粉もん文化

大食い番組ファンやTVチャンピオンのファンの方なら、「魔女」の称号で親しまれた盛岡の主婦・菅原初代さんはご存知だと思いますが、先日の岩手日報で、岩手大学の近くに菅原さんが12月にパン屋さんを開店するとの記事が出ていました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20161118_1

記事の「試作」の文字を見て「試食」の読み違えではと思った人は私だけではないでしょうが、それはさておき、原敬や新渡戸稲造は知らないが菅原さんは知っているという日本国民は多数おられるでしょうから、ご本人もさることながら、盛岡の新名所として多くの方々に盛り上げていただければと思います。

ところで、パンと並ぶ粉食文化と言えば、ラーメン、蕎麦、饂飩などの麺類でしょうが、11月上旬に盛岡で「麺サミット」なるイベントが開催されていました。残念ながら家族が関心を示さず私も首が廻らなかったため食べに行けなかったのですが、「盛岡三大麺」と称される、冷麺・じゃじゃ麺・わんこそばの著名店の店主さん達が地元メディアに多く露出するなど、それなりに盛り上がっていたようです。
http://www.mensummit.jp/

ただ、そうした光景を見て何か物足りないなぁと感じながら街を自転車で横切っていたところ、ある郷土料理の飲食店で「南部はっと鍋」の看板が出ているのに気づきました。

かつて、盛岡市内では「三大麺」だけでなく、南部はっと鍋も加えて「四大麺」と称したり、最近では、これに地元産の小麦を用いた「南部生パスタ」を含めて「五大麺」だと標榜するキャンペーンがありましたが、今では双方とも忘れられつつあるのが現実ではないかと思われます。5年ほど前に、この件に関心を持って調べたことがあり、その際は、「四大麺」を喧伝するサイトは幾つかあったような記憶ですが、今は見る影もありません。
http://kanmado.com/article/14725932.html
http://tabijikan.jp/2014/05/27/2256/

ただ、地元産の食材を用いているだけで料理そのものに他地域にない独自色があるとは思えない「生パスタ」はまだしも、南部はっと鍋については、地元の山海の食材と一緒にいただくものですので、もっと地域内で盛り上げる努力があっても良いのでは?と疑問に感じないでもありません。

とりわけ、南部はっと鍋の誕生について調べてみると、1987年(昭和62年)に岩手生めん協同組合が開発・提案して市内の著名な飲食店に推奨した商品なのだそうで、そのような開発経緯は1986年(昭和61年)に盛岡で第1回麺サミットが開催されたことと、何か関係があるのでは(第1回麺サミットに触発されて地元関係者が開発したのでは?)と推測せざるを得ません。
http://i-namamen.com/profile.html
http://morioka.keizai.biz/headline/2061/

だとすれば、聞くところでは、「盛岡冷麺(特に、ぴょんぴょん舎)」が盛岡で最も著名な(今では東京進出等もなさっている)お店になった端緒が第1回麺サミットにあると言われているのに対し、同じ時期に生まれた「南部はっと鍋」は、「あれから30年」を経て、まるで好対照をなすかのように明暗を分けたわけで、ぜひ、サミットで「南部はっと鍋」の総括や再生を考えて欲しかったように思います。

とりわけ、蕎麦はともかく、盛岡冷麺やじゃじゃ麺は大戦前後の事情により盛岡に移住した朝鮮半島出身の方や大陸から引き揚げた方が創出した食べ物で、北東北の粉食文化の歴史にとっては新参者と言ってよいはずです。

そして、言うまでも無いことですが、北東北は、もともと戦前までは技術的に稲作が難しかった関係で粉食文化の盛んな土地で、いわゆる蕎麦に限らず、はっと、ひっつみ、かっけ(蕎麦・麦)など、地味ながら多様な料理が作られてきた土地であり、その根底には、縄文の粉食文化(木の実をすり潰して食べていたこと)があるのではとも考えられます(盛岡は中華麺でも都道府県所在地統計では消費量全国トップクラスとされ、その背景にも粉食文化の歴史があると見るべきなのでしょう)。

そんな訳ですので、新興勢力を敵視するわけではありませんが、従来勢力にも、伝統スタイルであれ新たな調理法の提案であれ、頑張っていただかないと(或いは、従来勢力も盛り上げるような関係者のご尽力がないと)地域の歴史、文化のあり方という観点に照らしても、寂しいものがあると言わざるを得ません。

そうしたことを通じて、麺に限らずパンを含めた様々な粉食の融合と新たな食文化の発信が、北東北の地から盛んになってくれればと思います。

米国も、なんだかんだ言われながらも二大政党による政権交代の文化が今も続いているように、盛岡の「B級グルメ文化」も、冷麺・じゃじゃ麺(商売熱心な新興勢力=民主党)だけで良しとするのでなく、従来勢力(共和党のラストベルトっぽい面々?)にも光をあてる営みを盛んにしていただけないかと、子供の頃からひっつみ(や金次屋の中華そば)を好んで食べて育った私としては願うばかりです。そんなわけで一句。

推しメンを 忘れた街で はっとする

余談ながら、冒頭の菅原さんが世間で活躍なさったり、こうしてお店を開店された背景にも、ご家族など周囲の様々な支えがあったものと思われます。

この仕事を通じて女性のパワーを感じる機会に恵まれる?身としては、「女性活躍」などと政府がキャンペーンするまでもなく、男女とも末永く様々な形で輝くことができる社会のあり方を構築する努力が、現代では特に問われているのだと感じていますが、そんなことを思いつつ、当家のサステナビリティを願って一首。

古女房 はっと気づいた有り難み そばで盛り立て かっけ~姿を

しかし、現実は、あの日が近づくたびに恐怖するのが正直なところです。

誕生日 はっとする頬 ひっつねる 

ちなみに、末尾の写真は、引用のブログでも掲載している、私の実家で作ったひっつみの画像です。

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スーパードクターXvsへっぽこロイヤーZ、そして家政婦ならぬ町弁が見た「リアル御意軍団」の顛末

米倉涼子氏主演の「ドクターX」は、家族の強い希望により、私もシリーズ第1回からほぼ全てビデオ録画して深夜に一緒に拝見しています。

あれこれ申すまでもなく、主人公の一挙手一投足が主役として華がある(キャラが立っている)ため、その点では見応えがありますが、ストーリーという点で言えば、勧善懲悪バリバリというか、「正義と正義の対決」という構成ではないため、後者のような物語を好む私としては、もう勘弁してというのが正直なところです。

熱心なファンの方のコメントによれば、ストーリーではなく様式美を楽しむ作品とのことで、そうした意味では現代の水戸黄門と言って良いのかもしれません。私は幼年期に祖母と一緒に「水戸黄門」や「江戸を斬る」など(TBSの午後8時のシリーズ)を見ており、今も昔もその種の物語を好む女性が多いのだろうかと感じたりもします。

そう考えていると、水戸黄門を見ていた頃(物心つく前後)に「乾いた町の か~たすみぃ~で~」という歌で始まるインパクトの強い時代劇があったのを思い出したので、ネットで調べたところ、杉良太郎氏の主演で同氏の代表作の一つとされる「新五捕物帳」という番組(テーマ曲は「江戸の黒豹」)であることが分かりました。

で、オープニングテーマ映像などを改めて拝聴したところ、「杉サマ」の男の色気全開(しかも勧善懲悪型のハードボイルド時代劇)という感じの番組で、水戸黄門よりこちらの方が「昔版・ドクターX」という感じがします。そう考えると、双方のテーマ曲の雰囲気も、微妙に似ているような感じがしないこともありません(米倉氏も「黒豹」という形容がよく似合います)。

それはさておき、ドクターXというドラマは大病院を舞台にした番組ですが、登場する医師達の醜態を見ていると、いくらなんでも現実の医師や医療とはかけ離れているだろう(現実の医療を批判ないし風刺することを目的とした医療ドラマではなく、番組の本当の意図ないしメッセージは別のところにあるのだろう)と感じるのは、私だけではないだろうと思います。

言い換えれば、この番組が人気があるのは、「医療ドラマ」だからではなく、病院組織を素材にしつつ、大衆(熱烈ファンである女性などの層)のニーズがある別のテーマを描いて(風刺して)いるからではないかと思います。

ありふれたコメントかもしれませんが、視聴者である、自分が帰属する社会(ムラ)の中にいる、少し孤独な「あたし」は現実の中では多少とも不遇な目に遭っていると感じ、心の底で「本当の凄いあたし」の具現化を求め、その気持ちを一匹狼のスーパードクターである(が決して偉くならない)大門医師に投影している、だからこそ、敵役は「残念なあたし」の周囲に現実にいる(と視聴者が感じている)「残念なオトコ共」で構成されているのではないか、要するに、メインターゲットたる視聴者女性が感じている閉塞感を体現する現実の企業その他のムラ社会への風刺やカタルシスなどがテーマになっているのだろうというのが、雑駁とした感想です。

また、杉サマのドラマ=新五捕物帳(主人公の活躍だけでは解決できない当時の社会悪を描くことが多かったようです)との違いとして、視聴者のニーズの違いもさることながら、当時は戦後の混乱期などに生じた多くの庶民の悲惨な出来事の記憶がまだ残っていた時代であるのに対し、今はそうした話は滅多に聞かなくなってきたことも関係していると考えてよいかもしれません。

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ところで、このドラマは男性医師陣の見苦しい「御意」っぷりが名物になっていますが、権力者に群がる腰巾着的な臭いのする方々というものであれば、私もそれらしい光景を見たことがないわけではありません。

東京時代の経験ですが、勤務先のボスが、ある大物政治家の方(当時、ある巨大自治体の首長をなさっていました)と懇意にしており、2度ほど、その方との食事会に参加させていただいたことがあります。

で、2回目の会食のとき、秘書又は自治体の幹部職員(だったか)の方々が沢山いらしていたのですが、その方々の様子が、いささか御意軍団っぽいところがありました。

少し具体的に言うと、その方(A氏)と私がお仕えしたボスは同じ年代で、昔からの仲良しだそうなのですが、お二人ともご高齢で酒量を控えなければならないせいか?、A氏の「部下」の方々(6~7人くらい)が、まだ「駆け出し(に毛が生えた程度)」のキャリアに過ぎない私や兄弁の席に次々にお酒を注ぎにいらして、ちょっとしたヨイショ言動も交えつつ、杯をいくら明けても(或いは、もうこれ以上は勘弁して下さいと何度もお伝えしても)一向に解放してくれず、囲むようにしてお酒(私には分不相応の高級中華料理店でしたので、紹興酒)を延々と注がれ続け、ようやく終わった頃には私も兄弁も、ほぼ泥酔状態で参りましたという感じでした。

このような展開になったのは、前振りとして、ボスやA氏が「自分達は多くは飲めないから、二人に飲ませてやって欲しい」と仰っていたためと記憶していますが、以前からA氏関連の仕事をボスから指示を受けて多少は担当していた兄弁はまだしも、A氏絡みの仕事にはほとんど関わったことのない私にまで揃いも揃って過剰なまでに恭しいへりくだった態度で、率直に言って奇異というか異様に感じました。

そのため「私なんぞにこんな接し方をする理由はないのに敢えてそうするのは、ボスがA氏と懇意にしているからだろうけど、この様子では、この人達は恐らく普段もA氏の腰巾着として振る舞っているのだろう、でも、そんな人ばかり周囲に集めて、A氏は政治家として大丈夫だろうか?」と感じずにはいられない面がありました。

もちろん、下っ端駆け出しに過ぎない私としては、そのような「ヨイショ酒盛り」なんかより、その方々が政治家の秘書や自治体幹部としてA氏や自治体の運営をどのように支え、どのようなことに苦労・苦悩してきたのかという「異業種の先輩実務家としての骨太な話」こそ拝聴したかったわけですが、その方々からは、残念ながらそのような話が聞けるような雰囲気ではない(その際の様子だけで言えば、率直に言って薄っぺらい)との印象がありました。

で、そうした土壌にこそ悪い芽が育つというべきなのか、それから程なくして、A氏自身ではないもののA氏の周辺で大きな問題が発覚し、一大刑事事件に発展しました。事務所で一番下っ端の私は関わる機会はなく、ボスと兄弁、私と入れ替わりで独立した元兄弁(とてつもなく優秀な方で、業界内でも玄人筋に相応の知名度があります)のほか、特捜出身のヤメ検の先生がサポートに入るなどしてA氏自身に不当に累が及ばないよう様々な協議、対応をしていたようで、結論として、A氏は監督責任をとって辞任・引退を余儀なくされたものの、ご自身が不正行為に手を染めていないことを理由に、刑事事件で摘発されることはありませんでした。

お名前を出すことはできませんが(思い当たる人がいるという方も私には言わないで下さい)、昭和の政治史で相応の役割を発揮された大物政治家であり、功績や経歴、ご本人のお人柄などに照らしても、政治家としては非常に残念な最期を迎えたことになります。

私自身は、上記の食事会でお会いした「A氏のスタッフ」の方々と再会する機会は全くありませんでしたが、兄弁からは「あの人達は宴会のときはああだったが、昼間の仕事ぶりは全然違うぞ」とか「A氏が辛い思いをしているときにこそ熱心に支えていた」いうような話は聞いていませんので、推して知るべしなのかもしれません。

そうした光景をボスがどのように感じていたのか、一度伺いたかったものの、私にとっても畏れ多いボスだったせいか、そうしたことをお尋ねする機会も得られないまま勤務先を離れて岩手に戻り、今はボスも天に召されてしまいました。

今にして思えば、その食事会で部下の方々がヨイショモードだったのは、その後の展開(事件発覚とボスへの依頼が不可避であること)を見越してのことだったのかもしれませんが、そのことも知る術がありません。

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ところで、私自身は良くも悪くも零細事務所を一人で経営する一匹狼の孤独な弁護士ですので(事務局の助力等は日々享受していますが)、能力云々はさておき、大門医師の生き様を見ていると自分と重なる面を感じることがないわけではありません(メロンはもちろんのこと高額報酬にも今はほとんどご縁がありませんが)。

ですので、徹夜で重い起案をこなした後の早朝の朝日を浴びたときなどに、思わずテーマ曲が口笛に出てくることもないわけではありませんが、私がオープニングのナレーションを真似するとすれば、こんな感じになるでしょうか。

これは一匹狼の弁護士の話である。
 
司法改革で弁護士業界の秩序は崩壊し、
社会正義のやりとりをする法曹界もついに弱肉強食の時代に突入した。

その危機的な法律実務の穴埋めに現れたのが
フリーランス、すなわち、一匹狼の町弁である。

たとえば、この男。 群れに馴染めず、
権威にも、束縛する権力者にもご縁がなく。

司法試験のライセンスと叩き上げのスキルだけが奴の武器だ。
弁護士、小保内義和。またの名を、ロイヤーZ???

・・・ジャンプ漫画の真似なら余所でやってくださいとか、どこで売ってるドリンク剤ですかとか、アンドロイド山田の間違いでしょ、などといったコメントは謹んで遠慮させていただきます。

「義・支援金が家庭を壊す光景」と養育費不払問題の完全解決策としての「給与分割」提唱の辞

先日、弁政連岩手支部の企画で、年に1回ほど行っている岩手の県議会議員さん方と地元弁護士らとの懇談会に参加してきました。

今年は、例年どおり、震災絡み(被災者・被災地が直面する各種の法律問題)がメインテーマとなったほか、法テラス特例法の延長問題、成年後見制度への行政支援の強化(市町村申立やいわゆる市民後見人の育成など)、離婚等に伴い女性・子供が直面している法律問題の紹介(を通じた議会への支援要請)といったことが取り上げられました。

2年ほど前から釜石の「日弁連ひまわり事務所」に赴任している加藤先生から、被災地の弁護士に多く寄せられている相談・依頼の例に関する紹介があったのですが、その中で、「義援金・支援金の受領に関し、直接の受給者=世帯主が受領金を独占するなどして家族内で不和・紛争が生じている」との紹介がありました。

この問題は、私が震災直後の時期(2年ほど)に最も多く相談を受けた類型で、「いっそ不当利得返還請求訴訟をしたらどうですか(弁護士への依頼が費用対効果的に問題があるなら、本人訴訟用の書面作成くらいならやりますよ)」と説明していたこともあっただけに(残念ながら、結局ご依頼は一度もありませんでしたが)、懐かしく感じて、私も珍しく挙手して補足発言をさせていただきました。

改めて感じたのは、この問題は、誤解を恐れずに言えば「以前から不和の種があった不穏な家庭に役所が不公平な態様でお金を渡すことで、油を蒔いて点火させ、その家庭を役所がぶっ壊した」と言っても過言ではないのではということであり、だからこそ、行政は受給者に広くアンケート調査をして「貰って有り難かった人・家庭」もいれば、「そんなカネが配られたことで、かえって悲惨な事態になった人・家庭」もいるのではないかという現実を、きちんと把握、総括し、そうした「現金給付政策」の当否ないしあり方について検討すべき責任があるのではないかと考えます。

ご承知のとおり、現在の給付制度のあり方(世帯主給付)に対しては、世帯主ではなく個人単位にすべき(世帯主給付にしたいなら全員の同意書を要請し、それが得られなければ個人給付にするとか、世帯主を窓口にするにせよ給付の利益は各人が有する旨を制度で明示するなど)といったことを、日弁連など?が提言しています。

そうしたことの当否を明らかにする意味でも、今こそ(すでに時を失した感はありますが)、被災地住民を対象とする大規模調査が行われるべきではないかと声を大にして述べたいです。

ちなみに、今年の2月の弁政連懇談会について触れたブログでも、この件について取り上げていますので、関心のある方はぜひご覧ください。

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ところで、県議さんとの懇談の際、S先生から養育費の不払問題について詳細な報告がなされていたのですが、それを聞いているうちに、いっそ給与についても、年金分割のように「義務者を介さない受給者への直接給付制度(給与分割制度)」を作るべきでは?と思いました。

すなわち、義務者の勤務先が、「養育費の権利者(親権者又は子の名義)」の口座に直接に支払う制度を作れば、給与の全額を受領した義務者による不払という問題は根本的に解決されることになります。

こんな簡単で抜本的なことを誰も言い出さなかったのだろうかと不思議に思ってネット検索してみても、その種の提言を見つけることはできず、FBで少し聞いてみたところ、給与分割ではないものの、日弁連が「国による養育費の立替(と不払者への国からの求償)」の制度を提言していたとの紹介を受けました(私も過去に読んだ記憶があり、すっかり忘れていました)。

ただ、日弁連意見書の理念に反対する考えはないのですが、「立替制度」だと財源をはじめ導入に必要な作業・工程が多そうですので、給与分割方式の方が手っ取り早く導入できそうな気がします。

さらに言えば、国の立替方式は、実質的には国が育児費用を給付する性質を帯びることから、「子を育てるのは誰か」という家族観ひいては憲法観の問題に関わりそうで、その点でも、議論百出=導入できたとしても時間がかかるのではと感じます(議論そのものは盛んになるべきだと思ってますが)。

私が考える「養育費等の支払のための給与分割制度」は次のようなものです。

①まず、子のいる夫婦の協議離婚については、親権者の指定をするのと同様に、原則として養育費の合意が必要とし(紛糾すれば調停・訴訟により解決)、合意した額を、家庭裁判所の認証(これがないと不相当な額になるため。なお、認証作業は裁判所から指定された弁護士が行う等できるものとすれば業界的にはグッド)のもと、離婚届に記載する(調停離婚等ならその届出時に調書等を添えて養育費の額も役所に申告する)

②その届出を受けた役所が、マイナンバー制度を通じて?義務者の勤務先に通知→勤務先は、義務者の給与から養育費相当額を天引して権利者の指定口座に直接に送金する(但し、分割は義務ではなく、権利者の同意があれば直接送金や供託等の処理も可能とする)、

婚姻費用についても、同意又は審判に基づき定めた額を対象とする給与分割を実施できるものとする(役所に届出→マイナンバー等(社会保険等)を通じて?勤務先への通知)。

これにより養育費等の不払問題は根底から解決するでしょうから、日弁連(子ども関連委員会?)がこれを提唱しないのは怠慢の極みでは?と思わないでもありません。

マイナンバー制度の導入に伴って、離婚等に伴う給与や退職金の分割制度もやろうと思えば確実にできるのではないかと思っているのですが、マイナンバーそのものに否定的?な日弁連に旗振りを期待するのは無理なのかもしれません。

ただ、この制度が実現すれば、高金利引下げと同様にまた一つ弁護士の仕事分野(養育費債権回収)が無くなるわけで、町弁の皆さんますます貧困~♪(ラップ調に)と思わないでもありません。

なお、こうした制度に反対する方(養育費の支払確保の必要を前提としつつ給与分割という方法自体に反対する方)がどのような反論をするかと想定した場合、その根拠として、①給与天引制度が作られると、離婚や別居の事実を無関係の第三者(職場関係者)に知られることになる(情報漏れ等を含むプライバシー問題)と、②天引制度を通じて特定人(養育費等の義務者)の諸情報(勤務先から離婚等の事実・養育費等の額まで)を国が一元的に把握・管理することへの不安(ソフトな情報管理・監視社会への恐怖)の2点が挙げられるのではないかと思っています。

①については、天引ありきでなく、権利者が同意すれば(或いは義務者の申立に正当な理由があるとして裁判所の許可を得ることができれば)天引をせずに自主支払とすることができる(のでプライバシーOK)とした上で、不払等の不誠実事由があれば権利者はいつでも天引の導入を役所に要請できる(申立も簡易な手続でOK)とすれば、きちんと履行する真面目な義務者に不利益を課さずに済む(不誠実な義務者に即時の措置を打てる)ので、それで対処可能と考えます。

これに対し、②については、まさに価値判断の問題で、そうした管理社会的な流れを危惧する(ので住基ネットやマイナンバー等に反対する)方の心情も理解できるだけに、悩ましいところだと思います。

ただ、なんと言っても、「自分では権利主張(確保手段を講じること)が困難な子供の権利・利益を守ること」こそが大鉄則であることは明らかでしょうから、それを前提に、ドラスティックな制度の弊害の緩和なども考えながら、世論の喚起や理解を得る努力を図っていくべきなのでは(少なくとも、当然に支払われるべきものに執行の諸負担を負わせるのは絶対に間違っている)というのが、とりあえずの結論です。

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ところで、今回のブログで取り上げた二つのテーマ(義・支援金の内部紛争と養育費等)は、一見すると無関係のように見えますが、家庭の内部紛争という点では同じです(前者は行政から支給されるもの、後者は家庭内の扶養義務者が支払うべきものという違いはありますが)。

日弁連などは、ともすれば公権力に対し社会的弱者に救済のための公金を拠出せよということばかり強調しがちですが、財政難云々で税金から巨額の拠出を求めることのハードルの高さ(時に不適切さ)が強調される昨今では、それ以上に、「税金に頼らずとも「民」の内部で解決できる仕組み」や民間=家庭の内部の意識等の質を高める仕組み、ひいては法やその担い手(弁護士)がそのことに、どのように関わっていくか(役立つか)という視点を中心に、制度のあり方を考えていただくことも必要ではないかと感じています。

そもそも、「国にあれしてくれ、これしてくれ」とばかり主張するに過ぎないのなら、およそ国民主権の精神に反する(国に何かをしてくれと求めるよりも、自分が国・社会・周囲の人々のため何ができるか、すべきかを考え実践するのが主権者のあるべき姿ではないのか)と思いますし。

余談ながら、今回の弁政連の「県議さん達との懇親会(宴会)」も前回と同様、当家は家族の都合が第一ということで、私は帰宅せざるを得ませんでした。

まあ、当方の営業実績は昨年の今頃と同じく試練の真っ只中ですので、金持ちでもないのに交際費を拠出しなくて済んだと思わないでもありませんが、「私の祖父は県議だったんですよ~」と親近感をアピールして県議さん達を相手にヘコヘコと営業活動に勤しむ・・などという野望?はいつになることやらです。

まあ、上記の発言は、「でも、そのせいで実家の商売は潰れかけたので、政治は御法度というのが家訓なんですけどね」というオチがありますので、県議さん達に話しても嫌な顔をされるだけでしょうけど・・

男女間の様々な法的紛争に関するミニ講義とその意義

昨日は、盛岡JCの先輩で、地域のご婦人方のネットワークを構築して様々なイベントなどの事業を行っているTさんのお誘いで、Tさんが主宰するグループの会員である十数名のご婦人方を対象に、男女に関する様々な法律問題(離婚、不貞、その他の男女間紛争、子を巡る問題など)について、「男と女と家族の事件簿」との演題で、お話をさせていただきました。

過去にご相談等を受けた例や業界内で著名な裁判例をもとに「大家族のメンバー全員に、不和や不倫、子の奪い合い、婚姻外の交際破綻など次々に紛争が発生する」という、昼ドラ好きの方々のニーズに合致しそうな?架空の事例を考えて、それをもとに色々と論点をご説明しましたが、盛り沢山すぎて時間が足りず、論点の大半を超特急で済ませてしまいました。

他方、最後のフリートーク(近時の芸能人の事件絡みなど)がやっぱり一番盛り上がったので、いっそ何も準備しないで30分以上のフリートークにした方が良かったかも・・と、少し思いました。

男女や親子、相続など、ご家庭に関するトラブルの解決や紛争の予防のためのご相談、ご依頼は日常的に承っていますので、個別のご相談等だけでなく、こうした形で、町弁の仕事について(守秘義務の範囲内で)気軽にお話を聞いていただく機会を頂戴し、願わくば、それを通じて「法の支配(まっとうなルールによって人と社会をよりよく育てていくこと)」について理解を深めて機会をいただければと思っています。

もちろん、今回のミニ講義でも、最も大事なことは憲法13条と24条=個人の尊厳と両性の本質的平等である、という形でまとめさせていただいています。

などと考えつつ帰路についたところ「会場にコート忘れましたよ」の電話が・・・。実は、2週間前にも二戸支部でコートを忘れており、今期2度目の失態で、公言が憚られる他の忘れ物話も含め、このままでは「物忘れ王」一直線になりかねないと危惧するばかりです。

空家問題や「お隣さんから降って湧いた災難」の費用保険と行政支援

先日、法テラス気仙のご相談で、「隣の家の木の枝が越境して雨樋に落ち葉が溜まるなどの被害に遭って困っている」とのご相談を受けました。

それなら土地の所有者に切除請求(民法233条)すればいいじゃないかと思ったら、案の定というか、所有者はすでに亡くなり法定相続人は相続放棄したようだとの説明がありました。近時は、こうした「問題が生じているが、解決を申し入れるべき相手が誰であるか判然としない」というご相談は珍しくありません。

そのため、私からは、

①その問題を解決したいのであれば、所有者の相続人の調査(相続放棄したのであれば、申述受理証明書の交付要請を含め)を行い、その上で、相続財産管理人の選任を申し立て、選任された管理人に対し切除請求をするほかないこと、

②相続財産管理人の申立・選任の際は、当該所有者(被相続人)に十分な金融資産があることが判明しているのでなければ、相応の予納金の納付=自己負担が必要となること、また、選任申立も弁護士等に依頼するのであれば、一定の費用を要すること(フルコースで40~50万円前後?)、

③その上で、所有者が無資力(問題となる土地以外には資産がない)とのことであれば、管理人の同意を得る形で、自己負担で切除作業をするほかないこと、

④但し、その土地を売却して十分な現金が形成できるなら(管理人は職責としてそれを行う必要がある)、予納金の自己負担はなく、債権者として切除費用等を回収できる可能性があること、

を説明しました。ただ、毎度ながら、そうした問題を相談してくるのは高齢の方(しかもお一人)というのが通例で、ご自身では手間も費用も負担困難との理由で、そのまま放置(或いは、実害がないので違法を承知で仕方なく無断切除する)という展開もありうるのかもしれないとは感じました。

こうした問題に限らず、近年は「隣地に何らかの問題が生じ、当方の所有地(自宅等)に何らかの被害が生じているが、隣地所有者側にはきちんと対処できる者がいないというケースは、年々増加していると思います(上記のように死亡→全員放棄のほか、所有者が存命なれども「困った人」であるとか、所在不明、要後見状態(かつ後見人等の選定なし)といったパターンもあります)。

無縁社会・人口減少社会などと言われる現代では、そうした現象が生じるのは避けがたい面がありますが、その近所で生活する方にとっては、自身に何ら落ち度がないのに、突如、著しい手間と高額な費用を投入しなければ解決できない問題に直面することを余儀なくされるため、どうして自分が重い負担を強いられなければならないのかと、強い不遇感に苛まれることになると思います。

そこで、例えば、そうした問題に対象できる保険制度があれば、被害を受けている近隣住民は、保険会社に申請すれば、保険会社が代理人(弁護士)を手配して上記①の調査や申立を行い、相続財産管理人の予納金や被相続人が無視力の場合の切除費用も保険で賄うことができ、さしたる労力や出費を要することなく、一挙に解決することができます。

これに対し、そのような都合よい保険制度が簡単に構築できるわけがないじゃないかと言われるかもしれませんが、上記のようなケースでは、不動産の売却して十分な売得金が得られれば、その代金から上記の各費用の大半ないし全部を回収することも不可能ではなく、保険会社の「持ち出し」を抑えることができることができるはずです(保険金支払により債権が保険会社に移転するタイプの保険を想定しています。なお、ご相談の件は無担保でしたし、そうした事案では無担保が珍しくありません。むしろ抵当事案の方が、競売により買受人が対処してくれる期待が持てるとすら言えます)。

よって、保険会社側にもさほどリスクの大きくない保険として早急に導入を検討いただいてもよいのではと思われます。少なくとも、相続財産管理人の申立や管理人として実務を担う弁護士の立場からすれば、当事者が一定の経費と若干の手間さえかけていただければ、概ね確実に解決できると感じるだけに、そうした問題が長期放置されることなく解決に向けて進めることができる仕組みを整備して欲しいと思います。

単独の保険として販売するのはハードルが高いでしょうが、火災保険などに附帯する特約として少額の保険料で販売すれば、相応の加入は得られると思います。そもそも、上記のようなケースでは保険会社の持ち出しも大した額になりませんので、弁護士費用特約のように少額の保険料で十分のはずです。保険の対象範囲を、空家問題だけでなく騒音など生活トラブルに関するものも含めれば、かなりの契約者が見込めるかもしれません。

さらに言えば、そうした保険商品が世に出るまでには相当の年月を要するでしょうから、少なくとも上記のような「相続放棄された土地の売却で概ね債権回収ができる事案」に対しては、行政が当事者に費用支援する(その代わり、支援した費用は債権譲渡等により行政が直接に売得金から回収できるようにする)という制度(行政の事業)が設けられてもよいのではと思います。

相当の債権回収ができる(いわば行政が立替をするに過ぎない)事案なら税負担もさほどのものではありませんし、それが「お試し」的に行われ、保険料を払ってでも利用したいという層が相当にあることが確認されれば、保険制度に引き継ぐ(行政は撤退する)こともできるはずです。

なお、上記の制度を構築するにあたっては、現在は「自腹扱い」とされるのが通例となっている相続財産管理人などの申立費用も事務管理などを理由に優先回収を認める扱いにしていただきたいと思っていますし、そのためには、行政・保険業界と司法当局(家裁や最高裁?)との協議などが必要になるのではと思っています。

ここ数年、配偶者や子のない高齢・熟年の方が、自宅不動産+α程度の資産だけを残して亡くなり、親族が相続放棄するため、その物件の管理や権利関係の処理などが問題となる例は多く生じており、私にとっても相続財産管理人の受任事件は、成年後見関係と並んで、ここ数年では最も受任件数が伸びている類型になっています。

特に、冒頭の事案のように、やむを得ない相続放棄などにより管理者不在となっている空家が増え、それが社会問題となっているという現状にあっては、それにより被害を被っている関係者の自主的な努力にのみ委ねるのではなく、負担の公正な分配を確保し、ひいては予防などに繋がるような仕組み作りが問われていると思います。

余談ながら、少し前に、法テラス気仙の相談件数が減少し存続が危ぶまれているという趣旨の投稿を書きましたが、運営者たる法テラスのお偉いさん方も、例えば、今回のように「実際の相談事例をもとに地域社会に注意喚起や問題提起をするような記事」を担当弁護士、司法書士らに作成させ、それを月1、2回の頻度で、自治体の公報や地元の新聞などに掲載させるなどの努力をすれば、かなり違ったんじゃないのかなぁと思います。

少なくとも、私がこんなところでボソボソ呟いていても、社会を変えることは微塵もできないでしょうから・・

この日の気仙の山々は紅葉のピークに入り、里の彩りは11月上旬ころまで続くと思われます。皆さんもぜひ、お出かけになって下さい。

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相続セミナーと夫婦岩

半年前の話で恐縮ですが、今年の春に明治安田生命さんから相続セミナーのご依頼を受け、岩手県内の5ヶ所(盛岡、北上、水沢、久慈、一関)で実施しました。1月にも同じ内容のセミナーを実施しており、前回の反省を踏まえて若干の修正をしてお伝えしました。

3月末は裁判所の都合により法廷が全く入らない時期になるのでお引き受けできたのですが、毎日のように自動車や新幹線で県内各地の長距離移動を余儀なくされ、講義の時間も含めて肉体的にはしんどい面はありました。幸い、受講者の方々からは概ね好評をいただいたようで、その点はホッとしています。

久慈のセミナーでは営業所のご希望で午前と午後の2回に分けて実施したのですが、昼休みに小袖海岸の「つりがね洞」に行ってみたいと思い、現地に向かったところ、小袖海岸の入口が通行止めになっており、山側に迂回路があるとの表示がありました。

そのため、片道5分程度で済むのならまだ時間はあると思って迂回路に向かうと、10分以上も山道をウロウロする羽目になり、最後に海女センターに到着したのですが、滞在できる時間が全く残っておらず、やむなく海岸の立派な夫婦岩と「じぇじぇじぇの碑」の写真だけを撮影して後にしました。

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そんなわけで、また時間のあるときに改めて来たいと思いますが、折角なので、この仕事を通じてお会いする様々なご夫婦や私自身のことも含めて色々と考えつつ一句。

たどり着くまでが じぇじぇじぇの 夫婦岩

先日も、離婚・不倫・親権など男女間紛争をテーマとするミニ講義の依頼をお引き受けし、11月13日(土)に実施予定となっていますが、今後も、相続の問題に限らず、様々な法律問題、裁判実務等についてセミナーなどのご要望がありましたら適宜お問い合せいただければ幸いです(私がどうしても口下手で早口なので、レジュメ依存の傾向があることはご容赦いただければと思いますが)。

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市役所が生じさせた不良債権に対し住民ができること

整骨院による診療報酬の不正請求に関するニュースは時折目にしますが、3年前(平成25年)に盛岡市の整骨院が診療報酬の架空請求をして支払を受けた後で自己破産をしたため、市などに8000万円を超える不良債権が生じたとの報道を見たことがあります。

当時の盛岡市は、この件や平川食品(地元の大手豆腐業者)の倒産などで市に巨額の不良債権が発生したとのニュースがよく出ており、4年前(平成24年)には市の発注工事で業者と市の担当者が詐欺・贈収賄で逮捕された事件もありましたが、それについても市に生じた損害が填補されたという報道は無かったと思います。

当時も今も、それらの問題について市の担当者などの責任を問う住民訴訟が起こされたとの報道もなく、昨年(平成27年)の盛岡市長選でもそうしたこと(具体的な予防策などを含め)が論点になることもなく、残念に感じています。

まあ、市長さんなどへの賠償請求を求めても、主導的な関わりをしていたのでもない限り判決を待たずに市議会の放棄議決で終了となってしまうかもしれませんが。

ですので、紛争をたきつける趣旨ではないのですが、市当局も、回収できませんでした、だけで終わってしまうのはあまりにも情けないというか、住民側が市政運営を監視し場合によっては関係者の責任を問うような、何らかの具体的な営みがあればと残念に感じてしまいます(市議会にその役割を求めるというのは無い物ねだりでしょうか?)。

行政の責任という点ではオンブズマンなどを称する市民団体の方により訴訟がなされる例も国内ではそれなりにありますが、現職・与党への糾弾を強く意識する政治色の強いものは私が関わることはないでしょうから、できれば「第二オンブズマン」とでもいうか、政治色の薄い「ノンポリ無党派の立場でも、これはいかがかという問題があれば、役所に物申したい(そうした形で市政参加ができる)」といった文化が形成されてくれれば、私にもお役に立てる場面が増えるのではと思われ、そうした萌芽が何らかの形であればと願っています。

「地方自治体の運営に対する監視」という点では、訴訟だけではなく、このブログでも以前から触れている包括外部監査制度もありますが、これも我が国(特に東日本)ではほとんど活用されておらず、可能なら、包括外部監査(専門家)と良識ある住民の双方による建設的な監視・関与の制度・文化が形成されてくれればと残念に思っています。

ジョークの類で恐縮ですが、新聞に入っている市民講座のチラシを見ていると、市役所が住民の法的素養を涵養するとの見地から、「初めての監査請求」「住民訴訟にチャレンジ」などという講座を開いていただいてもよいのではと思わないでもありません(弁護士も余ってきてますので、講師のなり手はいくらでもいますし。ただ、県内では住民訴訟の経験が豊富な人は恐らくごく僅かというのが玉にキズですが)。

私も、昔、本人訴訟で別な自治体を提訴していた方から法律的な論点について簡易な書面作成のご依頼を受けたことがありましたが、それ以外で住民訴訟に従事した記憶がなく、いずれの立場であれ関わる機会を与えていただければと感じています(ただ、行政が当事者となる訴訟は、いずれの立場でも大赤字になりやすく、なるべくボランティアではなく持続可能な程度の対価はいただければ幸いですが・・)。

余談ながら、当家は生協の共同購買を利用しているため、当時、平川食品さんの倒産で、これまで購入していた豆腐が入荷されなくなったというお知らせを見たときは、ちょっとしたショックというか寂しさを感じました。

(本稿は、平成25年6月に旧ブログに投稿した文章を微修正し再掲したものです)

地元自治体の代理人の悲喜こもごも

地方都市でしがないノンポリ町弁をしていると、いつかは地元の県庁や市町村などの代理人をやらせていただきたいと思うのが人情?かと思いますが、岩手に戻ってから十数年目にして初めて岩手県庁が当事者になっている裁判のご依頼をいただき、感無量などと思うゆとりもないまま、あくせく書面作成に追われています。

以前、県の様々な役職や顧問をされている大物の先生が「県の仕事って安いんだよね」と呟いていたのを聞いたことがあり、この点は全国共通らしいのですが、この件も、相手方の主張への対応もさることながら、ご担当の方が様々な資料等を送ってくるので、それらの確認、検討などを含めて必要となる作業量が膨大で、事件自体のやり甲斐や色々なことを学ぶ充実感に反比例して、経済的には泣きそうな思いをしながら仕事をしています。

時給換算では勝っても負けても事務所屈指の大赤字事件の一つになるのはほぼ確定ですが、当方に価格決定権がないことは申すまでもありません。

ちなみに現在の1位・2位は、今も延々と続く震災絡みの某大事件と、昨年末にどうにか終わった「子の引渡」などを含む深刻な夫婦間紛争だろうと思っています。もちろん、しんどい事件ほど大変学ぶところの大きいことも間違いありませんが。

一般論として、事件のスケールもさることながら、相手方又は当方のどちらかに「強烈な負の感情の持ち主」が絡んだり、私の介入前に錯綜とした紛糾状況が形成されてしまうと、説明なども含め非常に手間が増えて消耗を強いられる傾向はあります。

以前、FB上で他業種の方が「役所の受注仕事は不採算だ」と書いているのを見たことがありますが、他方で、建設業界などでは、談合云々で税金から巨利を得る事業者がいたり、「閑散とした公共施設」などの無用の事業に多額の税金が投入されるなどの現実もあり、そうした不均衡を是正するにはどうしたらよいのだろうなどと、余計なことばかり考えてしまいます。

そういえば、青森の「アニータ事件」では県が回収したお金の大半は受任した東京の大物先生やチリの弁護士の方の報酬に使われたという話を聞いたことがありますが、色々な意味でそうした話は例外なのかもしれません。

幸い、仕事の中身自体は十分にやり甲斐があるもので(中身は差し控えますが、岩手県がある分野で長年進めてきた政策の当否が問われており、多数の利害関係者がいるため、その事業に真摯に取り組んできた県民の方々の思いも背負っているのだという自負や緊張感を感じる面はあります)、今後の糧になればとの思いも含めてあれこれ勉強しながらやっていますが、時には、仕事の進め方などに役所の方々との文化の違いを感じることもないわけではありません。

ただ、こちらも色々と我が身を顧みて仕事をしなければなりませんし、そうしたことも含めて一般の個人などの方々から事件をお引き受けするのとはまた違った学ぶべきものがあるのだろうと心がけ、今後も努めていきたいと思います。

第1回期日に原告代理人(行政訴訟の大ベテランの方)と名刺交換した際「厄介な事件を引き受けて大変だね」と仰っていましたが、「そう思っていただけるんでしたら、ぜひ、今すぐ請求放棄書の提出をご検討ください」などと面と向かって憎まれ口を叩けるような図太い人間になりたいものです。

北東北の秘境・小又峡は一度ならず二度までも

先日、突如思い立って秋田県北秋田市(旧森吉町)の太平湖(小又峡)に行きました。太平湖は、昭和27年に森吉ダムの建設に伴い生じた規模の大きいダム湖ですが、「日本で一番ツキノワグマが多い山(マタギとナメ滝の聖地)」とも言われる森吉山麓の、人里離れた非常に奥深いところにあります。

で、遊覧船でしかアクセスできない場所から片道1時間~2時間ほどナメ滝(滑滝)が連続して姿を現すエリア(小又峡)があり、滝大好き人間の私にとっては昔から行きたい場所の一つでした。

ナメ滝とは、豪雪で磨かれた滑り台状の一枚岩を轟々たる水が流れていくタイプの滝で(ちなみに、華厳の滝のように真っ直ぐに水が落ちるのが「直瀑」)、私の知る限り、日本では秋田・上越・奥秩父のエリアに割と多く存在していると思います(奥秩父の代表的観光名所・西沢渓谷の隣にある東沢というナメ滝・ナメ床が密集する渓谷が、私のトレッキング趣味の原点の一つになっています)。

ただ、それだけに、小又峡は決して「素人ないしお気楽な観光客に優しい場所」ではなく、滝を見に行きたいのであれば、基本的には正午までの船便に乗船する必要がありますし、遊歩道とはいえ靴なども相応のものを履いて来た方が望ましいと言えます。

太平湖には6年ほど前にも一度、来たことがあるのですが、その際は田沢湖と阿仁スキー場のゴンドラを経由したため最終便しか乗船できず、小又峡に近づけずに遊覧船に乗船しただけで終わってしまいました。

そのため、今度こそは小又峡の名瀑群を見に行きたいということで、北回り(鹿角八幡平ICから西南方向に向かうルート)で向かいました。ただ、諸事情により出発が遅れ、12時半の便に辛うじてアクセスできました。

で、出航から20分ほどで南側の波止場に到着しました。人里・道路などが一切見えないことはもちろん、周囲にはかつての材木運搬用の線路跡もあり、秘境ムードたっぷりです。

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そして、木々を鏡のように写す湖面を横目にしつう、いよいよ小又峡に向かって歩き出すと、ほどなく轟音と共に最初のナメ滝が現れます。

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さあ、いよいよ憧れの小又峡に到着!ここから滝巡りだ!と思っていると・・

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長靴が無いと渡れぬ小又峡 銭はあれども貸す婆もなく

前日の増水で、小又峡の入口の沢に設けられた「入口」と言うべき渡渉用の石が全て沢の流れに埋もれ、長靴がないと渡れない状態になってました・・

私一人だけなら、靴を脱いでスボンもたくし上げ、裸足で渡ろうとしたかもしれませんが、さすがに家族と一緒なので自粛・断念し、ここで引き返しました。遺憾ながら、小又峡の滞在時間は実質5分、次の便までは40分以上も波止場でダラダラと過ごし、やむなく次の便で撤退しました。

レストハウスで乗船のチケットを買う際も係員の方に言われていたので覚悟はしていたのですが、まさかこんな入口すぐの場所とまでは想像もできず、ショックです(まあ、それでも乗船したでしょうけど)。

どうせなら、こういうときこそレストハウスには「長靴を一人ウン千円で貸すよ」などと結構な商売をしていただければ(今の私なら蜘蛛の糸を掴むかのように借ります)と思わないでもありませんでした。

帰りの便では、不安定な天候のせいか、湖畔に虹も姿を現しており、せめてもの慰めになりました。

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この湖は三菱マテリアル(当時の商号・太平鉱業)が付近にある鉱山への電力供給などの目的でダムを建設した関係で、太平湖と名付けられたとのことですが、人造湖ですので、ダムの建設時に幾つかの人里が湖底に消えたことは間違いないかと思います。

山深い場所ですのでマタギなどで生計を営む小さな村々ばかりだったとは思いますが、それでも、湖面を眺めていると、当時の人々の営みがどのようなものであったか、色々と考えずにはいられない面もあります。

例えば、湖面の下に眠る鎮守の社ではマタギの人々が山の恵みを肴に村祭りをしたり、美しい村娘と若いマタギが村人に隠れて逢瀬を重ねるなどということもあったのでしょう。

或いは、そんな二人がダム建設で生じた村の混乱の中で思いを遂げることができず、湖を訪れる人の心に今なお語りかけているなどという秘話が、湖底の深くに眠っているのかもしれません。

太平にまどろむ人の見る夢は 村のやしろで交わす約束

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太平湖・小又峡は、私の感覚では、登山者でない普通の人が行ける場所としては、北東北では「最強」の紅葉の名所の一つだと思っています。お時間のある方は、10月末までの晴天の日に、ぜひ訪ねていただければと思います。

私自身は、小又峡の再々挑戦もさることながら、いつの日かこの近くにある桃洞の滝や安の滝にも訪れることができればと願っています。

余談ながら、「北秋田市」はこんな無個性なネーミングでなく、南アルプス市に対抗して「マタギ市」と名乗れば良かったのではと、訪れるたびに思います。